[2133] ロマンティックな愚か者

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<サイトはこつこつと手を入れていくことが重要だ>

■映画と夜と音楽と…[319]
 ロマンティックな愚か者
 十河 進

■DTPユーザーのためのWeb再入門[10]
 新装開店と模様替え
 鷹野雅弘

■展覧会案内
 所幸則写真展「天使に至る系譜」
 第10回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展
 第85回ニューヨークADC賞展


■映画と夜と音楽と…[319]
ロマンティックな愚か者

十河 進
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●内藤陳さんに勧められた本

内藤陳さんと初めて話をしたのがいつだったか、僕は書棚から稲見一良(いなみ・いつら)さんの「ダック・コール」という小説を取りだして確かめた。そのとき、陳さんに勧められ、すぐに買った本だからだ。陳さんは「おいしい小説です」と言った。奥付は1991年5月31日の再版だった。ということは十六年近くも前のことになる。

稲見さんは寡作だった。最近、光文社文庫で「セント・メリーのリボン」が再発売されたけれど、稲見さんが亡くなって以来、本は入手しにくくなっていた。「ダック・コール」は第四回山本周五郎賞を受賞した作品集だが、読んだ人にはほとんどお目にかからない。

僕も、明け方の「深夜+1」のカウンターで陳さんに勧められなければ、買うことはなかっただろう。もしかしたら、あのとき、カウンターの中に入っていたのは作家になる前の馳星周さんだったかもしれない。稲見さんは亡くなり、馳さんは人気作家になった。十六年という歳月の長さを改めて実感する。

正月休み明けの週末にかわなかのぶひろさんと久ぷりに新宿ゴールデン街にいき、当然のことのように「深夜+1」にいった。僕は一番最後に店に入ったのだが、いきなり陳さんに歓迎された。十六年ぶりなのだ。僕のことを覚えているはずがない。先に入ったかわなかさんが「映画がなければ生きていけない」の著者だと紹介していたのだ。

その週の初めにかわなかさんの紹介で、版元から陳さんに二巻の「映画がなければ生きていけない」を送ってもらっていた。しかし、本がすぐに届いたとしても二日くらいしかたっていない。読む時間はなかったんじゃないか、と僕は思ったが、陳さんはかなり読んでくれていて、「ソゴーさんはハメット派じゃないの」と言われた。「スタンド・アローン」という章でハメットのことを書いていたからだろう。

それからハメット派の船戸与一さんについての話が始まり、レイモンド・チャンドラーの話になり、さらにジョゼ・ジョバンニの話になった。「昔、内藤陳さんの酒場『深夜+1』で聞いた話だが…」という一節が僕の本の中に出てくるのだが、そのことから「ダック・コール」を勧められたという話になった。

陳さんは日本冒険小説協会を創った会長である。もう二十五年になる。冒険小説協会を創ろうと思ったのは「素敵な本の話をしたかったから」だと言う。そう、淀川長治さんがどんな映画でもよいところを見出して誉めたように、陳さんも本への愛情にあふれている。素敵な本を人に勧める喜びを感じる人なのだ。どうしょうもない本については何も言わないだけである。

そんな陳さんに自著を読んでもらっただけでも僕は感激していたのだが、気に入ってもらったことで、その夜、舞い上がっていたのは事実だった。そして、陳さんと話すうちにかつて僕が熱中し愛読した作家たちの記憶が甦ってきた。アリステア・マクリーン、ハモンド・イネス、デズモンド・バグリィ、ジャック・ヒギンズ、ディック・フランシス、そしてギャビン・ライアル…

●ジャック・ヒギンズを再読する

陳さんと話をした翌日、僕は陳さんが神と仰ぐジャック・ヒギンズの本を書棚から抜き出した。「地獄島の要塞」はジャック・ヒギンズの三作目の小説で、初めて翻訳が出たものだったと思う。僕の持っている本の奥付は1974年8月の初版だ。当時、僕はギャビン・ライアルとデズモンド・バグリィの小説は出ると必ず買っていたが、ジャック・ヒギンズは新人という認識だった。

そのジャック・ヒギンズがブレイクするのは「鷲は舞い降りた」である。1975年にイギリス、アメリカで発売され、いきなりベストセラーになった。菊池光さんの翻訳で、翌年(奥付では2月29日初版)に早川書房から出た。「地獄島の要塞」が文庫本での発行だったのに較べて、ハードカバーの上製本で1300円もした。

もちろんハリウッドは、すぐに映画化権を買った。マイケル・ケインのクルト・シュタイナ中佐、ドナルド・サザーランドのリーアム・デブリン、ロバート・デュバルのラードル中佐という豪華な配役に加えて、「荒野の七人」「大脱走」など西部劇・戦争ものを撮らせたら当時右に出る者のなかったジョン・スタージェスが監督だった。

映画版「鷲は舞い降りた」(1977年)については、ハヤカワ文庫「冒険・スパイ小説ハンドブック」の中で、作家の伴野朗さんが「箸にも棒にもかからない駄作であったのは、なぜだろうか」と書いている。僕はそれほどまでひどくはなかったと思うけれど、確かに映画版の印象は薄い。

余談だが、伴野さんがその原稿を書いたのは、日活八十周年記念映画として製作された「落陽」(1992年)の監督を引き受けた頃のことだ。原作者である伴野朗を監督として起用し、ダイアン・レインやドナルド・サザーランドなどハリウッドスターを招聘した大作だったが、残念ながら「落陽」は箸にも棒にもかからない駄作だった。

小説「鷲は舞い降りた」が魅力的なのは、登場人物たちが素晴らしいからだ。アメリカ人の母とドイツ軍の将軍である父親を持つドイツ軍将校クルト・シュタイナ中佐は、移動の途中でワルシャワ駅に降り、SSに追われるユダヤ人の少女をかばい逃がす。彼に心服する部下たちはSSに銃を向ける。クルト・シュタイナは言う。

──彼らは、なぜか、わたしには理解できない理由で、ある種の忠誠心をわたしに抱いているのです。あなたが、わたしだけで満足して、彼らがしたことを見逃してくれる可能性はないだろうか?

そうした絆で結びついているクルト・シュタイナと部下たちは、イギリスの片田舎に降下し、別荘に滞在するチャーチルを誘拐するという決死の作戦を命じられる。彼らは様々な困難を乗り越えてチャーチルに近づいていく。だが、彼らが高潔で立派な人間だったが故に作戦は失敗する。

チャーチルの誘拐作戦を誰に命じるか検討しているときに、SS長官のヒムラーはクルト・シュタイナの資料を読んで、こんなことを言う。

──非常に頭がよくて、勇気があり、冷静で、卓越した軍人だ。そしてロマンティックな愚か者だ。

エリート軍人であり、歴戦の勇士であり、英雄であったクルト・シュタイナは、たったひとりのユダヤ人の少女を逃がすために、自分のすべてを棄てることができる「ロマンティックな愚か者」なのである。だが、そんなクルト・シュタイナには、彼と共に死地に赴く二十九名の部下がいる…

●愚か者を彩る魅力的な登場人物たち

お伽噺だとしても、ハードボイルド小説や冒険小説を読む歓びは、そこに理想の男や女が生きていることを実感できるからだ。だが、「鷲は舞い降りた」のクルト・シュタイナ中佐ほど高潔で、誇り高く、勇敢で、人間的で、騎士道精神に充ちた人物は、やはり小説の中でこそ生きるのだろう。マイケル・ケインが演じたとしても、映像による説得はむずかしかったのかもしれない。

そう思ったからかもしれないが、僕はジャック・ヒギンズ原作「死にゆく者への祈り」映画化作品(1987年)は見なかった。ミッキー・ロークが人気絶頂だった頃で、主人公のマーチン・ファロンを演じていたが、僕はミッキー・ロークのマーチン・ファロンが見たくなかったのである。

しかし、先日、「死にゆく者への祈り」を再読した折りに映画化作品を調べたら、重要な脇役のダコスタ神父をボブ・ホスキンスが、悪役のジャック・ミーハンをアラン・ベイツが演じていたと知り見たくなった。公開当時、僕はボブ・ホスキンスの「モナリザ」(1986年)は、まだ見ていなかったのだろう。

僕が持っているソフトカバーの単行本の奥付は、1978年2月28日初版になっている。原書が出たのは1973年だから、映画化までにはずいぶん時間がたっている。ヒギンズ人気が盛り上がったから改めて映画化されたのだろうか。ヒギンズ自身は最も好きな自作として「死にゆく者への祈り」を挙げている。

「死にゆく者への祈り」を再読して、僕はグレアム・グリーンの小説を読んでいるような錯覚に陥った。マーチン・ファロンは元IRAの戦士で、イギリスの官憲からもIRAからも追われており、密航するためのパスポートと資金と船の手配を報酬に、あるギャングの始末を依頼される。

だが、その殺人現場をダコスタ神父に目撃される。マーチン・ファロンもIRAだったのだから、カソリックである。マーチン・ファロンはダコスタ神父に殺人を告解し、そのことで神父の口を封じる。告解されたことをカソリックの神父は人に話すことはできないのだ。

マーチン・ファロンとダコスタ神父、神父の姪の盲目の美女アンナ、ロンドン警視庁のミラー警視、フィッツジェラルド警部など、出てくる人物がみんな魅力的で、好きになれる。悪の権化のような葬儀屋ジャック・ミーハンさえ魅力的なのだ。悪役が魅力的であれば、小説は名作になる。

「その男ゾルバ」(1964年)「フィクサー」(1968年)という代表作を持つアラン・ベイツが引き受けたくなったのもわかる気がする。ジャック・ミーハンは、死体に化粧を施し防腐処理をするときに恍惚となるような男だが、そこには葬儀屋という職業に対する誇りさえ感じられるのだ。

古い教会が主要な舞台である。僕はキャロル・リード監督の「邪魔者は殺せ」のシーンが浮かんだ。キリスト像、燭台、告解室…、そしてオルガンの演奏が聴こえてくる気がした。すべてに絶望し自分が死んでいるようにしか感じられない殺し屋マーチン・ファロンは、かつてオルガンの名手だった。その手が奏でる美しい音楽は盲目の美女アンナを魅了する。

そんなロマンティックな愚か者が登場する物語ばかりを僕が読んでいたのは、十代から二十代にかけての頃だった。読んだ本の影響を最も受けた時代である。ロマンチックな愚か者たちは僕にとっての理想像になった。共に死地に赴いてくれる仲間たちがいるような人間でありたいと僕は願った。少なくとも、そう願い続けることで、己の堕落をいくばくかはくい止めてきた…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
正月明け早々に入社試験に立ち合い、先日、面接に立ち合った。卒業前の若者たちや二十代半ばの転職希望の人たちである。自分の息子や娘と同じ年頃の人たちの懸命な対応を見ていると、若者たちに希望を感じさせる社会が必要だな、とつくづく思う。

●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店およびネット書店で発売中
出版社 < http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193
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●デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
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■DTPユーザーのためのWeb再入門[10]
新装開店と模様替え

鷹野雅弘
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今回はリニューアルについて考えてみたい。基本的に多くの企業にとってWebサイトは、ファックス番号と同じように「あって当然」となりつつある。となると、必然的に「リニューアル案件」が増えることになる。

●新装開店の効果はいつまで続く?

そこで考えてみていただきたい。家の近所に、たまに利用しているお店があり、そのお店が新装開店しました。新装開店後、そのお店に行く頻度(言い換えれば、落とす金額)は変わるだろうか?

もちろん、最初はキレイになった店内が気持ちいいし、店員も気を引き締めて対応してくれたりでナイス。しかし、基本的なお店のコンセプトや店員の対応、品揃え(メニュー)、品質(おいしさ)などが変わらない限り、新装開店の効果はそう長くは続かないだろう。

Webのリニューアルに際して、「古びてきましたし、ここは新鮮さを打ち出すためにもデザインを変えて……」と誘導するのはたやすいが、“小手先の”新装開店での効果が続かないのは、実店舗でもWebでも同様だ。

●ユーザーの行動を分析してWebサイトに反映するという発想

『アクセス解析の教科書〜儲かるサイトにするためのWebマーケティング入門』の著者である石井研二氏は、Webサイトのリニューアルを「男性的な」リニューアルと、「女性的な」リニューアルに大別できる、という。

男性的なリニューアルとは、根こそぎごっそり、実店舗でいうと、建物そのものから建て直してしまうような大がかりなもの(*1)。一方、女性的なリニューアルは、日々、こつこつと手を入れていくタイプ。石井氏は、後者(女性的な)が望ましいと結論づけている。

実店舗で考えた場合、リニューアルした駅ビルで“なじみ”のお店のフロアやレイアウトが変わり、何がどこにあるのかを把握できなくてイライラする感覚を持たせるのでなく、あれ、どこだろう? と振り向くと、そこにあるという感じだろうか。

昨今、Webでは「アクセス解析」が注目されている。「アクセス解析」によって、OS、ブラウザ、モニタの解像度などのユーザーの閲覧環境はもちろん、ユーザーがどこから来て、何分間に何ページ閲覧し、どのページを最後に見たか、といった行動情報も確認することができるのだ(*2)。

多くのユーザーは検索サイトからやってくるが、もちろん、どのような語句で検索してくるのかも調査できる。このようなユーザーの行動をリサーチしていくことで、サイトにこつこつと手を入れていくことが重要だ。実店舗では、棚卸しのデータを調査したり、何よりお客様との会話や「顔」を見ているだけでも、何が求められているかを理解することは可能だろう。

●すべてのWebサイトにご意見箱を

一方、ユーザー(お客様)の内なる要望や潜在的なクレームは、データ解析や会話からはつかめないことも多い。そこで実店舗でいう「ご意見箱」の設置をWebで行なうことをオススメしたい。

「探している情報が見つからない」、「そもそも探している情報が掲載されていない」、「誤字・脱字がある」、「リンク切れがある」、「想像していたリンク先と異なるページにリンクしている」など、Webサイト利用中に困ったことなどをフィードバックする窓口を設けてはどうだろうか。

私自身、ひとりのユーザーとして、Webサイトを利用する中で上記のような事態に多く遭遇する。結果に少しずつ手を入れること。面倒だが、この作業がすべてのWebサイトに求められることだ。

*1:ほかのサイトからのリンクが切れてしまうため、Webサイトの大がかりなリニューアルにより、URLが変わってしまうのは避けたい。もちろん、当面、検索エンジンからのユーザーも、「404」(該当ページが見つかりません)に導かれてしまう。このロスははかりしれない。回避する方法として「.htaccss」をいじって、旧URLと新URLをマッピングする方法もあるが面倒だ。

*2:現在、Googleは「Google Analytics」というアクセス解析のプラグラムを無料で提供している。利用中のサーバによって、アクセス解析のプログラムを利用できない場合にも、数行のJavaScriptのコードを入れるだけなのでオススメ。
< http://www.google.com/analytics/ja-JP/
>

【たかのまさひろ】takano@swwwitch.com
トレーナー・テクニカルライター・デザイナー
株式会社スイッチ代表 < http://swwwitch.jp/
>
モスバーガー店員から英会話塾講師、職業作詞家等、100以上の職種を経験後、DTPやWebの制作、トレーニング、ライティングは飽きずに10年。

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■展覧会案内
所幸則写真展「天使に至る系譜」
< http://anabuki.exblog.jp/5019417/
>
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会期:2月1日(木)〜2月14日(水)
会場1:穴吹デザイン専門学校1F 224Gallery(広島市南区松川町2-24 082-263-7177)10:00〜18:00 日祝10:00〜17:00 大型作品18点、書籍、仕事写真
会場2:CAFE LIBRO 広島パルコ新館5F LIBRO内(広島市中区新天地2-1 082-542-2261)10:00〜20:30 大型作品4点、プリント額装作品8点
企画制作:デジタルクリエイターズ、東京リボン株式会社 スコッチプリント事業室

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■展覧会案内
第10回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)展
< http://www.taromuseum.jp/exhibition/exhibition_current.html
>
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会期:2月3日(土)〜4月8日(日)9:30〜17:00 2/13・3/22休
会場:川崎市岡本太郎美術館(川崎市多摩区枡形7-1-5 TEL.044-900-9898)
料金:一般600円、高大生400円、中学生以下・65歳以上無料
内容:今回第10回を迎えたTARO賞は、名称を「岡本太郎記念現代芸術大賞」から「岡本太郎現代芸術賞」と改め、太郎賞、敏子賞という賞を新設してリニューアルし、美術のジャンル意識を超えた新たな芸術表現の発表の場とすべくスタートしました。今回は前回9回の応募数518点を遙かに上回る614点の応募作品から、16点の作品が選出され、その中から太郎賞、敏子賞、特別賞の3点が選ばれました。(サイトより)

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■展覧会案内
第85回ニューヨークADC賞展
< http://www.recruit.co.jp/GG/exhibition/2007/g8_0702.html
>
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会期:2月5日(月)〜3月2日(金)11:00〜19:00 土日祝休 水20:30
会場:クリエイションギャラリーG8(東京都中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル 1F TEL.03-3575-6918)
内容:今回で85回目となるこのニューヨークADC展は、2005年度に制作・発表された作品を対象に、アメリカを含め世界各国から、1万点以上もの応募があり、金賞11点、銀賞24点が選ばれている。世界各国から集められ選りすぐられた作品が、ニューヨークADCギャラリーで展示公開された後、日本に空輸されてきた。

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■編集後記(2/2)

・お待たせしました。所幸則さんの写真展が広島の2会場で昨日から。

・嵐山光三郎さんが「悪党芭蕉」で第58回読売文学賞評論・伝記賞を受賞した。泉鏡花文学賞ももらっていたな。この本は昨年、ちょっともてあまし気味に読み終えたものだ。だから、新聞に出ていた「こうしてジャーナリスティックな手法に抑制がきいているうえに、この本の信頼感をさらに支えているのは、何といっても歌仙『猿蓑』の読解だろう。この日本独特の文学形式、同時に社交儀礼の形式を、著者は博識と想像力を駆使して、現代の読書人にわかりやすく魅力あるものにした。この豊かな詩心がジャーナリズムの現実主義と均衡をとって、一冊の滋味溢れる本を生んだうえに、読者の目に著者を芭蕉その人と重ねあわせた」という山崎正和氏の評を読むにつけ、やっぱり自分は教養のないだめな読書人であると実感するのであった。ただ文章を追っただけで、なにも理解していなかった。性根いれかえて読み直しだ。とかいいながら、たまたま読み始めたのは嵐山光三郎「よろしく」(集英社、2006)である。まだイントロなので登場人物の紹介を淡々としているところだ。実父の介護生活を中心として、ぼくと妻と学校の同級生とご町内の知り合いと老人ホームの老人達がおりなす、介護と殺人と色模様のストーリーで、どうやら次から次に人が死んでいく、スペクタクル長編らしい。「コロコロと死んでゆくのが人生だ」と帯にある。わたしのこれからの人生に、おおいに参考になりそうな気配だ(ならないか)。ストーリーの中にときおり出てくる俳句が味わい深い。(柴田)

・PCサクセスが破産手続き中。ここで買ったことがあるので驚いた。で、近い雰囲気のショップが頭の中をよぎり、なぜか最後に連想したのが「マハポー」。弟にその事を言うと、彼がアルバイトで新大阪周辺の中華料理店で出前していたころの話をしてくれた。まだ事件前で何も知らなかった弟は、オウムの道場であぐらをかいた人たちが空中浮遊するためにばったんばったんとジャンプするところを見て、これ何なんやろ……と疑問に思いながら、裏口からラーメンなどを出前していたらしい。今になって思えば、あの人たちは修行中の身であり、ラーメンなんて食べてはいけなかったんじゃないかと思うんだけど、と。幹部は食べていたんじゃないかと。一緒に働いていたアルバイトらは気持ち悪がっていたが、弟は人が嫌がっているところに行くのが好きだったそうな。そういうところへの出前は、普段接することのない世界を垣間見られてとても面白いらしい。(hammer.mule)
< http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/20070203/etc_success.html
> 記事


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悪党芭蕉
嵐山 光三郎
新潮社 2006-04-22

芭蕉紀行 さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生 フィリップ・マーロウのダンディズム 密約―外務省機密漏洩事件 縦並び社会―貧富はこうして作られる



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よろしく
嵐山 光三郎
集英社 2006-10

心ゆたかな四季ごよみ 打ちのめされるようなすごい本 北京の檻―幽閉五年二ヶ月 悪党芭蕉 芭蕉紀行

by G-Tools , 2007/02/02