[0812] 言葉では伝わらないもの

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0812    2001/03/02.Fri発行
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 <人は、言葉通りのことを思っているわけではない>

■デジクリトーク
 言葉では伝わらないもの
 十河 進

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 ロシアの若者どないなってるねん?
 東 知世子(モスクワ在住)

■イベント案内
 ディジタルシネマフェスティバル福岡

■公募案内
 第2回CGアイドルコンテスト
 


■デジクリトーク
言葉では伝わらないもの

十河 進
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●心の中で思うこと

人は心で思っていることを、そのまま口にしてはいない。いや、言葉とは裏腹
のことを思っていることの方が多いかもしれない。

子供の頃、僕は映画や芝居を見ていて、登場人物が喋っていることは、そのま
まその人物が考えていること、思っていることなのだと受け取っていた。いや、
かなり長い間、そう思っていたかもしれない。ある時、テレビドラマで登場人
物が「私は悲しい」とつぶやいた瞬間、僕は悟った。

現実生活の中で何かあった時に「私は悲しい」とつぶやく人などいない。いる
としたら、よほど芝居がかった人(「芝居がかった」という言葉があるように、
芝居は現実とは違っていると昔から認識されている)だと思う。だが、テレビ
ドラマなどでは、平気でそんなセリフが飛び交っている。特にお年寄りや子供
向けの番組では顕著である。

NKHの朝の連続ドラマを僕は亀井光代の「たまゆら」(1965.4.5~1966.4.2)
以降、一度も見たことはないのだが、たまに昼食の時にテレビがかかっていて
見ることがあると、相変わらずナレーションを使って懇切丁寧に視聴者に説明
しているので驚く。

NHKとしては、子供からお年寄りまで幅広くわかりやすくということから、ヒ
ロインが精一杯さびしそうな顔をしている画面に、発声の訓練ができている新
劇人(奈良岡朋子さんあたり)のしみじみとした声で「朝子は本当にさみしく
感じていたのでした」などとナレーションを重ね、ヒロインの内面を説明して
くれるのである。

わかりやすさを求めれば、映画も芝居もテレビドラマも人物の内面をそのまま
言葉にした方がいい。僕は一概にそんな映画や芝居を否定しているのではない。
たとえば僕は、長谷川伸の「瞼の母」のラストシーンの名ゼリフ、「上の瞼と
下の瞼をしっかと閉じりゃ会わねぇ昔のお袋の……」という番場の忠太郎のス
トレートな心情吐露を涙なくしては聞けない。

大衆演劇は、もともとそうしたものだった。人形浄瑠璃では、語りの部分が登
場人物たちの心の中を解説してくれるし、人形が顔を伏せ袖で隠すと、それは
泣いているというお約束だったのだ。つまり、様式美の世界である。

しかし、近代演劇は、もっと複雑になってしまった。人間をリアリズムで描こ
うとする近代演劇は、チェーホフとスタニスラフスキーによってロシアから始
まったらしい。スタニスラフスキー・システムという言葉も生まれた。

リアリズムを人間描写の手法とすれば、口から出る言葉はその人物が心の中で
思っているまま、という前提は成り立たなくなる。そこから、役作りという概
念が生まれた。同じ戯曲なのに、その人物の内面をどう解釈するか、というこ
とが必要になってくるのだ。

映画も同じである。いや、演劇より、よりリアルに現実を描こうとしてきたの
が映画だと思う。たとえば小津安二郎の映画は日常的で本当の人間が生きてい
る。だから「東京物語」(1953/136分)で東山千栄子が「長生きゃ、するも
んじゃのう」と言う時、本当に彼女はそう思っているのか、と僕は考える。

苦労して育てた子供たちはみんな、初めて東京に出てきた老親たちをどこか邪
魔者のように扱う。医者になっている長男はわびしい町医者に過ぎないし、美
容院を営む長女は何かと小うるさい。長生きをして、そんな目にあいたくはな
いはずだ。

人は、言葉通りのことを思っているわけではない──僕が映画から学んだひと
つの人生の真実である。だから、映画を見る時に登場人物たちの心を読み取る
ことの面白さが生まれるのだ。

●果物に託された溢れるほどの想い

「明治侠客伝・三代目襲名」(1965/90分)は、東映任侠映画が極めた頂点と
言われる加藤泰監督の伝説の名画だ。僕はずっと見たかったのだが、名画座な
どない地方都市では見ることができず、封切りから5年たった1970年に新宿昭
和館で見た。

ちなみに先日、久しぶりに新宿駅で映画館のポスターを見ていたら、何と昭和
館で「明治侠客伝・三代目襲名」を上映していた。昭和館のポリシーは不変だ。
持続する志、である。場外馬券売場が近くて、昔は床一面外れ馬券で埋まって
いたが、今はどうなっているのだろう。

「明治侠客伝・三代目襲名」には任侠の精神に富む温厚なやくざの親分(嵐寛
寿郎)がいて、できた代貸し(鶴田浩二)がいる。粋な流れ者(藤山寛美)が
いて、純情可憐な心を持つ貧しい女郎(藤純子)がいる。もちろん新興やくざ
の悪役(安部徹)もいる。

親分は悪役に刺され、我慢に我慢を重ねた代貸しは最後にたったひとりで殴り
込みをかけ、悪役たちを叩っ斬り官憲の縛につく。その胸にヒロインがすがり
つくのである。まさに様式(パターン)の世界であり、その様式を突き詰めた
結果、様式美の極地のような映画になった。

しかし、加藤泰監督はリアリズムの人である。それも男女の情感を描いて右に
出るもののない監督だった。彼の映画に出る女優はメイクを許されなかった。
藤純子さえもスッピンで緋牡丹博徒を演じたのである。

後年、緋牡丹のお竜こと矢野竜子になる藤純子は「明治侠客伝・三代目襲名」
では貧しい女郎を演じている。父親の危篤の知らせを受け「故郷へ帰らせてく
れ」と女将に哀願する場に行き合わせた鶴田浩二が「わいが三日間、この娘を
買った」と言って故郷へ帰らせる。

そして、故郷に帰り父親の葬儀を済ませて戻った藤純子と鶴田は、淀川の川べ
りで会う。「旦さん、なんでうちみたいな女に親切にしてくれはったんですか」
と言う純子に、鶴田は単なる気まぐれだと返事をする。純子は「これ、つまら
んもんだすけど……」と、実家の庭でもいできた桃の実を二つ差し出す。

こんなにせつない男女の情感が漂うシーンを、僕は他に知らない。カメラはフ
ィックスのローアングルで、この男女の語らいを写す。長回しとローアングル
が加藤泰監督のスタイルだった。この時に手渡された桃の実は、単なる桃の実
ではない。愛だ。

女郎は自分に親切にしてくれた男に感謝している。感謝は愛に変わっている。
故郷の家で桃の実をもぐ時に「あの人にあげるのだ」という想いでもいだに違
いない。それをずっと故郷から胸に抱いて大切に運んできたに違いない。そこ
には彼女の想いが溢れている。

加藤泰の演出力、シーンの構成力の凄さはそうしたことをすっと納得させてく
れるのだ。言葉では何も交わさない。ただ、俳優の仕草と表情、女優のほんの
少しの指先の動きが男を気遣い慕っていることを表現し、悲しい表情が愛して
も叶わないと諦めていることを感じさせ、視線の強さが彼女の心中をうかがわ
せる。

彼女が桃の実を差し出す仕草は、溢れるほどの愛を差し出しているのだと観客
にわからせてくれる。役者たちの言葉だけを聞いていては、何もわからない。
桃の実に託されて差し出された愛を見逃してしまうだろう。

加藤泰監督は、表面に出てくる言葉ではなく、なぜそういうセリフを言ってい
るのかという登場人物の心の中まで感じさせてくれる監督だった。

「瞼の母」(1962/97分)で、橋のたもとにいる女乞食(浪花千栄子)に身の
上話を聞いているうちに「もしや母親では…」と思い始める番場の忠太郎(中
村錦之助)の演技は、まさにその典型かもしれない。加藤泰が演出すると、ど
んな俳優でも女優でも名演技になった。

伝説の名場面は多い。「緋牡丹博徒・お竜参上」(1970/100分)のラスト。
お竜を助けて流れ者・青山(菅原文太)が去るシーンもそのひとつである。雪
が降り積もる今戸橋、お竜は傘を差し掛け、別れを惜しみながら「これ、汽車
の中で」とミカンを差し出す。ミカンが手からこぼれて雪の中を転がる。

ふたりは去る者と送る者のありきたりの会話をしているだけなのに、せつない
男女の情感が場面を覆っている。ふたりは惹かれ合っているのに、それを口に
出すことはしない。だが、お竜が差し出したミカンに託されたものは、愛だ。
この時の藤純子ほど美しい女を、僕は未だに見たことはない。

●単純な言葉に託される心の中の深い想い

「沓掛時次郎・遊侠一匹」(1966/91分)は、股旅映画の最高傑作と言われる
名作である。沓掛時次郎(中村錦之助)は、一宿一飯の義理で斬った三蔵(東
千代之介)から女房おきぬ(池内淳子)と子供を送り届けてくれと頼まれる。

その時に三蔵は、半分に折れた櫛を女房に渡してくれと時次郎に託す。「確か
に預かりやしたぜ、三蔵さん」と時次郎は約束し、三蔵の女房と子供がいる場
所へ向かう。

この後、三蔵の女房おきぬは自分の亭主を殺した相手である時次郎に惹かれ、
時次郎もまた、おきぬを愛してしまうのだ。だが、ふたりとも心の中の想いを
必死で堪えようとする。

宿場で血を吐いて倒れたおきぬを看病している時に、時次郎は三蔵から預かっ
ていた折れた櫛を取り出し改めて渡すのだが、その櫛をじっと自分の手元に持
っていた時次郎の心根を知って、おきぬは自分が持っていた櫛の半分を取り出
し折れ目を合わせる。

その時に、おきぬは時次郎が自分を愛していることを確信する。時次郎が渡し
た折れた櫛には愛が託されていたのである。だから、おきぬは子供を連れて身
を隠してしまうのだ。

一年後、時次郎は飲み屋の女将相手に「渡世の義理で斬った相手の女房に惚れ
てしまった馬鹿な友だち」の話をしている。女将は「自分を斬った相手に女房
子供を預けるなんて、旦那の友だちという人もよほどできた人なんだねえ」と
しみじみと相槌を打つ。そこへ聞こえてくる新内流し。

三味線を弾いているのは池内淳子。雪の宿場での再会である。斬った相手の女
房に惚れちゃならないと思いながら惚れた男と、亭主の仇に惚れてはいけない
と言い聞かせながら惹かれていく女の、どうしようもない気持ちが、時次郎が
呼びかける「おきぬさん」という言葉だけに託されていた。

そのセリフをどんな気持ちで言っているのか、それを読み解く力が映画を見る
時には必要だ。いや、優れた映画は観客に読み解く力がなくても伝える力を持
ってはいる。

「あのバカが…」と言う時、怒りの表情で言えば、本当に腹を立てて言ってい
るのだと観客は思うだろう。笑いながら言えば「あの(愛すべき)バカが…」
と言っているのだと観客は理解する。泣きながら言えば「あのバカが…(俺の
ためにここまでやってくれた)」と感動して言っていると受け取ってくれる。
それはニュアンスの中から伝わる部分である。

言葉にはニュアンスがある。だが、現実生活では多くの場合、ニュアンスは伝
わらない。あるいは誤解される。だから、僕は、日常的になるべく人の心を読
み取ろうとするようになってしまった。僕自身も不用意なことを言葉足らずに
言ってしまい、それを訂正するために改めてまた言葉を尽くし、結局、誤解さ
れたままという経験は多い。

しかし、僕が一番困惑するのは、人が口にする言葉はその人の本心なのだとい
う単純な人間理解しかできていない人と会話する時である(それとも、こちら
がひねくれているのかな……)。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。忙しい状態をテキパキと捌いていくのが好きだ(時々ぼやきなが
ら、ですけど)。そんな時が一番充実している(自分のペースでやれれば、の
話ですが)。人間はひとりでは仕事ができない。他者との関わりの中で生きて
いる。人生の悲しい真実(だと思う)。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

加藤泰を観る会
http://www1.raidway.ne.jp/~k-tessen/

藤(富司)純子出演リスト
http://www.jmdb.club.ne.jp/person/p0308720.htm

・先週「村上春樹は以後、一度も自作の映像化を許可していないはずだ」と書
きましたが、読者の方から指摘がありました。昔、月刊「小型映画」で山川直
人クンの自主映画「パン屋襲撃」の記事を書いたのは僕でした。あれは「風の
歌を聴け」より後だった。しかし、短編で「パン屋再襲撃」は出ているけど、
「パン屋襲撃」はどこかに入っているのかなあ。

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■デジクリトーク
ロシアの若者どないなってるねん?

東 知世子(モスクワ在住)
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モスクワでは、日本で多分見向きもされないような汚らしい動物たちでさえ、
ちゃんとかわいがってもらっている。薄汚くなってしまったスズメや鳩だって、
朝になると、どっかから現れる近所のお爺ちゃんから余ったパンを砕いてもら
える場所を、よく知っている。うちのアパートなど、野良猫が一階に住んでい
て、ちゃんと餌やミルクまでもらっている。

また、その辺の野良犬も「家がなくて、なんてかわいそうな犬だ」とソーセー
ジなどもらいながら、群れをなして、けっこう偉そうに生きている。(繋がれ
た飼い犬が来ると、吠えまくる、まるで自由に生きているのを自慢げに・・)
たまに、厚かましく地下鉄に住む犬までいる。

こういう連中を養って(?)いるのが、その辺の普通の庶民。ロシアのおっち
ゃんおばちゃんたちなのだ。これは、モスクワの庶民の愛情深さだと思う。

あんな顔をして・・・というと失礼千万だが、ロシア人はけっこう優しい。
特におっちゃんは、ごっつい顔に、ごっつい体、怖そうに見えれば見えるほど、
実際は、繊細で傷つきやすいナイーブな心をしている。ま、日本のやくざもそ
うやったりするけど。(わたしは関西人なので、ほんまもんのヤクザは尊敬し
ている)

雪道でこけていたら、どことなくやって来て助けてくれるし、地下鉄で気分悪
くて吐きそうになったら、どっかから来て、さっとビニール袋をくれるし、ま
ったく、人は見かけによらないのだ。

●「ロシアらしさ」がなくなってきた

ところで、最近のロシアの若い子たちは、特にモスクワに関しては、けっこう
リッチになってきている(もちろん、広い国なので一概には言えない)。携帯
電話なんか、当たり前に持っているし、新しい流行のファッションでモデルみ
たいに颯爽と歩く。

そして、それが実に似合っている場合も多い。スタイルもよければ、ルックス
も、かえって西欧諸国以上だったりする。でも、彼らを見ていると、なんだか
「ロシアらしさ」がなくなってきた気がするのだ。均等になってきたというか、
金太郎飴みたいに切っても切っても同じ顔みたいな・・・きれいなんだけど、
そういう気がしてならない。

もちろん、この国がいつまでも、貧乏な国である必要はない。かといって、ア
メリカ映画に洗脳されて、「金や欲望」に走るだけが人生の王道みたいに、勘
違いしてしまうのは、あまりにも悲しい気がするのだ。

知り合いの学校の先生に聞いた話によると、彼ら若い世代の倫理感はここ10年
くらいで、急激に変化しているらしい。教科書で必修のドストエフスキー「罪
と罰」を読んで、「(どういう理由があるにせよ)人を殺すことは正しいか、
正しくないか?」という問いに対して、以前は圧倒的に「正しくない(殺すべ
きでない)」という方が多かったのに、最近はそれが、クラスが半々くらいに
分かれて、論争になるらしい。

それもショックだったが、「先生、どうして人を殺したらあかんの?」と真剣
に尋ねてくる少年がいたらしい。「そんな当たり前のこと、親から教えてもら
わなかったの?」と聞くと、一度も教わったことなどないらしい。彼いわく。
「戦争じゃ、人を殺しているじゃないか」

それに対して、この先生は、「それは敵だから、当然だし、仕方ない」と答え
たというのだが、たしかにそうだけど、この答えも、なんとも複雑な気分にさ
せられた。実際、ロシアの人たちは、チェチェン人は、悪党で盗賊みたいなこ
とか、誘拐しかできない下劣な民族だと決め込んでいる。そして、統治の必要
を説く。でも、なんだか腑に落ちないのだ。

だったら、ソ連時代やってたことは残虐この上ないことを考えると、自分たち
やって、悪党以上とちゃうんか? ほとんど自分たちの過去に対しては、ちゃ
んとした謝罪も賠償もしてないやんか。どないなってるねん。なんで、チェチ
ェンだけが悪党って言える?

相手から見たら、あんたらも敵とちゃうん? そしたら、お互いに殺し殺され
る関係は両方とも、理論的には正しいんか。すると、この殺し合いには、終わ
りがないことになるんか? なんか、そう考え出すとめちゃくちゃ疲れるし、
彼らの考え方自体なんか無意味に思える(大体、こういうとこに西洋的思想の
限界を感じるねんけど)。

それにしても、おとなしい中高年に対して、凶悪な犯罪を犯しやすい若者が増
えているのは、どうやら日本だけではないらしい。それでも、こっちは土地が
広くて、環境的には開放感があるだけましに思えるのだが、逆に言うと、国土
も広いし、あまりにもいろいろありすぎて、普通の殺人くらいではニュースに
もならないだけかもしれない。

とにかく、若者は金だけ与えて甘やかしたら、ろくなもんに育たないのは、ど
この国でも同じらしい。いくら金持ちになったって、GNPが増えたって、本来
の文化や芸術が失われたら、どうにもいかん。でも、まだまだロシアの演劇は
元気があるし、これは権力のものでなくて、大衆のもの。

これは裏返せば、日本も同じことなんやなあ。文化は、お上のもんとちゃうで、
庶民のもんやで。世の中、金で買えるもんと、買えないもんがある。その辺、
ごっちゃにしたらあかんわな。なんでも金で解決できると思ってる人間を(ア
メリカに代表されるような価値観)すごい軽蔑する、そういうロシア人が私は
好きだ。

多分、それが本来の彼らの姿だと思う。大事なものは、金で買えないと知って
る人、それが、ほんまに幸せな人らなんやと思う。「清貧」って言葉は、ロシ
アの本物のインテリの間では、まだ完全に死語にはなってない。そこに私は、
かすかな救いを感じる。

未来派批評家【東 知世子】モスクワ在住
chiyoko@orc.ru

ロシア演劇日記
http://www.l-mode.com/diary/new/russian.html

ロシア演劇批評HP (MMロシア天井桟敷)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5825/tenjousajiki.html

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■イベント案内
ディジタルシネマフェスティバル福岡
http://www.cgarts.or.jp/
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<主催者情報>

新映像産業推進センター(HVC)ディジタル映像研究会(主査中嶋正之東工大
教授)では、福岡県およびマルチアライアンス福岡と共催で「ディジタルシネ
マフェスティバル福岡」を開催します。本イベントでは、日本初公開となる
「エコエコアザラク」の全編上映から、「ゴジラ X メガギラス G消滅作戦」
(2000)の手塚昌明監督の特別講演など盛りだくさんのイベントとなってい
ます。ぜひご参加くださるようお願い致します。

日時 3月3日(土)14時~18時30分
場所 都久志会館 福岡天神駅から徒歩6分 TEL.092-741-3335

14:00 開演
14:05 開会挨拶 1.HVC杉本委員長
         2.MAF会長&吉田九州芸工大学長
    進行:中嶋正之(東工大)

14:15~16:15<第一部>
1.作品と講師 加計晃 挨拶と作品の講演 480P実写作品「トワイライトシ
ンドローム」(スパイク)3分抜粋版 480P実写作品「弟切草」(角川書店)5
分抜粋版
2.講師 大口孝之 挨拶と作品の解説 ギャガ・コミュニケーションズ作品
(上映素材はすべてデジβ)HD24p実写作品「インフィニティ∞波の上の甲虫」
予告編 デジβ実写作品「クリスマスイブ」予告編 フル3DCGアニメ(NTSC)
「ブルーリメン」予告編 デジタルメディアラボ作品 フル3DCGアニメ「デリリ
ウム」抜粋版
3.パネルディスカッション
パネリスト 手塚昌明監督 小川利弘(VFXプロデューサー) 加計晃 
齊藤豊(T&Eプロデューサー)大口孝之 坂井滋和(九州芸工大助教授)
 
16:30~<第二部>
HD30P実写作品「エコエコアザラク」全編(90分)
フル3DCGアニメ(HD)「Age of Peace」(30分弱)

入場料は無料、満員となることも予想されますので参加申し込みおよび詳しい
情報は阿多氏(MAF:TEL & FAX 092-737-7786 e-mail:info@maf.gr.jp)まで
連絡して下さい。

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■公募案内
第2回CGアイドルコンテスト
http://www.m2c.co.jp/cgidol/
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第1回CGアイドルコンテストはただいま準決勝の対戦中、もうじき優勝者が決
まる模様だ。第2回のコンテストも4月から行われることになった。現在続々と
アイドルたちが結集しているが、エントリー枠に若干の余裕ができている。参
加してみようというアーティストは、以下にアクセスしてください。
cgidol@m2c.co.jp

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■編集後記(03/02)
・毎日毎日メールは処理しているのに(しかもチャット並のはやさの対応も)、
どうしてこうたまってしまうのか。メールマガジンとメーリングリストが大変
な量になるからだ。そんなにたくさん購読や参加している方ではないと思うが
たまってしまい、週末に一挙に整理することになる。「ZDNet Wire」はものす
ごい情報量なので、読むのがつらいときがある。「INTERNET Watch」も然り。
さいきんは電子出版のMLにもふたつ参加しているが、けっこうな盛り上がりよ
うだ(内容はたいしたことないのが残念)。話題に対応せずにいると、もうつ
いていけないのでROMになってしまうのだが。デジクリのMLはだいたい(全部
完璧に、ではない…)チェックして、いいテーマが見つかったら原稿執筆をお
願いすることになっている。仕事柄、あちこちのBBSも覗いてみるが、どうし
てこういう悪意を平気で書き込める人間がいるのかと、暗澹たる気持ちになる
ときもままある。インターネットの暗黒面か? とってもコワイ。(柴田)

・悪意のあるBBSは、読むほうも割り引いて読んでますよ、って違うのかな?
でもコワイ。ああいうものを全部真剣に読んでいたら、精神おかしくなります
よ~。/数年ぶりに知り合いに電話した。クラブの同期で、気がついたらその
クラブの大本である道場に就職していた。お人好しに輪をかけたような人だっ
たが、相変わらず優しくて、なつかしくて、時間を一気に飛び越えて話す。こ
ういう人って、若い時(若い女性)には評価されにくいのよね。歳をとれば、
わかるんだけど。また一緒に何かしたいなぁ。       (hammer.mule)
・モモ兄の曲。題名間違ってました。「Make Me Happy」「Are you happy?」
は矢沢だっちゃーの。ちょっと読んでみたい。

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発行   デジタルクリエイターズ
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
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