音喰らう脳髄[37]我が友ハンダゴテ
── モモヨ ──

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急に寒くなった。三十度近くから突然十月下旬の陽気になったのだそうな、ってえことで、暖をとるために、久しぶりにハンダゴテに電気をいれた。ヤニ入りハンダの臭いがひどく懐かしかった。そっと手をかざす……なんてわきゃない。暖をとろうとしたのは嘘っぱちであるけれど、ハンダゴテを引っ張り出したのは本当だ。

何年ぶりだろう……。息子が生まれてシングルファーザーになってから暇もなく、仕事も変わったので試作回路を組んだりチップをいじることもなくなった。

そもそも秋葉原が変わってしまった。なじみの電子部品店がどこもPCパーツばかりを扱うようになり、かつて裏通りを賑わわせていたジャンク屋などめっきり少なくなった。コンデンサーとか抵抗、スペースシャトルで使われる高級ボリュームなどを扱う店も見なくなり、真空管を扱う頑固親父のいた専門店もなくなった。


ついこの間まではその程度で寂しがっていたわけだが、いまや、そのメランコリックな私のノスタルジアのよすがとなるものまでがすべて破壊されてしまった。再開発というのは、時にとんでもなく暴力的に私たちの心にダメージを与えるものである。

整理された街区、今時にふさわしいオシャレな空間、いまのアキバは私の秋葉原ではない。鉄道模型やラジオの制作やアンプや電子音響回路……私が人生の折々に通いこんだ町ではなくなってしまった。神田神保町の古書店街の店全てが、キオスクやツタヤになってしまったような感じすらある。

人の世の流れをみれば、この変化が、ある程度自然な成り行きであることは理解できる。が、こうした一方で政治家は大枚をはたいて日本橋などの景観を再現しようとするのだから不思議だ。

万世橋から柳橋、これは江戸時代末に消失したらしいが柳原土手から大川(隅田川)に至る辺りも今から景観の保全をすればいいのに、なんて思うのだ。幾つか残るJRの赤レンガの高架だって、きちんと保全してくれるものか、どうか……おっと、おとうさん、つい懐旧の念に動かされてしまった。

半世紀を越えて生きてくると、なんだか、永井荷風の、南千住浄閑寺、遊女を悼む石碑に刻まれた懐旧の言葉がわかってくる。断腸の思いという言葉があるが、懐旧の念にそれに近いものがあると知るようになったのは、ここ数年のことだ。

ハンダゴテの話のはずだった。いまさらであるが、話を元にもどそう。

その夜、ハンダゴテを手にしたのはオーディオカード(在庫品)に手を加えてやるためだった。もともと私は、PC用オーディオカードのコレクターで、自慢ではないが、古典的名品ならたいていのものが手元にある。一世代前のオーディオカードは、現今のように、大量にPCに搭載されたメモリーをシェアーするものでなく、オーディオ用にオプションの専用メモリーを搭載するものが多くある。これをまた使ってみようと思ったのである。

あれこれ作業をしつつ音楽の仕事をしていると、途中のアドレスに音楽用、あるりは映像用に振り当てられた番地が、音楽や映像の処理や再生をやめても、虫食い状態でのこり、はなはだマシンにとって不健康であるような気がしているのである。

特にサンプラーとして音響系を使う場合、サンプルとなる音響データを読み込ませたり、それを解消して、あらたな波形を読み込んだりするわけだが、こうした小さなデータを読んだり消したりするのは、長大なメモリー空間にそぐわないように思うのだ。

最近のOSではソフトMIDI音源を採用し、MIDIもサンプラーと同じ方式でメインメモリー中に読み込んでいるので、そのうえにもう一つの似たようなソフトを走らせて、音源のロードなどを繰り返していると、当然だけどメカの動作が不安定になる。そこでPCの一台に旧型のカードを差込み、完全にサンプラー用のメカに改造することにしたわけだ。

何年か前のデジクリでも書いたけど、有名どころのオーディオカードには、実をいうとかつてプロ用機器でのみ採用されていた専用チップが搭載されている。経営が苦しくなったため大資本に買収され、苦労して開発したチップが乱雑な扱いで雑音だらけのヘボシステムに搭載されるに至った、その結果である。

例えばエンソニックだったりE-MUなどが代表的で、いずれも一時期のクリエイティブ社の製品に搭載されている。超高性能の、最高級音響用チップが、雑な、いかにも頼りないハンダ付けで搭載されていたのである。いかにチップが高級であろうと、カードの配線引き回しや基板デザインの際に、担当者のスキルが足りなかったり、配慮がたりなかったりすれば本来の性能を発揮できないのが当然で、そうしたカードはそこそこの性能しか発揮できなかった。

ということで、我がハタンゴテの登場である。個々のパーツのグレイドに注意して上位品に交換してやり、電解コンデンサーの共振を防止するために固定化し、ワイヤー配線によってプリント基板の問題の箇所を変更してやったりする。

また、アースの取り方をアナログ、デジタルできちんとわけてやり、それぞれ一点アース化するなどしてかつ面積の大きい放熱板をつけ、きちんとチップや関連ICの熱を逃がしてやるなどする。これら常識的処理をきちんとこなしてやると、音響回路は驚くほどに性能があがる。

そこまでしないにしても、ハンダ吸いとり線で、もとから使われていた粗悪なハンダや、ボテボテの玉のようになっているハンダを吸い取り、時には、あらたに少々値がはるが電子回路専用ハンダで処置するだけで音がよくなる。悲しい話だが、ほんとうのことだ。

と、まあ、手持ちの音源カードを入れ替える前にワイヤリングを変更するためのハンダゴテであったわけだ。久しぶりの通電だったため、最初はちりちりとホコリが焦げるような臭いが部屋に拡がる。

この電気方式のハンダゴテは、ここ何十年たってもあまり変わらない。私が学校にあがる以前は火鉢やトーチランプでコテをあっためてやる方式だった。建築現場では1970年代までその方式だった。が、私が電気回路をさわるようになった六十年代から、ハンダゴテはハンダゴテ、である。電気式である。外で作業する際には、中にガスライターのようなものが組み込まれたガス式ハンダゴテを使う以外にないが、こうして家で作業する場合は昔馴染みの電気式だ。

ハンダゴテをハンダにあてるとシュッといって紫の煙がたちのぼる。松脂とかペーストという成分がすでに含まれている、いわゆるヤニ入りハンダ特有の煙だ。吸い込むのは健康に悪いとされている。が、その有害な臭いに癒されている私がここにいる。かわらないものがそこにあるからだ。サイバーパンクだのなんだのと粋がってみせても、この臭いを忘れたらおしまいだ、なんて故のないことを漠然と思う一夜だった。

Momoyo The LIZARD 管原保雄
< http://www.babylonic.com/
>

photo
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