映画と夜と音楽と…[358]アラン・ドロンの紺のセーター
── 十河 進 ──

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●七十を過ぎたアラン・ドロンがテレビに登場した

昨年、小冊子に載った鹿島茂さんのエッセイ「往年のスーパースター」をたまたま読んだら、アラン・ドロンについて書いてあった。フランス文学者の鹿島さんはよくパリへいくらしいが、ある日、パリの映画演劇案内誌に載っていた「Sur la route de Madison」という劇の主演がアラン・ドロンとミレーユ・ダルクだと知って見にいく。

それは「マディソン郡の橋」を劇化したもので、アラン・ドロンがキンケイドを演じ、フランシスカをミレーユ・ダルクが演じた。ドロンは七十歳を過ぎているし、ミレーユ・ダルクだって七十近い歳だ。しかし、ミレーユ・ダルクはダンスしながら一気にドレスを脱ぎ捨てるシーンがあり、その瞬間、「場内に『ウォーッ!』という叫びがこだました」という。

冒険者たち 40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアム昨年、「冒険者たち」(1967年)の40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアムというDVDが発売になった。「冒険者たち」の公開40周年を記念したもので、完全デジタルリマスター版だった。その中には「監督インタビュー」や「ジョアンナ・シムカスが語る『冒険者たち』の思い出」などが入っている。やはり「冒険者たち」のファンは、大勢いるのだろう。


昨年の秋のことだった。カミサンに「今日の『スマスマ』にアラン・ドロンが出てるわよ」と教えられ、慌ててテレビを見た。もうほとんど終わりかけていて最後の料理判定だったが、髪は真っ白になっていたものの、とても七十とは思えない昔のイメージを維持したアラン・ドロンが、スマップのメンバーと会話していた。

ドロンは『SMAP×SMAP』に出るためだけに飛行機でやってきたらしい。昔は何度も来日したが、公式の来日は久しぶりではないだろうか。ドロンは、スマップのメンバーにアラン・ドロン・ブランドの腕時計をプレゼントしていた。アラン・ドロン・ブランドは香水なども出しているという。

アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ DVD-BOXそんなことで、現在のアラン・ドロンを見て懐かしんでいたら、暮れにワウワウが「刑事フランク・リーヴァ」というシリーズを放映してくれた。2004年の制作らしいので、1935年生まれのアラン・ドロンは七十前だが、すっかり老けたドロンが現役の警視として活躍するドラマだった。

おそらくフランスのテレビで放映されたときは、一回が二時間枠だったのだろう。一回分の内容が充実していた。それが六回続くシリーズである。何とミレーユ・ダルクが出演している。主人公の昔の恋人役である。昔、ドロンは「サムライ」で共演したナタリーと離婚した後、ミレーユ・ダルクと一緒に住んでいた。実生活を連想させるキャスティングである。

恋するガリアミレーユ・ダルクは「恋するガリア」(1965年)で日本でも一躍人気が出た。スレンダーな肢体で売り出した人だ。ツィッギーほどではなかったが、当時のファッションリーダー的な存在だった。僕はリノ・ヴァンチュラ主演「女王陛下のダイナマイト」(1966年)という映画が大好きなのだが、そのヒロインを彼女が演じていた。

●フランスで放映されたシリーズ・ドラマ

「刑事フランク・リーヴァ」はいかにもフランス的な刑事物で、懐かしいテイストにあふれていた。主人公フランク・リーヴァは、若い頃にマフィアに潜入した刑事で大物のボスたちを逮捕する。しかし、そのため多額の賞金をマフィアにかけられ、海外での逃亡生活を余儀なくされる。彼の周辺にいる人たちにも危険が及びそうだったからだ。

二十五年後、かつての同僚で今は警察庁長官になっている友人(何とジャック・ペランである)に呼び戻される。パリ警視庁の警視だったフランクの弟が、捜査中にギャングたちと撃ち合いになり殺されたからだった。美人の署長や最初は彼に反発する若手の刑事たちを従えて、伝説の警視は弟を殺した犯人を追いつめていく。

「刑事フランク・リーヴァ」では、若い頃のドロンの写真が何度か使われる。美人署長がド・ゴール空港にフランクを迎えにいくときに持っている写真は、若い頃のドロン。美貌である。また、フランクはマフィアに潜入しているときに愛し合った女性がいて、その女性が彼の子を産んでいたのを初めて知るのだが、その娘が持っている両親の写真にはニヤリとした。

それは、若いドロンと女優が頬を寄せて抱き合っているアップだった。見覚えがあるぞと思って調べたら、「太陽はひとりぼっち」(1962年)のときのスチール写真である。「太陽はひとりぼっち」ではモニカ・ヴィッティと抱き合っているのだが、その女優の方だけを合成で入れ替えた写真だった。

フリック・ストーリー デジタル・リマスター版若い頃のアラン・ドロンは刑事役より犯罪者役の方が多かった。刑事役で印象に残っているのはジャン・ピエール・メルヴィル監督の遺作「リスボン特急」(1970年)と「フリック・ストーリー」(1975 年)くらいだろうか。「太陽がいっぱい」(1959年)「地下室のメロディー」(1962年)「サムライ」(19 68年)「仁義」(1970年)など、魅力的な犯罪者の役はいくらでもある。

太陽はひとりぼっち僕がアラン・ドロンの映画を初めて見たのは、1964年の秋のこと。リバイバル上映された「太陽がいっぱい」が、さらに二番館に落ちてきたときだった。おそらく、アラン・ドロン人気が最高潮を迎えていたのは、その数年前のことである。「太陽がいっぱい」の日本公開は1960年。主題曲がヒットチャートの一位を獲得した。初来日のとき、羽田空港は大騒ぎだったらしい。

「太陽がいっぱい」ですっかり犯罪者ドロンにまいった僕は、その後の封切り映画は欠かさず見にいった。その結果、ハリウッドに進出し、アン・マーグレットと共演した「泥棒を消せ」(1965年)やディーン・マーティンと共演した「テキサス」(1966年)という愚作まで見る羽目になった。

アラン・ドロンが賢明だったのは、ハリウッド進出を失敗だったと自覚して、とっととフランスに帰ったことである。それからの数年で「冒険者たち」「サムライ」「さらば友よ」「仁義」など、人々の心に残る名作を次から次に世に送り出した。ドロンは三十代に入っていた。

●ドロンが着ていた紺のセーターのようなもの

今も僕の手元に「映画の友」別冊「世界のスター100人集」という雑誌がある。1966年9月10日発行になっている。そのカラーグラビアにアラン・ドロンが載っている。彼は濃紺の丸首セーターのようなものを着て袖をまくり上げ、火のついたたばこを持ち、ブルーの瞳をカメラに向けている。

ロスト・コマンド 名誉と栄光のためでなく僕は中学三年生で、「名誉と栄光のためでなく」(1966年)という映画を見たばかりだった。フランス落下傘部隊の兵士を演じたアラン・ドロンはかっこよかった。フランス落下傘部隊がアルジェリア戦争で悪名を馳せたことを知るのは後のことである。

さて、僕はその別冊のグラビアページを見て、紺色の丸首のセーターを着たアラン・ドロンに憧れ、「おお、紺のセーターなら持っておるぞ」と思い出し、紺色のセーターを押入の衣装箱から出してきた。冬になると僕は、そのセーターをいつも厚めの襟付きシャツの上から着ていた。しかし、ドロンの着方がひどくかっこよく見えた。僕は下着のシャツの上にそのまま着てみた。

その恰好で、階下の父母の部屋にある鏡台の前に立った。当時、僕は痩せてはいたが、両顎がひどく目立つ顔をしていた。要するにエラの目立つ顔だ。そこからなまっ白い首が伸び、丸首のセーターになる。今から思えば、首とエラばかり目立つ姿なのだが、僕はドロンと同じように少し袖をまくり上げ、悦に入っていた。母が入ってきて「何しょんな、今頃からセーターなんや着て」と言った。「ドロンや」と僕は答えた。母には通じなかった。

九月だった。さすがにセーターは暑くて、外に着ていくには早すぎた。十月になれば大丈夫だろうと考え、しばらく待つことにした。そんな頃、仲のよかったKくんが足を折って入院した。Kくんも映画好きで、映画雑誌もいろいろ買っていた。時々、僕らは買った雑誌を交換した。Kくんの家には立派なステレオがあり、僕は「ヨーロッパ映画音楽集」といったLPレコードを聴かせてもらったりした。

Kくんの見舞いには夕方からいくことにして、僕は紺のセーターを着た。「世界のスター100人集」を見舞い代わりに持っていこうと思った。Kくんが入院していたのは、市内の西にある赤十字病院だった。僕の家からは自転車で三十分ほどかかった。僕は、暮れかかった西の空を見ながら自転車を走らせた。

当然のことながら、病院に着いたときは汗だくだった。拭いても拭いても汗が流れ落ちてきた。九月の末で、病院には冷房が入っていなかった(その頃は夏でも冷房は入っていなかったかもしれない)。セーターの裾を広げて、僕は風を入れた。下着はぐっしょり濡れていた。

見舞いに持ってきた雑誌で扇ぎながら、廊下を歩いた。外科病棟は少し離れた場所だった記憶がある。歩いているうちに、汗も少し引いてきた。それでも、僕が病室を覗いたとき、Kくんは「どうしたん。ものすご汗かいとるやないか」と言った。僕は「自転車とばしてきたんや」と答えた。それから「これ、貸してあげる」と「世界のスター100人集」を渡した。

「映画の友」別冊「世界のスター100人集」の巻末には、登場したスターたちのファンレター宛先一覧が載っていた。すべて英語表記である。優等生のKくんは、そのページを見てひどく喜んだ。彼は、以前、「拳銃無宿」と「大脱走」でファンになったスティーブ・マックィーンにファンレターを出したことがあると言っていた。

パラパラとページをめくっていたKくんの手がアラン・ドロンのところで止まった。「かっこええやろ、ドロン」と僕は言った。「ソゴーくんはドロン・ファンやからな」とKくんが言った。「同じカッコやで」と、僕はちょっと照れながら言ってみた。Kくんはしばらく僕を見ていたが、納得したように言った。

──それで、こんな季節からセーター着とったんか。ドロンが着とるんは、毛糸のセーターやないで。トレーナーや。綿でできとるんや。汗もよう吸い取る。コットンパンツに薄手のトレーナーなら夏でもオーケーや。

当時の僕は、トレーナーを知らなかった。スエットシャツなんて言い方は、まだ存在もしていなかった時代だ。Kくんは笑わなかったが、笑われた方がマシだった。僕は恥ずかしさに包まれると同時にひどく落ち込み、傷心を抱えて帰りの自転車のペダルを漕いだ。早く帰って、セーターを脱ぎ捨てたかった。後から後から汗が背中を流れた。

それも、遙かな昔の話だ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
のだめカンタービレ スペシャルBEST!正月に「のだめカンタービレ」一挙放送を何気なく見ていたらハマッてしまいました。二夜連続特番も見て、サントリーホール凄いなあ、とため息をついています。それ以来、手持ちのモーツァルトやブラームス、ベートーベンを聴いています。ラヴェルのピアノ曲を買いにいかなきゃ。「のだめ…」のコンピ盤を買った方がいいかもしれませんが。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
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star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

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