[1899] 傍観者からの手紙

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1899    2006/01/20.Fri.14:00発行
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   1998/04/13創刊   前号の発行部数 18143部
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<ITのあ痛てーに見ゆる下落かな>

■映画と夜と音楽と…[277] 
 傍観者からの手紙
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![20] 
 人妻コスプレイヤーを直撃取材:テレビ収録
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と…[277] 
傍観者からの手紙

十河 進
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●ひとつの受賞作だけで消えた作家

二十数年前のことになる。当時、「小型映画」という月刊誌の編集部にいた僕は、日大芸術学部映画学科でシナリオを教えていた鬼頭麟兵先生の原稿を連載でもらっていた。鬼頭先生は月刊「シナリオ」の元編集長で、シナリオ作法の本も何冊か出版していた。

その鬼頭先生と話していたあるとき、「朝日新聞神奈川支局にいる外岡秀俊という記者を知っていますか」と聞かれた。神奈川版にルポ記事を署名入りで連載しているらしいのだが、その文章が素晴らしい、と鬼頭先生は言う。「若い記者らしいのですが、聞いたことはありませんか」と続ける。

──外岡秀俊は朝日に入社していたんですか!!

僕はそう答えた。その後どうしているのか気になっていた若き作家の消息を意外な形で知り、何となく感慨に耽った。

外岡秀俊は東大法学部在学中に「北帰行」という長編小説で河出書房が主宰する「文芸賞」を受賞する。現長野県知事の田中康夫が「なんとなく、クリスタル」で受賞するより以前のことだと思う。昭和51年(1976年)12月に単行本が出た。

文章を教えているプロの目にとまるのだから、やはり際立った才能を持っていたのだ、と僕は鬼頭先生の話を聞きながら思った。外岡秀俊さんは僕より二歳年下だったが、「北帰行」の完成された(というより老成した)文体が印象に残っていた。

単行本の帯には「青春の鮮烈な憂鬱・23歳大型新人のデビュー作」と書かれていた。石川啄木の生涯と語り手である二十歳の「私」の北への旅が併行して描かれる。啄木の時代の閉塞感と現在の「私」の憂鬱が重ね合わせて語られる。当時、勤め始めたばかりで二十代半ばだった僕は、その重厚な長篇に感心するだけだった。

しかし、外岡秀俊の名はその一作で消えてしまった。何年経っても次作は出版されなかった。だから、数年ぶりに鬼頭先生から、その名前を聞いたときに僕は深い感慨に耽ったのだ。それにしても朝日新聞の記者になっていたとは…、僕は彼の小説家としての才能を惜しんだ。

その後、僕は朝日新聞紙上で「外岡秀俊」の署名記事を見付けると、必ず目を通すようになった。コラム「アメリカの肖像」が連載されたのは、もう十年以上前のことだろうか。その後、朝日新聞社で単行本としてまとまった。同じ頃、僕はちくま新書で出た「国連新時代」という本も買った。

他の出版社から本が出せるのだ。おそらく朝日新聞社の中でも花形記者に違いない。そう思っていたが、昨年、みすず書房から「傍観者からの手紙」(ランボウの「見者の手紙」を意識しているのかな)という本が出た。それによると、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長をつとめているらしい。

──2003年3月イラク戦争前夜からロンドン同時多発テロ事件まで55通。この困難の時代に、現場取材と時局分析を届けつづけた朝日新聞ヨーロッパ総局長の報告集。

単行本の帯には、そう書かれてあった。

●自らを傍観者と位置づける潔さ

「傍観者からの手紙」は、「みすず」誌に連載された25編と私信30編をまとめたものだという。55編のタイトルすべてが書物と映画のタイトルの引用だった。「予告された殺人の記録」「日の名残り」「百年の孤独」「ベスト&ブライテスト」「高慢と偏見」といった具合だ。

中でもグレアム・グリーンは「情事の終わり」「静かなアメリカ人」「落ちた偶像」と三つも使われている。「寒い国から帰ってきたスパイ」「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」と二作のタイトルが使われたのはジョン・ル・カレである。イギリス作家のものが多いのは、筆者がロンドン住まいだからだろう。

外岡さんは映画についてもいろいろ言及している。その中からアクチュアルな社会問題との関わりを見出し、ジャーナリスティックな視点から世界について様々な観点を提示してくれる。深い知性を感じさせ、僕は昔読んだフランス文学者であり哲学者だった森有正の「バビロンの流れのほとりにて」などの著作を思い出した。

映画に対しての造詣は深く、「イングリッシュ・ペイシェント」というタイトルの手紙では「イングリッシュ・ペイシェント」の原作「イギリス人の患者」と映画化作品との違いを対比してくれるのだが、「原作の小説と映画で生じた落差」からイラク戦争に共に突き進んだアメリカとイギリスの関係を重ね見る。

「恐るべき子どもたち」と題された手紙では、ロンドンの国立映画劇場で開かれた「一九六八年」展のことが紹介される。「イージー・ライダー」や寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」が上映されたそうである。その特集はベルナルド・ベルトルッチ監督の新作「ドリーマーズ」に触発されたものだという。

外岡さんはさっそくベルトルッチ監督に会いにゆく。僕は未見なのだが、「ドリーマーズ」は1968年の五月革命を背景とした映画だ。映画の中にジャン・リュック・ゴダール監督の「はなればなれに」など、様々な映画が引用されていると映画雑誌の記事で読んだことがある。

──つまりこの作品は映画の断片の引用によってできた映画であり、映画へのオマージュ、「メタ映画」とでもいうべき作品でしょう。

そう記述する外岡さんは、この映画の主人公たちの関係を見て、ジャン・コクトーの「恐るべき子どもたち」を下敷きにしていることを指摘する。そういえばコクトーの「アンファン・テリブル」は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が映画化していたな、と僕は思い出した。

僕が連想できるのは、それくらいのものだ。僕にはとうてい外岡さんのような知的な文章は書けないな、と溜め息をつく。

●世界で嫌われる「おとなしいアメリカ人」

僕も見ていたけれど、2003年の3月、イラク戦争の最中に行われたアカデミー賞の授賞式についての考察が「静かなアメリカ人」という手紙で記述されている。外岡さんは「米社会の精神の水位を示す浮標として、いつもアカデミー賞に注目」しているのだという。

──五〇年代のマッカーシズムで密告と裏切りの過去をもつハリウッドが、翼賛の空気の中で何を選ぶのか、とりわけ今年は見ものでした。

僕も、あの時のアカデミー賞はよく覚えている。アメリカの銃社会を痛烈に批判した「ボウリング・フォー・コロンパイン」で長篇ドキュメンタリー賞を受賞したマイケル・ムーア監督が「ブッシュよ、恥を知れ」と激しいスピーチを行ないブーイングと拍手を受けた。

「戦場のピアニスト」で主演男優賞を獲得したエイドリアン・ブロディが受賞スピーチの後、イラク戦争に従軍した友人を想いながら兵士たちの無事を静かに祈り、会場の人々からひときわ大きな拍手を受けた。外岡さんは、それらの受賞にわずかの救いを感じるのである。

9.11以降のアメリカでは、反戦派の俳優が仕事を打ち切られたり、反戦的なコメントしただけで解雇されたCBSテレビの制作者がいたという。確かにあの時のアメリカは被害者意識にとらわれ国中が異様に愛国心で盛り上がり、不気味な一体感を醸し出していた。イラク戦争が始まったときには、ほとんどのアメリカ国民が支持していたのだ。

そんな中で、「静かなアメリカ人」でマイケル・ケインが主演男優賞にノミネートされたことに外岡さんは注目する。9.11以降、反米的という理由からお蔵入りになっていた作品である。後に日本でもひっそりと公開されたと思うが、「クアイエット・アメリカン」というタイトルだったかもしれない。

「おとなしいアメリカ人」と訳されたグレアム・グリーンの小説を僕が読んだのは、もう数十年前のことだ。原作が出版されたのは1955年、翻訳が早川書房から出たのは1956年である。1952年、フランス軍がベトミン(共産軍)と戦っていた頃、アメリカが本格的にベトナムに介入する以前のサイゴンが舞台になっている。

ストーリーはほとんど忘れてしまったが、結末近くになってからの鮮やかなどんでん返しは記憶に刻まれている。グリーンの小説の魅力は、結末に至ってそれまでの物語が別の意味を持って立ち上がってくる鮮烈さにある。ミステリのような意外性もあるが、それとは次元の違う何かが精神の高揚をもたらすのだ。

「情事の終わり」もそうだったし、「ブライトン・ロック」「ヒューマン・ファクター」「ハバナの男」などノヴェルとエンタテイメントを問わず、読み終わると目の前がパアーッと開けていくような、新しい世界が広がるような印象がある。

しかし、そんな古い小説を今になって映画化したことが僕には不思議だった。確かにその小説に登場した若い「おとなしいアメリカ人」はあるアメリカ人像を体現し、なぜアメリカが憎まれるのかも描いている。語り手のイギリス人記者は、若いアメリカ人について皮肉たっぷりにこう述べる。

──もう一つの得意の題目はデモクラシイで、アメリカが世界のためになしつつある貢献について、自信たっぷりに断定的な意見をまくしたてるので、やりきれなかった。

外岡さんも「時を射抜く作家の洞察力の射程の長さと、米国の今の姿との酷似に驚いた」と書いているが、1955年出版の小説にこうしたことを書いたグレアム・グリーンには改めて脱帽する。まだ全作は読んでいないが、グレアム・グリーン全集を揃えておいてよかった、としみじみ思う。

外岡さんの「傍観者からの手紙」を読むと新しい視点を教えてくれるので、未読の書物は買わねばと思い、既読の本は再読したくなる。未見の映画は見たくなり、既に見た映画も確認のために見直さなければと思わされるのだった。

ああ、時間が足りない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
昨年、退社した先輩からメールが入った。若い頃、よく一緒に呑んだ人だ。一ヶ月で歌舞伎に四回、文楽に二回、その他、クラシックやジャズのコンサートにいき、日経新聞を毎日三時間かけて読み、平家物語をノートをとりながら読み、総合雑誌を数冊、隅から隅まで読んで一ヶ月が過ぎるという。五十代半ば過ぎで独身で、今は母親と実家にいるからだろうけど、羨ましいなあ。

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人妻コスプレイヤーを直撃取材:テレビ収録

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前回の続き。

●まるで結婚式のような「お迎えセレモニー」

12月7日(水)、秋葉原のメイド喫茶に続いての取材地は、スーパードルフィーのお店「天使のすみか」原宿店である。スーパードルフィーは、身長55cm前後を標準のサイズとする球体関節人形。非常に精巧にできており、その姿の愛くるしさはたとえようもないけれど、あまりのリアルさゆえ、どう見たって何か考えていそうである。

原宿店は閑静な裏路地にある広いお店で、大勢の人形たちが暮らしているだけでなく、「お迎えセレモニー」の部屋もある。今回は、この儀式が取材できるということで、楽しみにしていた。

だが、実際に蓋を開けてみると、まあ何とか形にはなったものの、反省点の多い出来であった。まず、配役。スーパードルフィーについて英語で滔々と語れる人が事前に見つけられなかった。メインの取材テーマではないので、そこまで手が回らなかったということもある。

取材当日の朝、集まった出演者たちの中で、一番なじみがあるということで上条トモコさんになった。コスプレイヤーとスーパードルフィー愛好者はけっこう重なり領域が大きいようなので、無理な設定とは言い切れず、手駒からは妥当な人選と言える。私でもよかったのだが、それは見苦しさという点で無理があろう。

店長さんにはうまく話が通っていなかったようで、当日の事前打合せで、お店のドールを借りたいという申し出にちょっとたじろいでいた。が、上条さんに選ばせてくれた。特に目を輝かすというふうでもなく、「じゃ、これ」と男性ドールを選んだ。

お迎えのセレモニー自体はすばらしかった。私は部屋の外からドアのガラス越しに見ていたが、教会で挙げる結婚式のようであった。問題は直後のインタビューである。トビーがいきなり「人形は好きか。一見、ただのプラスチックのように見えるけど」と不躾な聞き方をしてきた。トビーからすると「いやいやそうではなくて」と単なる作り物以上の意味を語って欲しかったのだろう。

が、上条さんの側からは、こういう聞き方が常套手段であることになじみがなかったようで、侮辱されたように受け取ったようである。「別に好きじゃないし」。あーあ、ふてくされた答えになっちゃったよ。それに続く質問も「男性ドールのようだけど、イチモツはついているのか」だったりして、およそ会話の体をなしていなかった。

店長さんから駄目出しを食らった。「このシーンはボツにしていただけませんか」。当然である。代わりに、店長さんがみずから店内を案内し、MABOさんが通訳することに。が、当たり障りのない説明で、人形を愛する心にまでは話が及ばなかった。人形の楽しみ方は多種多様であり、店からは特にこうあるべきという教条めいたことは言わず、お迎えする側に委ねる方針なのだそうである。

結果から振り返ると、配役選びの段階で英語の制約を外せれば、もっと熱いコメントがとれたように思え、心残りである。私の知り合いにもスーパードルフィーを我が子のように寵愛する人は何人かいたのだが。

●コスチュームのお店

同日、夜までかかって、もう一件。「コスパ」渋谷店、コスプレ用のコスチュームや装飾品などを売るお店である。上条さんと椎名朔哉さんがお店から借りたガンダムのモビルスーツを着てモデルとなり、MABOさんが案内役を務めた。椎名さんはいつもはスターウォーズの登場人物を中心にコスプレ活動をする、けっこう有名なレイヤーさんである。私は店外の階段に腰掛けてうつらうつらしていたが、無難にまとまったようである。

●ラーメンは泣けてくる食い物だ

それからしばらくは、なんだか情緒不安定な日々を過ごした。ああ言えばよかった、こう言えばよかったと後悔に七転八倒したり。適切な単語が出て来なくていい加減な言い回しで取り繕ったのを、急に思い出しては赤面したり。「うが~!」っと叫んで走り出したいような。まるで青春時代の入口。

ブラウン管(あるいは液晶? プラズマ?)を通じて不特定多数の人に見られるということをあらためて意識すると、自意識がひどく揺さぶられる。テレビに出たい人は他にごまんといるだろうに、なんの因果あって、目指したこともない方面で不器用な姿をさらしているのだろう。「私」なんぞが、注目に値する「何か」を持っていたりするもんか。

どうやら、MABOさんも似たような心境に陥っていたようで。2日後のmixiの日記によると...。(以下引用)昼食に中華セットを注文し、ぼんやり待ってて、「お待たせしましたー」と持ってきた瞬間...。ぼろっと涙。意味分からん。何で泣いてんじゃ我!! にぃちゃん困ってるがなっ! とりあえず担担麺のびるから食ったけど、鼻詰まってうまさ二割引き。いや恥ずかしかった。久々の羞恥だ。何が原因とか分からんが、泣きながらラーメン食らう女。なんてロマンチック!(引用ここまで)

●晴海のコスプレイベント

同じ週の12月10日(土)は、晴海のコスプレイベントでの取材。ここの場所選びにはずいぶん苦労した。一般的に言って、報道メディアはコスプレイヤーたちから好かれていない。混雑したイベントでは、テレビカメラを向けたとたんに、集団がモーゼの十戒よろしく真っ二つに割れたという話も聞く。人口密度の低い遊園地系は取材の許可が下りず、次善策として晴海にした。また、無関係なコスプレイヤーが映ってしまうのを避けるため、内輪で20人ほどの背景要員を集めた。

それと、イベント参加者の守るべきルールはぜひ放送に含めるよう、お願いした。テレビを見て日本まで見に来る人だって、少なからず出てくるかもしれない。それでトラブルが頻発するようになってはかなわない。今までに、外国人によるトラブルをたびたび見かけている。

西洋では、"candid"と言って、ポーズをとらない、自然な表情の写真がいい写真だという思い込みがことさらに強いようで、ルールを無視して不意打ちショットを狙ってくる人がいる。沈黙による抗議は、まず察してもらえない。冷たくされると、かえって差別されたなどといって大騒ぎしたりする。文化の違いだが、しっかりと意思疎通を図ればトラブルは避けられるはずだ。ついでに言えば、イベントの入場証には英語でも注意を入れるべきであろう。

さて、当日は晴天になった。海風の吹く屋外は寒く、幸い、人がまばら。MABOさんと上条さんは、それぞれアニマムンディのゲオリクとミハエル、スチュアートと椎名さんは、それぞれスターウォーズのスノートルーパーとアナキン。スチュアートはオーストラリア出身で、今までスターウォーズ関連のイベントでしか活動してなくて、一般のコスプレイベントは初めてだそうである。後でメールをくれて、新鮮な驚きが得られ、日本に対する見方が変わったと言っていた。

収録は、まず私がトビーを連れて入場するところから。
ト:今日はどこへ連れていってくれるの?
私:コスプレイベント。ほら、もうみんな来てる。
ト:わ、シュールな光景だね?
私:そう? いつもと変わりないけど?

トビー自身、プロのカメラマンでもあり、写真撮影に関しては注文が多い。コスチュームは既存品のキャラクターの模倣でオリジナリティに欠けるし、決まったポーズしかとらないので、誰が撮っても同じような写真にしかならない、とか。それはそうなのだが、コスプレの根底にはキャラへの愛があって成り立つものである。それが分かるものどうし、共感できるのもまたいい。好きなものの模倣はオリジナリティへの第一歩であって、否定すべきものではない。実際、こういう中からイラストや服飾デザインなどのプロに育つ人も出てくるのだ。

休憩時間。私はいつものカメコ活動。ちょうど「うさだヒカル」が通りかかったので、声をかけて撮らせてもらう。「デ・ジ・キャラット」のキャラで、大きなうさ耳の下に赤いリボンと大きなサイコロ。廃れることのない定番キャラのひとつである。トビーが見にきた。後ろを悪乗りしたテレビカメラがついてきた。おいおい、許可得てないって。その場で聞いてみるとOKがもらえ、取材になだれ込む。

ト:普段は何してるの?
うさだ:主婦です。
ト:えーっ、結婚してるの? ダンナさんは理解あるの?
う:ダンナももともとはコスプレイヤーだったので。
ト:あなたの年は?
(そこまで聞くかー?)
う:26です。
(ちょっとびっくり。10代にしか見えん。)
私:ダンナさんとトラブったときは、ぜひ相談して下さいね。
(一笑に付された)

私の出番は以上。コスプレイベントからの帰途は、なぜかたいてい気分が高揚している私だが、この日は格別の幸福感に陶酔していた。

●渋谷のクラブはアキバ系の対極

同じ日の夜10時から翌朝までは、同じ番組の別のセクションとして、渋谷のクラブを取材したのを、アニマムンディ関係者らと一緒に見学。みんなおしゃれで、踊りの上手い人がたくさんいて、アキバ系とは対極的。舞台に立つのは一流の芸人たちで、気合いの乗った、いい芸を見せてくれた。

映画"Kill Bill"の出演者らによる大立ち回り。模造刀とは言え、もし手がすべったりしたら軽傷では済みそうにないくらいの早い動きで、ものすごい迫力。漁師の家に生まれ育ったという森田釣竿船長氏率いるロックバンド「漁港」。まぐろをさばく、その手さばきがあざやか。

番組の趣旨として、各セクションの出演者間のつながりも見せることになっているので、それに沿って舞台に立ったのは発明家のドクター中松氏。少子化対策に開発したという快感増進剤「ラブジェット」を掲げ、「セックス方程式」がどうのこうのと得々と講釈する姿はどう見たってテキ屋にしか見えないところが不思議だ。向かい合わせに吊り下げたロボット2機にそれぞれ人が乗って操縦し、破壊しあうロボットファイティング。壊れていくのがもったいない。私はまったくなじみのなかった世界を見て、軽いカルチャーショックを受けた。

●地味な制作風景

コスプレの題材となる作品がいかに美しいかを見てもらうことで、理解が深まればという趣旨で、12月18日(日)、アニマムンディの原画を描いた「虎えと狂」さんを取材した。同時に、コスチュームの制作風景も。この地味さとイベントの晴れがましさの対照が、蝶の羽化のようで感動的なのではないかと。私は立ち会わなかったが、割とさらっと運んだ模様である。

同じ日に新宿で打ち上げがあり、他のセクションの人たちとも顔を合わせることができた。テレビに出るだけあって、オンリーワンな人たちである。ヨーヨーの世界チャンピオンのブラック氏や、日本で唯一の英語のしゃべれるチンドン屋である「大和家さん休」氏らが芸を披露してくれた。

●全体を振り返れば

今回の収録、大変だったし、柄にもないことしてびびったという点で精神的にも負荷が大きかった。ならば二度とやりなくないかといえば、案外そうでもなく。いい刺激になったし、いろんな人と会えて楽しかった。またご用命がありますればいつでも馳せ参じます。

制作スタッフも、全体的にはいい絵が撮れたと喜んでいた。日本ではディスカバリーチャンネルで6月ごろ放送の予定。
関連サイトへのリンクはこちらからどうぞ。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Links060120/Links060120.html
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【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。1月14日(土)、浜離宮で個人撮影だった。レイヤーさんは10代ばかり7人。若い子たちの頭の回転の速いこと、CPUのクロック周波数の違うパソコンを見るがごとし。このごろやけに時間の経つのが早いと思ったら、こっちがスローダウンしてたのか。/ITのあ痛てーに見ゆる下落かな。

<応募受付中のプレゼント>
Web Designing 2006年2月号 本誌1897号(1/25締切)


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■編集後記(1/20)
・書棚を整理していたら「いい加減にしろ韓国(日本を嫉妬し蔑む真の理由)」という新書が出てきた。「根拠ある対日非難ならまだしも、言われなき捏造は許せない! 黙っていてはいけない。沈黙は肯定と誤解されてしまうのだ。知韓派の著者が、その事実を検証して書き下ろす衝撃の書」と表4にある。「どうやら韓国人は、日本との友好親善をまったく望んでいないらしい。韓国人にとって日本は、鬱憤晴らし、非難弾劾、侮蔑攻撃、罵詈讒謗の対象でしかないのだろうか」という内容の一部を見ると、2006年の新刊書だといっても通用するだろう。しかし、じつは1994年の NON BOOK(祥伝社)である。著者は豊田有恒さん、知韓派というよりもむしろ韓国の真の姿を伝え、友好につとめてきた本当の韓国通である。もちろん韓国語も話せる。それほどの人が、限界に来たわたしの怒りと哀しみ、としてこの本をまとめたのである。かつて(すごーく前)この作家のSFが好きでずいぶん集めたものだ。それで、この新書を買ったようだが、あんまりちゃんと読まなかったのだろう。いままで、存在さえ忘れていたのだから。12年後、あらためて読んでみたら、「嫌韓流」とほぼ同じことが書かれているではないか(歴史認識はやや古いパターンだけど)。あの当時から、日韓関係はなにも変わっていない。むしろ悪化している。日本人が黙っていたからこうなったのは明白だ。言われなき捏造は許せない。きちんと、そして徹底的に、正当で合理的な批判をすべきだ。最近、日本でもそういった雰囲気になってきたのは好ましいと思う。彼の国では、データ捏造による虚偽という科学史に輝くトンデモが発覚して国家の面目も失ったが、内部告発であったのはまだ救える。日本関係の捏造も内部告発して欲しいものだ。(柴田)

・楽しみにしている番組の一つが「料理の『り』」だ。#1から再放送してくれないかと願っている。この番組は料理番組に欠かせないはずの「レシピ」「分量」一覧が出てこない。サイトにもない。初代おけいはん(関西人ならわかる)と辻調の先生が、ゆるい感じだけど決して悪くないテンポで基本的な料理を作る。サイトにも書かれてあるが、なんだか化学の実験のような感じで「何故なのか」を丁寧かつ、ゆるく(ここが大切!)解説してくれる。先に書いた分量のことだけれど、実際に料理をする時は目分量だし、その時々の野菜の水分量なんかで味が変わったりするから、この番組の「このぐらい」とか「1対2」という基本を押さえて後は感覚で十分ってな感じがとても好き。(hammer.mule)
< http://www.sky-a.co.jp/programs/culture/cooking.html
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