[0658] 案山子の存在理由

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0658   2000/07/22.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 16417部
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 <どんな犠牲を払って無理してでも充分分行く価値のあるところですヨ!>

■デジクリトーク
案山子の存在理由
十河 進

■デジクリトーク
 ラジカル鈴木ニューヨークに行く(3)
 変なモンいろいろ買ってきましたネ
 ラジカル鈴木

■連載「ip2000」プロジェクト奮闘記 7/22
 閉鎖空間での子供のクリエイティブ、大人のクリエイティブ
 ------(フェーズ1)航海日誌66日目-------
 川井拓也@sea



■デジクリトーク
案山子の存在理由

十河 進
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●生きてきた甲斐を感じる時

元「特選街」編集長Iさんにすすめられた、元NHKディレクター吉田直哉のエッ
セイ集「まなこ つむれば…」(筑摩書房/2000年1月刊)を読んでいると、司
馬遼太郎の追悼文や思い出話が頻繁に出てきた。

その中で、NHKスペシャル「張学良がいま語る~日中戦争への道」で最初に張
学良が会見人に指名したのが司馬遼太郎だった話が紹介されていた。平成2年
に放映された番組で、結局、聞き手は磯村尚徳になったようだが、吉田直哉は、
その後の司馬遼太郎からの手紙を披露する。

「テーゼとアンチテーゼが刃物のようにそぎ立っている、その刃の上を素足で
(血を流して)歩くのが、自分の立場(思考法)」と司馬遼太郎は自分が歴史
を一面からしか見ない人間ではないことを明らかにし、それを張学良がわかっ
て指名してくれたのだと大いに喜び「大げさにいって、生きてきた甲斐があっ
たなと思いました」とまで書く。

このエピソードが僕の中に印象深く残ったのは、あの国民作家とまで言われ多
くの読者を持った(現在も持っている)司馬遼太郎にして「生きてきた甲斐」
という言葉を使わせる「人間の哀しさ」を感じたからだと思う。

「生きてきた甲斐」つまり「生き甲斐」である。昔、「ヤリガイ」という貝を
背中に生やす求人雑誌のCMがあったが、人は「生きてきた甲斐」や「仕事をや
ってきた甲斐」を求める。

「生き甲斐」や「やり甲斐」とは、自分が生きて行うこと、つまり存在理由
(昔、フランス語でレーゾン・デートルと習った)を誰かに認められることな
のではないかと僕は考えている。

自分が人の世に存在する理由、自分が生きて何事かをやったことの意味、それ
を誰かがわかってくれた(世の中に認められた)時に「ああ、俺は生きてきた
甲斐があった」としみじみ思うのではないだろうか。

あるいは誰もわかってくれなくても、自分がやっていること(仕事であったり
何かの活動であったり)に信念を持っている人は、生き甲斐ややり甲斐を感じ
ているかもしれない。だが、やはり誰か理解者がいることが、生き甲斐になる
のだと思う。

功成り名遂げた大作家・司馬遼太郎でさえ中国現代史の証人・張学良の指名に
よって「自分がやってきたことの理由や価値」を認められたと「生き甲斐」を
感じるのである。しかし、まったく生き甲斐を感じられない(自分の存在理由
を認めてくれる人がいない)人生を送っている人は、どれだけ辛いことか。

●自分の人生が無意味だったと思い知らされる時

悲観的に言えば、ほとんどの人間は己の人生が無意味だったことを確認するた
めに、死に向かって(あるいは、死ぬために)生きている。

ミラン・クンデラの小説の中の人物がこんなことを言っていた。
「私が子供を作らない大きな理由は、私の子供に人生を繰り返させるほど、人
生が意味のあるものとは思えないからだ」

シニカルな男がこんなことを言っていた。
「人間はみんな死ぬ。早いか遅いかだけの違いだ」

人生の最期に「私の人生は何の意味もなかった」とつぶやく時、彼(あるいは
彼女)を襲う寂寥感はいかほどのものだろう。想像を越える虚しさ……。

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督作品「トト・ザ・ヒーロー」(1991)の主人公
は老人ホームに収容され、看護婦に叱責されながらタバコを隠れて吸うような
みじめな境遇にいて、己の人生が「無」だったことを思い知らされている。

「私の人生は何の意味もなかった。無だ」

彼はテレビニュースで、財界の大物になった昔の隣家の息子が、ギャングが絡
むトラブルに巻き込まれ命を狙われているのを知る。様々ないきさつがあるそ
の男を殺そうと、彼は老人ホームを抜け出す。彼を殺すことで、自分の人生の
意味を取り戻そうとするのだ。

子供の頃、彼は隣家の同い年の息子が羨ましかった。彼の家は金持ちで、誕生
日のプレゼントも豪華だった。主人公は、本当は産院で隣の息子と取り替えら
れたのだと想像し、隣の息子がもらった誕生日プレゼントを自分のものだと主
張する。

誰でも子供の頃に、自分はこの家の子ではないのだと想像した経験があるはず
だ。本当はもっと金持ちの家に生まれていたのになどと、何かをねだって聞い
てもらえなかった夜には、寝床の中で想像したことがあるだろう。しかし、翌
朝、自分の家はここしかないと思い知らされる。

彼の父親はパイロット、美しい姉とダウン症の弟がいる。彼らは幸福でトラン
ペットやピアノで楽しそうに一家でジャム・セッションをやったりする。弟は
善良そのもののダウン症児だから、隣家の息子たちに虐められる。

彼が子供の頃、パイロットの父親は隣家の金持ちに頼まれて嵐の日に飛行機を
出し、事故で死んでしまう。母親は錯乱し、一家は不幸に見舞われる。

ある日、隣家の息子が姉と一緒にいるところを見つけた主人公は姉を責め、隣
の息子ではなく弟を愛していることを証明するために、姉は隣家の納屋を焼こ
うとし、ガソリンタンクを引きずって納屋に入り自らも焼け死ぬ。

成人した彼は、ある日、街で姉に似た人妻と出会い、恋に落ちる。彼は人妻と
駆け落ちの約束をして駅で待つが、彼女が遅れたので家へ様子を見に行くと、
その家から顔を出したのは、何とかつての隣家の息子ではないか。彼女は彼が
あれほどこだわっていた隣家の息子の妻だったのだ。

そして現在、死が迫った老人になり、主人公は自分の人生を「無意味」なもの
にした元凶である隣家の息子を殺そうと、守衛室から拳銃を盗み、老人ホーム
の病棟を抜け出す……。

自分の前に常に立ちふさがる隣家の息子。自分より恵まれ、彼が羨んだ隣家の
息子。自分は本当は彼と取り替えられたのだと幻想するほどだった。なのに、
初めて心底、恋した女はすでに隣家の息子の妻だったのだ。

その時の彼の絶望感は、僕には手に取るようにわかった。自分の人生に何の意
味もなかったのだと、すべてはあの男のイミテーションだったのだと、恋した
女さえあの男のものだったのだと、そう知らされた人間に「生きる意味」をど
う感じろというのか。

●絶望とは死に至る病だが時間が癒すこともある

「トト・ザ・ヒーロー」の主人公は恋人が隣家の息子の妻だと知って絶望し、
ひとり行方をくらませるが、その後の人生はまったく描かれず、その時の絶望
感のまま死を迎える老人になっている。

だが、映画と違って現実の人生を省略するわけにはいかない。いくら絶望した
とはいえ、時間は傷を癒すこともある。毎日、暮らしていくのに悲観的な考え
方ばかりもしていられない。

それに、人は何かひとつのことだけで生きているわけではない。志を持ったプ
ロフェッショナルとして取り組めば、どんな仕事にも「やり甲斐」を感じるこ
とはできるし、何か些細なきっかけで「生き甲斐」を感じることはいくらでも
ある。

司馬遼太郎は、ひとりの実在した人間の完結した生涯を俯瞰し、その男(たと
えば「燃えよ剣」の土方歳三)が何を成すために生まれてきたのかを見据えて
書く。歴史における彼の存在理由である。

だが、本当の土方歳三がそれをわかっていたとは思えない。彼も様々に迷った
ことはあるし、信念をなくしそうになったこともあるはずだ。絶望感に打ちひ
しがれたこともあったに違いない。仲間たちの裏切りに歯がみした日もあった
だろう。

歴史に名を残した人物に限らず、どんな人間も生きているうちは同じように迷
い絶望し裏切られている。しかし、どんな人間の人生も、歴史に名を残したか
否かにかかわらず、無意味であるはずなどない。すべてのものには何かの存在
理由があるのだ、と僕は思う。

たとえば、案山子(かかし)であったとしても……。

●何のために存在したのかがわかる時

30年間、読み返すたびに涙するマンガがある。センチメンタルだと言えば、セ
ンチメンタルな話である。甘いと言う人もいるだろう。だが、今回、読み返し
てやっぱり泣けた。

永島慎二が月刊ガロに発表した「かかしが きいた かえるのはなし」という
マンガだ。永島慎二は貸本時代から「漫画家残酷物語」などで熱心なファンが
いたが、梶原一騎原作の「柔道一直線」で一般的に名を知られるようになった。

彼は「柔道一直線」を描いたために金持ちにはなったが、「俺は商業主義に敗
北した」と悩むマンガ家を主人公にして私マンガを月刊COMに描くようなマン
ガ家である。

田舎の田圃の中にかかしが立っている。その前に腹を空かせた旅のかえるがや
ってきて行き倒れる。かかしはカラスに頼んで食べ物を持ってきてもらい、か
えるは元気になる。

礼を言って「先を急ぎますので」と行きかけるかえるに、「わたし」であるか
かしは声をかける。かえるは真顔になり、「君なら笑わないな」と腰を下ろし
て身の上話を始める。

遠い遠い古い井戸の中で生まれたかえるは、おたまじゃくしの頃は友達や兄弟
たちと仲良く暮らしていたが、ある時、井戸から見える丸い空に美しい月を見
て感動し「あそこへ行ってみたい」と強く願う。彼は、夢を持ってしまうのだ。

かえるに成長し友達や兄弟たちに笑われながら、何十回、何百回と失敗しなが
ら井戸の壁を登り、とうとう井戸の上に出る。しかし、かえるの果てしない旅
は、それから始まった。

かかし「それで──、君は…」
かえる「いまだに旅してるわけさ……。は、は、は、死ぬまでね」
かかし「それで……、たまには兄弟のこととか─、友達のことなんか
    思い出さない……」
かえる「ともだち……きょうだい……」(かえるは一筋の涙を流す)

涙を流すかえるにかかしは言う。君は偉い、とうとう夢が叶うのだと。

「あの山から一年に一度、月に向かってバスが出る。だれでもが乗れるっても
のじゃないんだ。そのバスに乗るために必要なキップはだれでも持ってはいる
んだけど、そのキップを切って貰えないと乗れないのさ」

不安と期待に満ちたかえるの姿。そのかえるに「君もキップを持っている。そ
して、私がバスのことを教えたのがキップを切ったことなのだ」とかかしは言
う。「実はね、そのキップ切りとは、私なのさ」

かえるは喜んで風の中を去っていく。かえるの夢は叶った。

僕が決まって涙するのはこの後のシーンだ。かかしのウエスト・アップから顔
のアップまで横長のコマの中に、内心の声が書かれる。かかしだから表情に大
きな変化はない。だが、表情が変化しないことが切なさを生む。

かえるは行った──風の中を
ずいぶん長い間、私は考えてきた、一体なんのために
ここにこうして生きているのか………わからずに
ずいぶん長い間、考えてきた……それが……
今、やっと、わかったような………気がする

広い畑の中に一本の田舎道があり、遠くをカラスの群が飛び、「ドドドドドォ
…」と風が吹き、その風でかかしのクビが「カクン」と倒れる最後のコマは、
本当に哀しい。

その時、かかしが死んだのだとしても、夢が叶ったかえるの喜ぶ姿を見て、そ
の喜びを自分が与えたのだと満足し、彼は「生きてきた甲斐」を感じていたの
だと思う。

だが、彼は一方で思っただろう。自分の夢は、一体何だったのだろうか、と。

【そごう・すすむ】sogo@mdf.nifty.com
「流れ編集者」あるいは「編集流れ者」を自称。新聞やテレビで「そごう崖っ
ぷち」とか「そごう立ち往生」とか騒がれていたが、とうとう倒産。あちらは
漢字で書くと「十合」のはずだ。こちらの十河はDG休刊で、もう崖っぷち状態
を通り過ぎてしまった。「○○○は~も一度イチから出直します~」と小林旭
の歌を歌う日々(?)

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

司馬遼太郎記念館
http://www.shibazaidan.or.jp/

淀川長治の新シネマトーク「八日目」(ジャコ・ヴァン・ドルマル)
http://www.magazine.co.jp/features/movies/yodogawa/1068yokame/home.html

柔道一直線
http://www.kobunsha.com/book/HTML/cmc_judo03.html

ガロ1967年8月号
http://www.infonet.co.jp/apt/march/comics/Garo/67.08.html

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■デジクリトーク
ラジカル鈴木ニューヨークに行く(3)
変なモンいろいろ買ってきましたネ

ラジカル鈴木
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黒田さんに教えていただいた100年の歴史があるというバーへ行ってみたので
すが、あいにく満員でした。仕方なく近くのステーキ屋「ギャラガーズ」へ行
ってステーキを食べました。そしてステーキのボリュームに驚嘆してしまいま
した。味があんまりしないので、ペッパーとソルトを沢山かけました。ソイソ
ースも欲しいところでしたが。むこうは霜降りの肉が良い肉という価値観がな
いみたいで、パサパサの赤みが良い肉なんですね。おもてに巨大な肉が見える
ようになってて、店内はスターの写真や競馬のジョッキーの似顔絵が飾ってり
ました。珍しく今でも喫煙OKでした。

帰国後、黒田さんから、NYより、直筆ポストカードいただき、感激いたしまし
た。いただいたポストカードは、初めて行ったNYの思い出にふさわしいエンン
パイアステートビルの絵でした。大事な宝物です。

運が良ければ、ウディ・アレンのバンドの生演奏が見られるかもしれないと思
っていたのですが、演奏していたマイケルズ・パブがなくなっていたのはショ
ックでした..凄く期待していただけに。

他の場所で続けているのかな・・・? どっかでやってるのかもしれないけど。
彼の住んでるアパートの前は通りました。いま、隣にシティバンクのビルを建
てる計画があって、風景が変わるのを嫌がって彼が反対してるらしいんです。
ウディらしいエピソードですけど、これも近くに住んでらっしゃる黒田さんか
ら聞いたお話。

それから、メトロに乗ってハーレムも行きました!! ディズニー・ストアや
アポロシアター等がある、安全な125st.大通りだけですけど。ソウルフードの
ランチも食べてきました。オクラとかマメを煮たやつが特に好きです。みんな
とはぐれて1人になっちゃったときはどうしようかと思いました。すぐ見つか
ったんだけど超スリルあったな~。

知り合いがハーレムに住んでたことがあるんです。「148st と 149st の間で
す。自分でも信じられません、何であんな場所に約2年も居住しておれたのか。
『牛乳買いに行くのに命がけだった』という感触、いまならよぉく分かってく
れると思う」

2メートルくらいある黒人が、でっかい30kgくらいありそうなラジカセを軽々
とかかえてこれまたでっかい音でラップをかけてて、それにあわせて怒鳴って
歩いてるのがすごい光景というか印象的で・・・まあ日本人はかなわないなっ
て思いました。

変なモンいろいろ買ってきましたネ。エンパイアステートビルやコニーアイラ
ンドの水族館のお土産、ミッドタウンのガラクタ市、ビレッジの怪しげな店な
どで。むこうのモロのビデオ3本買っちゃいまして・・全部で80ドルなり。キ
ャナルst.で。タイトルが「Dr.フェラチオ」、2時間ずっとこれ(笑)

あとのは「夢見る大和撫子~小さくて可愛いジャパニースガール」という和モ
ノ。もう1本は「mafumafu」という、わりと正統なむこうのやつです。税関で
ちょっとドキドキしましたけど、まったくOKでした(笑)マズイのかなこんな
こと書いちゃ??

時差ボケはしていないです。というのは向う行って元々ズレてたのが正常にな
って、帰ってきてまた元にもどったから。まったく問題ナシです。と、思いき
や、最近、寝るべき時間に眠れなくなり、昼間猛烈に睡魔に襲われるという、
これってやっぱり時差ボケ? 2週間もたって今頃になって出てきた・・

風邪をひいてしまったんですが、向うのウイルスはやっぱ強力みたいです。乾
燥しているうえにホコリっぽかったから・・過労もあるんでしょうけど。ハー
ドだったから・・空港に着いた時は最悪でしたが、だんだん良くなってやっと
普通になってきました。まだ完全じゃありませんけども。

しかし、帰ってきてすぐは、休んでもいられず1週間パニックでした。そのま
まそれが今も続いています。でもね、まだ行ったことのない方、どんな犠牲を
払って、無理してでも行く価値の十分あるところですヨ! 行けない理由を探
していたら、おそらくいつまでたっても行けなかったでしょうから。

実は僕はNYへは10年前もから行こうと思っていたんです。5年間有効のパスポ
ートを取ったのはいいけど、結局、フィリピン(ボラカイ島&マニラ)に一度
行ったきりで切れちゃいました。今回、行く直前に10年間有効のパスポートを
取ったから、これからもどんどん行くぞ!!

帰ってきて1週間後、なんとコニーアイランドへ行く時に使った地下鉄が、ブ
ルックリンで脱線事故というニュース!! 僕らの乗って行ったあの電車じゃ
ないか!! 50名以上が重軽傷だって。僕らって本当に悪運が強いんだな~

もちろん観光の王道であるMOMAやメトロポリタン、自然史博物館なんかも行き
ました。本物のウォーホルやリキテンシュタイン、ベーコンなんか見ました。
フラッシュをたかなければ写真も撮れるので撮りました。ダコタ・ハウスやら
ラジオシティやらも見たし、セントラルパークを自転車借りて一周したり・・
実は自由の女神は見なかったんですね。綺麗な写真がいっぱいあるし、それよ
りも歩いて街を見たかったからです。まだまだいっぱい行きたい所を残しつつ、
帰国しました。

これはらまだまだエピソードのほんの一部です。ではまた今度~!!

▼ラジカルさんの赤ゲット(おのぼりさん)旅行記の写真が以下に
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■連載「ip2000」プロジェクト奮闘記 7/22
閉鎖空間での子供のクリエイティブ、大人のクリエイティブ
------(フェーズ1)航海日誌66日目-------

川井拓也@sea
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【現在の船の位置=凸】
東京>>香港>ベトナム>シンガポール>スリランカ>セイシェル>ケニア>
エリトリア>エジプト>イスラエル>ギリシア>クロアチア>イタリア>カナリア
>>>凸キューバ>メキシコ>カナダ>ロシア>東京
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Planning&Produced by http://www.taiyokikaku.com

【今日のコラム】
□□□テクニカル度
■■□□旅行シズル度
■■■□おもしろ度
□□□制作プロセス度

船には老若男女さまざまな人が乗っている。今回のクルーズではしかし子供は
どれほど多くはないようだ。目立ったところでは5人くらいの子供がグループ
を形成している。きっと親はいつもセミナー等に出ていて子供は退屈するのだ
ろう。さまざまなところに出没してなにやら工作に興じている。

プロダクションルームのある広場は船内では「うみんちゅ広場」と呼ばれてい
る場所で、毎日の船内新聞を作る新聞局とイベントでさまざまな装飾を作る美
術部、そして世界各地でサッカーボールを寄付しつつ、サッカーを通して国際
交流を続けるピースボールチーム、それにピースボートのオフィシャルビデオ
制作チームという5つのチームが入っている。子供達にとってはいろいろなも
のがある格好のターゲットになる場所である。

彼らは大西洋の長い航海をもてあましどうやら「戦車」を作ることをテーマに
したようだった。各地で段ボールを探しまくり、テープやらカッターやら都会
のカラスよろしくいろんなところからかき集めて、モソモソと一日中やってい
る。廊下には段ボールから象のような鼻が砲塔よろしくつきでた段ボールが2
つ、ゴソゴソと移動しており初めてみるとギョッとする。子供は中に入り砲塔
を潜望鏡のようにして回りを見ているのだ。

「こらこら、戦車じゃまで通れないよ」
「へんだ!砲撃!ドドーン!」
「うわー、やられたー!」
と答えるのも楽ではない。
しかし、この船で戦車ごっこはいまいち芳しくないのお。

次の日、廊下を歩いているとそれまでモソモソと不規則に動いていら戦車がス
スーっと近づいてくるではないか?

「な、なんだ? あのスムーズな動きは?」と驚いているとどこから持ってき
たのか、椅子のキャスターの部分に子供達はのっかり段ボールの筐体をかぶせ
ていた。日に日に進歩する戦車製造技術。子供たちはおもしろい。しかし、感
心ばかりはしてられない。我々にとっても数少ない消耗品であるガムテープ等
をバリバリ使われたのではたまったものではないから「もうだめ!」と宣言す
ると

「なにー! そんなこと言うんだったらここにあるコンピューター全部壊しち
ゃうぞ!」

おいおい、そういう脅しを今からできる子はろくな大人にならんぞ。お願いで
はなく脅しに向うベクトルが憎らしい。

憎らしいといえば船内のミラーバーでは「憎らしか」という名のオリジナルカ
クテルがある。この船はウクライナ船籍だからウクライナ語風の発音で読むわ
けである。ウォッカにレモン、そこに砂糖とコーヒーをまぶした船内名物だ。
辛口の大人の飲み物。不眠症キラーともいわれる。

子供達は毎日全力で遊ぶので、夜は早いようだ。朝の7時くらいになれば廊下
を戦車が走り始める。今日も起きてドアを開けたら砲撃を食らった。戦車の次
に彼らはなにを製造するつもりだろう。朝から新型水風船爆弾などをくらわぬ
よう彼らの創意工夫が平和にむかうよう祈るばかりだ。

※本日は画像リンクなしのコラムです。
http://www.ip2000.net/

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■編集後記(7/22)
・19日の大阪は死ぬほど暑く、3つのギャラリー巡るたびに背中は大汗をかき、
濡れては乾きの繰り返しだったユニクロTシャツ。ハマムラさんとのひさしぶ
りの編集会議だったが、相変わらず我々は部活ノリである。無茶な拡張は目指
さない。やりたいことは山ほどあるが、できる範囲で楽しみながらやることに
した。20日の「web甲子園」はすごかった。近くレポートするけど、さすが関
西人のやることはハンパじゃない。そこまでやるか~とただひとりの関東の審
査員はあきれつつ楽しんだ。深紅の大優勝旗を渡す(!)授賞式の後の、まだ
明るい空の下での生ビールはじつにうまかった。大阪はいいなあ。(柴田)

・うちの父親は大物ではない。ただの職人だ。彼は今の時代に合わない義理固
い人間だ。うちは金持ちではないし、カードを作るときの信用は知らないが、
父親の仕事関係の周囲の信用はピカイチである。人を預けられても大きなピン
ハネをせず、預けられた人の分の仕事のカバーをしてしまう。一時期自分の部
下だった人が、大きなピンハネで儲けて豪邸を建てたとき、彼はどう思ったん
だろう、なんて思うのだが、ときにある口下手なりの説教を要約すると「人に
後ろ指をさされるようなことをしていないのが誇り。悩まず、まくらを高くし
て、ぐっすり眠れる人生」らしい。価値観の違いだが、シンプルすぎて人間的
に馬鹿だと思われているかもしれない。娘としても、父親の説教に怒るときは
あるものの、人を踏みつけて生きてきた人間でないという点は嬉しいし、父親
にナイフやバットを振り回そうとは思わない。もし父親が『いまニュースで流
れてくる一時期盛況だったが逮捕されるような人間』だったら、親を恨んで生
きるような人間になったかもしれない。大物ではない父親だが、この不況の時
期で、周囲は仕事がないのに、いわゆる定年を過ぎた年でありながら休みなし。
祖母のお葬式には、来ても得にはならないだろうし、他の職人たちのものには
顔を出したことのなかった大手の社長がお焼香にきてくれた。私の『仙人な時
間の流れ的性格』と、『固執しているように自分では思いこんでいる、でも全
然アバウトな金銭感覚』と『すぐに人を信用してしまう甘さ』に『人に譲って
しまう、略奪愛って何じゃそりゃ、な恋愛パターン』は、お嬢様ではないくせ
に、家庭でのよくある苦労というものがなかったからというような気がする。
口ばっかりのハッタリ野郎だったり、酒乱だったり、ちょっとくらい浮気をす
るような父親なら、私も、も少し楽に生きられるかもね~ん。男尊女卑なとこ
ろくらいかな。世界中がうちの父親を「無」だと言おうが、娘の私は誇りに思
っているぜ。ほんと最近だけどね、わかってきたのって。リストラだとか、仕
事の失敗だとか、無名の苦しみなんかで、家族に理解されるまでは死ぬなよ。
これを読めない機械オンチのうちの父親&デジクリ読者のお父さま方へ。
                           (hammer.mule)拝。

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

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