[2039] Web屋 2.0

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<Web屋はユーザーの代表なのだ>

■電網悠語:Ridual内面・展開編[125]
 Web屋 2.0
 三井英樹

■音喰らう脳髄[5]
 ある地方紙の記事から
 モモヨ(リザード)

■Skypeの味わい方[8]
 SkypeAPIで出来る事
 rゆ


■電網悠語:Ridual内面・展開編[125]Web屋 2.0/三井英樹
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Web屋の仕事とは何か。簡潔に言うと、「情報」を「コミュニケーション」の形にすること。情報が「点」であるならば、それを結ぶ「線」を作ること。そうした点たちが行き交う「路」を作ること。最近強くそう思わされる。

プロジェクトが始まると、いや正確には打診がきた段階から、いつも決まった手順に手と頭が進む。意識するしないはあるけれど、余りブレはない。思い返せば、だいたいこの通りだ。もちろん全部できている訳ではないが。

01)現状の「問題」を理解する
02)扱うべき「情報」を受け取る、探る、引き出す
03)あるべきコミュニケーションの「姿」を想い描く
04)説明できるまでそれを熟成させる
05)その情報をその姿に載せる「ルール」を作る
06)ルールを「ユーザーインターフェース(UI)」の形にする
07)すべての場面で、そのルールが機能するか「検証」する
08)「合意」を取る
09)「実装」する
10) 再度「検証」する

それぞれのプロセスの中で、自分の精度を高めて行こうと、もがいてる。扱う問題も、理想とするコミュニケーションの姿も、ルールも、UIも、検証方法も。前回よりも今回、今回よりも次回。

時代も後押しするように難しくなって来てくれている。単純な情報伝達画面を要求されることは、もうない。それならネット上の棒立ち看板だ。誰かがたまたま見てくれることを期待して、漫然と待つことをビジネスとは呼ばない。ネットという水面に、「Webプロジェクト」という水滴を落としたときに、どんな波紋が、できるのか、作りたいのか、できたのか。それを、ビジネスの観点で説明できなければ、説得力がないと見なされる。

何を伝えるのか、誰に伝えるのか、どう伝えるのか、どう伝わったのか。Web屋は作り手のプロのはずなのに、ユーザの代表に徹しなければならない。一番安価なモルモットは自分だ。コミュニケーション試案を重ねながら、様々な自分にリセットしながら、その試案を試す。自分を追い詰める、「本当に使い易いのか?」、「ちゃんと考えたのか」、何度も何度も自問する。

使いにくいなら、何かが伝わっていないということだ。何かが狂っている。情報の精度かもしれない。情報の品質かもしれない。「ルール」に不整合があるのかもしれない。不整合が違和感を生み、不安感を育てているのかもしれない。

答えを常に探している。クタクタで帰る電車の中でも、深夜に夕飯を食べているときでも、フッと何かが浮かんでくる。こうしたらどうだ。いつも頭のどこかで、探している。手でも探す。描画ツールの画面一杯にキーワードを並べる。丸や四角をちりばめて、順番をとっかえひっかえ、操作しながら、考えを整理する。論理的に思考するばかりが能じゃない。知恵は、手からも絞り出る。

答えを探すことは、そのクライアントのことを想うこと。開発しているときは、そのクライアントの熱烈なファンになっている。オタクやストーカーに近いかもしれない。彼らならこうする。そう考えられる。だから不満も見える。見えれば言う。黙っている方が不義だ。衝突もある。

大抵のクライアントは、プロジェクトが進むに連れて、「要求」を増やす。熱が入ってきたことの証拠でもある。恒例の仕様変更の嵐。少しでも使い勝手のよいものを提供したいので、可能な限り話を聞く。聞き出すことも大切な仕事だ。でも、何でも聞き入れる訳にはいかない。何でもやりたい八方美人は、出来上がった時には、的が絞れ切れない「迷宮」になりやすい。

迷うのは、ルールが不明確になり、特例が増えるから。ユーザはそれらをいちいち覚えなければならない。学習は壁だ。覚えなくて進めることが望ましい。シンプルさは守るべき筋だ。だから時には抗する。その結果、良い関係を持てたクライアントもいれば、逆もある。コミュニケーションは難しい。

受託業者として「お願い」するのではない。パートナーとして「意見」する。本来すべきこと、してはいけないこと、という視点で協議する。目指すビジネスにとって、それは有益か。ユーザーを迷わせるリスクを負ってまで成すべきことか。雇われ、すべてに従う関係では、いいものは作れない。Web屋はユーザーの代表なのだ。

コミュニケーションを作るためのコミュニケーション。そこが揺れたなら、確固たる「路」など作れるものではない。難しい。だから学ぶ。最近は、マネージメント系知識への志向が強まっている。Web技術だけでは、Webは作れない。

人と人との結びつきと、そのコントロール。互いに相手を型にはめようとするのではなく、気持ちよく一緒に働く技術。マネージメント技術。自分の今まで踏んできた衝突という「地雷」がこんなに簡潔に整理されているのかと驚く本も多い。というよりあまりに勉強しなさ過ぎてきたんだろう、人のことを。

でも強い信頼関係が何よりも開発基盤になることは知っている。「仲間」に疎まれたときに浮かぶ言葉は、「カリオストロの城」のルパンの台詞。クラリスが伯爵にかなわないと呟くと、「お姫様が信じてくれたなら、ドロボウは湖の水さえ飲み干せるのに」と嘆く。そう、信じてくれたなら、もっと良いものを創り出せる。

プロジェクトが大きくなると、絡まる導線も多くなる。誰もが、誰かが交通整理してくれることを期待する。でも気付いた人がやるしかない。絡まったものをほぐすのは大変だ。かくして実作業は限りなくWebから遠ざかる。仕事の整理とタスクの整理、結果の検証とテスト。何の仕事だったかを忘れそうな勢いだ。でも、外堀を埋めていかなければ進めない。

「情報」のデザインをしているつもりが、「デザインができる土台」をデザインしている。10人が集まる会議を15分短縮させるような資料を作るために、睡眠時間を削る。皆が理解するために費やす時間を少しでも減らせれば、コミュニケーションは加速されたのだと思う。そんな「縁の下」仕事が増えている。

だから、「視覚化」や「見える化」に惹かれる。短時間に正確に情報が伝達できたなら、無駄な質疑や無意味に長い解説の時間を、別の何かに振り向けられる。そう、もっとクリエイティヴな何かに。

参考)Ridual < http://www.ridual.jp/
>
< http://sourceforge.jp/projects/ridual/
>

Web黎明期から約十年。Webにつながる人たちは、もはや情報や知識だけを求めていない。共感や連帯感、共有感や情緒や、思い出や記憶まで、つなげることを求めている。共有できる誰かと、顔の見える仲間達と、そして自分自身と。

ようやくWebが一般化され、テレビCMでもURLが示される今だけど、ユーザーの求めるものは遥か上空を舞っている。それを地に根ざすことができるのは、技術やお金ではない。熱意あるクリエイティビティなんだと信じてる。

そんなクリエイティビティの第二波の胎動も聞こえる。色々な場面で、まったく世代の違う活気ある声が聞こえる。HTMLを覚えたての頃の記憶とか、Flashに出会った喜びとか、私とは全然共通項目のなさそうな世代。大学の頃から何でも検索できた世代。一番多感な時期からケータイでどこでもネットできた世代。考え方も違ってて当然な世代。羨ましいほどワクワクする。

次世代に引き継ぎたいもの、継ぎたくないもの、広がって欲しい新しい波、消え去って欲しい新しい波、いまだ形にならない誕生したての雫。清濁併せもった状態が、まだまだ続くんだろう。理想形には未だ遠い。そもそも理想形自体も変化する。ネットには自浄機能がある。不純なものは廃れ去ると信じて進む。

Webは他メディアに比べて未成熟だとよく言われる。でも、こうしたユーザーの要望や新世代や玉石混淆を受け入れるだけの許容度は、人間で言えば成熟したマチュアな者にのみなせる業だ。「転がる石にはコケは付かない」、当初の意味から異なる意味で使われるようになったこの言葉を思い出す。メディアの成熟度の定義も、数年後には変わっているのかもしれない。

                ●

Webのことを書くたびに、自分自身の中で熱い想いが奮い起こされる。Web屋をやっていて、楽した経験はない。他の定型業務がこなせたならどんなによいだろうと、逃げ腰になったこともある。悔しさと辛さに、終電でコブシを握りしめた日も多い。でも、自分で笛吹き自分で踊ってでも、この世界から離れがたい。

ビジネス主体であるクライアント、情報基盤を構築するプロのシステム屋、そして、利用者とのコミュニケーションを円滑にするプロであるWeb屋。その三者が、今後のユーザとの信頼関係を築いていくコア要素になるだろう。Web屋への期待もプレッシャーも、ますます重く、厳しく、ワクワクしたものになるはずだ。

昔、水道が村と村とを結んだように、電気が町と町とをつなげたように、Webは、情報と人を、モノと人を、人と人を、人と気持ちをますます結んでいくだろう。誇りある仕事の重なりの先に、ちょっと素敵な未来が垣間見える。

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、その日を待ち望む。

万軍の主は仰せられる。——
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、
あふれるばかりの祝福を
あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
聖書 マラキ書 3章10節

【みつい・ひでき】 感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
大嫌いなNielsenの対談を妙な縁で翻訳担当。否応なしにまさに一語一語見つめました。正論です。9/29発売の「Web Site Expert #08」(技術評論社)。
< http://www.amazon.co.jp/Web-Site-Expert-08/dp/4774128856/
>
今期は今回最終回、ご愛読ありがとうございました。再見!

・ミルクエイジ < http://homepage3.nifty.com/mitmix/MilkAge/
>
・日経ITpro Webデザイン エンジニアリング
< http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060309/232107/
>

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■音喰らう脳髄[5]ある地方紙の記事から/モモヨ(リザード)
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全国紙ではとりあげないニュースがネットで話題になり、思った以上のひろがりを見せることがしばしばあるが、今回とりあげるニュースもそんな一つ。友人の報せがあった後、指摘されるままにあちこちの掲示板を見るとこの話題はケンケンガクガクそれなりの盛り上がっていた。

「はじめに書いておく。以下は暗いニュースである。気分が鬱の時は読まないほうがいい」

友人からのメールは、そんな前置きの後に

「モモヨがマンション六階から投げ落とされたと書いてあるので、まさか、モモヨさんちかと思ってしまいました」

と続く。何が何だかわからないが、鬱でなくても、これだけで充分に暗くなる。いや、不幸の手紙とか、そういう類ではない。そのモモヨは、北海道、札幌に住んでいたという。そして、モモヨは、真実、マンションの六階から投げ落とされ命を奪われたのである。

実を言うと、そのモモヨ、人間ではない。フレンチブルドッグである。なんだ犬か、とお思いの方に言っておくが、犬とはいえ一つの命だ。それをマンションから投げ捨てるなど、尋常なことではない。私はそう主張したい。ちなみにモモヨは漢字で百代と書く。

ニュースが掲載されたのは北海道新聞9月3日の朝刊である。記事によると、先月の28日、百代は飼い主の買い物につきあい散歩に出た。買い物の際に飼い主は百代を店の外につないでおくのだが、おとなしい性格の百代は、静かに飼い主が買い物を終えて出てくるのを待っていたという。

が、その日ドラッグストアでの買い物を終えると、つないでおいたはずの百代がいない。そこで、110番に通報して、友人らに相談、必死に近所を探し回ったそうだ。

29日、知人のブログを通じてネットで呼びかけたところ、全国的な情報提供の輪が生まれ、ネット掲示板には百代の写真が掲載される。この写真の犬を見たという情報提供者から連絡が入る。「百代に似た犬をつれている女がいる」というのである。それも札幌市内同じ区内マンションの六階に住んでいる。

さっそく飼い主と知人は、この女性のマンションを訪ねて百代のことで交渉にはいる。話の途中、その女性は部屋に戻り、室内の百代を六階のベランダから投げ捨てた。飼い主は110番通報、大騒ぎになったという。百代は、即、動物病院に搬送されたが助からなかったという。

考えれば考えるほど嫌な事件である。同名ということもあるが、それだけではない。この投げ捨てた女の心性を思うと同じ人間としてやりきれないのだ。ネットの掲示板などでは、買い物中の飼い主が犬を店の前につないでおいたことを指摘して、そのマナーを問題にする声もあるが、この事件は、そんなちっぽけな話ではなかろう。百代が人間であれば当然のごとく、誘拐から殺人までの罪に問われるはずであった残虐なその女性の心性こそが問題なのである。

そもそも、この犯人(私はあえて犯人と呼ばせてもらう)の行動はあまりに低劣である。その行動は、保育園であれば三歳児のクラスでよく見受けるそれである。

私は、二人の子供を育てている。複数の幼児が集まる場所において、一つの玩具のとりあいになった際、自分のものにならないと思うとそれを遠くに投げてしまったり、壊してしまう子供がいる。実際にそんな行動を目にすることが幾度かあった。

いわゆる小児性の反射行動とも思われるが、通常、このような行為は長ずるにつれてなくなるはずである。家族相手に甘えるようにしてなかなか悪癖がとれない人(それが家庭内暴力だ)も見かけるが、普通の社会的な行動でこうした発作的な行動をとることはまずないし、こうした行動をとるようでは社会の一員として生きていくことは不可能なのが一般的である。

保育園でも年中組にあがれば、通常、このような感情的反射は当然少なくなるし、なによりも生き物を高所から投げ捨てるようなことはしなくなる。

興奮していた、とか、心身喪失していたとでもいうのだろうか。興奮して他人の目が見守る最中に百代をアスファルトに投じたとすれば、その心性はやはり危険である。周囲で生きる者にいつか害が及ぶ可能性大である、そう言わねばならない。

これに前後して、私の周辺で高名な作家の動物の命を軽視する発言が話題になった。が、その風潮の先端を行くのが、この百代殺害犯なのかもしれない。このニュースは、そうした危険性の警鐘を鳴らす意味でも、本来は全国紙に掲載されるべきものだと思う。

男の子や、中年の女性をマンションから投げ落とそうとした男がいたが、そうした男と百代を投げ捨てた女性の距離はそう遠くない。それを人間の邪悪のように語る者もいる。しかし私に言わせれば、冗談じゃないのである。彼等は泥のような凡愚におちたまま、成長していないだけである。先の幼児の行動を例にみれば、それは明白だ。

暗黒の側に身をおく立場から、そのことは断言させてもらおう。邪悪とは、高度のモラル意識あればこそ理解できる高所に存するものだ。神聖なるものを理解する者だけが邪悪をもまた理解しえる。しかしながら、凡愚、愚劣というものは理解不能なものである。そうした心性を精神的に解析しようとする学者もいるが、解析の前に、こうした者の手から子供や小動物をどうやって守るか、いまを生きている私たちとすれば、今はまさに危機的状況だ。この犯人のような心性の持ち主から弱きものをどう守るか、その具体的な方策を考えねばならない。

Momoyo The LIZARD
管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>

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■Skypeの味わい方[8]SkypeAPIで出来る事/rゆ
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夏休みも終わりに近づいたある日、突然Skypeの公式フォーラムがリニューアルされた。

・Skypeフォーラム一新
< http://share.skype.com/sites/ja/2006/08/17/new_skype_forum.html
>

毎度のことながら事前告知なし。いきなりである。Jaanusめ。前回のリニューアルというかフォーラムのバージョンアップの時も事前告知なし。その時も日本語のメッセージが全然読めなくなってしまうということに。その時は色々騒いで直してもらった。

確かにリニューアルで良くはなっている。ハードが新しくなったのかフォーラムの反応が良くなったし、今までForum専用のアカウントを登録する必要があったが今回のリニューアルでSkypeIDをアカウントとしてログインできるようになった。

が、やっぱり日本語は置き去りにされている。今回、またしても日本語のメッセージが一部予期せずHTMLタグに変換されて表示されてしまうという状態に。EU圏から見て日本の扱いなんてそんなもんなんだろう。いや、Jaanusだけなのかもしれないが。

文字化けに加え、アカウントの扱いの変更も個人的には深刻だった。一般のアカウントならこだわる必要もないのかもしれないが、rゆのアカウント(xai)にはモデレート権が付いていた。Jaanusにメッセージを送って、前アカウントの引き継ぎをお願いしdone(引き継がれたよ)と一言返事を貰うも、モデレート権は復活せず。

モデレータも告知なしにお払い箱っすか? と思いながらも、再度メッセージを送ってようやく復活。いやはやSkypeも大きくなったと思いつつも根っこの所のハッカー魂は健在なようだ。

日本語がHTMLタグに化ける問題は、こうして記事を書いてる時点で未解決ながらSkypeIDでログインできるようになったので、是非一度ログインしてメッセージを残して欲しい。

と、こんな感じで記事を書かせてもらってきたが今回の本題はやっとSkypeAPIについてだ。

SkypeAPIは、今のところ大きく分けてふたつつある。

・Skype クライアントAPI
SkypeのUIからの操作(ダイアルしたり、電話を掛けたり、電話を取ったり、チャットメッセージを送ったりということ)を自分で制作したプログラムから制御できる。ほぼ100%のことが制御可能だが、ログイン・ログアウトができなかったりと一部できないこともある。

が、UIから操作できること以外にプログラムからSkypeを通して通話先(チャット先)の自作プログラムと通信する機能もある。インターネットに接続した端末間で通信を行なおうとすると、ファイアウォールが邪魔をしてルータなどの設定変更をしないと通信できないことの方が多いが、Skypeの接続性の良さを利用するのでそうしたファイアウォールに悩まされることがない。

スケジューラやアドレス帳などのソフトが、こうしたAPIを利用して連携を図っているほか、ゲームなども出つつある。またUSB型でボタンの付いた電話機なども、ボタンが押された際にこのAPIを使ってSkypeを操作しダイアルしている。

・Skype WebAPI
Webページに、Skype:Skype名というアンカータグを埋め込むことで、リンクをクリックしたときに電話を掛けたり、Skypeのユーザ情報を表示することができる。これに加え、プレゼンスAPIというのもあり、Skypeのクライアントから設定しておくと、決められたイメージタグをHTMLに埋め込むことで自分のオンライン・オフラインなどステータスに合わせた画像を取得できる。SalesForce等、ASP系のサービスでの連携で使われている。このへんは、Ajaxというか、Web2.0的なマッシュアップを行なうことができるので是非試してみて欲しい。

クライアントAPIを使う場合、Skypeありきで設計するのが前提になる。Skypeが広まったとはいえそこまでは……ということであれば、WebAPIでWebにClick-to-Callの機能を追加するところから始めてもよいかもしれない。

・Skype Developer Zone / Docs
< https://developer.skype.com/Docs
>

またこうしたAPIを使わず、OSの機能を使って連携しているソフトもある。留守番電話やVirtualカメラなどはその一例だ。

Skypeで「こんなことできるんだろうか」や「こういうことがしたいんだけど」ということがあれば、Forumに書いてもらいたい。公にはちょっと……ということの方が多いのかもしれないが、そんなときにはメッセージ貰えれば。

【rゆ】ryu.at.nyanyan.to < http://nyanyan.to/
>
Japanese Skype Developers Forum Moderator
本業は普通の会社員、PMやってます。
こういう、ネットならではの社会参加も面白いんじゃないかと?
Skype公式ユーザForum(J):
< http://forum.skype.com/index.php?showforum=35
>
Skype公式開発者Forum(J):
< http://forum.skype.com/index.php?showforum=29
>
※URL変更になりました

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■編集後記(9/5)
・また読んでしまった秋庭俊さんの本。今度は「新説東京地下要塞」(講談社、2006年6月刊)というタイトルだ。地下要塞とは強烈だ。ついに帝都の地下の巨大な秘密を掴んだのかと期待して読み始めた。いままでと違うのは、文章が普通の日本語になって(笑)読みやすいことだ。メチャクチャ飛躍や混乱のある文章は減ったが、あいかわらず話題は散漫に配置されているから、やっぱり読むのは辛抱が要る。地下鉄、道路、建築、都市計画、防空、地図・地域資料、人物関連の資料、史料や地図資料を豊富に用いて仮説を検証していくのだが、いまひとつ弱いというか、説得力に乏しいのはなぜだ。著者の主張は「東京の地下に関する限り、私は公式の歴史を信じていない。都心の地下には、かつての都電のような路面電車が縦横に走っていたと思っている」というもので、それはすばらしい着想だ。著者はそうとう核心に迫っているようだが、決定的な証拠が見つかっていない。この本では、東京に初めて極秘の地下鉄が敷かれたのは明治36年、いまの小田急電鉄による、という仮説を立てている。また、地下をめぐる政治家の動きの歴史も、資料をつかって解説していて興味深い(ちょっと退屈ではあるが)。このテーマは、著者が自ら言うように、ジャーナリストとして踏み込んではいけない領域なのかもしれない。国家の壁は厚い。しかし、ますますおもしろい。たかだかここ100年間の歴史ではないか、隠されたものは必ずあらわれるはずだ。ぜひ追及を続行してもらいたいものだ。しかし、どこに地下要塞があるのだ? タイトルに偽りありではないか。(柴田)

・昨日の後記を書いていて、昔のことを思い出した。若いみなさんへ。就業時間終了間際に、意地悪く(わざとらしく、さほど急がないものや急ぎなのに手元に保管しておき)残業仕事を持ってくる上司っていません? 定時にあがるのを阻止する上司。その上司には終業後の楽しみはないかもしれないが、我々にはあるのだ〜と言いたくなるような上司。デートやおケイコ事、友達とのカフェタイムを邪魔するような。私は残業が苦にならないタイプだったが、そうでない同僚らもいた。そういう上司の悪口を言ってストレス解消するよりは、前日から「明日の仕事は何ですか?」と聞き、当日は朝から一時間ごとに「急ぎ仕事はないですか?」と聞けばいい。もっというならば、自分の仕事以外のことも把握できるように、周りから情報収集すれば良い。上司から指示される前に先回りするのだ。誰それが営業プッシュしているところがあるから、言われる前にそこの資料を集めておこうとか、すぐにコピーとれるようにしようとか。あっちのチームが遅れ気味と聞けば、自分がフォローにまわされるかもしれない、と心の準備ができる。急に言われるのと、自分で予想して諦めるのとでは心の痛手の度合が全然違う。次からの対策も練られるというものだ。その上司が中間管理職なら、もっと上の上司にも聞こえるように話す。私は急ぎ仕事はないかとさんざん聞いていたのに、ぎりぎりに出してくるのはその上司の仕事管理能力が低いと伝えることができる。しかしこれは告げ口ではない。何か事が起こる前に、注意喚起しているだけなのだから。何も起こらなければ、単にせわしい部下がいると周りに思われるだけであり、それによって上司がしぶしぶ仕事を持ってくれば、あなたは終業後の楽しみは諦めずに済み、会社側も早めに仕事があがり回転が良くなり、残業手当を払わずに済むのだ。ま、その分、抱える仕事が増えたり、いけずされるかもしれないが、それは終業後の楽しみのため。諦めてくれたまえ。自分が壊れそうになったら、転職や、上の上に訴えかけること、同僚らとの可愛げのある愚痴タイムも忘れずに。負けたらあかんで。(hammer.mule)