[0970] 僕の憧れ、僕の恋人、スーパーカー 連載(24)

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0970    2001/11/08.Thu発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 19717部
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<人生の恩人みたいな本>

■デジクリトーク
 僕の憧れ、僕の恋人、スーパーカー 連載(24)
 8月サンタ

■デジクリトーク
 ちゃんこ番の空虚感。
 白石 昇

■展覧会案内
 「ニューヒーロー誕生!!」

■公募案内
 第3回Mobii 1 フォトコンテスト


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■デジクリトーク
僕の憧れ、僕の恋人、スーパーカー 連載(24)

8月サンタ
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先週の「福野礼一郎さん、あんた、凄いよ!」で結構な反響をいただいた。実は自動車雑誌編集の方にもデジクリを読んでいる方がいらっしゃるようだ。勿論クルマ好きの読者の方も結構おられるようで、そこで、ここ2回ほどクルマの話で行かせていただきたいと思う。私の車オタクバカ談義である。

●車バカ小学生

忘れもしない小学二年生の時、社会科の授業で、学校脇の道路を通るクルマの数と種類をノートに付けなさい、と言われた。「じょうようしゃ○台、とらっく○台~」でいいところをトヨタのマークII・1600HTなどと全部びっしり車種を書き込み、教師に吐きそうな顔をされた。気持ちはわかるけど子供にあんな顔をすべきではないと思った。あの頃一番格好いいクルマだと思っていたのは三菱のギャランのクーペだった。あのオレンジ色とテールランプの形は忘れられない。とにかく街ゆく車の一台一台が、気になって仕方ない子供だった。

当時の京都の小学生は毎日、白いフォルクスワーゲン・ビートルを何台見たか数えるのがならわしだった。そんなときに教室の後の棚に池沢さとしの「サーキットの狼」という漫画を持ってきたやつがいた。一ヶ月と経たないうちにクラス全員で回し読まれ、みんなが車の形の消しゴムを買った。スーパーカー・ブームがやってきたのだ。

●スーパーカー・ブームというのがあった!

スーパーカーとは60年代後半~70年代初期に出現した、主にイタリア製のエキソヂックなデザインで超高性能な車たち、早い話がフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェのことだ。私たち小学生はそんなスーパーカーに夢中だった。

1枚10円のスーパーカーのブロマイドを狂ったように集め、高野アリーナというスケートリンクで開かれた「外車ショー」に連れていってもらった。クルマのプラモデルをいっぱい組み立てた。京都では有名な「トミタオート」にバスで連れて行ってもらい、遠くから見えるランボルギーニ・イオタの姿をカメラに収めた。

そんな小学生は私だけではなくて、行き帰りのバスにはライバルとおぼしき半ズボンの、母親を連れてカメラを持った子供がいっぱいいたし、テレビでは子供向けの「スーパー・カー・クイズ」なる番組があって、毎週池沢さとし御本人が排気音をぶいぶい言わせて子供達を魅了していた。

そんなスーパーカーブームは3年で下火になった。例のオイルショックのせいで、出るクルマ出るクルマ、みんなつまらなくなったのも理由の一つだ。ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリBBが本来の市場であるアメリカで売れなくなって、新しいモデルは出なくなるか、出ても地味なデザインに収縮していた。

最高にイカシていたアメリカ車のムスタングマッハ1は、小さなみじめなクーペになった。日本車は全滅だった。子供の目から見ても声を上げたくなるような格好いいクルマは、そのあとマツダからRX-7というモデルが出るまで全然登場しなかった。

私の世代はそのあと「アムロ、行きます!」と叫んで階段の手すりを滑り降り、ハンス・ムートがデザインした異次元のカッコイイバイク、"刀"に夢中になる。ガンダムと二輪の時代だ。自動車が無難で大人しいデザインのものしか登場しなくなっている間に、バイクが子供の夢を広げてくれた。

カワサキはライムグリーンで世界を席巻し、モアノとユービンの駆るスズキのGS1000Rが鈴鹿8耐で見せた走りに魅了されてしまった。フレディ・スペンサーが2クラスを征する天才としてデビューした。クルマはつまらなくなったが、二輪が最高に格好良かった時代だった。

しかし私がちょっと違っていたのは、そんな時代にもしっかり自動車オタク雑誌の草分け、スクランブル・カー・マガジンを読む悪い子だったということだ。

少年は高校に入ると自分のバイクを買うか、18歳になるのを待って車を手に入れようとしていた。私は結局ホンダのバイクを相棒として手に入れるが、その間もずっと、ひたすらオタクなクラシック・カーの世界に深く静かにはまっていったのだ。

●ロールス・ロイスから洋書にはまる

中学、高校と内藤陳さんの「読まずに死ねるか」というガイド本をたよりに、ミステリ・冒険小説を読み倒していた。今ではいろんなガイド本が一杯あるけれど、当時はこの本ほど頼りになる書評本はなかった。人生の恩人みたいな本だ。

そんな中でクルマが印象的な名作がふたつある。と書いただけで十河さんは多分頭の中に思い浮かべているはずだが、その作品とはもちろんギャビン・ライアルの「深夜プラス1」、もう一つはS.L.トンプスンの「A-10奪還チーム出動せよ」である。どちらも永遠の傑作だから、未読であればどなたでもお薦めする。前者はヨーロッパの男の香りでむんむんする、味で読ませる本、後者はハリウッド映画さながらに手に汗握り読める活劇本である。

この「深夜プラス1」という小説に登場するクルマが魅せるのである。前半は黒いシトロエンDS。主人公達を載せて夜のフランスを疾走する。未だに世界で最も先進的で美しいデザインの量産車と言われる名車で、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」中で未来のタクシーとして登場するくらいだ。こちらの方はフランスの大衆車だし、生産期間も長く生産台数も多いから、実車の写真を探すのは難しくはない。単行本の表紙にも、うっすら描かれている。

もう一台、小説の後半の主役、「戦車が通れるならロールスも通れるだろう」と戦艦のように登場するのが1930年製のロールス・ロイス・ファンタムIIなのである。何しろ総アルミボディを無塗装で磨き上げ、、ポリッシュ跡のヘアラインが光に反射して無数の円形に浮かびあがるようになっているのである。

この車が気になって、どんな姿をしているのか必死で写真を探した。ファンタムシリーズとは当時日本で売られていた、新車の状態でショウ・ルームで売られるロールスではなくて、基本的に注文生産の、世界各国の元首が愛用する最高級モデルである。"2"のナンバーを付けたファンタムVと言えば英国女王陛下の愛車なのだ。日本には数えるほどしか入っていない。

国内のいろんな雑誌や書籍のバックナンバーを繰っても見つからなかったので、私は次第に洋書屋に通うようになった。結論から言えば、大学に入って2年目に「深夜プラス1」に登場したそのものらしき、素晴らしいアルミ・ボディのロールスの写真に巡り会うことになるのだが、その頃には病は既に膏肓に入っていたのだった。

●思いもかけないアルバイト

大学に入ったときに、親父から、毎週バイクで高速に乗って大阪を回り、ものを配達するというアルバイトがあると言われて面接に行った。なんと関西ローカルの外車専門の自動車雑誌の編集部だった。

その内容は、大阪で月二回、名古屋で月二回開かれる、輸入車を扱う業者用の中古車オークションに参加して、その取引内容(車種、装備、程度、価格)を記録してパソコンに打ち込み、週1回水曜日に、バイクで大阪の外車屋さん14~18社を回ってフロッピーに入れたデータを配達するというものだった。

いや、最初は配達だけのアルバイトだったのだ。全員おっさん臭く見えたが、実は平均年齢25歳の編集部で「デルタ(有名ショップ)に入ったこのジャガー、Eタイプというのは分かるけど、細かいところはわからんな~―と皆で眺めていたポジを見せてもらって、「シリーズIIのクーペの後期型本国仕様ですね」と言ったら即、取材もすることになった。

月に三回、日曜日は営業部のYさんの車でオークション会場に向かい、海千山千の外車屋の親父たちとしゃべり、オークション開始のベルがなると、5分に1台落札される車達の名前と仕様を片方が読み上げ、片方が書き留める。1日の終わりにはベンツ、BMW、フェラーリ、ロールスだけではなく、アメ車、英国車実に様々な輸入車たちの膨大な価格リストが出来上がる。休み時間は出品される車を回って程度を見分ける勉強である。

それを自分で打ち込み、水曜日に大阪中の外車屋に配達して回るのである。珍しい車を道で見つけてはその前に立って演説し、友人達に煙たがられていた車オタクバカ少年は、ついに安住の地を見つけたのだった。

次週、後編では、バブル時代の大阪の外車屋とその伝説をお届けする。いや、全く「濃い」話でいっぱいなのである。

【8月サンタ】ロンドンとル・カレを愛する33歳 santa@londontown.to
・秋深し。ケニー・ロギンスの「セレブレイト・ミー・ホーム」に浸ってます。いい歌詞、いい曲、泣けますよ。

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■デジクリトーク
ちゃんこ番の空虚感。

白石 昇
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白石昇です。一ヶ月以上前にこのデジクリで、今やっている泰日翻訳言語藝作品の下訳が完了したとここで皆様にお伝えしたわたくしなのですが、その一部を何とか理解できるにっぽん語にするまでにことのほか時間がかかってしまいました。ええそれはもう重々時間がかかってしまったのです。

と、いうかその作業がことのほか時間がかかることがやりだしてすぐに明らかになったので、すねてダラダラしていたというのが実際のところなのですが。

そもそもわたくしが終了した、とほざいている下訳、と言うものが一体どの段階をもってして下訳、としているのかさえ本人自ら怪しく感じられてきた今日この頃です。

あ、どうでもいいですけどなんか今日天気がいいのでもう雨期明けたのかもしれません。もしかしたらダラダラしていたのは雨期のじめじめした気候のせいかもしれませんね。

というかそういうことにしてしまうとダラダラしていた張本人としてなんとなく気持ちが楽になるのでそういうことにしていただくわけにはいかないでしょうか?

というわけでとりあえずその完了した下訳、と臆面もなくほざいていた、微妙に意味不明であるJISコードの羅列、のうち、一章だけがようやく何とか読めるにっぽん語になりましたので、とりあえず市場出荷に向けて動いてみることにしました。ええそれはもう滞りなく動いてみることにしたのです。

しかし今までにこのようなことをした経験がないのでわたくしはとりあえず何をしていいのかよくわかりません。しかしかといって何もしなければ半年以上も収入無くダラダラとやってきたおそろしくチマチマした翻訳作業が全部無駄になってしまいます。言ってみれば一人でちゃんこ鍋大量に作ったにもかかわらず兄弟子達が食ってくれない新入り力士のような空虚感を味わうことになってしまうです。故にやるしかないのです。

とりあえずいろいろと考えてみた結果、まずは出版社様とのコンタクトが必要ではあるまいか、とわたくしは判断いたしました。経験がないなりにもわたくしは世の中のスジとして一般的な翻訳言語藝作品が市場出荷されるプロセスというものを考えてみました。ええそれはもうよんどころなく考えてみたりしたのです。

1.翻訳作業
2.著者との契約
3.出版業者のセレクト
4.出版業者との契約
5.出版

たぶんこんな感じだと思います。たぶんこれが一番スジが通る物事の運び方かと。しかしわたくしは次のようなプロセスを経ることに致しました。せっかくの市場出荷なので、ちょっと違うプロセスを経てみたかったのです。

1.翻訳作業
2.原本出版業者でのプレゼンテーション
3.著者及び原本出版業者との契約
4.編集作業
5.出版

とまあこんな感じで市場出荷を進めていこう思ったのですわたくしは。これはどういう事かと言いますと要するに、にっぽん語版の編集までを一人で執り行ない、オリジナルを出している出版社で印刷販売していただこうと思ったわけです。

ちなみにこのプロセスを経ることによって発生すると予想される利点難点その根拠等は以下の通りです。
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利点

1.安いコストで出版でき、安い商品をお客様にお届けできる
(根拠:泰日両国の物価及び人件費の違い)

2.泰国の企業に外貨が入る
(根拠:通常のやり方であれば、出版業者が日本の企業となりますので、著者以外の泰国籍の人間に利益をもたらすことはありません)

3.翻訳者の美意識が尊重される
(根拠:編集者がいないのでそれはもう当然)
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難点

1.わたくしの仕事が増える
(根拠:DTP含む編集作業が全て翻訳者の手に委ねられます。だってわたくし以外ににっぽん語読める人いないんだもん。いえーい)

というわけで、ここで言う出版業者様、というのは日本の出版社ではありません。翻訳の元となったテキストを出版している企業のことです。そういうわけでわたくしはとりあえず出版業者様に連絡したのであります。

知らない人に自分からアプローチなんかするのは大和撫子として非常に恥ずかしいのですが、事情が事情だけに致し方ありません。しなければこの半年以上の地道に引きこもっていた時間が全て無駄になってしまうのです。わたくしは意を決して受話器を握りました。ええそれはもう余すところなく握ったのです。

「RRRR」
「はいもしもし」
「あ、出版社でアルか? 違うか?」
「そうですけど」
「編集者いますか、編集者、こんな名前の。わたし日本人よ、おたく出す昔本、したよ翻訳、にっぽん語。みせたいよ翻訳」

長期に渡り引きこもっていたため、わたくし、電話での泰語会話がボロボロです。一応電話番号を聞かれ、担当者様から折り返し電話するから、と言う御言葉をいただきましたが、一週間たった今いっこうに電話などかかってきません。

怪しい日本人がイタズラ電話掛けてきたと判断された可能性大です。

電話であんなに吃りまくりの日本人がスラングいっぱい一〇〇頁以上の泰語本を訳したなどど誰が信じるでしょうか? いやわたくしなら信じません(反語)。ええそれはもうよんどころなく信じないと言っても過言ではないでしょう。

と言うわけですごろくスタートひと振り目のサイコロでいきなり振り出しに戻ってしまいました。とりあえずむこうから電話がかかってくることはまずないと思いますので次の手を考えねばなりません。つづく。

【しらいしのぼる】noboru@geocities.co.jp
言語藝人。昭和44年5月1日長崎県西彼杵郡多良見町生まれ。『抜塞』で第12回日大文芸賞を受賞。

今年の日記。↓
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▼よくわかりませんがご自愛ください

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■展覧会案内
「ニューヒーロー誕生!!」
http://www.h3.dion.ne.jp/~heroes/

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...乱れきったこの世の中で、人々は常に心の中でヒーローを求めている。
そして2001年11月、悪の手が延びた若者の街原宿で目立つべく、どこからともなくニューヒーロー達が集結した...
悪との激戦の中彼らは休息のため原宿にあるギャラリーRe-Maに集合する。

そこで明らかになる彼らの戦いぶりとは? 本当に戦っているのか!?

ヒーロー★ヒロイン展では、オリジナルヒーロー、ヒロインの活躍を応援しています。

登録隊員のキャラクターは、トレーディングカード、バッジ等のグッズにして、都内のショップやイベントで展示販売しています。

詳しい情報は、 http://www.h3.dion.ne.jp/~heroes/
で。

・イベント情報

「第1話:ヒーロー集結!」11月23日(金)~28日(水)ギャラリーRe-Ma

CAST

004:大瀧康義・・・宇宙を舞台に大活躍するスタイリッシュなヒーロー達。クールなヒーロー、キュートなヒロインのストーリーはどうなるのか? こうご期待!

007:フジモト・ヒデト・・・今まで様々なイベントを賑わせたヒーロー「スペースエース」が正式参加!! 知られざるスペースエースの活躍(?)をご覧あれ!

008:神谷一郎・・・かわいいキャラクター達の見開きマンガを公開! ストーリーはもちろん、精巧でマニアックな武器の数々は必見です。作家本人が作るオリジナルグッズも販売します。

069:船場直人・・・今回唯一のフィギュアで参加のアーティスト。ギャングスタイルを取り入れたフィギュアは全て一点モノ。二度と同じモノは作りません。フィギュアで展開される彼のストーリーは要注目です。

ヒーロー★ヒロイン展代表
高柳敦史 heroes@h8.dion.ne.jp

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■公募案内
第3回Mobii 1 フォトコンテスト
http://www.mobil.co.jp/club_mobil_1/index.html

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モータースポーツシーン、自慢の愛車、クルマと街の風景など、自動車に関わるものならなんでも自由。

最優秀賞1点(10万円旅行券、副賞富士フィルム社APSカメラ「ネクシア4100ixZ」)優秀賞1点(5万円旅行券、副賞「エクソンモービルオリジナルディレクターチェア」)デジタルカメラ賞1点(5万円旅行券、副賞「Mobil1オリジナルボストンバック」)ほか
応募方法 応募サイズ:カラープリント(サービス判~LLサイズまで、デジタルカメラによる写真も可(640×480PIXELのJPEG)または、カラーポジ(35ミリ判以上)

応募資格 プロ・アマを問わない。
締め切り 12月31日(当日消印有効)

応募先 〒105-0003 東京都港区西新橋3-15-3 上地ビル2階 
Mobil1キャンペーン事務局 フォトコンテスト係  contest@mobil.co.jp
主催 エクソンモービルマーケティング

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■編集後記(11/08)
・JPCコンファレンス1日目。広告の電子送稿がメインテーマ。たくさんのスピーカーが登場する中身の濃いイベントだった。フルデジタルワークフローとかDDCPとか、DTP初期の話題がむしかえされたような感じがした「電子送稿夜明け前」だ。電博大凸というメジャーなプレイヤーが席を同じくしたこと自体、快挙かもしれない。しかもみな同じ方向を向いている。正直だったのが広告制作者たちで、この新しい動きを歓迎はしない、これ以上よけいな仕事がふえるのはごめんだ、ト表明。しかし対応せざるを得ないだろうという結論だった。ここがばか編集者との大きな違い。よけいな仕事がふえるのはごめんだ、いまのままでルーチンワークで不都合はないト怠惰にデジタル化を怠り、今日のテイタラクを招いたのがばか編。長時間、狭い椅子に坐ってて疲れた。会場の外やスタッフ控え室のタバコには参った。午前中の講義室の廊下も煙もうもう。ああ、外出するとタバコに遭遇するのがやだねったらやだね~。(柴田)

・打ち合わせのために外出。島田氏のアドバイスでマスクをするが、マスクをして外出するなんて子供の時以来なので、すごく恥ずかしい。皆にじろじろ見られる。こういう時、人はちらちら見ないで、遠慮なく見るようだ。隣にいる人も話しかけてくる。なんなんだ? 銀行に入るともっと注目される。ちょっと面白い。地下鉄で咳がひどくなり、吐く時のようにせき込むたびに自然と涙が出てくるため、途中下車して駅のベンチでしばらく座り込む。咳が止まらず、頭がぐらぐらするので打ち合わせ断念し帰宅。連日の夜なべで、風邪がぶり返した模様。悔しくて病院に直行。今日は今日で、出かけ際に壺を落として割ってしまった。じ、時間ないのにっ。焦りながら片づけをする。遅刻だ。ついてない。悲しかったが、徐々に滑稽になり笑えてくる。いまこの瞬間に、壺を割った人って、世界にどのくらいいるのかなぁ。(hammer.mule)

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