[0831] 人は年と共に堕落するか?

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0831    2001/03/30.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 17703部
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 <若いモンは知恵がないけぇのう>

■デジクリトーク
 人は年と共に堕落するか?
 十河 進

■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(2)
 よりにもよってインド人!
 8月サンタ



■デジクリトーク
人は年と共に堕落するか?

十河 進
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●堕落と腹の出具合は比例する

朝日新聞の読書欄を読んでいたら島崎今日子という人が書いた矢沢永吉の「ア
ー・ユー・ハッピー?」の書評が面白くて本を読んでみたくなった。

エーチャンは僕より少し年上だが世代的感覚は同じようである。その本で「依
存するな。自立しろ。フェアに生きろ」とエーチャンは主張し、自己責任を貫
く生き方をしていると書いているらしい。その部分には、確かに共感する。

ただ、その書評の中に「ぶよぶよした顔をテラテラ光らせるオヤジたちに比べ、
贅肉のない肉体に汗を流すヤザワのなんとセクシーでカッコいいことか。肉の
つき方の違いは生き方の違いなのだ」という実に年齢差別(エイジハラスメン
ト)的な威勢のいい恐れを知らない文章があり「やれやれ」と溜め息をついた。

おそらく本を読んではまったというヤザワを持ち上げるために、その他の堕落
した醜いオヤジたちを十把ひとからげにして貶めているのだろうが、こういう
文章が人を傷つけることもあるのだと島崎さんは気付いてはいない。あるいは、
彼女にとっては中年男はみんな「ぶよぶよした顔をテラテラ光らせるオヤジ」
なのかもしれない。

僕は30歳を過ぎた頃から肥り始めた。当時、自律神経失調症のような症状がひ
どくて通っていた医者に「子供でもできたら具合が良くなるんですが」と言わ
れていたが、確かに子供ができてからそれまでは半分も食べられなかった昼定
食などを全部食べきってしまうようになった。あまり飲めなかった酒も飲み始
めた。

僕の身長は170センチぎりぎりだが、若い頃は50キロしかなくてウエストは一
時期70センチを切っていたこともある。27インチのジーンズがはけたのである。
今では体重は70キロを越えウエストも80を数センチオーバーしている。ジーン
ズも33インチではもうきつくなった。

数年前に街角で友人とばったり会った。十数年ぶりだったが彼は僕を見て「昔
は言うことも見た目もカッコよかったけれど、今のおまえは醜い」と言った。
「醜い」という部分は聞こえなかったことにして、昔の俺はカッコよかったん
だと自惚れた。

居直るわけではないが、僕は「人生の堕落は腹の出具合に比例する」とずっと
言っている。要するに歳をとれば堕落すると言っているのだが、具体的に何が
堕落するというわけではない。確かに厚かましくなったと思うし、少しのこと
には動じなくなった。それに、恥をかくことにも慣れた。

「大人は汚い、狡い」という言い方がある。若者は純粋で、社会に出て大人の
世界を知って汚れるという図式も昔から小説や映画で描かれてきた。

若者はイノセントで純粋、つまり汚れていない、したがって正しいという描き
方が一方にあり、年寄りは老獪で狡猾、つまり汚れている、したがって正しく
ないという図式が一方で存在する。僕自身、大人になることは俗物になること
であり、堕落していくことなのだと思っていた。

「仁義なき戦い」(1973)の老獪で煮ても焼いても食えない山守親分(金子信
雄)は、子分同士の抗争に高みの見物を決め込んで「若いモンは知恵がないけ
ぇのう」と言うが、あの狡猾さは見事という他ない。金子信雄はギラギラテラ
テラ光る感じの厭らしさをメーキャップで作っていた。

やくざの世界を舞台にしてはいたが、「仁義なき戦い」の中でも純粋に暴力で
決着を付けようとする暴力団としてはまっとうな若者たちの一途さ(?)と、
駆け引きと盃外交に明け暮れる親分衆の堕落ぶりが対比されて描かれていた。

●純粋な青年は堕落し俗物になっていく

「秋津温泉」(1962/112分)という映画がある。ひとりの純粋な青年が、や
がて堕落し俗物になっていく姿を描いていると言われる映画だ。日本の戦後史
を、その男の変節に見る評論家もいる。

「秋津温泉」(1962/112分)を見たのは20歳の頃だった。藤原審爾の原作は
集英社文庫で出ていたが読んだことはない。撮影監督の成島東一郎が美しい映
像を創り出し、監督の吉田喜重が重厚な演出で見事なドラマを描き出した。林
光の音楽も印象に残った。

終戦直前、河本(長門裕之)が帰郷すると岡山の実家は空襲で焼けている。親
戚の疎開先に向かう途中、病気で動けなくなった河本は岡山県の山奥の温泉旅
館「秋津荘」に寄宿することになる。宿の娘新子(岡田茉莉子)は、絶望して
死のうとする河本を助け一心に看病する。

終戦後、回復した河本は戦後の無頼の風潮に染まり、だらしなくカストリを飲
み売れない小説を書いている。再び喀血し「おめおめとまた秋津」へやってく
る。そこで、今度は新子と心中しようとする。だが、渓流に飛び込む前に身体
を縛ろうとした時、くすぐったさに新子が笑い出し果たせない。

数年後、河本は岡山で同人誌仲間の妹と結婚し子が生まれようとしているが、
まったく何も書けなくなっている。義兄が小説の新人賞を受賞したことを知り、
失意から秋津へやってくる。彼は志を得られず己のだらしなさに己で絶望して
いるのだ。しかし、結局、河本は新子に別れを告げて去っていく。

数年後、河本は子供も大きくなり義兄の紹介で東京の出版社に勤めることにな
る。そこで、最後の別れに秋津へやってくる。その夜、出会ってから10年目に
初めてふたりは結ばれる。

翌日、黙って帰った河本を新子は総社の町まで追ってくる。彼女はとまどう男
に人目もはばからず甘え、別れきれずにもう一夜を河本と共にする。「わから
ない。あなたがわからない」と男は言う。男女の心はすれ違い続けている。男
は生活に追われて世俗的になり、女は純粋に想いを昇華させつつあるのだ。

最後の夜、「あたし、もう死ねるわ。あなたがどんなに遠くに行ったって、あ
なたが死んだって噂だけで、死ねるわ」と新子は言う。だが、別れはとうとう
やってくる。初めて結ばれた時が、もう二度と会えない別れの時なのだ。総社
の駅の別れのシーンは見事なカット割りで新子の気持ちを表現する。

だが、映画はそこで終わらない。カットが変わると河本は会社のロビーにある
売店の店員をしつこく口説く中年男になっている。7年後の姿である。彼は堕
落したのだろうか。

新子は旅館を手放し、疲れた中年女になっている。近所の寺の娘に「新子さん、
その人と死のうとしたんですってね」と聞かれ、「昔のこと。もう、すっかり
忘れてしまいました」と彼女は答える。

そんな新子の元に河本がやってくる。二人が出会ってから17年が経っていた。
7年もやってこなかった男は、「東京はどうですか」と聞く新子に「うん、何
となく生きてるよ、惰性っていうかな。そんなところだ」と答える。河本は当
然のように新子を抱く。

抱かれながら新子は「死んで、一緒に死んで」と男に言う。男が死のうとした
時に一緒に死ねなかった女は、17年経って「死のう」と言うのだ。その女の真
情に「お互い、もうそんな歳じゃない」と男は突き放す。河本は、やはり堕落
したのだろうか。

翌日、新子は桜の散る山道を送りながら河本にもう一度「死んで、一緒に死ん
でよ」と迫る。だが「今更、死んでもどうにもならないよ」と河本は逃げる。

──そりゃね、一度は君に死んでくれと言ったよ。だけど、あれはみんな嘘な
んだよ。人間っていうのは、そんなに簡単に死ねるもんじゃない。そりゃ生き
てたって意味はないかもしれないよ。だけど、人間なんてそういうもんなんじ
ゃないのか。俺はね、やっとそう思えるようになれたんだよ。

河本の言葉は空々しく響く。彼は堕落したのだろうか。

●中年男の自己弁護

「秋津温泉」は青年と少女の純愛映画として始まり、中年男女の悔恨の映画と
して終わる。17歳から34歳までを演じる岡田茉莉子が見事である。それに、最
後に一人で手首を切り渓流沿いにフラフラと歩く彼女を追う移動シーンが素晴
らしい。桜がハラハラと散っている……。

天真爛漫だった少女は男への想いをピュアに昇華し、ついに自死を選ぶ。純粋
に死を思い詰めていた青年は現実の人生で夢破れ、己に言い訳しながらおめお
めと生きている。だが、生きていくうちにそれなりの社会的な地位もでき、昔
の想いは忘れていないが、そんな時代もあったな、といくぶん慚愧の念を抱え
て生きている。

何かが充たされていない。だが、安定し余裕のできた生活を手放すことはでき
ない。飽食と若い女が彼の充たされない何かを一時的に埋めてくれるものだ。
彼は時々、若かった頃を振り返るかもしれない。だが、昔の自分の想いを切実
に感じることはないだろう。

──考えてみれば、若い頃はバカだったよ、と友人が言った。

その友人の若い頃を僕は知っているし、彼からの影響も多く受けてきた。バカ
だったとは思えない。いや、「若い頃のあんたは言うことも立ち姿もカッコよ
かった」と言いたいくらいである。

現在、組織の中で彼がやっていることを見れば、自由だった若い頃に言ってい
たことやしていたことの方がずっと僕には理解できる。ただ、今の彼の立場を
考えれば、彼がそういう役割を果たさざるを得ない(敢えて引き受けている)
辛さも僕にはわかる。

彼に対して若い人の批判を耳にすることがある。特に純粋に物事を考え突き詰
めるタイプの若者は、彼のことを「変節漢」と呼び「堕落した」と非難する。
だが、僕から見ればその若者の主張は、あまりに非現実的で「青い」と言わざ
るを得ない。

若い人を説得するために「組織にはいろいろ複雑な問題もある」と大人ぶった
「現実を見ろよ」的発言をするのだが、そう言っている自分に違和感を持つ。
若い頃に大人たちからそう説得をされて納得したことは一度もない。逆に「物
事をはっきりさせない大人たちは汚い。30以上を信じるな」と思ったものだ。

しかし、「亀の甲より年の功」と言うではないか。年を経た人間の言葉には、
やはり経験に裏打ちされた何かがある。それを全面的に肯定せよ、とは言わな
いが尊重すべきだと僕も学んだ。

一方、現在の自分を肯定するために若い頃の自分の言動や思想を「若気の至り」
という言葉で否定しがちな人が多いが、それは違うだろう、と僕は思う。自分
という人間はずっと繋がっている存在だ。

言動や思想は、いろいろ変わったかもしれない。そのことを人は裏切りだとか、
変節漢と非難するかもしれないが、自分がやってきた言動や表明してきた思想
を、その後、変わったことも含めて引き受けるべきだと思う。若かったとして
も、それは自分だったのだ。簡単に否定してはいけない。

人は年を経て様々なことを経験し学び成長する。他人からは堕落と見えること
も成長の結果なのかもしれない。「秋津温泉」の河本の最後の言葉は、新子を
説得するための逃げの言葉ではなくて、本心だったのかもしれない。

「秋津温泉」の河本とほぼ同じ時期を生きた作家に坂口安吾がいる。太宰治と
共に戦後の流行作家になった。彼は戦後、いち早く「堕落論」を書いた。敗戦
直後の日本の国民に「堕ちよ」と語った名著である。

堕落を否定するのではなく、堕ちることで見えてくるものがあるかもしれない、
と中年男の僕は自己弁護的に考えている。

ところで「秋津温泉」は僕のベストワンのひとつになった。会社で若い人にそ
んな話をしたら、彼は故郷の岡山に帰った時にわざわざ奥津温泉(秋津温泉の
モデルになった場所)まで行ったという。「フツーの温泉でしたよ」と彼は帰
ってきてがっかりしたように言った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。佐野眞一は『遠い「山びこ」』を以前に読んで感心したが、『誰
が「本」を殺すのか』は業界人として面白かった。佐野と一緒に無名ライター
として仕事をしていた猪瀬直樹もけっこう読むが、『まがじん青春譜』も『ピ
カレスク』も途中で放り出した。そういえば賞を獲った『ミカドの肖像』に対
して、選者の立花隆が「この本の核は空虚だ」と評していたなあ。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

秋津温泉 松竹ホームビデオ
http://www.shochiku.co.jp/video/v60s/sb0018.html

吉田喜重作品リスト
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0075450.htm

岡田茉莉子作品リスト
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0050040.htm

矢沢栄吉オンライン・ショウ
http://www.toshiba-emi.co.jp/yazawa/

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■デジクリトーク インターネットの紆余曲折(2)
よりにもよってインド人!

8月サンタ
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~前回までのあらすじ
私、8月サンタは親父から頼まれて、日本の紙加工用機械を、アメリカの親父
の会社を通じ、フィンランドに売る、というプロジェクトの手伝いをすること
になった。契約は既に成されていたのに、フィンランド側では融資がおりず、
何らかのトラブルが発生していたようだった・・・。

●三年前の話だけれど

この話を書くために、久しぶりに昔のメールなど読み返しているのだが、ふと
我に返ると、腹の底が芯から冷たくなるような怒りがこみ上げる。仕事の話で
はない。インターネットへの接続環境のことだ。

思い返すに、フィンランドのGの事務所には1997年からすでに1.5MbpsのT1回線
が引かれており、立派なGIFアニメを駆使したウェブサイトもあった。
ドメインはwww.(会社名).fiである。その高速回線を利用して、Gは一日中いろ
んなメールを送りつけてきた。

アメリカの親父の会社のウェブサイトは会社案内と商品案内のみの簡単なもの
だが、「e-commerce」という言い方が気恥ずかしくなるほど、当たり前にビジ
ネスツールとして機能していた。アメリカ側はただのアナログ接続だったが、
月額28ドルで通話料金もプロバイダ料金も込みで使い放題だった。

当時私の申し込んだプロバイダは使い放題で月額4,500円、みんなが安い! こ
れは画期的だと思っていたが、電話代は当然のごとく別で、タイムプラスを使
っても5分10円、テレホーダイの時間はつながりにくくて仕事にならず、いき
なり電話代は月額二万円を超えた。

あれから三年後の今、今年は日本のブロードバンド元年だそうだが、「何を今
更」という気分になる。やっと、三年前の彼らとほぼ同じ環境に立てたのだ。
まったく、この三年、途方もない年月にも感じられるのだが・・・。

●Gという男

さておき、問題はフィンランドだ。フィンランド人というのは、北欧のスウェ
ーデン=デンマーク系とも、反対側のロシア系とも違う独特の民族であり、双
方から交互に侵略を受けては、はねのけて来たという歴史を持つ。ロシアが大
嫌い、という理由で、ロシアを破ったことのある日本人には大変好感を持って
おり、「トーゴー・ビール」という東郷元帥を記念したビールが売られていた
りもする。

他国の人間に誤解を受けるほど感情表現が苦手で、木訥な印象を与えるが、実
は約束を非常に重んじる、折り目正しい国民性で有名である。

と、本には書かれていたのだが、フィンランドのGのメールを読むと、全然違
う印象を受けた。饒舌で、こちらの聞きたい核心からはいつも話題を逸らし、
すぐにいろんな交渉を持ちだし、とにかく信用出来かねた。

話を総合すると、今回の問題はただ一つだけで、融資がフィンランドの銀行か
ら下りないことだけのようなのだが、Gのメールは、ひたすら日々の言い訳に
終始していた。本来であれば、この話は非常にシンプルなはずだった。日本の
機械をアメリカのディーラーを通じ、フィンランドに販売する。機械の購入代
金その他をフィンランド側が用意し、日本側が機械を受注制作、船積みの準備
をする。

アメリカの親父のパートナー、H氏から話を詳細に聞くにつれ、日本のその機
械は非常に良くできていて、信頼性も高く、まずは融資に問題のない物件だと
いうことが判った。その機械は紙の原紙ロールから、トイレットペーパーやペ
ーパータオルなどのロール紙製品を一気に生産する機械である。森林国のフィ
ンランドは、実はパルプ産業が非常にさかんで、あちらでこのような紙加工の
機械が求められているのは、自然なことだった。

この機械があちらに着くと、必要な電源を備えた工場に据え付けられ、すぐに
でも紙製品の生産にかかることが可能だ。購入者はそれで利益を上げることが
出来るほか、機械本体も、生産した製品も、ヨーロッパの同業者にデモンスト
レーション・販売することが出来る。

フィンランドのGの会社はスエナユキという街でロール紙製品を生産している
社員25名の小企業で、また地域のパソコンのディーラーも片手間に行っていた。
オフィスにT1回線が入っていたのもそのためだ。

昨年(実際には1997年)の9月までに、機械はフィンランドにデモンストレー
ションされ、フィンランドのGとその取引銀行のI銀行の頭取が同席の上で、契
約が交わされ、あとは貿易の時に使われる銀行の各種証明と初期費用の振り込
みが行われれば良いだけだった。その日本のメーカー、S製作所、はユニット
の生産準備を整え、ずっと待っていた。

しかし待てど暮らせど証明書は発行されず、すべてが止まっていた。日本側も
困っていたが、間に入ったアメリカ側はもっと困っていた。当然連日問い合わ
せを出し、頭取に融資を実行させるように迫った。すでに半年近くをムダにし
ていた。その間アメリカ側は寝ていた訳ではない。二回フィンランドを再訪し、
問題の銀行を訪れている。頭取はなんと言っているのか。Gの話によれば、

「(頭取は)今月末には、融資は実行される、と言っている。」
「(月末に開かれた)会議では、この条件だけでは融資できない。国の小規模
事業の融資枠の申請をしなくてはならない」
(日本とアメリカはその指示に従い、直ちに申請書類をつくり上げた)
「来月早々に私の銀行の母体銀行の会議がある。そこで決定される」
「来月には」
「来週には」

とりあえず、典型的な悪夢だった。私は親父に早く手を引いた方がいい、と告
げた。実は融資の話も、最初は機械三台、一億円の話だったのが、この半年で
「機械一台をとりあえず購入」という話に縮小されていた。

親父達が手を引かなかったのは、いくつか訳があるが、大きな理由はフィンラ
ンド側に抱いた「印象」のせいだった。契約が行われたとき、フィンランドの
銀行は小さいながらも立派な建物で、頭取もいかめしく、約束を違えるような
雰囲気ではなかった。またフィンランドという国自体にも誠実で、非常に信頼
出来る印象を持った。だから、話がこじれるにつれて、正直、狐につままれた
ような感じだったということだ。

それは日本の機械メーカー、静岡のS製作所にとっても同じだった。S製作所に
とって、海外展開は悲願だった。S製作所のS社長はそれまでに中国や韓国など
との不誠実な交渉で、さんざん痛い目を見ており、今回実際に現地へ行ってみ
て、「これはきっと上手く行く」と感じていたらしい。

しかし、外部から第三者として入ってきた私にとって、構図は明白だった。
Gの説明はどこかおかしい。一度は決まった話のはずが、約束が履行されず、
その後も何故かだらだらと交渉が続いている。そして、Gはフィンランド出身
のフィンランド人ではなくて、ベンガル出身のインド人だった。
よりにもよって・・・

インドの商売人、印橋は華僑以上に世界を渡り歩くタフなネゴシエイターだ。
ご存じの方も多いと思う。

西原理恵子の最近の漫画で「できるかな」という傑作がある。最後の方でタイ
での生活日記が出てくるのだが、サイバラはカモにされるような日本人として
の泣き寝入りは絶対しない。どのような連中が相手でも、徹頭徹尾戦い抜くと
いう姿勢をつらぬく。その中で油断ならない交渉相手としてまず華僑が登場し、
さらにその上を行く最強に手強い相手として印橋、インド人が出てくるのだ。
「悠久の時を生きるインド人には敵わない」漫画の中のサイバラはインド人だ
けには匙を投げてしまう・・・

だから、話をややこしくしているのは絶対にGのはずだった。そう考えてみる
と、いろんなことがクリアになってくる。スエナユキで銀行頭取のフィンラン
ド語を英語に通訳しているのはGだった。フィンランド語はこれまたロシア語
ともスウェーデン語とも全く違う独特の言語で、翻訳者を捜すのも容易ではな
かったために、現地情報には常にGのフィルタがかかっていた。アメリカ側は
当然のごとく訴訟を検討していたが、今回の最も重要な契約書がフィンランド
語で書かれており、こちらの細部を訳すのも更に大変な作業だった。

大体アメリカは訴訟社会と言われてはいるが、こと国際取引に関しては伝家の
宝刀で、抜いたら底なしの費用請求も待っている。日本で弁護士に相談しても、
相談するだけで一時間四万円取られるのだ。「訴えよう」などと簡単に言える
ものではない。

「よりによって、インド人・・・」というのはインドの人に失礼な話だが、要
はこの話にはやっかいな「ミドル・マン」、仲介屋的な人間が入ってきてしま
っている、ということだ。ミドル・マンは「交渉」に生き甲斐を感じている。
取引の両端を操って、全体をまとめるふりをして、実は自分のポケットに落と
すカネをひねり出すのに全力を傾ける、そんな人間のことだ。そしてインド人
のミドル・マンは、世界最強を意味しているのだ。

彼らは余りにも「仲介してカネを稼ぐ」ということに生活を賭けているので、
それ以外の実業の部分、実際に物を作ったり、品物を届けたりすることは軽視
して、一日中電話していれば仕事をした気になっていることが多い。そういう
ひとたちが(インド人に限らず、日本人にだって一杯居る。ただ、インド人の
方が底なしにタフなだけだ)生きていく場所は確かにあるが、こちらはとにか
く一日でも早く機械を動かし、仕事を始めたいのだ。

いずれにせよ数ヶ月がたち、Gの言うことには全てではないにしろ、何らかの
ウソがあると誰もが考えざるを得なくなってきた。

1998年4月。日本のS社長が申し出た。
「Gと頭取を日本に呼んで説明させよう。来なければこの話は終わりだ」
経営者として決断を下したのだ。

というわけで、私は日本に来るGに同行、通訳を務めることになった。重要な
現場に立ち会うことになったわけだ。そしてこの二ヶ月の準備の間に、私はフ
ィンランドという国に、強く魅せられていた。  (つづく)

※インドの方で、気分を悪くされたらごめんなさい。筆者はその文化的な交渉
ごとへのタフさについて、むしろ敬意を払うものです。まあ続きを読んで下さ
いね。実際はどうなったのか!?

【8月サンタ】ロンドンとル・カレを愛する32歳
昨日仕事に行ったタイポグラフィの会社の社長と英国話で盛り上がっていたら、
なんと世界的に有名な英国地下鉄のフォント、Edward Johnstonデザインの
Underground Railway Block-Letter(Johnston Undergroundで通じる)のリ
ニューアルを行ったデザイナー(日本人)と懇意とのこと。「New-Johnston」
の作者である。すごい。すごすぎる。もとRCA教授で、今日本におられる。今
度会わせていただけることになった。なんてこった! 夢のようだ・・・。

santa@londontown.to
ロンドン好きのファンサイト
http://www.londontown.to
どこかのスタバでお会いしましょう!

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■編集後記(03/30)
・ビドーダニケン、ハブテケン、とはハニー号なのだ。まだ肌寒い朝、自分の
ベッドの中で毛布をすっぽりかぶって(夜中にかけにいくのはわたしだが)人
間が活動開始しても、起きるもんかト微動だにしない状態をいう。また、よく
ふてくされるヤツである。小屋にもぐって人間を白い目で見る。そういうとき
芦屋ご出身の妻が「またはぶててる」と誰にもわからない言語を発する。広島
系関西弁か? わからない。すねている状態をいう。人間っぽい犬だ。(柴田)

・で、webデザインだけじゃなくて、サイトデザインも、システムにスクリプ
トなんかも、自分ができるできないに関わらず、知識がないといけない。向こ
うの言う「○○な感じ」を理解するために、新聞や雑誌、映画や音楽すらも頭
の中に入れておかないといけない。近い感覚の方なら嬉しいし楽なんだけど、
「派手」はイエローなのか、金赤なのか、ゴールドなのか、オレンジなのか、
パープルなのか、ミックスなのか人それぞれの感覚で違うから、頭を抱えるこ
ともある。「モダンに」と言われても、その人にとってのモダンだから、いま
よくあるサイケな感じは古いと言われることも。つづく。  (hammer.mule)

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デスク     濱村和恵 
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