笑わない魚[233]殺虫剤小説
── 永吉克之 ──

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そろそろ本気で小説を書いてみようかな、などと職も定まらないというのに、またぞろ道楽の虫が蠢き始めた。こんな虫を飼っているから、いつまで経っても私は貧乏なのだ。この虫が自分を破滅の縁に追いやっているのが分らんのかね、永吉君。そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ。

いや「そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ」という文自体が陳腐だ。いや待てよ。「『そんな虫はバルサンで退治…おっと、こいつはまた陳腐なジョークを思いついたもんだぜ』という文自体が陳腐だ」という文もまた陳腐だ。

このように、文章をマトリョーシカのような入れ子構造にしてどんどん増殖させていっても、単に読者を煩わせるだけで、笑ってもらえないどころか、まともに読んですらもらえないからやめたほうがいいよ、永吉君。


●小説を書き始めるまえに

小説を書くにあたって、何をおいても先ず決めなければならないことがある。それは本になったときの値段である。どんなものでも、値段に見合った仕事をするのが市場原理というものだ。本の値段が安ければ、小説の内容も安っぽいものになるのは当たり前である。バルサンだって、高価なものはクジラでも殺せるが、安ものは蚊一匹殺せない。

登場人物の名前ひとつ考えるのでも、一冊の値段が3000円なら「桐生彰爾」とか「時永沙絵」とか気の利いたのを時間をかけて考えようという気にもなるが、800円なら「凸山凹夫」とか「山羊メエ子」といったあたりで妥協せざるをえないだろう。というわけで、3000円なら書いてやってもいいかなと思う。

値段が決まったら、次は表紙に使う絵だ。私は絵描きなので当然、絵は自分で描く。しかも不条理の画家と呼ばれているので、不条理な画風にしなければ私の立場がない。絵はもう頭の中で完成している。言葉で説明するのは困難だが、ウシのようなというか、ゴムのようなというか、ともかくそんな感じの絵になるはずだ。

発行所はライオン株式会社に決まった。バルサンを製造しているからだ。

↑こうやって、バルサンバルサンと最後まで何度もくり返して、笑いを取ろう魂胆だな、と読者は思われるかもしれないが、残念ながらもうバルサンは使わない。じゃ今度はキンチョールを使うつもりだろ…いやいや、キンチョールもアースノーマットも、とにかく殺虫剤の類いは一切使わない。約束する。もし使ったら切腹する。

さて表紙もできたし、それでは小説を書こう…というわけには行かない。そのまえに、あとがきを書かなければ、小説もなにも書けたものではない。

●あとがき

私がこの物語を書こうと思ったのは。私の家でバルサンを焚いたことがきっかけだったのでございます。バルサンの煙は、台所の流し台の裏側のような、手の届かないところにまで入り込んでゴキブリたちをジェノサイドするわけですが、ということは、焚いたあとの流し台の裏側には、累々たるゴキブリたちの骸があるにちがいない、そう思ったのでございました。

もしそうなら、20年近く、こまめにバルサンを焚いてきたわが家の流し台の裏の空間には、ゴキブリの死骸がちょうどその空間の形に圧縮されて固まり、名匠の手による漆塗りの工芸品のような風格を湛え、琥珀のような光沢を放ちながらそこに存在しているのでしょうか。

ところで私には変な病気がございます。生理的嫌悪感を覚えるものを見ると、それを自分が食べるところを想像してしまうのです。とぐろを巻いた犬の糞が道に落ちていたり、遅い時刻の駅のプラットフォームにゲロ溜まりなどがあると、眉をひそめながらも、なぜかじっと見てしまい、あまつさえそれを食べている光景が浮かんでくるのでございます。

ゴキブリもそうです。殺虫剤をかけられて七転八倒した後、仰向けになって脚をばたつかせながら息を引き取ろうとしている彼の虫の腹が膨らんだり萎んだりしているのを見ていると、いつの間にか、その柔らかい部分を口にくわえたときの唇の感触、そしてそれを噛み破ったときに口の中に広がる体液や内臓の味、舌触り、臭いといったものを思い浮かべているのでございます。

いつのころからかでしょうか、そんな強迫的な妄想を抱くようになってしまいました。そして、ひょっとしたら、妄想するだけではなく実行してしまうかもしれないというという予期不安に苛まれるのでございます。

ある日の夕刻でございました。仕事から自宅に帰りますと、妻と中学生になる娘がおりません。居間の食卓に置いてあるメモには妻の筆跡で「喜代美と映画を観てきます。9時ごろ帰ります。夕食は台所にあるから温めて食べてください」と書いてありました。

いつものことでございます。まあ、私が帰宅して居間に入ってくるや、無言でさっさと自分の部屋に退散してゆく娘や、おかえりなさいも言ってくれない妻を見て寂しい思いをするよりは、始めからいてくれない方がましでしょう。

私は食事を取りに台所に入りました。そして流し台の前に立ちますと、突然、数日前バルサンを焚いたときに抱いた妄想が甦ったのでございます。流し台の背後に潜んでいる、琥珀色のおぞましい妄想が。

幸い、妻と娘が帰ってくるまでにたっぷり3時間はありましたから、私は元の位置を忘れないように注意して、流し台の上にあった食器や調味料などを移動させ、固定ネジをはずして流し台を壁から離し、手前に引き出そうとしましたが、なにしろ重いので、2センチも動かすと力尽きてしまいました。

しかし、その2センチの隙間から、なにやら褐色の大きなものが姿の一部を現しているではありませんか。私が恐る恐る指を隙間に入れてそれに触りますと、ぬるぬるとした、ちょうどラードのような手触りがするのでございます。

暗くてよく見えないので、私はコーヒースプーンでそれをひと匙分かき出して、顔に近づけると、いままで経験したことのないような甘い香りが鼻の粘膜をやさしく撫でてくるのでございます。その香りのあまりの甘美さに、私はその半透明の褐色の塊がのったスプーンを思わず口の中に運んでしまいました。

そしてそれを舌でやさしく潰すと、これまた経験したことのない甘みが、わずかな渋みをともなって、口一杯に広がるのでございます。そのとき私は明晰に理解しました。これは、長い時間をかけてゴキブリが発酵したものなのだと。

「あれ、ご飯食べなかったの?」
娘と帰ってきた妻が、すこし責めるような口調で、私に言いました。
「ああ、どうも食欲がないもんでね。せっかく作ったのに悪いけど」
妻は、私の具合を心配する様子もなく、事務的に料理をラップに包んで冷蔵庫にしまって、さっさと居間でテレビを見始めました。

一度、発酵ゴキブリの味を知ったら、もうとても他のものは食べられるものではございません。

●小説を書く

さて、これでやっと小説を書き始めることができる。これが一番簡単だ。なにしろ本の値段が決まっているから、それに合わせたレベルの文章にすればいいし、表紙の不条理な絵に合わせて不条理な構成にすればいい。また、あとがきに書いたので、バルサンをテーマにすればいいということが分るはずだ。

このように、まずガイドラインをしっかりと設定することが大切なのだ。

【ながよしかつゆき/唐変木】katz@mvc.biglobe.ne.jp
一時は亀田兄弟をさんざん持ち上げておいて、今回のような不祥事があると、一転して「反則一家」(某スポーツ紙)などと、ならず者扱いをする。以前からたびたび反則行為をしていたのは知っていたはずではないか。ほんとに一部のマスコミのあからさまな日和見主義には頭が下がる。しかし「保険見直し本舗」なるスポンサー名をトランクスに貼付けて、どう見ても格好よくないボクシングをし、ファイトマネーもマスコミの注目度も挑戦者よりはるかに低かったほぼ中年の男が勝った。やはりドラマ的には内藤が勝ってよかったのだ。

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