[1386] 絶え間ない悲しみ

投稿:  著者:



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1386    2003/09/19.Fri発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 20155部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:info@dgcr.com
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

           <若気の至り、無謀の極み>

■映画と本と音楽と… 184
 絶え間ない悲しみ
 十河 進

■かりん島
 尺八ライブショーin陶芸喫茶
 北川かりん

■ライフスライス研究所
 オリジナルデジカメ開発奮闘記(2003年9月19日金曜日)
 第27回「モノクロの記憶、カラーの記憶」
 ユビキタスマン

■イベント案内
 IT減税セミナー+ITカフェ・オープニングイベント『eでビッグになろう!』





■映画と本と音楽と… 184
絶え間ない悲しみ

十河 進
───────────────────────────────────

●ウッドベースの巨大さ

ウッドベースは巨大な楽器である。ほとんどの人の背丈より高い。有名なベー
スマン(ベースを弾く人はベーシストと呼ばれるが僕はベースマンと呼びたい。
ヘイ、ミスターベースマン)は、縦に長い人(ロン・カーター、クレイジー・
キャッツの犬塚弘、ドリフターズのいかりや長介など)が多いのだが、それで
も頭の上に左手を伸ばして弦を押さえている。

僕は、ウッドベースが大好きでピアノ・トリオの演奏でベース・ソロが始まる
と、いつまでも聴いていたいと思う。ウォーキング・ベース、ランニング・ベ
ースと言われるリズムを刻むベースを聴いているだけでリラックスできる。ポ
ール・チェンバースのリーダーアルバム「ベース・オン・トップ」は僕の愛聴
盤だ。指で弾くのもいいが、弓弾きも心が落ち着く。

よく知られている作品だが、人も車も通っていない早朝のニューヨークの街を、
ウッドベースを抱えて歩くジャズプレイヤーの写真がある。男はコートを着て
帽子をかぶり、ソフトケースに入れたベースを抱えて信号を渡っている。ジャ
ズクラブで夜通しステージに立っていたのであろう、彼は大きなベースに腕を
回し抱え上げるようにして車道を横切っている。

この写真は、ジェームス・ディーンの写真集で有名なデニス・ストックが1959
年に撮った。翌年、「ジャズ・ストリート」というタイトルの写真にまとまっ
たが、ここに写っているのはビル・クロウというベースマンである。

白人のビル・クロウはウェストコースト・ジャズ全盛の頃にスタン・ゲッツや
ジェリー・マリガンなどのバンドでプレイをしていたが、元々、ニューヨーク
のジャズクラブ「バードランド」が彼のジャズの学校だった。

三十年後、ビル・クロウは交流のあった多くのジャズメンのエピソードを交え
て自伝を出版し、1996年に日本で翻訳が出た。「さよならバードランド」とい
うタイトルのその本は村上春樹さんによって訳され、詳細なディスコグラフィ
ーが付けられた。その本の表紙は、デニス・ストックの写真を元に和田誠さん
がイラストにしたものだった。

僕も一度だけ、ステージでウッドベースを弾いたことがある。ステージといっ
ても、高校の文化祭でのことだ。しかし、たった一度、たった一曲のために僕
は数カ月の練習に励んだ。

ギターと違ってベースのネックにはフレットがない。押さえる位置を間違える
と音程が狂うし、第一、あの太い弦を力いっぱい押さえないとブレて音になら
ない。相当に指の力が必要になる。その頃、体重が50キロもなかった僕にそん
な力があるわけがない。それに、音符も読めず音楽的才能が皆無の僕は、チュ
ーニングさえろくにできなかった。

思い返せば、若気の至り、無謀の極みだった。よく、あれで人前で演奏したも
のである。しかし、あの経験があるから、僕は今も時々「昔、一度だけベース
マンになったことがあるんだ」などと自慢できる。記憶の中の僕は、まるで北
欧の名ベースマン、ニールス・オルステッド・ペデルセンのように自在にベー
スの弦をはじいている。

●もぐりの軽音楽同好会会員

──お前も、何や一曲参加せんか。正式な会員やのうても、いろいろ手伝うて
もろとるし……

軽音楽同好会の会長である馬場君が僕にそう言ったのは、高校三年の夏休み明
けのことだった。卒業アルバムのための撮影が終わった後だった。僕は軽音楽
同好会の正式メンバーではなかったが、中学の時から仲のよかった児玉君に頼
まれていろいろと手伝っていた。

元々、軽音楽同好会は児玉君と馬場君が何人かの仲間を集めて高校二年の時に
立ち上げたものだった。僕はシンパみたいな立場だった。音楽は好きで、中学
の頃は放課後になると児玉君とよくレコード屋へ寄っていた。中学の頃からマ
ンドリンが弾けて音楽的才能にあふれていた児玉君と違って、僕は実践する方
はまったく駄目だったが、二年の秋の文化祭ではステージで司会をつとめた。

そんな関係だったので、部ごとの卒業写真を撮る時にも僕は一緒に写ることに
なった。馬場君は「ソゴーは、これ持って後ろの列」とトロンボーンを差し出
した。「えっ、一度も吹いたことないで」と言うと、「大丈夫。音は写らん」
と馬場君はクールに答えた。

そんなわけで、卒業写真集の「軽音楽同好会」とキャプションが付いた写真の
中に僕は吹けもしないトロンボーンを抱えて写ることになった。経歴を詐称し
たような僕の気分を察したのか、馬場君は一度だけでもステージに上げて正式
メンバーとしての実績を残させようとしたのだろう。渋る僕に馬場君は畳みか
けるように続けた。

──何かできるやろ。聴き込んどるもん、ないんか。
──PPMなら中学から、ようけ聴き込んどるけど。
──それ、いこ。好きな曲あるやろ。
──SORROWいう曲がある。ファーストアルバムに入っとる。「悲しみ」いう意
味や。「アイ・アム・ア・マン・オブ・コンスタント・ソーロウ」いう出だし
なんや。私は絶え間ない悲しみを抱えた男……

ピーター・ポール・アンド・マリーは、1962年にファーストアルバムを出した
フォーク・トリオだった。ピーター・ヤーロウ、ポール・ストゥーキー、マリ
ー・トラヴァースの三人である。ピーターとポールの男声にマリーの美しい声
が重なり、心地よいハーモニーを聴かせてくれる。伴奏はピーターとポールが
弾く二本のギターだけというのが基本だった。

──PPMなら、学校も文句言わんやろ、と馬場君は言った。

当時、校内ではエレキギターの演奏が禁じられていた。校内だけではない。公
共の施設ではエレキギターを使った演奏はプロでも受け付けてもらえなかった。
だから、馬場君と児玉君はサイモンとガーファンクルの曲をやる予定だったし、
軽音楽同好会全員の演奏はジャズ・アレンジ「パリの空の下セーヌは流れる」
に決まっていた。

僕もギターは持っていた。それもクラシックギターとフォークギターの二本で
ある。しかし、いくつかのコードを押さえられるくらいで、一曲、ハーモニー
を合わせながら弾くのは無理だった。そこで馬場君は言い切った。

──ソゴー、ベースやれ。押さえるとこは横に目印のシート貼ってやる。チュ
ーニングは俺がやったる。弦を順番にリズムをとって、ボン・ボン・ボンや。

その日から僕の特訓が始まった。しかし、大きな問題がひとつあった。軽音楽
同好会には女性がひとりもいなかったのである。

●悲しいほど美しい歌声が甦る

──二年の時のお前のクラスにAさん、おったやろ。きれいな声しとる……
──ああ、きれいな声や。澄み切った声とは、ああいうのを言うんやろな。
──Aさん、スカウトしよか。お前、頼んでみい、と馬場君は気楽に言った。

Aさんは目立たない生徒だった。長い髪を後ろでふたつにわけて結んでいた。
ふっくらした丸顔で、つぶらな黒い瞳が時にキラキラと輝くことがあったが、
いつもおとなしく本を読んでいるようなタイプだった。僕は二年の時に同じク
ラスだったが、三年になって彼女は女生徒だけのクラスになっていた。

僕の高校は、一学年に760人ほどいたが男子は全員が進学を希望した。女子の
中のわずか数十人が就職希望者だった。三年になると進路別にクラス分けがさ
れるから理科系志望の連中は男子ばかりの組(野郎組と呼ばれた)になること
が多く、就職組は女子だけのひとクラスになった。

Aさんとはあまり話したこともなかったし、自意識過剰気味で女子にはまとも
に話しかけられなかった僕は、ある日の放課後、女子組の教室の戸口に立ち近
くにいた女生徒に「Aさん、おらん?」と声を掛けた。それだけでも、当時の
僕には相当な勇気が必要だった。

──ソゴーくん、Mさんに言いつけるで、と誰かの声がした。

その声で、僕は頭に血が上ってしまった。Mというのは、後に僕のカミサンに
なる女生徒であるが、当時はそんな関係ではもちろんない。戸口に出てきたA
さんに向かって僕はしどろもどろになりながら話をした。「PPM、知っとる?」
とか、「軽音楽同好会いうんは」とか、自分でも訳がわからないことを話して
いるなと思ったが、筋道だった話ができなくなっていた。

──ええよ、私でええんなら。

僕に同情したのか、話の途中でAさんはうなずいた。その時も黒目勝ちの瞳が
キラキラと輝いた。うなずいた拍子に顎が二重になったが、それがとてもかわ
いく見えた。やさしい人なのだ、と僕は思った。

Aさんをスカウトしたことは成功だった。美しい高音、澄み透る声、何と形容
しても彼女の声を実際に聴いた人間以外にはわからないだろう。おまけに音程
はしっかりしていた。僕は弦をブラしてはいけないと指に力を込めていたし、
リズムを狂わしてはいけないと頭の中で数を数えながら弦を弾いていたのだが、
時々、彼女の声に耳を傾けている自分に気付き我に返った。悲しくなるほど、
透明感のある声だった。

Aさんがメインヴォーカル、児玉君がギターを弾きながらハーモニーをつけ、
僕がベースを弾いて、時々、低音部のパートを歌う。そんな構成でPPMの「悲
しみ」を僕らは練習した。僕はその一曲だけだったが、Aさんは児玉君と組ん
だり、馬場君と組んだりして何曲も歌うことになった。僕は彼らの練習を聴く
のが楽しみだった。

校舎の中庭にあった大きな銀杏の葉が黄色くなった頃、文化祭が始まった。軽
音楽同好会のステージは成功だった。Aさんの声は多くの生徒を魅了した。僕
も何とか失敗せずにつとめあげた。その日、ライトを受けてAさんの瞳はいつ
も以上にキラキラと輝いていた。

……Aさんが病気で亡くなったと知ったのは、それから三十年ほど経ったある
日のことだった。その日、新しく作られたという高校の同窓会名簿が送られて
きた。懐かしい名前を見ながらパラパラとめくっていた僕の手が止まる。Aさ
んの名前があった。その備考欄には「病没」と記されていた。

その時の気持ちを形容する言葉はない。三十年、会っていなかった。彼女は僕
の人生とまったく関係のない人になっていた。だが、僕の記憶の中では十八歳
のままの彼女が生きている。それなのに、彼女はもうこの世にいないのだった。
それは、とても理不尽なことに思えた。

彼女は、その後、どんな人生を送ったのだろう。あの日、文化祭のステージで
拍手を受けたことを、忘れなかっただろうか……。そう思った時、Aさんの悲
しいほど澄み切った歌声が聴こえてきた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
すっかりウィンドウズ使いになってしまった私。自宅でXP、会社で98。デジク
リ原稿だけマックOS9.2を使用。マックOSXはXPとよく似ていて、ほとんど違和
感はない。右クリックだけはないけれど。

旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■かりん島
尺八ライブショーin陶芸喫茶

北川かりん
───────────────────────────────────
Iさんが絵を売ってもらっている喫茶店が堺にあるというので、今回私と、友
人のTさんの二人が、Iさんにその店に連れていってもらった。

その店は小さな箱のようで、大きなガラスの向こうにはマスターが見えている
のだが、どこから入るのかわからず、店のまわりをうろうろしてしまった。

そして、ようやくドアを見つけて中に入ると中から変なおっさんが出てきて、
ハッと驚いた表情で、「マ、マスター、リ、リクエスト、リクエストー!」と、
私達の顔を見つめながら叫びだした。こっちがびっくりするやんけー。

そうすると、中にいたマスターがしかめっ面で「うちには有線はない。」と、
そのおっさんに答えた。しかし、そのおっさんはおかまいなしに、「デュエッ
ト、デュエットするんやー!!」とまた叫んだ。

もう既にその時点で非常に帰りたくなってしまった私だったが、マスターがそ
のおっさんを追い返したので気を取り直して、席に着いた。

店には所狭しとマスターが焼いた陶芸の小物が置かれている。そして、ここで
は、マスター直伝による教室が開かれているらしく、「尺八教室」「陶芸教室」
「詩吟教室」「書き方教室」と書かれたビラが、狭い店内にもうええっちゅう
ほど貼られていた。

マスターは、非常にズラっぽい頭で、分け目が少しずれており、女形のような
優雅な手振りを加えて「わたしはねー・・・」と崩れた体を揺さぶって喋って
いた。あまりに狭い店内なので、マスターを抜かして会社のうだ話などできる
雰囲気でもなく、私達はひたすらマスターに気を使った。

「うわー、このお茶碗きれいですねー。これも作られたんですかー?」
「あー、それはね、買ったやつ。私の作ったのはね、これ」
と言って小さなしょーもない土瓶みたいなものを指した。

言うまでもなく、店内はシーン。盛り上がることはなかった。これではいけな
いと思ってIさんが、「今でも尺八は吹いていらっしゃるんですか?」と、問
い掛けると、「ううん、全然。最近は、ほら、そこにギターがあるでしょ。そ
れで、先に伴奏をテープにとって、それに合わせて吹くだけ。"遠くに行きた
い"って曲知ってる? あれとかね。もう、この年になると、演歌ばっかりよ」

私達は何と返していいのかわからず、黙ってズズーッと抹茶をすすっていた。
すると、今までかかっていたクラッシックが止んで、ギターの音色が流れてき
た。ハッ、もしや、これは!? と思っていると、突然マスターが尺八で「遠
くへ行きたい」を演奏しだした。多少びっくりはしたが、いや、かなりびっく
りしたが、初めは黙っておとなしく演奏を聞いていた。

折りしも外は雨。この寂しげなメロディーを酔いしれて吹き上げるマスターを
見ていると、突然私の肩が震えだし、笑いのパニックに襲われた。しかし、今
ここで笑っては、Iさんの絵を売ってもらえなくなる。必死にこらえて、Iさん
の顔を伺ってみると、ああ、何ということか、Iさんの口の端が引きつって上
がっているではないか!

やっぱりー! と、思いつつも笑ってはいけないので、目線をそらして外を見
ると、雨がよりいっそう激しく降ってきて、まるで「あほーー」と言っている
ようで、やっぱり笑ってしまいそうになる。

仕方がないので自分の足元を見ると、笑いを我慢しているせいで足が震えてい
る。マスターは目をつぶって酔いしれて演奏を続けている。もう、あかん!
と思った瞬間、尺八の演奏が止んだ。

とにかく、笑っているのが悟られないように、Iさんが社交辞令で、「なんか、
こんな雨の日にそんな曲を聴くと寂しくなりますねー」と、ニコニコしながら
言った。私もニコニコする振りをして、さっきの笑いを吐き出した。

すると、マスターは「フフッ」と笑って尺八を吹き始めるではないか!?
その間は、実は間奏だったのである。

その後、マスターは3コーラスも延々と吹き続け、私はIさんの為に必死で笑い
を我慢した。あの後、詩吟でもやられていたら、絶対笑っていたと思う。六畳
一間で向かい合って尺八を吹かれた経験のない方は是非この店をお薦めする。
腹筋が鍛えられる事うけあいである。

追記: Tさんに「あんなに真剣にやってる人を笑うやなんて、あかんやんかー。
でも、あの人マイペースそうやから笑われてもきっと何とも思わんかもなー」
と、叱られた。

【北川かりん】
●TASU ART WORK
http://www.h3.dion.ne.jp/~tasu/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ライフスライス研究所
オリジナルデジカメ開発奮闘記(2003年9月19日金曜日)
第27回「モノクロの記憶、カラーの記憶」

ユビキタスマン
───────────────────────────────────
2004年3月3日に独自仕様のコミュニケーションツールカメラを発売することを
目標に、それまでの道のりをレポートする本連載。今回は、両国の江戸東京博
物館で行われていた展覧会でのお話です。

ライフスライスはパーソナルなツールであると同時に、21世紀の人類の生活を
記録するツールにもなりえます。そういった観点から、今私は過去の時代を記
録したものに対して非常に興味があります。江戸東京博物館で行なわれている
「東京流行生活展」は、さまざまな写真や製品で庶民の生活を回想する展示で
す。(11月16日まで)

特に「今和次郎のフィールドノート」は興味深いもので、実物のノートを見る
のは初めてでした。今和次郎は、考古学で使う手法を現代を分析する手法に応
用する「考現学」を提唱した人であり、ライフスライス研究所のメーリングリ
ストでもたびたび話題になっていました。展示物の中でも、おもしろかったの
が「丸ビル内における女性の徘徊ルートの記録」というスケッチで、それは目
をつけた女性の格好から行動まで逐一スケッチしてあるものです。丸ビルの平
面図に「ハンカチ売り場に15分、トイレに5分、その後食堂でコーヒーをひと
りで飲んで20分」と、矢印で記されておりほとんどストーカーです(笑)

ライフスライスによる記録があれば、明治の生活も生活者の視点で記録されて
おもしろい資料になっていただろうなと思いました。実際、現在もライフスラ
イスで記録すると「携帯」や「パソコン」「コンビニ」が誰の一日の中でも登
場します。この三大接触メディアも5年後には、なにと入れ替わるか? など誰
にも予想できませんね。

もうひとつ鮮烈な印象だったのが「終戦直後 カラースライドによる東京風景」
です。これは、マッカーサーを訪ねた昭和天皇を撮影したことで有名なアメリ
カ従軍カメラマン、G・フェーレイスによる風景写真の展示なのですが、例え
ば焼けこげた三越本店の前に無傷の和光が今と同じようにあり、その前に緑の
軍服のMPともんぺ姿の女性などが写っているのです。

モノクロの印象が一般的な終戦直後の日本の風景をカラーで見ると、突然現代
とのリンクが復活するような気がしました。この展示20枚ほどのスライドのル
ープなのですが、そこには多くの人が足を止めていて何回も見入っていたのが
印象的でした。その姿は、まるで記憶の糸口をつなごうとしているように見え
たからです。

現存する最古のライフスライスは2002年の3月のデータですが、少なくとも私
たちは21世紀初頭の日本人の生活に関しては有用なデータを保有していると言
えます。ライフスライス研究所では、「21世紀人類体験博物館」プロジェクト
を企画中です。さまざまな職業に携わる人の「体験」を記録、アーカイブして
いくプロジェクトです。ご興味ある方、ぜひメール下さい!

ライフスライスブランドカメラ発売まであと169日!

※東京流行生活展
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/2003/ki_9-13.htm
 今和次郎
http://www.michinoku-yume.net/myn/db/db01-m001-t019.php3
 大戦中のカラー写真についてのコラム
http://www.tdc.cc/plamo/zasso/wartimephoto.htm

ユビキタスマン(川井拓也) jp_kawai@lifeslice.net
http://www.lifeslice.net/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イベント案内
IT減税セミナー+ITカフェ・オープニングイベント『eでビッグになろう!』
http://www.itcafe.org/
───────────────────────────────────
自主的交流・マッチング・新ビジネス創生を目指して、IT系企業による、IT系
企業のための、関西発、産官学連携のIT拠点形成組織。そのオープニングイベ
ントとして、知って得するIT減税セミナーやCGアニメ分科会などの基調報告を
実施。交流会などIT系企業関連団体の活性化を図る。

日時:9月22日(月)13:00~19:30
会場:J大阪国際会議場(グランキューブ大阪)10階 1009号室
参加費:1名1000円/学生無料/ITカフェ会員無料
(懇親会参加費 別途3000円)
定員:約200名
主催:特定非営利活動法人ITカフェ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(9/19)
・朝日選書「対談 笑いの研究」(桂米朝×筒井康隆)を一気に読んだ。この
本ができたいきさつを何かで読んだ。「噂の真相」だったか、朝日だったか。
対談の席には見物の編集者ら何人もの客がいるので、芸人と役者の二人は、受
けてくれる人がいるとついサービスして、乗りに乗ってさながら競演会のよう
になったとかで、その内容はダイジェスト版が朝日に載ったが、限られた紙面
では面白い部分が大幅にカットされつじつまがあわない箇所も。そこで書籍に
するために再度対談し、ともかく計9時間にわたる長丁場、270枚にわたる速記
録を筒井康隆が編集したというもの。そのことはこの本の巻頭にも載っている。
「師匠の話し方というのは、こちらが面白がって聞いていると突然、ポツンと
間があくときがある。話が終わったと思ってここで口を挟んではいけないので、
そのあとにサゲが来る。あれはどうもわれわれを試しているように思えてなら
ぬ」と筒井、そういう絶妙の間は活字ではどう表すのか、それが知りたくて読
んでいったが、やはり実演を見ないことにはわからない。ご相伴にあずかった
編集者たちがうらやましい。二人の話している内容は、わたしより一世代上の
芸能の話、関西の芸能の話など知らないことが多い。知らなくても面白いこと
は面白い。また、もとネタを知らないと面白くない。読む人の教養が試される。
吟味しながら何度も読んでみたいと思う。註がまたよくできている。(柴田)

・またまた永吉さんのコラム。チキンもありますが、「~してやろうかと思っ
たわ。」には形容を表す場合もあります。「~してやろうかと思ったくらい腹
が立った(気になった、などなど)」です。「腹が立つ」度合いを表現してい
ます。/「すいか」最終回。凄く好きなドラマだったので、終わるのが悲しい。
今後スペシャルやってくれなかったら、テレビ局に殴り込みに行こうかと思っ
たわ。……未来形には使えないな。うむ。         (hammer.mule)
http://www.ntv.co.jp/suika/  すいか

<応募受付中のプレゼント>
 Web Designing 2003年10月号 1383号
 こちらFlashMX放送局 1384号
 Mac OS X UNIXアプリケーション 簡単活用ガイド v10.2対応 1385号
 Windowsエキスパートブック Windows XP環境設定ガイド 1385号

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/ >

編集長     柴田忠男 <mailto:tdo@green.ocn.ne.jp >
デスク     濱村和恵 <mailto:zacke@days-i.com >
アソシエーツ  神田敏晶 <mailto:kanda@knn.com >
アシスト    島田敬子 <mailto:keiko@days-i.com >
リニューアル  8月サンタ <mailto:santa@londontown.to >

情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
                        <mailto:info@dgcr.com >
登録・解除・変更・FAQはこちら <http://www.dgcr.com/regist/index.html >
広告の御相談はこちらまで   <mailto:info@dgcr.com >

★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ<http://mag2.com/ >、
E-Magazine<http://emaga.com/ >、カプライト<http://kapu.biglobe.ne.jp/ >、
Pubzine<http://www.pubzine.com/ >、Macky!<http://macky.nifty.com/ >、
melma!<http://www.melma.com/ >、めろんぱん<http://www.melonpan.net/ >、
MAGBee<http://magbee.ad-j.com/ >、posbee<http://www.posbee.com/ >、の
システムを利用して配信しています。

★携帯電話対応メルマガもあります。<http://dgcr.com/i/ >
★姉妹誌「写真を楽しむ生活」もよろしく! <http://dgcr.com/photo/ >

Copyright(C), 1998-2003 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■