[2219] 時間とクオリティー

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<ギリギリのところまでウダウダ?>

■創作戯れ言[12]
 時間とクオリティー
 青池良輔

■デジクリトーク
 これでもまだまだ苦労が足りないと思うこともしばしば
 〜広島在住イラストレーターの戦い
 田中修一郎

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■創作戯れ言[12]
時間とクオリティー

青池良輔
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「時間があればもっと良くなっていた。」

と思う事は少なくありません。

「時間がなさすぎる」状況は、多くのクリエイターの方が抱えている問題です。それは、ぶっちゃけてしまえば、どこかで誰かがプロダクションスケジュールを読み間違っているか、期間を短縮する事で予算を抑えようとしているか、仕切り役が明確でないまま、なんとなく進行してきたしわ寄せが積もり積もってくる等、あまり嬉しくない理由があると思います。

そういった状況下でも、「いや、時間もアレだし、クオリティーはそれなりでいいよ」というクライアントはほとんどいないでしょう。万が一いたとしても、その言葉は、クリエイターを救う事にはなりません。特にフリーランスで仕事をしていると、仕事の一本一本が自分のプロフィールなのですから、「時間がない時は適当にやっつけ仕事ができる能力」なんてセールスポイントはあまり持ちたくありません。

結果的には、何と言われようとも「時間内でベストを尽くします」としか答えられない状況に追い込まれてゆきます。多くの方が、寝る時間を削り、ひたすらに作業し、本当にできる限りの努力をして制作されているようです。

そうした「ちょっと無理目な状況」を経験すると、どうしても「もしも時間があったなら」という希望に満ちた想像をしないわけにはいきません。気力、体力ともに充実し、生活リズムをキープしながら笑顔でこなす仕事。9時から6時ぐらいまで働いて、あとはゆっくり自分の時間を充実させる……

しかし、残念ながら個人的には、自分の心の中に、

「ガンバル事は美しいと思う心」

が居座っているのです。

外国人と仕事をすると、自分の中の日本人的気質というか「苦労自慢」的なものを感じることがあります。「僕って頑張っているんだよ」と何とも子供じみたアピールではあるのですが、それで保たれているアイデンティティーも感じます。ビジネスライクな外国人にとっては、時として「自己管理ができていない奴」「自分の人生を無駄遣いしている」と思われる事もあります。

でもしょうがない、「苦労は買ってでもしなさい」の国の生まれですから。

そしてさらに、自分の性格を反芻してみると時間が倍になったからといって、作るコンテンツのクオリティーが200%にはならないだろうと感じるのです。

時間が倍になったとき、自分が何をするだろうと考えると、ほぼ確実にその時間のすべてをプロジェクトに捧げはしないだろうと。結局ギリギリのところまでウダウダしていそうに思えるのです。あと単純に手が遅くなるとか。

時間があれば、確かにテストと試行錯誤はいろいろやります。新しい事ができないか模索するのは楽しいものです。しかし、その多くはファイナルプロダクトと直接結びつく訳でもなく、最終的にはプロジェクトの制作の時間を、開発に充ててしまうことになってしまいます。

などなど、現状を考えると、僕自身があまり環境改善に前向きでないように思えますが、

「時間がなくても、カバーしておきたいポイント」

というのは確実にあります。

それを一言で言ってしまえば、「油絵の静物画の白い点」です。果物や花瓶等を描いた油絵に、光沢を表現する白い点を描き加えるかどうかでその絵が引き締まります。もちろん、その点を描くポイント、大きさ、加減等あるでしょうが、基本的にこれがあるとないとでは絵の印象が大きく変わります。美術館等で実物を間近でみると、絵によっては本当に「ぼこっ」っと絵筆の勢いのままに、光が描かれているものもあります。

それらは、多くの研究と、練習と才能によって描かれているものだと思いますが、物理的に白い絵の具を筆につけて、キャンバスにのせる時間はわずかだと思われます。

コンテンツ制作でも、「あ〜、もうギリギリ」という時に、この「光の点」が加えられないかは考えます。なにか一つ「アクセント」を加えるように留意します。

そしてもうひとつは、「見切りを付ける点を探す」事です。「時間がなかった」という台詞は、一種免罪符のような力もあります。制作に関わる多くの人の共通認識として「時間はないもの」という考えが蔓延しているので、この一言を言えば許されるような空気を感じる事もあります。

ただ、そうやって仕事をしてゆくといつの間にか自分のスキル不足が、時間がないという理由に置き換えられてしまいそうな危惧もありますので、可能な限り「見切り点」を見つけ、「今回はここまで」と割り切っていくように心がけています。後に引きずらないというのも、その次のプロジェクトに反省点を活かす為に大切だと思っています.

いろいろ考えてみても、結局「時間がない」という自分自身、「時間がふんだんにある」状況で何をするか、具体的なイメージがないので、ギリギリまでウダウダしてしまうような気がします。

生意気言いました。

【あおいけ・りょうすけ】your_message@aoike.ca
< http://www.aoike.ca/
>
1972年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。学生時代に自主映画を制作したのち、カナダ・モントリオールで映画製作会社に勤務する。Flashアニメシリーズ「CATMAN」でWebアニメーションデビューする。芸術監督などを経て独立し、現在はフリーランスとして、アニメーション、Webサイト、TVCMなど主にFlashを使い多方面なコンテンツ制作を行う。

・書籍「Create魂」公式サイト
< http://www.ascii.co.jp/pb/flashbooks/create-damashii/
>

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■デジクリトーク
これでもまだまだ苦労が足りないと思うこともしばしば
〜広島在住イラストレーターの戦い

田中修一郎
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「あの〜、先日描いたポスターのイラストの件なんですけど、、、、、、、請求書を、、、」

「あ〜ぁ、あの仕事ね、クライアントに見せたらやっぱり今年はポスターなしにしよう、ってなってね。なくなっちゃったのよ〜。だから、なくなっちゃったから、よろしく〜」

明るく電話を切られてしまった。なくなった。。。。。。。。
なんで事前に連絡がない????
またタダ働き??????

●いつも笑顔のイエスマン

広島のイラストレーターに人権はない。いわゆる「下請け」でしかない。それも個人なので、下請けの中でもとっても弱い立場の下請け。ギャラもたたかれる。蒲田や東大阪の町工場よりたたかれる。デザイン会社の下請けとすれば、広告代理店の孫請け。ヘコヘコである。

東京も大阪も、日本全国どこでも多かれ少なかれそういうところはあると思うが、広島のその比率は抜群に高い。たまにこっちが反撃して文句をいうと、意外と相手は弱かったりするのであるが、どこの代理店もデザイン会社も同じような下請けの対応なので、いちいち怒っていると身体が持たないのだ。

戦ってみるとわかるのだが、相手には悪気がない。イラストレーターに人権がないのが当たり前と思っているから始末が悪い。だから、こっちが文句を言っても意味がよくわからないようなので、上司を呼んでもらって話をすると、上司もよくわかっていない。「裁判」って言葉で脅してみると、急に事の重大さがわかってきて、やっと相手も真剣に対応してくれるようになる。こんな事を仕事の度にやっていると疲れる。熱が出て倒れる。身体が保たない。。。。。

「人間とは何だ。生まれてきた意味はなんなのだ」変な方向に考えが行ってしまい、仕事の意欲もなくなってしまう。やってらっか! イラストレーターってもっとカッコイイ商売と思っていたのに。

どこの世界にも悪いヤツはいる。しかし、私が相手にしている人は悪いヤツではない。酒を飲むと結構いいヤツでもあったりする。さまざま要因がこういう状態を生み出しているわけで、イラストレーターはどこかのデザイン会社や広告代理店に一生懸命ぶら下がって生きていかなければ食っていけない現状がある。デザイン会社や広告代理店のすぐ近くに事務所を借りて、電話があったら10分以内で駆けつける。そんな涙ぐましい努力の末、なんとか飯にありつける。感情など殺してゆかなければやってはいけない。

東京や大阪、名古屋に比べて広島の市場はとても狭い。依頼される会社も数も限られているから、私のように文句を言ったりすると二度と仕事は依頼されないわけで、文句など言ってはいけない。いつも笑顔のイエスマン。

「東京のイラストレーターの◯◯さんのようなイラストが欲しいんだよねえ。こういうイラスト(雑誌を見ながら)今日の夜までにこういうイラスト描いてメールで送っておいて。3〜4パターンね」

こんな程度で文句を言ってはいけない。「◯◯さんに頼めばいいじゃないですか」「今日の夜なんて間に合うわけないじゃないですか」と心の中だけでつぶやくのだ。

●こうしてイラストレーターになった

私がイラストレターになったのは35才くらいで、この世界に入ったのは結構遅い。いろんな業界で働いてきたので、広告業界の不思議が目に付くのかも知れない。それまでは印刷会社でDTPのまねごとのような仕事をしていた。デジタルを憶えたのもこの時で、コンピュータで絵が描けることを知ったのも30過ぎてからだった。

あの当時、Painterのペンキ缶のようなパッケージに大いなる可能性を感じたが、見つめるだけでなかなか買えなかった。ただただお金がなかった。そんな私を見てPainterを買ってプレゼントしてくれた友人がいた。なんとありがたい、持つべきは友人である。

がむしゃらにコンピュータに向かって描いた。それまでアナログ人間を突っ走っていただけに(テレビとビデオさえつなげなかった)だからよけいに新しい画材として染みいるように描きまくった。楽しかった。今考えるとPainterを当時のコンピュータのスペックでハードに動かしていたのが信じられない。一日に何度ものフリーズも機械に弱いだけに受け入れていたほど夢中だったと思う。

若い頃、ペーター佐藤さんに憧れ、イラストレーターを目指すが、目指すだけでこれといって活動はせず「俺を求めない社会が悪い」くらいの勢いで遊んでばかり。そんな不真面目で絵を人に見せるわけでもなく、営業もしない若者がイラストレーターになれるはずもなく、印刷会社に落ち着いていたが、30才も過ぎ、イラストなんか描かず、印刷を真剣にやろうと決め、イラストとのお別れの証として、尊敬するペーター佐藤さんがお亡くなりになられてからできたペーター賞というコンペの賞が欲しくて、これがいただければイラストから縁を切るつもりだった。カッコつけた言い方だがホントにそうだった。未練タラタラだけどケリをつけるべきだと。

彼女との別れ話のときに「最後に一回やらせて、、、、いや?、、、、じゃあキスだけでも」みたいなものだろうか。。。。。。

自分でもビックリだったが、ペーター賞を見事に受賞した。これでイラスト人生は終わり。のはずが、そこは人の性「これ、いけるんちゃう??」と思い込み色んなコンペに出してみた。そしてほとんどのコンペで賞をいただくことになってしまった。それが雑誌に載り、イラストの仕事が来るようになってしまった。なってしまったのである。真剣にやろうと思った印刷の仕事など上の空。いいかげん。

東京を中心に全国各地から、新しもの好きの編集・デザインの皆様からイラストの依頼をしていただき、なんせ急になのでこちらもビックリ。初めての仕事は新宿の有名なデパートの広告。以前、ペーター佐藤さんもここのポスターを描いていた。今思うと、それはそれはイラストレーターとして素晴らしい扱いを受けた。アーティストとして扱っていただける。アートとしてイラストに求められる要求も高い。仕事をしやすいように進めていただけるので、高い要求にも心が躍る。イラストも良いものが出来上がっていく。

そんなのが最初の仕事だった。その次は出版社。文庫の表紙。団鬼六さんのカバーだった。特に出版社はイラストレーターをちゃんと扱ってくれる。納期はたっぷりある。初めての書籍だったので、これが本屋に並ぶのかと思うとワクワクする。「なるほど、イラストはこうやって進んでゆくんだ」と知り、それがイラストレーターの仕事だと勝手に決めつけ、擦り込まれていくことになる。イラストレーターはアーティストなのだ! しかしまだ広島の現状を知らない。

●「噂の田中修一郎」

その頃、広島の友人のお店が「絵を飾って」というので、私の絵を渡していた。たまたまそこへ、大企業の役員をしている人が来て私の絵を見た。広島の経済界をすみずみまで知り尽くしている人物である。その人が、私の友人に対して「いい絵だねえ。広島の人? イラストレーターなの? そうかあ、いい絵だねえ〜。でも広島の仕事はしてないでしょ。広島はねえ、こういう人は三年くらい経たないと使わないのよ。三年我慢してなさいって、そのイラストレーターの人に言っておいて」と言って出ていったそうである。

東京を中心に仕事をいただいていて、広島の仕事がなかったので、広島のデザイン会社をファイルもって回っていた頃である。営業下手ということもあるけれども、その手応えのなさに悩んでいた矢先であった。どうも東京のデザイン会社と雰囲気が違う。明らかにウェルカムではない。東京でデザイン会社や出版社などに電話してファイルを持ってゆくと、いくら忙しくても見てくれた。無理な場合もあったけど、それでも何とか会おうとしてくれた人が多い。そしていろいろなご意見をいただくことができたので、高くなりがちな鼻をへし折っていただいた人達には今思えば感謝にたえない。

でも広島は違った。意見はない。「会ってやってやる」の空気。むしろ「自分はどこどこの有名な仕事をした」「有名なイラストレーターと仕事をした」など自慢話を聞かされるハメになる。私のイラストなど全く興味がない。

「このあいだ藤井フミヤと仕事してさあ〜」(後で知ったが広島コンサートのポスターデザインの下請け)
「いや〜忙しくてさあ。寝てないよ」(寝てないよ自慢)
イラストを見て、僕はこう思うという意見など全くなく「東京で有名になったら使ってあげるよ」そう言うことを何度も言われた。

上から目線は立場上しかたがないけれども、初対面なのに足を組む。何故かため口。最新の服に髪型・メガネ。(ホントに一流なのかも知れないが)カッコは一流。そんなグラフィックデザイナーが多い。もちろんすべてはないけどそういう人が多い。ちょっと言い過ぎかもしれないけど素直な感想。

そんなこんなで三年間、広島の仕事はなかった。三年たった頃、嘘のように広島から仕事が来るようになった。三年我慢と大企業の役員さんが言ったことが本当に現実のモノとなる。占い師もビックリ。しかし、今まで話を聞くだけだった「広島イラストレーター残酷物語」を自ら体現してゆくこととなる。

無断使用・イラストを勝手に修正・お金を払わない・仕事がなくなる・いつの間にかイラストを買い取ったと主張・下請け業者として小間使い・ラフだけ描かせて仕事を奪う・今度別の仕事発注するからこれタダでやってという嘘、など細かいことまで入れると書ききれないくらいあるけれど、広島の他のイラストレーターの話を聞いていると、まだまだ苦労が足りないと思うこともしばしば。広島のイラストレーターの皆さん頑張っています。

10年たってやっと、付き合うべき会社・人が見えてきて、トラブルも少なくなった。基本的には広島の仕事は在住ながら二割程度。何年か前、日本でも三本の指にはいる大きな広告代理店の広島支店さんと大げんかになり、役員さんに詫びを入れてもらう事件があったので、広島の広告業界には「田中修一郎は鬼のような人間」と思われていて、新規の仕事の依頼はほとんどない。

時々、代理店主導で仕方なくケンカをしたことがある会社のデザイナーと仕事をするとき(本人とは初対面)相手の様子がおかしい。くちびるがピクピクと震えている。鬼と言われる「噂の田中修一郎」と初めて対面してびびっているのである。一生懸命しゃべっているが相当に怯えている。

どんな噂が流れているのだろうか? 打ち合わせでいきなり怒鳴ったり、殴りかかったり、ブレンバスターをしてきたりすると思っているのだろうか? そんな空気なのである。そんな人間ではない。見た目はともかく、おとなしく、トラブルが嫌いで、彼女にふられて二ヶ月もご飯を食べられなかった気の小さい人間なのである。車も事故に遭うのが恐くて、運転をしないくらい小さい肝っ玉の持ち主なのに・・・・・。

広島の広告業界にはびこる田中修一郎のイメージが変わるのは、まだまだ何年もかかるのだろう。笑顔笑顔。

息子が通っている小学校にはイラスト部というのがあって、イラストレーションが盛んである。プリントなどにも子供達のイラストが各所に使ってあって、ほほえましくて素晴らしいモノが多い。年に一度発行される小冊子の中の「将来の夢」っていうところに1クラスに3〜4人「イラストレーター」って書いてある。人気があるなあと思いながらも、複雑、、、、、、なのである。

息子は、父がイラストレーターであることをお友達には絶対に言わない。聞かれたら「コンピュータ関係」というらしい。端で見ている息子が一番イラストレーターの現状を知っているのかも知れない。ちなみに彼の将来の夢は「勉強して一流企業に入ること」だそうだ。なんじゃそれ!

【たなか しゅういちろう】Illustrator・絵師
< http://www.shuichi.ro/
>
< tanaka@shuichi.ro >
書籍と広告を中心にイラストを描いています。デジタルながら日本画っぽい空気感を目指しています。広島在住。

[書籍等の進行中の仕事です]2007.6月現在
スポーツニッポン新聞小説挿絵、週刊アサヒ芸能コラム挿絵月刊小説推理/岩井志麻子挿絵、月刊問題小説/神崎京介挿絵、月刊小説NON/平安寿子挿絵、日本航空機内誌アゴラ/林えり子挿絵、広島市情報誌Toyou表紙、幻冬舎アウトロー文庫/藍川京シリーズ、徳間文庫/末廣圭シリーズ、学研M文庫/雑賀俊一郎/蛸六シリーズ、ラブロマンス文庫/藍川京シリーズ、など

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■編集後記(6/12)

かなり気がかりな日本語・ハニカミ王子、ああ、なんという恥ずかしいネーミングなんだろう。喜んで使っているマスコミのばかさ加減にあきれかえるが、その石川遼はテレビに取材されて「今日はギャラリーの方(かた)が多くて」と言っていた。これには違和感を覚えた。「かた」は「人」の尊敬語だが、さいきんは尊敬を込めた言い方をする必要のないときにまで「かた」が使われている。と、野口恵子「かなり気がかりな日本語」(集英社新書、2004)にもある。著者は、大学で外国人学生を対象にした日本語・日本事情、若干の留学生を含む文学部の学生に対する日本語教育概論などを教えているが、数年前から日本人の日本語が「何となく」気になり、最近は「かなり気がかり」になってきており、その思いがこの本を生んだという。怪しいはやり言葉や言い回し、敬語や慣用句の誤用、陳腐で空虚なマニュアル語など、著者は気がかりな日本語を普段から注意してたくさん集めている。豊富な実例は興味深いと同時に、このまま日本語の劣化が続いたら日本人はどうなるんだとおおいに心配になる。えっ、今時の大学生(ばかりでなく年配の人も)の日本語はそんなひどいのかと愕然とする。その日本語はなぜ気になるのか、どこが間違っているのか、著者は徹底的に追及するので納得できる内容になっている。じつは、わたし自身はやり言葉の無自覚な追随や、誤った表現をしていると知って反省する。先日、問題の社会保険庁のエラいさんがテレビで「みなさまにご不安をいただいており」とかコメントしていたが、これもかなりお粗末な日本語だろう。「気がかりな日本語」は、内容より体裁を重視するという本末転倒、分析・意見・主張の不在、言葉に対する鈍感さの三点に集約されるという指摘もよくわかる。小学校から英語やパソコンなんぞ教えなくていい。まともな日本語を教えてくれ。でも、教えられるだけのまともな日本語を身につけた大人はどのくらいいるのだろうか。先日テレビでワタミの会議のもようを見たが、あの社長がきたない言葉で社員をののしりまくっていた。叱責や注意でも言いようがある。あのシーンであの人の人格がわかってしまった。介護の業界、お先は危険がいっぱい。(柴田)

・そうか、新興Web制作業界だけの話じゃないんだ。紙業界からの流れなんだ。紙業界にもいたけれど、人の下で働いていたからそこまでの被害はなく……。私は商品説明用のサイトを作ったのだが、その会社のメインサイト用にトップページほかのデザインや作ったコラージュ画像を流用されたことがある。大手代理店の下請けをしていた代理店さん経由だったので、流用は聞いていないと話したら一応大手代理店に話してくれたようなのだが、今回は我慢してくれと言われて終わり。依頼した会社(TVCMをする規模)としては、作ってもらった以上は自分のところのものって考えなのね。気持ちはわかるけど、当初依頼の範囲越えてるよ。自分たちの製品が同じように拡大流用されたら怒るだろうになぁ。/昨日の補足。たとえば老人さんをプランに沿って病院に送迎する仕事があるとする。病院が混んでいて三時間待ち。付き添っていても待ち時間はプラン外だから報酬は貰えない。それならと一旦戻ろうとすると往復にかかる交通費は自腹。時間を見越した余裕のあるシフトを組まないといけない。一般企業なら、営業さんが無駄な時間を費やしたとしてもその分利益率の高い仕事を得たり、上乗せしたりできる。が、介護保険制度だと報酬額や報酬対象は決められているので、会社が利益から出すか、それともヘルパーさんたちが自腹で、となる。だから複合的に用具レンタルでもして儲けて、その分を交通費にするとかしなきゃ回せないって。有料老人ホームなら日用品や食費を下げられる仕組みがあれば儲かるだろうけど、訪問介護じゃ人件費を減らすぐらいしかないよ。まぁ会社が限りなくボランティアに近い形で薄利でやれるなら成り立つけど、通常企業の感覚だったりすると難しいよね。人の介護を請け負っている限りは、お金ないからやめるわとは簡単に言えるわけもなく、ある程度はまわせるような利益体系にしなきゃいけない。事業者や従事者が減ったら制度は継続できないよ。あ、介護報酬って地域差があるんだって。地方を1とすると、都会は1.8とかそういうの。/グッドウィルが介護事業から撤退するらしいけれど、利益追求だけを考えるなら会社としては良かったかもしれないね。少子化問題云々言うなら、国が用意した介護保険制度に従事する人たちに、結婚や子供を持てるお給料が支払われるようにしないとね。もちろん扶養家族である主婦・主夫だけに頼る制度にしたいならかまわないが若い人はずっと従事できないよ。/母に話を聞こうとしたら延々と問題点と現状を話しはじめ、その多さから後記に反映することを断念。制度自体が見切り発車で見直し続きらしい。気になる人は調べてみてね。(hammer.mule)
< http://www.ryokufuu.com/backnumber/grup3.htm
>
グループホームの夜勤について。2003〜2004年のもの