笑わない魚[241]ヒゲは住めない堅気の世界
── 永吉克之 ──

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僕は、かれこれもう25年以上もヒゲを生やしているんですよ。一時的に剃ったことはありますけど、ほとんど常に僕はヒゲとともにありました。しかし最近、ヒゲを蓄えていることが、どれだけ人生を困難にするかを知って、失意の日々を送ってるんです。

年末から年始にかけてやった郵便局の深夜アルバイトの面談(なぜか「面接」とは言わないんですよ)で、担当者さんから、ひょっとしたらヒゲを剃ってもらうかもしれないけど、それでもいいですか、と訊かれました。僕は、どう答えればいいのか大いに迷ったのですが、一晩考えさせてくれとも言えないので、気持はぜんぜん決然としていないのに「ヒゲは剃れません。剃らないことが不採用の理由になってもかまいません」と、口調だけは決然と答えました。まあ結局は採用されたんですけど。


郵便局のアルバイトの雇用期間が終って、今度は商品管理の深夜アルバイトをネットで見つけて、サイトの申し込みフォームで応募したんですよ。で、数日後、近所のスーパーでレタスを選んでいるところに、アルバイト担当者さんからケータイに連絡が入ったんです。レジカゴがすでに一杯になっていたので、それを持って店の外に出るわけにもいかず、仕方ないから野菜売り場で電話面接(って言うのかな)をしたんです。しかしモバイルな面接とは、世の中ずいぶん便利になったもんですね。

担当者さんから詳しい労働条件聞かされたあとに、身だしなみの条件のひとつとしてヒゲは剃ってもらいますけどいいですかと、また重大な決断を迫られました。僕は、レタスの山を見ながら途方に暮れてしまったのですが、相手は電話の向こうで返答を待っているので、いつまでも暮れているわけにもいかず、何でもいいから返事しなくちゃと焦って「すいません。剃るのはちょっと……じゃ、またの機会に」と、思いついたままを言って電話を切りました。「またの機会に」というのは、雇用者側が採用を拒否した時に使うお愛想なんですけど、それを代りに言ってあげるって、僕はなんて卑屈な人間なんでしょう。

その次は警備会社だったんです。募集サイトを見ると、60歳まで可となってるし、勤務地も近いしで、応募しようかと思ったんですけど、若い頃に、ちょっと右翼っぽい警備会社のアルバイトの面接に行って、その長髪は切れとか、身だしなみを高圧的に指摘されて、それがトラウマになっているので、面接を申し込む前に、ヒゲでもいいか電話で尋ねたら、予想通りの回答でした。

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これまであんまり意識してなかったんですけど、ヒゲって、日本では、おっそろしく少数派なんですよね。この間、日曜の昼だったんですが、電車のなかでヒゲを探してみました。乗客はかなりいたんですが、僕の位置から見えた範囲にヒゲはひとりもいなかったんです。それで、着いた駅でしばらくプラットフォームに立って、ぞろぞろ歩いている人の群れを見てたんですけど、見えた範囲では、これまたひとりもヒゲがいないんですよ。慄然としましたね。

そういうこともあって、自分がマイノリティだということを今、明確に自覚しているとともに、よくまあヒゲのまま、これまで生きてこられたもんだと思ってます。多分、僕が勤めてきた職場は、どれも知人の紹介で見つけたものだからなんだと思います。ヒゲが気に喰わないけど、紹介があるんだから、少なくとも悪党じゃないだろうということで雇ってもらってたんでしょう。

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唐突ですけど、日本の現役の政治家のなかに、ヒゲっていましたっけね。明治あたりから戦前までは、政治家たちも無闇に生やしてたみたいなんですけど、戦後になってヒゲ率が急速に低下するんです。内閣総理大臣も55代の石橋湛山(1957年まで在任)を最後にヒゲがいなくなります(Wikipediaの歴代総理の写真に基づいて判断しました)。

で、探してみたんです、ヒゲの国会議員。各政党のサイトの男性議員の顔写真を見て。たとえば自民党を都道府県別で探しますと、東京選挙区の議員23人中、ヒゲはゼロ。芸人の街大阪の選挙区の議員14人も全員ヒゲなし。老いも若きも男はみんなヒゲ生やして威張っていそうな鹿児島の7人も同じ。北海道も、まだ寒いのに7人ともヒゲなし。

47都道府県全部探すつもりだったんですけど、なんだかアホらしくなってきたので、僕がかつて住んだことのある地区だけ探しましたところ、福岡、兵庫、大阪、京都、愛知、神奈川、東京、総勢102人、ヒゲはいませんでした。政党別では、公明、社民、共産は全滅。やっとこさ民主に3人、ヒゲがいました。

つまり、政治家にとって不可欠であるクリーンなイメージを演出するためには、ヒゲはマイナスということなんでしょうね。確かに、ヒゲはどこかアウトローなイメージがありますよね。チョイ悪オヤジを描けと言われたら、僕なら多分、ヒゲを描き入れますよ。

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深夜、路上強盗に遭って袋小路に追いつめられた。しかし幸い、壁には穴が空いていて、そこから抜け出せそうだ。その穴は小さいけど、腰も腹も胸も肩も頭もつかえずに通る。でもヒゲだけがつかえて抜け出すことができない。もがいているうちに、強盗が追いついてきた。カネばかりか命まで奪われるかもしれない。そんな風にたとえれば、僕の境遇がわかってもらえるでしょうか。

幅わずか7cmほどのヒゲが、僕を破滅させようとしてるんです。癌みたいなものです。いや、癌はヒゲじゃなくて、ヒゲに執着する僕の心でしょう。このヒゲさえ剃れば、仕事はあるんですから、剃ればいいじゃないですか。生活を危うくしてまでヒゲにこだわるのはなぜなんでしょう。それが美学だとでも言うつもりなんですか。世の中を舐めちゃいけませんよ。

【ながよしかつゆき/胴元】katz@mvc.biglobe.ne.jp
3年ぶりに、弊サイトに作品を追加した(12点)。といってもそれは一昨年、「ディジタル・イメージ展」に出品したもの。今年制作した作品は後ほど。しかし、サイトの構造が、7年間ほとんど変っていないのが情けない。近いうちにFlashで全面的にリニューアルする予定なので、デザインのしょぼさには目をつぶって作品だけ見ていただきたい。

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