[2268] 夢を見ること・祈ること

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<やっぱりハードボイルドとは『やせ我慢』ですか>

■映画と夜と音楽と…[344]
 夢を見ること・祈ること
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![57]
 将棋「第15回達人戦」決勝戦、観戦記
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[344]
夢を見ること・祈ること

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20070907140200.html
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●見終わってわかる冒頭の男の心情

その映画が始まってすぐ、男は街角のビルの屋上にある巨大なビルボードの美しい女を見つめている。男の表情は淡々としている。何の感情も表してはいない。だが、じっと見つめる男の気持ちが伝わってくる。なぜ見つめているのか、どう思っているのかはわからない。ただ、見つめないではいられない男の心が伝わってきた。

二時間後、すべての物語を見終えたとき、冒頭の男の心情が強く身に迫ってきた。激情である。熱い心が男の中に渦巻いていたのだと、二時間の物語が理解させる。近寄ってはいけない、もちろん名乗ることなどあり得ない、だが、その女をどんなことがあっても守り抜く、と言い聞かせる切なさが男の中に渦巻いていたのだと、改めて迫ってくる。胸かきむしられる想いに震える。

その巨大なポスターに写っていた美しいヴァイオリニストのコンサートに、ある決意をした男は初めて赴く。二十年ぶりに間近で見る美しく成長したヴァイオリニストの弾く音楽は、男を郷愁に導く。美しい瀬戸内の海辺を、父親と母親と少年と妹が歩いていく。ただそれだけの映像が、深い絆を伝えてくる。

生き別れになっていた妹の弾く曲が、彼に幼い頃の黄金の日々を甦らせたのだ。夢のように幸福だった日々…。コンサートで初めて妹の生の演奏を聴いた後、男は独り言のように言う。

──人間が他の動物と違うのは、夢を見ることと祈ることができることだと、昔、教えてくれた人がいる。

センチメンタル・ハードボイルドというジャンルがある、と僕は昔から思っているのだが、「絆」(1998年)を見たときに改めて実感した。「絆」は「遠雷」(1981年)で僕のお気に入り監督になった根岸吉太郎監督が五年ぶりに作った映画だった。根岸監督にしては珍しいハードボイルド作品である。

映画は、役所広司のバストアップで始まる。望遠レンズで捉えられているので、背景はボケていて、中年男の淡々とした表情だけを捉える。彼が見ていたものが次のカットだ。ビルの屋上のビルボード。天才ヴァイオリニストが写っている。彼女を演じたのが、美人ヴァイオリニストで話題だった川井郁子である。

川井郁子は、この映画に出演したのがきっかけなのだろうか、その後、NHK-BSの映画紹介番組のレギュラーになり、番組の最後に様々な映画音楽をヴァイオリンで弾いて愉しませてくれた。ただし、「絆」では演技をするシーンがあり、その演技力を見る限り二度と映画出演の依頼がこないのは当然だと思う。

しかし、役所広司のうまさはさすがだと思う。ほとんど内面を表さない表情を通しながら、彼の内側に渦巻いている激情を見る者に伝えるのだ。僕は役所広司の映画は八割方見ていると思うが、「うなぎ」(1997年)や「赤い橋の下のぬるい水」(2001年)に比べても「絆」の演技がベストだと思う。映画を見終わったとき、ファーストシーンの役所広司の顔が浮かんでくる。

●ハードボイルドが感傷に充ちていてなぜ悪い

今年、ひょんなことで大沢在昌さんと対談したときに「ハードボイルドとは何なのか」という話題になった。現在、ハードボイルド作家と言えば第一人者として大沢さんの名前があがる。大沢さんはエッセイにもよく書いているが、つまるところ「惻隠の情」だと言う。

「惻隠の情」を辞書で引くと「憐れみ、悼むこと。同情すること」と出ている。僕はどちらかと言えば「シンパシー」という言葉を連想した。「共感」あるいは「感情移入」である。昔、僕が気に入ってよく使っていた「感情、入ったよ」というニュアンスだ(2002年6月14日号「感情、入ったよ」参照)。
< https://bn.dgcr.com/archives/20020614000000.html
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そのときに僕は、昔読んだ船戸与一さんのエッセイを思い出した。それは「レイモンド・チャンドラー読本」(早川書房)に収められているもので、「チャンドラーがハードボイルド小説を堕落させた──自己憐憫。自己韜晦。そして諦念」というチャンドラー批判の文章である。

ハメット派(船戸さんの「山猫の夏」はハメットの「血の収穫」へのオマージュだと思う)であることが歴然としている船戸さんだから、この文章には大変な説得力があった。「そうだよなあ、マーロウは感傷的だし、自己憐憫だよなあ」と僕も思った。その船戸さんの文章は挑戦的に終わっていた。

──この反論は若きチャンドラリアン、大沢在昌から聞こう。なるべく早くミステリマガジン誌上でチャンドラー賛歌を唄ってみてくれ。

この話を大沢さんにしたところ「あのとき、生島治郎さんに会ったら『今度、船戸に会ったら言っとけ。感傷のどこが悪いってな』と言ってました」という話を披露してくれた。そのとき、僕は「そうなんだ」と目の前が晴れる気がした。さすが、日本で最初にハードボイルド小説で直木賞を獲得した大家である。

「レイモンド・チャンドラー読本」は、1988年9月に出ている。その文章の説得力は僕をずっと支配してきた。僕は船戸さんの文章を読んで以来、チャンドラーが好きだと言うのに、どことなく後ろめたさを感じてきた。それを生島さんのひと言が救ってくれたのである。

今年、村上春樹さんがチャンドラーの「ロング・グッドバイ」の新訳を出し、新しくチャンドラーを読む人が増えているらしい。僕は村上さんの背後にチャンドラーの影をずっと感じていた読者だが、それだからこそ村上春樹の愛読者であり続けた。感傷、甘さ、センチメンタリズム、それらが村上春樹作品の魅力の核にあるし、チャンドラー作品を輝かせているものなのだ。

ところで「ソゴーさんは、やっぱりハードボイルドとは『やせ我慢』ですか」と大沢さんに問いかけられ、「そうですね。多情多恨の心をやせ我慢で包み込む…、これがハードボイルドの神髄だと思います」と僕は答えた。それは、少年の頃に読んだ生島治郎さんの作品群から教えられたものである。

だから、そこには感傷があり、情がある。そんな自分の感情をじっと押し込め、抑制して生きている。ハードボイルドの主人公は、結局のところ、リアリストにはなれないし、どこかロマンチストなのだ。彼は夢を棄てきれないのである。「絆」の主人公を演じた役所広司は、そんなハードボイルド・ヒーローをセンチメンタルにクールに演じてくれた。

●人を愛しているが故に起こる犯罪に共感する

伊勢は企業舎弟と呼ばれる商事会社の社長だ。債権の回収や金融の闇社会で生きている。ヤクザの組の資金調達をやっている。青年時代からの友人は完全にヤクザとして生きていて、「俺だけ安全なところにいて悪いな」と伊勢は思っている。彼は自分を肯定してはいない。生きていることにもこだわらない雰囲気がある。

そんな彼は、社長室に焼けこげがある地球儀を置いてある。ペルーのところだけが朱色に塗られている。それが彼にとっての夢の象徴なのだ。彼は何かあるとその地球儀を拭いていて、秘書に「社長にとってとても大事なものなんですね」と言われる。

伊勢は少年の頃、母親とふたり、非道な父親から逃げた。母親は逃げた土地で優しい船医と出会う。船医は前夫に金を渡して縁を切らせ、伊勢は初めて自分を愛してくれる父を持つ。彼は伊勢に様々なことを教えてくれる。地球儀をくれたのも義父だった。人間が他の動物と違うのは「夢を見ることと祈ること」だと教えてくれたのも義父だった。

瀬戸内の海辺の街で幸せな日々が過ぎていく。やがて妹が生まれる。しかし、あるとき、遠い海の上で義父が病死する。その後、母親が家に放火して自殺する。まだ中学生だった伊勢は幼い妹を抱き、地球儀を持って逃げ出す。そのとき、耳の後ろに火傷を負う。

ふたりは施設にあずけられる。音感の良さを見出された妹は音大教授の夫婦の養女になる。伊勢には弟と妹のような施設仲間ができる。その仲間をいじめた中学生たちとケンカになり、相手を誤って死に至らしめたことで少年院送りになる。やがて、伊勢はヤクザとしてしか生きられない男になった。しかし、頭のキレのよさを買われて今は企業舎弟として生きている。

妹と別れて二十年。美しく成長した彼女は、世間の注目を集める才能豊かなヴァイオリニストだ。伊勢は妹のすべてのCDを買って何度も何度も聴いている。だが、コンサートにいくことを自分には許さない。自分のようなヤクザが兄だとわかったら…、彼は自分を許すことができないだろう。

だが、ある夜、施設時代に妹のように可愛がっていた千佳子に街で見かけられたことから悲劇が始まる。犯罪が起こり、過去が甦る。封印していた伊勢の過去には何があったのか…、と物語は進展していく。犯罪が起こってからは、追う者の側からの描写が増える。追う者を演じたのは、渡辺謙である。警視庁のはみ出し刑事を演じた。

渡辺謙が事件の全容をほぼ把握し、伊勢の妹の婚約者(大財閥の御曹司)と妹に会いにいくシーンがある。そのとき「今となっては事件の犯人に何の関心もない」と言う婚約者に一介の刑事が憤然と反論するのである。

──もしこの事件が、あなたと同じく薫さんを心から愛していて、しかし、あなたほどには力がない、そんな弱い愚かな人間が自分の一生や生命を投げ出してまで彼女を守ろうとして起こしたものだったとしたら、あなたはどう思われますか。

その後、「あなたはこの事件を忘れるべきではない」と彼は火を噴くように言う。このとき、刑事の心境は犯罪者と同じところにある。彼は犯人に強烈なシンパシー、あるいは惻隠の情を感じているのだ。だからこそ、彼は刑事でありながら、伊勢の最後の賭けを影ながら見守るのである。

妹を守り、仲間を救い、事実が明るみに出ないたったひとつの方法…、そのために伊勢は自らの命を賭ける。それでもいつか、義父が話してくれた南米ペルーへいくという夢を諦めず、彼は疾走する。自己犠牲、夢と祈り、ゆがんでしまった理不尽な運命……

これをセンチメンタル・ハードボイルドと言わずして何と言う。白川道の原作「海は涸いていた」も、淡々とした描写の中から伊勢の激情が浮かび上がってくる仕掛けになっている。僕は、読み始めたらやめられなくなった。ほほを涙が伝った。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
左肘が腫れて痛みで腕全体が痺れるほどになった。関節を覆っている膜が炎症を起こしていると、駆け込んだ警察病院の医者に言われた。警察病院には初めていったが、いきなり「警察関係者ですか」と確認されたのには驚いた。そう思って見渡すと、前にいる人は柔道でもやっていそうな、いかにも刑事ですオジサンだった。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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■Otakuワールドへようこそ![57]
将棋「第15回達人戦」決勝戦、観戦記

GrowHair
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膝立ちして盤面を睨み下ろし、ぱーんと駒音高く打ちつける加藤一二三九段。体をひねってじっと読みに集中し、ぽそっと静かに駒を置く谷川浩司九段。

9月1日(土)、将棋の達人戦の公開対局を観戦してきた。有楽町朝日ホールをほぼ満杯にした約600人の来場者たちが見守る中、ステージ上に設けられた対局場で決勝戦が行われ、形勢互角の続く白熱した中盤戦の末に、谷川が加藤の攻めを振り切り、四年連続の優勝を飾った。

●将棋とは鋭く斬りあう緊迫ゲーム

将棋ってどんなゲームだかご存知でしょうか? まずは軽く解説しておきましょうか。

将棋は、二人で勝敗を競うボードゲームで、9×9マスの盤上に双方20枚ずつの駒が定位置に配置された初形から、交互に自分の駒を動かし、相手の王将を討ち取ったほうが勝ちとなる(実際に王将を取る手まで指すことはなく、相手がどう指しても取れる「詰み」の状態をもって決着するが。もっと手前で大差がついて敗北宣言で終わる「投了」もある)。駒は八種類あって、それぞれ動ける方向が決まっている。

自分の王様は有能な護衛を集結させて自陣深くに固く囲い、味方の兵を敵陣に攻め入らせ、敵兵を倒して本陣に迫り、護衛をはがして、大将の首を狙う。これが典型的な展開。

勝つためには、仮定の上に仮定を積み重ねて先の先を読むことが肝要。相手よりも深く読んだほうが優位に立てる。読みの力はスポーツの基礎体力に相当すると言えるだろう。だけどそれだけではない。将棋の最善手というのはどういうわけか、ぱっとは目につきづらいところに転がっている。

特に終盤は駒の損得よりも敵玉に迫る速度が大事なので、タダで取られちゃうところに駒を捨てる手や、タダで取れる敵の駒を取らない手が絶好手になることが多い。そういう手がぱっと頭に浮かぶには、超越的な発想力が要求される。ある種の美的感覚に通じるものがあるように思う。

弱い人から強い人への序列において、「下から上は見えない」という法則がある。自分より強い人というのは、対局に負けることをもって自分より強いことだけは認識できるけど、どれほど強いのかは実は見えない。将棋というのは、強くなっていくにしたがって、将棋自体がどういうゲームなのかという「将棋観」が変化していく。

我々素人だと、とかく攻めてるほうが勢いがよく見えて優勢と思いがちである。攻められてるときは、一手でも間違えると、ひと潰しにされてまったくいいところなく負けてしまうので、生きた心地がしない。しかし、プロの将棋はそうではなく、序盤でポイントを稼いで「このままではジリ貧ですよ」とプレッシャーをかけて無理攻めを誘い、その無理をきっちりと咎めて受けきり、敵が息切れしたところで攻勢に転じ、その時点ではもう自然と勝ちになっている、というのが理想的な勝ちパターンとされる。

だから、素人は駒のぶつかりあう前の序盤戦には緊迫感がなく、漫然と指してしまいがちだが、プロの場合は序盤から相手の指し手にちょっとでも甘いところがないかと目を光らせ、あればそこを捉えて、その手の価値を無効化するように作戦を立てるので、ものすごい緊迫感がある。また、戦いを仕掛ける好機を見極める大局観は深遠なものがある。

プロの指し手のすごさを理解するには、こっちも強くないとならない。私はひとりっ子なせいか、さほど競争心はなく、自分が勝ちたいからというよりも、将棋の奥深さを知るために強くなりたいと思う。

囲碁も頭脳ゲームだが、感覚的にちょっと違っていて、将棋で負けるのは崖から落ちるような感覚、碁で負けるのは広い海の真ん中でおぼれるような感覚、と言われる。

●去年と同じカードで熱戦

達人戦は、週刊朝日と日本将棋連盟が主催し、富士通が協賛する、将棋界唯一のシニア戦。40歳以上の現役ベテラン棋士から選抜された10名がトーナメント戦を行う。決勝戦は週刊朝日誌上で観戦者を募集し、有楽町マリオンの11階朝日ホールにて公開対局で行われる。1993年に創設され、今年が第15回。

正午の開場の時点で100人ほどの列ができていて、一時の開場までに600席がほぼ埋まった。99%が男性。ほとんどがシニア。ぽつぽつと子供もいる。棋譜を取ろうと紙を広げて待っていたりして頼もしい。

舞台左手に対局場が設置されている。右手には解説用の大盤、ではなく、パソコンの画面を映したスクリーン。対局者は解説の声も会場の声も耳に入る。まず、主催者を代表して、日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖と週刊朝日編集長の山口一臣氏が登場し、ごあいさつ。続いて、棋譜読み上げ係の船戸陽子女流二段、記録係の村上友太初段、観戦記者の東公平氏が登場し、着席。解説の中原誠永世十段と聞き手の斎田晴子倉敷藤花が登場。中原は翌日還暦を迎え、規定により称号が永世十段から名誉王座に変わる。名人位を五期以上保持した棋士に永世名人の称号が与えられるが、十五期保持した中原は、引退後に十六世名人を襲名する。

対局者の加藤一二三九段と谷川浩司九段が登場。加藤一二三九段(67)は14歳3か月でプロ棋士になったのも、18歳でAクラス入りしたのも史上最年少で、「神武以来の天才」と呼ばれたが、現在は現役棋士では最古参、8月22日には前人未踏の公式戦1,000敗目を喫した。勝っていないと対局数自体が伸びないので、これも実は強いことの証、大変な記録である。大長考することや、対局中の独特の仕草が特徴、天の啓示のようなひらめきの一手が飛び出すことがよくある。

谷川浩司九段(45)は、中学生で棋士になり、これは加藤九段に続く史上二人目。21歳で加藤名人(当時)を破り、史上最年少の名人位獲得。すでに五期保持し、十七世名人の襲名資格をもつ。棋風は鋭い攻めと素早い寄せの「光速流」。達人戦は六回目の参加だが、最初の年と次の年に初戦敗退してからは、三年連続優勝。去年の決勝戦も加藤対谷川だった。

対局開始。加藤九段▲7六歩、谷川九段△3四歩。後手の谷川が5筋を突き越して中飛車に振る。対する加藤は右銀を4七、3六、4五と単騎でにょこにょこと繰り出し、3四の歩をぱくっと食べて一歩得。
(第1図 < http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070907/FigDGCR070907.html#Fig1
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相手の左銀と交換。棒銀モドキの作戦がいちおう成功した形? もっとも角道が7七の銀に遮断され、玉の囲いが薄いため、大局的な形勢のバランスは取れている。加藤は引き角から3五の好所に据え、▲6八金と締め、マイナス要素を解消。
(第2図 < http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070907/FigDGCR070907.html#Fig2
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そこから押したり引いたり、ほぼ互角の形勢が続く、緊迫した中盤戦。加藤はひざ立ちで盤面を眺め下ろし、ときおり伸び上がってズボンを引き上げる。谷川は体をひねってじっと読みに集中する。中原は加藤の手をしばしば批判的に解説し、会場から笑いが起きる。かつてタイトル戦で旅館の庭の滝の音を気にして止めさせたこともある加藤には、さぞかし耳障りであったことだろう。

谷川が△4七銀と打ち、加藤の5八の飛車と5六の金に両取りをかける。
(第3図 < http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070907/FigDGCR070907.html#Fig3
>)

加藤は▲5七飛と逃げる。谷川は△3六銀成と指し、今度は2六にいる加藤の角が死んでいる。しかしこの順はあまりよくなかったようで、角を取った成銀がそっぽで遊ぶ。中原「先手が盛り返したんじゃないですか?」。それまで不利だった形勢を互角に戻したようなニュアンスだったが、局後の加藤によるとずっと「指せる」と思っていたようで、トッププロでも形勢判断の分かれるほどの微差の競り合いということだろう。

ところが、角を取られた3手後に加藤の打った▲4四角が大悪手だったようで、いっぺんに攻めが切れ筋に陥ってしまった。
(第4図 < http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070907/FigDGCR070907.html#Fig4
>)

局後の感想戦で中原の指摘した手は、これに代えて▲7四銀と打ち、6三にいる金で△同金とタダで取らせ、空いた空間に▲6三角と打ち込むというもの。どうやらこれが正解だったらしい。下級者には青天の霹靂のような銀のタダ捨てがカッコよく映るが、上級者には一見筋悪でカッコ悪く映るらしい。

ほどなく加藤が投了、谷川が四年連続優勝を決めた。
(投了図 < http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR070907/FigDGCR070907.html#Fig5
>)

なお、東氏による観戦記は「週刊朝日」9月11日発売号と9月18日発売号にて掲載される予定。

●将棋は人と人をつなぐ

私がこの将棋を観戦することになった経緯には、不思議な縁を感じる。以前、職場の同僚の直江雨続君が日産のブロガー向け新車発表会に行った話を書いたが、彼は最近、将棋にハマっている。オタクらしく漫画や小説から入ってきたらしい。大崎善生の「聖の青春」は、29歳で癌で他界した村山聖九段の壮絶な将棋人生を書いた名著だが、これも最近読んでいる。

8月24日(金)に一局指そうと彼のアパートにおじゃましたとき、ちょうど達人戦観戦の当選ハガキが届いていた。「あ、これ行ったことあるぞ」。五年前のことである。私の高校時代からの恩師である風間加勢氏がチケットを二枚入手したということで、誘われて行ったのである。風間氏は私が数学を教わりに行っていた私塾の先生。

大学に入ってから修士課程を修了するまでの間は、アルバイト講師として雇ってもらった。数学専攻なのに、英語しか教えさせてもらえなかったけど。バイト料もさることながら、授業の後の一杯が何より潤った。話が尽きず、よく深酒した。

同じ早稲田大学理工学部の先輩後輩になったので、その方面の話題にも事欠かなかったが、加えて自転車の旅という共通の趣味があり、この話になるとお互い止まらない。風間氏は北海道をぐるっと回ったり、札幌から東京まで走ったことがあり、私は東京から太平洋回りと日本海回りで青森まで走ったことがある。宿がなくて蚊に刺されながら駅舎で寝たりと、似たような経験をしている。

就職してからは、講師や元生徒を集めて開いたパーティに呼ばれたりした。風間氏が始めた受験数学のメルマガにも寄稿させてもらった。冒頭に交代交代でコラムを書いたのだが、やがてそっちのほうが数学の練習問題よりも評判がよくて、何でもありのコラムだけのメルマガに変貌した。これでずいぶん文章を鍛えてもらった。

雨続君がおじいさんとのヨーロッパ旅行のことを書いて自費出版した本、「迷子になったら三越へ行けばいい」をそのメルマガで紹介したので、風間氏は雨続君のサイトで旅行記を読んでいた。今回、もし風間氏も達人戦を見に行くなら、会ってもらうのも面白いと思い、風間氏にメールで「行きますか?」と聞いてみた。すると、どこからともなくチケットを二枚入手してきてくれて、私も行くことになったのである。

開場前に待ち合わせて、三人でランチ。雨続君は「迷子に〜」にサインして贈り、風間氏は自分が将棋を勉強した古い本を贈った。二人とも加藤九段のファンだったというのも偶然で、話に花が咲いた。

風間氏は二年ほど前に咽頭癌が見つかり切除したが、その後、肺への転移が見つかり、それまで何かと厳しかった医者が急にやさしくなっちゃったそうだ。今は酒も好きなだけ飲めるし、葬式の準備も万端で、悠々自適の日々を送っている。来年の達人戦を見れるかどうかは分からない。いいときに集まることができてよかった。これも将棋のおかげか。将棋には世代や地域を越えて人と人とをつなぐ力がある。

●こんなところにまで波が...

これから将棋を始めてみたい方には、ちょっと面白い教材がある。BIGLOBEから「将棋ニュースプラス」という将棋番組がネットで無料配信されていて、各週の主な対局を紹介する「週間将棋FLASH」コーナーや勢いある棋士が会心の自戦譜を解説する「将棋列伝」コーナーなどに加え、初心者のための将棋講座のコーナーがある。講師はプロ棋士の遠山雄亮四段。

遠山四段はある日、日本将棋連盟の中川大輔理事から将棋の普及活動に関する重大な任務を仰せつかる。将棋初心者のメイド三人を指導し、半年で三級の実力をつけさせよ、というもの。題して「ご主人様、王手です」。ひえ〜、こんなところにまでメイド萌えの波が〜。
< http://broadband.biglobe.ne.jp/program/index_shougi.html
>

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
鉄ヲタではないけれど。自由席特急券は一枚につき一列車限り有効、乗り継ぎはダメよ、ってどうなんでしょ? 7:30発の特急あずさに乗るつもりで新宿駅に行くと、一本早い臨時列車に乗れて、座れた。途中の松本止まりなので、そこで予定のに乗り継ごう。ところがそれは規則違反だと車内検札で指摘される。知らなかったからと大目に見てもらい、八王子で乗り換え。その対応はありがたいんだけど、規則自体の合理性はどうなんでしょ?

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■編集後記(9/7)

塩の街・有川浩「塩の街」(メディアワークス、2007)を読む。前に「海の底」を読んで、潜水艦の内部やネットにやたら詳しい人だなと感心したら女性だった!その人、ありかわ・ひろのデビュー作がこれで、電撃小説大賞の大賞受賞作(2004)だ。もともとはライトノベルだ。すでに文庫で出ていたのをハードカバーで出し直したものだという。ある日、東京湾羽田空港沖に建設中の埋め立て用基礎に巨大な白い隕石が落下。日本全土、世界各地にも同様の隕石が落下。ほぼ同時刻にヒトが塩化して死亡(塩害と呼ばれるようになる)、関東圏の人口が1/3に減る。隕石(塩の結晶)と塩害との因果関係は不明、塩害を防ぐ方法は不明、塩化が始まると手の施しようがない(後に書かれているが、日本は推定8000万人の人口を失う)。そんな荒涼とした世界に生きる、両親を亡くした女子高生・真奈と、彼女を暴漢どもから救いだして共同生活を始めた元航空自衛官・秋葉のふたりが主役の物語だ。なぜこんな世界になったのか、1/3ほど読み進めると解明される。結晶と塩害との因果関係は明白、結晶を見ること自体が塩害の感染源となる(「人類SOS」トリフィッドの日かい!)。結晶たちは自己保存本能に従い地球を舞台に増殖を始めている。つまり、これは謎の宇宙生物の侵略である。というのが、混乱に乗じて立川駐屯地司令になりすました、入江という天才の仮説である。彼から、米軍厚木のトムキャットF14Aを奪って結晶を攻撃し、爆破して海に捨てよというミッションが秋葉に下り、、あっさりいうとそんなことだが、このへんの理屈の展開がおもしろいのなんの。じつはハードSF(?)っぽいのはここだけ、あとはラブストーリーといっていい。あとがきで明かされているが、ハードカバー化するときに、ライトノベルでは編集者の意向で変えられていたキャラクターたちの設定を、筆者による本来の設定に戻したそうだ。よかった、それで大人も楽しめるリアルなストーリーになっている。今回もおもしろかったぞ。(柴田)

・疎遠になっていた友達と夏休みに数年ぶりに再会した。ひょんなことから、ドラマ「ホタルノヒカリ(干物女)」の話題になり、あり得ないけど面白いよね〜と話していたのだが、どうもずれる。私は「わかる、わかる」で、彼女は「じれったくていらいらする」なのである。そうなのだ、彼女は素敵女子のほうだったのだ。臆することない、素直でいい人なのだ。学生時代、先輩らが車で送ってくれると言っても、私はつい遠慮してしまうのだが、彼女は素直に送ってもらって先輩らと親密になっていた。卒業後は大手企業に入り、転職後も大手で、だんなさんはそこの研究職。学生時代から花嫁修業は一通りこなしていた。数年前にはアロマテラピー試験に受かったとかで、休日には先生の助手をしていたりしたそうな。今は毎日岩盤浴に通っているらしい。買ったマンションがターミナル駅の真ん前なので、そういうお店にも気軽に行けるのだそう。温めたら体調が良いのだとか。ピアノを習いはじめたの〜と笑顔。弾きたい曲があるからなの、と楽譜を見せてもらって、あなた、相変わらずあざとい楽曲が好きなのねっ、そこがあなたと合わないとこなのよとじゃれる。しかしそんな彼女との数年ぶりの再会にも共通の話題がっ! 彼女もバレエをやっているとのこと。ジムで週一程度だけど、と。共通の話題ができたと習い始めの苦労話をしはじめる。もちろん「あるあるあるー!」と共感してもらうためだ。最初レオタードに抵抗があって、しばらく着用できなかったよ、体をあらぬ方向へと無理に動かすため翌日ぶっ倒れたよと話したら、「えっ、私なんてバレエシューズとレオタードが着たかったからはじめたのに。嬉しくて、初日から着用して写メとって、友達に送ったわよ。(あなたも)十分細いのに。そんなにハードじゃなかったけどなぁ。運動不足なんじゃない?」そうですかい。私はいまだにレオタード姿は先生とレッスン生にしか見せられないと思っているのにっ。ということで、根本はそう簡単には変化しないんだなぁと思ったのであった。とほほ。(hammer.mule)