« ■わが逃走[24]人はなぜ写真を撮るのか。の巻/齋藤 浩 | index | ■Otakuワールドへようこそ![76]幻妖の棲む森:人形と写真を展示します/GrowHair »

[2453] 何者かになりたかった…あの頃

with Ajax Amazon
<僕はひとりで喋って自らを追い込んだ>

■映画と夜と音楽と…[380]
 何者かになりたかった…あの頃
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![76]
 幻妖の棲む森:人形と写真を展示します
 GrowHair
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 印刷通販 PR ━
チラシ印刷ポスター印刷新聞折込チラシカタログ印刷冊子印刷
ポストカード印刷巻き三つ折り観音折りなどに対応した印刷サービス
印刷会社はこちらから↓↓↓ 選挙ポスター印刷もあります。
http://www.ddc.co.jp/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 印刷通販 PR ━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■映画と夜と音楽と…[380]
何者かになりたかった…あの頃

十河 進
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20080627140200.html >
───────────────────────────────────

●発売を待ちかねていた「小説現代」七月号

ちょうど一年前には、「小説宝石」7月号が書店に並ぶのを待っていた。大沢在昌さんとの対談「ハードボイルドがなければ生きていけない」が掲載になっていたからだ。今年は、「小説現代」7月号の発売を待っていた。第54回江戸川乱歩賞の選考経過が掲載されているからである。

今年の受賞者がふたりだということは、すでに知っている。最終選考に残れば連絡があることも聞いていた。最終選考に残ったのは5篇だったという情報も入っていた。しかし、僕が応募した作品がどこで落ちたのかは、選考経過を見なければわからない。一次選考も通らなかったのか、二次選考くらいまではいったのか…。

乱歩賞あてに原稿を送ったのは、締め切り直前の1月下旬だった。それから受賞作の発表があった5月の半ばまで、もしかしたら受賞するかもという甘い夢をときどき見た。そう思う反面、ダメだよなあ、きっと…という気分が襲ってくる。その繰り返しだった。しかし、最終選考まで残らないと、大沢在昌さんには読んでもらえないのである。

小説を書こう、と久しぶりに火がついたのは、大沢在昌さんのひと言からだった。昨年の5月末、対談の間に「ソゴーさんは、小説書かないの?」と聞かれた。「昔、書いていたんですけど…」と、僕は言葉を濁す。「最近は、年配になってからのデビューも流行ってますよ」と、大沢さんは笑った。

もう30年近く前のことになる。「文学界」新人賞に応募して、一次選考に通った。小説のタイトルと名前が雑誌に掲載になった。それがどの程度のものかわからず、僕は有頂天になった。続けて応募したものは、一次選考も通過しなかった。その数年後、三度目の応募作も一次選考は通ったが、もう自分の名前とタイトルを見ても大して感激はしなかった。

文藝春秋社が出版している関係から「文学界」新人賞受賞作は、そのまま芥川賞候補作になることが多い。石原慎太郎や丸山健二などは、「文学界」新人賞受賞作でそのまま芥川賞を受賞した。だから、僕も「芥川賞候補まで70分の1だった」などと、自分で慰めたりしていた。受賞作と落選作の質の差を無視し、確率の問題だけで語っていた。

もっとも、僕は純文学だけをめざしていたわけではない。同じ文藝春秋社の「オール読物」新人賞にも応募したことがある。「一五〇〇回の夜」というタイトルの作品で、これも一次選考は通ったが、さすがにエンタテインメント系は応募作が多いらしく、選考を通った作品のタイトルと筆者名だけが数ページにわたって掲載されており、ガックリした記憶がある。

「一五〇〇回の夜」というタイトルは、日活映画「夜霧よ今夜も有難う」(19 67年)から借用した。これは「カサブランカ」(1942年)のリメイクなのだが、石原裕次郎と浅丘ルリ子が印象的なセリフを交わす。「4年だ。ひと口に4年と言えば短いが、朝が……」と裕次郎が言えば、ルリ子が「1500回、昼が1500回、夜も同じだけあったわ」と答える。離ればなれになっていた恋人たちが、日々を指を折る気持ちで数えていたのが伝わる名ゼリフだった。

その頃、僕が書いていた応募作は80枚程度の短編ばかりだった。枚数制限が80枚だったからだが、80枚を書くのも僕としてはやっとだった。その後、応募はやめてしまったけれど、趣味のように何かを書き続けてはいた。柴田編集長に頼まれて「日刊デジタルクリエイターズ」に毎週コラムを書くようになってからは時間もなく、小説はまったく書いていなかった。

●応募作品を抱えたまま逡巡する漫画家志望の青年

確か「純」(1980年)という映画だった。主人公の純(江藤潤)が、漫画の新人賞に応募する原稿を持ったままポストの前で逡巡するシーンがあった。恋人(おお! 若き朝加真由美よ!)が純を励まし、投函させようとするのだが、純は迷い続ける。その気持ちが、僕にはよくわかった。

「純」というシナリオが「キネマ旬報」に掲載されたのは、その映画を見るよりずっと以前のことだった。僕の記憶が正しければ、僕は浪人生のときに豊島区立図書館で「純」が掲載された「キネマ旬報」を読んでいる。だとすれば、1970年のこと。映画化まで10年近くかかったのだろうか。

「純」は不幸な映画だった。シナリオは売れっ子の倉本聡さんが、映画化のあてもなく書いた。純という青年の屈折した青春を描いた作品だ。純は電車の中で痴漢を繰り返す。映画化された「純」は、その部分がクローズアップされすぎていたのか、倉本さんは「脚本・倉本聡」というクレジットを外すことを要求した。

1980年に東映セントラルが配給した映画だから、僕はちょうど新人賞に応募していた頃に見た。だから、漫画家をめざす純が新人賞への応募作の封筒を胸に抱えたまま、迷い続ける姿に共感したのだろう。自負と不安…が交錯し、ときに根拠のない自信にあふれたかと思うと、しばしば底なしの絶望に陥る。

純は、自分が何者なのか、自分が何になれるのか、不安なのだ。漫画を描き続けていても、自分に才能があるのかどうかはわからない。夢はある。しかし、その夢を追い続けるだけの確信はない。彼には恋人がいるが、その恋人の手さえ握れない。彼は、自信がないのだ。宙ぶらりんの状態である。

そんな彼が電車の中では大胆に痴漢を続ける。しかし、僕はその痴漢シーンがあまり好きではなかったし、女性の方からの視点がまったく欠落しているな、と思いながら見ていたので、純に対して批判的ではあった。若さ故の不安…、その発露が痴漢行為なのか、という疑問が脳裏から去らなかった。

結局、純の痴漢行為を目撃した恋人は去り、彼は自分の行為を自分で意味づけなければならなくなる。ラストは、戻ってきた恋人とのセックスが成就するシーンだったと思う。純は、現実と向き合えたのだ。痴漢という卑劣な行為ではなく、女性の人格と対峙するまっとうなセックスができたことで、彼はもう迷わずに漫画家をめざすだろう。そんなことを思わせる終わり方だった。

「純」を見てから30年近くの時間が流れた。僕は会社勤めを33年続けてきた。30年以上も仕事を続けていれば、仕事が自分のアイデンティティを形成する。仕事には責任を持つ、どんな場合もいい仕事をすると、実践は伴わないかもしれないが覚悟はできた。そして、若い頃ほど、自分の夢に拘泥することはなくなった。

●「もう一丁あればジョン・ウーができる」という殺し文句

しかし、僕は久しぶりに応募原稿を出しに郵便局へいき、30年前の気持ちを思い出していた。あの頃、僕はもっとせっぱつまったような気分だったなあ、と思う。いつも、何かに追われているようだった。下手な小説を書いて自惚れると同時に、自分が何の価値もない存在のような気がした。

あの頃の不安感は、今はもうない。将来への不安のようなものも、いつの間にか消えてしまった。あの頃の僕が将来と思っていた時間は、今の僕にとっては過去になった。20代の僕が、50代半ばになった僕を想像できたはずがない。しかし、50半ばを過ぎた僕は、20代の自分が何を思っていたかわかっている。あのせっぱつまったような気分は、現実のものとしては甦らないが、その気分だけはわかっている。

今の僕は、もう人生の第四コーナーをまわった気分だ。現実には、まだ10年は現役で仕事をしなければならないだろうし、子供たちの将来もまだまだ心配だ。しかし、どこかに余裕のようなものが生まれている。焦っても仕方がないし、諦めても意味がない。毎週、コツコツと書いていたコラムが本になることもある。まさか50半ばで本を出すことになるとは、月並みな言い方だが夢にも思わなかった。

だから、大沢さんのひと言で「もう一度小説を書いてみよう」と火がついた自分を楽しんでみたくなった。久しぶりの情熱だった。その高揚した気分にのってみようと思った。そんな火がついた僕を、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」カウンター部の匡太郎くんのひと言が、さらに煽った。

あれは、大沢さんと対談した少し後のことだ。「深夜+1」で日本冒険小説協会特別賞の副賞である刻印の入ったコルト・ガバメントをもらった僕は、ずっとその拳銃を握ったままバーボンを呷っていた。すると、隣にいた匡太郎くんが「ソゴーさん、もう一丁あるとジョン・ウーができますよ」と言ったのだ。

ジョン・ウー。香港ノアール「男たちの挽歌」(1986年)で一躍名をあげたアクション映画の名手だ。今やハリウッドの売れっ子監督である。彼の映画には、主人公が二丁拳銃を乱射しながら跳ぶシーンが必ずある。チョウ・ユンファも、トム・クルーズも、ジョン・トラボルタも、ニコラス・ケイジも、みんな二丁拳銃を撃ちながら跳んだ。

「でも、特別賞は絶対二度は獲れないでしょ。大賞を何度も獲った人はいるけど…。そうなると大賞を獲るしかないよ。そのためには、冒険小説かハードボイルド小説を書いて出さなきゃ」と、僕はひとりで喋って自らを追い込んだ。その時には、大沢さんのひと言で火がついた気分が燃えさかっていたのだった。

翌日の土曜日から、僕は書き始めた。スケールの大きな冒険小説は書けないから、愛読する藤原伊織さんのテイストを狙ったビジネス・ハードボイルド(藤原さんの「シリウスの道」のキャッチフレーズ)の路線にした。なぜか、スイスイ書ける。適当に書き始めた物語が勝手に動き出す。休日は、ほとんど自宅に籠もって原稿を書いた。

調べものをする必要が出ると、まずネットで検索した。昔と違って、本当に便利だった。業務用焼却炉について知りたくなって検索したら、いろいろなサイトがヒットした。昔なら、どうやって調べるんだと途方に暮れただろう。資料本も何冊か読む。その資料がアタリだった。ある業界について詳しくなった。

3か月ほどで第一稿が完成した。手直しに1か月をかけ、僕の本の編集者である水曜社の北畠さんに読んでもらった。北畠さんから「一気に読みました」と長文のメールが届き、自信をつけた僕は日本冒険小説協会の内藤陳会長に厚かましくも原稿を渡した。会長は「500枚? 短いねえ」と言う。「だってミステリ書いたの初めてで、500枚も書いたのも初めてですよ」と、僕は言い訳をした。

会長は二度も読み込んでくれたうえ、ふたつのアドバイスをしてくれた。それに従って結末は修正したが、もうひとつの要望「どこかで、やったーと思わせてくれよな」については、手直しできたかどうかは自信がない。その最終版を、年末に呑み友だちのIさんに渡して読んでもらった。「引き込まれましたよ。でも、知ってる人の小説は評価がうまくできません」とは、年明けに会ったときのIさんの言葉だった。

さて、応募した小説はどこで落ちたのか、と思いながら、僕は6月21日の土曜日の朝、たまたま出社する必要があったので、早くから開いている秋葉原駅構内の書店で「小説現代」7月号を広げた。自分の名前が飛び込んできた。ゴチック体の太い字だ。ということは、二次選考までいったのか?

選考の記事によると、応募作品は331篇、93篇が一次選考を通り、さらに23篇が二次選考を通ったという。さらに三次選考で選ばれた5篇が最終候補作として選考委員によって読まれ、2篇が当選作となった。僕の応募作は、23編の中に残っていた。乱歩賞の副賞は1000万円だ。だとすると1000万円まで23分の1だったのだ、と僕は思った。

しかし、乱歩賞は宝くじではない。確率の問題ではなく、質の問題である。当選作と落選作には、天と地ほどの差がある。しかし、と僕は思う。まあ、そんなところで順当じゃないのという穏やかで落ち着いた気分は、もしかしたら、あの頃なりたかった何かになれたのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
また、土日にエアコンの入れ替え工事で出社している。会社の周辺がいつもと違うので、こういうのも何となく楽しい。土日に働き、週日に休むというのが性に合っている気がする。電話もないし、静かだ。しかし、ムリだろうなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Otakuワールドへようこそ![76]
幻妖の棲む森:人形と写真を展示します

GrowHair
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20080627140100.html >
───────────────────────────────────
深い深い森の奥、冥(くら)い水の流れるところに、幻妖が棲むという。人間界と地続きでありながら、決して人を寄せつけないその地は、ただの鬱蒼とした森と変わりないように見えて、何かが違う。支配する法則がまるで異なり、怪異な現象が日常的に起き、妖術が飛び交う。

そんな森に棲む幻妖とは、どのようなものだろうか。妖精や精霊のように穢れなく神々しいものなのか。鬼や天狗のように荒々しいものなのか。死霊や変化のようにまがまがしいものなのか。いやいや、ひょっとしてもしかすると、きゅんきゅんにキュートであったり、妙になまめかしくエロティックであったりはしないだろうか。

そんなコンセプトの下に、人形とその写真を展示することにしました。三人の創作人形作家、橘明、林美登利、八裕(やひろ)沙(まさご)がそれぞれのイマジネーションで制作した冥き水の森の住人たちを展示します。それと、制作者が深い森に連れていった人形をGrowHairが撮った写真も。
 会期:10月23日(木)〜11月1日(土)
 時間:平日12:00〜19:00 土日12:00〜17:00
 会場:ヴァニラ画廊(東京都中央区銀座 6-10-10 第2蒲田ビル4階)
 < http://www.vanilla-gallery.com/index.html >

慣れないことで、なにかと至らぬ点はあるかもしれませんが、渾身の力作が並ぶ予定です。ご興味があれば、どうぞ足をお運びくださいませ。

●人形に導かれるように話が進む

グループ展を開こうと決めたのは、実は、一年以上前のことである。まるで人形に導かれるように、話がほいほい進んでいった。私の浅い人形遍歴を振り返ると、中学時代にうっかり無意識下で博多人形に恋をしてしまったということがあるが、近い存在としてはっきりと意識するようになった始まりは「ローゼンメイデン」である。真紅を脳内妻に迎え、左手の薬指に「誓いの薔薇の指輪」をするようになったのは、3年前の4月29日(金)、新宿のロフトプラスワンで「ローゼンメイデン決起集会」が開かれたときのことである。その前日、浜松町へドールショウを見に行ったのは、作者であるPeach-Pitがパンフレットの表紙の絵を描いているという理由からである。そのときに創作人形を出品している美登利さんと出会っている。

美登利さんは、非常にリアルな幼女の人形を作る、私から見ればひれ伏したくなるほど高いところにいる人形作家なのだが、気取ったところが少しもなくて、いつもさらっと本音をぶっちゃけてくれる、楽しい人である。ぜひ撮らせてくださいという私のお願いを快く聞いてくれて、5月27日(金)にはバラ園で撮らせてもらっている。その写真を喜んでくれて、その後もちょくちょく撮らせてもらえているのは、それまでコスプレ写真を中心に撮ってきた一介のカメコとしては光栄身に余る感じ。真紅の導きと考えたほうがむしろ合点がいく。

最初に行ったドールショウから二年後、去年の4月29日(日)の開催のときには、美登利さんの隣で展示している八裕さんと初めて会う。吉田良氏の主宰する人形教室「ピグマリオン」の生徒として知り合ったそうである。そのとき、都内の日本家屋で美登利さんの和装人形を撮らせてもらえる話が進行していたので、八裕さんも誘う。6月2日(土)に二人の人形を撮影。帰りがけに近くの喫茶店で遅めの昼食をとり、雑談している中からグループ展をやろうという話が持ち上がったのである。

ところで、そのときに撮った美登利さんの和装人形の写真は、マリア書房の「GRAPHIC クラフトアート人形 13」(2008/3/1)に掲載されている。A4変型サイズ、224頁の豪華な年鑑で、7,980円もする。マリア書房のウェブサイトの書籍紹介には「固定ポーズ・球体関節・ビスクドール等様々なジャンルの人形が一堂に会する誌上展覧会。活躍中の人形作家200名を厳選掲載」とある。もともとこれに応募するつもりがあると聞いてはいたが、ろくに話を聞かずにほいほい撮ってる私のおっちょこちょいぶりは、今振り返ると冷や汗が出る。人形自体が採用基準をクリアしているのは、私からみれば当然として、写真でよくボツにならなかったなぁ、と。

届いた本を見ると、非常にうまく製版してくれていて、まるでプロが撮ったみたい。つい最近には、高田馬場の芳林堂書店に置いてあるのを見つけた。特に写真の学校に通ったわけでもなく、写真雑誌に投稿したって入選した試しもないのに、いきなりこんないいところに掲載とは、やはり持つべきものは魔法の使える妻である。

さて、展示会の会場選びで、美登利さんが特に希望したのは銀座のヴァニラ画廊である。
< http://www.vanilla-gallery.com/ > (見るときは、背後に注意!)

ヴァニラ画廊は、サイトでは特に明言していないけど、過去の展示の実績やこれからの予定を見ると明らかなように、エロスとフェティッシュをテーマとした作品を専門に扱う。例えば、去年の6月18日(月)〜6月30日(土)には、「人造乙女博覧会」と題して、オリエント工業が30周年記念に、男性向けの実用的な人形を展示している。

ぜひヴァニラ画廊で開きたいという理由を美登利さんに聞くと、画廊のコンセプトと作品のコンセプトがよく合うから、だそうで。美登利さんは、正統派のリアルな少女人形も作るが、空想世界から連れてきた異形の人形の制作にも意欲的である。

「正統派のほうはどこの創作人形のイベントでも気軽に展示できるんだけど、異形のほうはなかなか規制がきびしいのです。創作人形を展示できるイベントで規模がでかくてなんでもありなのはデザインフェスタと、出品したことはないけどGEISAI、ワンフェスくらいかなぁ。小規模なのをいれると他にもいろいろあるとは思うんだけど。そういうわけで、ちょっとそういう規制を気にせず人形を展示したいなぁと思ったのでした。で、そっちの方向なら、本場のヴァニラ画廊さんでできたら言うことないよなぁと思いました」とのことで。

「ピグマリオン」の生徒として八裕さんと知り合いだった橘さんを引っ張り込んで、四人展とする。8月11日(土)、それぞれポートフォリオを用意して、雁首揃えて「ヴァニラ画廊」へ。翌年の11月に展示会を開きたい旨を言い、作品の趣旨を説明すると、その場で交渉成立。やっほう!──という経緯で、開催が決まった。

●異形萌え?

一口にエロと言っても、その意味するところは非常に広く、漠然としている。これまで脈々とヴァニラ画廊に展示されてきた作品は、どれもこれもみな、それぞれにエロい。しかし、それらはエロという単一の概念でひとくくりにして片付けることのできないほど、それぞれが際立った個性を放ち、なにかを語ってきた。では、その流れの中にあって、われわれ四人はいったいどんなエロを提示するのか。ここはひとつ言語化しておく必要があるのではないか。

それと、もうひとつ。エロと聞いて、たいていの人が反射的に思い浮かべるイメージが高貴か低俗かといえば、どうしたって低俗の側に振れざるをえないであろう。確かに、本能的な欲望を満たすために、ただの需要と供給の関係で取引され消費されるにすぎない露骨なものは、分かりやすすぎて、芸術的な観点からすると、面白くもなんともない。それは、低俗と呼んでいい。

そっち方面の市場では、インターネットの普及であんな画像やそんな画像がいくらでもタダで入手できるようになったこともあり、まさにインフレ状態、商品価値が暴落しているという。ではそういうものと一線を画する芸術としてのエロとは何だろう。やはり、いっしょくたにされないためにも理論武装は必要なのではなかろうか。

三人に問いかけてみると、驚くべきことに、異口同音に返ってきたのは、次のような答えである。「むじゅかちーでちゅー。ばぶばぶ……」。あ、やっぱり芸術家に課せられたのは、作ることであって、論じることではないですな。じゃ、ここはひとつ私が考えましょう。えーっと……。むじゅかちーでちゅー。ばぶばぶ。終了。

6月21日(土)に打合せで銀座に集まり、案内状の文言について5時間ほど議論した。そのとき出てきたのは、人は多かれ少なかれ変態だよね? という仮説。そして、人形作家は多かれ多かれ変態だよね? という仮説。たとえば、人形に恋するということ。ギリシア神話に登場するキプロス島の王ピグマリオンは、現実の女性に失望し、みずから彫刻した理想の女性ガラテアに恋をする。彼の憔悴していくさまを見かねたアフロディーテが、願いを聞き入れ、彫像に生命を与える。ピグマリオンはそれを妻に迎える。

それと、コッペリアの話も出た。バレエ作品であるが、土台になっているのは、ホフマンの「砂男」である。大学生ナタナエルは、スパランツァーニ教授の娘オリンピアに恋をする。しかし、オリンピアは、実は、教授が作った自動人形なのである。窓辺にいるオリンピアの姿は、望遠鏡を通じてのぞき見ると、なぜか生き生きとして、魅力的に映る。ナタナエルは、オリンピアを人間と信じて夢中になる一方、婚約者のクララに対しては、「この生命のない、呪われた自動人形!」と罵倒し、正気を失っていく。

人形に恋をすること、その裏には、ちょっと光を当てるのが憚られる、いろいろなどろどろしたもの〜狂気と言ってもいいし、変態性欲と言ってもよいが〜が見え隠れする。成長しないことから連想されるのはロリコン、ペドフィリアの類だし、生命のなさからはどうしたってネクロフィリア(死体愛)に行き着いちゃうし、意思の疎通があるようでいて実は自分の内面の投影・反射にすぎないという点では、自閉性にも思い当たる。

まあ、下手すると、いわゆる「アブナイ人」と紙一重のところにいるわけで、うっかりタガが外れて社会に迷惑をかけたりしないのは、自分の変態性から目を逸らさずに、しっかりと対峙し、冷静に自己分析しているからであり、勇気を要する真面目な姿勢と言えよう。このようなスタンスから出てきたキーワードは「ピュアな変態」。これが、議論の中心に据えられた。ただし、これをキャッチコピーのようにして前面に押し出すのもアレなので、裏に隠されたテーマとして脈づくことになる。

多分、今回の展示に一番親和性のある変態性はディスモーフォフィリア(dysmorphophilia)であろう。畸形に性的興奮を覚える倒錯者。畸形偏愛者。まあ簡単に言うと「異形萌え」である。

●沢辺までは片道40分、歩くしかない

去年から今年春にかけて、幻妖の棲む森のイメージに合う風景を求めて、あっちへこっちへとロケハン(撮影場所探し)に行った。11月に手術を受けるまで、左目が白内障でほとんど見えていなかったので、あんまり活発には動けなかったが、それでも、八裕さんが赤い河童を作ったと聞いて、9月23日(日)には遠野へ行ってみたりもした。

思い描いているのは、百名滝でもなければ温泉宿でもキャンプ場でもないので、行楽ガイドはまるで参考にならない。どうも行楽ガイドって、見てると、旅することが工業製品を買うのと同質なことのように思えてきて、好きになれない。実業之日本社「源流を歩く〜関東近辺 川のロマンを求めて」(1998/05)が、すごくいい。テーマがよく、俗化されていないモデルコースの選定がよく、歴史にも言及して各地の特徴を伝える文章がよく、載せてる写真がいい。

4月13日(日)にロケハンに行った、山奥の沢が、イメージにぴったりだった。申し訳ないのですが、場所は伏せさせて下さい。1月2日(水)と1月19日(土)にそっちの方へロケハンに行っているのだが、二度目に行ったとき、密漁者がいないかどうか監視して回るレンジャーの方がいたので、こんなイメージのところはありませんか、と聞いてみたら、教えてくれた場所である。そうやってやっとたどりついた場所なので、もったいなくて、言いたくないんです、すいません。

麓の駅に着いたときは、雨が上がったばかりでどんよりと重苦しい天気。バスで登っていくと、霧の中へ突っ込んでいく感じで、視界が一気

最近の関連エントリー

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

back number

Trackbacks

生物進化過渡現象の謎... (哲学はなぜ間違うのか? 2010年6月26日)

デジクリにSwift 3D V5が紹介されました。... (ストーム君日記 2009年1月23日)

デジクリにSwift 3D V5が紹介されました。... (ストーム君日記 2009年6月19日)

うらうつり... (area-Bログ 2009年2月10日)

[DTP][印刷]「裏抜け」と「プリントスルー」... (DTP+印刷営業メモ 2009年2月11日)

「右」と「左」って何だろう〜... (映画とマーケティング日誌 2009年2月 5日)

デジクリ出演... (tech tech okdt 2008年12月15日)

来月は12月だし... (area-Bログ 2008年11月10日)

広告を変えるレスポンスCM動画... (福岡デザイン日記 2008年10月 1日)

専門用語には必ず「読みがな」を付けてほしい... (M.C.P.C. 2008年7月22日)

T-Time... (あさりの楽天倉庫 2008年7月 3日)

[社会]人と関わること... (DTP+印刷営業メモ 2008年6月18日)

DTP Booster 014(Tokyo/100619)

categories

XML FEED
Powered by
Movable Type 4.261