[0896] 最後の国境線

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0896    2001/07/06.Fri発行
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 <そうか、この歌はこういう意味だったのだ>

■デジクリトーク
 最後の国境線
 十河 進

■デジクリトーク
 そして、アルメニア。
 東 知世子(モスクワ在住)

■イベント案内
 「パントマイムから学ぶ動きの極意」
 「色で差をつける!」





■デジクリトーク
最後の国境線

十河 進
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●ジョン・レノンのメッセージ

今をときめくジャズシンガー、ケイコ・リーのデビューアルバムのタイトルは
「イマジン」である。もちろん、あのジョン・レノンの「イマジン」を歌って
いる。その後も、コンサートでは必ず歌っているようだ。去年、ソニービルの
ソミドホールで彼女のコンサートを聴いたが、ピアノの弾き語りで「イマジン」
を歌ってくれた。

僕はキューバのピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバのマウント富士ジャズ・フ
ェスティバルのライブ盤「イマジン」も持っており、こちらはインストなので
歌詞は入っていないが、メロディだけでも「イマジン」は名曲だと証明してく
れる。

ご多分に漏れず僕もビートルズには熱中したクチだ。どちらかと言えば初期か
ら中期ビートルズの熱心なファンである。しかし、最初のつまずきは「サージ
ャント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」だった。1967年のこと
だ。このアルバムは地方の少年には難しすぎた。いや、その音楽性を最初から
受け入れ評価した人はあまりいなかったと思う。

僕は、アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」から聴き始め「ヘルプ」「ラバ
ーソウル」「リボルバー」と続くアルバムには熱中していた。「イエスタデイ」
「ミッシェル」「ガール」は今でも原語で歌える(はずだ)。「ノルウェイの
森」も「ラバーソウル」の2曲目に入っている。

この時期のビートルズファンの特徴としては、ポール・マッカートニー贔屓が
多いことだ。僕も実はポールファンなのである。サウスポーでギターを弾くポ
ール・マッカートニーは、日本公演のテレビ中継でも本当にかっこよかった。

だから、ジョン・レノンにそれほどの思い入れもないし、「イマジン」もきち
んと聴いたことはなかった。しかし、ジョン・レノンが死んで数年経ってから
僕は感動的な「イマジン」を聴いたことがある。その時初めて、僕は「そうか、
この歌はこういう意味だったのだ」と改めて認識したものだった。

「イマジン」の詞の内容を知っているだろうか。「国境がないことを想像して
ごらん」とジョンはメッセージし「すべての人々が平和に生きていく」ことを
願っているのである。

僕が感動的に聴いた「イマジン」は「キリング・フィールド/THE KILLING
FIELDS」(1984/140分)という映画のラストシーンだった。ふたりの男がカ
ンボジアの国境からタイへ抜けたところにある赤十字の難民キャンプで再会し
抱き合うシーンに「イマジン」は流れる。

ひとりはアメリカ人のジャーナリストである。カンボジア・ルポで彼はピュー
リッツァ賞を受賞した。ひとりはカンボジア人のジャーナリストであり、かつ
てアメリカ人ジャーナリストの現地助手でもあった。カンボジア人のジャーナ
リストは数々の死地を乗り越えて、タイの難民キャンプにたどり着く。

露骨なメッセージ映画は好きではないが、「この映画にこれほど相応しい歌は
ないな」と僕はクレジットタイトルに流れる「イマジン」を聴きながら、初め
てジョン・レノンの願いを理解したような気になった。

●クメール・ルージュの虐殺

1980年1月、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」にある記事が掲載された。
ニューヨーク・タイムズ記者としてピュリッツァー賞を受賞したシドニー・シ
ャンバーグの実体験のカンボジア・ルポだった。

カンボジア取材で彼は現地のジャーナリスト、ディット・プランと仕事を組み、
いつしか互いに敬意を持ち合う。やがて、それは友情へと育つ。だが、カンボ
ジア内乱は激しくなり、クメール・ルージュに捕らえられシャンバーグは国外
退去になり、ディット・プランは収容所に送られ強制労働に従事させられる。

ここで、僕は当時のカンボジア情勢を解説したいところだが、1970年代の状況
は実に複雑でよくわからない。当時、ヴェトナム戦争は世界中(特に日本のイ
ンテリと学生)の関心の的ではあったが、カンボジアについてはほとんど無関
心だった。

60年代後半に中国に吹き荒れた文化大革命は紅衛兵たちによって過激に、かつ
共産主義の原点に立ち戻るべく推進されたが、クメール・ルージュもまた原始
共産主義ともいうべき徹底的な無階級社会をめざしたようである。だが、その
ために多くの人民を虐殺するとは、当時は誰も予想しなかった。

1975年、ポル・ポト軍によってプノンペンが制圧される。彼らクメール・ルー
ジュはカンボジアをアンコール時代の古代クメール王国に戻し、農業を中心と
した伝統的な階級のない社会を復活させると約束する。同時に、大量虐殺が始
まるのである。

この時期のカンボジア情勢を背景にした小説に矢作俊彦と司城志郎の合作「暗
闇にノーサイド」がある。この小説が発表されたのは1983年だ。その頃にはす
でに、クメール・ルージュの残虐性は公になっていたのだろう。

僕は、「暗闇にノーサイド」を出た時に読んだが、実はカンボジア情勢がよく
わかっていなかったので背景が理解できなかった。数年後、「キリング・フィ
ールド」を見て初めてカンボジアの悲劇を理解した。

「キリング・フィールド」は、事実をベースにした映画である。

●自らの体験を演じてオスカー受賞

カンボジア取材に入ったシャンバーグ(サム・ウォーターストン)は現地ジャ
ーナリストのプラン(ハイン・ニョル)を助手に雇い、カメラマン(ジョン・
マルコヴィッチ)と共に内線の取材を行っている。

やがてプノンペンはクメール・ルージュに制圧され、彼らも捕らわれ身の危険
さえ感じる状況になる。この前半では、まだ若きマルコヴィッチもいいのだが、
プランを演じるハイン・ニョルの静かな演技がとてもいい。

外国人ジャーナリストは国外追放になり、ここからプランの過酷な運命が描か
れていく。プランは農村の収容所に入れられ強制労働に従事させられるのだが、
彼がジャーナリスト(支配階級的インテリ)であったことがわかれば、それだ
けで銃殺されかねない状況が常に画面に緊張感を漂わせる。

映画の後半は、ほとんどプランがひとりで映画を支えている。彼がくぐり抜け
てきた虐殺の大地の現実が、見る者に重くのしかかる。彼は耐える。そして、
ある時、兵士の目を盗んで収容所を脱走し、タイ国境をめざして逃げる。その
逃避行の間に彼が目にするのも虐殺の大地の現実である。

一方、シャンバーグはニューヨークでピューリッツァー賞の受賞パーティに出
席している。彼は、カンボジアにいるプランの身の上が心配で片時も忘れたこ
とはない。難民キャンプなどにも捜索の依頼をしてはいる。とうとう、彼は自
らプランを探しに行こうとする。

ラストシーン。ふたりの男は再会し、その場面に「イマジン」が流れてくる。

カンボジア人ジャーナリストであるディット・プランを演じたハイン・ニョル
は、アカデミー助演男優賞を受賞した。彼は実際のカンボジア難民であり、医
師でもあったが、演技はほとんど素人だった。

しかし、彼の演技が圧倒的に迫ってくる力を持っていたのは、彼自身もディッ
ト・プランと同じ体験をしていたからだろう。ハイン・ニョルは「キリング・
フィールドからの生還」(1990/光文社)の中で「ディット・プランは私その
ものだ」と綴っている。

ハイン・ニョルは「この映画が公開されるまでは、世界の人々はカンボジアの
悲劇をあまり知らなかった」と書いている。その通りだ。僕だって、「キリン
グ・フィールド」を見なかったら、カンボジアで何十万(一説では数百万)も
の人が殺されたことなど未だに知りもしなかっただろう。

しかし、「キリング・フィールド」を見ても僕には理解できないことがある。
なぜ、クメール・ルージュはあんなに人を殺したのか。

●最後の国境線は取り払えるか?

アジアを生涯のテーマにしている写真家、管洋志さんにカンボジアの写真を見
せてもらったことがある。1980年代の前半のことだと思う。カンボジアはまだ
まだ政情不安だったと思うが、管さんはアンコールワットを撮影しカンボジア
の農村の写真をいっぱい撮っていた。

その中には、人骨の山が写っていた。村の一角らしきところに頭蓋骨や手足の
骨がバラバラになって積み上げられていた。それは現実だった。あっけらかん
とした現実だった。その人骨はプランやニョルの家族の可能性だってあった。

なぜだ、と何度も発した虚しい問いを僕は再び口にする。なぜ、そんなことが
起こるのか。国の違いは国家間の戦争を起こし、民族の違いが長く続く紛争を
生み、宗教の違いが戦いを終わらせない。人類はなぜ平和に心静かに共存でき
ないのか。

カンボジアの悲劇は主義主張の違いが生んだ虐殺なのだろうか。共産社会の実
現をめざした兵士たちが、かつての支配階級や旧体制を支持する人々を殺した
だけ、ということなのだろうか。革命に血が流れるのは当然だ、と言い切るだ
けでいいのだろうか。

一世を風靡した冒険小説作家アリステア・マクリーンに「最後の国境線」とい
うタイトルの初期作品がある。ご多分に漏れず、これもハリウッドで映画化さ
れていて僕の好きな怪優リチャード・ウィドマークが主演した。

東西の冷戦が真っ盛りの頃、東側へ潜入する秘密情報部員が主人公である。資
本主義と共産主義というイデオロギーの違いが、世界を破滅させかかっていた
頃の話である。

その中でマクリーンは主人公にこう語らせている。
──最後の国境線は人間の心……

国の違い、人種の違い、民族の違い、宗教の違い、主義主張の違い、そんなも
のをひとつひとつ人類が克服していったと仮定しても、最後に残る国境線であ
るひとりひとりの「人間の心」を克服するのは困難だということなのだろうか。
人はそこまで、自分ではない存在に心を閉ざすのか。

しかし、他者を排斥する心と共に他者を受け入れようとする心も人間にはある。
イントレランスではなく、トレランス。寛容──ひとりひとりが心の中の国境
を取り払えば、真に平和な世界が実現するのではないか、そんな希望的な考え
方だってできないわけではない。

スティーヴン・スピルバーグ監督が「A.I」の記者会見で話していた。「私は
人間は善だと考えている。いつか、人類は悪を克服するだろう」と。

ジョン・レノンも、おそらくそのように考えていたのだ。彼が「イマジン」に
託したメッセージは、想像することによって最後の国境線をなくそうとするこ
と、つまり、人類が持つ「想像する力」による救済だったのではないだろうか。

不幸なことに、ジョン・レノンはチャップマンという男に芽生えた悪によって
意味もなく射殺されてしまったが、死の瞬間まで彼は人類に希望を持ち続けて
いたのだと思いたい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者。休日は原稿書きと仕事。息抜きにドライブをするが、せいぜい1
時間。時には買い物を兼ねて運転する。散歩に出て図書館か本屋を覗き土日が
過ぎていく。まあ、理想的生活と言えないこともない。

昔書いた文章が「投げ銭フリーマーケット」に出ています。デジクリに書いた
文章も数編入っています。
http://www.nagesen.gr.jp/hiroba/

キリング・フィールド
http://www.infoaomori.ne.jp/~yappi/eiga/EE-01killing%20field.html
http://cinema.media.iis.u-tokyo.ac.jp/movie.cgi?mid=694

シンポジュウム「キリング・フィールド」
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/research/cambodia/symposium.html

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■デジクリトーク
そして、アルメニア。

東 知世子(モスクワ在住)
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前回のアルメニア人のピアニスト・ナバサルジャン、フランスにてシャンソン
界の大御所となったアズナブールとアルメニア音楽話に続いて、今回は実際の
アルメニア人と関西人、隣人付き合いに発展していくことになる。

そして、関西人とアルメニア人の縁は、この大都市モスクワにて、不思議な巡
り合わせにて、切るに切れないものとなっていくのであった…

●隣人がアルメニア人(!)

一人暮らしを始めようと決めた去年の春、隣人がなんとアルメニア人(!)と
いうことが分かるのに、そんなに時間はかからなかった。というより、まさに、
向こうからやって来てくれたようなものだった。契約と下見を兼ねて、現在の
アパートにやってきた私を、ちょっと気になった隣人のナデリヤン夫妻が、こ
っそり様子を見に来たのだ。

まず、この人たちがロシア人でないことは一目瞭然だった。でも、とても親し
み深く微笑んで挨拶してくれた、その日の印象で、関西人即、「この隣人とは
絶対に仲良くなれそうだ」という直感があった。

そこで、引っ越してきた翌日に、手土産を持って挨拶に行くことにした。はじ
めっから品のよさそうな人だとは思っていたが、実はそれだけではなかった。
やはり人格は表に出てくるものだ。

なんと、旦那さんワルタンは幼少時代にアルメニアを離れて途中トルコ、フラ
ンス経由するという複雑な経路で、ソ連になってからアルメニアに再び戻った。
首都エレバンで大学に行き、それから戦争になって召集されたという(パリで
小学校に通ったが、家ではトルコ語で喋っていたという…お母さんがアルメニ
ア人なのに、トルコ語しか喋れなかったらしい)。

そんな事情から、トルコ語とフランス語、もちろんロシア語にアルメニア語を
自由に操る、ほんまのインテリという感じのおじいちゃん。たしかに、ヨーロ
ッパ言語は4つ5つ話せても、スイスなどでは当たり前だし、日本で思うほど、
それほどすごいことはない(文字もほとんど一緒やし、けっこうどこに行って
も、自国語で喋ればなんとか通じてしまう。結局、全体的にラテンの親戚やも
んなあ)。

しかし、アルメニア語とかトルコ語は構造も違えば発音も違う。まったく違う
文化圏なのだ。これは、やはりただものではない。しかも、ほとんど文法的に
も、一切間違いなしに文章を書けるほど(その代わり、孫でもなんでも手紙が
来たら、とにかく細かい間違いが目に付いて付いて、しゃあないらしい)高度
なレベルの語学力の持ち主となると、いくらロシア広しといえども、そうそう
いるわけではない。

当然、こういう人は重宝されたようで、現役時代は、有名なあのタス通信の記
者として、フランス、アフリカ各地と、海外生活を長くしていたという(さす
がどこか垢抜けてるなあ、と思ってはいたが)。

奥さんのノラさんもそれに劣らず、ロストフ・ナ・ダヌーという有名なロシア
南部の出身でかなり良い家柄の人だったようだ。たくさん写真を見せてもらっ
たが、立派な写真館で撮ったと思われる写真の数々は、幼少期は天使のように
かわいく、若い時の美貌も輝くようだ。

アルメニア美人の眉と目元のくっきりした容貌は、すごく私好みで、どこかマ
リア・カラスを思わせるような顔立ちをしているのだ(これは決して関西人の
ホラ話とちゃいまっせ。アルメニア人の子供のかわいさは特別。しかもすごく
表情豊か。彼女の友達の孫さんなど、赤ちゃんのミス・アメリカに選ばれてイ
タリアに渡り、ただでさえ子供好きのイタリア人を歓喜させ、ローマ法王にま
で謁見したというくらいだ)。

ノラさんの母はモスクワ音楽院のピアノの教師、父は弁護士、代々伝わる100
年来のサモワールなども、彼女の家系のものらしい。現在のロストフはドン・
コサックの出身地として有名だが、彼女の話によると、エカチェリーナ二世時
代前後から、ロストフには、公式にアルメニア人街というのがあって、そこで
はアルメニア語による学校もあり、多くの裕福なアルメニア人が暮らしており、
経済的にも大変隆盛であったという(おそらく、その後彼らのことはソ連時代
になって、ほぼ歴史的に抹消されてしまったらしい)。

彼女に言わせると、ドン・コサックなどは、そのずっと後から来た、ほとんど
文化的でない逃亡した貧しい農民集団でしかない。

とはいえ、粛清時代に父を無実の罪で失ってからは、その家族にも監視の目が
あり、かなり大変な目にあったという。スターリン死後になってやっと、そう
いう不幸に遭った人々の名誉回復が行われ、海外にも自由に出られるようにな
ったとか(国内の移動さえ制限があったらしい)。

それでも、ブレジネフ期になると、ロシアの政治的関係がイスラエルと悪化し
たのか、単に庶民が経済的にも生活的にも苦しかったからか、ただ彼女の風貌
が少しでもユダヤ人と似ているというだけで「イスラエルへ帰れ!」などと、
通り掛かりのロシア人から罵声を浴びたり、決してソ連という社会は(イデオ
ロギーでは平等を唄いつつも)彼らにとって必ずしも平等な社会ではなかった
という。

●故郷のような懐かしさ

アルメニア人といっても、もちろんいろいろいるだろうが、予想していた以上
に、私の隣人はインテリな家庭のようだった。そんなエリートだったら、普通
いきなり来た隣人など相手にもしてもらえそうにない気がするが、彼らは違っ
ていた。

非常に暖かいもてなしをしてくれて、昼より遅い目に行ったつもりが昼食に招
待されて、上品な置き物や食器を飾ったアンティークな棚のある立派な食堂で、
テーブルセットからなにからなにまで、ちゃんと用意して、はじめての客とし
て、ご馳走してくれたのだった。

正直言って、こんなロシア人でも、中にはいるのかもしれないが、今ではほと
んど探すのが難しいと思う(というか、私の周りでは見たことも聞いたことも
ない)。

彼らは形式というものにこだわらないよさもあるが、悪く言えば、行儀や作法
を知っている人があまりにも少ない。ソ連時代に、良き伝統や宗教が破壊され
たまま、延々と悪い風習だけ残している面が多々ある。

こういうきちんとした優雅さとか、古風さは残念ながら、今のロシアの都会に
はあまり残っていない。だから、余計に彼らの気遣いには感激した。

それよりなによりもうれしかったのは、帰り際に、「アルメニアでは、遠くに
いる家族より隣人を大事にしなさい、という諺があるんだよ。だからあんたも、
私たちをほんまのおじいちゃん、おばあちゃんだと思って、これからも気軽に
遊びにきなさい」と言ってくれたのだ。

これには正直言って、ほとんど涙が出そうなくらい感動した。特に自分の国で
ないから、そう思ったのかもしれないが、これほど暖かい言葉をかけてくれて、
実際、非常にオープンに受け入れてくれる、そんな人に出会えたことが、信じ
られないほどうれしかった。

そして私自身、彼らのそんな気持ちに偽りなく、心から素直に答えられるよう
にしたいと思った。

これだけ心を開いて、相手を受けとめられる懐の深さ。こういうのが、アルメ
ニアの心やねんなあ。そう思ったらもう、漠然と惹かれていたアルメニアは心
の中ではもう、遠い場所でなくなった。

まるで、故郷のように行ったこともない場所を懐かしく感じた。そして、もう
私のそばには、いつだってアルメニアがあるような、気の早い関西人は、既に
そんな気分になってしまうのだった。

このアルメニアと関西人の切るに切れない縁は、まだまだ続く。だから、この
話はそう簡単には終わらないのだ。その続きは次回、お楽しみに。

関西人・ロシア演劇
未来派批評家 CHOCO

演劇批評家日記
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ロシア演劇メールマガジンHP
「ロシア・天井桟敷」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5825/tenjousajiki.html

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・わたし以外はみんな冷房が好き。クーラーがかかった音が聞こえると、ハニ
ー号は家の中に入れろトすっとんでくる。そして床に長々と伸びて快適そうだ。
寒いときも暑いときもフニャフニャ鳴いて家に入ってくる。入れる親が悪い。
夕食は通年レタスがつき、きゅうりやスイカをよろこんで食べるヘンな犬。さ
いきんの3時の散歩では、暑いのでコースを勝手にショートカットする要領の
いいヤツ。雷と花火におびえまくる弱虫。つきあって飽きない犬だ。(柴田)

・Flash Power Session 2001。30席あまりを追加募集したところ、7分で完了。
あまりの速さに驚く。アクセスが集中し表示できなかった方もいらしたそうで
す。自分はとれたけど友達は無理だったという方も。ごめんなさい。次の機会
にぜひ。しかしこの激戦の中、ちゃんとメッセージを入れる余裕のある強者が
いたのにはびっくり。/月蝕。雨だったわさ。見たかったのに残念。/大阪ロ
ーカルでごめんなさいよ。最近関わらせてもらっているこの番組サイトでは川
柳を募集中。採用されたらテレビで詠まれます。メインは隣の駅に住むケンド
ーコバヤシだったりするのだ。「マジっすか?」も好きさ。 (hammer.mule)
http://mbs.co.jp/aruchun/ 見参!アルチュン

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