[2294] 殺虫剤小説

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<酒の切れ目がチャットの切れ目>

■笑わない魚[233]
 殺虫剤小説
 永吉克之

■デジアナ逆十字固め…[63]
 万華鏡写真を極めたい
 上原ゼンジ

■武&山根の展覧会レビュー
 「挿絵画家という社会的役回り」とは何か? という現代美術(その2)
 イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画
 武 盾一郎&山根康弘


■笑わない魚[233]
殺虫剤小説

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20071018140300.html
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そろそろ本気で小説を書いてみようかな、などと職も定まらないというのに、またぞろ道楽の虫が蠢き始めた。こんな虫を飼っているから、いつまで経っても私は貧乏なのだ。この虫が自分を破滅の縁に追いやっているのが分らんのかね、永吉君。そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ。

いや「そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ」という文自体が陳腐だ。いや待てよ。「『そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ』という文自体が陳腐だ」という文もまた陳腐だ。

このように、文章をマトリョーシカのような入れ子構造にしてどんどん増殖させていっても、単に読者を煩わせるだけで、笑ってもらえないどころか、まともに読んですらもらえないからやめたほうがいいよ、永吉君。

●小説を書き始めるまえに

小説を書くにあたって、何をおいても先ず決めなければならないことがある。それは本になったときの値段である。どんなものでも、値段に見合った仕事をするのが市場原理というものだ。本の値段が安ければ、小説の内容も安っぽいものになるのは当たり前である。バルサンだって、高価なものはクジラでも殺せるが、安ものは蚊一匹殺せない。

登場人物の名前ひとつ考えるのでも、一冊の値段が3000円なら「桐生彰爾」とか「時永沙絵」とか気の利いたのを時間をかけて考えようという気にもなるが、800円なら「凸山凹夫」とか「山羊メエ子」といったあたりで妥協せざるをえないだろう。というわけで、3000円なら書いてやってもいいかなと思う。

値段が決まったら、次は表紙に使う絵だ。私は絵描きなので当然、絵は自分で描く。しかも不条理の画家と呼ばれているので、不条理な画風にしなければ私の立場がない。絵はもう頭の中で完成している。言葉で説明するのは困難だが、ウシのようなというか、ゴムのようなというか、ともかくそんな感じの絵になるはずだ。

発行所はライオン株式会社に決まった。バルサンを製造しているからだ。

↑こうやって、バルサンバルサンと最後まで何度もくり返して、笑いを取ろう魂胆だな、と読者は思われるかもしれないが、残念ながらもうバルサンは使わない。じゃ今度はキンチョールを使うつもりだろ…いやいや、キンチョールもアースノーマットも、とにかく殺虫剤の類いは一切使わない。約束する。もし使ったら切腹する。

さて表紙もできたし、それでは小説を書こう…というわけには行かない。そのまえに、あとがきを書かなければ、小説もなにも書けたものではない。

●あとがき

私がこの物語を書こうと思ったのは。私の家でバルサンを焚いたことがきっかけだったのでございます。バルサンの煙は、台所の流し台の裏側のような、手の届かないところにまで入り込んでゴキブリたちをジェノサイドするわけですが、ということは、焚いたあとの流し台の裏側には、累々たるゴキブリたちの骸があるにちがいない、そう思ったのでございました。

もしそうなら、20年近く、こまめにバルサンを焚いてきたわが家の流し台の裏の空間には、ゴキブリの死骸がちょうどその空間の形に圧縮されて固まり、名匠の手による漆塗りの工芸品のような風格を湛え、琥珀のような光沢を放ちながらそこに存在しているのでしょうか。

ところで私には変な病気がございます。生理的嫌悪感を覚えるものを見ると、それを自分が食べるところを想像してしまうのです。とぐろを巻いた犬の糞が道に落ちていたり、遅い時刻の駅のプラットフォームにゲロ溜まりなどがあると、眉をひそめながらも、なぜかじっと見てしまい、あまつさえそれを食べている光景が浮かんでくるのでございます。

ゴキブリもそうです。殺虫剤をかけられて七転八倒した後、仰向けになって脚をばたつかせながら息を引き取ろうとしている彼の虫の腹が膨らんだり萎んだりしているのを見ていると、いつの間にか、その柔らかい部分を口にくわえたときの唇の感触、そしてそれを噛み破ったときに口の中に広がる体液や内臓の味、舌触り、臭いといったものを思い浮かべているのでございます。

いつのころからかでしょうか、そんな強迫的な妄想を抱くようになってしまいました。そして、ひょっとしたら、妄想するだけではなく実行してしまうかもしれないというという予期不安に苛まれるのでございます。

ある日の夕刻でございました。仕事から自宅に帰りますと、妻と中学生になる娘がおりません。居間の食卓に置いてあるメモには妻の筆跡で「喜代美と映画を観てきます。9時ごろ帰ります。夕食は台所にあるから温めて食べてください」と書いてありました。

いつものことでございます。まあ、私が帰宅して居間に入ってくるや、無言でさっさと自分の部屋に退散してゆく娘や、おかえりなさいも言ってくれない妻を見て寂しい思いをするよりは、始めからいてくれない方がましでしょう。

私は食事を取りに台所に入りました。そして流し台の前に立ちますと、突然、数日前バルサンを焚いたときに抱いた妄想が甦ったのでございます。流し台の背後に潜んでいる、琥珀色のおぞましい妄想が。

幸い、妻と娘が帰ってくるまでにたっぷり3時間はありましたから、私は元の位置を忘れないように注意して、流し台の上にあった食器や調味料などを移動させ、固定ネジをはずして流し台を壁から離し、手前に引き出そうとしましたが、なにしろ重いので、2センチも動かすと力尽きてしまいました。

しかし、その2センチの隙間から、なにやら褐色の大きなものが姿の一部を現しているではありませんか。私が恐る恐る指を隙間に入れてそれに触りますと、ぬるぬるとした、ちょうどラードのような手触りがするのでございます。

暗くてよく見えないので、私はコーヒースプーンでそれをひと匙分かき出して、顔に近づけると、いままで経験したことのないような甘い香りが鼻の粘膜をやさしく撫でてくるのでございます。その香りのあまりの甘美さに、私はその半透明の褐色の塊がのったスプーンを思わず口の中に運んでしまいました。

そしてそれを舌でやさしく潰すと、これまた経験したことのない甘みが、わずかな渋みをともなって、口一杯に広がるのでございます。そのとき私は明晰に理解しました。これは、長い時間をかけてゴキブリが発酵したものなのだと。

「あれ、ご飯食べなかったの?」
娘と帰ってきた妻が、すこし責めるような口調で、私に言いました。
「ああ、どうも食欲がないもんでね。せっかく作ったのに悪いけど」
妻は、私の具合を心配する様子もなく、事務的に料理をラップに包んで冷蔵庫にしまって、さっさと居間でテレビを見始めました。

一度、発酵ゴキブリの味を知ったら、もうとても他のものは食べられるものではございません。

●小説を書く

さて、これでやっと小説を書き始めることができる。これが一番簡単だ。なにしろ本の値段が決まっているから、それに合わせたレベルの文章にすればいいし、表紙の不条理な絵に合わせて不条理な構成にすればいい。また、あとがきに書いたので、バルサンをテーマにすればいいということが分るはずだ。

このように、まずガイドラインをしっかりと設定することが大切なのだ。

【ながよしかつゆき/唐変木】katz@mvc.biglobe.ne.jp
一時は亀田兄弟をさんざん持ち上げておいて、今回のような不祥事があると、一転して「反則一家」(某スポーツ紙)などと、ならず者扱いをする。以前からたびたび反則行為をしていたのは知っていたはずではないか。ほんとに一部のマスコミのあからさまな日和見主義には頭が下がる。しかし「保険見直し本舗」なるスポンサー名をトランクスに貼付けて、どう見ても格好よくないボクシングをし、ファイトマネーもマスコミの注目度も挑戦者よりはるかに低かったほぼ中年の男が勝った。やはりドラマ的には内藤が勝ってよかったのだ。

・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp
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・アーバンネイル< http://unail.jp/
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・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■デジアナ逆十字固め…[63]
万華鏡写真を極めたい

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20071018140200.html
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今度は万華鏡写真にちょっかいをだしてみた。万華鏡写真というジャンルがあるのかは知らないんだけど、万華鏡に映し出される世界を、キチッと撮れないものだろうか、という実験だ。

なぜ万華鏡なのかというと、透過光を使ってかなり彩度の高い写真が撮れるんじゃないだろうか、と思ったからだ。彩度の高い写真というのは、カラーマネージメントのサンプルとして必要になることが多い。

たとえば、最近のモニタやプリンタというのは、色再現域がかなり広くなってきている。つまり、かなり鮮やかな色まで再現できるということだが、その再現域を生かした出力には、彩度の高い画像が必要だ。

サンプルに使う被写体としては、色鉛筆やパステル、それからカラフルな糸や布なんかをよく使う。まあ、サンプルだからそういった被写体で全然構わないのだが、もうちょっと面白い被写体はないものかと、いつも探していた。そこで万華鏡の写真が面白いんじゃなかろうかと思ったというわけだ。

万華鏡の中に入れる素材のことは「具」と呼ばれる。ビーズやガラスのかけらでもいいし、植物でも金属でも何でも構わない。普通にサンプル用の写真を撮ろうとしたら、「文房具つながり」とか「洗面道具つながり」とかで構成を考えるが、そういったことをまるで無視して、色や形だけで具をチョイスできるという点が魅力だ。

万華鏡の写真はすでに一度テスト済みだ。その時は、コンパクトデジカメのレンズ部分に万華鏡を直接テープでくっつけてしまった。マクロモードで撮影をしたら、けっこう簡単に撮影することができた。しかし、今回はもう少しクオリティーが上がるような撮影方法を考えてみることにした。

●「表面反射鏡」がポイント

まず、光源はHIDランプにした。色温度6500Kのもの。演色性が高く色をしっかり出したい場合に向いている。物体の色というのはまず光があり、物体に当たって反射した光や透過した光により認識できる。つまり物体を照らし出す光というのが、けっこう重要で、光源の中にさまざまな波長の光が豊富に含まれている必要がある。

カメラは一眼レフにした。小さな具の撮影がしたいので、レンズはマクロレンズがいい。画角が広ければ鏡に映る模様が増え、狭ければ周囲の鏡に映った部分が少なくなるはずだ。

撮影はカメラを複写台に取り付け、真上から行うことにした。ライトは横から当て、白い紙で上にバウンスさせる。そして台の上にガラスを乗せ、そのガラスの上に具をちりばめる。

今回の具はガラスのかけらにした。いろんな色のかけらがミックスされたものを買った。探す場合のヒントはカレット(ガラスのかけら)という言葉だ。あとは「ビーチグラス」とか「シーグラス」で検索してもいい。まあ、海の近所に住んでいる人は自分で拾ってきたほうが楽しいだろう。

最初のテストは万華鏡の工作キットをそのまま使った。スリー・ミラー・システムのごく単純なもの。万華鏡は「鏡を何枚使うか」とか、「鏡の形は」といったことで、写るイメージもさまざまに変化するが、もう少し慣れてきたら、ちょっと複雑なものにも挑戦してみたい。

万華鏡というのは、単に万華鏡をのぞいた時のイメージがきれい、というだけでなく、蒐集して楽しめるような、作りの美しさというのも重要だ。しかし、私の場合は万華鏡写真が撮りたいというだけなので、見た目はどうでもいい。

組み立てた万華鏡は、ドーナッツ型に切ったスチレンボードを使って、マクロレンズと合体させた。接着剤も使わずにステップダウンリング代わりにしたというわけだ。

レンズは、28mm、60mm、90mmのものを試してみたが、写る範囲の広い28mm(35 mm換算で42mm)のものがちょうどいい感じだった。ただ、今回はわりとかっちり撮影したいと思っていたのだが、いまいち周縁部がボケた感じで気に入らない。

そこで、用意してあった「表面反射鏡」を使ってみることにする。表面反射鏡というのは、万華鏡作りには欠かせない鏡のことだ。安いキットに付いているのは塩ビ製の鏡だがこれはあまり質が良くない。

通常のガラスの鏡というのは鏡の裏側にアルミなどが蒸着されているが、表面反射鏡の場合は、表面に蒸着されている。普通の鏡の場合はガラスをいったん通過してから反射し、またガラスを通って光りは戻ってくる。それが表面反射鏡では、表面でそのまま反射されるので、ガラス部での屈折や散乱がなく、クリアなイメージが得られる。

ただし、普通の鏡に比べ高価だし、自分でカットしなければいけないというのがちょっと面倒だ。まあ、私は趣味がガラス切りなので、難なく切ることができたんだけどね。

さて、塩ビミラーと表面反射鏡の違いはどうだったか? これはもう全然違いますね。最初に作った時のボケた描写は安物の塩ビミラーのせいだったということが分かった。表面反射鏡侮りがたし。けっこうクリアな万華鏡写真が撮れたから、ちょっと見てみてください。

◇zorgのアルバム「万華鏡」のサムネール下のフィルムアイコンをクリックすると、スライドショーになります。
< http://www.zorg.com/photo/zenji/
>

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
>
◇「カメラプラス トイカメラ風味の写真が簡単に」(雷鳥社刊)
< http://www.maminka.com/toycamera/plus.html
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■武&山根の展覧会レビュー
「挿絵画家という社会的役回り」とは何か? という現代美術(その2)
イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20071018140100.html
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<2293号のつづき>

●ダーガーとカバコフ


山: そういったダメージ、変化のダイナミズムをカバコフはうまいこと作品化している。

武: よっぽどその崩壊が生活と無関係だったってことだろうな。観念と理想が崩壊したんですよ。

山: いやいや、崩壊そのものを生活として体験したんとちゃうかな。

武: なるほど。ただね、思うのはソ連時代も生活苦だった人たちはゴマンと居る訳で、ソ連が崩壊して更に生活苦になる訳じゃん。そういう場所には居なかったんだよね>カバコフ。

山: いや、最初はそこにいたみたいやで。食うや食わずのところに。小さい頃。

武: で、最高峰大学に入って、若くして仕事ゲットして、大成功して、20代で親に家を買って、ソ連が崩壊したとたんにニューヨークに移住して、現代美術作家としてブレイクして、今も元気。って凄いよね。

山: いーのではないでしょうか(笑)。

武: そうしよう。

山: っていうか、その事象だけを抜き出すとそうなんかもしらんけど、ま、それだけじゃないやろうしな。

武: ある意味、ヘンリー・ダーガーと対極だね、イリヤカバコフ。
< https://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html
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山: そうやね。

武: で、作品はどっちも素晴らしい!

山: 結局のところ作った物ではかられるわけで。

●個性・無個性、資本主義・社会主義


武: 冒頭文でカバコフは「私」ではなく「彼」、といったけどさ、カバコフに画風ってないんだよね。

山: そう言えばそうやね。

武: 言い得て妙。上手の極みとは思うけど。これぞカバコフタッチ! って感じはないじゃん。それは現代美術作家として活動してる場合の絵もそうだよね。徹底して画風がない。そこがなんか共感してたり……、いや違うな。絵を描くにあたって「画風」ってなんだ?

山: あれやね、内容が非常に「断片的」なんよね。

武: ん? もうちっとせつめいしてくれるかの。

山: 例えばトータルインスタレーションという一つのカバコフの流儀、「枠」があります。

武: そだね。

山: その「枠」が扱っているのはソ連、社会主義だったり、ま、いろいろあるんかも知らんが、強固にある。で、その「枠の中」で扱われている内容は非常に個別的、断片的な訳です。

武: かいつまんでみせた?

山: 一個一個が違うんですよ。様々な事象をその枠の中で見せる訳だ。

武: ふむ。

山: 全ての作品がそういうわけじゃないねんけど、そういう作り方の作品が多い気がする。

武: 現代美術ってさ、枠の設定の仕方の妙を競うってところもあるじゃん。挿絵って絵の領域と文字の領域を考えなきゃならない。でさ、たいがい絵はなんとなく端っこに置かれて文字が中央にあったりする、文字を囲むように絵がある。つまり絵は「周辺」だったりする。で、そのうちページの中にフレームを作り始める。ページ自体が与えられた枠なはずなのに、その枠の中にわざわざ枠を作り始める。そうして、そのフレームを利用して、外に出たりまたいでみたりとやり始める。枠の利用法が表現場所になる。

山: 枠の中にさらに枠を作るあの手法はカバコフ作品の常套手段のような感じやったな。

武: そうそう! カバコフの挿絵でいうと創作性で重要なのはそこのような気がする。枠の中に枠を作ればその枠で遊べる。枠の作り方が、創作性になっていく。で、現代美術。まさに枠の作り方が創作性だったりする。カバコフの場合、内容はもう旧ソ連作家というところで充分にあった。しかも、旧ソ連時代に枠の作り方をガンガン切磋琢磨していた。画風は無個性だけど、枠の作り方はものすごく個性的、というか、それがカバコフ。

山: それはある意味無個性であることを強要されたカバコフが救いを求めた地点であるかもしれんな。

武: そうかも知れない。「無個性であることを強要された」ってことは個人を無化させられてた、ってことだから、ヘンリーダーガーと一緒だね。

山: 社会主義国家の中での教育で、個性的であることが求められることはないやろうしな。

武: 建前ではどんな個性も国家に寄与する労働が存在する。現実は全く逆で。国家に準じる為にはいかなる個性も抹殺する。まあ、これは社会主義国家に対するイメージよ。

山: 僕も社会主義国家を知ってる訳ではないんではっきりわからんけど、そういうイメージはあるよな。

武: カバコフは「そのイメージが正しかったんです」という物言いなんだよね。僕らが社会主義国家に対して抱いたイメージが崩壊されないで、肯定される。しかも当事者において。このカラクリはもうちっと深く突っ込んだ方がいいんだけど、いかんせん俺も社会主義とかよく分からないし。例えば、同時代、ウォーホルも無個性な画風をココロザした。俺実はね、資本主義超大国アメリカも共産主義ソ連も、あの時代同じように「無個性」な画風をある意味強要、というか無個性っぽいのがリアリティーをがっつり持ったんじゃないだろうかって思うんだよね。製品っぽい格好良さ。というか製品っぽく振る舞う格好良さ。

山: そこを格好良さと捉えるか、大量消費主義社会における脱構築と捉えるか。捉え方によって感じ方は大幅に変わってくるけど、あるリアリティーは同じく持ってる。無個性であるということはやっぱり大量生産、大量消費が絡んでいる気はする。

武: そだね、科学、産業。

山: そういったものがほとんど一神教のように信奉されてる、あるいはされていたわけだ。

武: 大量生産、大量消費って言うと資本主義的な方角。国民労働者が平等にそれを持ち得るっていうと社会主義的な方角。

山: どちらにしても大量に作って大量に消費して大量にゴミになる訳で。無個性を強要しつつ、実際には個性を求めていたりする、というか個性はなくなりそうでなくならない、というのか。なんかよーわからんようになってきた。よくわからなくなってきたんでカバコフに戻りますが、カバコフは枠を設定してそのなかに様々な事象=個性をつめこむ。それは一つ一つを見ると直接は関係がなかったりする。

武: 枠の中に詰め込んでるのは「個性」じゃなくて「物語」なんだよ。

山: 物語が個性なんですよ。その一つ一つの物語が。ある個性を象徴している。

武: まあ、そだな。

山: だから物語そのものは非常に断片的だったりする。

武: そだね。

山: カバコフはそこからある普遍的事象を取り出そうとしているのかもしれないが、やっぱり断片的なんやろうな。

武: それをやり続けたからこそ、のカバコフなんだろうね。

山: 今回の展示でも、まあこの展示はカバコフのソ連という社会主義国家内の「お仕事」なんやけども、そこで多くの物語を挿絵画家として描き出してきた、と。それらをまとめて見せた。実はもうソ連という枠と言うよりも、カバコフという枠なんやけどね。で、無個性が個性に逆転しちゃう。

●ファック・ユー!


武: 展示でもう一つ。塗り絵コーナー。ぬり絵アルバムか。

山: あったあった。持って帰ってきた。まだ塗ってないけど(笑)。

武: 子供たちが塗ってましたからね。「ぬり絵アルバムには、ウサギ、キツネ、蝶、花、船など、絵本でおなじみのモチーフが使われている。だが、よく見るとかわいらしい絵のうしろには「ファック・ユー!」とでも訳されるロシア語の卑猥な隠語が隠されている」(笑)。

山: カバコフがかなり批判的に作ったあの塗り絵をそのまま何も考えずに塗ってしまう……、うーん暴力的だ(笑)。

武: 「ファック・ユー!」を親子でぬり絵。ほのぼの(笑)。日本語で言うとなんだろう?

山: 「死んじまえ」。

武: 「沢尻エリカ」。あー、ボケ具合で俺の勝ちかな。

山: ……なんかもうめんどくさい。

武: 眠いんでしょ。

山: 眠いですよ。

武: あーっ!

山: なんやねんな。

武: 焼酎切れた。

山: じゃあ終わりっちゅうことで! 酒も切れてチャットも終わるっちゅう話ですよ。

武: 酒の切れ目がチャットの切れ目。

山: そしたらさいならー! またお会いしましょう!

武: ういー。Zzzz....

山: あ、僕まだ酒たっぷりあるわ(笑)。

●展覧会評


武: ☆☆☆☆☆ 星五つ
カバコフのトータルインスタレーションとしてみると、社会主義ソ連という壮大な「物語」が浮かび上がってくる。

山: ☆☆☆☆ 星四つ
挿絵画家として数十年を生きたカバコフのこれらの仕事が、自身の芸術家としての創作に色濃く反映されていることがよくわかる展示。

【イリヤ・カバコフ「世界図鑑」絵本と原画】
< http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2007/kabakov/
>
会期:2007年9月15日(土)〜11月11日(日)9:30〜17:00(入館は16:30まで)
会場:神奈川県立近代美術館 葉山
休館日:10月22日(月)29日(月)11月5日(月)
観覧料:一般1,200円、20歳未満・学生1,050円、65歳以上600円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/タケヤ・コバカフ】
< http://iddy.jp/profile/Take_J/
>
mailto:take.junichiro@gmail.com

【山根康弘(やまね やすひろ)/缶切りがない】
・SWAMP-PUBLICATION < http://swamp-publication.com/
>
・交換素描 < http://swamp-publication.com/drawing/
>
mailto:yamane@swamp-publication.com

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■編集後記(10/18)

・今日の朝刊、HPのPCの広告「東京生産。」というキャッチフレーズ(お上手なタイポグラフィとはいいかねるが)に注目した。PCは海外生産が当たり前の時代に、国内で、しかも東京(昭島市)でPCを組立てていることを告知する。なぜ東京にこだわるのかというと、海外生産で発生する輸送費はなし、輸送中のトラブルによる故障率も低減とか、なるほど。「とくに関東周辺が多数を占めるPCの出荷先にとって、この近さが大きなメリットになっています。また販売方法を徹底的に効率化してコストを削減。製造ラインも極限まで無駄を排除。これら独自の取組みによって、東京生産でも、驚くべきプライスパフォーマンスを実現しているのです。」そうですか。なにもかも中国で生産されるご時世、「東京生産。」は力強いアピールだわな。Made in Chinaにはもううんざりだ。とくに食品は、中国からの輸入品にはこわいから手を出さない。原産国や製造会社のラベル情報を確認するのが習慣になった。でも、レジ横で安売りされていたのでつい買ってしまったのが「柿ピー」である。ピーナツが中国産とあった。仕方なく食べているけど。やたら針金が曲がるなと思ったら、歯間ブラシも中国製だった。昨日の朝刊にはチロルチョコの「京きなこ 黒みつ仕立て」の広告があった。コンビニのお子様コーナー(?)だけで売っている、3センチ角くらいのミニ・チョコである。さっそくお試し。京きなこチョコの中に、甘い黒みつソースともちグミが封入されていてウマイ、これは子どもに独占させるわけにはいかん。1個32円だものな、大人買いするか。(柴田)

・ア、永吉さんとかぶった。/なんかこわい。持ち上げるだけ持ち上げて突き落とすはしご外し・袋だたき現象、最近多くない? ホリエモン、安倍さん、朝青龍、沢尻エリカ……。テレビを見ていると、「表に出る」世論が一気に傾いているみたいに思えてしまう。亀田三兄弟は、負け試合を判定勝ちしてしまってから世間は離れていたように思うのに今さら。現象自体は親や上の人に怒ってるんだろう。どうしてこうなるまで注意せずに放っておくのか、周りが言わないとわからないのかと。亀田三兄弟を「マナーがなっていない吠えキャラ」として皆は楽しんでいたんじゃないの? 人気低迷していたボクシングをゴールデンに放送してもらうための布石としていたんじゃないの? 同時期、本当に実力のある選手の試合は、地上波でやらなかったり、やっても昼か夜中だったけど。以前にも後記に書いたけど、実力が足りないのは皆わかっていたことじゃないか。以来、わたしゃ亀田三兄弟の試合なんてほとんど見てないぞ。末っ子が一番強そうなんだけど、もう世間の目は冷たいだろうな。子供の頃からの努力を親が潰したってことになるね。一度は実ったからいいのかな。/グチ書きたくないけど、TV放送もうんざりなのよ。最近わかったのは「このあと」は「このあとのいつか放送時間内」で、「このあとすぐ」は「CMのあと、ちょっと選手の過去を振り返ったり、何なりで時間を潰してから。でも他の選手の試合はやらないよーん」。日本語ちゃうやん。なので録画してザッピングだ。(hammer.mule)
< https://bn.dgcr.com/archives/20060511000000.html
>  大けが
< http://www.famitsu.com/game/news/1211303_1124.html
>  ストIV始動
< http://www.streetfighterworld.com/
>  ムービーかっこいい!!