笑わない魚[213]面倒な道を歩め
── 永吉克之 ──

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1.すいませんすいません
2.すいませんすいません

1.は「すいません」を2度タイプしたもので、2.は「すいません」とタイプしてから、続けてそれをコピー&ペーストしたものだが、明らかに、1.の方が、心底申し訳ないという気持が伝わってくる。しかし2.はいかにもなげやりで、とにかくくり返して謝れば、相手も機嫌を直してくれるだろうという打算が見てとれる。これと同じことは、以下にも言える。


1.困った困った
2.困った困った

「困った」を2度タイプした1.からは、木枯らしが吹く真冬の夜中に帰宅して、部屋の鍵がないのに気づいたときの狼狽する様子が、突き刺すような感覚をともなって伝わるのに対して、コピペを使った2.は、意味もなく大袈裟に言っているだけで、問題を解決しようという真剣味が感じられない。

1.ち
2.ち

ローマ字入力で、1.は「chi」、2.は「ti」とタイプした。1.は議論の余地のない純正の「チ」であるのに対して、2.には「ティ」なニュアンスがあり、「チ」の変種と考えるのが妥当だろう。たしかに「chi」に比べて「ti」の方が比較にならないほどタイピングが楽だが、「チ」の本領を最大限に発揮したいならば、面倒でもやはり「chi」とタイプしなければならない。

1.血に飢えた陰獣 人喰い大岡越前
2.血に飢えた陰獣 人喰い大岡越前

こんな映画のタイトルがあったとしよう。どちらが興味をそそられるかは一目瞭然だ。もちろん「血」に「chi」を使った1.である。狂った大岡越前に喰い殺される美女の鮮血がありありと眼前に浮かぶではないか。しかし、「ti」を使った2.は、ウケ狙いでとっぴなタイトルにしようとしたとしか思えない。

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小学校のときの図画工作の時間、家をモチーフに描いていて、壁のブロックをひとつひとつ描くのが面倒だから、タテヨコの線で格子を作るというお手軽な方法でブロックが並んでいる感じを出そうとしたら、教師からひとつひとつ描け、と注意された。たしかにその方が各ブロックに個性が表れて、絵としては趣きが生まれる。

われわれはどうしても楽な道を選ぼうとするが、実は面倒な道を行った方が、長い目で見ればいい結果が得られるのだ。たとえば駅などで、階段は空いているのに、その横では、エスカレーターに乗らなきゃ損だといわんばかりに行列を作って待っている人たちがいる。

そこまでしてエスカレーターに乗ろうという動機は、ひとえに楽だからであるが、健常者の場合、階段を使ったからといって、いったいどんな損失を被るというのか。エスカレーターに乗ってじっとしているよりも、階段をさっさと上った方が速い。しかも運動をすることになるから健康にいい。足腰だけでなく、大胸筋、上腕二頭筋、頭蓋骨、眉毛、水かき、葉脈が鍛えられ、体力、免疫力、指導力、原子力が向上するのだ。

まあ、それはみなよーく承知しているのだが、この「楽」という甘美な誘惑に抗しきれず、エスカレーターという餓鬼道に堕ちてしまうのが、われわれ人間の性というものなのである。

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「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い、そして、そこから入っていくものが多い」(マタイ福音書7章13節)

冒頭の例で実証したように、楽な手段、手軽な方法によって行われたものは、その結果も浅薄なものになる。いやそればかりか、由々しき事態を招くこともあるのだ。

同じ番号を何度もプッシュするのが面倒だという、怠惰な消費者におもねて開発されたリダイヤルという機能がどんな危険をもたらしているか。また、いちいち切符を買うのが煩わしいという無気力な大衆に迎合して作られた、運賃プリペイドカードがどれだけ多くの人を困らせているか。そして、わざわざ店まで足を運んで買いに行くのが億劫だという、堕落した愚民のご機嫌をとるために始められたネット通販がいかに自然を破壊しているか。そんなことが実際に起こっているなんて一度も聞いたことはないが、とにかく、けしからん話である。

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今の年賀状は、挨拶文も印刷で、宛名も手書きではなく、印刷したシールを貼るという全面印刷年賀状(なんて言葉あるのかね)が当たり前になってしまっているから、私ひとりが郵便局の前で焼身自殺して抗議したところで改まりはしないだろうが、この手軽さが年賀状の価値を落としていることは間違いない。

この人、一応出しとかなきゃまずいかなーてな気持で全面印刷年賀状を送る。もらった方も、ありがたくないけど、どうせ全面印刷で切手と住所を貼るだけだから、とりあえず返事送っとけ…。その程度の年賀状なら、画像を添付したメールで済ませるか、いっそ送るのをやめてはどうだろうか。そんな無意味なことをしているのは哺乳類だけである。爬虫類や魚類はしない。その日一日を生きるので精一杯なのだ。

あーあの人、ルワンダに行くと言ったまま行方不明だけど、今頃アフリカの土になってるんだろうな、うふっ、なんて想像しながら「もう白骨になりましたか、それともまだ腐乱死体ですか」というように、相手の境遇を考えた挨拶文を、たんねんに一枚一枚書いてこそ年賀状に有り難味も出ようというものだ。

【ながよしかつゆき/家元】katz@mvc.biglobe.ne.jp
前々回の「忘れられた忘却(前編)」の後編はどうなったのだ、というメールをいただいたが、後編は忘却していたのだ。後編は次回に書こうと思っているが、多分、忘却するだろう。

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