[2580] 抜けた歯と縁の下について

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<できれば昔の話はしたくはない>

■映画と夜と音楽と…[407]
 抜けた歯と縁の下について
 十河 進

■ところのほんとのところ[11]
 「EYEMAZING」マニエル君がやってきた
 所 幸則


■映画と夜と音楽と…[407]
抜けた歯と縁の下について

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090206140200.html
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●奥歯が抜けた夏に少女は大人の世界を知った

根岸吉太郎監督の「サイドカーに犬」(2007年)を見ていたら、主人公の女の子の奥歯が抜けるシーンがあった。そのことが子供時代の終焉を象徴するかのように描かれていた。「サイドカーに犬」は成長したヒロインが10歳の夏休みを回想する物語なのだが、乳歯の奥歯が抜けた夏、少女は大人の世界を知ったのだ。

母親が出ていった夏休み、父親の愛人らしき若い女ヨーコ(竹内結子)が食事を作りに通ってくる。スポーツサイクルを颯爽と乗りこなしてやってくる、その美しい女を10歳の主人公は好きになる。近所にあるという山口百恵の新築の家を一緒に見にいき、彼女の奔放さに魅せられる。

ひと夏を彼女と過ごし、夏休みも終わろうとする頃、一緒に海にいき、知り合ったアイスクリーム売りの男の家に宿泊する。その旅行にいく前に「歯がぐらぐらする」と言っていたが、海からの帰りに気付くと歯が抜けている。そして自宅に帰ると、家出していた母親が帰ってくる。大人の女同士の闘い…、少女は何かを学ぶ。

「サイドカーに犬」はなかなかよい映画だったけれど、僕が気になったのは、実は別のことだった。抜けた歯はどこへいったのか、ということである。確かに、子供の頃、ぐらぐらしていた歯が知らないうちに抜けてしまった経験は僕にもあるが、その時、僕は抜けた歯を飲み込んでしまったのではないかと心配したものだ。

歯を飲み込んでも大したことはない、と思うのは大人の発想であって、子供の頃、僕は本当に心配した。だから、「サイドカーに犬」の女の子の歯がどこへいったのか、僕は気になって仕方がなかった。それと、もうひとつ、抜けた歯は屋根の上か縁の下に投げ込まなきゃいけないのじゃないか、などとも考えた。

そんなことは、すっかり忘れていた。下の歯が抜けたら屋根の上に放りあげ、上の歯が抜けたら縁の下に投げ入れる。子供の頃にそう教えられ、歯が抜けるたびに僕は律儀にそのようにしていた。そのことを教えてくれたのは、誰だったろう。しかし、何のためにあんなことをしていたのだろうか。

人間は6歳頃から永久歯が生え始め、13歳くらいで生えそろうらしい。まず乳歯が抜け、その後に永久歯が生えてくるのだが、そんなに長い時間をかけて生え替わるのだったかなあ、と記憶を探ってみたが、ほとんど憶えていない。中学生になって、欠けていた前歯2本を差し歯に変えたことだけを思い出した。

小学生の頃、僕は生えたばかりの永久歯の前歯を2本とも折ってしまい、欠けた部分だけに金属を継ぎ足していた。永久歯が生えそろったら、歯の根のところだけを残し差し歯にする予定だったが、僕は小学校5年から中学1年生にかけての3年間、継ぎ足した前歯で過ごしていたのだ。

その当時の写真はモノクロで残っているのだけれど、笑っている僕の前歯は下半分が黒く写っている。みっともない。その当時も、恥ずかしい思いをした。なるべく前歯を見せないようにしていたが、なかなかそうもいかなかった。その後、何度か差し歯を代えるたびに高い治療費がかかっている。

●縁の下に投げ込まれた歯はどうなったのか

今の子供たちは抜けた乳歯をどうしているのだろうか。我が家もそうだが、高層マンションでは屋根もないし縁の下もない。一軒家には屋根はあるけれど、最近は縁の下はなさそうだ。昔は縁側の下から、そのまま縁の下に潜り込めたりしたものだったけれど…。そこには子供を産んでいる猫や犬がいたり、ボールが転がり込んでいたり、大きな蜘蛛が巣を張っていたりした。

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    縁の下では蜘蛛の巣が
    心細さうに揺れてゐる

縁の下を風が吹き抜け、蜘蛛の巣を揺らしたのは、中原中也の「帰郷」という詩である。こんな風にうたわれると、縁の下も何だかロマンチックな気がするが、僕の記憶では縁の下はジメジメと湿気があり、蜘蛛の巣や得体の知れない昆虫やトカゲなどの爬虫類がいる気がした。田舎の家で縁の下から蛇が鎌首をあげ、腰を抜かしそうになったこともある。だから、縁の下へ投げ込んだ自分の歯を僕は心配したものだ。

昔の時代劇には、縁の下がよく登場した。悪代官と豪商が悪巧みをしている座敷の縁の下で、それを盗み聞きしている男がいる。悪代官が気付き、鴨居の長押から槍をとる。鞘を払い、やにわに槍を畳に突き刺す。その時、なぜか「曲者!」と叫ぶ。同時に「曲者じゃ、出会え」とふすまを開けると、侍たちが駆けつける。

縁の下というより「高床式」のように、地面から床を高く上げているのは神社やお寺の建物だ。そんな建物の床下が記憶に残っているのが「けんかえれじい」(1966年)だ。主人公であるキロクは数人の仲間と一緒に、会津白虎隊と名乗る別の中学の生徒たちと大げんかをする。しかし、多勢に無勢。キロクたちは捕虜になり縛られてしまう。

しかし、そこから脱出し、キロクたちは反撃に出る。相手は寺のお堂で祝杯を挙げている。キロクたちは縁の下にもぐり込み、いきなり床下から攻撃するのだ。下からの奇襲を予想していなかった会津白虎隊の連中は、数人のキロクたちにやられてしまうのである。

アメリカ映画で縁の下が出てきたのが、「スタンド・バイ・ミー」(1986年)だった。少年たちのひとりは、縁の下に埋めて隠した宝物の場所がわからなくなり、あちこちを掘っていたのだが、その時、「行方不明になっている少年の死体を見付けた」と兄が仲間と話しているのを盗み聞く。その話を聞いた仲間たちは、少年の死体を探す冒険の旅に出るのだ。

縁の下は、やはり盗み聞きをする場所なのだ、アメリカでも変わらないのだなあ、と「スタンド・バイ・ミー」を見たときに、妙に感心した記憶がある。

●歯の神経が剥き出しになり空気に触れた不快感

僕の前歯は、10歳になる前から永久歯に生え替わっていた。その1本の歯が欠けたのは、確か小学校の4年か5年のことである。10歳か11歳だった。前歯が生えて数年しか経っていなかった。

ある日の放課後、教室の掃除が終わり、ゴミ箱を持ってゴミ捨て場にいく途中、僕は何かにつまずいて転んだ。運悪くゴミ箱(石油缶のような金属の四角い箱だった)の角に顔をぶつけた。いや、顔というより唇をぶつけた。もしかしたら、ぶつかる瞬間に口が開いたのかもしれない。アッと思った時には、前歯が欠けていた。

そのときほど空気の冷たさを感じたことはない。むき出しになった歯の神経が空気にさらされ、スースーすると同時に神経を直撃し、脳天に突き抜けるような痛みと不快感に襲われた。イヤな感じだった。「神経にさわる」という言葉があるけれど、こればかりは耐えられない。

歯医者では細い針状のものを剥き出しになった神経に差し込まれ、クルクルとまるでスパゲティを巻くように抜き取られた。その後、銀色の金属で作られたもので欠けた部分を埋められた。白い前歯に銀色(鉛色に近かったけど)の三角の継ぎ足しが目立った。「すべて永久歯になってから差し歯にしましょう」と医者は言った。

その隣の前歯が欠けたのは、砂利置き場で友だちと遊んでいるときだった。Fくんという級友とは仲がよかったのだが、そのとき、何かの言葉をきっかけにしてケンカになった。何が原因だったのかは憶えていない。Fくんは、砂利山にある石を拾って僕に投げた。その石が僕の前歯を直撃した。

僕の記憶では、ずいぶん遠くから山なりになって石が飛んできたことになっている。口を少し開けて、その石を見つめる僕がいる。そのとき、僕はケンカになって石を投げつけるという行為が信じられなかったのだ。一瞬、唖然とした。僕はフリーズし、飛んできた石を顔で受けた。

そのときのことを、今でも夢に見る。目を覚まし、あのときの石が目に当たっていたら…と思い、身を震わせることもある。あるいは眉間に当たっていたらどうなっていただろう、と想像する。前歯を折るほどの勢いだったし、決して小さな石ではなかった。

記憶の中にある次のシーンは、Fくんが母親に連れられて謝りにきている映像だ。僕の母が応対している。Fくんは母親の横でうなだれていた。僕はどこにいたのだろう。玄関脇の部屋の隅で膝を抱えていたような気がする。別にFくんに対して怒っていたわけではない。怒っていたのは、僕の母だった。

その結果、僕の前歯は両方ともツギハギ状態になり、笑うと鉛色の塊が前歯にくっつているように見えた。それがイヤで僕は「早く差し歯にしてほしい」と母に訴えたが、結局、中学2年になるまで待たねばならなかった。その数年間、僕は常に前歯を気にして生きていた。

差し歯にするためには、残っている歯を削らなければならない。削り取ってしまうと、しばらく歯抜け状態になる。前歯が2本ともなくなった顔がどれほどマヌケか、僕は身に沁みてわかった。その間、僕はマスクをして学校に通い、弁当も隠れて食べた。

前歯を差し歯にするのには、保険が利かなかった。義歯が入るという日、当時は大金だった数万円を母からもらい、僕は歯医者にいった。母は「Fくんに弁償してもらいたいくらいや」と愚痴ったけれど、あのケンカの後も僕たちは仲良く遊んでいたし、「今さら言っても…」と僕は思った。

どちらかと言えば、あのケンカの後、Fくんとは以前より仲良くなった。放課後はほとんど、もうひとりのNくんを交えた3人で遊んでいた。中学は3人とも別々の学校にいったのだが、それでも月に何度かは会っていた。そんなつき合いは、僕が高校を卒業して東京に出るまで続いた。

あれは、大学3年の夏休みに久しぶりに実家に帰ったときだったろうか。ある日の夕食のときに、母が思いだしたようにFくんの名を口にした。

──知っとる? あの子、歯科技工士になったんやて。2年間、専門学校にいって、今はどっかの歯医者に勤めているらしいよ。あんたの歯も作ってもろたらええのに。

その時、ケンカの後、Fくんと以前より遊ぶようになったのは、彼が僕に気を遣っていたからじゃなかったのかと気付いた。引け目を感じているとか、そんな素振りはなかったけれど、Fくんは僕の歯を折ったことを気にしていたのだろうか。まさか、それで歯科技工士になったわけではないだろうけれど…。

結局、Fくんとは、その後、一度も会わなかった。Nくんとは今も年賀状をやりとりしているが、Fくんの消息を訊くのも何となくはばかられる。Fくんも、今さら僕には会いたくないだろう。僕に対する負い目のようなものが、あの砂利置き場の出来事から続いていたのだとしたら、僕は申し訳ない気がしてならない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雨風が強い土曜の午前中、月に一度通っている医者にいく。傘が吹き飛ばされそうになり、霧雨が吹き付ける。歩いて10分ほどの病院は、風雨のせいか空いていた。それでも15分ほど待たされ、診察は5分。いつもの薬を4週間分もらって帰る。やれやれ、成人病のデパートになってしまいました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[11]
「EYEMAZING」マニエル君がやってきた

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20090206140100.html
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「EYEMAZING」のライターの、マニエル君が取材にやってきた。

「EYEMAZING」の編集長に、彼から連絡がこないよー、ってメール送ったらすぐに来た返事が、謝罪と、早急に他のアートライターを手配しようと思うという内容のメール。CCつきで、マニエルくんにも行ってるようだ。

彼から電話番号付きのメールがその30分後にやってきた(苦笑)。ちょっと躊躇するところです。だーーーって、全部英文で電話番号付きのメールもらっても、こわいじゃん(^^;)

日本語しゃべれる人なのか、日本人通訳つれてくるつもりかもしれないし、その場合は彼は英語とフランス語(?)もしくは英語とオランダ語(?)しかしゃべれないかもしれない。ずっと知り合いに書いてもらった英文でやりとりしてたから、ところが英語ぺらぺら〜とか、勘違いしてるかもしれないのでR。

とりあえず、勇気をふりしぼって「もしもし〜」と言って、相手が「アロー」で返して来たら、「キャンユースピークジャパニーズ?」って言ってみるかって事にしてかけたら、「はいはーい、あー、トコロサンですか、スイマセンバタバタしてて遅れてしまいましたー。」ホッとするところであった。

やっぱり外人のカタコト日本語だけど、ビミョーなニュアンス伝わるのかな?ちょっと不安なところでもある。とりあえず、月曜日の13時に来る事になったんだけど、電話でお願いされたのが、「今までトコロサンのことを書いた英文の記事はアーリマセンカ? できれば読んでおきたいデス」。

ここでちょっと困った。僕は、2006年に「CHIAROSCURO 天使に至る系譜」を出版した。この書籍にプロになって20年分の作品と、その手法も方法論(フォトショップから〜エアブラシ、暗室作業)や考え方も全て書いて、スッキリしたつもりでいた。2007年から新しい自分のスタイルを模索していた僕がたどり着いたのが、今の「shibuya 1 sec」からはじまる1secシリーズである。

実際、今後の海外のギャラリーでの展開でも「CHIAROSCURO 天使に至る系譜」以降のものしか出すつもりはないし、できれば昔の話はしたくはない。でも、過去にして来た事は消えないし、過去があるから今があるのだし、森美術館の館長さんである高橋信也さんの「ギャラリスト(画商)は生きて来た足跡も知りたがるもの」という言葉も気になっているけれど。

とりあえず、電話で説明するのは大変なので、僕に関する英語の記事はないと言って、メールで多少の説明と、ギャラリスト向けのコンセプトの英文と、渋谷での個展のときの宣伝文の英文と、一応日本語のWEB上にあるわりと的確かな(?)と思う、プロっぽい人が書いた文章を送ってみたところ。やっぱり、日本語の文章は難しかったらしい。

いよいよやって来たその日。見た印象は、なんだか凄くフランス人らしいフランス人、僕もきっと典型的な日本人に見えるに違いないね、メガネとカメラだしー。

まず、フォトグラファーになってから今にいたるまでの話を聞かせてほしいと言う。やっぱりなー。おや、もらった名刺にPhotoって書いてあるよ。これって、エリック(「Photo」編集長)さんの本の? って聞いたら、両方やってるらしい。いま名刺切らしちゃって〜ってことなんだって。日本のフォトグラファーにはかなり詳しいようだ。

ちゃんと話したけど長過ぎるので、読者の方は、1secまでの経緯は「CHIAROS-CURO 天使に至る系譜」に書いてあるから、そちらでどうぞ(笑)。

一応「ZOOMインターナショナル版」で表紙と巻頭特集の号と、「CHIAROSCURO 天使に至る系譜」の特集号、ドイツのオリジナルというアートマガジン「FOTO」で表紙を飾ったときの本などを見せて、後は持って帰って読んでもらう事にして「EYEMAZING」で特集される「shibuya 1 sec」の話になった。

なぜモノクロームでとか、なぜ渋谷とか、いろんな事を話した。今後は、最終的なアウトプットに銀塩プリント版も視野に入れるつもりとかね。実際、彼が一番驚いていたのは、WEBサイトで見るのと、僕がパリに持って行ったA2サイズのブックをみるのとでは、全くレベルが違うということだったようだ。こんなに落差があるのは珍しいってこと、それは圧倒的な情報量の写真だからだろうね。A2サイズを見たい人は、ところに直接言ってくださいね。

ちなみに、「EYEMAZING」の掲載は5月号か6月号、きちんと分ったら、mixiのEYEMAZINGコミュに書きます。前回書いた、取材を受けた雑誌は「日本カメラ」の3月号、玄光社から3月に発行される「フォトグラファーズファイル」にも出てます。ところをよろしくおねがいしますね。

ちなみに「EYEMAZING」はカメラ雑誌じゃなく、フォト、それも広義の意味でのフォトアートマガジン。例えば、日本だと、「日本カメラ」「アサヒカメラ」「Capa」などはカメラ&フォトマガジンといえる。「コマーシャル・フォト」は広告フォト&テクニックマガジンといえる。フォトアートマガジンというなら、イタリアの「ZOOM」。

なぜ広義のフォトアートマガジンと言ったかというと、「ZOOM」と違う所は現代アートとの境界部分にまで踏み込んでいるからだ。たぶん、現時点で欧米の写真ギャラリーのほとんどが「EYEMAZING」と「ZOOM」を見ていると思われる。パリでのギャラリーでこの2誌はかなり知られているようだった。これは実際に聞いてみた話。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
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所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
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ぼくのオリジナルプリントを買いたい人がいたらメッセください。ぼくのHPの作品全てが対象です。サイズは11インチ×14インチ、A2です。どっちも回りに多少の余白はありますから少し小さくなります。その間のサイズも対応します。全てエディションナンバーとサインが入ります。
info@tokoroyukinori.comまで、お問い合わせください。

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■編集後記(2/6)

ハプニング (特別編) [DVD]・人間が正体不明の何ものかに理不尽に攻撃される、というテーマの映画DVDを二本続けて見た。「ハプニング」と「クローバーフィールド」である。これらはわたしの専攻するBC級おバカ映画ではない(結果としてそうなっていても)。制作費も宣伝もたっぷりつかった大作の部類に入るだろう。「ハプニング」における人間の敵は、人を狂わせ死に誘う目に見えない何か。ビルの上から人がバラバラ降って来たり(CMでもおなじみ)、セントラルパークをはじめ都会では人がどんどん自殺してゆく。主人公夫妻は友人の娘を連れて、郊外へ逃れて……という話。「クローバーフィールド」は、いきなり出現した未知の何ものかに襲撃されるマンハッタンで、逃げ惑う人々や破壊される街、そして一緒に逃げる仲間たちの姿をビデオカメラで撮影し続けた、という設定のドキュメンタリータッチの映画だ。両者とも、何ものかは何ものかのままで終わる(後者ではそいつの姿はわずかに映っていて、異様な巨大生物であることはわかる)。何が起きているのか正確な情報が得られないまま、とにかく逃げるという状況の恐ろしさは共感できたが、見終わっていまひとつスッキリしないのであった。「ハプニング」では、アメリカ映画ではお約束のデリケートな夫婦関係が描かれ、妻の方がいつ壊れるのか心配だった(ああ、めんどうくさい)。そして、最後の最後は、やっぱりそうきたかと予想通りに自己満足。後からネットを眺めたら、とくに「クローバーフィールド」の細かな情報がたくさんあって楽しめた。結局は、両者ともマーケティングが非常にうまかった映画、というだけかもしれぬ。やはりBC級おバカ映画で笑っているほうがいいな。(柴田)
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・書こう書こうと思いながら忘れていた。リンククラブの1万円引き落としの件。申請期間は過ぎてしまっているが、相談はできるはず。御確認を!/ネタがない……。新聞で読んだうろ覚えネタ。足の裏の皮膚病が、歯の治療で治ったとか。まだ詳しいことは解明されていないのだが、使われている金属アレルギーの可能性あり。と調べていたら記事があったわ。詳しくは記事を読んでね。(hammer.mule)
< http://info.linkclub.or.jp/
>  会員のみなさまへ
< http://www.yomiuri.co.jp/net/security/s-news/20090113nt06.htm
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ネット料金2億円、予告なし課金…リンククラブ(読売新聞)
< http://www24.atwiki.jp/linkclub/
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まとめ
< http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20081114-OYT8T00519.htm
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難治性皮膚病、完治の例も。歯科と連携し成果(読売新聞)

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starなんだ面白いじゃん
star企画倒れの感は否めません…

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by G-Tools , 2009/02/06