[1761] 映画への熱き想いにふれもせで…

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1761    2005/06/03.Fri.14:00発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 18176部
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<社会は病んでいるか>

■映画と夜と音楽と…[257]
 映画への熱き想いにふれもせで…
 十河 進
 
■Otaku ワールドへようこそ![5]
 壊れた王子様: 少女首輪監禁事件
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[257]
映画への熱き想いにふれもせで…

十河 進
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●24年ぶりに見付けた一枚のメモ

調べものがあって古い手帖を見ていたら、古い手紙が挟まっていた。昭和56年、1981年の手帖だ。当時、僕はもらいものの手帖を使っていたのだが、その頃は「ぴあ」が配っていた「ぴあ・だいありぃ」という縦長のものを愛用していた。「ぴあ」らしく、映画やコンサートのメモを書くページがある。

その手帖に挟まれていたのは、僕の会社の200字詰め原稿用紙一枚に濃紺のインクで書かれた手紙だった。その字を見た瞬間、いつも万年筆を使い近視の目を細めて原稿用紙に向かっていた女性の姿が浮かんだ。ジーンズを履き、大きな馬具のような革鞄を肩にかけて颯爽と歩く背の高い姿が甦る。現れる。

──十河さま、また泣かせてしまった…ホホホホ、すまみせ~ん。ルルーシュの件は、レセプションの席で突撃インタビューを試みたわけですが、内容がキハクなのでボツにしましょう。"マイシングル"の方には1Pばかり、あたりさわりのないところを書く予定ですが。近いうちにまた、ゆっくり、飲みませう。では。

まるで声が聞こえるようだった。この手紙(というよりメモ)を読んで、僕はおそらく当時、あったであろうやりとりを想像した。

──ルルーシュの原稿、書くって言ったじゃないですか。
──ダメ、ルルーシュの話はキハクだから。
──でも、差し替え原稿ないですよ。
──何とかしなさいよ、編集者でしょ。
──そんな、こんな時期になって…

彼女は原稿をボツにしたことにまったく罪悪感を感じていない。でなければ、「また泣かせてしまった…ホホホホ、すまみせ~ん」などと書けるわけがない。罪滅ぼしのつもりか「近いうちにまた、ゆっくり、飲みませう」と書いてはいるが、困っている僕の泣き顔を想像しニヤニヤしていたに違いない。

それにしても…と僕は思う。1981年には、彼女はもうフリーになっていたんだ。その年、クロード・ルルーシュが来日したとしたら、一体何の映画だったのだろう。1966年「男と女」でカンヌ映画祭のグランプリを受賞したルルーシュは、1970年代に世界を席巻した監督だが…

調べてみたら「愛と哀しみのボレロ」が1981年の公開だった。ルルーシュの久しぶりの大作である。音楽はおなじみのフランシス・レイにミッシェル・ルグランが加わっている。もちろんラストシーンには、モーリス・ラヴェルの「ボレロ」が重々しく流れる。

彼女は、ルルーシュを囲むレセプションに招待されていたのだろう。その話を聞いて「ルルーシュのインタビュー記事を書きませんか」と依頼したのは僕の方かもしれない。しかし、一度引き受けたからには何とか原稿に仕上げるのがプロってもんじゃないのかと、24年も経っているけれど…、それに今更だけど…僕は少し憤慨した。

それでも、僕がその何でもない手紙を大事に手帖に挟んで持っていたのは、彼女のことがとても好きだったからだ。

●あふれるほどの映画への愛

彼女がどうしてそんなに映画に思い入れるようになったのか、僕は直接、聞いたことはない。しかし、僕が今まで会った中で彼女ほど映画を愛していた人はいなかった。映画への愛は彼女を映画の制作へ向かわせた。創り手側になろうとした。いや、才能ある若い人をサポートしようとしたと言った方が正しいだろう。

30年前、僕が今の会社に入った時、彼女は月刊「小型映画」というアマチュア向けの8ミリ専門誌の編集部にいた。僕は隣のムック編集部に入り、4、5歳しか違わないのにほとんど副編集長のような役割を担い、バリバリ仕事をしていた彼女を憧れの目で見つめた。

編集部は違ったが同じジャンルの本を担当していたので、彼女には何かと教えてもらうことが多かった。驚いたのは、その人脈の広さである。特に映画界には知り合いが多く、様々なところで「……さんによろしく」と言われたものだ。驚いたのは売り出した頃のおすぎとピーコにも「……さん元気」と聞かれたときだった。

その人脈の広さの秘密の一端は、彼女に飲みに連れていかれてわかった。ゴールデン街の「銀河系」が彼女が毎日のように通っていた店だったが、僕もそこで映画評論家の松田政男さんを始め多くの映画人たちに紹介された。現役の映画監督にもずいぶん会った。

しかし、彼女が果たした功績は自主映画の世界から送り出した人材の多さだろう。大森一樹、森田芳光、長崎俊一、石井聰互…など、8ミリでしか映画が撮れないけれど才能あふれる若者たちを彼女はフォローしサポートした。

大森一樹監督の自主映画「暗くなるまで待てない」を雑誌で紹介し、東京での上映会をプロデュースし、「ぴあ」の編集部まで巻き込んだのは彼女の仕事だった。いや、それは仕事を離れた彼女の個人的情熱が実現させたものだった。

古井由吉の芥川賞受賞作「杳子」を映画化しようとしたのは、彼女にとっては必然だったのかもしれない。16ミリ作品ではあったが、それなりに制作費がかかったはずだ。主演は新人女優だったが、脇を山口小夜子や元ジャニーズの真家宏美などで固めたのだから出演料だって大変だったろう。

その頃、彼女と仲のよかった同僚から「……さんち、電気も止められたらしいよ」と僕は聞いた覚えがある。映画のための借金がかさんでいたのだ。しかし、彼女は懲りずに再び映画制作を始めた。

自主映画「ユキがロックを棄てた夏」という作品で注目されていた日大映画学科の学生だった長崎俊一の「九月の冗談クラブバンド」である。主演は長崎監督の仲間の内藤剛志だった。

だが、この映画制作は挫折する。車の暴走シーンを撮影していたときに事故が起き、監督を始め数人が重傷を負ってしまうのだ。ある夜、僕のところへも彼女から「緊急に手術する必要があるの。輸血に協力して!!」と常に似合わぬ切迫した声で電話がかかってきた。

●編集者としても最初の先生だった

僕が彼女と同じ編集部に異動になったのは、入社して3年半が過ぎたときだった。すでに副編集長として現場を仕切っていた彼女は、どういうわけか僕に様々な仕事を引き継いだ。印刷会社とのやりとりもすべて僕を担当にした。だが、僕は未熟で印刷の工程も雑誌の進行管理も何もわかっていなかったのだ。

ある時、僕は印刷会社の担当者と電話で打ち合わせをしていて言葉に詰まった。相手が「……さんと代わって」と言う。僕は受話器を持ったまま彼女にとりついだ。しかし、僕は聞いてしまったのだ。僕がまだ受話器をおろしていないのを知らなかった印刷会社の担当者が言った「ダメだよ。ソゴーさん何にもわかってない」というひと言を……。

その夜だった。「印刷会社の言うことはなるべく聞いてあげなさい。いつもいつも迷惑かけてたら、いざと言うときには狼少年になっちゃうよ」と彼女から教えられた。編集という仕事でも彼女は僕の先生だったのだ。しかし、彼女は創刊した隔月のビデオ誌の編集部に副編集長として異動になり、結局、同じ編集部で仕事をしたのは一年に過ぎなかった。

その後、僕が「シンコー宗教」とあだ名されるほど進行管理に精通できたり、曲がりなりにもいくつかの雑誌の編集長をつとめることができたのは彼女に編集者の基礎を教わったからである。それに彼女は編集者としての人脈の豊富さを僕にも引き継いでくれた。

そんな彼女が会社を辞めフリーになるのは当然の帰結だったかもしれない。月刊「イメージフォーラム」の創刊予告広告の中に筆者として彼女の名があったのが辞めるキッカケではあったが、彼女はいつまでも社内編集者でいられる人ではなかった。

彼女はフリーになり、「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」の契約ディレクターになり、より映画制作の近くに身を置くことになった。現在、PFF出身の映画監督はいっぱい存在している。だが、その初期から関係していた彼女のことを知る人は少ないかもしれない。

フリーになってしばらく経った頃、月刊「イメージフォーラム」の巻頭インタビューに登場した彼女は、映像作家のかわなかのぶひろさんに「自主映画の母」と呼ばれ、「母と呼ばれる歳ではありません(笑)」と答えていた。それを読みながら「よかったね、……さん」と僕は思った。

さて、僕が彼女から教わったもうひとつの重要なことは、酒場での作法である。時には行きつけの飲み屋のカウンターに入り客の酒を作ったりする彼女から教えられたのは、いわく言い難いディテールである。ニュアンスの部分である。嫌がられる客にだけはなるまいと僕は肝に銘じた。

しかし、彼女の前だと僕は平気で酔った。彼女もそれなりに酔っていたのに、残念ながら過ち(?)を犯すことは一度もなかった。当時の僕は彼女を女性として好きになってはいけないのだと思っていた。先輩であり、同志のような気分だった。もちろん僕が結婚していたことも精神的なブレーキにはなっていただろう。

それに、僕は彼女が結婚という通俗的な男女関係を結ぶ人だとは思えなかった。自立し、ひとりで生きていくハードボイルドな女性だと思っていた。だから数年後、彼女があるフリーライターの男性と結婚したと知った時、僕は荒れた。「そんな人じゃないと思ってた」と自分が結婚していることは棚に上げ、天を仰いだ。

……そんなことを甦らせながら24年前の彼女の手紙を読むと、まるで弟へ語りかけるような愛情を文面から感じるのは僕の勝手な思い込みだろうか。

  また泣かせてしまった…ホホホホ、
  すまみせ~ん

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
原稿にラヴェルと書いたら急に「ボレロ」や「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」が聴きたくなってかけている。「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」は「愛を弾く女」でずっとかかっているので好きになった。美しい曲です。

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■Otaku ワールドへようこそ![5]
壊れた王子様:少女首輪監禁事件

GrowHair
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この事件のことにはコメントしないわけにはいかない。コスプレ会場で女の子に声をかけてたとか、ゲームに萌えてたらしいとか、苗字が小林だとか、共通点が多々あるもんだから、黙っていると同じラベルを貼られかねない。

俺はあんなイケメンじゃないから、コスプレ会場でナンパしてもほいほいついて来るやつはおらん! 奴は家宅捜索でエロゲー(Hなゲーム)を1,000本(一千万円相当?)押収されたそうだが、俺んとこはあってもせいぜい3本だ! 奴のもともとの名前は木村だ! などと吠えてみても、かえって虚しくなるので、もうちょっとまっとうな議論を試みたい。「識者の見解」っぽく知的で重厚なコメントができたらいいニャ~、と。

●事件の概要

インターネットのチャットで知り合った当時18歳の兵庫県の少女(19)を、東京都内のホテルや自宅で3か月以上にわたって監禁したとして、5月11日、札幌市の無職小林泰剛(やすよし)容疑者(24)が監禁容疑で逮捕された。

調べによると、小林容疑者は昨年2月ごろ、チャットで知り合った兵庫県の少女と親しくなり、メールをやり取りをしていた。3月ごろになって突然、「実家にヤクザを送り込まれたくなかったら、東京まで出てこい」と少女を脅し、同3月8日、渋谷区のホテルに呼び出した。顔を殴るなどして脅迫、同日から同6月19日までの104日間、都内の複数のホテルや、小林容疑者が当時住んでいた足立区のマンションに監禁した。監禁中は、少女の首に首輪を付けて鎖でつなぎ、殴るけるの暴行や性的な乱暴を加え、「ご主人様」などと呼ばせていた。少女は6月、すきを見てマンションから逃げ出し、近くの弁当店に駆け込んで助けを求めたという。

小林容疑者は'01年に女性2人に対して傷害を加えたかどで、'03年に有罪判決を受けており、執行猶予期間中の犯行だった。

札幌市の自宅マンションから、アダルトゲームソフトのCD-ROM 1,000点やセーラー服などのコスプレ衣装が押収された。ゲームの中には女性を監禁し、暴行して服従させる「調教もの」と呼ばれるものも多数含まれていた。少女が逃げた後も、コスプレイベントで知り合った女性を一時監禁していた余罪があるとみられている。

●メイドバーでそのニュースを見る

5月13日(金)の夜、私は新大久保のメイドバー"Sister Eden"にいた。メイドさんがバーテンダーという夢のようなコンセプトのお店である。特に昼間仕事でばたばたした日など、慌ただしさから開放されて、ふわっとした薔薇色の気分で一日を終えようと思ったらここに限る。何しろ、猫耳メイドさんとカウンター越しにお話ししながらカクテルを飲めるのである。この引力には抗いがたく、足が勝手に私を運んできた。

社交的な性格のオタクたちが寄り集い、わいわいがやがやと明るく賑やかに盛り上がる光景に最初は戸惑ったが、3晩続けて通ったら、慣れた。

壁には大きな液晶テレビが掛かっていて、ニュースをやっていた。護送される小林容疑者の姿が映し出される。鮮やかな青の地に赤と白が入った派手なジャージを着て、車の後部座席中央に座っているのを正面から捉えている。左手の甲をこちらに向けて気障ったらしく顔を覆い、長い人差し指と中指を両目の目頭あたりに向けている。髪は長く伸ばし、けっこうイケメンじゃん。

3人いたメイドさんの一人がぽんと手を打ち、「あれ、手塚ー」と言った。一瞬の間を置いて、その場にいた人たちがみな口々に反応して、どよめきが起きた。「それだ」、「見たような気がしてたんだ」、「テニプリじゃん」。そういうことが分かっちゃう人たちが集まっているのだ、ここは。

テニプリとは「テニスの王子様」というコミックである。テレビアニメでも放送された。ひところ、中高生の女子の間で、これのコスプレが大流行りした。

「絶対意識してやってる」、「逮捕されて護送されるのにコスプレかよー」と大笑いになった(実際はアディダスのジャージであって、コスプレ用の衣装ではなかったようだが、それでも意識してなかったとは言い切れない)。

ひとしきり笑った後、しかしなー、という話になった。「俺たち、また叩かれるんだろうなー」、「犯罪者予備軍とか言われるわけだ」、「ゲームとか、規制がかかったりしてな」、「俺たちがいったい何したっていうんだよなー」、「ああいうやつが一人いると、俺たちみんなが迷惑するんだよなー」。最近よく聞く嘆きである。マスコミによるオタク叩き。

●社会は病んでいるか

一般論として、事件というものは、ふたつの観点から見ることができる。ひとつは個別の扱い。犯人は個人的な動機から事件を起こしたのであり、悪いのはひとえに犯人である。犯した罪の重さに応じて、それ相応の償いをして、事が片付く。もうひとつは、社会現象としての扱い。事件は社会全体の抱える病理を反映して必然的に起きるものであり、悪いのは社会である。社会を直さない限り、同じような事件は次々に起きる。どちらの見方が正しいか、という問題ではなく、両方の見方が必要なんだと思う。

前者に関しては、しかるべき機関がしかるべき手続きを踏んで事件を片付けてくれるであろうから、ここでは深く掘り下げない。気になるのは後者である。社会は病んでいるのか。そうだとしたら、社会の病巣はどこにあるのか。どんな手当てが有効なのか。

とかく、オタクに対しては世間からの風当たりが冷たい気がする。オタクはみんな犯罪予備軍だ、とか、アニメやゲームにのめり込みすぎると現実とフィクションの区別がつかなくなって善悪の規範意識が薄れていく、といった議論をしばしば耳にする。私自身に限って言えば、そんなふうになりそうな感じが全然しないので、この議論にはものすごく違和感がある。

まあ、ゴミ捨て場に美少女型パソコンが落ちているのを拾ってきたけれど、スイッチがどこにあるのかなかなか見つからなかった、というようなアニメを見た後では、「落ちてないかなあ」なんてついつい目がゴミ捨て場を泳いでしまうようなこともなくはないが。だからといって、その日を心待ちにして生きている、というわけではないので、その程度の分別はついているつもりである。

かといって、オタクの世界全体を把握しているわけでもないので、中にはそういう人がいるのではないか、という議論に対しては私が保証することはできない。オタク全体をひっくるめて弁護したいわけではない。

言いたいのは、議論は慎重に進めよう、ということである。犯罪を憎むこと自体は良心の現れだとしても、その怒りをぶつける方向性を誤れば、それ自体が問題思想になってしまう。

●そもそもオタクとは

現在、「オタク」という言葉は3つの意味で使われているようである。

第一には、「漫画、アニメ、ゲームの熱狂的なファン」。必ずしも、それだけに熱中して他のことには一切興味を示さない、ということではない。価値判断を抜きにした、ニュートラルな意味合いである。この意味の下でなら、例えば、性格は社交的で騒がしく、仕事はばりばり有能、ときにはアウトドアスポーツにも興じるが、実はオタク、という人がいてもよい。

第二には、「興味の範囲が極端に狭く、コミュニケーション能力に劣り、社会性に欠ける人」。ひ弱な感じで、表情に乏しく、会話が下手。何を考えてるのか分からない。精神的に幼い。偏執的。友達少ない。気持ち悪い。否定的な意味合いが強い。

第三には、「(分野を限定せず、何かの)専門知識が豊富な人」。肯定的な意味合いなのはいいけれど、この意味で使うならわざわざ「オタク」という言葉を持ち出さなくても専門家とか情報通とか、既存の言葉で間に合っているし、そのほうが誤解が少なくていいと思う。接尾語として、車ヲタ(自動車マニア)、鉄ヲタ(鉄道マニア)、軍事ヲタ、のように使えば短くて便利だが、侮蔑的な含みがあるととられがちなので、やはり誤解の危険性が伴う。

そもそもこの用語の発端はどうだったか。大塚英志氏の「おたくの精神史」によれば、ある種の人たちを指す用語としての「おたく」は、'83年に中森明夫氏によって提唱された。大塚氏の編集する雑誌「漫画ブリッコ」で中森氏が「おたくの研究」を連載した。その中で、コミケに同人誌を買いにくるような人たちを「異様な人たち」とこきおろし、彼らが互いに「おたく」と呼び合っているのを揶揄して「おたく」と名付けている。

いわく、「ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動がまったくだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じこもって、日陰でうじうじと将棋なんかに打ち興じたりなんかしてる奴らが。モロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊ちゃん刈り。イトーヨーカドーや西友でママに買ってきて貰った980 円、1,980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前にはやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショルダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくるんだよ、これが」。

コミケに集まる人たちの見た目の姿を上手く描写しているとも言えるが、決して好意的な目では見ていませんね。この時点では意味は未分化で、「現在の第一の意味のオタクは第二の意味でもオタクである」と言っているわけである。これが本当にそうかは、冷静によーく検証してみる必要があると感じる。

なお、この調子の「オタク叩き」はマスコミの常套手段である。特に宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件が世を震撼させた1989年には、8月のコミケでテレビ中継の女性レポーターが「ここに10万人の宮崎勤がいます」とやっている。凶悪犯罪に対する怒りをぶつける矛先はこれでよかったのか。この事件により「オタク」イコール「犯罪予備軍」のイメージが世に広まったように思う。

これは「オタク」という言葉のもつ二義性 --- 「アニメ好き」と「非社会性」--- による混乱なのではないかと私はみている。(余談だが、そういうわけで、前者のニュートラルな意味をこめて、この連載タイトルでは"Otaku"としているのである)

●こういうことこそ調査してほしい

実際のところどうなのだろう。漫画やアニメやゲームが好きであることと、社会性に欠ける性格との間には関連があるのか、ないのか。社会心理学などの方面から、真面目にアプローチがなされてもよいような気がする。両者の関連性を調べるなら、ちょっとしたアンケートでもある程度のことは明らかになるだろう。

なお、統計学ではよく知られた留意点なのだが、関連性があるからといって必ずしも因果関係があるとは限らない。事象Aと事象Bとの間に高い相関関係が見出されたとしても、それはAが原因でBが起きたのかもしれないし、逆かもしれないし、あるいは別な事象Cが原因でAとBが起きたのかもしれない。それを判別するにはさらなる調査を要する。

つまり、仮に相関性があったとしても、アニメを見すぎた結果として社会から疎遠になったのかもしれないし、社会性を欠いた性格の人がアニメに走るのかもしれないし、過去のトラウマが原因で両方が起きるのかもしれない。もし最後のが正解だったとしたら、漫画やアニメやゲームに規制をかけたとしても、犯罪の抑止としては何の効果もないことになる。

そう言えば、今回の事件の小林容疑者は、高校時代に母親が自殺している。このあたりのことは、まだどれもこれも仮説であり、しっかりとした検証がなされていない。凶悪犯罪が今後も起こり続けるのを抑止したいと考えるなら、中世の魔女狩り的なアプローチよりも、心理的なメカニズムの解明を目指した学術的なアプローチのほうが効果が高いように思う。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
昔は学者になりたかった頃もあったような気がするが、今はただの萌えるおっさん。断じて奴とは同類じゃありませんからー。ペンネームの由来は小林 →ケバヤシ → GrowHair。この前床屋に行ったのは2月だから、もうけっこう伸びてきた、ヒゲ。秋の収穫が楽しみだ。さて、全国の小林に告ぐ。世間を騒がすような破廉恥な事件、もう起こしてくれるなよー。(← オマエガナー)
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■編集後記(6/3)
・古い書籍の整理をしている。若い頃はずいぶん変な傾向に走っていたものだと感慨深い。新興宗教、教祖、密教、超能力、奇談、奇蹟、そういった分野の本が次から次に発掘された。こういうの、いまでは興味を失っているが、若い頃はいろいろ悩んでいたものだと思う。それにしてもいやな青年だね。そっちの世界に深入りしないでよかった。後に、トンデモ本と呼ばれる類の本もいくつも出てきた。いま読むと笑っちゃうような荒唐無稽な本たちだが、当時はわりと真剣に読んでいたような気がする。かなりバカだったという証拠だ。でも、その内容はけっこう難解で、当時理解できていたのだったらかなりお利口だったのではないか。おもしろいので、昨夜ナナメ読みしたのが「ハレー彗星の大陰謀」というオカルト・ルポルタージュ。1986年、ハレー彗星が地球に異常接近する。1982年には太陽系の全惑星が一直線に並ぶ惑星直列が発生する。このふたつの天体現象がほぼ同時期に発生するのはじつに1600年ぶりである。このとき、人類はきまって半狂乱に陥るという歴史上の事実がある。しかし、この度は人類の生存を根底からささえる遺伝子の変異が起きる。NASAは人類にとっての破滅的危機を回避するため、地球からの脱出を検討し始めた。1981年のスペースシャトル打ち上げはその第一歩である。その陰謀を支配するのはあるオカルトグループであった。著者はその核心に迫る。という内容で、相当に難解(ヘタなルポのせいもある)。でも、なんにも起きずに人類は21世紀を迎えている。こういうむちゃくちゃ怪しげな本がいくつも本棚にささっている若者なんて、やっぱり問題だ。ああ、青春をやり直したい。(柴田)

・結構過激な番組がある。全国放送ならモゴモゴいいそうなものも、ここだけの話で語る人もいたりするし、あんまりお上と関わりがない土地だから放送できちゃうのかもしれない。以前、井沢元彦氏が中国デモについて冷静に語っていた。中国は共産主義なのにエリートをどんどん留学させちゃうから、ひずみが出ているのだと。共産国なのに貧富の差が激しいし、同胞に知らせていない事実も多い。知らなければそのままだろうけれど、今はネットがあって他地域や外国の暮らしを見る事ができる。ネットを甘く見ていてあまり抑えていなかったから、今頃あわてているというようなことや、反日でまとめていても、ほころびをいつまで抑えられるだろうか、というような内容だった。空気は日本の幕末に近いかもしれないよと。そんな発想はなかったので驚いた。高杉晋作が「攘夷」で人を集めておきながら「倒幕」にしたのも同じで、とにかく結束することが大事だけれど、その結束のための理由はおおっぴらにできないから「反日」ででも若い人が集まって、リーダー格が意見を交わしているうちに次世代への流れができるかもしれないと。それから、日本はいままで一度も自分から「武力」で外国問題を解決しようとしたことがないということも。最近のテレビでは学校で習ったこととは違う話をたくさん聞くなぁ。(hammer.mule)

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