[0807] 1973年のためのレクイエム

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0807    2001/02/23.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17592部
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 <何かを決定的に失ってしまった区切りの年>

■デジクリトーク
 1973年のためのレクイエム
 十河 進
 
■イベント報告
 行ってきました! MacworldExpo!!
 トキタ@無線LANでランラン

■Macworld Expo/Tokyo 2001情報
 Agostoのスーパーセッション

■イベント案内
 キャラミックス ドットコム(CHARAMIX.com)



■デジクリトーク
1973年のためのレクイエム

十河 進
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●泣かないのか泣かないのか─1973年のために

「泣かないのか泣かないのか、1973年のために」という芝居がある。清水邦夫
が戯曲を書き、石橋蓮司と蟹江敬三が主演した。演出は商業演劇に進出する前
の蜷川幸雄である。銭湯で会ってしまった元全共闘の男と機動隊員の話だ。

もうひとつ、1973年をタイトルにした小説がある。村上春樹の2作目の中編
「1973年のピンボール」だ。これは大江健三郎の「万延元年のフットボール」
を意識したタイトルなのだろうか、と本が出た当時、僕は思った。

万延元年は桜田門外で大老の井伊直弼が水戸藩士たちのテロにあい、首をとら
れた年である。もっとも、大江の小説は、そんなこととは関係はない。過激な
パロディスト筒井康隆が「万延元年のラグビー」という井伊直弼の首をラグビ
ーのボールに見立てたグロテスクな小説を書いているだけだ。

しかし、清水邦夫と村上春樹は、なぜ1973年にこだわるのか。清水邦夫の芝居
は70年代後半に初演され、村上春樹の小説は1980年6月に発行された。

1973年とは、どんな年だったのだろう。

1月1日、森恒夫が東京拘置所で自殺したニュースで、1973年はスタートした。
連合赤軍のリーダーとして多くの同志をリンチで殺した彼は、「唯銃主義は誤
りだった」という遺書を残して死んだ。

1月13日、前年の「ゴッドファーザー/THE GODFATHER」(1972/175分)の大
ヒットを受けて(真似て)、日本でも実録ものを作ろうとなり、東映が自社の
スターをすべて動員して制作した「仁義なき戦い」(1973/99分)が公開され、
大ヒットした。

「少年マガジン」では1月1日号から梶原一騎原作「愛と誠」の連載が始まり、
5月19日号では5年4ヶ月もの間リングで戦い続けた矢吹丈が「真っ白な灰に燃え
尽き」て僕たちの前から消えた。

ジョーのモデルと言われたこともある大場政夫がスポーツカーをガードレール
に激突させて死に、膨大な作品を残してピカソが老衰で死に、「天皇の世紀」
を完成させた大仏次郎が癌で死んだが、ジョーの最期ほど僕は悲しまなかった。

5月21日、山口百恵がデビューした。13歳らしい純情な歌「としごろ」はあま
りヒットせず、2曲目の「青い果実」で純情路線を放棄した結果、大ヒットし、
続く「ひと夏の経験」では「女の子の大事なものをあげるわ」と言われて鼻の
下を長くした輩が多かったのか、レコードが飛ぶように売れた。

7月にはNHKで「刑事コロンボ」の放映が始まり、「うちのカミサン」という言
葉が言いやすくなった。当時はまだカミサンはいなかったが、僕は今「うちの
カミサン」と言っている。8月には、吉永小百合を15も年上のオヤジに奪われ
たサユリストたちが荒れた。

10月6日、「ベトナムに平和を!市民連合」ことベ平連の最期のデモが東京で行
われた。そのデモには、もう僕は参加していない。ただ、小田実や小中陽太郎、
開高健など、ベ平連のメインメンバーが来ていたかもしれない。

10月22日、甲子園で0.5ゲーム差で首位にいた阪神に勝ち逆転優勝で9連覇を決
めた読売巨人軍は、怒り狂う阪神ファンに襲われた。

阪神ファンの怒りが嵐を呼んだのか、翌日から日本は第一次オイルショックに
襲われる。東京の夜はネオンが灯らず、テレビは夜12時以降の放映をやめた。
なぜか、トイレットペーパーが不足してスーパーには行列ができる。人々がこ
れほどトイレットペーパーを求めていたとは、誰も思わなかっただろう。

12月13日、CMディレクターとして数々の名作を作ってきた杉山登志が自室で首
をくくった。有名な遺書が残った。
──リッチでないのに、リッチな世界などわかりません。
──ハッピーでないのに、ハッピーな世界などえがけません。

そして、12月31日、NHKホールの舞台の上には、美空ひばりがいなかった。弟
のやくざがらみのスキャンダルで、彼女は紅白の選に漏れたのである。

●1970年の夏を懐かしむ「風の歌を聴け」

1979年のことだ。その春、村上春樹が「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞し
た時、友人が電話をかけてきた。「今度の群像の新人賞がいいから読め」と彼
はわざわざ僕に教えてくれたのである。僕は、さっそく群像を買いにいった。

当時、僕は就職して4年めで、ある月刊誌の編集部にいた。結婚してからも3年
以上がたっていた。早くに結婚した僕は、若く、貧しかった。学生時代の夢は
遙か遠くに去り、毎日の仕事に追われ深夜まで働いていた。僕らは、何かを見
失っていた。

「風の歌を聴け」は、僕らの喪失感を描き、失ってしまった何かを思い出させ
てくれる小説だった。カート・ヴォネガット・ジュニア(当時はまだジュニア
が付いていた)がよく使う言い回し「そういうものだ」という言葉の繰り返し
も、僕には心地よく響いた。

カート・ヴォネガット・ジュニアやリチャード・ブローディガン、フィッツジ
ェラルドなどの影響を言う評論家もいたが、だからといって小説の価値が下が
るわけではない。先行作品に影響を受けていない小説や映画など、あり得ない
のだ。

「風の歌を聴け」は、僕と同世代の大森一樹監督の創作意欲を大いに刺激した
らしい。映画化されATG(アート・シアター・ギルド)で1981年に公開された。

当時、僕は担当編集者として大森監督に連載原稿をもらっていた。「風の歌を
聴け」映画化の話を聞いた時に、僕も愛読していることを言うと、監督は「今、
シナリオにしているのだけど、だんだん、あの小説のどこがいいんだか、わか
らなくなった」と言っていた。

村上春樹の中学の後輩である神戸出身の大森監督は小道具(?)として、81年
の時点ではもう廃止されていた神戸行きドリーム号を登場させた。原作ではバ
スとしか書かれていないが、東京駅八重洲南口から出ていた長距離バスである。
1970年(「風の歌を聴け」は1970年8月8日から8月26日までの話だ)当時には、
神戸までの国鉄運賃だけで乗れたのだ。

1970年、僕も神戸行きドリーム号にはよく乗った。そのまま神戸埠頭で高松行
きフェリーに乗り込む運転手ひとりの車を掴まえれば、乗員2名までは乗船券
がいらないから只でフェリーに乗れたのである。最も安く故郷へ帰る方法だっ
た。その一年間、僕は故郷に会いたい人を残していたのだ。

映画版「風の歌を聴け」は、小林薫が演じる主人公がドリーム号で神戸を離れ
るシーンがラストだった記憶がある。そして、神戸行きドリーム号に対する思
い入れを描いたためにノスタルジーを誘い、一度、試写会で見ただけだが、僕
の思い出の映画になった。

ミステリアスな雰囲気のレコード店の少女は真行寺君枝が演じ、ヒカシューの
巻上公一が鼠を演じ、ジャズ・プレイヤーの坂田明がジェイズ・バーのジェイ
を演じた。

村上春樹は以後、一度も自作の映像化を許可していないはずだ。

●ピンボールが象徴する「失われてしまった何か」

「1973年のピンボール」には「風の歌を聴け」の主要人物たちが登場し、ジェ
イズ・バーにあったピンボールマシンと同型の「3フリッパーのスペースシップ」
が重要な役を担う。この小説だけで独立して読めるが、「風の歌を聴け」から
3年後の「僕」であると理解するとわかりやすいだろう。

僕は「1973年のピンボール」を1980年の発行以来、何度読み返したかわからな
い。初版の単行本はもちろん持っているが、電車の中で読むために文庫が出て
すぐに買い、それがボロボロになったのでまた買った。

村上春樹がことあるたびに書いているが、彼が数え切れないほど読み返したと
いうフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビィ」と同じように、僕は「19
73年のピンボール」を何かのきっかけで取り出し読み返す。

何がそれほど僕を惹き付けるのだろう。

おそらく、それは主人公と「3フリッパーのスペースシップ」の再会シーンの
切なさが僕の心の中の何かを掻き立てるからだ。あれほど心に残るシーンを小
説で描き出せる才能には、僕は全面的に降伏するしかなかった。

主人公は再会した「3フリッパーのスペースシップ」のピンボールマシンと会
話する。まるで、昔、別れた恋人と話すように……。ピンボールマシンは生き
ることの疑問に答え、傷ついた主人公の心を慰め、疲弊した精神を癒す、まる
で神の声のように……。

ピンボールマシンは、どんなものにも読み替えができるだろう。

言ってみれば、この小説の中でピンボールマシンとして具現化されているもの
は、「失われて二度と戻ってこない何か」である。それは自分にとって最も大
切な何かだったのに、いつの間にか目の前からなくなり、再び出会えたとして
も、それはもう昔の輝きを失ってしまったもの、なのだと思う。

人は、そういうものをいっぱい抱えて生きている。しかし、生きていくことは、
そういうものを次第に失くしていくことだ。でも、何かを失えば、何かが新し
く手に入る。そうやって手に入れた何かも、やがて時間と共に消えていく。得
て失う、その繰り返しが生きていくことなのだと思う。

村上春樹の小説が僕を惹き付けるのは、この「喪失感」の切なさや悲しみを抽
出し昇華し、それを適切に文章化してくれるからだ。甘美と形容されるような
底の浅いノスタルジーではなく、人間存在の根元にかかわるような深さがそこ
には描かれている、そう思わせるのである。

●1973年は何かを喪失した区切りの年

「1973年のピンボール」の主人公は「3フリッパーのスペースシップ」と再会
し、失われたものは二度と戻ってこないことを改めて確認する。そのことによ
って、彼は未来に向かう意志を得る、あるいは、生きていく覚悟を決める。一
緒に暮らしていた双子を見送り、去ったものは二度と戻ってこないことを覚悟
する主人公の精神の安定を感じさせて小説は終わる。

1973年とは、何かが失われてしまった区切りの象徴なのだと僕は思う。もしか
したら村上春樹にとっては、現実的に1973年だったのかもしれない。それは、
世代的なものでもあると思う。誰にでも「何かを決定的に失ってしまった区切
りの年」は存在するだろう。

僕は1973年に21歳で、まだ大学生だった。その年、何かが決定的に失われたと
いう記憶が僕にもある。1972年の春に連合赤軍事件があり、彼らが革命を起こ
す前に自壊したことを知った。その年の夏には、今太閤ともてはやされて、田
中角栄が首相になった。

大学には急速に秩序が戻りつつあった。大学だけではなく社会が秩序を取り戻
し、若者たちは大人になることを強いられ始めた。それは、時代の雰囲気だっ
た。急速に何かが世界を覆い始めたのだ。比喩的に言えば、「3フリッパーのス
ペースシップ」のような時代遅れのピンボールマシンは、どこを探しても置い
てはいなかった。

1973年、僕の高校の同級生たちは大学4年になり、就職活動を始めていた。僕
は大学へ入るのが一年遅れたので、まだ猶予があったが、大阪や京都の大学に
入っていた連中が会社説明会や就職試験のために上京し、そのたびに僕の下宿
に泊まっていった。

やがて、彼らはひとりふたりと就職が決まっていった。ひとりは富士通に決ま
り、ひとりは小学館に決まった。もうひとりは講談社に決まり、ひとりはヨー
ロッパへ留学することになった。

彼らの就職活動の結果が、僕に焦りを感じさせていた。僕には、卒業したら結
婚するつもりの相手がいた。だから、彼らのように安定した企業に入れるだろ
うかという焦りと、同時に彼らが何の抵抗もこだわりもなく就職活動をしてい
る姿に反発するものも感じていた。

その年の秋にオイルショックがあり、世間は騒然となった。文字通り暗く寂し
い夜が続いていた12月、僕は結婚しようと思っていた相手からいきなり「故郷
へ帰ることにした」と宣言され、彼女の荷造りを手伝った。

数年間、東京で暮らしたにしては彼女の荷物は少なかった。荷造りをしながら
僕は何を考えていたのか、今となっては思い出すことはできない。ただ、その
時の気分だけが甦ってくる。将来の不安と漠然とした喪失感が、僕の気持ちの
すべてだったような気がする。あるいは見捨てられたような心細さだったのか
もしれない。

東京駅で彼女を見送った後、何かが完全に終わった、大切な何かが永遠に失わ
れてしまったのだ、と僕は感じていた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。NTT東日本が回ってきて面倒だったので「マイライン」を申し込
んだ。それより高速回線を何とかしたいと思っているのだが、ケーブルテレビ
はまだインターネットに対応してくれないし、何とかメタリックは都内しかカ
バーしていない。何しろチバラギ県だからなあ。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

村上朝日堂
http://opendoors.asahi-np.co.jp/span/asahido/

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■イベント報告
行ってきました! MacworldExpo!!

トキタ@無線LANでランラン
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トキタ@無線LANでランランです。

行ってきました! MacworldExpo!!
デジクリ用の「トイレでインターネット」の原稿も書かずになにやってるんだ
と一部でヒンシュクを買いそうですが、これだけは外せません。

無線LAN派の私としては、サンフランシスコで参考出品されたエプソンの無線
LAN対応プリンターサーバーが気になったのですが、今回は出品されていませ
んでした。

実物を見ると"Flower Power"って意外といいかも・・・しっかり、「おしえて
Flash5」を買ってまつむらさんにサインを貰ってしまいました。

キャンギャルのコスチュームもここ数年地味になりましたよね。
昔はもっと派手だったような・・・

そのうち、"Flower Power"カラーのプリンターがでるのかしら?
女子高生に人気が出たり・・・

■写真はこちらで
http://www.linkclub.or.jp/~tokita/macexpo2001/

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■Macworld Expo/Tokyo 2001情報
Agostoのスーパーセッション
http://www.agosto.com/det.html
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Agostoは今年も2月22~24日幕張メッセで行われる「MacworldExpo/Tokyo2001」
に出展します。今年のアゴストブース(#637)では、アンダース・F・ロンブ
ロム、バート・モンロイ、江口響子、海津宜則、吉井宏(50音順)らデジタル
クリエイションの豪華メンバーによるスーパーセッションを開催(無料)

●スーパーセッションスケジュール(予定です。変更はお許し下さい)

時間  23日(金)   24日(土)
11:00 江口響子    バート・モンロイ
12:00 江口or吉井   バート・モンロイ
13:00 吉井宏      アンダース・ロンブロム
14:00 バート・モンロイ アンダース・ロンブロム
15:00 海津宜則    海津宜則
16:00 江口響子 海津宜則
17:00 江口響子

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■イベント案内
キャラミックス ドットコム(CHARAMIX.com)
http://www.charamix.com/
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<主催者情報>

◎本邦初の空間立体映像システムでCGキャラクターが等身大で登場!
◎メジャーデビューを賭けたCGキャラの最終審査会を一般公開!
◎優秀キャラは現在webサイトで人気投票実施中!(是非参加してください)

キャラクターをテーマに、アート、テクノロジー、エンタテインメント・・

イベントの中核となる「バーチャルタレント・オーディション2001」は、一般
公募のCGキャラクターをメジャーデビューさせていきます。公開オーディショ
ン(最終審査会)では、各分野の一線で活躍中の約80人の審査委員が一般公開
の場でグランプリおよび各賞を決定していきます。

その他、空間立体映像システム等、キャラクターに関連する“技術展示”や、
現代美術のアーティスト達のキャラクターをモチーフにした“アート展”、ル
パン三世をテーマとした映像と音のコラボレーション“ルパン三世トリビュー
トミックス”等も同時開催します。

会場 ザ・ガーデンホール+東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)
会期 3月13日(火)・3月14日(水)10:00-18:00
入場料 1,000円
チケット チケットぴあ、ファミリーマート
     Pコード予約 03-5237-9966(pコード683-221)
     オペレータ予約 03-5237-9999
主催:CG-ARTS協会 

▼CHARAMIX.comの入場チケットをCG-ARTS協会からご提供いただきました。読
者10名にプレゼント。デジクリの感想と、送り先住所を明記、柴田までメー
ルください。希望者がおおいときは勝手に抽選。当選者に郵便で送ります。

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■編集後記(02/23)
・昨日マックワールドに行った。コンファレンスをひとつ取材して、さっさと
帰った。会場は予想よりも空いていた。PowerBook G4も並ばなくてもさわれた。
何人かの知り合いに会った。挨拶されて、挨拶をかえしながら誰だかわからな
い人もいる。向こうはちゃんと知っているのに。申し訳ないけど本当だ。親し
げに会話しているのを、わきにいた知人(ちゃんと知ってる人)が「あの人誰
ですか?」「知らない」まったくもう。それにしても、どんどん忘却のスピー
ドが早くなる。わたしを知っている人が多いところに出ていくのがこわい。こ
れを読んだ人は、お願いですから名前を名乗って話しかけてください。例えば
「デスクのハマムラです」てな具合。はははは。         (柴田)

・デジクリ「所さんを描く」に、まつむらまきおさんの絵が追加されました。
http://www.dgcr.com/kiji/tokoro/index.html

・あれ? あの人だれだっけ。でもどこかで会った気がする。人違いだったら
やだな。えーい。「こんにちは。デスクのハマムラです。」「ん? ああ、ひ
さしぶりだね。」し、しまったー。こっちから名乗ったら、向こうは名乗らな
いに決まってるじゃないの。「あの時は楽しかったね。」あの時って? やっ
ぱり知り合いだったのね。何したっけ? ここで誰かが彼に話しかけてくれた
りしないかな。○○さん、元気? とかさ。「その後どう?」その時がわから
ないのにー。「あ、ぼちぼちです。お仕事どうですか?」よし、仕事の話をす
れば思い出すかもしれない。「んー。こっちもぼちぼちだよ。」ああー。「で
は、また。」「失礼します。」ガタンゴトン。結局あの人誰だったんだろう?
「次は○○駅~」はっ! ずっと前にパーティでビールを注いだだけの、隣に
いたおじさん?(実話)                 (hammer.mule)
・編集長のばか~。もし、私の顔を覚えてなかったらすねてやる(笑)。でも
あり得るかも。お会いしたのって、3回くらいですかね。

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発行   デジタルクリエイターズ
     <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
        森川眞行 

情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
 担当:濱村和恵
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