[1019] 過酷な人生を恨まない

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1019    2002/02/01.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20140部
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 <「炎える母」>

■デジクリトーク 111
 過酷な人生を恨まない
 十河 進
 
■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
 コミュニケーション・ブレイクダウン
 堀本真理美

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 「MAKING OF GAME GRAPHICS 1998-2001」



■デジクリトーク 111
過酷な人生を恨まない

十河 進
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●宗左近さんの「炎える母」という詩集

アメリカではこけたのに、なぜか日本でヒットした「パール・パーバー」(20
01)は、最後に主人公たちが東京空襲に飛び立つところで終わると聞いて見に
行く気をなくした。真珠湾のリベンジを東京空襲で、ということなのだろうか。
アメリカ軍の東京空襲は無差別爆撃で非戦闘員を何万人も殺している。

特にひどかったのは下町である。作家の早乙女勝元さんは東京空襲にこだわり、
その記録を様々な形で残そうとしている人だが、彼の原作を映画化した「戦争
と青春」(1991/110分)は、戦中派・今井正が監督し、工藤夕貴が主演した
東京空襲を描いた映画である。

東京空襲の凄まじさは、詩人の宗左近さんの「炎える母」という詩集を読んで
以来、イメージが脳裏に焼き付き未だに消えない。僕が持っている「長篇詩・
炎える母」は1968年11月25日付けの発行で、僕は1969年の8月7日に買っている
(高校生の頃は買った日付を本にメモしていた)。

「炎える母」とは、文字通り「母が空襲によって燃える姿を見てしまった息子
が鎮魂のために書き綴った長篇詩」である。東京空襲の中、炎に追われて逃げ
まどううち息子は母の手を離し、母は炎の中で死んでいく。

息子は母を見殺しにした、いや、自分が殺してしまったのだと戦後何十年も責
め続けている。その自らの罪の意識を救済するための詩でもある。現在は思潮
社版の現代詩文庫「宗左近詩集」で読めるはずだ。

いない

母よ

いない
母がいない
走っている走っていた走っている
母がいない

母よ

これは「走っている その夜14」と題された詩からの抜粋だ。宗左近という名
前は、父親と喧嘩をし「そうさ、こんちくしょう」と居直った言葉から付けた
(二葉亭四迷=くたばってしめぇ、みたいですね)という話だから、言葉に対
する感性が特別に鋭い詩人である。

そのため、自らの罪の意識を救済する行為もいつの間にか素晴らしい言葉の連
なりになってしまうきらいがあるのだが、特に「その夜」と題されたシリーズ
の言葉の躍動感は素晴らしい。だからこそ、30年以上も前に読んだ詩が僕の脳
裏に東京空襲のイメージを焼き付けたのだ。

走った
火の蛇
火のノレン
火の電車
火の崖崩れ
火の戦車
火のクレーン
火を火のなかに抱いて連鎖爆裂する火の玉の数珠
火の石を積みあげ重ねあわして飛散する火の城の石垣
走った
つきぬけてとびこえてかいくぐってはいつくばって
走った
炎えている
外側だけとなっているおのれのなかを
炎えている
内側だけとなっている焔のなかを
走った
(炎の海 その夜13より抜粋)

●四人部屋の人々

昨年、急性胃腸炎で5日ほど入院した時、点滴をして寝ているだけだったから
何もできず、これ幸いと長めの本ばかり読んでいた。上下2巻を一気に読了し
た都筑道夫の自伝エッセイ「推理作家の出来るまで」の中にも、東京空襲の模
様が詳しく記述されていた。

都筑道夫は今の新宿区の江戸川橋あたりに住んでいたらしいのだが、炎の壁が
迫ってくる描写は淡々と描いているだけに余計に鬼気迫るものを感じた。ただ、
それから50年以上の時間が流れ、ほとんどの人は東京空襲のことも広島や長崎
の原爆のことも忘れて生きている。僕だって、そんなことは本でしか読んだこ
とはないし、身近な記憶ではなかった。

病室は四人部屋だった。読書に飽きてぼうっとしていると、時たま隣の人や向
かいの人が話しかけてくる。斜め向かいの40代らしき人は、車の運転中に発作
に襲われて運び込まれたらしいのだが、もうだいぶよくなっていて、ことある
ごとにタバコを吸いに行き医者に怒られていた。「死んでもいいのか」と医者
は本気で怒っていた。

彼のところには、毎日、夕方になると娘がやってきた。今時、珍しく真面目で
田舎っぽい格好をした高校生で、病院の近くの高校に通っているらしい。その
高校は有名な公立の進学校で、自由な校風で知られている。僕の娘と歳は変わ
らないように見えたが、少し幼い感じがした。

日曜日の夕方に奥さんがやってきた。ふたりでカーテンを引いた中で何かぼそ
ぼそと話していたが、漏れてくる言葉から推し量ると何だか深刻な話である。
僕などは急性胃腸炎で気楽なものだが、彼は四十半ばだというのに「リハビリ
がどうとか」という話が聞こえてくる。人ごとながら、少し暗くなった。

隣の80近くのおじいさんは前立腺肥大の手術を控えていたのだが、夜中に30分
おきくらいにトイレに通うので、そのたびに僕は目が覚めてしまう。もっとも、
僕も点滴だけしているのだが、水分はずいぶん摂っているのか夜中にもトイレ
に起きる。血管に射し込んだ針が抜けないようにして、点滴の袋が下がったス
タンドをガラガラと押してトイレに通う。何だか情けない。

対面に入院していたガリガリに痩せたおじさんは、割りに若く見えていたのだ
が、もう70歳近いのだという。四人部屋の中では最もおしゃべりで、人のいい
感じだった。看護婦さんにも気軽に話しかけるし、身の上話も構えずに話す。
僕が本ばかり読んでいるので「ちょっと話を聞いてよ」という雰囲気で話しか
けてくる。

加藤嘉という俳優がいた。僕がものごころついた頃から老人の役しかやってい
なかったような記憶があるが、向かいのベッドのおじいさんは加藤嘉によく似
ていた。加藤嘉は「砂の器」(1974/143分)ではハンセン病を患って巡礼姿
になり幼い息子を連れて日本中を漂白する役をやっていたが、おじいさんの雰
囲気はその時の加藤嘉にそっくりだった。

僕は秘かに、向かいのベッドのおじいさんを加藤さんと名付けた。ある時、加
藤さんは僕と目が合うといきなり身の上話を始めた。誰かに聞いてもらいたか
ったのだろう。それも、もう二度と会わないだろう人間に……。

●加藤嘉に似たおじいさんの身の上話

――俺はね、女房も子供もなくしちゃって、もうホントにひとりなのよ。身軽
なもんでさ。ホントは、もう退院できるんだけど、帰っても一緒にいる姉に世
話かけるだけだから、ここにいた方がいいんだよ。

加藤さんは、深刻な話のわりには剽軽な口調で話し始めた。言葉の端々に「も
う死んでもいいんだよね」という感じが伝わってくる。僕が「まだまだ、これ
から何かいいことがあるかもしれませんよ」などと口先だけの慰めを言っても、
「いや、いいんだ。俺はもう楽になりたいんだ」と笑いながら答える。諦めと
いうのでもない。悟りとも違う気がした。

加藤さんは東京の王子に生まれ育った。姉と弟がいて、父親は王子で何かの職
人をしていたらしい。昭和初期の職人の家だからそんなに余裕はなかったが、
家族五人が暮らしていくには充分な収入もあり、毎日が楽しかったという。

近所の子供たちと遊び回り、夕方になると家に帰る。家族で食卓を囲んで食事
をする。ラジオから徳川夢声が朗読する「宮本武蔵」が流れてくる。武蔵とお
通の悲恋に心をときめかしたりした。

時々は、父親が活動写真に連れて行ってくれる。最後に父親と一緒に見た映画
は昭和18年に封切られた「姿三四郎」だった。監督は新人で黒澤明という名前
だった。加藤さんはその時、10歳だった。隣に姉と弟が一緒だった。今から思
えば、戦争はもう敗色が濃くなっていた時期だったが、そんなことはよくわか
らなかった。

昭和20年の初め、空襲が頻繁になった頃、両親は子供たちだけを田舎の親戚に
預けることにした。集団疎開より、兄弟が一緒の方がいいだろうと判断したの
だ。加藤さんは12歳になっていて、姉は14歳、弟はまだ9歳だった。信州の親
戚に預けられたが、そんなに近い親戚ではなかった。露骨に迷惑がられること
はなかったが、子供心にも肩身の狭さを感じていた。

――姉と弟と集まっては「東京へ帰りたい」と話していたよ。弟がよく泣いて
ね。そんな時、東京がひどい空襲にやられて、下町はほとんど焼け野が原だと
いう話が伝わってきた。そんなこと聞いたら、よけいに帰りたくなっちゃう。
両親が心配でね。でも、しばらくしてふた親とも空襲で死んだと知らせがきた
んだ。

その時の加藤さんたちの気持ちを僕は想像した。両親を亡くした戦災孤児にな
ったのだ。悲しみと心細さと、どうしようもないやり切れなさ。しかし、加藤
さんは「自分がしっかりしなければ」と、姉と弟を守る長男としての責任を感
じたという。

●東京空襲で両親を亡くした後に……

終戦後、もう親戚の家にやっかいになっているのが厭になった加藤さんは、ひ
とりで東京に帰り職を見付けて働き始めた。13歳にはなっていたが、そんなに
稼げるわけではない。それでも、一刻も早く弟と姉を呼び戻すために懸命に働
いた。翌年、姉と弟を呼び戻し貧しいながらも三人の暮らしが始まった。

子供たち三人の暮らしが大変だっただろうということは想像できるが、加藤さ
んはその頃の話は飛ばして、いきなり昭和30年になる。二十歳を過ぎ、加藤さ
んはいい金になると聞いたので運転免許を取りタクシーの運転手になる。

その頃のタクシーの運転手はもうかった、と加藤さんは懐かしむ。結婚したも
のの子供を作って離婚して戻ってきた姉と甥を養い、弟を学校にやっていたの
で、とにかく金が必要だったのだ。

タクシー業界に10年いて、その後、ハイヤーの運転手になった。ハイヤーの運
転手はチャーターだから楽だったのと、チップの収入が大きかった。テレビ局
と契約していた会社だったから、野球や相撲の中継に行くスタッフを運ぶ仕事
などもあり、スタッフの仕事が終わるまでは待機していなければならないが、
その間は野球や相撲を見て過ごせた。

60歳で定年退職したのだが、ずっと運輸関係で働いた経験を買われて産業別労
働組合から誘われた。そこで5年間、専従役員として地域と産別の労働組合運
動に従事した。

――そこも65歳でやめて、今は、もう何もないのよ。それでも躯が痛くなりゃ
病院へきてしまう。もう、いいのにさ。痛いのは我慢できないもんね。

加藤さんの詳しい病名は聞かなかったが、もう手術は終わって退院を待つばか
りになっていた。加藤さん自身が言うように「いつ退院してもいい状態」だっ
たのかもしれない。

僕は、加藤さんが一度も妻子のことを話さなかったのが気になった。遠い昔の
両親の死は話せても、自分の妻子については話したくないのだろうと、僕はた
だ聞き役だけに徹していた。

しかし、加藤さんの話は僕に深い印象を残した。13歳から働きづめに働き、両
親を亡くし妻子を亡くし、孤独に70歳を迎えようとしている加藤さんの表情に
は不思議な透明感があった。

自分の人生を憐れんでもいないし、ひどい人生だったと恨んでもいない。いい
こともあったし、悪いこともあった、そういうものだ、と加藤さんは言ってい
るのだと僕は思った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
出版社勤務。寒くなったので、利根川の土手に車を駐めて車内でサックスの練
習をする。しかし、車に犬を乗せて散歩に連れてくる人が多いのに驚いた。犬
の散歩を請け負う仕事が話題になっていたけれど、なるほどこれなら商売にな
ると思う。そう言えば、最近、柴田さんちのハニー号は元気か?

投げ銭フリーマーケットに旧作掲載
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■デジクリトーク 金曜ノラネコ便
コミュニケーション・ブレイクダウン

堀本真理美
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先日、新橋の駅前で携帯電話で楽しそうに話しながら歩いてゆく初老の女性を
見かけました。サラリーマンの聖地で、キャリアウーマンというよりはいかに
もフツーの主婦が……。ちょっとびっくりです。いまや携帯電話を持っていな
い人のほうが珍しい時代、そんなことで驚いているほうわたしのほうが珍しい
でしょうか。

さて、皆さんが日頃一番良く使うコミュニケーションのメディアって何でしょ
う、やはり電話ですか? 以前ニュース番組で見たのですが、近ごろの小学生
はダイヤル式(公衆)電話のかけ方がわからないのだとか。生まれたときから
家にプッシュッホン(しかも子機つき)が当たりまえのようにあるんじゃ、そ
れも仕方がないのでしょうか。それでも、数字の書いてある丸い穴を一生懸命
押している小学生を見て、わたしは「う~ん」と唸らずにはいられません。

デジタル業界に関わっている方々は電子メールの使用頻度が電話を上回る場合
も少なくないでしょうね。今となっては笑い話ですが、電子メールがそれほど
普及していなかった頃、「メール送ったんだけど、届いた?」なんて電話して
しまった、という話も聞きましたよね。電話のように時間を気にせず済むとい
う点で電子メールは非常に便利です。けれど、文字だけのやりとりでは気をつ
けるべきことも多く、時々身の引き締まる思いもしたりしますが……。

例えば仕事のメールで、「○○の件ありがとうございます。了解しました。と
ころで、先日の××は△△でよろしかったでしょうか?」というメールを書く。
返事が来る。「お世話になっております。××の件は△△で結構です。よろし
くお願いします。」というやりとり。で、ここで終わりにするのか、もう一度
了承したという意志を返信すべきなのか迷ったり、あまり儀礼的過ぎるのも良
くないし、くだけ過ぎる文体も良くないし…、などと急に不安になったりしま
す。実際の内容や相手との親しさなどで対応は変わってくるとは思うのですが、
皆さんも一度はそんな経験があるのでは。

さて、わたしはプライベートでも電子メールでのコミュニケーションが電話の
それをやや上回っている感じなのですが、それはここ最近のことです。学生時
代の友人で連絡が続いてる、かつパソコンを使いこなしている人、となるとそ
う多くないですから、電子メールでのやりとりが自然に成り立つのは社会人に
なってからの友人、ということになります。つい最近ネット(&ケータイ)デ
ビューした学生時代の友人が言った、のけぞるような一言が記憶に新しい…

「メールチェックして、なんにも来てないとイヤだ(サミシイ?)から毎日は
チェックしないの」

しないのって……おいっ! そりゃ仕事じゃないからそれで困ることもめった
にないでしょうが、すかさずツッこみました。そんな彼女とは今まで急がない
用件はファクスレターやお手紙で連絡を取り合っていました。それはそれで楽
しかったのですが、電子メールが使えるならもっと活用したいところですよね。

ところがわたしには、もっと上を行く、つまりスムーズにコミュニケーション
が成り立たない友人もいます。

10年来の友人Hちゃんは、携帯電話を持っていません(でもなぜかポケベルを
持っている……)。彼女はサービス業なので仕事中に電話に出られないのはわ
かるのですが、勤務時間外でほとんど連絡が取れたためしがないのです。なに
しろ自宅の電話に、深夜を含む様々な曜日や時間帯にかけてみるも、ほぼ毎回
留守電。もちろんファクスもついていない。思い出したように手紙やカードを
送っても筆無精な彼女からめったに返事は来ない。でも年賀状だけは毎年ちゃ
んと来るので嫌われてはいない、はず。

電話もファクスもメールもなかった時代は、直接で口頭で伝えるか手紙を書く
しかありませんでした。いまはいろいろ便利になったけれど、それはそれで案
外不便なのかもしれないと感じること、ありませんか? 

わたしを含めてインターネット上で日々の雑記など書いている人は、かるーく
友人に電話をして「今日さぁ~こんなことがあってね…」と話そうと思っても、
それをネット上で書いて終わらせることも少なくないはず。そして、実際には
誰とも話していないのに、なんとなく「話をした」気になったりするのです。

誰とでも速やかで健全なコミュニケーションを取るにはいったいどうすればい
いのでしょうか……。

●今週の画像
http://www.macforest.com/dgcr/003.html
コレってレアな風景?

【ほりもと・まりみ】boxmh@air.linkclub.or.jp
晴れた日にはクロスバイクで下町の路地裏を走り抜けノラネコ・スポッティン
グ。2/12発売の『月刊猫の手帖』にフォトエッセイの連載が始まります。猫好
きな皆さん、買ってね♪
・box
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コンテ、小さくしか紹介できなかった素材や削ってしまった本文なども取り込
んでいます。これからアミューズメント/ゲーム映像を学ぼうとしている人、
すでに業界で働いている人、CGを趣味として楽しんでいる人など幅広い読者を
ターゲットとした別冊です。

ここに注目(1):連載時では小さくて読み取りにくかった画像を大きく! 数枚
しか掲載できなかった絵コンテなどを追加することでメイキング記事をよりわ
かりやすくしました。

ここに注目(2):過去に紹介してきたシリーズモノや同ジャンルをまとめるこ
とで、シリーズを通じた制作体制の変化、技術進歩を時間軸で知ることができ
るようになっています。また同ジャンルをまとめることで趣味性も向上し、CG
に興味のなかったファンの人へもオススメできる内容となっています。

ここに注目(3):掲載している17本のゲーム映像(全20本)をCD-ROMに添付!
連番画像だけではわかりにくかった完成映像をパソコン上で再生させられます。
過去の映像も添付できれば、その映像欲しさに購入する人が出てくるかもしれ
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ここに注目(4):CGについての知識を持たず本別冊を購入する人に向けて、CG
についての解説を冒頭に用意。本別冊用にゲームCGへ特化した内容となります。

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■編集後記(2/1)
・先日アドビのAcrobatビジネスイノベーションフォーラムに行った。Acrobat
がビジネス分野でどう使われているかを聞くのが目的で、キーノートはお飾り
みたいなもんだろうと思っていたら、とんでもない、多摩大学学長の中谷巌さ
んの話の面白いのなんの。経済に関しては先日の「新潮45」オバはん編集長な
みの知識しかなかったわたしだが、話の内容に納得の連続。聞かなかった人に
教えたくなって、MacWIRE-Dにレポートを送った(ボツにならなければいいな)
アドビのプレゼンで知ったのだが、47都道府県のすべてのWebサイトで情報公
開にPDFを使っている。また、PDFフォーマットの申請書ダウンロードサービス
を実施している都道府県は46、PDF以外のフォーマットを採用している県が1。
プレゼンではこのことにふれなかったが、プレゼン画面を見ていてそれが香川
県であることがわかった。家に帰ってからアクセスしたら、香川県はWordがメ
インで、Wordのない人用にexeの表示のあるビューワのついた実行ファイルが
あった。なぜだ? 香川県には世の中PDFに流れていくなかで敢然と流れに棹
さす(?)硬骨の役人がいるのか。いずれにしろ、電子政府の裏にはアドビあ
り、アドビ恐るべし、ってかんじがする。            (柴田)

・成功者といわれる人に必ず聞くのが「なぜ成功したと思うか。原因は?」だ。
いろんな回答を聞くことになるが、印象的だったのが「健康」だった。最近、
健康に気遣うようにしている私としては嬉しい答え。「健康でいるとね、焦ら
なくていいんだ。長いスパンで物事を見ることができる。粘りも出るしね。ベ
ンチャーの人は、短期間で成功を望み、一時的な成功はあっても続かない。僕
はね、マイペースで進めているんだけど、いつのまにかライバルは自滅してい
くんだ。ライバルなんて意識したことないけどね、周りの言うライバルの話。
で、そのライバルの育てた人材や、ノウハウ、附属価値までもが転がり込んで
くるんだ。自然と大きくなるよね。はじめるのは簡単だけど、続けるのは難し
い。だけど続けていたら、いつのまにか勝っているものなんだよ。成功を急い
ではダメだと思うな。」もちろん健康だけが取り柄という人ではない。頭もい
いし決断力もある人だ。だからこそ、気になった言葉だった。(hammer.mule)

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編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 

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