[2427] frickr面白いね

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<パソコンを使っていると廃人になる>

■笑わない魚[245]
 忘れられた忘却(後編)
 永吉克之

■デジアナ逆十字固め…[76]
 frickr面白いね
 上原ゼンジ

■公募案内
 エプソン、『カラーイメージングコンテスト2008』募集開始


■笑わない魚[245]
忘れられた忘却(後編)

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20080522140300.html
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実は、今回のコラムで書きたいことがあったのだが、それが何だったのか、思い出せないのだ。三日前、電車の中で、婦人雑誌の吊り広告をぼんやり見ているときに、よし、これで行こうと思ったのだから、婦人の何かに関係あるのかも知れない。とにかく「近来まれな発想だ」と、人目もはばからず声に出したくらいのアイデアだっただけに悔やまれる。しかし、そんなすごいアイデアをも忘れてしまう私の忘却力の威力は侮れない。

笑わない魚[211]『忘れられた忘却(前編)』にも書いたが、私は物忘れがひどい。初対面の人の名前など、メモでもしておかなければ、たいてい忘れる。ついでに顔まで忘れる。また朝、新聞のテレビ欄で、これは見てみようという番組を見つけたら、録画するほどの番組でなくても録画予約する。でないと、ほぼ間違いなく忘れるからだ。だからアイデアなどもそうだ。朝、寝床で、これだ! と思いついても、顔を洗っているうちに何を思いついたのか忘れてしまうから情けない。
< https://bn.dgcr.com/archives/20061130140500.html
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私がこんな廃人になってしまったのは、老化によるものだとは認めたくない。首から下の老化は認めるにやぶさかではないが、脳の老化を認めるのはやぶさかだ。だから、これら「不都合な真実」(An Inconvenient Truth)はすべて、その原因をパソコンに帰することにしている。パソコンを使っていると廃人になるのだ。

たとえば、隣の部屋の小物入れにある切手を取りに行こうとしたとき、ラジオからたまたま「リバーサイドホテル」が流れてきて、そういや井上陽水、このところテレビで見ないけど、死んだのかな、なんてことに関心を移すとお終いである。井上陽水に切手が上書きされてしまうからだ。しかし、体だけは惰性で隣の部屋に行く。その結果、あれ、俺この部屋に何しにきたんだろう? となる。

いくら考えても思い出せなくて、もとの場所に戻ると、机の上に封筒が置いてあって、あそうか、切手を取りに行ったんだ、と思い出して、また隣の部屋に行かなけれればならなくなるわけだ。だから私は、切手がいると思ったら「切手だ、切手。誰が何と言おうが切手だ。切手以外はみんなクズだ!」とわめきちらしながら取りにいくこといしている。人には見られたくない姿である。

この元凶はWikipediaだ。たとえば、オウムとインコは何が違うのかを調べようと思って「オウム」のページを開く。両種の共通点は挙げてあっても、決定的な相違点についてはなかなか出てこない。読み進むうちに、分類表(◯界□門△綱▽目☆科というアレ)が目に入る。するといちばん上位の分類が「動物界」となっている。ほう、動物界ね、じゃ人間様もここに入るんだろうかと興味が湧いて「動物界」をクリック。ページが開くと。そこには「"動物"という語は、特に日常語の水準では、人間を含まない"獣"の意味で使われることが多い」と書いてある。俺は動物より偉いんだと、ちょっと安心して、スクロールすると「未確認動物一覧(UMA)」というテキストが出てきてリンクが張ってある。面白そうだからリンク先を開くと130ほどの未確認動物が列挙してある。ツチノコや雪男に混じって「ヒツジ男」とか「ングマ・モネネ」とか「XYZ-1」とか聞いたこともないのがずらずらある。天狗やケンタウロスまで入っている。いくらなんでも天狗は動物じゃないでしょ、ははは、となんとなく満足して、ウィンドウを閉じる。かくして、オウムとインコの違いは謎に包まれたまま、忘れ去られてしまうのである。

このようにしてWikipediaは、行動の本来の目的を、関係のない他の目的で上書きすることに無抵抗な人間を大量生産しているのだ。飛行機でパリのドゴール空港に降り立って「あれ、俺、パリに何しにきたんだろ?」と呆然とする人が跡を絶たなくなる、そんな時代はもう目の前だ。

                 ●

そんなわけで今回はネタがない、というよりネタが思い出せないので、書けなくなってしまった。といいながらずいぶん書いてしまったが、いつもより文章の量が少なくて申し訳ない。そこで、先週読んだばかりの本の書評を載せておく。書評なんて書くほどの本好きではないのだが、ヒトの本を偉そう批評してみたいと、いつも思っていたので、僭越ながら書かせていただく。

【書評】『首都消失』小松左京(1985年)

すいぶん前に書かれたSFで、ぜんぜん興味がなかったが、亡くなった父親が読んだのか、とにかく家にあったので、捨てるのがもったいないという貧乏人根性で読んでみた。ところが、あにはからんや、SF史に残る傑作であった。

首都東京が、宇宙からやってきたらしい雲のようなものに覆われて孤立し、外部との行き来ができなくなって、たくさんの人たちがとても困ってしまう、確かそんなストーリーだったと思うが、それ以外の内容はよく憶えていない。

やたらと長いうえに、アメリカ軍やソ連軍の兵器の名前や、いろんな方面の専門用語があちこちに出てくるので読んでいるのが苦痛だった。また人の名前がたくさん出てくるので、誰がどういう立場で何をする人なのか、途中から人間関係がだんご状態になって訳が分からなくなってしまった。

最後に、たしか「雲」は消えたと思うが、どうやって消したのかは忘れた。そして、雲のなかに閉じ込められていた人びとが、みな無事だったような気もするし、全滅していたような気もする。それに、雲を作った宇宙人は最後に出てきたのだろうか? また首都は秩序を回復したのだろうか? よく憶えていないが、読み応えのある作品だ。一読をお勧めする。

【ながよしかつゆき/怪奇たたみ男】katz@mvc.biglobe.ne.jp
去る者は日々に疎し。父親の十三回忌だったのをすっかり忘れて、その日は人と飲んだくれていた。正当化するわけじゃないけど、もし私が父親なら、わしのことはもうええ。お前が息災でおればええ、と息子に言いたいだろうな。

・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
> ブログ 5/15更新
・EPIGONE< http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Ework
> 作品サイト
・ちょ〜絵文字< http://emoz.jp
> au&Yahoo!ケータイ公式サイト
・アーバンネイル< http://unail.jp/
> ネイルアートのケータイサイト

●「怒りのブドウ球菌」発売中!
< http://www.dgcr.com/books/index.html
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■デジアナ逆十字固め…[76]
frickr面白いね

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20080522140200.html
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最近frickrにハマっている。いや、ハマっているとまではいってないが、けっこう頻繁に写真をアップしている。frickr(フリッカー)というのは写真やイラストなどの画像が共有できるコミュニティーサイトのことで、最近は動画のアップもできるようになった。

元々はカナダのルディコープ社が2004年に開設したが、2005年に米Yahoo!により買収された。アメリカのYahoo!に登録しなければfrickrは使えないので、英語が得意でない人にとってはちょっと敷居が高い。私自身も英語でコミュニケーションしたりするのは面倒なので、「なんか面白そうだな」とは思いつつも登録することはなかった。

ところが最近、frickrで活躍する日本人のページに遭遇し、試しにやってみる気になったというわけだ。

frickrの面白いところは、その登録者数の多さだ。いろんな国の人達が利用していて、様々なタイプの写真がアップされている。現時点での登録枚数は25億枚以上。そして自分の写真に興味を持ってくれれば、いろんな国の人達がコメントをつけてくれる。このコメントに関しては、日本語で書き込むことも可能。

しかし、ただ画像をアップしただけだと、誰の目にも触れない。そこでfrickrにはいくつかの仕掛けがある。それが「タグ」や「コンタクト」や「グループ」だ。

「タグ」というのは、その写真のキーワードをつけておくこと。被写体や撮影地などを入れておけば、他の人の検索にひっかかるようになる。また、アップした本人ばかりではなく、他のユーザーが自由にタグ付けできるというのが特徴のひとつ。

「コンタクト」というのは、「友人」や「お気に入りの人」のことで、コンタクトとして登録をしておけば、その人が新たな画像をアップした場合に分かる仕組みになっている。つまり、自分の写真を気に入ってくれた人がコンタクトに加えてくれたとしたら、その人には写真をアップしたという情報が伝わり、サムネールを見て面白いと思えば、見に来てもらえるというわけだ。

「グループ」はユーザーの作ったコミュニティーのことだ。たとえば、花の写真が好きな人たちのグループでは、自分の撮った花の写真をグループに投稿したり、ディスカッションをしたりしている。

私が面白いと思っているのは、この「グループ」の多様性だ。本当にいろんな種類のグループがある。たとえば、「花」とか「マクロ」といった大きなカテゴリのグループなら無数に存在するし、「錆」とか「ペンキの剥げたの」のグループなんていうのもある。

私は「錆」や「ペンキの剥げたの」が大好きなのだが、世界中に「錆」や「ペンキの剥げたの」が好きな人たちがいて、そんな人たちが「オレの錆の写真はどうかね?」と言って、見せ合いっこをしている状況というのはなかなか楽しい。

こんなふうに多様な写真を見ていると、日本の写真はすごく種類が少ないよな、と思わせられる。「錆」や「ペンキの剥げたの」を撮りゃあいいってもんじゃないけど、どこかで見たような写真ばかりが溢れかえり、豊かではないなと思う。

◇The Rust Bucket(錆び系のグループ)
< http://www.flickr.com/groups/24833238@N00/
>

◇aPeeling Paint(ペンキの剥げたの系のグループ)
< http://www.flickr.com/groups/a-peelingpaint/
>

◇マイ錆
< http://www.flickr.com/photos/zenji001/sets/72157604549345304/
>

●写真を撮らない写真好きにもおすすめ

自分の写真を多くの人に見て欲しければ、いろんなグループに写真をポストする方法が手っ取り早い。グループ内のプールでは、サムネール画像が表示されるので、それを見て気になった人がクリックで飛んできてくれ、面白いと思えばコメントをくれたり、「フェイバリット」に加えてくれたりする。フェイバリットの数が多ければ、その写真は人気があるということなので、撮っている人間にとっては励みになる。

フェイバリットが50個以上ついた写真のグループとか、200個以上ついた写真のグループなんていうのもあるので、どんな写真が人気があるのか分かって面白い。確かにフェイバリットがたくさん付いた写真というのは、それなりの写真ではあると思う。しかし、私にとってそれらの写真が面白いかと言えばそうでもない。

たとえばフェイバリットが沢山ついた写真というのは、色や構図のはっきりした分かりやすい、教科書的な写真が多い。まあ、そんな写真だと私的にはちょっと喜べないのだ。これはベストセラー小説が面白くなかったり、売れ行きベストテンの音楽にピンとこないのと、イコールなのだろう。

だから、フェイバリットがつきゃあいいってもんじゃないだろう、と思いつつもウケれば嬉しいので、ついついウケ狙いの写真を撮ったり、やたらとグループにポストしてしまったりしている。まあ、本当に世界中の人から賞賛されるような写真を撮ることができるのなら、それはそれで悪いことではないけれど……。

その他、frickrのいいところとしては、Mac用のアップローダーがあったり、サードパーティー製のユーティリティーが充実しているといったあたりだろうか。画像をアップし、アップした画像にタグをつけたり、カテゴリーの編集をしたりということが、すごく簡単にできる。格好付けたデザインのホームページなんか作らなくても、これでいいやという感じなのだ。それよりも、撮りたての写真を「ちょっと見て!」という感じでアップできるところが面白い。

自分で写真をアップしなくても、好きな写真を見つけたり、集めたりするだけでも楽しいので、写真が好きな人はぜひどうぞ。登録の仕方を日本語で解説したページなんかもあるから、実はそんなに敷居は高くないです。

◇上原のfrickrのページ
< http://www.flickr.com/photos/zenji001/
>

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com
◇上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
>
◇「カメラプラス トイカメラ風味の写真が簡単に」(雷鳥社刊)
< http://www.maminka.com/toycamera/plus.html
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■公募案内
エプソン、新たな才能の発掘支援を目指す『カラーイメージングコンテスト2008』開催。写真・グラフィック作品を募集開始。
< http://www.epson.jp/osirase/2008/080520.htm
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< http://www.epson.jp/contest/
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20080522140100.html
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このコンテストは、デジタルイメージング文化の育成を目的として1994年にスタートし、今年で15回目を迎える。デジタル表現の新しい可能性を発掘し、写真やグラフィック領域において新たな表現に挑戦する人々に発表の場を提供するとともに、写真家、クリエイターをめざす人々の育成支援活動を実施している。グランプリは賞金200万円、準グランプリは賞金100万円。部門優秀賞は50万円。審査員賞6作品、各30万円。青山スパイラルガーデンで受賞作品展を、アジア地域(一部)で巡回展を実施する。応募締切は、2008年9月19日(金)当日消印/宅配受付有効。

[写真部門]は、写真表現を自由に追求し、デジタルプロセスを介して制作された作品。[グラフィック部門]は、デジタルデザイン、CG、絵画、版画、イラストレーション、タイポグラフィなど幅広いジャンルを自由に追求し、デジタルプロセスを介して制作された作品。

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■編集後記(5/22)

・「教育再生懇談会:小・中学生の携帯使用を制限 報告に盛る」という報道があってから、各分野から異論が噴出しているようだ。首相官邸サイトに「教育再生懇談会 合宿審議第3セッション議事次第」というページがあり、有害情報対策について(論点メモ)のPDFが掲載されている。わずか100字超で、1)携帯電話自体の必要性 小中学生に携帯電話を持たせない 2)携帯電話の機能限定 小中学生が使う携帯電話の機能を、例えば、通話機能+居場所確認機能に限定する 3)携帯電話のフィルタリング 小中学生が使う携帯電話にフィルタリングを法的に義務付ける とある。これらを含んだ報告書が首相に提出される。小中学生(&高校生)のケータイを介したトラブルに対して、なんらかの対策は必要だと常々思っていたので、制限を設けることに賛成だ。ほかにどんな具体的な対策があるというのか。よくある意見は、子どもにケータイを持たせるかどうかは、親子で真剣に話し合って決めればいい、家庭の問題だなんていうキレイゴト。たぶんできていないからトラブルが起きる。子どものケータイについて、問題意識のない親の方が圧倒的に多いはずだ。だが、「持たせない」というのは実効性に乏しい。満足できるフィルタリングは、現状では技術的に難しく(本当か?)「表現の自由」というめんどうな問題がある。一番簡単なのは、インターネットに接続できないようにすることだ。10年前はそれが普通だったではないか。小中学生にモバイルなんか不要だ(高校生にも不要だとさえ思う)。通信業界の第三者機関「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構」は「ネットから隔離した状態で子どもが成人すれば、高度に情報化した国際社会に取り残される」と絵空事を言っている。そんなことはありえない。その理屈が正しいと思うなら証明してくれ。自民党文教族議員は「規制より、有害情報サイトを見たいと思わない心を育てるのが先だ」とノーテンキなことを言ってる。どうやってそういう心を育てるのか言ってみろ(この二つのコメントは北海道新聞5/18から)。インターネット機能付きの携帯を子どもに与えているのは、世界の中でも日本だけだそうだ。諸悪の根源は、大人が子どもにケータイを安易に与えたことにある。子どもからケータイを取り返して、本を読む時間を与えるのが大人の役目だ。(柴田)
< http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai3/3s-3gijisidai.html
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首相官邸サイトの「教育再生懇談会 合宿審議第3セッション議事次第
< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/col/20070424/121743/
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学校裏サイトで、今何が行われているのか〜子どもとケータイの闇/群馬大学社会情報学部大学院研究科教授・下田博次先生(nikkei TRENDY net)

・甥のことを考えたら、万が一の時のためにGPSはつけておきたい。110番と119番、自宅や家族への発信はさせたいけれど、ないならないでどうにかなるような気もする。ネット接続はいらない。ビジネスならいざ知らず、小中学生にスピード重視な情報が必要かというとそうではないと思うから。取捨選択する基準となる知識がまだインプットされていないのだから。それよりも、複数の人の手の入った本や映像類で、体系だった知識を学ばせたい。本の範囲を越えるまでの知識を中学生までに身に付けるなら別だが、まぁ例外だな。一人で考える時間を作らせたい。成人した時に、誰に教えられずとも知識を得る、調べることができるようにするには、道具への慣れよりも自習力や好奇心、習慣。目的や自習力があれば、大人なってからでもパソコンは使えるようになるし(今は学校でやらせるみたいだけど)。メールや電話は時間泥棒になりがち。子供の頃にそれらが必要とは思えない。家に固定電話を用意して、「いつまで電話してるの!」と叱られながら、親の目を気にしながら電話させればいい。携帯電話を持たせるなら使える時間を8時〜20時までに制限させて、と書きながらふと思った。学校に行っている間も使えないようにするわけで、じゃあ逆に使える時間って、と思ったら、やっぱり持たせる必要はないんじゃないかと。塾や習い事の送り迎えのためのGPSつきトランシーバー(受発信先限定した携帯電話)みたいなのがあれば十分なんじゃない?(hammer.mule)