[0968] 浅草の夢

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0968    2001/11/06.Tue発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 19697部
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 <勘違いであってもそれが有為であればOKだ!>

■デジクリトーク
 浅草の夢
 モモヨ(リザード)

■デジクリトーク SIPSのゆくえ 連載第8回
 混同です。
 -DTPとWebページ-
 uz

■デジクリトーク
 それは一通のメールから始まった。
 北岡久美子



■デジクリトーク
浅草の夢

モモヨ(リザード)
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原稿の中に、海外アーティストのアルバムや曲のタイトルを述べる場合、その
表記に何を採用すべきか? という問題は、常に、私を悩ませてきた。

客観的に歴史を眺望する際にはそのアーティストの母国語を採用するのがよい、
というのが一般論であろうが、その一方で、ロックを自分の内側の問題として
考えると、その享受の時点で、世に通用していたタイトルを記載する方が適切
な場合もある。

例えば、ある世代の人間にとって、ピンクフロイドの有名なアルバムは『原子
心母』でなければならないし、ユーライアヒープの代表作は『対自核』でなけ
ればならない。同じ作品でも、世代が異なれば『アトム ハート マザー』
『ルックアットユアセルフ』と、それぞれカタカナのタイトルとして憶えてい
るだろう。再発など、日本国内での、会社が違ってくれば、おのずと邦題表記
も変わってくる。

従来、わが国の洋楽では、邦題の多くは、レコード会社の社員、担当ディレク
ターが無理やりひねり出したものである場合が多く、レコード会社側から見る
と、宣伝コピーの一部だったのである。実際、作品そのものと何ら関係ないタ
イトルもあり、中には、アーティストとその作品に対する冒涜としか思えない
代物もある。

しかしながら、中には、先にのべた例のような、ある世代にとって重要な意味
を持つ邦題もあり、その特殊な意味性、ニュアンスは、そのタイトルでしか表
現できない場合もある。

これが、私がタイトルにこだわる理由である。

私自身、このデジクリの原稿においては、個人的作品享受の位相を表すためも
あり、記憶のまま記載するようにしている。例えば、前回の原稿でTレックス
の『ワイルドスワン』という曲を紹介しているが、これは実際には使われてい
ないタイトルかもしれない(その点において私は皆さんに謝罪しなければなら
ない)。

当時、私は、このアルバムの担当プロデューサー、東芝のI氏と懇意にしてい
た。彼は、当時有名な邦題作者でもあり、仕掛け人だった。そんな彼から貰っ
たパブリシティ資料が私の記憶の元になっているが、よくよく考えてみると、
アルバム発売の段階では『ライド ア ホワイト スワン』というカタカナ表
記に戻っていたという記憶もある。むろん、何らかの資料を繰れば正確な表記
を知ることは困難ではないが、曖昧さはそのままにしておくことにした。ロッ
ク享受の精神史こそが私の語りたいものなのだから……。

ロック享受の歴史ということでは、よく日本語のロックについての質問を受け
る。が、私の場合、日本語のロックをとりわけ意識してきたことはない。ここ
にも書いてきたように、私は詩を書く少年であった。それがバックミュージシ
ャンを手に入れた。単純にそんな感じだった。

そもそも、日本語を使う私が日本語を使う仲間に聞かせるために作った作品な
のである。これが自ずから日本語であるべきなのは、自然な話だ。私にとって、
ロックから享受した何かに対して、ありうべき形と名前を与え、我らの共有物
とする。これだけが関心事だった。

ジャンルを問わず、異国の文物を血肉化しようとする格闘に私は興味を持って
いる。これには私の生まれ育った街も大きく影響しているようだ。何よりも浅
草の存在が大きい。特に興味深いのは浅草オペラ。

ちょっと具体的な話をしよう。例えば「ベアトリーチェ」という女性名を歌に
織り込んだ歌がある。これを浅草オペラでは、あっさりに「ベアトリネエちゃ
ん」とやってしまう。ベアトリネエちゃん!!と大声で歌い上げるのは、今の
私達からすると赤面ものだが、この演目が一世を風靡した当時、日本の津々浦
々で得意満面の笑顔でベアトリネエちゃんは歌われていたはずである。浅草オ
ペラは最先端の大衆娯楽として機能していたのだから。

大衆娯楽などというと、十年一日のごとく同じようにおどけてみせる退嬰的な
エンターティメントをイメージする人が多いかもしれない。しかし、浅草オペ
ラの場合、大衆娯楽でありながらも、世界中の表現思潮に対して極めて前衛的
なスタンスをとっていた。

浅草オペラだけではない。この時代の大衆娯楽、いわゆるエンターティメント
は、私達の考えているより、はるかに前衛的であった。

映画を例にとろう。例えば『カリガリ博士』という表現主義映画が海外で話題
になれば、それに呼応するように、本邦初の表現主義映画と銘打ち『狂った一
頁』という作品が作られている。劇場でも、モダニズムやダダイズムそして未
来派など、前衛的美術家が舞台装置を担当。脚本を新感覚派の作家に依頼する
などして、奔放な創作活動を展開していたのである。そして、それを享受する
側にしても、ベアトリネエちゃんとぶち上げる一方、泰西の前衛芸術のエッセ
ンスを、勘違いだろうと何だろうと、積極的に楽しんでいたのである。それが
当時の世相であり、大衆娯楽のありようなのだ。

誤解だろうがなんだろうが、海の向こうの新思潮を積極的に呑み込み、それを
自分なりに咀嚼して、直接、大衆の手に引き渡す。私がひかれるのは、その意
気であり、パワーである。そして、それを正面から受けとめた観衆の度量の大
きさである。

勘違いであってもそれが有為であればOKだ! そう言いきる度胸は、ほとんど
パンクといえる。そんな底知れぬ生命力が私達の内側に眠っている。そう考え
ると何か楽天的な気分になるのは私だけだろうか?

浅草というと、即、江戸趣味を連想する人が多いかもしれない。地元の観光協
会などもその路線で宣伝しているから、そのイメージは当然だろう。外に見世
物小屋などのフリークスを思い浮かべる人もあろう。しかし、私にとっての浅
草は、何よりも、ありうべきモダン歌舞音曲の都であり、前衛芸術の巷なので
ある。

【付記】浅草オペラは1917年浅草日本館で旗揚げした『東京歌劇座』によって
世に知られる存在となった。その12年後、レビュー劇場『カジノ・フォウリー』
がオープンする際に、わざわざ「舶来モダァン専門!」と歌い上げねばならな
かったのは、それまでの浅草の芸能が、舶来の原典から如何に隔たった内容で
あったかを物語っている。

この時代の浅草を舞台に川端康成は『浅草紅団』という小説に書いている。ノ
ーベル賞作家である川端については、一般に『雪国』『伊豆の踊り子』『古都』
などの、伝統的美の作家として知られている。しかし、若き日の彼が、文学に
おける実験を繰り返し、モダニズム的手法を翻案して素晴らしいオリジナルを
いくつも書いていることは、ほとんど知られていない。

例えば、先の日本版カリガリの脚本執筆に参加した新感覚派の作家こそ、若き
日の川端康成なのである。この時代の芸術的な達成点としては、新感覚派のカ
リスマ、横光利一の『機械』が有名だが、横光の盟友であった川端も新手法を
使った中短編を多く書いている。私のお気に入りは『水晶幻想』。ぜったいお
すすめだ。

モモヨ(リザード)管原保雄 momoyo@babylonic.com
責任編集 バビロニクス/音楽の未来を考える
http://www.babylonic.com

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■デジクリトーク SIPSのゆくえ 連載第8回
混同です。
-DTPとWebページ-

uz
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その昔。紙媒体の制作が写植からDTPに移る直前の時代には、制作現場にはた
くさんの人が、それぞれの役割で働いていた。

バイト先の薄汚れたビルの一室、古い蛍光灯の電気スタンド、よく覚えている。
カッター使いに命をかける専門卒のお姉さん達。糊の匂いの中に、トレーシン
グペーパーの切れ端と赤ペン、鉛筆、色鉛筆が散乱していた。

FMラジオの音を「うるさいなあ」と内心思っている校正バイトの私は、ぼろぼ
ろの「書体の手引き」と漢和辞典を備えて、深夜に入ってくるであろう初校を
待つ。深夜の写植機の担当はえらくよぼよぼの老人で、校正後の原稿を持って
いくと、がしゃがしゃと音を立てて何やらやっていた。

営業兼ADのリーダーは版下をチェックし、校正をチェックし、客先へ飛んでい
き、印刷屋へ飛んでいき、バイトに指示を出しと、くるくる動き通しで、家に
1週間帰らないことなどざら。

今のDTPから考えると、よくまああれだけの人と時間がたった1枚の印刷物にか
かっていたものだと関心する。



DTPの制作会社が「Web、Web」とざわめき出したのはいつだろう。バイトの身
でその版下制作会社にリストラにあったのが8年前。すでに焦りを感じていた
所へ来て、デザインの可能性と金の可能性を突き付けられ、流れる方向はもう
ひとつしかない。

もちろんページものを制作していたのであれば、そして広告の分野などならな
おさら、仕事としてのデザインの要素はかなり強い。培ったノウハウはWeb制
作に存分に生かせるはずだ。

だがしかし、台頭してきたのはWebしか知らない世代だった。ゲームや3Dと肌
で触れあってきた彼等に、革新を求める企業は目を付けてしまったのだ。遊ん
でいるのと同じだから当人達は面白くて仕方がない。サイトはめきめきと増え
ていく。
 
事実、Webサイトの1つ2つなどモノともしない彼等は、そして新しいおもちゃ
を手に入れる度に技術を全身に浴び、何の抵抗も持たずに、全く別の方向へ、
流れ去ってしまう。顧客はおいてけぼりを喰って呆然。

そこで! さあ今こそ、彼等の残した現場を振り返ってみよう。彼等が発掘し
得なかった珠玉の言葉がいっぱいだ。フォントサイズ、レイアウト、画像の色
数、キャッチフレーズやリードのコピー、なによりその目的は? アクセスし
てくるるユーザーは、決してゲームを楽しみにくるのではない。



しかし兜の緒を締めて臨むべき要素が、DTP出身のWeb制作にはとても多いとも
思う。

DTPの体質とはいかに。そのココロ、すなわちコネ。
顧客の御機嫌、上司の御機嫌、印刷所の御機嫌。制作会社の虚弱体質をWebに
持ち込んだらどうなるか。タダでさえ終わりのない作業、ゴールが見えないか
らそれを見い出す人が必要なのに、右往左往の毎日を重ねて、顧客には「仕事
として責任を取れ」などと言われかねない危険さえはらんでいる。1週間家に
帰れない、どころでは済まないかもしれない。
 
さらなるDTPの体質とは、マージンである。広告代理店の営業がクライアント
と適当にお茶をすすっている間に「鬼の居ぬ間の洗濯」なんてことをする必要
がないのがWebの世界だ。常々マージンに不服を感じている制作者たちよ、Web
に表層の興味しか抱いていない代理店のインタラクティブメディアうんちゃら
をかたなしにするチャンス到来!

しかしそれを実現するためには、Webサイト構築のリソースに「営業」という
調整スキルを持つ人が必要だ。「進行管理」「企画立案」のような肩書きの人
でもよい。腹の立つマージンを取られなくて済む方法は、ある程度は身内の痛
みと共に、確立していくものなのだろう。

不規則かつ緊急の多いDTP。Webも同様に、深夜の直し、元旦の更新は予測され
る(現実、多い)。しかし、それだって変えられる。輪転機を回す必要はない
のだ。すべて人にかかっている以上、効率化と知識レベルの向上で、もっと天
国に近付けるはずだ。願わくば、20時以降は個人のMacで自主制作DVDを楽しむ、
くらいになりたい。



さてDTPがWeb制作業務を行う上で、最大のセールスポイントとなり、また最大の
弱点にもなり得る台詞がある。それは、「両方できます」。

革新的な経費削減を、会社の命題として、また自分の名誉としても狙うクライ
アントのWeb担当者、大抵はこう言い出すだろう。「同じ原稿で、Webとパンフ
レット、お願いします」
 
この場合、とくに印刷物の方には、Webの担当とは異なる、交渉/調整担当者が
必要だ。印刷物の場合、失敗したら、本格的に多くの人が路頭に迷う結果とな
る。これが印刷会社の制作部門だったりしたら、会社全体の利潤を双肩に意識
していなければならない。

顧客からの依頼が錯綜している時、混同しているのは、むしろ制作会社のほう
だ。同じ広告の要素にも紙とWebの適切な切り分けが必要なのだ。Webデザイン
にぶつかった時、くだけ散ったあの明らかな違い--目のさめるような高効率と、
めまいのするようなプログラム、座標計算、環境整備。振り返ってみれば、お
のずと違いが見えてくるはずだ。

冷静に、作る側の視線で判断すれば、混同した案件はほぐれてくる。両方に価
値のある制作物が揃う、パワフルなメリットを持つ制作会社となりうるだろう。

逆境から生まれ、地道に乗り越えてきたDTP系Web制作会社が、そろそろ日の目
を見てもいいような。単に個人的に、DTP出身の人々には不器用で真直ぐな、
心洗われる印象があるだけかも知れない。

【uz】ur7y-skkb@asahi-net.or.jp
某コンピューターパッケージベンダー勤務を経て、現在はWeb系ライター、Web
サイト構築業務に携わる。
「映画を研究する人々のためのサイト Urban Cinema Squad」もよろしく。
http://www.u-c-s.org/

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■デジクリトーク
それは一通のメールから始まった。

北岡久美子
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それは一通のメールから始まった。
それは甘~い恋……ではなく、仕事の始まり。

2000年の11月にオープンしたamazon.co.jp。あの広いサイトのBannerとIconを
制作することとなった(日本のWeb業界でこれらのイラストを発注するときに
は何と言うのだろう? リンク用のイラストとか、タイトルイラストとかいろ
いろな名前で依頼される。バナーと言うと私はバナー広告を連想するのだが、
この場合はその意味ではない)。

ある人は「凄いことだ」と言った。確かに凄いことだと思った。ただし、私の
単純な頭が感動したのはそのメールが「海外」からきたことにあった。しかも
「日本語」で!

私はイラストレーターである。Webに触れたのは1999年からだから、Webの世界
では若輩者である。今この文面を読んで下さっている方は「こんな奴知らねー」
とツブヤイテいらっしゃることだろう。

現在、神戸在住・大阪で仕事をしている。つい数年前までは新規の仕事は「誰
々さんの紹介で~」という電話から始まっていた。まず顔合わせがあり、打ち
合わせがあり、納品があるということで、事務所は仕事先に近いことが重要だ
った。

イラストがデジタル(と言う画材)に代わり、 自分の作品集を作る気持ちで
Webページも立ち上げた。いつの頃からかメールで問い合わせがあり、メール
でやり取りをして納品(添付、またはメディアで郵送)するのが増えてきて、
東京~大阪の距離もなくなってきたかなーと思い始めていた昨年の6月、一通
のメールが届いた。そこには「USのシアトルから」と日本語で書かれていた
のである。

amazon.comのMさんは日本のサイトを立ち上げるため、日本人のスタッフを探
していたらしい。

今の時代、世界のどこからメールが来ても不思議はないが、日本語と言うのに
私は誠意を感じた。英語で来ていたらジャンクメールと思って読みもせず捨て
ていただろう(読めたらの話……私は英語ができない)きっちり条件を提示し
てくださっていることもうれしかった(大阪では最初に提示なんてめったにな
い)。

テストサンプルを制作、プレゼンティションを通過してシアトルとのメールに
よるやり取りが始まった。

ここで「時差」ということを改めて実感することになる。私がメールを読む頃、
シアトルは終業である。-17時間の差。

私が制作したモノを帰宅前に送ると、シアトルでは同じ日の朝にデータが届い
ているのである。最初「こりゃ楽じゃん」と思った。とにかく一日作業に没頭
できて、翌朝に前日のデータの返事が来ているわけである。

一日得したような気分の私に、ある日試練がやってきた。
……電話である。

国際電話掛けたことなし、英語だめ。しかもどちらかが真夜中になる……。事
務所に何度か電話を頂いた。朝。私が出勤前の留守電に。私も(勇気を振り絞
って英文メモ片手に)2~3度電話した。聞いたのはamazon.comの「お電話あり
がとう! 残念ながら本日の営業は終了いたしました。また、明日の営業時間
におかけ下さい」(……だと思う)のテープ。またはMさん宅の留守電テープ
だった。

結果、先方が夜に電話してくださるほうが多かった(ありがたい)。ただし、
相手の方は日本語は少し苦手だったようで、電話での応対にちょっと苦労した
ことを思い出す。とても楽しかったけど。

メールのやり取りは3ヶ月続き、2000年11月にamazon.co.jpはオープンしたの
である。

同年4月末、サンフランシスコ、onna.comのTさんからもイラスト依頼のメール
を頂いていた。シアトルにサンフランシスコ。「このメールが繋がっているの
ね~」と妙な親近感を抱きつつ同時期に仕事をこなしていた。

後日。このTさんがある日、久しぶりに以前の会社で一緒にチームで仕事をし
ていた友人と出会って話をしたらしい。
Tさん:「うちのサイトで日本人のイラストレーターを探していたのー。北岡
って人で、いまBanner(イラスト)を頼んでいるのー」
するとその友人が答えた。
「えー? 私のとこも頼んでいるのよ~」
そう、その友人こそamazonのMさんである。

本当に繋がっていたこのお仕事。世間、いえ、世界は狭いのである。

http://www.amazon.co.jp
http://www.onna.com

【きたおか・くみこ】kitaoka@air.linkclub.or.jp
イラストレーター。大阪出身。デジタルの他、アクリル画、銅版画も製作。19
92年初個展。仕事は広告中心に制作。最近はWebイラスト、Flashも手掛ける。
http://www.linkclub.or.jp/~heel-toe/

▼11月5日、ZDNet:Macチャンネルがリニューアルし【MacWIRE-D】がスタート。
毎週火曜日は「デジクリWEBデザイン研究室」の担当で、北岡久美子研究員を
はじめ4人の研究員がWEBデザイン関係のコラムを書く。デジクリと同時掲載。
http://www.zdnet.co.jp/macwire-d/

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■編集後記(11/06)
・いよいよ明日、あさってはJPCコンファレンスである。昨年は12月に開催し、
寒いわ、お客は少ないわでちょっとつらかったが、今年は早々と企画を決めて
広報もわりときちんとやったので、先週金曜日でいちおう事前登録を締め切っ
たくらい順調である。相当力の入ったプログラムながら、会員はすべて無料と
いう大盤振る舞い。もちろん非会員も大歓迎。いちおう締め切ったけれど事前
登録なしで直接来てもらってもかまわない。そのとき会員になってしまえば
(いまなら9000円)、コンファレンス1日10000円、セミナー1つ5000円、パー
ティ5000円などがすべて無料だ。わたしも役員だから2日間、朝8時から会場に
いなければならないのだ。上野毛の多摩美に8時といったら、6時起きか……。
それでは犬の散歩ができないかも。く~っ、とってもたいへんだ。(柴田)
・JPC http://www.jpc.gr.jp/index2.html

・本を本棚から出そうとして、キーボードの上に落としてしまう。あっ。アー
チを描いて飛ぶ「Wて」。えっ。まだ半年も経っていないのに。と。保証期間
内だわ。と。ASCIIに買い換えるチャンスかも。と。なんて脆いのよ。が。頭
の中を一瞬に、でもスローでよぎる。試行錯誤の上、復旧させたが、どうも土
台とキーを繋ぐぽっちの右上部分が欠けてしまっている気がする。ま、いっか。
使えるんだし。それよりも、繋げ方に感心しきり。ふーむ。/Mean Machine。
なんかねぇ楽しそうでいいよね、これ。お祭りみたいで。贅沢。ends。PVより、
こっちのほうがずっといいよねぇ。期間限定は勿体ない。 (hammer.mule)
http://www.meanmachine-ltd.com/  Mean Machineオフィシャル
http://meanmachine.msn.co.jp/  Mean Machineスペシャル
http://www.jvcmusic.co.jp/a_list/artist_j/ends/info.html  期間限定

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発行   デジタルクリエイターズ
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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 

情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
 担当:濱村和恵
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