[1637] 「長いお別れ」と「悪いお別れ」

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1637    2004/11/12.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18302部
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     <世の中のすべての酔っ払いに正当性を与える物語>

■映画と夜と音楽と…(235)
 「長いお別れ」と「悪いお別れ」
 十河 進

■■Workforce of a Freelance
 ローカライズ? インターナショナライズ?
 新居雅行

■イベント案内
 第1回「Under 10 minutes Digital Cinema Festival」





■映画と夜と音楽と…(235)
「長いお別れ」と「悪いお別れ」

十河 進
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●ふたつの「ロング・グッドバイ」

現在の矢作俊彦が照れたように「ハの字の小説」と呼ぶのは、ハードボイルド
小説のことだ。かつては「ニューハードボイルドの旗手」というのが矢作俊彦
のキャッチコピーだったけれど、今は「ハードボイルド」という言葉さえ口に
するのも恥ずかしいという感じである。

その矢作俊彦が創り出した神奈川県警の変わり者、二村永爾に僕が初めて出会
ったのは1977年の秋のことだった。ミステリマガジンの誌上である。僕はまだ
二十代半ばで、一歳しか違わない作家がミステリマガジンで連載していること
に嫉妬した。

その時の連載は後に大幅に改稿され、8年後に「真夜中へもう一歩」として単
行本にまとまった。二村永爾が初めて登場する「リンゴォ・キッドの休日」は、
それより以前の1978年に矢作の二冊目の単行本として早川書房から発売になっ
ていた。

1979年1月号のミステリマガジンからは二村永爾シリーズ「ヨコスカ調書」の
連載が始まった。「真夜中へもう一歩」の時は挿し絵もダディ・グース名義で
自ら描いていた矢作だったが、「ヨコスカ調書」の挿し絵は山野辺進だった記
憶がある。

その「ヨコスカ調書」は中断されたまま長い年月が流れ、16年後、「別冊・野
生時代 矢作俊彦」という一冊丸ごと矢作特集に「グッドバイ」という長篇が
一挙掲載になった。久しぶりに僕は二村永爾と再会した。その長篇はこんな風
に始まっていた。

──その男は、複葉機時代の飛行士みたいなジャンパーを着て、路地のつきあ
たり、うず高く積まれたダンボール箱の頂上に腰を埋め、座っていた。

それから再び8年の月日が流れ、先日、「ロング・グッドバイ」という小説が
上梓された。本の帯には「日本語で書かれた、最も美しいハードボイルド探偵
小説」とある。ひねくれ者の矢作俊彦らしく、ロングはLONGではなくWRONGで
ある。訳すと「悪いお別れ」となる。その始まりは、こんな文章だ。

──私が初めてビリー・ルウに会ったのは夏至の三、四日前、夜より朝に近い
時刻だった。彼は革の襟がついた飛行機乗りのジャンパーを着て、路地の突き
あたりに積み上げられた段ボール箱のてっぺんに埋もれていた。

二村永爾シリーズが単行本になるのは19年ぶりのことだった。そのことに特別
の感慨があったのか、中条省平は朝日新聞の書評欄で馳星周によって卑しい主
人公が卑しい街を這いずりまわる物語へと変質した現在のハードボイルド小説
を嘆き、時代錯誤になる危うさを堪えて見事に美しい物語を紡ぎ上げた矢作俊
彦にオマージュを捧げた。

確かにそれは美しい小説だった。若かった二村は四十を過ぎ、かつてのひねく
れた物言いが影をひそめ、人生を照れずに語れる中年男になっていた。二村が
見せる初めてのラヴシーンも初々しく、抑制された描写が若くはない男女の深
い想いを伝える。二村と共に僕も美しいヴァイオリニストに恋をした。

それは、愛と友情の物語だった。矢作俊彦がオマージュを捧げたレイモンド・
チャンドラーの「長いお別れ(ロング・グッドバイ)」が愛と友情と裏切りの
物語であるのと同じように…

●酔っぱらい同士の友情物語

中学二年生の秋、僕が初めて買ったエラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン
1965年9月号にはレイモンド・チャンドラーの短編「カーテン」が掲載されて
いた。僕が読んだ初めてのレイモンド・チャンドラーの小説だった。その書き
出しの文章はこんな風になっていた。

──はじめて私がラリー・パッツェルを見かけたのは『サーディ』の店の前で、
彼が古もののロールス・ロイスの中で酔いつぶれているところだった。そばに
は一度みたら忘れられないような眼をした背の高い金髪女がいっしょだった。
(稲葉明雄・訳)

後にレイモンド・チャンドラーのほとんどの小説を読んだ僕はその文章が「長
いお別れ(ロング・グッドバイ)」の冒頭の原型になったことを知る。「長い
お別れ」の最初はこんな風に始まるのだ。

──私がはじめてテリー・レノックスに会ったとき、彼は〈ダンサーズ〉のテ
ラスの前のロールス・ロイス“シルヴァー・レイス”のなかで酔いつぶれてい
た。(清水俊二・訳)

「長いお別れ」は複雑なプロットの小説だから、何度読んでもどういう事件が
起こり、結局、誰が犯人だったのか、しばらくすると記憶が曖昧になる。ただ、
フィリップ・マーロウとテリー・レノックスの不思議な友情の物語だけは鮮明
に刻み込まれる。

1973年、映画版「ロング・グッドバイ」が公開された。その映画によって僕は
「長いお別れ」のストーリーを整理できたのだが、結末の改変は許せなかった。
原作で「夢の女」と形容されるヒロインとメキシコの村の道ですれ違うラスト
シーンは印象に残るものだったけれど…

ロバート・アルトマン監督の映画では、マーロウとテリー・レノックスの友情
は描かれない。原作で4章を費やして語られるテリー・レノックスとの交友は
省略される。その部分がなければ、あの有名なセリフ「ギムレットにはまだ早
すぎるね」は何の意味もなくなるのだ。

そう、「長いお別れ」をシンプルに要約するなら酔っ払い同士の友情物語であ
る。そのことを踏まえなければ、映画化は失敗する。単なる裏切りの物語にし
かならない。別の言い方をすれば、ミステリとしての謎解きなどどうでもいい。

マーロウがなぜ拳銃を手にしたテリー・レノックスを何も聞かずにメキシコま
で送り、彼のために何も喋らず留置場に留まったのか、マーロウの心情が理解
できればストーリーなど忘れてしまってもいいのだ。ディテールを読み取れれ
ば、「長いお別れ」は何度読んでも読みたくなる本になる。

●魅力的な脇役たち

たとえば、1章しか登場しない新聞記者がいる。留置場から解放されたマーロ
ウに「車はあるのかね」と声をかけ家まで送るロニー・モーガン。彼は何の見
返りも要求しない。そして、別れ際にこんなセリフを吐く。

──さよならをいって別れた友だちが一人いたはずだぜ。彼のために豚箱に入
っていたとしたら、それこそほんとうの友だちだったはずだ。

ロニー・モーガンはチャプター10にしか登場しない脇役だが、強い印象を残す
魅力的な男だ。「長いお別れ」にはそんな魅力的な脇役たちがいっぱいいる。
ひと言しか発しないタクシー・ドライバーでさえもだ。

マーロウが二度目にテリー・レノックスに会った時、彼は道端で泥酔し、警官
が二人、テリーを留置場に連れていこうとする寸前だった。マーロウは彼を抱
え上げ、警官とトラブルを起こしながらも、テリーをタクシーに乗せて自分の
自動車がある駐車場までいく。運転手に5ドル渡そうとすると、彼は言う。

──メーターに出てるだけでいいよ。気がすまないというのなら一ドルもらお
う。おれも往来にぶっ倒れていたことがある。フリスコだった。だれもタクシ
ーに拾いあげてくれなかった。あんな人情のない街はないからね。

マーロウは「長いお別れ」の中では42歳になっている。42歳にしてはずいぶん
とセンチメンタルで、テリー・レノックスから死を予感する手紙を受け取った
夜、ふたつのカップにコーヒーを注ぎ、ひとつのカップにはバーボンを加える。
煙草に火をつけてカップのそばの灰皿に置き、湯気とタバコの煙の細い糸を見
つめる。

その場面からは、テリー・レノックスに対するマーロウの想いがひしひしと感
じられる。人が人に対するピュアな気持ちが伝わってくる。男同士だろうが男
と女だろうが、おそらく、レイモンド・チャンドラーはそんなことは関係ない
物語を書いたのだ。

この小説の初稿をレイモンド・チャンドラーが書き上げたのは1951年、63歳の
時だった。二年後、イギリスでまず刊行され、翌年、アメリカ版が出た。その
年、66歳のチャンドラーは83歳の愛妻シシーを亡くし、ますます飲酒癖が進行
する。1955年2月、シシーの死から二ヶ月余、チャンドラーは67歳で自殺を試
みる。

彼は「長いお別れ」に出てくる酔いどれ作家ロジャー・ウェイドのように、次
第に破滅していく自分を見つめていたに違いない。孤独に耐えられず、常に誰
か自分を愛してくれる人間を求めた。自分の小説以外にそんなことはあり得な
いと知って酒を飲み続けた。

「長いお別れ」はレイモンド・チャンドラーというアルコールがなければ生き
ていけなかった作家が書いた極上の美しい物語であり、夜ごと酒を手にするの
に罪悪感を持たずにいられるように、世の中のすべての酔っ払いに正当性を与
える物語でもある。

だから僕は今夜もバーボンのロックグラスを片手に「長いお別れ」を紐解く。
自分がテリー・レノックスに対する友情をずっと失わなかったフィリップ・マ
ーロウのような男であり続けたいと願いながら、そして、誰かを裏切らないた
めに…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
永吉さんの作品展で会った女性に「きれいな文章を書かれますよね」と言われ
凄くうれしかったのですが、それ以来「きれいな文章を書かねば…」というプ
レッシャーに襲われています。まあ、どちらにしろ書けることしか書けないの
ですけどね。文は人なり…。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

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■Workforce of a Freelance(5)
ローカライズ? インターナショナライズ?

新居雅行
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コンピュータを使う側の立場でなら、やれ、「日本語化がなっていない」とか、
「まったくアメリカ人は他国のユーザがいることを知っとるのか」などと語気
を荒げてしまうが、それが自分のこととなってしまったとき、言語がいかに重
たいものかを知ることとなる。

今回は筆者を中心に開発しているオープンソースのメールソフト「Open Mail
Envrionment(OME)」でのローカライズがどのように展開したかを紹介しよう。

・Open Mail Envrionment(OME)
http://mac-ome.jp/

●日本語化が最大命題だった時代

Mac OS 9までは「ローカライズ」だった。OSは固有の言語を持っていて、その
言語で動くのが主となる。もちろん、ランゲージキット等でマルチランゲージ
にはできるが、OS環境そのものに言語要素はタイトに結びついていたのだ。

たとえば、英語システムに日本語のランゲージキットを入れたものと、日本語
システムはある意味同一ではない。たとえば、システムフォルダの「初期設定」
フォルダの名前をとっても、日本語と英語+日本語ランゲージキットでは違い
がある。もちろん、前者が「初期設定」後者が「Preferences」という具合だ。

結果的に、ソフトウエアは、特定の言語をターゲットにして作らざるをえない。
もちろん、例外もあるだろうけど、基本はターゲット言語が存在する。だから、
「ローカライズ」なのだ。

昔だったら、アメリカで発売されて数年後にアプリケーションが日本でも出る
というのはよくある話だった。もちろん、日本で出た頃にはアメリカでは次の
バージョンが出ているというのは日常茶飯事、その意味ではいらついたものだ
が、ローカライズする方も大変だったようだ。

各社ともそれなりの配慮はしていた模様である。しかしながら、日本市場をど
こまで重要視するかによって対応は違っていたようだ。想像だが、マイクロソ
フトや往年のロータスのような世界制覇を目指す企業はローカライズ版をリリ
ースするという命題は非常に重かったはずだ。

一方、小さなソフトハウスはそこまで言ってられない。日本からオファーがあ
れば、あるバージョンのソースのスナップショットを渡すような作業が関の山
だったようだ。

もちろん、それをもとに日本語版は出せるとは言え、本家がバージョンアップ
した差分を反映させるというとても非生産的な開発タスクが待っている。体力
が有り余っていても、どう考えても気が遠くなりそうだ。

ただ、それでも、がんばって日本語化していたひとたちもたくさんいる。大変
な作業になることは、いわばビジネスチャンスでもある。また、日本語化の権
利は極めて独占的な権利だ。米国でシェアのあるソフトだと、ある意味、成功
して当然とも言える。

大変なローカライズ作業を経験しないといけないとは言うものの、得るものも
大きかっただろう。同じソフトを一から作るより遥かに着実なビジネスモデル
なのだ。

●ローカライズからインターナショナラナイズへ

Mac OS Xは、とうとう世界同時リリース、世界統一バイナリになってしまった。
一言で言えば、OSは言語に依存しなくなったと言っていいだろう。言語によっ
て違うのはユーザが見える側面で、OSの中、つまりMacの奥深くでは言語依存
の極めて少ない世界が実現している。

「書類」フォルダも「Documents」フォルダも、OS内部では言語に関わりなく
Documentsフォルダなのだ。また、ひとつのアプリケーションに多くの言語の
リソースを含めることができる。これって、実に驚異的なことだと思うのだが、
あまり高く評価されていないような気がしてならない。もっと、評価すべきだ
ろう。

かくして、Mac OS Xで動くソフトウエアは、ローカライズの必要はなくなった
と言っても過言ではない。いや、もちろん、日本語でメニューやダイアログボ
ックスが出てくるようにするといったこともあるのだが、もっと大きな問題が
待っていた。それは、インターナショナライズができてしまうという点なのだ。

英語版を日本語で動かすようにするのも大変なのに、逆に言えば、対応言語が
何でも動いてしまうし、また、動くことを要求するのが「インターナショナラ
イズ」であると言えるだろう。

もちろん、無視してしまうことも可能ではある。日本人のための日本のアプリ
ケーションだ! と言い張るのもひとつの道だろうけど、OMEとしてはなんか
無視できない気がしていたのだ。

遠い昔、アメリカですごいソフトが出ているのに、日本語でアプリケーション
が使えない……つまりはデジタルデバイド的なことは海を越えて当たり前にあ
った時代、日本のユーザとして悔しい思いをした記憶は忘れてはいけないので
ある。

逆の立場になったとき、以前の立場を忘れてはいけない。もっとも、他国の人
々がOMEを切望しているかどうかは定かではないが、最初からあきらめたくは
ないということだ。

●Javaの国際化機能を組み込む

OSという意味での国際化とは微妙に違うとは言え、JavaはMac OS Xが登場した
時点ですでに国際化の大方の機能組み込みはできていた。OMEのコア部分は、
Mac OS 9時代の途中から、Javaを採用している。理由は簡単で、JavaMailとい
う高機能なフレームワークがあるからだ。

しかも、フリーで使える。高性能なメールフレームワークもあるようだが、資
金を投入できないので、自ずとそうした選択肢になる。また、木下信さんの
JavaMailの書籍があったことも大きい。

はまりポイントもありそうだが、自分で世界中の文字セットやエンコードに対
応するよりはJavaMailを使うのが得策と考えた。これで、メールそのものに対
する文字列処理はある意味、インターナショナライズできたとも言える。

『JavaMail完全解説』木下信(秀和システム刊)
http://www.sk-jp.com/book/javamail/index.html

しかし、甘かった…。メールの文字セット、エンコードの扱いは独特だ。少な
くとも「JavaMailに丸投げ」はできないことが分かったので、結果的に、どん
な文字セットを使うなどの詳細なスペックをどこかで与えてカスタマイズでき
るような仕組みにするしかないと思った。

もちろん、ISO-2022-JPとかいった世界はJavaMailで取り扱い可能だが、その
頃からUNICODEでメールをやりとりしたいという話題もちらほらあったりして、
エンコーディングを自由にカスタマイズできるようにすることも視野に入れて
おきたかった。

そして、思い切って、言語ごとにカスタマイズできるようにした。さらに、国
/言語だけでなく、バリエーションを持たせることも可能にした。つまり、
Mac OS XのデスクトップではShift-JISだけど、サーバで動かすときは同じ日
本語仕様でもEUC-JPといった指定を目指したのである。

もっとも、こうした国/言語/バリエーションで動作を変えるという仕様が
Javaの国際化機能に組み込まれていたので、それを使ったのである。ただ、当
初の仕様は妙に欲張りすぎた…。国や言語に応じて、クラス、つまりプログラ
ムの断片が呼び出されるというのを作ったのである。

実は今だから言うが(笑)、これはある意味、はまりポイントを作ってしまっ
たのである。結果的に、日本語だとISO-2022-JPという流れだけではなく、
ISO-2022-JPだと日本語という逆テーブルも必要になった。

それもテーブルを作るという手もあったが、既存のクラスから抜き出して自動
的にテーブルを作るなどやっていると、あまりに環境依存の強いものになって
しまったのである。これは、うまく動いてはいたのだが、システム設計的には
失敗と言ってもいいかもしれない。

●やっぱり言語ごととに対応表を持つことに

その後に、インターナショナライズ部分は大きく改定している。結果的に落ち
着いたのは、言語ごとの情報をXMLファイルに入れておくという手段だ。OMEで
は設定ファイルの構築で当初はいろんなフォーマットを試してみてしまい、そ
れがいまだに尾を引くという結果になっているが、インターナショナルな部分
に手を入れたのは最近なので、すんなり今風なやり方にしてみた。クラスとい
った高機能なものにしなくても、テーブルだけでいいのである。

実は、PHPのマルチバイトライブラリにあるメール機能も参考にさせてもらっ
た。こういうところがオープンソースのうれしいところだ。ソースの中に日本
語だったらISO-2022-JPといったテーブルがさまざまな言語に対応させるために、
たくさん入っている。なるほど、こうなるんだなと思った。

OMEの場合、メールそのものの文字セットやエンコーディングだけではなく、
受信したメールファイルの中身、送信するメールのファイルの中身のエンコー
ディングなどあれこれ指定しないといけない。テーブルの項目が多くなるが、
単に対応表だけでいいのはこれまでの運用で明白だった。

そして、ヘッダのエンコーディング、文字セット、本文のそれらの設定などな
ど、細かく対応表をXMLで記述するということに落ち着いた。だから、現状で
はそのXMLファイルを書き換えてやれば、受信や送信メールファイルの中身を
UTF-8にすることだってできるのである。(おっと、そのやり方をドキュメン
トにしないと…)

さらに、OMEの場合、システム全体が特定の言語というわけでもないことが複
雑な世界を演出している。当初は「OMEを日本語で使う」という状況を想定し
ていたが、それはまずいことに気づく。韓国語で送られてきたメールは、韓国
語モードで処理しないといけない、中国語は中国語…などと送られてくるメー
ルが極めてインターナショナルなのだ。

つまり、特定の言語だけの対応というのはメールの受信においては、現実には
あり得ない。一方、送信メールはいつも日本語でもいいわけだが、一方で時々
違う言語で送るという場合も考慮して、一通一通に対して言語を指定する機能
なんかもつけた。

ここまではともかくOMEで実装できた範囲だが、まだまだやらないといけない
こともある。この続きは別の機会で説明しよう。

【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。2週間という長い期間、ずっとセミナーの生徒をやった。
しかもほとんどが英語…。セミナーでは講師ばっかりということでもないが、
聞くのも大変ということを改めて体験してしまった。さらに英語ばかりのセミ
ナーなので、英語のヒアリングマラソン状態といえるほど。むしろ英語力上が
ったのが大きいかもしれないと思ったり。
自分のサイト:http://msyk.net/

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■イベント案内
第1回「Under 10 minutes Digital Cinema Festival」
<http://www.10dcf.jp/>
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「Under 10 minutes Digital Cinema Festival(10DCF)」実行委員会の主催。
運営・制作はガーディアン・ガーデン(株式会社リクルート)。「Under 10
minutes Digital Cinema Festival」とはデジタル時代の新しい映像表現を探
る公募形式のフェスティバルである。デジタル機器で撮影・編集、もしくはコ
ンピュータで作られたジャンルを問わない10分以内の映像作品を募集中。予備
審査、ノミネート審査を通過した作品は全国で劇場公開されるとともに各種メ
ディアにて放映される予定。グランプリは200万円およびPanasonic AG-DVC30、
ほかに各賞。また、特に優秀と認められた作品・作家にはDVD化やマネージメ
ント等作家デビューのバックアップを行う予定である。応募締切は11月19日
(金)<まだ間に合うかも 詳細はサイトで。

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<応募受付中のプレゼント>
Photographer's Photoshop CS 写真を楽しむ生活494号(11/16締切)

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■編集後記(11/12)
・池宮彰一郎「最後の忠臣蔵」(角川文庫)が面白い。めったにないことだが、
また初めから読み返している。四十七士というのに、切腹したのは四十六人。
泉岳寺へ引き揚げの途次、一統から消えたのが寺坂吉右衛門である。実は、内
蔵助の命をうけての離脱である。その使命とは、討ち入りの実相を旧主家に伝
えること、さらには一統の死後、公儀や上杉家の誹謗に対抗するために生き証
人として生き抜くことである。そして、……なんて説明していたらえらい文字
数になるのでやめておくが、じつに緻密な構成で最後までぐいぐいとひっぱっ
てくれる。久しぶりに活字で涙しましたよ。で、二回目を読み始めたら、NHK
金曜時代劇で全6回で放送されるという。これは、絶対見なくてはと思いなが
ら11月5日の第1回目を忘れていて、最後の10分くらいしか見られなかった。そ
れでも、このドラマはなかなかの手応えを感じた。脚本はジェームス三木だか
ら安心できる。物語をわかりやすくするために、原作の人間関係を多少変えて
ある。配役も納得のいくもので、実力ある役者揃いだ(笑えるのは、別の忠臣
蔵ではマザコン綱吉を演じている津川雅彦が、ここでは天川屋儀兵衛役)。同
じNHKでも、あのトンデモ新選組とはえらい違いだ。まず、池宮彰一郎「最後
の忠臣蔵」をお読みなさい。ドラマが何倍も面白くなると思う。(柴田)

・今日もあきまへん。ぼちぼち仕事をしているものの、ちっとも進まない。ず
っと寝ていたい~。                  (hammer.mule)

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
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アシスト    鴨田麻衣子

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