[0693] 「ごっこ」のように生きていた日々

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0693   2000/09/16.Sat発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 16794部
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 <でも、私はロシアがすごく好き>

■デジクリトーク
 「ごっこ」のように生きていた日々
 十河 進

■デジクリトーク
 ついに、ロシア人待望のシーズンが始まる
 ロシア人の心の糧。それは、劇場という名の第三の空間。
 東 知世子



■デジクリトーク
「ごっこ」のように生きていた日々

十河 進
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●ウィンナーソーセージが浮かんだコーヒー?

神田神保町に「ラドリオ」という喫茶店があった。確か「ラドリオ」とはスペ
イン語で煉瓦のことで、店内も煉瓦の壁で出来ていた。靖国通りに面した書泉
グランデと小宮山書店の角を、すずらん通りの方に曲がってグランデ裏の路地
を通り過ぎたところに入り口があった。

ドアを押して入ると、左手に煉瓦色をしたフェイクレザー(本物だったかもし
れないが)の長持ちしそうな椅子とデコラ張りの背の低いテーブルが並んでい
た。廊下を奥にまっすぐ進み階段を2、3段昇ると、ボックス席とカウンターの
あるコーナーになっていた。

奥のカウンターとボックス席に挟まれた通路を進むと、路地側に通じるドアが
あった。その古い木製のドアを押して出れば書泉グランデの裏口である。その
路地には「ミロンガ」があり、さらに進むと角に焼酎の店「兵六」がある。突
き当たりは三省堂書店の裏口だった。

この位置関係は今も変わらない。ただ、今の「ラドリオ」はグランデ裏の路地
側からしか入れない。広い道路に面した側は「コロラド」という店になってい
る。つまり、ひとつの「ラドリオ」が、「コロラド」と「ラドリオ」に分かれ
たのである。

僕が初めて「ラドリオ」のドアを押したのは、1971年5月のことだと思う。連
休明け早々だったのではないだろうか。誰に連れて行かれたのかは覚えていな
い。同じクラスの誰かだと思う。

当時19歳の僕からすれば、かなり年上に見える女性が注文を取りに来た。店の
席数に比べてお姉さんたちが多すぎる気がしたが、夜はカフェになるのだと知
った。僕は「コーヒー」を頼んだ。

出てきたコーヒーは白い泡状のものに覆われていた。俺はココアなんか頼んで
いないぞ、と一瞬思ったが、ココアにしても変だった。問いかける目をしたの
かもしれない。僕を連れていってくれた誰かが「ウィンナコーヒーだよ」と言
った。

「ウィンナコーヒー?」と僕は戸惑った。ウィンナーソーセージが浮かんだコ
ーヒーが滝田ゆうの漫画の吹き出しのように頭の上に浮かんだ。やはり、戸惑
いが露骨に現れたのだろう、相手は「ウィーンではコーヒーにクリームを入れ
て飲むんだ」と教えてくれた。僕は、ウィンナコーヒーを知らなかった。

2時間で追い出される「サボール」と違って「ラドリオ」は、ウィンナコーヒ
ー一杯で何時間でもねばらせてくれた。「ラドリオ」は、僕と僕の仲間たち十
数人の溜まり場になった。

そこにいけば、いつも誰かに会えたものだった。僕たちは「仏文9組ラドリオ
グループ」を名乗った。大学には行かず、「ラドリオ」に直行することの方が
多かった。

「ラドリオ」には夜になると、立派なスーツを着込んだ中年の紳士たちがどこ
からともなく集まってきた。彼らは奥のカウンターやそちらのコーナーのテー
ブルに陣取り、ママを相手に楽しそうに笑っていた。お姉さんたちも生ビール
やワインを運ぶのに忙しくなった。

暗くなった後の「ラドリオ」で酒を飲むのは気が引けた。学生の身分には不相
応に思えたのだ。暗くなると、我々は「ラドリオ」の路地口から書泉グランデ
の裏に出て、三省堂裏の「兵六」に流れた。

「兵六」は怖い主人が店の真ん中にデーンと陣取って睨みを利かせていた。大
学にはまだ荒れていた頃の余韻が残っていたが、そこでは教授とセクトの学生
が肩を並べて呑んでいた。僕は初めて焼酎の味を覚えた。

仲間のひとりは、みんなが就職した後も「兵六」で数年間アルバイトをしてい
た。噂では親父さんに気に入られて跡を継ぐのだなどと言われていたが、その
後、彼は欧文専門の写植屋になった。

遙かな……、そう、遙かな昔の話である。

●「八月の濡れた砂」はすぐ乾く

学生時代に仲間たちと同人誌を作っていた。我々の溜まり場「ラドリオ」にち
なんで、誌名は「ラドリオ」と付けた。芸のない話である。一応、「ラドリオ」
のママさんには了解をとった。

同人誌「ラドリオ」は、4年間に二桁の号までは出したような記憶がある。ガ
リ版刷りで始まったが、最後にはきちんとした簡易オフセット印刷になった。
活字も立派な明朝体で組んでいた。

僕が「ラドリオ」に最初に載せた文章は「アンチ・クライマックス・ヒーロー
論─原田芳雄へのオマージュ」というタイトルだったと思う(何しろ30年近く
前のことなので記憶がはっきりしないのだ)。

次に書いたのが「八月の濡れた砂」についての映画論だった。他の仲間たちは
アンチロマン風の小説や前衛詩や「石原吉郎論」や「ジョルジュ・バタイユ論」
や唐十郎ばりの戯曲などを載せていたのだが、僕だけは怪しげなタイトルの映
画について書いていたわけである。

「濡れた」と付くだけで何だか嫌らしそうな感じがする。映画の看板は、5人
の男女が水着姿でキスをしながら歩いている場面であり、性的に無軌道な若者
たちの生態を描くという印象だった。おまけに、ポスターのコピーは次のよう
になっていた。

若い素肌ににじむセックスの汗……
女をムシって熱い砂に放り出せ!

まるでキワモノ映画である。しかし、ある友人が「八月の濡れた砂はすぐ乾く」
と言い、僕はなるほどと思った。「八月の濡れた砂」は、セックスそのものは
重要なテーマではあるが、ほとんど直接的なセックスシーンのない乾いたクー
ルな映画なのである。

●1970~1971年のフェイバリット監督は藤田敏八

「八月の濡れた砂」は1971年の8月末に公開になった。併映は夏純子主演「不
良少女魔子」であり、日活最後の一般映画だった。日活は経営不振から、一般
映画の制作を打ち切りロマンポルノという成人映画専門の会社になることを決
めていた。

「八月の濡れた砂」は公開が終わってから口コミでじわじわと人気が出た。一
種のカルト・ムービーになり、名画座でも上映されるようになった。

主演は広瀬昌助と村野武範で、高校生の役を演じた。剛達人は優等生の役だっ
た。村野武範は1、2年後に「飛び出せ青春!」(青い三角定規!)の高校教師
の役で人気が出るが、この頃は無名だった。女優陣はテレサ野田、藤田みどり、
隅田和世である。今や誰も知らないだろう。

監督の藤田敏八は「非行少年・陽の出の叫び」(1967)でデビューしたのだが、
その時は藤田繁矢だった。その後、手術をして糸を抜いたのを機に敏八と改名。
3年間のブランクの後、1970年から立て続けに名作を作った。

1970~1971年の僕のフェイバリット監督は藤田敏八だった。東大在籍中に俳優
座養成所に通った彼は、後に演技力(?)を買われて鈴木清順監督の「ツィゴ
イネルワイゼン」で主演を張り、その後は久世光彦の向田邦子ドラマシリーズ
にまで出演したから顔の売れた映画監督になった。

藤田監督は1970年に「非行少年・若者の砦」を作り、「野良猫ロック・ワイル
ドジャンボ」「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」「野良猫ロック・暴走集団71」
(公開は1971年早々だった)を作る。何と年間4本である。この作品群に続く
のが「八月の濡れた砂」だ。

「野良猫ロック」シリーズは1年間で5本作られ、他の3本は長谷部安春が監督
した。70年代前半、「野良猫ロック」シリーズ全上映というオールナイトがよ
くあった。ある時、僕は新宿の映画館で何度目かのオールナイト上映を見てい
たのだが、途中から入ってきてスクリーン脇に立つ人物に気付いた。酔っ払っ
た藤田監督だった。

その藤田敏八監督も1997年8月29日に亡くなった。まだ65歳だった。「八月の
濡れた砂」で人気監督になった後、秋吉久美子主演「赤ちょうちん」「妹」、
山口百恵主演「天使を誘惑」「ホワイトラブ」、浅野温子主演「スローなブギ
にしてくれ」と話題作も多く手がけたが、晩年は監督作より出演作の方が多く
なった。それは彼にとっては、心ならずものことだったに違いない。

●破壊で始まり破滅で終わる映画

「八月の濡れた砂」は不良少年の健一郎(村野武範)が退学になった学校のグ
ラウンドに現れるところから始まる。真面目な清(広瀬昌助)と会い「いいの
かよ、俺といるとこ見られて」と言う健一郎に「もう見られてるよ」と清が答
える。ふたりの教師が嫌悪と不安の表情でふたりを見ている。

その瞬間、健一郎はサッカーボールを思いっきりキックする。画面は切り替わ
り、校舎の中から飛んでくるサッカーボールが捉えられる。窓ガラスを破壊す
るサッカーボール。そこでストップモーションになり、メインタイトルが真っ
赤な字で描かれる。

タイトルが終わり、夏の早朝の海岸で清は不良学生たちに輪姦された早苗(テ
レサ野田)に出会う。清は早苗に惹かれるが、健一郎のように女に大胆になる
ことができない。健一郎は浜で出会った女をシャワー室に連れ込んで犯すよう
なワルである。

また、優等生のカップルがいる。健一郎は彼をけしかけ彼女を犯させ、それを
覗きながら中継をする。翌日、クリスチャンの少女は自殺し、健一郎と清は
「死んでみますか」と言いながら断崖から身を躍らせる。

しかし、次のシーンは海を泳ぐふたりだ。「なかなか死ねませんねえ」という
セリフがふざけている。彼らは充実感のない日々にシラケ、「ごっこ」のよう
に毎日を生きている。

大人たちは彼らの敵だ。健一郎は偽善的な大人たちすべてに憎悪を抱いている。
それは教師(地井武男)たちであり、今は母と関係を持つ父の友人だった亀井
(渡辺文夫)であり、早苗の姉(藤田みどり)である。

健一郎は亀井と母をヨット旅行に誘い、出航直前、亀井と母に猟銃を突きつけ
て降ろす。代わりに清と早苗と姉を乗せる。「後悔するぞ」と言う亀井に「後
悔したいんだよ。できるんなら」と健一郎は言い放つ。清もまた、船室に籠も
る早苗の姉に「遊びだよ、単なる。何も起こりはしない」と言う。

藤田敏八の映画は、若者たちの遊技性が魅力的だった。「遊び」であり「ごっ
こ」である。こんな世の中、まともに生きちゃいけないよ、という感じで若者
たちは遊びふざける。

だが、世の中は遊びで生きてはいけない。そのことを彼らは思い知らされる。
偽善的な大人の象徴である早苗の姉をデッキで犯した清と健一郎は、その行為
の虚しさに目標を見失い呆然とする。

猟銃を持ち出した早苗も、結局、真っ赤なペンキで塗られた船室の壁を打ち抜
くことしかできない。船室に流れ込む海水。そこへ印象的なイントロから、石
川セリの歌が流れてくる。

私の夏を真っ赤に染めて 夕陽が血潮を流しているわ
あの夏の光と影は どこへいってしまったの

彼らを乗せ大海原を漂うヨットを、大俯瞰のヘリコプターショットで捉えたラ
ストシーンは伝説になった。あのヨットは人生という大海の中で何の目標もな
くシラケ、ふらふらと漂う若者たちを象徴するようだった。

●不良少年たちは歳をとり不良中年になる

「ごっこ」で生きていた若者たちは、やがて歳をとり「赤い鳥逃げた?」(19
73)の原田芳雄を経て「スローなブギにしてくれ」(1981)の山崎努になった。

彼らは中年になっても何の目標も持てず、あるいは何かを達成することもでき
ず、それでも人生の時間が過ぎていくことの焦燥感を持て余し、ふらふらと彷
徨っている。不良少年は不良中年になっただけなのである。

僕は同人誌「ラドリオ」に書いた「八月の濡れた砂」論に「破滅へのキックオ
フ」というタイトルを付けた。サッカーボールが校舎のガラス窓を破壊するタ
イトルバックにかけたのと、破壊から始まった映画は、若者たち自身を破壊し
破滅に向かうのだと分析したからだ。

我ながらうまいタイトルをつけたものだと、ひとり悦に入っていたのだが、カ
ミングアウトすると、敬愛する詩人・長田弘の戯曲「魂へキックオフ」からイ
ンスパイアされたのである。

遙か昔の話だ。

卒業してからも「ラドリオ」には時々顔を出していた。しかし、次第に足が遠
のいた。僕の会社から歩いて行ける距離なのに、生活の中心が仕事と会社にな
り、学生時代の仲間たちともいつの間にか会わなくなってしまった。

一生のつきあいになると思っていた仲間たちも、いつの間にか自分の周囲から
消えていく。人生は、そういうものなのかもしれない。

卒業して15年ほどたったある日、僕は仕事が終わってから「ラドリオ」に行っ
てみたことがある。もう「コロラド」と「ラドリオ」に分かれていたから、昔
のように広い通りから入ることは出来なかった。

僕は、ひとりで路地口から入り、昔通りの椅子に座って生ビールを頼んだ。僕
もいつの間にか、そういうことが相応しい年齢になっていたのだ。昔通りの椅
子に腰を下ろし昔通りのテーブルに向かい、昔通りの煉瓦の壁を見ていた。

いつの間にか、あの頃の仲間たちが周りにいた。障害児を抱えて生きるKも、
故郷に帰って本屋を継いだSも、ジャズ喫茶のマスターになったMも、大学時代
に二人も子供を作ったFも、役者になったAも、会社が倒産し故郷に帰ったTも
……みんな若い頃のままだった。

そして、19歳の僕がドアを押して入ってきた。

「ラドリオ」には、それ以来一度も行っていない。苦しく胸に迫ってくるほど
思い出が甦っても、郷愁は現在の自分を肯定してはくれない。19歳の僕は、中
途半端で予定調和な不良中年を許しはしないだろう。偽善的な大人にだけはな
るまいと、19歳の僕は思っていた。

「遊び」の日々、「ごっこ」が許された日々……、あの頃の仲間も時間も「30
以上を信じるな!」と言っていた僕自身も、もう二度と戻ってはこない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
自称「流れ編集者」または「編集流れ者」。ついに連載50回達成。50回も続け
ていると化けの皮もメッキも剥がれる。会社でも最初は新入社員に買いかぶら
れるのだが、飲み会で化けの皮が剥がれ「ソゴーさんて、そういう人だったん
ですか!」と呆れられる。単なるアル中?

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

藤田敏八
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9708/html/0830side16.html

ラドリオ
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/guide/Tokyo/0404/P000925.html

石川セリ
http://kobe.cool.ne.jp/thyme/seri1.html

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■デジクリトーク
ついに、ロシア人待望のシーズンが始まる
ロシア人の心の糧。それは、劇場という名の第三の空間。

東 知世子
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この夏、ただでさえ不幸な出来事の多いロシアに、また汚名を上塗りするかの
ような不祥事、事故が相次いだ。今年はまた、これが天候不順で、雨の多い夏。
こんなことばっかりあると、かなしーなるやん。

「なんとかしてーな、プーチンさん!」(潜水艦沈没のとき)というロシア人
の気持ちは、ほとんど裏切られ、一週間以上たって全員死亡確認後、「あー、
やっぱりKGBのまわしもんやってんな。ロシア国民って、一体この国のなんや
ねん!」とさすがに落胆も大きかった。

しかし、そんな現状でも、どっこいロシア人、劇場開幕シーズンになると、う
きうきする。こういう実際の出来事に、気の滅入ることの多いときこそ、劇場
という気晴らしが必要なのだ。

●二人で60ルーブル

当然、私も9月に入るのを待ちきれずに、8月31日、とある劇場の窓口に、開演
20分前くらいに並んでいた。

この日の演目はサルトルの「扉の閉まった部屋」という芝居で、有名な俳優が
出ていることもあって、チケットは普段より高価だった。並んでいる面々の間
でも、「300ルーブル(1200円)はするんとちゃうか?」という不安な情報に、
顔をひきつらせる若者もいて、ドキドキしながらの行列だった。

すると、いきなり数人前の女の子が、「誰かもう一人いる?」と後ろの方に向
かって言うではないか!「私、一人ですけど!」と答えたものの、すぐ後ろに
もそういう人がいたようで、その話は流れた。

「一体、どんな切符の売り方をしてるねん?」と疑問に思いながら、やっと自
分の番がきた。問題の値段。正規の切符(座席指定)は200ルーブル。だが、
なんと入場券だと、「二人で60ルーブル」というではないか!

「絶対、それやっっ!」と思い、後ろを見ると、すかさず、後ろから手が伸び
てきて、「ほれっっ、30ルーブル! あたしも」ちょうど、後ろの女性も一人
で来ていたのだった、

めでたく、二人は仲良く一枚の入場券で中に入る。一応、名目は立ち見だが、
劇場側の計算では切符の値段が高すぎるために、売れなかった席が多く、必ず
空席が出るから、それを見越して、この入場券で席を埋めているらしかった。

しかし、この偶然一緒になった女性、誰かに似てる・・・よーく、考えて分か
った。サッチャー大統領にそっくりやんか! どうも、ロシア人っぽくない顔
やと思ったが。もちろん、生粋のロシア人なのだが、たまにこういう人がいる。

彼女は、私を「中国人」と思ったらしい。いやあ、珍しい間違われ方してるな
あ! ベトナム人で定着してると思っててんけど(ロシアに来てから)。貧し
そうに見えるのか?(いつも似たようなものを着てるし)いや、うちの母もそ
ういえばアジアな顔やもんなあ。

でも、最近は日本の知名度アップのせいか、アイドルの如く「キャー、日本人
の女の子よ! 見て見て、かわいー!」なんて言われることも。近所の小学生
の間でも、私を知らない子はいないほどだ(まったく自慢にならんが・・・)。

それはいいとして、この芝居、やや派手な衣装に、モレシャン的モデル体型の
女の子(元郵便局員)とセクシー路線のややマダム風の美女、それに小説家の
男性という三人が、或る日、同じ部屋に軟禁されるところから話が始まる、と
いういかにもサルトル的発想の戯曲だった。

落ちから言ってしまうと、「この閉じられた部屋こそ、”地獄そのもの”なの
である」つまり、彼らはどうあがいても、ここを出られない。なぜなら、彼ら
全員もう「この世」の人でなく、死後の世界の住人なのだ。

”お前はもう死んでいるー!!”の世界。
(”少年ジャンプ”ネタって奴か?)

それぞれが、最初はぎくしゃくしながら、いがみ合って、最終的にお互いを救
うために、過去の罪を贖罪し始める。実はこの三人とも、それぞれ過去に大罪
を犯している。そして、現世の死後の様子を見て、いっそう苦しむのだが、決
して、そこに自分の声を届かせることも、走って行くこともできない。

ま、見ていてやや難解な対話構成なので、正直言って、多少は疲れる部分もあ
ったが、役者のレベルは総じて高かったので、そこそこ満足した。それよりな
により、今回の奇遇な出会いには、まだ続きがあり、「やっぱり、ロシア人っ
てええ人おるなあ」この日、つくづくそれを感じた。

●この国は残る価値がない?

この思いがけず、一緒に芝居を見ることになった彼女。本当に心のきれいな、
珍しいくらい上品な人だった。彼女と話したことは、短い間だったが、とても
私を感動させた。多分、私が外人だから、いじめられたり、相手にされなかっ
たり、色々苦労していると思ったのだろう。

「ロシア人には、本当にいろんな人がいて、もちろん悪い人もいるけど、ほと
んどの人は、とても心のやさしい人たちなのよ。だから、ロシア人がみんな悪
いとは思わないでね。でも、それはどんな人種でも同じでしょ。私は人を人種
で判断するのが嫌いなの。だから、戦争も大嫌い。

今、ロシアは本当に悪い時期だから、あなたがずっと、この国に残る価値はな
いわ。勉強し終わったら、ちゃんと日本に帰りなさい。きっと、日本はロシア
よりはいいところでしょうから」

私が降りる駅の手前、揺れて声も聞こえにくい車両の中で彼女は私の耳元で、
はっきりそう言った。私は、一生懸命に心配してくれる彼女のことが有難かっ
たが、同時に、とても悲しかった。

こんな素敵な人に、「この国は残る価値がない」と言われたロシアが、哀れで、
かわいそうで、「全然、そんなことないやん!」と思った。一瞬、涙がちょち
ょぎれそうになって、ただ一言、必死の思いで答えた。

「でも、私はロシアがすごく好き」

それが、ドアから出ていく別れ際に、やっと言えた言葉だった。

まだ、私はこんなロシアにでも希望があると信じている。(いわんや、我が祖
国日本にも当然)多分、普通のすごく貧乏な、その辺でゴミ拾ったり、物乞い
してたりする人だって、見た目より希望はあると思う。現実はたしかに厳しい。

でも、人間は夢を捨てない限り、どんなところでも幸せになれる。私はロシア
人が不幸だと思わない。だって、彼らには第三の世界=劇場という楽しみもあ
るのだ。

そして、どんな暗くて長いトンネルでも、
どこからにきっと、”出口(活路)”はある!

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モスクワ・未来派演劇批評家のタマゴ 
東 知世子
chiyoko@orc.ru

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■編集後記(8/30)
・「うまいメシを食べたい!」というわたしの叫びは多くの方の反応を呼び、
MLのテーマになったり、メールをくれる人も多かった。一番多かったのが、水
元凶説、次がお釜説、そして米説と並ぶ。タンゾーアツガマで炊けか、釜が高
そうである。備長炭をいれよ、酢をいれよ、などはすぐ実行できそうなのでや
ってみたい。鍋で炊く、というのもあったな。いろいろ試してみます。次はパ
ンの話。朝はパンを食べる(妻はごはん)。さいきん気に入りなのが、ヤマザ
キの湯捏仕込み(ゆごねじこみ)「超芳醇」だ。なぜうまいのか能書きが書い
てあるが、読まなくてもうまい。それまではフジパンの「本仕込」がもっちり
としてうまかった。それがないときは、「新食感宣言」とかいうCMによく出て
くるのを求めたこともある。トーストにマーガリンを塗るだけでじゅうぶんう
まい。嵐山先生のように、ときには佃煮を塗りつけたりもするのだ。(柴田)

・ML爆発中。まぁもっと激しいMLはあるので、もっと流通量が増えてもいいと
思っているのだが、エラーメールがどんどん返ってくるのはツライ(笑)。特
に大手プロバイダーのホストがダウンしている時は、それぞれのアカウントを
チェックして「ホストがダウンしているの」「ホストがダウンしているの」と
いちいち連絡してくれる。メールチェックするのが大変だ。フリーメールだっ
たりすると、容量が少ないので、「満杯なので、受け取れません」というエラ
ーが届く。転送メールで登録し、転送先のメールアドレスアカウントを解除し
ている場合、エラーはその転送先のものから届くので、どの転送メールを解除
して良いのかわからない。テストメールを送ればいいんだっけ? 今や数千人
規模のものに発展したこのML。知恵の宝庫になればいいな。 (hammer.mule)

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