[2157] 長い人生を想う映画の夜

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<3月3日は耳の日、耳と言えば猫耳?>

■映画と夜と音楽と…[324]
 長い人生を想う映画の夜
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![46]
 猫喫茶で猫と遊ぼう
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[324]
長い人生を想う映画の夜

十河 進
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●影絵で作った巨大なオスカー像

今年のアカデミー賞授賞式も楽しめた。さすがにエンタテイメントの国アメリカである。今年の女性司会者はアメリカでは人気のある人なのだろうが、僕は知らなかった。しかし、最近はウーピー・ゴールドバーグなど、女性の司会者が笑わせてくれる。

今年の趣向は影絵だった。十数人の人間がバックからライティングされた大きなスクリーンの両脇から転がって集合し、瞬く間にひとつの影絵が出来上がる。最初に作ったのは大きなオスカー像だった。その後、何回か登場したが、大きな拳銃の影絵になり、銃弾が飛び出したときは「凄いなあ」と笑った。

アカデミー賞は毎回、いろんなドラマを感じさせてくれるので、長い実績のある人が候補に挙がった方が面白いし、個人的にも思い入れてしまう。逆に新人に近い人にはあまり興味が湧かない。日本ではまったく知られていなかった菊池凛子は、メキシコ映画「バベル」で助演女優賞候補になったが、僕はほとんど関心がなかった。

久しぶりに名前を聞いて、まだ頑張っていたんだなあと感慨深かったのは助演男優賞のアラン・アーキンである。僕がアラン・アーキンという名前を初めて知ったのは中学生の頃だった。当時買っていた「スクリーン」や「映画の友」で「アメリカ上陸作戦」(1966年)という映画が話題になり、アラン・アーキンがアカデミー賞にノミネートされたからである。

その「アメリカ上陸作戦」がアラン・アーキンの映画デビュー作だった。その後、印象的な役だったのはオードリー・ヘップバーン主演「暗くなるまで待って」(1967年)の凶悪な殺人者である。オードリーを追いつめるアラン・アーキンの顔はホントに怖かった。

聾唖者の青年を演じた「愛すれど心さびしく」(1968年)では、再びアカデミー主演男優賞にノミネートされた。原作はカーソン・マッカラーズの「心は孤独な狩人」だ。僕には忘れられない映画になった。その映画以来、僕はアラン・アーキンを見ていなかった。

七十四歳と紹介されたアラン・アーキンは、別人のように見えた。ずっと俳優を続けていたんだなあ、と四十年ぶりに再会した友人を見る想いだった。助演男優賞の対象になった「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)で孫娘を相手に話すシーンが流れたが、その老人はやはり別人にしか見えなかった。

僕に流れたのと同じ四十年近い時間が彼にも流れたのである。三十代半ばだった俳優は七十四歳になった。「愛すれど心さびしく」を見て僕は心の奥深くに何かが刻み込まれたが、あのとき僕は十七歳だった。十七歳の僕しか知らない当時の級友が五十五歳の僕を見たら、やはり別人に思うかもしれない

アラン・アーキンはめでたく受賞した。受賞者は皆、オスカー像を抱いてスピーチするものだが、彼はいきなりオスカー像を床に置きメモを両手で広げて読み始めた。降壇するときにオスカー像を忘れるなよ、と僕は気になった。多くの人もそう思ったのではないだろうか。

受賞後のインタビューで「みんな、僕が四、五年で死ぬことを知っているんだよ」とアラン・アーキンは淡々と話していたが、同情票だけではアカデミー賞は獲れない。「リトル・ミス・サンシャイン」は制作資金も少ない小品だけど、いい映画であるらしい。久しぶりにアラン・アーキンを見にいこう、と僕は心に決めた。

●四十年で四百本以上作曲した音楽家

功労賞はエンニオ・モリコーネだった。これは事前に発表になっていたから、プレゼンターを誰がやるのかと興味が湧いたが、クリント・イーストウッドが出てきたときにわかった。イーストウッドは「『荒野の用心棒』は私の初主演映画であり、彼の初めての映画音楽の仕事だった」とスピーチを始める。

四百本以上と言われるエンニオ・モリコーネの作品から何本かが編集されてスクリーンで流れた。イタリアの音楽家だが、ハリウッドでもずいぶん仕事をしている。「天国の日々」(1978年)の美しい映像が出た後に「続・夕陽のガンマン」(1966年)の決闘シーンが映る。

そういえば「荒野の用心棒」(1964年)の主題曲「さすらいの口笛」も中学生の頃によく聴いた。大ヒットしたノリのよい曲で、高松市のアーケード街でも頻繁に流れていたものである。当時は映画音楽がヒットチャートの上位を占めることが多かったのだ。

四十年間で四百本…、年間十本ペースは凄い、と素直に感心した。壇上のエンニオ・モリコーネは、ゆっくりと確実にイタリア語でスピーチした。それを隣りにいるイーストウッドが英語で通訳する。七十代半ばのイーストウッドよりエンニオ・モリコーネはずっと年上に見えた。

ジョディ・フォスターが出てきて紹介したのは、昨年一年間に亡くなった映画関係者たちのメモリアルフィルムだ。毎年、授賞式の後半に流れるものだが、この物故者のメモリアルフィルムを見るたびに僕はアカデミー賞はハリウッドの業界内イベントなのだと改めて思う。

俳優や監督なら僕でもわかるが(中にはまったく知らない人もけっこういるけれど)、音響や効果、編集、脚本家などスタッフたちも多く追悼される。今年も僕は半分くらいの人を知らなかった。ハリウッド関係者だけかと思っていたら、いきなり「うなぎ」(1997年)のシーンが流れて今村昌平が映る。「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)のフィリップ・ノアレも出た。

亡くなったのは知っていたが、ダーレン・マクギャビンとグレン・フォードのシーンでは姿勢を正した。脚本家というよりベストセラー作家で有名なシドニー・シェルドンも昨年、亡くなっていた。「第三の男」(1949年)のラストシーンが流れてアリダ・ヴァリが映ったときは「まだ生きていたんだ」と驚いた。

「第三の男」のキャロル・リード監督は三十年前に死に、オーソン・ウェルズももういない。ジョセフ・コットンもおそらく亡くなっているだろう。六十年近く前の映画である。スタッフもほとんど鬼籍に入っている。アリダ・ヴァリは一体いくつだったのだろう。

毎年のメモリアルフィルムを見るたびに、人生は長いと思う。アリダ・ヴァリにとってスクリーン上での人生はとっくに終わっていたのに、現実の長い人生は続いていた…。

●「無冠の名監督」と言われ続けてきた男の涙

今年最大の話題は監督賞だった。六度目のノミネートでマーチン・スコセッシは監督賞を獲れるだろうか、と注目されていた。しかし、六度目と言われても、僕は作品のタイトルが思い浮かばない。「タクシー・ドライバー」(1976年)「レイジング・ブル」(1980年)「グッドフェローズ」(1990年)など、ロバート・デ・ニーロと組んだ映画しか出てこない。

黒澤明と三船敏郎のコンビに匹敵すると言われたことがあるマーチン・スコセッシとロバート・デ・ニーロなのに、いつの間にかコンビは解消していた。スコセッシはここ五年以上、人気者のレオナルド・ディカプリオを主演にして作品を撮っている。

ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、ジョー・ペシという実に個性的な三人の俳優は、マーチン・スコセッシの映画で出てきた人たちだ。「ミーン・ストリート」(1973年)であり、「タクシー・ドライバー」だった。「グッドフェローズ」のジョー・ペシは必見だ。

しかし、レオナルド・ディカプリオを主演にしてからのスコセッシ映画が僕には面白くない。「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)も「アビエイター」(2004年)もダメだった。「ディパーテッド」(2006年)は見ていないが、原作の香港映画「インファナル・アフェア」(2002年)の出来がよすぎるので、あまり見る気にならない。

「インファナル・アフェア」は、物語も映像もセリフもキャスティングもすべてが最上の出来である。僕は今まで何度も見たが、そのたびに発見がある。人気女優ケリー・チャンが演じた精神分析医の役が中途半端だと思ったが、ヒットしたため慌てて作った三部作の最終作では重要な役になった。

潜入警官役のトニー・レオンが文句なくいい。元々、僕はかなりトニー・レオンびいきだが、その役をレオナルド・ディカプリオにはやってほしくなかったなあ。「ボーイズライフ」(1993年)や「ギルバート・グレイプ」(1993年)の頃のレオナルド・ディカプリオは好きだったのだけど…

そのレオナルド・ディカプリオは自分は主演男優賞が獲れなかったけれど、スコセッシが監督賞で名前を呼ばれた瞬間、飛び上がって喜んでいた。いや、その後、全員が席を立ちスタンディング・オベイションになった。その絶大な拍手の中で、マーチン・スコセッシは黒縁の大きなメガネの奥の目を潤ませながら「サンキュー」を連呼した。

あれほど「サンキュー」を繰り返した受賞者を僕は知らない。「もう一度、名前を確認してくれないか」とジョークをとばす余裕はあったけれど、よほど嬉しかったのだろう。僕もちょっと涙を誘われた。リメイク作品でなければ、もっとよかったのに…、やっぱり「グッドフェローズ」で獲るべきだったのだ、と僕は発作的に人を殺すジョー・ペシを思い出していた。

監督賞のプレゼンターは豪華だった。フランシス・フォード・コッポラ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスである。コッポラとスピルバーグが監督賞をもらったときの感激を語り合い「いいもんだ」とうなずいていると、ルーカスが「僕はもらってないよ」と突っ込み会場が爆笑する。トリオでコントをやっているようだった。

コッポラ、スピルバーグ、ルーカス、スコセッシは同じ時代に監督デビューした。「三十七年来の友人たちからオスカーをもらう喜び」をスコセッシは語っていたが、本音だったのだろう。世界中でヒットした映画を作った男たちが舞台袖に引き上げてくるのを見ながら、その四人の男たちが少し羨ましかった。

マーチン・スコセッシはイタリア移民の子として育ち、ニューヨーク大学を出て1967年「ドアをノックするのは誰?」を監督する。以来、第一線で映画を作り続け、四十年たって監督賞と作品賞を受賞。「無冠の名監督」と言われ続けてきた男は涙を浮かべた。六十四歳、まだまだ映画監督として仕事ができる歳だ。幸せな人生だと思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
週刊アスキー3月13日号で僕の本を永山薫さんに紹介していただいた。デジクリ連載の頃から読んでいただいていたようだ。亀和田武さんの「この雑誌を盗め!」と並んでの紹介。亀和田さんの朝日新聞の連載を愛読していたので、一緒に選ばれたのが何だか嬉しい。

■第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本
完全版「映画がなければ生きていけない」書店・ネット書店で発売中
出版社 < http://www.bookdom.net/suiyosha/suiyo_Newpub.html#prod193
>


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■Otaku ワールドへようこそ![46]
猫喫茶で猫と遊ぼう

GrowHair
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3月3日は耳の日、耳と言えば猫耳、ということで、猫耳をつけて、猫喫茶で猫と遊んできた(写真1)。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070309/FigDGCR070309.html#Pic1
>

翌日は、捨てられた猫が大集団をなす「猫帝国」に行って、ノラ猫の社会に溶け込んできた。猫三昧の週末であった。

●メイドさんがライバル

猫喫茶とは、いつも猫が何匹かいて、来店した客と遊んでくれる店である。ふわふわひらひらしゃらしゃらしたやつでじゃらすと元気よく飛びついてくる猫あり、膝でくーくー寝てくれる猫あり。サービス精神旺盛な猫は、「ねもみん」という踏み固めマッサージをしてくれることも。

どうも台湾が発祥らしく、2003年ごろにはすでにあったようである。日本では去年ぐらいから開店し始めたのではないかと思われるが、今では双方に10軒ぐらいずつある。ちょうど、メイド喫茶と逆向きの流れで、文化の広め合いのような格好になっている。時代がメイドさんや猫ちゃんを求めているということなのだろう。両者は強力なライバルになっていきそうである。

ただし、メイド喫茶の客層がもともとオタク中心だったのに対して、猫喫茶のほうは、カップル、主婦、サラリーマンなど、幅広い。猫喫茶の強みは、メイド喫茶と違って、猫が抱けちゃうところにある。しかし、猫耳のメイドさんはいても、メイド服の猫はまだ見ないあたりに、まだまだ未開拓の領域がありそうだ。

去年の10月にオープンしたばかりという "RIEN" は、中野駅北口を出て商店街を進み、メイド喫茶が2軒も入っているブロードウェイセンターを通り抜け、早稲田通りを渡ったちょっと先にある。
< http://www.rien222.com/
>
平日は夜11時まで営業しているので、仕事帰りに立ち寄っていくサラリーマンも多いのだとか。「部長に猫パーンチ!」なんてやっているのだろうか。まあ、飲み屋でクダ巻いてるよりは、明るく健康的なイメージがあるけど。料金は30分500円(平日)/1,000円(土日祝)で、以降は10分毎に100円。

●猫兄妹に遊んでもらえた

店は猫が逃げないように二重扉になってて、外の扉を入ったところで受付をして、アルコールをしゅっしゅと両手に吹きかけてこすり合わせて消毒。中の扉を入ると、奥に向かって細長い造りになっていて、左がカウンター、右と奥の壁に人の席が10席ほどある。

猫の席はそこらじゅうにあって、壁には吊り棚、天井からはハンモック。縁つきの丸いクッションの中に丸く納まってたり。天井裏に逃げ込めば、格子の隙間から見たり触れたりすることはできても、捕まえられない。もちろん人の膝も猫の席だ。そこで寝ちゃって、帰らせないようにするのが仕事だとも言える。"RIEN"の猫たちは、そこに住んでるわけではなく、店長さんちにい〜っぱいいる中から日替わりで5〜6匹選んで連れて来られるのだそうで。

奥には先客(人)がいたので手前右の席に着くと、まず、猫のおやつをくれる。それをもったいつけて小出しにしてると、どんどん猫密度が高まってきて、あっという間に超過密状態に。でも全部さばけて、「おーしまいっ」と言って空っぽの両手を見せると、一匹、また一匹と去ってゆき...。残ったのがちっちゃい灰色の子猫、「お軽」ちゃん。去年の10月23日が誕生日、ということは、4ヶ月ちょっとだね。お軽ちゃんは人の膝で寝るのが大好きなんだそうで。もうさっそく熟睡体勢に。

そのままなるべく動かさないようにしつつ、さっきドンキホーテで買ってきた猫耳をそーっと取り出して自分に装着。首にピンクのリボンを巻いて、鈴も装着。鏡ないけど、似合ってるかな?

店長さんにお願いして、コンパクトデジカメのシャッターを押してもらう。膝の上にいるのがちっちゃな子猫なので、猫と一緒にアップで写れるよう、寝ているそのままの形で両手で抱え、胸ぐらいの高さまで持ち上げてみる。気にせずそのまま寝てるよ。で、冒頭の写真が撮れたわけで。

奥のほうの席が空いたので、寝たままのお軽ちゃんを両手でそーっと持って移動。うーん、よく寝てる。そこへ「ブルホワ」君(五つ子の兄貴)がやってきて、妹の毛づくろい。耳の中までなめてる。そうこうするうちに、兄貴のほうも寝る体勢に。半分乗っかり状態で、ほぼひとかたまりのようになってる。乗っかられてる妹も特に気にする様子はなく。撮っていると、兄貴のほうが気がついた。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070309/FigDGCR070309.html#Pic2
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< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070309/FigDGCR070309.html#Pic3
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ストラップのぶらぶらが気になったようで。ぶわーっと大あくびして、ぐぐーっと伸びをしたと思ったら、それでもう戦闘態勢に入れたとみえ、いきなり飛びついてきた。まだ子猫で、それほど動きが俊敏でなく、飛びついた瞬間にすっと引き上げて、空振りを打たせてやることができる。そうなると、いっそうムキになって飛びかかってくる。床の上をしゅるしゅるっとやると、どたどたどたっと追っかけ回してくるし。元気だ。

顔の周りを泳がせたりしてからかっていたら、ついに捕らえられた。爪でひっかけた上に、食いついて離さない。引っ張ってもそのままずるずると引きずられてるし。ほい、釣れた、釣れた、と。そんなことやってても、妹君のほうは意にも介さず、相変わらず膝でくーくー寝てる。

獲物を追うときは野性性が垣間見られるけど、みんな人にはすごくよく慣れていて、お行儀がいい。爪を立てたりしないし、おやつも掠め取ったり奪い取ったりしようとはしない。そのあたり、私が知ってる猫とはちょっと違うので、「猫が猫かぶってるー」と思ったのだが、店長さんによれば、猫の種類によって性格がある程度決まってくるので、それなのではないかと。

店長さんの猫好きは言うまでもないことで、「猫の幸せのことをいつも考えている」そうだが、単なる思い入れにとどまらず、猫の健康に関する専門知識の地道な習得にも怠りない。本棚には猫関係の本がいっぱい並んでいる。「猫にとっての快適な環境作りを心がけていて、内装は木や珪藻土を使っているのでニオイがしない」などの工夫が随所にみられ、「猫を飼っている方々にとっては参考になることがたくさんあると思うので、ぜひいらしてください」とのことでした。

気がついたら3時間も経ってた。うわ、そんなにいた感覚は全然なく。先週初めて来たときは1時間だけいて気分的に物足りなさが残ったので、今日はそれよりやや長居したかな〜、とは思ってたんだけど。猫の営業作戦にまんまとはまったか。おっと、店出るときは、猫耳はずすのを忘れないようにしないと。「我に返る」とはまさしくこのことだ。

●猫帝国では猫にじゃらされた

翌日も猫に手を貸したいほど暇だったので、猫帝国へ。私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが、とある観光地のはずれにあって、捨てられていった猫たちが野良化して、何十匹という大集団を形成している場所である。

猫帝国は治外法権、主権在猫である。車の来ない道いっぱいに広がってのびのびと寝そべり、犬が通りかかっても微動だにしない。かえって犬のほうが小さくなって隅っこをこそこそと通り抜けている。が、1年以上経って行ったら、バイクが頻繁に走るようになっていて、猫たちは周辺に追いやられていた。また、アマチュアカメラマンがどっと増えてた。

野良といっても近所の猫好きの人たちが毎日えさをやりに来ており、寄付金を募って避妊手術を施したりもしている。近所には、何某センターという要るんだか要らないんだかよく分からない公共施設があるが、えさをやりに来た女性は、宝くじに当たったらあれを買い取って猫センターにするのが夢だと息巻いていた。

テレビでも取り上げられたことがあり、猫を捨てに来る人が後を絶たなくて困るという趣旨だったにもかかわらず、放送後には捨てに来る人が余計に増えたそうで、場所は言わないでほしいとのこと。ここの猫たちの中には人間に対する警戒を決して解かず、いつもえさをやりに来る人に対してさえ、一定の距離よりも近づかせない猫が少なくない。一体どんな目にあっていたのだろう。

猫というのは、初めて会ったときには馴れるのにすごく時間がかかるのだが、一旦仲良しになると、しばらくぶりに会ってもちゃんと覚えている。不思議なのは、二度目に行ったときに以前の猫がいなくても、そのときに同じ場所で初めて会った別の猫とは、なぜか割とすぐに仲良くなれちゃう。何か伝言しておいてくれるのだろうか。

見知った猫はいないかと見回すと、いたいた、白と濃いめのグレーの大きなやつ。向こうも気がついて、あいさつしに近づいてきた。足許を何度も何度も往ったり来たりしながら、すりすりしてくれた。他の、初めて見る猫たちも寄ってきた。だけど、あのときいた猫、ずいぶんいなくなってるぞ。

一番仲のいい猫は撮れないというジレンマがある。撮ろうとすると、すぐに遊びたがってレンズフードにすりすりしてくる。ピントが合いませんって。仕方なく他のを撮ろうとすると、今度は邪魔してくる。今回はトラ猫にやられた。寝そべっている猫と同じ目線で撮るためにこちらも這いつくばると、もう大喜びで寄ってきて、顔の横にどかっと座り、長い尻尾で顔や首をぱたぱたやってくれる。あー、じゃれたくなるー! うにゃっ。

夕方、横の公園のベンチで帰り支度をしていると、今度は白い大きなやつが寄ってきた。全身ほとんど真っ白なんだけど、頭と尻尾が三毛。今日、初めて会って仲良くなったばかりなんだけど、その後で意地の悪そうな小学校低学年ぐらいの女の子がやってきて、足を踏み鳴らしたり襲いかかるそぶりを見せたりして片っ端から追い散らしちゃったのをひどく憤慨していて、その後で私が構いに行ったら、ひっかかれた。やっと機嫌をなおしたらしい。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070309/FigDGCR070309.html#Pic4
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ベンチに腰掛けている私の膝に上ってきた。両手で丸を作ってやると、その中にすっぽりと収まり、真ん丸くなって寝始めた。時おりこっちが動こうとすると、「何をするんだ」と言わんばかりにいよいよ顔を埋めて丸くなり、本格的に寝る体勢である。あったかくていいけど。立ち去れないではないか。

6時を過ぎて、あたりが暗くなり、だんだん寒くなってきた。どうしようかと困り始めたころ、ようやく起き出して、毛づくろいを始めた。やっと帰らせてもらえる。またしても我に返る瞬間。ラミパスラミパスルルルルル〜。

ところで猫とよく遊んだことをもって伝記となった人物に良寛禅師(1758-183 1年)がいる。私も猫と遊ぶけど、なぜ私は良寛ではないのだろう。そんな疑問がつきまとう。悟りを開くほどの域へ到達するには、今の十倍も百倍も猫と遊ばねばならぬということなのだろうか。幸い、近所には猫喫茶があり、猫帝国へ行けば、何年経っても私のことを覚えていてくれる仲間たちがいるのだから、これからはもっと足繁く道を教わりに行こう。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
前世の猫が抜けきれてない人。先日、岩手県北上に出張してきた。その方角にちなんで、柳田國男の「遠野物語」を新幹線の中で読んでいたら、妖怪の里に向かってるような気がしてきて、怖くなった。「迷い家(マヨイガ)」って、まるで千と千尋ワールドだ。あの話では勝手に食べてはまずかったが、伝承では何でも持ち帰っていいことになってる。カクラサマって神様は楽しいなぁ。誰も信仰してない木彫りの像が雨ざらしになってて、子供がそりにして遊んだりするもんだから目鼻も分からなくなっているという。下手に制止する者があると、かえってその人が祟られるのだとか。北上は小奇麗でのどかな町、河童や座敷童子の気配はなかった。拍子抜け。雪がまばらに解け残り、きんと寒かったが、地元の人によれば4月か5月の陽気だという。真冬日が全然なかったそうで、2週間前に30cmほど積もった雪もあっという間に溶けたという。言葉というのは不思議なもので「異常気象」と言えば何か恐ろしい現象のように聞こえるが、「馬鹿陽気」と言えば、そういうのは昔もあったなぁ、と。って問題じゃないか。

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・昨日掲載したイベント告知に誤りがありました。「iJocky」→「iJockey」となります。お詫びして訂正します。

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■編集後記(3/9)

・昨年だったか「科博メールマガジン」で、魚類の差別的和名を改める活動が掲載されていた。メクラ、オシ、バカ、イザリなどの差別的な語をふくむ魚の名前を変えようという。軽率なわたしは、おお、また言葉狩りかい、へんに世の中に迎合して文化を破壊する愚行がまた始まったのか、いっちょ文句を書いてやるかと意気込んだ。ところが、関連サイトをいくつか探ったら、たんに人権へ配慮した言い換えというだけではなく、学問的にもいま重要な課題であるとわかった。ああ調べてよかった、恥をかかずに済んだとそのとき思った。驚くべきことに、日本魚類学会では魚類の「標準和名」については、いままで一度も明文化されたことがなかった。「標準和名」そのものの意味は05年の9月に初めて定義されたそうだ。おそまつな学会といえなくもないが、事情もいろいろあるのだろう。なぜ、こういう名前にまつわる話題をもってきたかというと、いま土手で目立つ花といえば春を告げるタンポポとオオイヌノフグリだからだ。紫色の小さな花をつける可憐な植物の名前が、オオイヌノフグリとはまことに気の毒である。差別的だとはいわないが。フグリとは睾丸のこと。この植物の実が睾丸に似ているからだというが、実を観察したことはない。今度しげしげと見比べるか(笑)。オオイヌノフグリで検索すれば、その愛らしい花の写真はネットにいくらでもある。昨日は、撮影するためサイバーショットを持っていったのだが、数日前に草刈りトラクターが走ったため、ほとんど消えていたが、すぐに復活するだろう。孫娘と一緒にわんぽ(犬の散歩)に行って、この花な〜に? と聞かれたらちょっと困惑するだろうなあ。彼女からいろいろ質問攻めにあって、適切な回答に苦慮する毎日である。(柴田)

・いまラーメンズがやっているマックのCMは嫌い。比較CMは元から好きじゃないし、面白くないし、ウィンドウズのことはどうでもええやん、と思ってしまうからだ。第一、購入前の比較対象リストにすらマックは入らないもんね〜、いいものかどうか以前に。このCMでその流れが変わるとは思わないなぁ。でも本家アメリカのCMを偶然見て爆笑した。英語なので全部はわからないから、わかればもっと面白いかもしれない。マックが会話しようとしたら、セキュリティサービスの人が、いちいち許可するかどうか質問してくるの。毎回、許可するかどうか聞かれたら面倒だが、逆に言うと勝手にいじられないのでいいってことにもなる。そういや、「致命的なエラー」とか出た時には、取り返しのつかないことをしてしまったとびびったし、年配の人がパソコンを触るのを怖がるのはわかる気がするよ。で、面白い〜とウィンドウズ使いの弟に知らせたら、マジ切れ。弟も比較CM嫌いだという理由はあるが、馬鹿にされているような気がして気分が悪いそうだ。小さなものが大きなものに対して揶揄することは、そんなに悪くないことだと私は思っちゃったんだけど。事実だしユーモアだし。両方使ってみたらわかってもらえるんだけどなぁ。マック使いのほとんどはウィンドウズを仕事上使わざるを得ず、どちらともの利点欠点が見えている。マックだって再起動するし、ウィルスがほとんどないのって少数派ゆえだし、私は念のためウィルスバリアー入れてるし。周りのウィンドウズユーザーは、豊富なフリーウェアで遊びが充実していたりするし、ハードの選択肢も多いし。マックだと見られない動画サイトは多くて遊べなかったりするし。それでもマックを選択しちゃうのって、慣れ以上のものがあるわけなんだが、それはCMではわからないだろうなぁ。/UK版と日本版だけはソフトタッチなのね。お国柄っすね。/本家版のPC君。憎めない感じの人で好きっす。/Youtubeではパロディー動画があるぞ。(hammer.mule)
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