[2648] 田沼雄一が青山通りを駆けた頃

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<つまり、読み始めたらやめられなくなる>
 
■映画と夜と音楽と…[420]
 田沼雄一が青山通りを駆けた頃
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![96]
 「第6回中華コスプレプロジェクト」と境港と倉吉と
 GrowHair


■映画と夜と音楽と…[420]
田沼雄一が青山通りを駆けた頃

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090529140200.html
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●怪優・松尾スズキが演じたメチャクチャなキャラクター

奥田英朗さんの小説は、以前に「東京物語」を読んだことがある。主人公は小さな制作プロダクションで働く青年だった。奥田さんもプランナー、コピーライター、構成作家などをやっていたそうだから、おそらく自伝的な作品だったのだろう。時代は1959年生まれの奥田さんの20代前半と重なる80年代の設定だった。

その後、代表作である精神科医・伊良部シリーズを映画化した「イン・ザ・プール」(2005年)を見た。怪優・松尾スズキが演じる伊良部はメチャクチャなキャラクターで、診察にやってきた患者をたきつけて治療のためと称し振られた女の会社に乗り込み、ひどい罵倒(「クサレバイタ」とまで言う)をしたり、強迫症の若い女性にとんでもない治療を行ったり、笑わせながら少しゾッとさせるところがあった。

そんな伊良部には興味は湧いたが、原作を読むほどではなかった。また、昨年は森田芳光監督による映画化作品「サウスバウンド」(2007年)を見たが、何を言いたいのかよくわからない映画だった。豊川悦司と天海祐希が演じた全共闘世代の両親と3人の子どもたちの話なのだけれど、本物の全共闘経験者が見るときっと腹を立てると思う。

森田芳光監督は全共闘世代に近いけれど、日大闘争には間に合わなかったのではないか。あの時代、1、2年の違いが大きな差になった。1968年に大学生でなかった人間は、全共闘最盛期を経験していない。全共闘が機動隊導入などによって排除され、高校に闘争が波及した頃に僕は高校生だった。ほんの数年、遅く生まれてしまったために闘争の昂揚を経験できず、僕はセクト間の内ゲバばかりが起こっている大学に通う羽目になった。

僕はラディカルではあるつもりだったが基本的にはノンポリだったのに、なぜかセクトのヘルメットたちに取り囲まれるような時代だった。当時は間違って殺された(誤爆と言われた)一般学生だってかなりいたのだ。全共闘世代という区分けをするなら、1950年以降に生まれた人間は内ゲバ世代と自称する。自虐的である。かつての昂揚は去り、頽廃と沈潜しかない暗い青春だった。

1968年には小学生だった奥田英朗さんは、全共闘については体験していない。奥田さんが全共闘の時代を見る感覚は、60年安保のデモ隊をテレビで見てクラスで「アンコ反対」と言いながら押しくらまんじゅうをしていた、小学生の僕に近いのではないだろうか。もちろん、あれにどんな意味があったのだろうと、僕も高校生になったときに改めて調べた。

「サウスバウンド」で気になったのは、ほんの些細なことだった。たとえば、天海祐希は「××大のジャンヌ・ダルク」と言われたということなのだが、あの時代、戦闘的かつ革命的な女子学生を「ジャンヌ・ダルク」とは呼ばなかったと思う。呼ぶとしたらローザ・ルクセンブルクに敬意を表して「××大のローザ」とか「ゲバルト・ローザ」ではなかっただろうか。

「サウスバウンド」は未だに国家権力に対して反抗し続けている父親と、学生時代に内ゲバまがいの事件で人を刺し刑務所に入っていたという母親を持った少年が、ある種の違和感を感じながらもその両親の生き方に影響を受けていく物語だった。少年の視点から描いているから、必ずしもアナクロな新左翼系の父親を肯定しているわけではない。

といって、未だに全共闘の時代の昂揚を持ち続けている時代錯誤な父親が引き起こす常識世界との摩擦や衝突、それによって生まれる笑いを見せる映画でもなかった。そんな父親を全面的に支持する母親にも僕は共感できなかった。要するに、僕にはふたりとも「困った大人」にしか見えなかったのだ。それは、僕が歳を重ね保守的になったということなのだろうか。

●国家への反逆心を醸成しテロリストに育っていく若者

ということで、奥田英朗さんの新作「オリンピックの身代金」(角川書店)には、それほど期待していたわけではなかった。タイトルだって、26年前に評判になった「摩天楼の身代金」(文春文庫でまだ出ているのかなあ)を連想させる。オリンピックを人質にして、若きテロリストが国家権力を相手に身代金を奪う話なのである。

読み始めて、最初は少し違和感があった。昭和39年は1964年であり、僕は中学一年生だった。奥田さんは幼稚園に入ったくらいだろうか。時代の空気は記憶にあるだろうが、細かい部分の表現に微妙な齟齬がある。しかし、それも次第に気にならなくなった。実によく調べているし、僕自身が改めてあの年を追体験している気分になった。

それに、構成がいい。うまい。何人かの視点で章が分けられているのだが、主要なのは追跡する警視庁の若き刑事の章と若く純粋な犯人の章である。それに加えて、犯人の東大時代の同級生で草創期のテレビ局に入社した青年(彼の父親はオリンピックの警備責任者である警察官僚だ)の章、犯人に憧れているビートルズファンの古本屋の娘の章が随時挿入される。

各章の頭には「昭和三十九年八月二十二日 土曜日」といった時制が明記される。ただし、それは時制を追って順番に現れるわけではない。僕がうまいなあと思ったのは、冒頭、テレビ局の青年の章で始め、いきなり事件が起こることである。次の章は一週間後、古本屋の娘の視点になり、二度目の爆発事件が起こるのだ。

三章は、若い刑事一家の団地への引っ越しから始まる。あの時代、団地に入ることがどういう意味を持っていたのか、その辺もきちんと奥田さんは書き込んでいる。時代の空気を再現する。そして、第四章でようやくテロリストとなる島崎国男が登場する。「昭和三十九年七月十三日 月曜日」──それは、事件よりひと月以上も前に遡る。マルクス経済学を研究する東大院生が、テロリストになっていく最初のきっかけが描かれる。

「オリンピックの身代金」の構成で感心したのは、犯人の島崎国男の章が7月13日から始まり、じっくりと書き込まれることだ。彼がなぜ国家を相手にするテロリストになっていくのか、その一ヶ月ほどの彼の生活に寄り添う読者は納得させられる。一方、追跡側の警察サイドの描写は事件が起こった8月22日から始まり、国男の犯罪の結果が先に読者には知らされる。

つまり、国男が起こしたらしい事件の結果が先に読者に知らされるのだが、それによって「どう考えても彼がそんなことをする人間ではないのに…」という謎が読者に提示されるのだ。その後、国男の章が、徐々にその謎を解き明かしていく。したがって、読者はページを繰り続けるしかない。つまり、読み始めたらやめられなくなる。

僕はこの1400枚に及ぶ小説で、国男が次第に国家への反逆心を醸成しテロリストに育っていくのを読みながら黒澤明の「天国と地獄」を思い出した。この小説の中にも、前年に公開された「天国と地獄」にヒントを得て、身代金を列車の窓から落とすことを指示した爆破魔・草加次郎の吉永小百合脅迫事件がふれられているが、「天国と地獄」では描かれなかった犯人が犯罪に走った理由をきちんと書き込んでいることに感動した。

以前にも書いたけれど、僕は黒澤明の「天国と地獄」があまり好きではない。その映画が面白く魅力的であり、強烈な映像の力を持つが故に、罪深さを感じてしまう。あの映画で仲代達矢が演じた警部は「憎むべき誘拐犯を死刑にするために」麻薬中毒患者の女を見殺しにし、犯人を現行犯で捕まえて「これで、お前は死刑だ!」と叫ぶ。刑事が犯罪者を裁くようになったらオシマイだ。

また、インテリの医学生である青年(山崎努)が、なぜ誘拐という凶悪犯罪を犯したのかという背景がまったく描かれていない。あれでは、犯人は冷血漢の殺人者でしかない。だが、「オリンピックの身代金」では東大院生のインテリである犯人が、なぜ、日本国民全員を敵にするような犯罪に走ったのかをきっちりと書き込んでくれる。そう、「天国と地獄」の犯人にだって言い分はあったはずだ。

黒澤作品には権力主義的な匂いがある。「弱者は強者に従え」という考えは、「七人の侍」(1954年)「椿三十郎」(1962年)さらに「赤ひげ」(1965年)からさえも感じられる。だから、「天国と地獄」では警察権力が憎むべき誘拐犯を追いつめていく過程を無批判に描いている。黒澤明はもっと、弱者や犯罪を犯すまで追いつめられた人間に寄り添うべきだったのではないか。「素晴らしき日曜日」(1947年)や「どですかでん」(1970年)のような…。

なんてことを言うと、まるで「サウスバウンド」の国家権力を忌み嫌う時代錯誤なアナクロ親父だが、少なくとも僕の中にもそんな血が潜んでいるらしい。平岡正明の「すべての犯罪は革命的である」という言葉に心が振れる。「官憲帰れ!」と、かつてシュプレヒコールをした身だ。国家や警察権力に好意は持っていない。それは、先日、亡くなった忌野清志郎が「反骨のロック歌手」と言われたように、僕らの世代の精神的基盤である。

●東京オリンピックの時代を映像で見せてくれる映画群

「オリンピックの身代金」には、巻末に資料本リストが掲載されていた。その後に、さらに主要参考映像として「東京オリンピック」(1965年)「若大将キャンパスDVDボックス」(1961〜1971年)「クレイジーキャッツ無責任ボックス」(1962〜1964年)「下町の太陽」(1963年)が挙げられていた。なるほど、うまいところを参考にしている。

それらの映画は、あの時代を映像で見せてくれる。あの時代の考え方や空気を直接、肌で感じさせてくれる。「下町の太陽」は若き山田洋次監督の第2作めである。はちきれそうな倍賞千恵子が若々しく、勝呂誉を相手役とした労働者階級の物語だ。倍賞千恵子の「下町の〜太陽は〜」という歌声が聴ける。あの頃の下町の町工場の風景は、今はもうなくなってしまった。

それに比べて、同時代とはいえ東宝の「若大将」シリーズはまったく違う風景を見せる。何しろ若大将こと京南大学生の田沼雄一は、銀座の老舗スキヤキ店「田能久」の跡取り息子であり、誰もが羨むような大学生活を送っている。当時は苦学生の方が多かったはずだが、田沼雄一は金持ちのボンボンのような生活を送っているのだ。

京南大学は、僕のイメージでは慶応大学である。青学も入っているかもしれない。昭和30年代だというのに、彼らはスポーツカーを乗りまわし、高級クラブに入り浸り、ダンパ(ダンスパーティ)を開催し、金のかかりそうなスポーツに熱中する。もっとも、そんな役はすべて金持ちのバカ息子である青大将こと石山(田中邦衛)が担当したのではあるけれど…。

あれは確か若大将が水泳部に入っていたから、第一作の「大学の若大将」(1961年)だと思う。若大将と水泳部のマネージャー(江幡達治)が部員たちの食料を買い出しにいくシーンがあった。彼らは安いというのでドッグフードの肉の缶詰を大量に仕入れるのだが、その店が近代的スーパーマーケット(青山にできた紀伊國屋)だった。車がほとんど走っていない青山通りが写っていた。

植木等の「無責任シリーズ」も当時の東京の近代的な風景を見せてくれる。どうも東宝という映画会社は、松竹の「下町の太陽」のようなプロレタリアートを描くことを放棄していたらしい。平均(たいら・ひとし)という植木が演じたキャラクターはサラリーマンで国民を代表する存在だったが、C調で、無責任であっても、主人公はあれよあれよという間に出世する。結局、資本主義社会で立身出世をするという価値観からは脱却できなかった。

東京オリンピックは、貧しかった昭和30年代に幕を引いた。翌年からは昭和40年が始まった。西暦で言えば60年代後半がスタートした。高校進学率も一気に上昇し、僕のクラスでも中卒で就職したのはたったひとりだった。全世界に注目され、成功裡に終わった東京オリンピックは日本人に自信を与え、高度成長を加速させた。オイルショックに襲われる1973年の秋まで、日本はフルスロットルで走り抜く。

当時の日本の底辺(東北の貧しい村から出稼ぎにきたオリンピック施設の建設に従事した人々。数百人に及ぶ彼らの死)に目を向けた奥田英郎さんの「オリンピックの身代金」は、今だからこそ書けた小説だ。そんな視点は、当時にはなかった。格差社会と言われる現在、奥田さんは1964年を舞台にして日本という国の矛盾を志高く描いたのだ。心に残る作品である。誰か「天国と地獄」を超える映画にしてくれないか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
久しぶりに箱根にいく(仕事です)と、湯本の駅がきれいになっていました。5月下旬のしっとりと濡れた新緑が美しい環境の中にいたのに、いつも通りの討論、議論、激論、反論、異論…が続き、また独り相撲のような失敗をやってしまいました。いつものように反省の日々…。学習能力がないのかもしれないなあ、まったく。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■Otaku ワールドへようこそ![96]
「第6回中華コスプレプロジェクト」と境港と倉吉と

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20090529140100.html
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鳥取県中央部にある日本最大級の中国庭園「燕趙園」で、5月16日(土)17日(日)、「第6回中華コスプレプロジェクト」が開催された。今回も約100人の参加者が全国から集まり、「三国志大戦」や「彩雲国物語」など、ゲームやアニメの登場人物に扮し、ぐずつき気味の天気の中ではあったが、屋根つきの回廊などで、写真撮影などに興じた。

年2回の恒例イベントとして定着した感のあるこのイベント、私は例によってカメコとしてだが、4回目の参加である。見知った顔ぶれが多く、過去にも参加したことがある人がおそらく半数ほどを占めていた。写真撮影も頼みやすいし、たっぷり撮った後はゆっくり雑談したりして、終始和やかな空気に包まれたイベントであった。

相変わらずテレビや新聞の取材もかなり来ていて、大都市からこんなに離れた地に遠くから人が集まることに一様に驚きを示していたが、理由を聞かれたレイヤーさんたちは、ロケーションのよさを口々に強くほめたたえていた。イベントの模様は関東圏でもテレビ放送されたらしい。

●妖怪だらけの楽しい境港(さかいみなと)

イベントの前日、5月15日(金)には一人で境港へ行ってきた。米子に空港があるのをうっかり忘れていて、鳥取行きに乗ってしまった。鳥取県の西端近くに米子があり、東端近くに鳥取があり、中間に倉吉があり、燕趙園がある。米子からさらに北西方向に延びるJR境線の終着駅が境港である。

鳥取空港からは倉吉駅までバスで行ったほうが早かったのに、鳥取駅へ行くバスに乗ってしまったのも、うっかり。鳥取〜米子〜境港はどこも電化されてなく、気動車のエンジン音が大好きな私はまったく退屈しなかったのが幸い。けど、境港に着いたら、午後だった。

境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の故郷。というか、作者の故郷。「水木しげるロード」や「水木しげる記念館」があり、町をあげて妖怪をフィーチャーしている感じである。道の両サイドには「ろくろ首」、「一つ目小僧」、「ぬらりひょん」など、134体もの妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ。ねずみ男はなぜかマスクしてるし。「お化けは死なない〜、病気もなんにもない」んじゃなかったっけ?300年も風呂に入っていないという不潔ぶりをめずらしく反省して、菌を撒き散らすまいとけなげな姿勢? と思ったら新型インフルエンザ対策か。
< http://www.sakaiminato.net/
>
< http://www.sanspo.com/shakai/news/090506/sha0905060500002-n1.htm
>

JR境線には、外装に「ゲゲゲの鬼太郎」の登場人物(妖怪)の絵が描かれた「鬼太郎列車」、「ねずみ男列車」、「ねこ娘列車」、「目玉おやじ列車」が走る。乗れば、天井に「一反木綿」が飛んでたりして、内装でも妖怪たちの歓迎を受ける。16ある駅にはそれぞれ妖怪名の別名がふられている。両端の米子と境港は、それぞれねずみ男と鬼太郎である。

妖怪というと、奇怪な姿をして、妖術を駆使して人に悪さをする、といったネガティブなイメージがつきまとい、町おこしの題材としてはどうなんだろう、と思われるかもしれない。人が怖がって逃げていきそうではないか、と。ところがどっこい、毎日新聞の記事によれば、今年、ゴールデンウイークを含む4月25日から5月6日の12日間の水木しげるロードの入り込み客数が過去最高の24万5003人(昨年11日間比5.1%増)を記録したと境港市観光協会は7日、発表した、とある。妖怪、大人気である。

実際、妖怪のブロンズ像を眺めて歩くと、なんだか楽しい気分になってきて、ちっとも飽きない。しまいには、妖怪が大好きになっている。できるものならなりたい、くらいの勢いで。帰りがけに見つけて買った「妖怪大百科」で著者の水木しげる氏は「私は妖怪的生き方を理想としている。バカバカしいことをして、人間の仲間に入らず、せかせかせずにラクに暮らそうといつも考えている」と述べている。長生きの秘訣かもしれない。

妖怪の何が楽しいって、それを生んだ人の想像力が。古くから伝わる妖怪画の多くは、実際に見た姿を写し取ったというよりは、うまく説明のつかない不思議な現象を体験したときに、その現象を引き起こしたヤツはきっとこんな姿をしていたに違いない、という想像の産物であるようだ。例えば「砂かけばばあ」。現象としては、夕方、さびしいところを一人で歩いていると、どこからともなく砂がぱらぱらと飛んできて、からだにかかる。それだけ。現象から受ける印象を損なわず、姿を具現化した、その想像力がすばらしい。

先の本で水木氏は、鳥山石燕(せきえん)という画家の描く妖怪画を絶賛している。「彼が描いた妖怪の絵は、いかにも生き生きとして本当らしく、私たちの想像力を刺激する。彼の絵のほかにも妖怪の絵はたくさんあるが、ただ怖がらすだけの絵で、べつになんの味わいもない」。

悪さをしているようで、教訓的なのもいる。神社などでいたずらしようとするとでっかい頭が鳥居の上からどさっと落ちてくる。これは「おとろし」。柿の実をもぐのをさぼっていると顔になって落ちてくる「タンコロリン」。ぼろぼろの雑巾などを長く放置していると、空中を飛び、毒ガスのような異臭を放ち、人の首に巻きついてくる「しろうねり」。風呂の掃除をさぼっていると垢をなめに来るのが「あかなめ」。

ブロンズ像の妖怪の写真はずいぶん撮った。写真撮影のテクニック指南本などには、人物を写すときは目にピントを合わせよ、とあるけど、「べとべとさん」のように目のない妖怪の場合はどこに合わせるとよいのだろう。「百目」のようにたくさんあってもやはり困るのだけれど。妖怪撮影術、みたいな本、出ないだろうか。

現代の大都市は、わずかな自然を残すばかりで、ほとんどのものは人工物で構成され、夜でもいたるところ明るく、昔に比べれば格段に清潔である。まがまがしさ、おどろおどろしさというものが、ちっとも感じられない。こういうところでは、妖怪は住みづらいだろう。しかし、工事やメンテナンスのとき以外は決して人の立ち入らない領域というのはけっこうあるもので、案外とそういうところに妖怪はひっそりと息をひそめて暮らしているのかもしれない。

つい先日、夜遅い池袋駅構内のJR山手線ホームで、ブザーがビービー鳴り続けていた。「線路内に人が立ち入ったため、運転を見合わせます」とのアナウンス。鉄道警備隊が強いライトで付近をなでまわして捜すが、人の気配など、まるでなし。やがて運転を再開したが。あれはきっと妖怪「センサーだまし」のしわざ。人の目には見えなくても赤外線にはひっかかるような、伸縮自在の触手がいっぱい生えてて、蛸のようにうにょうにょ動かしているんだ、きっと。

●雨でも大した打撃を受けないイベント

さて、16(土)、17(日)は燕趙園で「中華コスプレプロジェクト」。何か月もかけてすごい情熱を注ぎ込んで制作した超豪華な衣装をまとったレイヤーさんたちが、一般的にはまだまだよく知れわたっているとは言いがたい鳥取県中部の中国庭園に、全国から100人近くも集まっているというのはきわめて非日常的な光景なのだが、それも第6回ともなると、いつもの光景が展開しているという安心感に変わっていたりする。

今回は土曜の後半から日曜の終わり近くまで、しょぼしょぼと雨が降っていたのがちょっとした不運で、みんなやや気分が沈みがちだったかも。でも、屋根のある場所に限ったってまだまだ広く、100人ぐらいでは混み合うというほどではない。直射日光の差した、いわゆるピーカンの状態のほうが、顔の上にくっきりとしたイヤな影がつかないようにと、撮る向きに制約を受けたりして、かえって撮りづらかったりする。それに、ピクニックの記念写真みたいになっては軽すぎる。こういう天気のほうが、しっとりとした落ち着きのある絵が撮れたりして、よかったりするのだ。

過去に何回も参加してきた人がけっこういて、久々の再会を喜び合う声がそこここで聞かれ、まるで同窓会のような和気あいあいとした空気に包まれる。今回、私が初めて会うと思って声をかけたレイヤーさんが実は5年ぶりの再会だったことに気がついて、驚き合った。撮っている間は気がついてなくて、後で手帳にコス名を書いてもらったら、見覚えがあり、ぱっと記憶が蘇った。

「大江戸のときの...」と言いかけると、相手にも思い出してもらえた。茨城県にある「ワープステーション江戸」で開かれた「大江戸コスプレ博」以来だ。後で調べると'94年7月のことだ。あのころはフィルムカメラで撮っていて、セミの抜け殻と二重撮りしたのがけっこう面白く撮れていて、誇らしい気持ちで自分のサイトに写真を載せていたのを、実は彼女も見にきてくれていたとのこと。ま、お互いにかなり強烈な印象を残し合っていたということのようで。ルタマさん。
< http://growhair2.web.infoseek.co.jp/Ooedo0407/Ooedo0407.html
>

鳥取県中部(倉吉)を拠点とするIT SOHO集団「鳥〜みんぐ」のサイトのローカルニュースページで、今回のイベントの模様が写真入りでレポートされている。
< http://www.treaming.net/modules/bulletin/article.php?storyid=1870
>

一日目の午後には滝ロケも行われた。去年は有志によるイベント外の企画として滝へ行ったのだが、好評だったのを受けて、イベントに組み入れられた。龍神が棲むと伝えられるこの滝は、ひんやりとした空気、巨大なシダの群生、みずみずしい色のコケなどが、確かにこの世のものでない何かが棲んでいそうなスピリチュアルな気配を感じさせる。やはり重厚な絵が撮れる、絶好の撮影ポイント。

二日目には、恒例のコスプレコンテスト。審査委員長は例によって鳥取大学の野田教授。このごろなぜか「世間は狭い」と思わされることが多々ある私だが、野田教授は、水曜日のデジクリの「武&山根の展覧会レビュー」の武さんとお知り合いなんですね。聞いてみたら、二度ほど会っていることをしっかり覚えていて下さいましたよ。>武さん

二人の司会のうちの一人は、玖珂谷龍斗さん。中野にある私の行きつけのメイドバー「ヴィラージュ・レイ」のkちゃんである。去年の5月に初参加、ゲーム「三国志大戦」の孫権の衣装でコンテストで優勝し、NHKで全国放映された。秋のイベントではポスターに写真が使われて、倉吉のちょっとした有名人に。で、今回は半分スタッフのような形で、司会と模範演技。

お願いするかも、という話は事前に人づてに聞いてはいたものの、ちゃんと仰せつかったのは金曜に鳥取入りしてからだったそうで。ほぼぶっつけ。そんなんで心配になったりしない主催者の古川さんの落ち着きぶりにびっくりだし、はいはい分かってましたとばかりに立派に役目をこなしちゃうkちゃんのしっかりぶりにもびっくりだけど、みんなお互いに性格を分かっていて、こともなげに進行していく息の合いっぷりが一番のびっくりポイントか。

kちゃんは、今回はZelasさんとペアを組んだ。お二人とも東京在住で、歩いて数分の近さなのはまったくの偶然で、しかも、Zelasさんの実家が倉吉なのも偶然。「三国志大戦」の後漢王朝の14代皇帝「賢帝(劉協)」とその母「王美人」を演じる。腹違いの兄「劉弁」が皇帝に就いたけど、先代に負けず劣らず(いや、負けて劣って)のダメダメ人間で、幼少の劉弁が座を横取りするような形で擁立された。毒殺された母親を目の前にして、「母上、母上」と叫び、途方に暮れるというシリアスな場面。二人とも迫真の演技で、会場はしんと静まり返り、空気が締まる。

コンテストには、5組がエントリー。「だんな一座」は第1回から毎回参加で、孫悟空役の小さな女の子がいつも親の期待をよそに、無関心の体で会場を大いに沸かせてくれる。4歳になり、少しは演技するようになり、それもまたかわいい。第3回優勝の筆龍(ペンドラゴン)のお二人は、今回もまた群馬からはるばると。優勝したのは初参加の「ヲダンス部」の4人組で、「十二国記」の景王、供王、延王、六太に扮した。

●倉吉の古い町並みも、見どころいっぱい

5月18日(月)には、主催者たちに、倉吉の古い町並みを案内していただいた。白壁土蔵群・赤瓦は倉吉駅から車で15分ほどのところにある。細い川の片側は道、もう片側は立ち並ぶ土蔵群の白い壁。手すりもなんにもない平べったい石の橋がいくつも渡してある。まるで時代映画のセットのよう。醤油の醸造所は博物館にしてもいいような風情だが、ちゃんと現役で稼動している。よいなぁ。
< http://yokoso.pref.tottori.jp/dd.aspx?menuid=1514
>

イベントの企画として、この辺もコス撮影可能エリアにしようかという話も持ち上がっていたのだが、滝ロケの希望者が圧倒的に多かったために見送られたらしい。実は、こっちにもいい撮影ポイントはいっぱいあるんだけどなぁ。切妻造の豊田家住宅は文化庁指定の登録有形文化財。これがもし東京近辺のフォトスタジオだったとしたら、1時間あたり2万円じゃすまないぞぉ、きっと。それが、偉い人が来たときの接待に使われる以外、ほとんど使っていないというから、めちゃめちゃもったいない話だ。
< http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=87687
>
< http://www.nashinohana.com/modules/smartsection/item.php?itemid=64
>

旧牧田家住宅も然り。二間の幅の玄関に式台を設けた構造は、殿様の許可なくしては造れなかったものだそうである。明治以来の御食事処・餅菓子処の「清水庵(せいすいあん)」もまた、時代劇のセットのよう。餅しゃぶがおもしろい。薄っぺらくて固い餅片を15秒ほど湯の中にくぐらせると、くたっとなる。
< http://www.ncn-k.net/seisuian/
>
谷口ジローの「遥かな町へ」は倉吉の上井(あげい)を舞台にした漫画だが、映画化の話が進行しているそうだ。

kちゃんとZelasさんはコンテストのときと同じいでたち。町行く車のわき見運転を誘発していた。目の前でエンストする車まで。下校する小学生には防犯ブザーを鳴らされるし。って、まあ、平和に暮らす町の人々を驚かせてしまったには違いないけど、決して恐怖に陥れたというのではなく、想像の斜め上をいく奇想天外さで笑いを撒き散らした感じ。みんな歓迎ムードで、一緒に楽しんでいただけたと思う。そのノリと勢いを携え、倉吉市役所へ。表敬訪問。副市長の増井氏と議長の段塚氏に会っていただけた。

このイベントは、東京近辺で開かれるコスプレイベントとは一味違ったあたたかみがあり、一度来るとまた来たくなる。実際、リピーターが多く、同窓会のように和気あいあいとしたムードである。スタッフが親切で、町をあげて歓迎していただいている感じが嬉しい。楽しんだ人はこのムードを大切にして、次回また次回と受け継いでいくのが恩返しになるかと思う。次回は10月24日(土)、25日(日)開催で、アジア大会。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。5月24日(日)は京都へ行ってきた。パフォーマンスユニット"Rose de Reficul et Guiggles"の無言劇を見に。ウェブサイトによると、「即興無言劇や歌、踊りに加え、近年では舞踏要素とノイズパフォーマーをエキストラに迎えての舞台を展開」するユニット。この前見たのは、3月8日(日)、サエキけんぞう氏がプロデュースしたイベント"SERAPHITA"で、渋谷の「青い部屋」にて。私の中では、暗い夜道を一人で歩いていたら、いつの間にか異次元に迷い込んでいて、気がつくとサーカス小屋があって、昼とは違ったショウが展開していた、そんなイメージ。ゴシックでダークでシュールなんだけど、視覚的にすばらしくきれい。今回の公演もよかった。ところで、1月24日(土)、永吉さん、くうさん(ヤマシタさん)、べちおさん、濱村さんたちとの大阪での新年会でお会いした方に、このイベントでばったり再会。ほんっと狭い世間。日本の人口って1,000人ぐらいだったっけ?
< http://victorian.cocotte.jp/
> "e;Rose de Reficul et Guiggles"e;サイト

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■編集後記(5/29)

・加藤廣「空白の桶狭間」を読む(新潮社、2009)。桶狭間の合戦といえば、織田信長が電撃的奇襲で今川義元を討ちとった戦いとするのが通説だが、「合戦はなかった」というのが本書のテーマである。それでは、桶狭間で何があったのか。いろいろな作家が桶狭間の合戦を描いて来たが、いままでにないまったく新しい解釈の(いや、創作の)桶狭間がここにある。歴史ミステリーだから、その内容をバラすのはルール違反、ヒントのみとするが、奇想天外な桶狭間作戦を立てたのは「山の民」出身の木下藤吉郎で、山の民の支援を得て実行したという設定である。まさに驚天動地、荒唐無稽も極まる大奇策と思いながらもおもしろく読んだ。そして、桶狭間の「真実」は今川方から語られることなく、事件は「嵐を突いての、堂々の奇襲戦法の勝利」という織田方の主張で定着した。結局、歴史は勝者によって作られる。日本の歴史はGHQが作った「別の歴史」であるように。この作品は、短編で済んでしまう程度の内容なのに、よけいなエピソードをむりやり追加して一冊に仕上げた観があるが、ひとまず上等なエンターテインメントだ。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103110333/dgcrcom-22/
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アマゾンで見る(レビュー2件)

・海外発の料理番組「毎日がイタリアン」をぼーっと見ていて、何か国内の番組とは違うんだよなぁと思っていた。他の海外発料理番組でも感じていたことだが。お部屋の一室という雰囲気がいいのかなぁ、でもそれだとフーディーズTV(CS)でやる番組だって、料理研究家さんのお宅で収録したりするし。お砂糖を入れる瞬間に、ああ、これかと。小さなボウルに入ったお砂糖を計量スプーンでざくっと量りながら入れたのだ。香りがいいの、とおしゃべりしながらバルサミコ酢を用意し、計量スプーンをお砂糖ボウルから取り出し、そのまま量ってフライパンに。アップになったその計量スプーンには、もちろん砂糖の粒がついたまま。おおー、家庭っぽい! 次にニンニクをと、これまたニンニクを丸ごと取り出し、がしっと房をちぎり、まな板に置いて包丁の上から手を叩き付ける。おしゃべりしながら皮をとってみじん切り。ハーブ類はその場で茎から葉をさばいて同じくみじん切り。その手際の良さやスピード感は、料理の手順の勉強になる。煮込んだり焼いたりする時間はカットするが、ほかは極力そのまま。海外発の料理番組には、絶対まずそう、というのもあって(この番組のは美味しそう)、あんまり見ていなかったのだが、こういうところが学べるなら面白いなと。/この番組で使われている包丁は、グローバル(吉田金属工業)製?(hammer.mule)
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