[2621] 【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】展を観て

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<おいおい、映像の未来はドキュメントか!>

■武&山根の展覧会レビュー
 あーこれは「お笑い」だなあ
 ──【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】展を観て
 武盾一郎&山根康弘

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 タブレットの大小
 吉井 宏

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■武&山根の展覧会レビュー
あーこれは「お笑い」だなあ
──【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】展を観て

武盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20090408140200.html
>
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武:こんばんわー、目玉焼きには醤油、の武盾一郎です!

山:お、奇遇やな。僕も醤油ですわ。山根です。ってこの出だしなんやねん。

武:えー、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」ってなもんでね、もう4月ですよ。

山:そんなら4月はなんやねんな。死ぬ? 死んでまうんか(笑)。

武:3月までだわね。4月から12月まで農作業があるんで、休みははやく終わってしまうってことの例えらしいんですけどね。

山:あっそ。

武:うわっ! 俺がせっかくマメ知識ひけらかして「フリ」をしたんだから、ボケなきゃ?

山:何言ってるんかわからん。

武:わはは! まあ、そんな感じです。今日は「桜日和」というお酒を呑んでおります。頂きました。ありがとうございます。

山:どんな感じやねん。僕は今日はカティサークやね。

武:うわっ! また洋酒か! 外国かぶれめっ!

山:昨日は久々に日本酒呑んだぞ。日本酒は一人のときに家で少量呑むんやったら大丈夫やな。外ではあかん。大変なことになるからな。

武:日本人なのにぃ?

山:別に日本人やから日本酒呑まなあかんっちゅうことはないやろに。焼酎は呑むぞ。

武:俺はますます熱燗派になってきたなあ。。。

山:さて、呑も。いやー、久々。スコッチ。

武:あまり呑み過ぎないで、スコッチだけにしときな(客席:どっかーん)。

山:……なんやねんな? 寄席でも行ったんか?
武:いやね、『武と山根のシンポジウム』
< http://www.youtube.com/view_play_list?p=38FE331DF42FD4CE
>
  最近やってないじゃん。そんでさ、今度、台本書いてやってみようよ、とか話したでしょ。

山:もうえらい前にね。

武:そんでね、徐々に盛り上げて行ってるわけですよ。

山:ほほう。どう盛り上げてんのかまったくわからんけど、すごい準備運動やな(笑)。

武:すごいよー、もう、吸収力もの凄く良いジャージ来てるもん。

山:どういう意味やねん。

武:形から入ってる、みたいな。ジョギングやり初めでな、たいして足も速くもないのに、すんごいクッション性考えられてるシューズ履いてる、みたいな。

山:ようわからん。てっきり漏らすようになったんかとおもた(笑)。

武:失禁用かいっ! ほら、こうやって山根がちゃんとボケてくれれば突っ込みが入るっちゅー話しですよ。

山:別にボケてないぞ。「なんか最近おかしい」ってこないだ自分で言ってたやん(笑)。

武:確かにおかしいよ。今年は特に。厄年だからなー。

山:先日イベントでライブパブリケーションやったんですけどね、『Open Apartment』
< http://www.fareastcontemporaries.org/project6/pj61.html
>
  で、武さん観に来てくれたんはええねんけど、もうひどく酔っぱらってて、
  って話をいろんな人に話したら、帰ってきた答えはまったく一緒。

武:なに?

山:「いつものことじゃん」(笑)。

武:はあ〜、もうこのキャラ変えたいなー、俺。酔っぱらうと本当は次の日キツイんですよ。

山:僕は昨日は朝5時まで一人で呑んで、8時に現場行ったぞ。さすがに眠かったけど。

武:独り呑みの深酒かよっ!

山:いやあ、いろいろせなあかんことがたまってんのについつい、youtubeを。一人で盛り上がってしもて(笑)。

武:あー、それならまだいいがな。俺なんか独りで悶々と「芸術について」とか「なんで俺はこんなに報われないんだ」とか考えながら呑んだりしてたんでさ、それって一番良くないんだって。身体にも心にも。

山:「なんで俺はこんなに報われないんだ」って完全に被害妄想やからな(笑)。

武:被害妄想かあ、そうかあ。良くないなあ。

山:まあ昔からそうやけどね。武さんは。わっはっは。

武:最近はだんだんなくなって来てるんだよね。

山:そうも思えん。相変わらずツイッターの独り言ひどいやないか(笑)。
< http://twitter.com/Take_J
>

武:違う変なモンが出て来てる感じなんですよ。あれ、酔っぱらって覚えてないんですよ。翌朝見てみると、うわっ! って驚く。

山:こないだ見たら「殺す」とか書いてたぞ、おおこわ。

武:俺の無意識ヤバっ!

山:誰でも持ってると言えば持ってるけどな。そういうの。しかし外に向けて書くとあんまええもんやないなー。

武:ブーストしちゃうんだな。酔っぱらうと、そこが。でも溜めるとよくないんですよ。

山:喋ってる方がまだええな。

武:そうそう。喋る方がいい。喋ろう! 心と身体の健康の為に!

山:ま、はよ行こ、はよ。


●【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】東京国立近代美術館


武:今回は東京国立近代美術館ですね。
< http://www.momat.go.jp/Honkan/waiting_for_video/index.html
>

山:久々やね。前に行った時の展示はなんやったっけ、デジクリではフジタ?

武:そうですねー、藤田嗣治以来ですね。
  武&山根の展覧会レビュー「藤田嗣治展」
  最後の最後まで日本と外国の狭間で生きたフジタの一生を追体験!
< https://bn.dgcr.com/archives/20060614140000.html
>

◇ヴィデオとビデオ


山:フジタは良かったなあ、ってそれはええねんけどね、今回はヴィデオですよ、「ヴィデオ」。「ビデオ」とちゃうからね、ヴィ、デ、オ、やから。

武:「ヴィデオ」って、わはは!! 「キャメラ」みたいな。

山:「キャメラ」! それなんやろ「キッス」みたいなことかな、「キス」でなしに。

武:「アナルリスト」とかな。

山:それはもっと前やろ(笑)。金子光晴やないか。

武:おっ、ちゃんと突っ込めてるねー。

山:……その上から目線やめてもらえるかな。なんか教えられてるみたいで、めっちゃむかつくねんけど。

武:さらに、被せて突っ込むねー、エライエライ。

山:だからそれがむかつくっちゅうねん!

武:わはは! あれ、何してるんだか、わかんなくなっちった。なんだっけ?

山:だからヴィデオやがな。

武:そうそう。「ヴィ」だからねー、そこ、いじっとかないとな。

山:まあなんちゅうかね、だいたいビデオとヴィデオってどう違うねんっていうたらね、ヴィデオって聞いたらちょっとアンティークな響きするね。

武:そうね、「ビデオ」ってフィルムじゃなくて「VHS」って感じだからね。

山:うちの実家にあったのは「ヴィデオ」ではなく「ビデオ」やったな、確実に。

武:「キャメラ」って言ったら、なんだか古そうな機械っていう感じだしね。「キッス」って言ったら「ヘヴィメタ」ね。

山:「キャメラ」やと僕には機械そのものではなく、そんな雰囲気のおっちゃんが浮かんでくる。

武:鳥打ち帽かぶってるんだよな(笑)。

山:かぶってそうやな(笑)。しかし「鳥打ち帽」なんて小説の中でしか聞いたことないぞ。

武:俺、今日めちゃくちゃセンスいいなあ!

山:……そうも思えん。

武:ブルージーンズにサスペンダーなんだよな。

山:いや、白の麻混のジャケツやな。ステッキ持ってる。

武:奥さん結構若づくりなんだよな。

山:和服やけどな。

武:わはは! 引っ張り過ぎだよ。

山:自分やろ!


◇マニアック


武:いや、山根だ(笑)。でね、俺は「なんか楽しめたなー」って感じだったけどな。映像作品ってやっぱりちょっと「めんどくさいなー」って観る前に思ってしまうんですよ。

山:僕は最近なんせ音楽やら映画やらを観るようになったもんで、かなり期待して行きました。前回のチャットでも、絵の展示に映像あると安心するぐらいに言ってたしね、いやほんまにそう思うねんけどね。そんで、期待通りでした。おもろかった。

武:その前に美術館の入場料をアーティストは無料にしろーっ! 的な怒りはこみ上がったけどな、入る時に。

山:まあお金ないんでね(笑)。だけどマニアックやね、内容は。やっぱり。

武:うーん、そうか? 俺は逆に、現代では当たり前になってしまったものが、まだ新しかった頃の、さまざまな実験と表現法、という感じだったけど。

山:確かにそうやねんけど、マニアックやと思うなあ。だってそれを別に知らなくてもいいような気もするし。そんなこと言ったら元も子もないが(笑)。アートとして映像やる人は観てていいと思うけど。

武:そうかなあ。アートや映像作ってたりしてない人でも、現在だとこれらのヴィデオアートはフツーに観れるんじゃないかな、ということなんですよ。でも、何十年か遡るとアーティスト達が必死になってなんか表現可能性実験してたりしてたんだ、みたいなね。

山:普通に観れんのかなあ。あれを観なくてももっといっぱいあるやろうしなあ。例えばですよ、youtubeの映像って荒いやろ。かつ、どうしようもないものとか、わけわからんものとかいっぱいあるやん。あれ、けっこうええなあとか思ったりする訳ですよ。それはいま一般的やろ。それをまず観たりすると、それが基本になったりするやん。だからねえ、マニアックやなあ、と。

武:ん、全然分らんぞ、俺、どうしたんかな? バカになった?

山:ん? いや、だから、youtubeとかあるから、ヴィデオって別にねえ。あれ、ヴィデオは関係ないのか、映像か。うーん、なんかうまく言えないな。

武:例えばね、ダラ・バーンバウム『テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン』(1978-79)ってあったでしょ。

山:あったな。

武:『ワンダーウーマン』っていうテレビ番組ですわ。爆発シーンとかを繰り返したりしてるの。

山:変身する時の光ってるシーンとかね。

武:そうそう。これって、フツーにニコニコ動画とかでよく見るMADってやつでしょ。

山:そうやな。

武:78年であれをやってるのは実験的でマニアックだったかも知れないけど、今じゃ当たり前、ということなんじゃないのかな、って思ったんすよ。

山:いやいや、だから、それは今では普通のことやんか。だから、それを昔もやってましたって見せてもね、そんなん観なくてももうやってるわけでしょ。別に昔がどうやったとか関係なしに。

武:そういう、映像の歴史資料展みたいな側面はあるわけですよ。どうしたって。

山:結局今も一緒なんやから。古くていいなあ! って感じもあんまりなかったし。それをわざわざ見せるというのは、うーん、マニアックだな、と。いや、おもろいねんけどね。何いうてんねん僕は(笑)。

武:ああ、キュレーションの切り口がマニアックってことか!?

山:ヴィデオ、という言い方なんかなあ。結局、美術の文脈内で話してるだけやからねえ。。ところで今突然思い出したけど

武:ほい。

山:昔、『時事放談』っていう番組あったよな。細川リュウゲンだっけ?

武:眼鏡かけたハゲのおっさんだっけ? 観たことあるよなないよなー。微妙に覚えてるか覚えてないか。。。なんとなく。

山:あれおもろかったなあ、ってもちろん中身は全然わからんかったし覚えてるわけもないし、単純に「じじほうだん」という言葉がおもしろくて、じじいが話してるのが時事放談や〜と(笑)。よく言ってた。全然関係ないねんけどね、思い出して。今もやってんの、これ?
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BA%8B%E6%94%BE%E8%AB%87
>

武:えーっ! その話、オモロくないなーっ。うわー。そんなんならな、ジョン・バルデッサリ『二つのグラスを同調させようとする4分間』(1976)、二つのグラスに水を注いで同じ音程にして行くって作品だけど、それってグラスとグラスさんという音楽家との駄洒落なんだけど、ってところから、『時事放談』にもって行かないとさあ。

山:そんなん酔っぱらって考えられへん(笑)。編集でやってくれ。


◇笑いについて


武:わはは。できるか! いやあとね、ヴィト・アコンチ『適応についての3つの研究』(1970)、目隠しをしてるアコンチさんにボールを投げるヤツとか、石けん入ってる桶に顔を突っ込んで目が痛くなるなるヤツとか、現在だと完全にあれ、お笑いの方法だよね。

山:ああ、なるほど。あり得ないことが起きてね、確かにそうやな。

武:目隠ししてボール飛んで来るって、ホントに怖いわけでしょ。で、演技じゃなくてビビってるじゃないですか。

山:そうやね(笑)。

武:仕掛けを作っておいて、そういう「ガチ」を見せるってのがまさに今のお笑いの主流じゃないですか。

山:昔からそうなんちゃうの?

武:あー。でもチャップリンとかクレイジーキャッツとかのお笑いって違うじゃないですか。完全に「形の芸」というか。ヴィト・アコンチ『こじ開け』(1971)とかも完全に今のお笑いですよね。目を絶対に開けない女性と目をこじ開けようとするアコンチさんの格闘なんだけど、そのうちなんだか違うものになっていくという。なんかダウンタウンの番組とか連想しちゃうんだよね。

山:だからお笑い考えまくった人は映画に行くんか。

武:お笑いって言っても、テレビのお笑いってことだよね。舞台じゃなくて。

山:映像、ってことやな。

武:そうそう。映像を追求すると、アートもお笑いも一緒のところ行っちゃうってあるんじゃないのかなあ、とかね。

山:ま、それはビル・ヴィオラが立証してるわけで(笑)。
  武&山根の展覧会レビュー 森美術館「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」を観
  て わかりやすーい「わかりにくい現代美術」そのもの
< https://bn.dgcr.com/archives/20061108140200.html
>

武:なんかね、今回ホントに、あーこれは「お笑い」だなあって思いながら観たの多かったよ。ペーター・フィシュリ+ダヴィット・ヴァイス『事の次第』(1986-87)はピタゴラスイッチだしね(笑)。

山:どんなんやったっけ。

武:タイヤが転がって、なんかにぶつかって、っていうドミノ倒し的なヤツ。

山:ああ、あれはけっこう昔っからある手法やからな。

武:俺、あれ大好きなんだよな。

山:おもろいよね。観てまうよな。

武:しかも、なんか世界観あったじゃん。

山:あの作り方は世界観は別にいらんのとちゃうの。作り方そのものがそうやから。

武:うん、けどマテリアルから出て来る世界観ってあったじゃん。

山:火とか水とか、ってことか。ふむ。まあでもあの手法は一つのジャンルになってるよな。ライブパブリケーションもそうなればええねんけどなあ。

武:そうすね。

山:そういうことを考えたりする訳ですよ。

武:つづけますよ。

山:あーどうぞ。

武:フランシス・アリス(ラファエル・オルテガとのコラボレーション)『リハーサル1』(1999-2004)は、むしろドリフターズやクレイジーキャッツのお笑いの手法だよね。バンド音楽に合わせて車が坂を登って行くんだけど登り切る前に演奏がストップしちゃう、すると車が坂からヒュルヒュルーって落ちてしまう。また演奏が始まり坂を登り始めるけどまた演奏が止まって車が降りて来ちゃう(笑)。

山:たしかにそれもお笑いでありそうやな。

武:小林耕平『2-6-1』(2007)、これもボケ倒しのお笑いコントみたいな印象受けたけどなあ。おい、誰も突っ込まないのかよ! みたいな気分にさせられるのな。その手法もお笑いだしね。

山:そうなるとタシタ・ディーンの『オハイオ州コロンバスから〈部分的に埋められた小屋〉へ』(1999)なんていうのは、『探偵ナイトスクープ』やな(笑)。探偵役を依頼者本人がやる、っていうことはあるけど。

武:探偵ナイトスクープ(笑)。

山:タシタ・ディーンの隣に、小枝がおればええねんけどね。あ、小枝やと小ネタになってまうんか(笑)。

武:「しかしまーなんですねー」。

山:文字やとわからんがな(笑)。

武:フランシス・アリス(クアウテモク・メディナ、ラファエル・オルテガとのコラボレーション)『信念が山を動かすとき』(2000-02)、500人でスコップを使って砂丘を10cm動かすんだけど、あれもなんかバラエティー番組で絶対あったなあって感じでしょ。と、まあ順番ぐちゃぐちゃだったけど、お笑い、というのをずーっと感じさせられたなあ。


◇映像と絵画


山:それはつまりどういうことなんやろなあ。show、ということなんか?

武:うーん、多分ね、映像というのは、建前上というか事実上「現実を映し出す」と。「現実」を「映し」てることは確かなんだけど、それだから故なのか「差異」が明確に出てしまう。違和感とかズレとか。

山:現実と、そうでないものの差異、ってこと?

武:それだけに限らず、現実の中での差異とか違和感とか。

山:ああなるほど。とにかく差異やら違和感やらがミョーに際だってくる、と。

武:そうなんかなーって思いながら観てたんですよ。そういったテンションっていうのかなあ、そういうんが笑いを産み出す反応のメカニズムととても親和性が高いというか、関係してるというかね。でさ、絵画やマンガアニメーションだとさ、最初っから幻想(ファンタジー)でしょ。だから、そこにリアリティーの中にある違和感から来る笑いって作りにくい。でもさ、映像も実は最初っから虚像なんだよね。そこがなんだか不思議な気分になるなあ。

山:なるほど。そこまで考えて、あるいは感じて観てくれると作り手側からすれば嬉しいやろな。おそらく作った人はそういうことを言葉にしてるかしてないかは別としても、そこら辺のことを考えている人は多いんやろうし。

武:今回、展示の構成が、1.鏡と反映、2.芸術の非物質化、3.身体/物体/媒体、4.フレームの拡張、5.サイトとあるんですが、5.サイトってさ、「ドキュメントとしてしか映像はない」ってことだよな。おいおい、映像の未来はドキュメントか! みたいな。盛大な突っ込みを入れましたね。

山:わはは。でも、ドキュメントが重要だ、ということはちょいと前から言われてたやろ。

武:まあそうだけど、俺、やっぱファンタジーじゃないとダメなんだなあって思ったよ。

山:つまり今は「ドキュメント」という切り口が一番の「リアル」なんやろね。まあ流行ってると。それをはずしたら乗り遅れる、と。だけどそれが「リアリティ」とはあんま関係なかったりもする。

武:俺ね、ファンタジーが一番リアルだと思ってるんだなあ。

山:なるほど。それはそれでありなんやと思うよ。だけどそれを、なんて言うの、説得できる状況じゃなかったり、とか。

武:言わんとする理屈は分るよ。映像という視覚表現の出現で、その映像そのもの、或はテレビでもいいけど、「映像」ってどういうことか? という実験や概念提示がヴィデオアートの出発点だったと。

山:ふむ。

武:けど、今、そしてこれからは、「ここにある生」を写し録るものとして映像はある、と。

山:うん。だけど、それもどうやねん、ってけっこうみんな思ってたりして(笑)。

武:映像とは? 芸術とは? フレームとは? ショウとは? という問いかけをしてきたんですよ。けどもう問いかけないの。これからは(笑)。

山:やめんのかい!

武:でね、企画展観た後、常設も観たんだけど、パウル・クレーと瑛九と佐伯祐三観たとき、なぜかもの凄いホッとしたわー。

山:ほう、ってそれは前回のロシアアヴァンギャルド展と一緒の感想やないか!

武:わはは! いやね、映像作品ってなんつか、テンションを引き出されるのが多いのね。どこか不安になるのよ。もの凄く変なところにエネルギーが溜まったりするんよ。ものっそい「緊張」と「緩和」みたいなのを強いられるんですよ。けど、絵ってね、「ふわ〜」ってさせてくれるんですね。

山:ふわ〜、か(笑)。

武:俺ね、これから先はずーっと「ふわふわ〜」って生きて行きたいんよ。それが俺の「リアル」。

山:「薄明」、とかね。もやもやふわふわしてんねんな、昔も今も。緊張に我慢できるのは実は簡単で、むしろ、薄明に我慢が難しかったり、とか。

武:ほー、なんか興味深いな。俺はその「薄明」とやらを生きてるんだな。

山:問題はその薄明を、別に証明しなくてもいい、ということもあったりするから。

武:なるほどー。

山:でもアーティストと呼ばれる人は、証明だの実験だのをし続ける人なんやろうしな。

武:そうなんですよなー。まさに。もの凄い振れ幅の葛藤を抱えるわけですがな、俺。

山:だけど、それって、どうなんやろ、って思うやろ、思わない人ももちろんいるが。僕はそこに対して何も言うことが出来ない。


◇展覧会評


武:わはは! なんか意味分らん。

山:僕も何言ってんのかわからん(笑)。カティサーク、一本空けてしまった。わっはっは。

武:あー、オチが苦労するなー。

山:ここらで久々に一句。どうぞっ!

武:おれか!?

山:頼んますわ。

武:「ヴィデオ観て 公衆トイレで ビデを見る」どや!

山:う〜ん、ビデを見るってねえ、見られても(笑)。

武:ウォシュレットにさ「ビデ」ってあるでしょ。

山:あるねえ。

武:あれ、なに? いっつもおもうんですよ。

山:まあ僕らいらんからね。だいたいウォシュレットがいらん。

武:ウォシュレット要るよーっ!

山:まじで? 僕はいらんなあ。トイレ入ったときウォシュレットやったら嫌やもん。便座のふたちゃんとあがらんかったりするし。

武:病院とか、デパートとか、美術館とか、ウォシュレットだよね。もうね、「ふわふわ〜」ってなるもん。

山:ほんまにどこでも「ふわふわ〜」っとしてるんやな(笑)。

武:あれね、困るんは、肛門刺激されてまたウンコしたくなっちゃうんだよね。

山:動物の子供か! お母さんにペロペロされてねえ。

武:わはは! けどね、生暖かい液体がね、肛門限定で飛んでくるんでるよ。凄くないですかこれ? これは気持ち良いですわ。

山:僕はむり。気持ち悪い。

武:あれな、一回、蹂躙される扉を開かないとダメなんですわ。

山:いやや。

武:では展覧会評を。

山:いきなり終わるな!

武:☆ 星ひとつ。映像作品群を画家が評価するワケないだろボケーっ! 的に。サッカー選手が野球のことを「野球もステキですねー」とは言うけど全然腹ん中は違うから的な。ホントは星4つくらいね。

山:ホントはってなんじゃい! えーと、僕は☆☆☆☆星4つ。なんか楽になる。まあ何でもええか、と。でも、図録の製本が非常に気に食わない。中途半端に力入れずにもっとテキトーに作ってたら買ったのに。

【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】
Waiting for Video:Works From the 1960s To Today
< http://www.momat.go.jp/Honkan/waiting_for_video/index.html
>
会場:東京国立近代美術館 企画展ギャラリー(1F)
会期:3月31日(火)〜6月7日(日)10:00〜17:00 金20時(入館は閉館30分前まで)月休(5月4日は開館)、5月7日(木)
観覧料:一般850円、大学生450円
入館当日に限り、「木に潜むもの」展、所蔵作品展「近代日本の美術」もご観覧いただけます。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/ふわふわ〜】
『第4回初台現代音楽祭〜現代アートとノイズの夕べ〜ロスジェネと芸術』に出ますよ! 来られた方は「武盾一郎を観に来ました」と受付に言って下さい!
それが僕のギャラなんです! 
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=711514
>
take.junichiro@gmail.com
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/
>
246表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/
>

【山根康弘(やまね やすひろ)/ヴィデオキャメラ下さい】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>

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■グラフィック薄氷大魔王[175]
タブレットの大小

吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20090408140100.html
>
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intuos4に限らずタブレット全般の「サイズ」の話です。

タブレットを選ぶとき、一般向けのbamboo(以前ならFAVO)か、プロ向けのintuosか、ってのがありますが、性能的には現行の製品ラインでは「高級」か「超高級」かくらいの差なので、プロはintuosを選ぶべきとはぜんぜ思ってません(ただし、bambooは描画面の外の枠が狭い上に傾斜がついていて手がずり落ちてしまうので、僕は好きじゃないですが)。intuos4のON加重が軽くなってスゴイ! とはいっても、微妙な筆圧感知の恩恵を受けないタイプの絵を描く人や、Illustratorのベジェいじりがメインな人には関係ないし。どちらでもお好みで。

もう一つの大きな選択に「サイズ」があります。予算の問題を別にして、どのサイズが使いやすいだろう? ってことですが、これが実はむずかしい。初めてタブレットを買う人には「使いやすいサイズ」の基準がないので、とりあえず中間のサイズを購入してもらって、慣れてもらうか、どうしてもダメか判断してもらうしかしょうがない。

残念なのは、最初に購入したタブレットを「あ、使いにくいや」って放り出してしまう人がけっこう多いらしいこと。先週も書きましたが、使いやすいように工夫したりカスタマイズしたり、サイズを大きいものに買い換えたりした上で結論を出してほしいなと。

大きなタブレットが広すぎたら描画範囲をドライバで小さくできるので、大きな方が安全。小さなタブレットは大きなタブレットを兼ねられない、というのが従来の常識だったけど、intuos4の「プレシジョンモード」である程度ひっくり返せるので、中間のMサイズでほとんどの人はなんとかなると思います。

●小さなタブレット

一般的に、指先の動きで細かい部分も描けてしまう器用な人は小さなタブレットで十分と言われてます。デュアルモニタの二つの画面を小さいFAVOに割り当てて使っててぜんぜん平気な有名プロの人もいました。手を大きく動かさなくても、メニューやパレットにアクセスできるので疲れない。使わないときにジャマにならないのも小さいことの利点。ノートパソコンやキーボードの右側にタブレットを置いて作業するのにも向いている。

●大きなタブレット

一方、大きなタブレットは、腕全体で描くタイプの人に支持されるようだ。intuos3のテーブルサイズの1231Wでないと描く気がしないという人も知ってる。僕はどちらかというとこちら。画面の拡大・縮小を頻繁にしなくても、全体が見えているままで画面の一部に対して描画しやすい。腕を大きく動かして滑らかな線を描くのもやりやすい。反面、メニューやパレットまでの距離が遠いので何千回も往復することになり、疲れてしまう(10秒に一度パレットなどに手をのばすとしたら、12時間で4320回!!)。キーボードの置き場所にも困る。

僕は大きいタブレットほど描きやすいと思っていたので、intuos3で言えば、最初に630、次に631W、最近は930をメインとして使ってました。だんだん大きくなってます(余談。930はワイドタイプではなく、シネマディスプレイHDで使うと上下の描画面が余ってしまうのだが、ドライバで180度ひっくり返して描画面割り当てを手前に寄せると、上側にキーボードを載せてちょうどいいサイズだったのです。タブレットとキーボードが一体化。これは使いやすかった
です)。

intuos4のコメント準備用にいただいたのはMサイズでしたが、僕が使いやすいサイズより二回りも小さく、とてもじゃないけどメインで使えるとは思ってませんでした。でも、しばらく使ってるうちに、このサイズもいいなと思えてきました。

というのは、大きいタブレットで広い範囲に描く場合、手の位置をたびたび変えてペンを動かす基準点を決める動作をすることになる(無意識にやってますけどね)。その点、小さいタブレットでは掌の位置を固定したままでも画面上の広い範囲に描けるので、基準点決めの回数が格段に少なく、安定して描ける。

あと、大きなタブレットでは、中央で描くときに完璧に角度を合わせてあっても、端のほうでは水平垂直な線が引けなかったりする。体に対しての手の位置がずいぶん変わっちゃうからです。これを避けるには、ズームやスクロールを頻繁に行って、なるべく中央で描くしかない。小さなタブレットで描くのに慣れてる人はこの問題は少ないと思う。

上記を踏まえてMサイズを使ってみると、手を大きく動かせないのと引き替えに、いいこともあるようです。もう慣れてきました。鉛筆やペンの持ち方のフォーム改造を経て、指先で描くのに慣れてきてたのも都合がよかった。しばらくMサイズのintuos4で仕事してみようと思ってます。

【吉井 宏/イラストレーター】hiroshi@yoshii.com
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>

PicasaのMac版のベータを入れてみた。Adobe Bridge4より動作がぜんぜん軽くて速いしWebとの連携も簡単で素晴らしいんだけど、画像登録中にやたらと落ちるのが惜しい。っていうか落ちすぎて使う気になれないほど。アップデート
が待ち遠しい。

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■編集後記(4/8)

・ああ、関西に住みたい。できれば奈良に。昨日、パートワーク(分冊百科)初回サービス特価本購入マニアのわたしは、集英社から出た「週刊古社名刹 巡拝の旅」を求めて書店へ走った。このシリーズは、関西の古社名刹が手を結んだ「神仏霊場会」という組織に参加する社寺152を参拝して回る旅を、訪れやすいスポットに分けて全50巻で紹介する企画である。A4判変型オールカラー42ページ、152か所の神社寺院散策ルート、1000点の名宝、総計4000枚の写真と図版が収容されるという。創刊号は「平城の都 奈良」で、東大寺、春日大社、興福寺が紹介されている。内容はとくに目新しいものではない。祭事・行事の紹介やコラムなども平凡。レイアウトも平凡。でも印刷はすばらしくいい。最近、冴えない印刷物が多いが、この本の印刷設計はさすがである。散策ルートや境内地図がきれいで、わかりやすくて気に入ったが、実用にはどうか。この大判の本を持ち歩くのはつらい。本も傷むからいやだ。第2号は「熊野古道 和歌山」で、巡拝白地図と全路線図が特別付録である。便利だろうな。買ってしまいそう。第1号付録の美しいB2判地図を見ると、152社寺があるのは三重、和歌山、奈良、大阪、兵庫、京都、滋賀の7県。数えてみたら65社寺ほどは、学生や会社員時代に行ったことがある。残る社寺も回ってみたいな。ああ、関西に住めば実現するだろう。ああ大和にしあらましかば(柴田)
< http://www.shueisha.co.jp/weekly/main.html
> 週刊古社名刹巡拝の旅

・四天王寺は35巻か。ん? と思うお寺や神社があるような……。/「a-blog CMS」のβ版が出た! 試してみたい〜。/振込手数料はどちら負担かという話になった。フリーになってしばらくは、振込手数料を負担してもらうように請求書に明記していた。でもこれって仕事を依頼される時に決めていたことではなく、商慣習の話。依頼された時に条件として提示していないのに請求書に「そっちが出してよね」なんて書いてあったら嫌な感じよねぇ。ものづくり関連だと振込手数料は受取人負担が多いように思うので、客側に負担させる方が非常識に思われるかも。出入り業者用の請求書伝票まで買わされたりするぐらい弱い。ふと、振り込んでもらえなかったらどうなるのか考えてみた。お客さんのところに行って、請求書を提示して現金でもらう。つまり交通費や時間や手間がかかるわけで、それが数百円(そのうち200円は印紙代=本来は領収書を出す側が負担するもの。200円は100万までのもの)で済むなら安いもんじゃないかと。経費になるんだし。それから請求書には振込手数料については明記しなくなった。不特定多数の顧客を抱えるようになったら、依頼される時に明記しておき、負担してもらうだろうけど。/メルマガ広告については最初から明記。/手形取引はしない。個人でやっているフリーにはリスク高すぎ。(hammer.mule)
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