[2192] ヘンリー・ダーガー幸福論

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<完全無欠の幻想>

■武&山根の展覧会レビュー
 ヘンリー・ダーガー幸福論
 「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語─夢の楽園展」を観て
 武 盾一郎&山根康弘


■武&山根の展覧会レビュー
ヘンリー・ダーガー幸福論
「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語─夢の楽園展」を観て

武 盾一郎&山根康弘
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武: こんにちは!
山: もう夜やで。飲み始めてるがな。
武: マジすか! 熱燗か?
山: こないだ飲んだ時に持ち帰った鏡月(笑
武: あー、ボトルキープ出来ない居酒屋から盗んできたんだっけ。
山: 盗んだなんて失敬な! キープするって言ったのに店員がペン持ってこーへんから。
武: そんなことまるで覚えてない。
山: 覚えとかんかい!
武: 気が付いたら山根ん家だった。家に帰る予定だったんだが。
山: 始めっから帰る気なかったやん! 帰りたかったら帰れたのに、飲もうって言ったんは武さんや!
武: まーたそうやって嘘を言う。
山: ほんまや!
武: ここで一句(笑
山: 「深酔の 鞄の中に 春の月」
武: おっ、風流ですね。春の月とは鏡月とダブルミーニングですね。では俺も。
  「はしごして 誰が払った 呑みの金」詠み人知らず
山: 武さん自分で払ってたで(笑。さあ、ヘンリー・ダーガーです。
武: えっ?!! 。。。。これで奥樣方へのつかみはオーケイ!
山: もうみんなあきれはててるがな(笑

●ヘンリー・ダーガー展/原美術館

武: 行って来ましたよ! 原美術館です! ヘンリー・ダーガーです!
< http://www.haramuseum.or.jp/
>
< http://acer-access.com/%7Edarger@acer-access.com/art.htm
>
山: さあ、結論から行きましょう!
武: 良かった!
山: クレイジーだ!
武: ヘンリー・ダーガー サイコーっ!
山: さあ、チャット終わり! さようなら!
武: 終わるんかい!
山: え? 結論でたやん。
武: 確かに(笑)。美術館中を大声で奇声上げて走り回りたくなったのは初めてだ!
山: 昔よく新宿の路上でやってたやん(笑
武: 新宿というクレイジーな街に触発されたんだよ。いや、ホント、なんていうか、狙って作れないよな。この世界は>『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供の奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジェリニアン戦争の嵐の物語』長っ!
山: そうやなあ。そのまんまなんやろうなあ。

●制作者としてのヘンリー・ダーガー

武: Gallery 1では初期のコラージュ作品があるね。『カルヴァリンの戦い』(1929)。割とゴテゴテ感のある作品。
山: あれは初めて観てちょっと驚いた。こんなん作ってたんか、と。ヘンリー・ダーガーと言えば、やっぱりコワ可愛い女男のイメージやからね。
武: そそ。やっぱり絵描きなら誰でも一度は、コテコテゴテゴテした重ったい作品を作ってしまうんですよ。
山: そういうもんかね。
武: だから、制作者としては「遠くにイッてしまった狂気の人」というより、意外な親近感を覚えたよ。
山: 人間の本質的なもんなんかな。絵描きに限らず。
武: あれもこれもを付け足してしまいたい時期を通り越すと、あっさりと削げ落ちて行く。
山: でも、画面を埋め尽くす感じは消えてなかったりもするな。
武: 絵画の平面感っていうのかな、そこがミョーに心地良かったんすょ。風景のパースペクティブの作り方が極めて平面的ってことね。
山: トレースという方法も関係してそうやな。しかし驚いたのは、あれだけの要素ががっちり構成されてること。かなり考えられてる印象を受ける。
武: 丁寧だよね。非常に。
山: なんかてきとーに配置した感じがしない。配置にきっちり意味がある、と言うんかね。言い切り感かな。
武: 俺はむしろ、あの構成は直観的に行なってるんじゃないかなあって感じたんよね。
山: でもトレースの量、スクラップの集め方、断固たる方向性、これだけの事を見ても、相当考えたと思うねんな。というのも、まず最初にテキスト『非現実の王国で』が出来上がっていた、ということ。
武: あーん? 。。。そうだんだっ!!!。。。。。(汗
山: そうらしいんですよ。僕もさっき見たんやけど。(※文末参照)
武: うむー、、、、、、、、
山: こわいやろ。
武: マジこわい。
山: テキストを11年以上もかけて作って、それからその世界を何故か絵にしようと思い立つ。
武: それをたった一人で黙々と情報を収集し、もくもくと完全仮想の物語を推敲・執筆し、さらに絵画化しよう、と、、、うおー。鳥肌たつな。言葉が先にある。というのは何か重要なポイントだなあ。
山: あ、テキストはおそらく相当直感的、というかほんとの妄想、あるいは狐憑き(笑
武: うぬー、なる程。そしてむしろ絵は構造的、か。何しろトレースだしな。
山: 自分の絵の技量をどこか知っていたような、そんな記述が自伝の中にあるみたい。
武: なるほど! あのイラストタッチはそういうことなんか! あれだけの収集家だから、シュールレアリスム絵画の情報だって知ってたろう。
山: どうなんやろうね。そういうことにはまったく興味なかったみたいやけど。
武: 仮想空間を作るには、ルネサンス的西洋絵画パースペクティブを用いた方が良い。みたいなのってあるじゃん。
山: そんなん関係なかったんやろうな。
武: ヘンリー・ダーガーの絵画空間はむしろ和風だと思ったんスよ。
山: ん? 和風か。
武: うん。ずっっーーーと奥の方には抜けない感じ。ペタっ感の中に奥があるってヤツ。
山: 僕は和風には見えんかったけど。むしろ西洋宗教画を連想した。あのお花畑とか。
武: あーそうか(笑。トラディショナルな宗教画は平面的よね。藤田嗣治の晩年の宗教画もそうだったし。
山: まあ藤田は日本人やからな。ヘンリー・ダーガーのコレクションの中の一つに新聞連載漫画があったらしい。それもトレースの材料になってる。
武: マンガ、か。
山: おそらく女の子が出てくるものなんとちゃうかな。
武: カソリックの伝統的宗教画とマンガ、そして少女。
山: 家に「オズの魔法使い」の本もあったな。写真が展示されてた。
武: ファンタジーもちゃんと参照してたんだな。
山: 片寄ってはいるかもしれんけど、異常な程、っていうか異常に、いろんなことよく知ってたんとちゃうか?
武: 「妄想を完成させる為」の莫大な情報は持ってたし、集め続けたということか。収集のベクトルもハッキリしてた、と(笑
山: そうみたいやな。

●生涯で1タイトル

武: Gallery2に『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供の奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジェリニアン戦争の嵐の物語』の絵が展示されてる。
山: そうやね。あの展示方法はどうやった?
武: 最初ちょっと戸惑った。けど、両面に絵を描いてたんだね。でさ、あの作品に囲まれた時、目眩と言うか頭痛というか、そういう拒絶反応が一瞬起こって、その後、完全無欠の幻想と言ったら良いのだろうか、与えようとして作られた幻想ではなく、想像そのもののような心地良さ。みたいな不思議な快感がジワジワと沸いてきた。気が付いたら二時間居て、閉館時間になっていた。そんな感じだった。
山: これ、でも、いわゆる絵=芸術というフィルターがなかったら、ただのおたく、幼児性愛、変態やねんなー。
武: 受け入れがたい表現ではあるかもね。でも俺、実はそういう性的変態性って気にならなかった。現代だと見慣れ過ぎてるからかな。
山: そうとちゃうか。で、ですよ。あれはもともと製本されてたんですよ! 手製本!【アーティストブック】ですよ!
武: あーそういうことかっ!
山: そこら辺をもうちょっと加味してほしかったね。
武: その形を見たかったよね。
山: ま、閉じてたらあんなにじっくり見れへんしなあ。そやけど自分で物語作って、自分で絵描いて、自分で本作って、、、うーん、なんかこれって。最後はみんなこれでしょう(笑
武: ヘンリーダーガー見てて思ったんは、イラストでもマンガでも絵でもいいけど、人間ってさ、ホイホイと沢山の物語(或は作品)を創作するなんて嘘なんじゃないかなって。
山: 嘘というのは?
武: 嘘ってのは、、、人間そんなホイホイ作品なんてクリエイト出来るはずがないっつーのよ。要求される事柄と納期と金額が最初に決まってるから、なんだろうけどさ。けど、そんな「クリエイト」やらが1,000作あっても意味ねーよ。ぶっちゃけ。
山: 1,000作あるから意味が出てくるものもあるかもしれんが(笑
(参照:「盗作について語ろう」)
< https://bn.dgcr.com/archives/20060712140000.html
>
武: まあ、ね(笑)。けど、たった一つの事を言う為だけに膨大な量の作品つくるってのは分かるけどさ。
(参照:「どこに置いとくねん! って話やで。あの作品量。)
< https://bn.dgcr.com/archives/20061122140200.html
>
山: そういうのってむずいよな。死んでから初めて解る、とか(笑
武: それもあるかも。ヘンリー・ダーガーは言ってみればワンパターンを通してるよね。もし現代でアーティストととしてそれをやろうとしても、「なんかぁ、最近ヘンリーの画風とか飽きたちゃったしぃ」とか言われちゃうわけでしょう。
山: ワンパターンというのか、スタイルと言うべきなのか、そんなことすら関係ないのか、、、だって、本人は発表は望んでなかったわけやから。作家と比べられへん。
武: だけど、このヘンリー・ダーガーの作品群にはどうしてもアーティスト《ものつくり》の根幹に関わる重要な問題があるんだよ。
山: そうやな。ものを作るっていったいどういうことなのか、考えるわなあ。
武: 言ってみればヘンリー・ダーガーはたった1タイトルを一生かかって作ってたってことにもなるでそ。
山: そういうことやな。
武: なんかそういうのメチャクチャ贅沢じゃん。俺、そういうんがいい(笑
山: ま、本人はめちゃめちゃ貧乏で、孤独で、ひきこもりで、片足引きずって、男女の性差もあまりわからず、やけどな。
武: 彼はホントに孤独だったのだろうか? 毎朝教会に行ってたわけだし。教会って人居るでしょ。で、教会ってある意味コミュティーだし、そこには出入りしてたんだよ!
山: お、確かにそうやな。

●ユートピアと同化したヘンリー・ダーガー

武: でだ、ヘンリー・ダーガーは果たして幸福だったのだろうか?
山: うーん。これはどうなんやろうなあ。
武: 2階のGallery3「ヘンリー・ダーガーの部屋の家主ネイサンラーナー」で、老人ホームみたいのに入ったとたんに死んでしまったみたいな事が書いてあったような。ずっと暮してた部屋に自分を置いてきた、と。
山: そうやね。もう生活できなくなって、施設に入って、最後はもう誰も把握できないような状態で死んだ、と。
武: ヒドイなー、辛いなー。それ。
山: 幸福か?
武: けど81歳まで生きたんだよ。
山: おそらくそんな状況では大方の人が自殺を考えるか、ひどい精神状態になってるやろうな。
武: うん、どうしてそんなに生きられたのか、それも凄いと思った。
山: そうなんよな。
武: きっと引き蘢ってた部屋や作品世界と完全に同化してたんじゃないだろうか? そう考えると人生のほとんどを自ら作ったユートピアの中に暮した事にもなる。それって幸福じゃね? 人間ってホントに不幸だったら死んでしまうと思うし。
山: ユートピアと言っても殺戮が繰り返されている世界やねんけどな(笑
武: だからこそ「ユートピア」なんじゃないのか? 例えばだが、「グローバリゼーション」とやらをアメリカのユートピアと仮定した場合、っつうかアメリカって、この地球にユートピアをもたらしたいワケだよな、案外本気で。
山: ほう。
武: で、戦争ばっかりする。殺戮のユートピア。というかユートピア自体に殺戮が内包されてる。
山: 今、画集(※)を観てみますと、「物語の最初から、ダーガーは自分自身をキリスト教の大義のために闘う英雄的兵士として、また子供たちの第一の庇護者として登場させている」とあります。
武: わはは! 馬鹿ブッシュもそんな事言ってるよな。
山: 大統領ですか(笑
武: 王国なんですよ。
山: っつうことは非常にアメリカ的(笑
武: そだね、アメリカ人だし>ヘンリー・ダーガー。
山: そやな。深いな、それも。

●ユートピアを非現実だと認識してるヘンリー・ダーガー

武: で、Gallery4「ブレンギンズ:子供たちを慈しみ守る動物」。これは凄い。このデザイン、イラストはもう、なんつーか言葉が出ない。
山: 確かによかったな。でもなんであれだけ独立して描いたんやろね。他の絵の中には出てこーへん。
武: 「王国の国旗」は資料というかパーツとして描いたんかな?
山: なんやろ、でもなんか解る気がしてきた。例えばガキの頃に自分でお話作ったりすると、細かいとこまでやたら決めたくなる、みたいな。
武: 部分解説、ね。妙に楽しいんだよな、それ。
山: 構成力が作家みたいにあるわけないから、後でどんどん付け加えて行く、そんな感じ。楽しいよな。
武: 納期ないですからねー。ノーギャラだから納期なし。待てよ、デジクリはノーギャラだが納期はある(笑)。逆を言えば納期のない作品を創れる作家・クリエイター・アーティストっているのだろうか。
山: ライフワーク的にやってる人っていっぱいいるやろ。仕事ではそれ以外のものも作ってるんやろうけど。
武: ライフワークっていうと聞こえがいいけど「単なる趣味」ってことにもなるよな。けど、ヘンリー・ダーガーにとってこの創作は「単なる趣味」だったのだろうか。
山: 「趣味」と言うより「現実」やな。
武: わはは! 生の営みそのもの、か。確かにそうだ!
山: やっぱり実際にそこに生きてたんやろね。
武: でもだよ、題名の頭に『非現実の・・・』ってつけてるんだなこれがまた。作品は「非現実だ」と宣言してる。
山: あ、そうやなー! 自分でわかってたってことや。なんやねんこいつは!
武: ・・・・・この人、キチガイじゃないよ! 絶対!
山: いや、気狂いだ! クレイジーだ! アンビリーバボーだ! 変態だ! いかれてる! でも、絵はなぜかいい(笑

●癒しと幸福とヘンリー・ダーガー

武: ヘンリー・ダーガーを誰に見せたいか、っていうとさ、やっぱり絵を描いてる人だなあって思っちゃうよ。イラストであれ、油絵であれ、デザインであれ。
山: けっこう好きな人は多いんとちゃうかなー。
武: モノを作るってのはケツから始まるものじゃないよ! ってヘンリー・ダーガーを通して言いたい。あ、ってことはディレクターやプロデューサー、キュレーターに言いたいのか。
山: 最近のいわゆる現代美術作家のドローイングに似てるとこあるやん。
武: 奈良美智(笑
山: 似てへん(笑。隣り合うとすごいよな。(Gallery5の奥に奈良美智の常設展示がある)。かたや売れっ子アーティスト、かたや誰にも知られず孤独に死んで行ったじじい。ここらへんがすごいな。アート、なんて言葉でひっくるめていいのだろうか。いや、それがアートか?
武: どっちの作品がより心にキタか、だよね。
山: 人によって違うやろうけど。
武: 最近のアートだと、奈良美智さんとか特にそうだけど、消費して身に付けてられるじゃん。いろいろ安く商品になってるから、キーホルダーみたいなのだとかポストカードとか。買って自分の近くに置いとけるじゃないですか。それが誰かの心を癒したりする作用はあると思う。けど、ヘンリーダーガーって、やっぱ少し遠い感ってある。崇高感って言ったら良いのだろうか。
山: まあそりゃそうかもしらんが、ダーガーの絵を観て別に癒されるのではなく、戦慄をおぼえるわけじゃないですか。
武: そうですね。まさに。
山: 癒されるからいい、とは素直に思えんな。僕は。
武: もちろんそだよ。オサレな癒しグッズだったらアートにしなくていい、と思ってるがな俺だって。人間の営みの可能性とか、人間の存在の不可解さ面白さ哀しさ深さとかそういうものに触れた時、何か大きなエネルギーを貰えるんだよね。アートはそこの部分と深く関係してる。そりゃ、生きてるうちに売れれば良いかも知れんが、いや、むしろ売れたいが、ヘンリー・ダーガーのように愚直に作りたいものをただ作っていたいという欲望も捨てがたい。
山: なるほどね。僕はまあ奈良作品がオシャレだとも思わず癒されもしない、というだけやからね。
武: そっか。そこからしてちがうか(笑。まあ、奈良さんだっていろいろ苦労してるんだろうし。ってかね、どっちにしてもその人が幸福かどうかは分からない。だとしたら、自分の幸福はどういうものなんだろうか、と。
山: 幸福って言うのは結局オリジナルやんか。
武: そうなんだよなー。
山: これ、健康もそうなんやけど。で、現代は幸福のイメージと、健康のイメージがおそろしく流布されてる訳で。それに従ってそのイメージを当たり前として生きる人もいる。
武: まあ、宗教やイデオロギーの類いも同じだと思うぞ。
山: まあおんなじと言えば同じだ。だからこそ、自分の身体が意味を持つ訳で。
武: その身体性は自分で獲得するしかないんよね。ん、これって非常にプリミティブなんじゃない?
山: つまり「幸福のモデル」なんて作ることは出来へんねんけど、幸福である、という自覚は作ることはできる。それを体現できるか否か、ではないだろうか。
武: 例えばスターナビゲーションと呼ばれてるプリミティブな航海方法が南の方(ミクロネシアあたりとか?)であったらしいじゃないですか。
山: ほう。なんですかそれは。
武: なんかね、要は雰囲気と直感で航海するんだって。
山: へ〜。じゃあ僕スターナビゲーションやな(笑。雰囲気と直感のみ(笑
武: そうやって太古の昔から航海してたんだって。航海法は口伝。じっちゃと一緒に何十年と航海するだけ。で、もうそれが出来る人がいなくちゃったのかな。地図もコンパスも無線もあるし。
山: あまりにも合理化しちゃうもんだからしょうがないんかね。

●幸福と身体性。悲劇や不自由は不幸とは違う。

武: ヘンリー・ダーガーは幸福だったか、についてだけどさ。僕はこう思いたいの。
山: はい。
武: 「ヘンリー・ダーガーは幸福だった。ただ、悲劇だった」と。
山: じゃあ本人の思う通りになったってわけや。なんせ本人は自己イメージが英雄やし。
武: 親が早くに死んじゃって障害者として施設に入れられたのは悲劇だが、その悲劇の中で幸福になる方法を見出した。それがあの『非現実の王国で〜』だったのではないだろうか。何十年もかけてたぐり寄せて身体化して行ったわけですよ。スターナビゲーションを体得するように。
山: なるほど。
武: いずれにせよ、幸福は買い物のように手に入るものではないでしょうよ。
山: そりゃそうだ(笑。癒しとは鎮痛剤と同義やな。買って手に入るんやから。しかし癒しと幸福はあまりにもかけはなれている。
武: なるほど、癒しとは「ドラッグ」ってことか。金で手に入る幸福、という錯覚も含めてな。
山: で、ヘンリー・ダーガー。彼は想像力、あるいは妄想というなかなか他人とはわかり合えないドラッグを手にした。それによって彼は毎日酔っぱらっていた。ただそれは癒しではなく、妄想だの創造だのと人からどうのこうの言われる以前に身体化されていた、リアルだった訳だ。つまり自分に忠実であった、と。
武: ヘンリー・ダーガーは19歳から11年以上かけて『非現実の王国〜』を執筆する。10年以上もかけて妄想を膨らまし、言葉を獲得して物語を構成して行く。妄想を言葉にして書き記す作業、それは身体的だよな。
山: そうやな。それを直感的に選べた何かがあった。
武: 聖書、か!!
山: また、彼はいろんな状況を剥脱された。剥脱、というのは、彼は知的障害者ではないにもかかわらず、施設に入れられまともな教育を受けられなかった。なんとガキの頃のあだなは「クレイジー」(笑
武: そのまんま。。。カワイソス。。。。
山: 要するにはじめっから権利なんてあったもんじゃない、そんな状況で自分は何も知らされずに生きた、というか生かされた。「ジユウ」なんてあったもんやないね。で、頭の中に自由が生まれた。
武: 外的要因が余りにもカワイソウだからこそ、自由を作りだすしかない。
山: そうね。
武: その自由がこれまた外的悲劇が反映されてるのか、狂気に満ち溢れた世界だ。その狂気をアウトプットする為だけに身体は特化されて行った。
山: 写し鏡みたいなもんかもね。で、絵にする、ということがより身体性に絡んでる、ということですかね。
武: そうそう、言葉から絵へ。絵の方がより身体的だ、手の動きがそのまま作品になっちゃうんだから。彼は自分のより一層の身体化を図って行ったわけですよ。で、トレースなんだよな、言い換えれば「矯正」。なぞる事を永遠繰り返すわけでしょ。
山: でも彼はトレースに自ら「修正」を加えている! かなり暴力的に(笑
武: 画法を自ら限定するのもちょっと凄いんだけどね。
山: 限定はしてへんのとちゃうかな。いろんな技法を使っているらしい。写真とか。自分のドローイングをネガにして引き延ばす、つまり拡大させていた。元ネタがちっちゃいからトレースしただけではかなり小さいんですよ。で、引き延ばした写真で大きい絵を描いていたらしい。
武: ふぇ〜! で、収集はトレースするネタ探しでしょう。
山: どうやらそれだけではないらしい。いろんなものを集めるんだが自分のイメージに見合ったものを集めているみたいで。それは自己教育だよな。
武: うむー、ホントの独学だな、それって。スゴスギ。
山: 集めて集めて自分の世界観をがっちり強固なものにして行く訳だ。そこに迷いは感じられない。

●ヘンリー・ダーガー幸福論

武: つまり、情報を収集し続けながら、言葉にして書き表し、絵にして描き現したってことだな、一生かかって。で「幸福のモデル」はあるか? という問いに対して、「ヘンリー・ダーガー」という答えがあるんじゃないか、と。彼は自分の技量も知っていたってことは、より自分の身体に忠実に仕事をしていたと言う事になる。ヘンリー・ダーガーは確実に自分の身体性を獲得していたよ。作家としては。
山: そうやな。そこは重要だ。
武: でもだ、生い立ちや境遇、障害者施設に入れられたり、足が不自由だったり、そして死に様なんかは決して現代の俺たちが抱く幸福のイメージとはほど遠い。
山: そやねんな(笑。だからダーガーが幸福であるということを現代的に言えなければ、それは僕らに直接的な意味はないかもしれんな。
武: うーん、けど、やっぱり幸福を身体に求めると、彼は絶対幸福だ(笑
山: ただおそらく、彼は描き続けた訳ではない。
武: そうね、殆ど収集してたんじゃないでしょうか。
山: そうみたい。
武: それもある意味リアルに頷けないか?
山: まあね(笑)身体性を特化させたのは一時期だけやったんやな。でも収集という行為も特化か。
武: そうそう。で、その行為、収集と物語と絵画は本【アーティストブック】に帰着して行った、と。
山: 結局、今思ったことだけど、本を完成させると世界は完結するんではないだろうか。あとはその本と共に生きて行く、みたいな。
武: 一冊の本が彼の人生だったワケだ。。。なんだか、泣ける話しだ。ヘンリー・ダーガーは「人生の全ての営みをたった一冊の本に帰着させた」という、信じがたい偉業を成し遂げた人物であると。
山: ヘンリー・ダーガー幸福論(笑
武: (泣)。。。じゃあ、ここで一句、おねがいします!
山: 「酔狂も 一生やってりゃ 陶酔境」
武: おあとがよろしいようで。♪ちゃんちゃんちきちき〜〜
山: 寄席かっ!

※「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で/ジョン・M・マグレガー著/小出由紀子訳/作品社」

ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語─夢の楽園
会期:2007年4月14日(土)〜7月16日(月・祝)
会場:原美術館
開館時間:11:00〜17:00(水曜日は20:00まで/入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(ただし4/30、7/16は開館)、5/1
入館料:一般1,000円、大高生700円、小学生500円、他
詳細は < http://www.haramuseum.or.jp/
>
・日曜、祝日には同館学芸員によるギャラリーガイドがある 14:30より30分

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/現代美術作家のフリをした呑んだくれ】
・新宿西口地下道段ボールハウス絵画集
< http://cardboard-house-painting.jp/
> take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/現代美術作家の皮を被ったトラキチ】
・SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
> yamane.yasuhiro@gmail.com

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■編集後記(5/1)

・というわけで、「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語─夢の楽園」へ行きましょ〜。ゴールデン・ウィーク中もオープンしてます。