[2489] 友よ、答えは吹きくる風の中に…

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<ちょっと違う質の恐さにズラしたくなるっていうか>

■映画と夜と音楽と…[387]
 友よ、答えは吹きくる風の中に…
 十河 進

■うちゅうじん通信[28]
 うちゅう人とオバケ
 高橋里季

■ところのほんとのところ[1]新連載
 迷走の終わり?
 所 幸則


■映画と夜と音楽と…[387]
友よ、答えは吹きくる風の中に…

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20080905140300.html
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●「アヒルと鴨のコインロッカー」から想像できる物語?

今年の本屋さん大賞は「ゴールデン・スランバー」で伊坂幸太郎さんが獲得したが、これはビートルズの曲からタイトルをとっている。「Slumber」は「うたた寝」「眠り」などと訳されるが、僕には「黄金のまどろみ」という訳がぴったりくる。「至福のとき」につながるイメージだ。

僕は「ゴールデン・スランバー」しか読んだことはないのだが、伊坂浩太郎さんの小説のタイトルには気になるものが多い。その中でも「アヒルと鴨のコインロッカー」は、その単語の関連のなさが気になり、それでも何となく語感がよく耳について離れない。印象に残る。

映画版「アヒルと鴨のコインロッカー」は、昨年の夏に映画館でひっそりと公開されていた。出演しているのが濱田岳、瑛太、関めぐみで、三人が並んでいるポスターが気になった。今年、瑛太はNHK「篤姫」の小松帯刀(肝付尚五郎)役ですっかり有名になったが、「好きだ、」(2006年)が僕の印象に残っていた。そういえば、「好きだ、」でも宮崎あおいと共演していた。

関めぐみは、山崎まさよし主演でリメイクされた「8月のクリスマス」(2005年)のヒロインとして初めて見たが、「ハチミツとクローバー」(2006年)などでも長身と特徴のある目が目立っていた。最近、東京ガスのテレビCMでサイボーグ役をやっていて、イメージとしては合っている。ちょっと人間離れしたところがある。

「アヒルと鴨のコインロッカー」のもうひとりの重要人物を演じるのが松田龍平なのだが、実はこれを書くこと自体この映画のどんでん返しをわからせてしまうところがあり、いわゆる「ネタバレ」になる。ドン・シーゲル監督「突破口」(1973年)の主演がウォルター・マッソーと書くだけで、ネタバレになってしまうのと同じだ。

ということで、未見の人の愉しみを奪わないようにしながら「アヒルと鴨のコインロッカー」の話をしたいのだが、まず、これは原作を読まないで見た方がいいと思う。僕は原作を読んでいないので、最初から不可思議な世界に入れたし、謎が謎を生むミステリアスな連鎖を愉しめた。

「アヒルと鴨のコインロッカー」は、大きなアウトドアタイプのクルマの中にいるふたりの男のシーンから始まる。ふたりは本屋を襲う準備をしているのだ。ドアを開き両側から拳銃を持って降りるふたり。彼らは郊外の本屋の入り口に向かって歩いていく。彼らの顔は見えないし、誰かもわからない。

そのプロローグに続くのは、椎名(濱田岳)が仙台の大学に入学するために、新幹線に乗っているシーンだ。椎名はボブ・ディランの「風に吹かれて」を鼻歌のように歌っている。アパートに着き部屋の前で引っ越し用のダンボールを片づけながら「風に吹かれて」を歌っていると、隣の部屋から現れた男(瑛太)が「ディランだな」と声をかける。

男は妙になれなれしく「友だちになろう」と言う。男は「河崎」と名乗り、呼び捨てにしろと言う。「友だちは呼び捨てにするもんだ」と明るく笑う。男は椎名を自室に誘い、ディランのCDを見せ「あの声は、神様の声だ」と語る。彼はボブ・ディランに何か思い入れがあるのだろう。

率直な河崎に戸惑い、どこか警戒しながらも椎名は河崎の部屋に上がり、勧められた酒を呑むが、河崎は突然「一緒に本屋を襲わないか」と言い出す。笑いながらモデルガンを椎名に差し出すのだ。河崎は、同じアパートにいる引きこもりのブータンからの留学生ドルジのために広辞苑を贈りたいのだと言う。

しかし、なぜ、本屋を襲わなければならないのか。突拍子もない申し出に椎名は戸惑い、自室に逃げ帰る。だが…

●答えが風の中にあるのなら風の歌を聴こうじゃないか

どうです、ひどく謎めいたオープニングでしょう。僕は河崎が「一緒に本屋を襲わないか」と言ったとき、村上春樹さんの短編「パン屋」と「パン屋再襲撃」を思い出した。そう言えば「パン屋襲撃」は自主製作映画として映画化(1982年)されている。山川直人監督だった。

「パン屋再襲撃」は、かつて友だちとパン屋を襲ったことがある主人公が結婚後、そのことを妻に話すと彼女が「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」と言い出す。彼らは深夜の街に出てパン屋を探す。しかし、そんな夜中に開いているパン屋なんてない。仕方なく覆面をしてマクドナルドを襲うと、アルバイト店員が「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか、店内でお召し上がりですか」と訊いてくる。

同じように「アヒルと鴨のコインロッカー」では、終夜営業の郊外店の本屋を椎名と河崎が襲う。椎名はモデルガンを持ち裏口を固める。河崎が店に入っていく。中で人が争う音がする。椎名は裏口から店員が逃げないように窓ガラスにモデルガンの影を映す。やがて、クルマに戻っている河崎を見付けて駆け戻る。だが、河崎が奪ってきたのは「広辞苑」ではなく「広辞林」だった。

椎名は河崎から「レイコというペットショップの店長に気をつけろ」と謎めいたことを言われ、なぜか大学の近くで魅力的な大人の女(大塚寧々)と知り合う。「まさかレイコさんじゃないですよね」と確認すると、「なんで知ってるの」と彼女はクールに答える。彼女は何かを知っているらしい。やがて、ある悲しい話をレイコは語り始める…

「アヒルと鴨のコインロッカー」は、トリッキーな物語だから映画化はムリだろうと言われていたらしい。しかし、映画はモノクロームの映像をうまく使って時制などの問題を解決し、印象的な作品になった。見終わった後に不思議に爽やかな気持ちが残る。いつまでもボブ・ディランの歌う「風に吹かれて」が聴こえてくる。つい、口ずさんでいる。

そう、「風に吹かれて」は、この映画のテーマ曲だ。伊坂幸太郎さんは僕より20年も後に生まれているのに、ボブ・ディランにそんなに思い入れがあるのだろうか。ボブ・ディランは世代を越えて聴かれているのだろうが、「風に吹かれて」は60年代に10代を過ごした人間にとっては、特別な意味を持つ曲だと言ってもいい。

僕より2歳年上の村上春樹さんも、時々、「友よ、答えは風の中だ」なんてフレーズをエッセイで挿入したりする。それにデビュー作「風の歌を聴け」というタイトル自体が、ボブ・ディランの「風に吹かれて」にインスパイアされたものではないかと僕は思う。答えが風の中にあるのなら、風の歌を聴こうじゃないか。そんな意味を込めたのではないだろうか。

●半世紀以上の年月を経た「風に吹かれて」

僕が初めて「風に吹かれて/Blowin' in the Wind」を聴いたのは、中学生のときだった。1962年に発表されたその曲は、当時、流行のプロテストソングとして日本でもヒットした。ジョーン・バエズやブラザーズ・フォーなどが人気のあった頃である。

僕は12歳。ラジオから聴こえてきた「ハウメニー…」と何度も繰り返す、かすれたような、それでいて甲高いような不思議な声が印象に残った。だが、日本ではボブ・ディランのオリジナルよりは、ピーター・ポール・アンド・マリーのカバーヴァージョンの方が人気があったかもしれない。

アメリカでもボブ・ディランが「風に吹かれて」を発表した翌年、1963年にピーター・ポール・アンド・マリーがカバーヴァージョンを出してヒットした。手持ちの資料で調べたら、1963年8月10日号のビルボード誌ではピーター・ポール・アンド・マリーが歌う「Blowin' in the Wind」が4位に入っていた。その3か月前には「Puff」が2位になっている。

その頃、中学生の僕はバスケットボール部の練習を終え自転車で自宅への道を走りながら「パフ・ザ・マジックドラーゴン」と歌い、「ハウメニーロード・マスト・ア・マン・ウォークダウン」と歌っていた。英語を習い始めたばかりの少年が口にした和製英語である。

だが、「風に吹かれて」の歌詞が幼い僕に影響を与えた。耳から入る音だけではなく、意味を理解したいと思ったのだ。そして、二番に「人々の叫びが彼に届くまで、どれほどの死が必要なのだ…」という意味のフレーズを見付けたとき、ボブ・ディランが伝えたかった何かをつかんだと僕は思った。

  答えは… 友よ 吹きくる風の中
  答えは 吹きくる風の中にある

抽象的であるが故に深遠だった。禅問答のような奥深さを感じた。だが、反面、思わせぶりなリフレインでもある。あれから半世紀が過ぎた今、改めて「風に吹かれて」の英文のフレーズを読むと、人を煙に巻くようなところも感じてしまう。しかし、それは、僕が純粋さを失い、ひねくれた大人になったせいかもしれない。

「風に吹かれて」のリフレインは、当時の若者なら誰でも知ってるほど有名になった。それは、「俺たちの世代の聖歌」と言われるほどの意味を持ったのだ。若松孝二監督が佐々木譲さんの原作を映画化した「われに撃つ用意あり」(19 90年)の中でも、酒場に集まった全共闘世代の男女が「ハウメニやろ、ハウメニ」と言いながら合唱するシーンがある。

「われに撃つ用意あり」を見たとき僕はすでに40代が目前だったが、登場人物たちほど素直に疑いも衒いもなく「風に吹かれて」を歌うことはできなくなっていた。映画の中の全共闘くずれのフリーライターのように、女子学生たちに「おじさんたちの世代の賛美歌」などと照れずに自慢できることが、僕には信じられなかった。

「風に吹かれて」という歌に込められたメッセージが、いや、歌にメッセージを込めること自体が信じられなくなっていた。それは12歳の僕が持っていた何かを、長い長い時間の中で失ってしまったからだ。いくらメッセージを込めたところで、歌では何も変えられない…。社会はもっと強固だし、人生は困難だ。それが、長い年月の果てに僕が学んだことだった。

しかし、「アヒルと鴨のコインロッカー」を見たとき、僕の息子のような世代の青年が「風に吹かれて」を鼻歌のように歌っていることに心が洗われるようだった。彼らがボブ・ディランの声を「神様の声」と語り合うことに何の違和感も持たなかった。そう、神の声かもしれないね、と僕は納得した。

歌詞の意味なんて関係ない。あのフレーズをボブ・ディランが歌っている。それを純粋に若者たちが聴いている。プロテストソングもメッセージも関係ない。純粋に素晴らしい歌として、音楽として聴いている…。それでいいのだ、と僕はバカボンのパパのようにつぶやいた。

すべての答えは…、友よ、本当に風の中にあるのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
9月になって先輩が退社し、新人が入ってきた。気が付くと、社内でも上から3番目になっていた。上のふたりは還暦を過ぎている。若いと思っていた後輩連中が、みんな40半ばを過ぎている。時間だけは、間違いなく過ぎてゆくのだと、今さらながら思い知らされた。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■うちゅうじん通信[28]
うちゅう人とオバケ

高橋里季
< https://bn.dgcr.com/archives/20080905140200.html
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夏も、もう終るかな。ということで、オバケの不思議を今日は考えてみました。私には恐怖体験っていうのは、あんまりないけど。

《オバケに注意》のマークを作ってみました。カワイク描けたので見てみてね。このマークをダウンロウードして、お守りにしよう! 高橋里季の「ご無事を祈る念」を入れておきました! 効きます。
< http://www.dgcr.com/kiji/riki/080905/riki_28_800 >

子供の時に、子供が川のまんなかにボンヤリずいぶん長いこと立っていて、遊んでいるふうでもないけど、あの辺は浅瀬なのかしら、どこの子かなぁと思って見ていて、あとでオトナに「あの辺は深いから近付いちゃイケナイよ。」って教えられて怖くなったとか……。

海の帰りに友達と車で走っていて、「このトンネルは、有名な心霊スポット、事故があったんだって。」なんて話を聞いていたら、車内にあった小型テレビが、いきなりスイッチ入っちゃって、びっくり。私が手を伸ばしてスイッチを入れられる場所にあったんだけど、「え〜? なんで? わたし、つけてないもん。」で車内全員蒼白。いっせいに「はらいたまえ! きよめたまえ!」って、リアクションが同じな似たもの同士の小旅行。

私はその日、海に沈んでいた酔っぱらいのオジサンを踏み付けて、「やだ〜、なんかサメの死骸みたいな感触〜」って思ったら、オジサンが浮かんできたので、走った走った友達のいる砂浜まで。「オジサンが死んでる〜!!!」っていうことで、救急車を呼んだけど、あとはタオルにくるまって泣きそうになっていて、友達に「オジサン死んでた?」って聞いたら、「大丈夫だったよ。」って言ってたけど、まあいいや。

そういう恐い体験は今までの人生でも二回だけ。それよりも、誰かのことを不意に思い出したら、その人から電話が来るとか、その人特有の光の形があって、その人から連絡が来る前に必ず見える(最初は目の病気かもと思っていた)とかは、日常。あ、フェデリコ・フェリーニが死んだな、と思って悲しくなって映画好きの友達に電話をかけると、翌日にフェリーニ死亡のニュース。「なんでわかったの?」って言われても、わかるものはわかってしまうの。こういうことを書き出すと、きりがない感じ。

ところで日本の怪談は、恨みや怨念という情念の話なんだけれども、ちょっと視点を変えると、合理的なお話だと思うの。

恨みを簡単に言葉にすると、「私は悪くないのに、あなたのせいで傷つけられて、しかもあなたはそれをどうもよくわかってない(謝る気も後悔もしていない)らしいのを私は怒っている。」ということかな、と思います。だから、どっちが悪いか、こんなことになったのは、誰のせいなのか? という事。

つまり、その時代時代の、私のおかれている状況は悪い状況であるとか、どっちが悪いのかという合理念の問題なんですね。その時代の理念に合った言い分は、どっちなのか、はっきりさせる話。

ユングは、感情とは、合理的なことがらだと書いていたと思いますが、私もそう思います。つまりオバケの言う「恨み」の言い分を聴衆が「もっともだ」と納得しなければ怪談にならない。「お化け」って書くだけでも恐い私。なのでオバケって書いてみたりして。

たとえばオバケが「あなた、クイズの答えを知ってたくせに、ちゃんと応募してくれなかったでしょ? もしかしたら家族旅行が当たったかもしれないのに、恨みます〜」って出てきても、本当に恨んでるんだか、冗談なんだか、ピンとこない。

ゲゲゲの鬼太郎の妖怪をどこかユーモラスに感じるのも、現代人だから、昔の理念や常識が、ピンとこない部分がたくさんあるからだと思います。毎日、テレビで天気予報を楽しく見ていたら急な夕立ちも、「あ、予報が当たったな。」くらいのこと。何か良くないことの前ぶれ、妖怪のおでまし? って、あんまり考えないものね。

だから、恨みや罪って、時代性や世論を確認するような事柄で、今、何が罪になるのか、怪談で説明するような感じなのかもしれない。そんなことしたら、恨まれて当然だよね、っていう認識、了解事項の確認をみんなでする感じ。

たぶん、戦時中なら食べ物の恨みは、本当に怖かったかもしれない。ひと昔前なら、女性の嫁ぎ先の問題とか、女の身の置きどころみたいな事が恐かったかも。今だったら人間関係や受験や出世の失敗が怖いのかもしれません。

昔むかしには、病人や狂人や殺人鬼も、「妖怪に取り憑かれた人」ということで、共同体全体でひっそりと面倒をみるような「罪を憎んで人を憎まず」な感じがあったらしいと思うんだけど、現代の多すぎる人口を思えば、そんなことは、もうできないのかもしれません。どうもこの辺のことは、パーセンテージではなくて絶対数……あ、脱線、別の機会に考えてみる。

私は時々、ホラーのDVDがすごく見たくなる時があるんだけど、なにか心配事や恐いことがある時に、ちょっと違う質の恐さにズラしたくなるっていうか。

「なんだか、この一週間、全然、ちゃんとした絵が描けなかった……このまま、アイデアとか出なくなるんじゃないかしら……」という時に観たいのは、ハッピーなドラマよりもホラー。自分の感じている恐さとは別の恐さで、自分の焦りや不安を忘れる感じ。

「あ〜恐かった。あの恐さに比べたら、一週間、絵が描けなかったくらいなんでもないわ。」みたいな感じ。ホラーでも、美少女が出てくる映像が好きで、ゾンビは、恐くもなく、よくわからない感じで終わってしまいます。

きっとね、日本で、お墓から人が出てきたら、なんか「生きてたの? 大丈夫ですか?」っていう感じ。「死人が生き返るハズがない」っていう感覚がナイっていうか。火葬だからかしら?

【たかはし・りき】イラストレーター。riki@tc4.so-net.ne.jp

・高橋里季ホームページ
< http://www007.upp.so-net.ne.jp/RIKI/
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■ところのほんとのところ[1]新連載
迷走の終わり?

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20080905140100.html
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久しぶりにデジクリで連載することになりました。最近の活動、心境の変化など思い出しながら書いてみようと思っています。

僕はとりあえずここ数年、自分から動いてファンタジー作品は撮らなくなりました。なぜなんだろうって考えてみても、しばらくは自分でもよくわからなかったんですよ。2004年の秋に制作した「鳳凰」が最後です。うーん、作れてない時期が意外と長いですね。

2007年の「世界フィギュアスケート選手権」のポスターなどは、結構街なかで見かけた人も多かったと思いますが、わりと例外的なものだったと思うなー。楽しかったですけど♪
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/archives/200703-1.html
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多分1989年から2001年ぐらいまでは、ほとんど夢の中で生きてるような感覚だったと思います。みょうに現実感がなかった。だから、次々そういう作品が生まれ続けていたのだと思いますね。

2002年のワールドカップの最中、1989年からずっと一緒に歩んで来たマネージャーが帰らぬ人となったあとしばらくは、僕らしい光ではあったけれど肖像画的なポートレートだったり、ファンタジーなのかファッションなのかわからない作品だったり、迷走を続けていました。

そんなとき、僕にファンタジーを撮らせようとした人が現れて、「天使に至る系譜」の裏表紙の「闇と闘うミカエル」や、ぼくの作品では珍しい「鳳凰」などが生まれていった。それは凄く象徴的な作品で、自分的には2001年以前の作品とは全く違うものでした。

だけどそのころの世間からの依頼は、光と色はぼくらしいけどストレートっぽいファッションだったり、モノクロだったり、わかりやすいとこでいうとオシム監督の「ナンバー」の表紙とか、「ロッキンオン」の東京スカパラダイスオーケストラとか、だったりします。

ファンタジーが撮れないことなど忘れて、ちょっと自分がいままで仕事では撮ってこなかったものに目を向けてみよう、という気になったのが2006年の秋。そのころから、mixiの所幸則〜幻想記憶館〜というコミュを通して知り合ったWeb制作会社の人と新しいHPを作ろうという話が持ち上がったけれど、僕のイメージは当初かなり難しかったらしく、とりあえずブログを始めるってことで止まってしまった。

しばらくプライベートスナップヌードを撮ったりしていて、カメラといいお友達になってきた。スナップと作品とは、自分の中でははっきりと違うものだったのだけど、その「LOVE&SEX」シリーズは完全に一致していた。ぼくと大村克美と大阪芸大4年生が1/3ずつスペースをもらって、なんばパークスでの展覧会(大阪芸大主催)で、そのシリーズの展示をするが、大学側からの指摘で展示不可のものが出て来たりして、ちょっと迷いが出た。いやらしいのか? ぼくは可愛いとかカッコいいとか思って撮ったシリーズだったのだが……。

その後、2008年の元旦から渋谷のスナップを撮り始めた。いつもEOS 1ds MK-2を握りしめて、日の出前後1時間ぐらい、渋谷を何回か撮っていた。握力は結構あるなと自分でも感心する。右手で握ったまま2時間以上歩くんだから。

渋谷在住ならではの優位性もあって、楽しく作品が生まれていった。20枚位プリントした時に、ある老舗写真雑誌の副編集長に会って見せてみた。ぼくのコンセプトも話して、意見を聞いた。こういうところがぼくの物怖じしないところだ。誉められた。もう少し溜めたらなにか相談しましょうって話になった。僕はそれから2か月ぐらいチョット迷っていた。それは、ほんとのところ、ところはこれでいいのか、と。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
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■編集後記(9/5)

新世界より 上・貴志祐介「新世界より」を読む(講談社、2008)。上下巻で1000ページを超える長編だ。上巻を読みながら、なかなかその世界に入り込めず、もやもやした違和感をずっと抱いていた。設定された未来世界の様相はファンタジーのように思える。ファンタジーは著者が勝手に作った約束事の世界だからと、敬遠して今まであまり読まなかった。「奔放な想像力で1000年後の日本を描き出すSF冒険小説」(本よみうり堂)だというから、これは大好きなSF冒険小説なんだと自分に言い聞かせて、正直退屈なところを我慢して、ようやく上巻を読み終えた。著者が生物学や文化人類学の知識を駆使してつくりあげたという、この新世界は謎だらけ。全体像はまだ見えて来ない。だから、ここで投げ出すのはもったいない。ちゃんとおとしまえをつけてもらおうじゃないかと、気を取り直して下巻にかかる。はじめの方は相変わらずもどかしい。だが、1/5くらいを過ぎると、俄然おもしろくなる。その後は物語がスピードを上げ、もはや途中で下りることは不可能。主人公の不安、恐怖に同期してしまい、次から次への展開が心配で本を閉じられない。どんどん減っていく残りのページ、大丈夫か、破綻なく納めてくれるのか。結果、みごとに着地、ブレはない。はりめぐらせた伏線の意味が解き明かされ、加えて驚愕の事実が。後味はあまりよくないけど、とにかく大冊を征服して満足した。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062143232/dgcrcom-22/
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アマゾンで見る(レビュー25件)

難波金融伝 ミナミの帝王(56)野良犬の記憶・「違う質の恐さにズラす」か。ホラーDVDを見る人の感覚ってそういうことなのか。あ、あと刺激が欲しくて見るって言う人もいたなぁ。絶対見たくないので、どうして皆平気で見られるのよ?と思っていたのだ。怖くないの?(平行線のまま最初に戻る)そういう時は一心不乱に取り組めることをはじめるか(お掃除とか手芸など)、おバカな映画や心温まる、もの、熱血ものが見たくなるなぁ。泣くか笑うかして払拭する感じ。ホラーは刺激が強すぎるよ?。/ミーティング終了間際、「○○さん(俳優)がいる」とのタレコミ。学生の頃、こんな美男子がいたなんて、と読者モデル(だったかな)の小さな写真を切り抜いていたことがあった。といっても俳優になってからは、興味を失くしていたのだけれど。ミーティング後に廊下を歩いていたら、立ち話をしていて、すぐ横を通ったのだが、TVのまんまというか、思ったよりかっこ良くなくて残念であった。オーラもあんまりないというか、あ、でも、すぐに目に入ったからオーラはあったのか、うん。目の鋭い人ではあった。女優さんとかで、一般人に溶け込みすぎている人もいて(そばにいてもわからない)、それって女優としてどうなんだろう、と思ったことがあった。今までで一番ただ者ではないと感じたのは、ある道場での試合後に関係者らが総出で見送っていたヤバそうな人。たまたま目が合ったのだが、蛇のイメージ。なぜか目が離せなかったんだけど、男性同士ならすぐさま目をそらしてしまうんじゃないだろうか。ああいう人は怒らせたらヤバい。怖いんじゃなくて(怖いだろうけど)ヤバい。あと、オーラというか、まんまですやん、だったのはミナミの帝王、竹内力さんであった。普段から全身白なんですか、そうですか。爽やかな感じもしたなぁ。TVでしか見られない人は、生で見たらどんな印象なんだろうと、興味があるのよね~。(hammer.mule)