[2575] やっぱり愛は不毛でしょうか?

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<続きはラブホテルでしとくんなはれ>

■映画と夜と音楽と…[406]
 やっぱり愛は不毛でしょうか?
 十河 進

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 大阪赤っ恥放浪記
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■映画と夜と音楽と…[406]
やっぱり愛は不毛でしょうか?

十河 進
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●評判になった吉田修一さんの「悪人」

吉田修一さんの「悪人」は一昨年に評判になった小説で、僕は朝日新聞連載時には読めなかったのだが、単行本になってから読んでみた。ミステリと犯罪をモチーフにした純文学の違いはどこにあるか、と思いながら読んだわけではないけれど、「悪人」は殺人事件を扱っているもののミステリとはまったく狙いが違う小説だった。

「悪人」は暮れに発表になる「ミステリ・ベストテン」などでも取り上げられていた。しかし「ミステリ・ベストテン」で票を入れたミステリ評論家は、基本的に小説がわかっていないのじゃないだろうか。意地の悪い見方をするなら、ホラ、私はこんな純文学畑の作品にも目配りしているのですよ、というアピールをしたかっただけなのかもしれない。

「悪人」をミステリ・ジャンルに入れるのなら、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も「罪と罰」もミステリに入れなければならない。「嵐が丘」「ジェーン・エア」もホラー・ミステリである。もっとも、僕は別に小説のカテゴライズにこだわっているのではなくて、「悪人」はミステリとして読まれるべきではないのではないか、と思っているだけだ。作者も不本意だと思う。

小説をジャンル分けするのはナンセンスという説に僕も与する者である。「世の中には二種類の小説しかない。できのいい小説か、できの悪い小説かだけだ」と気取ってみたい気もする。これは、いくらでも言い換えができるので、「面白い小説か、そうでないかだ」と言ってもいい。しかし、その前には「自分にとって」という言葉が付く。

小説、詩、映画、舞台、ドラマ、絵画、写真などは、個人の好みや感性や主観や年齢や育ちや経験などによって、好き嫌いは大きく別れる。ある人の「人生の一冊」が、別の人には「まったく訳がわからない本」であることはよくある話だ。結局、世の中には「自分がいいと思う小説と、そうでない小説があるだけ」なのかもしれない。より大勢の人がいいと思う(あるいは興味を惹く)と、それはベストセラーになる。

さて、吉田修一さんの小説としては「悪人」より以前の作品になるけれど、先日、「東京湾景」を読了した。少し前のことだが、フジテレビがドラマ化した小説だ。僕は一度もドラマは見ていない。かなり脚色したと聞いている。月曜9時のドラマで、仲間由紀恵がヒロインを演じていたと思う。

単行本の帯には「胸に迫るラブストーリー」と書かれてあったけれど、僕は読み終わって「どこがラブストーリーだったんでしょうか?」と、帯のキャッチコピーを書いたであろう編集者に訊きたくなった。僕が面白かったのは、ヒロインが友人と交わすこんな会話だ。

「『日蝕』っていうミケランジェロ・アントニオーニの映画なんだけど、邦題が『太陽はひとりぼっち』ってダサいの。別に、日蝕は日蝕でいいじゃないね。わざわざ『ひとりぼっち』なんてつけなくても」
「アラン・ドロンが株の仲買やってる映画でしょ?」
「観たことある?」
「前にビデオ借りたんだけど、あまりにも退屈で寝ちゃった」
「退屈だった?」
「退屈よ。たしか、あの女優さん…、モニカ・ヴィッティだ、彼女が婚約者から別れるシーンから始まるでしょ? 部屋の中で何を話すわけでもなく、ふたりで行ったり来たりして、それをカメラが延々追って。たぶん、その辺りですでに睡魔に襲われてた」
「何言ってんのよ、あのシーンがいいんじゃない。『いつ愛が消えた?』って、婚約者に訊かれたモニカ・ヴィッティが、『…ほんとに、わからないの』って答えるところなんて、ちょっと鳥肌立つくらいカッコいいじゃない」

●「日蝕」を「太陽はひとりぼっち」とした公開時のセンス

21世紀を生きる20代半ばのOLの反応として、「東京湾景」のふたりの会話はしごくまっとうだ。しかし、現代の20代の女性がミケランジェロ・アントニオーニ作品に興味を持つものだろうか。アントニオーニが描く「愛の不毛」は、今の時代では当たり前にしか見えないのではないか。「東京湾景」も恋愛小説ではなく、僕は不可能恋愛小説として読んだ。現代はまさに「愛の不毛」の時代である。

「東京湾景」の中でヒロインは「アントニオーニが大好き」と言っている。しかし、それは作者である吉田修一さんの趣味だと思う。吉田修一さんは1968年の生まれ。アントニオーニが最も評価されていた時期である。アントニオーニは「太陽はひとりぼっち」(1962年)の後、「赤い砂漠」(1964年)でベネチア映画祭グランプリ、「欲望」(1966年)でカンヌ映画祭グランプリを獲得し、次回作に世界中の映画ファンが期待を寄せていた。

しかし、吉田さんもミケランジェロ・アントニオー二監督の「太陽はひとりぼっち」が公開された頃のことはわからないだろうなあ。小学生だった僕は「太陽はひとりぼっち」の原題が「日蝕」だと知って、配給会社の宣伝部のセンスに感心したクチなのだ。「太陽がいっぱい」(1960年)でアラン・ドロンがブレイクして二年後のことである。「太陽=ドロン」であり、二匹目のドジョウを狙うのは当たり前だった。

また、「太陽はひとりぼっち」のタイトルバックに流れるノリのよいテーマ曲は、「太陽がいっぱい」のニーノ・ロータ作曲のテーマと同じように大ヒットした。1962年、「太陽はひとりぼっち」のテーマ曲は、高松市の商店街でもひっきりなしに流れていたのである。僕は、今でもこの曲が好きだ。ロック調のベースが響き、トランペットがメロディーを軽快に奏でる。

しかし、アラン・ドロン目当てで「太陽はひとりぼっち」を見にいった多くのファンは、間違いなくがっかりしたことだろう。「東京湾景」のふたりのOLの会話のように、それは「あまりに退屈」だったからである。どちらかと言えば、「アントニオーニが好き」と言うヒロインの方が少数派であり、アート志向の強い気取り屋なのかもしれない。

10代半ばの頃の僕は、あまりアート志向は強くなかったので「何が『愛の不毛』だよ」と感じたことを憶えている。それでも当時の映画ジャーナリズムは、アントニオー二監督作品を絶賛した。おかげで、アントニオー二の「愛の不毛・三部作」のヒロインをつとめたモニカ・ヴィッティは、国際女優になった。

しかし、僕はモニカ・ヴィッティの次回作が「唇からナイフ」(1966年)というコミックの映画化だと知って、「愛の不毛女優がコミック原作かよ」と思ったものだ。モデスティ・ブレーズ(だったと思う)という女スパイものだった。ジェイムズ・ボンドのヒットのおかげで、当時はスパイものが全盛だったのである。

僕らの世代では、アントニオー二監督の「欲望」にイカれた人が多い。僕の知り合いに、この映画を見て写真家をめざした人がいる。彼は、プロカメラマンとして、もう30年以上仕事をしているから、一本の映画が彼の人生を決めたのだ。それだけの影響を与える作品なのだろうが、冒頭の主人公のカメラマンがモデルに馬乗りになって撮影するシーンに衝撃を受けたからかもしれない。

アントニオー二がハリウッドにわたり、初めて作ったのが「砂丘」(1969年)だった。「砂丘」の日本公開は1970年4月。僕が初めて東京で見た封切りロードショーだった。僕は、日比谷の映画館で「砂丘」を見て、そのまま日比谷公園の集会に参加し、デモに出た。4・28…、つまり沖縄反戦デーの日だった。「安保粉砕!! 沖縄奪還!!」である。上京して3週間が過ぎていた。

●アントニオーニの世界認識に時代が追いついてしまった

さて、「東京湾景」のふたりの会話から、僕は久しぶりに「太陽はひとりぼっち」を見たくなり、ビデオを引っ張り出してきた。ファーストシーンもよく憶えている。モノクロームの映像が焼き付いていた。屋外のシーンは光にあふれたように白が基調だったと記憶していたが、近代的な建物や塔をとらえたショットなど、映像的には今も斬新だった。

10代半ばで見たときとは違って、さすがに退屈はしなかった。いや、リアルな描写に引き込まれたと言ってもいい。ヒロインが婚約者に別れ話を持ち出し、一晩中、話し合っていたシチュエーションから始まるのだが、僕自身はそういう経験には乏しいものの、この歳になると「そんなこともあるよな、人生いろいろだし」という気分になる。

ヒロインがカーテンを引くと、夜が明けている。男はぐずぐずと「僕は別れたくない。いつ、愛が消えたんだ」と未練がましい。ヒロインは婚約者に「いつ愛が消えた」と迫られ、「本当にわからないのよ」と答える。ゾクゾクはしなかったけれど、確かに、そのフレーズが「太陽はひとりぼっち」のキーワードなのだ。人の気持ちはわからない。自分の気持ちさえわからない。

だけど、そんなこと…当たり前じゃないか、という気がする。これも長く生きてきたからかもしれないが、今さら言うことでもないのじゃないか、ことさら「愛の不毛」などと言わなくても、そんなものだよな、と思う。この映画を作ったとき、アントニオーニ監督は40歳になるかならずだった。インテリが鹿爪らしく「愛について考察」した映画なんだな、と納得した。

一昨年の7月30日、僕らの世代にとってはビッグネームだった映画監督がふたり死んだ。イングマール・ベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニである。ベルイマンは89歳、アントニオーニは94歳だった。アントニオーニが5歳も年上だったのだ。どちらにしろ、20世紀の巨匠ふたりは、同じ日に人生を終えた。

朝日新聞の死亡記事では、ふたりともまったく同じ扱いだった。顔写真が入り、縦長4段で45行の記事。見出しの大きさも同じである。破格だった。そのうえ、その週の夕刊にフランス文学の教授で映画やジャズや文学の評論をする中条省平さんが長文の追悼記事を書いた。「対照的に現代描く」という大見出しに「アントニオーニ/ベルイマン 両監督を悼む」というサブタイトルが付いていた。

その追悼文の中でも書かれているが、アントニオーニは60年代を過ぎて極端な寡作に陥る。中条さんは「彼の世界認識に時代が追いついてしまったのだ」と書いているけれど、おそらく彼は何も作れなくなったのだ。今、「太陽はひとりぼっち」を見ると、「現代の普通の男女関係を描いているだけじゃないか」と思ってしまう。幻想もロマンチシズムもないリアルな男女関係、それがアントニオーニの描いた「愛の不毛」だった。

だとすれば、現代の恋愛は最初から不毛だ。だから「東京湾景」は恋愛小説としては始まらず、結末にいたって恋愛が始まりそうな予感を感じさせるのかもしれない。しかし、セックスが先行する恋愛を僕は理解できない。昔の恋愛小説は男女が手を握るまでに半分のページ数を費やし、くちづけまでいけばほとんど終わりだった。現代では、やはり愛は不毛なのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
「アラウンド40」を「アラフォー」と言うのが流行語になり、それが広がって「アラウンド還暦」を「アラカン」と言うらしく新聞が得意がって使っている。僕も、その範疇かもしれない。「アラカン」と言えば、嵐寛寿郎しかいない。鞍馬天狗のオジサンだ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![89]
大阪赤っ恥放浪記

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20090130140100.html
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前回は文章が長すぎて、一部のメルマガ配信サイトで文字数制限にひっかかっちゃったらしい。一番最後のコメントをすっぽり削除した配信になっちゃったようで。すいません。あれほど長くはならないようにします。

月曜の後記で濱村さんが書いてたとおり、1月24日(土)に大阪で新年会があり、デジクリ関係者とお友達が12人ほど集まりました。翌日は関東から行った3人で観光。大阪ってええとこやなぁ、としみじみ思えて楽しかったんですが、しこたま飲んで、ちと羽目はずしたかも。

●リアルでの交流少ないデジクリの面々

12:13東京発の「のぞみ183号」で新大阪へ。空いてる時期の空いてる時間帯の臨時列車ではあるのだけど、それにしてもこんなに空いてるのぞみは初めてみた。自由席の1号車ががらがら。成人の日の3連休にカラオケ屋が満杯で、みんな景気よさそうに遊んでるじゃんって思ったんだけど、その分、新幹線が空いてたのか? つまり近場で済ませてる、と。うーん。

新横浜で、べちおさんとお友達のラララ王子さんが乗ってくる。ラララさんは、べちおさんがかつてスタッフをしていたお店の常連客で、バンドを組んだりもしてたそうで。べちおさんがギター、ラララさんがボーカル。暮れにカラオケ行って、すごいパワフルなノリを見せてもらっている。1号車に私が乗ってるのを確認し、ガラガラに空いてることにくやしがりつつ、指定席をとってある16号車へ。

ラララさんは初めての大阪。それと、メイド喫茶にも行ったことがないというので、まずは日本橋へ。難波から歩いて "e-maid" へ。2年くらい前に「帰宅」して以来、気に入っていたお店。健在でうれしい。上品で落ち着いた茶系の内装がいいし、ロングのメイド服がきれいだし、メイドさんがみんなかわいい。私は図々しくガン見してたけど、初めて行く人は伏し目がちになってしまうらしい。

夕方、梅田に集合。居酒屋へ。永吉克之さん、やましたくにこさん、べちおサマンサさん、濱村デスクとそれぞれのお友達、総勢12人。なべをつつく。出てくる食いもんがすごい量。みんな美味い。さすが大阪、食うことにかけちゃ、どこ行っても満足できる。デジクリの関係者同士って、実際に会うことは多くない。永吉さんとお会いするのは、'05年暮れの東京での迎撃飲み会以来二度目だし、濱村さんとも'07年7月のイベントのとき以来二度目だ。くうさん(やましたさん)とは、'07年8月に永吉さんの行きつけの店で、永吉さん抜きに永吉さんの酒を勝手に飲んで以来だ。

べちおさんの座った端の周辺には喫煙者がまとめられ、わいわい大騒ぎしてすごいノリで盛り上がる。一方、永吉さん、私、くうさんの側の端は、じっくり話をする落ち着いた雰囲気。だったかな? CADソフトや3Dツールの話などが出て、わーみんなクリエイタだーと尊敬。デジクリに書いてて言うのもアレだけど、私はただの技術系のサラリーマンなもんだから、その手のツールはフォトショップもまともに使いこなせてなくて、話についていけてなかったり……。

もっともクリエイター向けツールって種類が多くて、業界人同士でも得手不得手があって、なかなか話が伝わらないことも多いみたい。ツールの多さやトレンドの浮沈に振り回されて、あっちこっちに中途半端に手を出さざるを得なくて辟易ってのは、私はプログラミング言語で実感してるけど。昔はC言語さえ知ってれば一生食っていけそうな気がしてたけど、その後、C++だのVisual CだのVisual BasicだのJavaだの出てくるし、シェルスクリプトや文字処理にはB-シェル、C-シェル、Tcl/Tk、Perl、sed、awkなどがあるし、SQLのようなデータベース操作言語もあるし、Mathematicaのような数学計算ソフト特有のプログラミング言語があったりもするし、いろんなソフトのマクロ用言語もあるし……。混沌のIT?

くうさんのお友達で、デザイナーのKさんとは'07年8月にお会いして以来だったけど、mixiでつながっていた。旅慣れた方で、いいロケ地をいろいろ教えていただいている。和歌山のコスプレ・イベントに行ったついでに淡島神社で奉納された人形を撮ってきたが、これもKさんに教えていただいている。今回も和歌山方面のいいとこをいろいろ教えていただいた。……ってな感じの、落ち着いた会話が多かった、かな?

遠い席の方々とほとんどお話しできなかったのは、飲み放題の酒をがんがん飲みまくって、すっかり腰を落ち着けてしまった私がバカだった。初めてお会いしたK2さんとは、実は住んでる世界(=趣味のジャンル)が思いっきりカブってることを、帰ってからmixiで知る。天野可淡のコミュに入ってたりするし、めちゃめちゃ波長合いそうだったじゃん。しまったー。今回来られなかった人もけっこういたし、遠からずまたできたらなー。

二次会はデジクリ関係者とラララさんで。裏話など聞いたり。私の書く下ネタってけっこう編集部を悩ませてたんだー、どうもすいません。でもまぁ、ちょっとずつちょっとずつボーダーラインを押していきたいかな、なんて。あと、私が書き始める以前のデジクリの変遷とか、筆者同士のつながりのこととか。東京でも集まりたいねーなんて話とか。武+山根の山根康弘さん宅が、本人の知らないところでまた狙われてたりして……。

終電に乗るべくものすごい勢いで散っていくみんなを見送り、残った関東組3人は、道頓堀の「金龍」でラーメン。すでにすごい量食って腹はぱんぱんだったし、酔いっぷりはラーメンどころじゃないだろ、って危なっかしさだったんだけど、勢いってやつですね。ちゃんとラーメン、食えました。美味かったー。って、べちおさんは十三(じゅうそう)に戻ってから、さらにうどん食ってるし。後で聞くと美味かったっていうから、ちょっとくやしい。

●思い出し うめきこぼれる 旅の恥

「続きはラブホテルでしとくんなはれ」。店のおっちゃんにたしなめられたようなおぼろげな記憶がある。店は角地にあって、通りと隔てるのはカウンター席の後ろに垂れ下がるビニールシートだけ、横はがら空きで、ホルモン焼きを実演する鉄板とオープンなテーブル席が設けられてるという造り。しかも、我々はテーブル席に移って飲んでたような……。しかも、通りって、通天閣の南側の串かつ屋の立ち並ぶ飲み屋街で、かなり人の往来があったような……。昼ごろから約7時間、ぶっ通しで飲んで、ずいぶん無軌道な盛り上がり方をしたらしい。うぎゃっ。

朝10時過ぎ、十三(じゅうそう)の「ビジネスホテルOK」をチェックアウトし、べちおさんとラララさんと3人で、阪急電車と地下鉄を乗り継ぎ、難波へ。地下鉄を2回乗り換えるのは面倒と、恵比須町まで歩く。日本橋を通り抜ける途中で「ボークス」のショールームに立ち寄り、5階の「天使のすみか」でスーパードルフィーたちにごあいさつ。べちおさんも人形の声を聞く才能があり、2体のドルフィーに話しかけられたそう。「お迎え」するのも時間の問題かな。「お迎えセレモニー」(まるで教会の結婚式なのだ)するなら呼んでおくれ。

べちおさんの道案内で通天閣へ。私は日本橋にはよく来るのに、通天閣は初めて。日本橋と通天閣って、目と鼻の先じゃん。知らなかった。けど、高速道路ひとつ隔てて、がらっと文化が変わる感じ。東京で言えば秋葉原と浅草かな。「日立プラズマテレビ」と大書された、ロボットみたいにどことなくユーモラスな姿の塔の下をくぐり、その先にある串かつとどて焼きの「鶴亀屋」に入る。

お天道さん高いけど、飲む。串かつは、砂ずり(砂肝)、ささみしそ巻き、白ネギ、じゃがいも、などなど、いろんな種類のを頼みまくり、話に聞いてた「二度漬け禁止」のソースに一度だけじゃぶっと漬けていただく。美味いっ。まわりは地元か近県からかは分からないけど、関西の言葉を話すカップルや家族連れが多くいて、たいていはビールを飲んでくつろいでいる。ゆったりとした時間の流れに、こっちの体もだんだん調和してくる。

2時間ほどいて店を出たあと、さあどうしようかとそぞろ歩き。3分も行かないうちに、ホルモン焼きの店「ヒカル」がある。ここ、来るとき気になってたんだ。通りに面して大きな鉄板が据えられ、ホルモンがすごい山盛りで焼かれている。ちょっと寄って行こうや。

カウンター席に座り、さっそくいただく。やわらかい! 美味い! ふつうの肉だとずっと焼いてたら固くなりそうなもんだけど、内臓だとそうならないのか。不思議。隣りに座った人が、右からも左からも気安く話しかけてくる。ここにいると、人と人との垣根が低く感じられる。それにみんな話し上手、どんどん楽しくなってくる。前日に道頓堀の「金龍ラーメン」に行ったことを言えば「薩摩っ子」もなかなかいいと教えてくれたり。食いもんが美味くて、たらふく食っても値段が安くて、人が楽しい。大阪、最高や! すっかり居心地がよくなり、根が生える。

我々の左側、カウンターの角の向こう側には、20代とみえる丸顔の女性と40代ぐらいのやさしそうなおじさんのカップル。その女性が、我々3人に「ミュージシャンやろ?」と聞いてくる。ラララさんを指して「ボーカル」、私を指して「ギター」、べちおさんを指して「ベース」、「間違いないわぁ」。まぁそんなもんだと言うと「せやろ? 分かります。シィッブいわぁ!」。その後も100回ぐらい「シィッブいわぁ!」を連発。

奈良からで、月に3回ほどこの店に来るという。1年ぐらい前に会ったという別のカップルとも再会し、互いに意気投合して、テーブル席へ集まる。「歌うてやぁ。な? な?」のリクエストに、ラララさんとべちおさんのスイッチが入ってしまう。ホントに歌い出したよ。まわりは大喜び。通りと隔てるものは何もなく、通行人がみんな見て笑っていく。けど、本人たちぜんぜん気にしてないし……。実際バンドやってただけのことはあって、いい芸人っぷりだ。

私は、ご存知の通り極度にシャイな性格なので、輪に入っていけず、カウンタ席に残って眺める。中野の行きつけのメイドバーでも、他のお客さんの前で歌う勇気すらなく、最初の半年はROMってたほどなのだ。それが、なぜかあっという間に引きずり込まれていた。連れの男性がカラオケ好きで「なごり雪」をよく歌うってんで、それの大合唱とか。あと、ビートルズとかカーペンターズとか。見知らぬ通行人たちのあきれ顔が……快感! すっかりバカトリオ。

「シィッブいわぁ!」の声もトーンが高くなっていき……。連れの男性がトイレへと立った隙に、むちゃくちゃな盛り上がりに……。いやぁ、どんな盛り上がりかって、むにゃむにゃむにゃ……。んで、目に余るとみた店のおっちゃんから、冒頭のようなお言葉を頂戴する。すいませんすいませんすいません。悪ノリが過ぎました。

7時過ぎまでいて、店を後にする。路面が大海原のようにうねってまともに歩けないけど、東京まで帰らねば。教えてもらったはずのほうに歩くも動物園前駅はなく、動物園の気配すらなく、新今宮駅に出たのでJR大阪環状線に乗る。「あれー、これって新大阪行かないの?」と気がついたら、前に座ってたおっちゃんがぶっと吹き出す。で、大阪で乗り換えと教えてくれた。こういうことって東京じゃ、あんまりない気がする。

そのおっちゃんもやっぱ飲んでる。ウィスキーの小さいボトル持ち歩いてる。隣りに座った幼稚園ぐらいの女の子にも「かわいいねぇ」とか話しかけてる。その隣りで母親は、笑って見てる。これまた東京じゃ、なかなかないぞ。黙って子供の手を引いて立ち去っていくんじゃないかな、東京だったら。

見知らぬ人同士、めったに言葉を交わさないから、みんなお互いにどんな人だか分からなくて、心のどこかに公共の場所への怯えがあるのかも。話せばいい人多いのに、そこへ行くまでの壁が高いっちゅうか。大阪の気取らない人情、ええなぁ。ラララさんも、「大阪を好きになった」と。うむうむ、めっちゃ楽しい遠征だった。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

今回の大阪行きで自分に課したのは、インナーをすべて女性用で固めること。私の場合、いわゆるセクシー系のランジェリーにはピクリとも反応しない。ティーン向けのキュート系なんかが大好きで、西友ストアなどで安く売ってるような、コットン素材のシンプルで庶民的でイノセントな感覚のがいい。特にパンティーにはこだわりがあって、コットン100%で形はスタンダード、裾にはシンプルなフリルがついてて、前には小さなリボンがついてて、それも断面が丸い紐のじゃだめで、ちゃんと扁平なリボンじゃなくちゃいや。大阪は寒いというので、行きはピンクのブルマ、帰りはピンクのハローキティーの毛糸のパンツ。私の勝負パンツなのだ。今回初めて試してみたのは、ニーソ。これが実にあったかくて、たいへんよろしい。けど、歩いているとすぐにひざの下まで下がっちゃう。人が見てないときにジーンズの上からつまんで引き上げる。どれも入手にはちょっと苦労してる。スーパーなどでレジに持ってく勇気はないし、通販だと単価が安すぎて扱ってなかったりするし。悩み多き乙女……が中に住んでるおじさんなのだ。秋葉原の秋月電子の上の「コスメイトプラス」に行くことが多い。どなたかどこかで買ってきてくれるとうれしいかな。

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■編集後記(1/30)

・先日、読売新聞にパレスチナ自治区ガザ南部のラファにある「密輸トンネル」の記事が出ていた。このトンネルは、ガザ─エジプト境界に建つ壁の下を掘ったもので、現在1000本前後あるという民間のトンネルのひとつ。ガザ側のトンネルの入り口は井戸に似た形で、約20メートルの深さまで垂直に下りる。そこから水平方向に約1キロ延びて、エジプト側につながっており、直径80センチのトンネルを這って往復するという。おそろしい。金塊を積まれてもそんな穴に入って行く勇気はない。せいぜい5メートルくらいで、先が見えているならなんとかなるかもしれないが。眠りに入る前にそのトンネルをイメージしたら、息苦しくてパニックになりそうだった。必死で別なことを考えて脱出したが、しばらくドキドキが止まらない。みなさんもおためし下さい。昨夜、日本テレビ系「モクスペ」で、「絶対に遭遇したくない超危険生物50連発」をやっていた。途中から見たのだが、10位にヤマカガシがランクされていた。この蛇は、わたしの子供のころは野原や水田にごく普通に見られた。体色は赤と黒のまだらが派手で、お茶の木の繁みにカラフルなひもがあるので手を出そうとしたら、動き出したので驚いたことを鮮明に覚えている。警戒の必要のない無害な蛇だと信じられていたが、後に強烈な毒蛇であることが判明(そんなことがあるんですね)、なんとハブの15倍の毒だという。この番組では、ハブやマムシより上位なんだから恐れ入りました。そして4位にスズメバチがランクイン、こいつは確かにヒトの身近にいる最強最悪の野生動物だ。いつでも遭遇する危険がある。本当に警戒しなくてはならない。てなこと眠る前に考えてたら、やはりわけのわからぬいやーな夢を見た。ナイーブなわたし(?)(柴田)
< http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081229-507405/news/20090126-OYT1T00992.htm
>
読売新聞

・ギターなGrowHairさん、またディープなところに行かれて……。/「金龍ラーメン」といえば古田新太。/「ニーソ」と聞いて、一瞬何のことかわからなかったのは内緒だ。学生時代に「ニーソックス」なんて単語はなかったもん。山根さんちに行くのははじめてだなぁ〜(オイ)。/「コメダ珈琲店」。一号線を走っていると知っている名前のお店ばかり並んでいるのだが、ここは知らなかった。知らないお店があると言ったら、ここを知らないなんてと驚かれてしまった。名古屋ではポピュラーなお店らしいのだが、大阪にはないので一度は入ってみたい。/京都発の「横綱ラーメン」。ねぎ入れ放題が気に入っている人多し。ここは京都、大阪、愛知、三重、千葉の展開なんだって。私はピリ辛餃子が好きさ。(hammer.mule)
< http://www.komeda.co.jp/
>  コメダ珈琲店
< http://www.4527.com/index3-3.html
>  横綱ラーメン