[2688] 大原麗子のスウィートヴォイス

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<夏休みが終わってしまった……。>

■映画と夜と音楽と…[429]
 大原麗子のスウィートヴォイス
 十河 進

■ところのほんとのところ[22]
 写真家が写真家を褒める
 所 幸則

■デジアナ逆十字固め…[95]
 眉を剃ってセルフポートレイト
 上原ゼンジ

■セミナー案内
 DTP Booster 006(Tokyo/090915)「Photoshop特集」
 CSS Nite in OSAKA, Vol.18 with デジタルハリウッド大阪校
 「夏の自由研究 〜HTML5ってどうなのよって話〜」


■映画と夜と音楽と…[429]
大原麗子のスウィートヴォイス

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090821140500.html
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●大原麗子さんの早すぎる真夏の死

大原麗子さんが亡くなった。孤独死はまだしも、2週間も遺体が発見されなかったことに衝撃を受けた。どちらにしろ死ぬときはひとりだが、華やかな女優の死だけに哀れさが募る。それに、60を過ぎたばかりだ。ニュースを聞いて、あの独特なスウィートヴォィスが甦った。しかし、テレビニュースでは、彼女がテレビを仕事のメインにしてからのことしか紹介していなかった。

大原麗子といえば、僕にとってはズベ公(死語かもしれませんね。この後、スケバンという言葉ができました)映画の女優なのである。緑魔子というセクシーさを売り物にした女優はデビュー当時から脱ぎっぷりがよくて、60年代半ばの頃によく週刊誌のグラビアを飾っていたが(今で言うグラビアアイドル?)、その緑魔子主演映画の脇に出ていたのが大原麗子だった。

大原麗子は1965年に「可愛いあの娘」「いろ」「ダニ」「かも」「地獄の波止場」「夜の悪女」「網走番外地 北海篇」という映画に出ている。ほとんどが私生活でも「夜の帝王」と呼ばれた梅宮辰夫の主演作であり、緑魔子がヒロインを演じていた。それにしても、ミもフタもないタイトルである。もう少し何とかならないものか。

テレビの普及で映画の観客がどんどん減少していた時代である。映画会社はエログロに走った。東映もご多分にもれなかったのだが、エロ映画に高倉健や鶴田浩二を使うわけにはいかなかったし、佐久間良子、丘さとみ、大川恵子、桜町弘子といった東映城のお姫様たちを脱がすこともできなかった。藤純子はプロデューサーの娘だから、そんな映画には出るはずはない。

そこで、二線級の梅宮辰夫を主演にしエロを担当するのは新人女優になった。緑魔子であり、三島ゆり子や新東宝から流れてきた三原葉子などである。当時は、大原麗子もセクシー系だったのだ。もっとも緑魔子と違い、大原麗子はテレビへの進出も早かった。TBSで朝に放映されていた若者向け情報番組「ヤング720」の司会者は男女ペアの日替わりで、関口宏、竹脇無我、松山英太郎、小川知子、由美かおる、大原麗子などが担当していた。

その頃、僕は中学生だった。学校にいく前に「ヤング720」を見て最新の映画情報をチェックし、「今週の歌」のコーナーに出演していた新しいグループサウンズ(タイガースはこのコーナーで初めて見た)の歌を聴いた。そんな多感な少年は、通学の途中、「いろ」「ダニ」「かも」の看板に描かれた新人女優たちの半裸(いいとこ下着姿でしたが)を見て興奮していたのである。

1966年も大原麗子は「夜の牝犬」「非行少女ヨーコ」「夜の青春シリーズ 赤い夜行虫」などで緑魔子と共演、やがて梅宮辰夫のヒットシリーズ「不良番長」(1968年)への出演につながっていく。その頃になると、東映の時代劇には「大奥」シリーズが登場していて、大原麗子はそちらにも出演していた。歌謡映画やドリフターズの映画にも駆り出されたりした。

僕はなぜか「三匹の牝蜂」(1970年)という映画をよく憶えている。場末の三番館で見た三本立ての一本だった。勉強もせず、映画館に入り浸っていた浪人時代に見たのだろう。日活でも主演を張っていた夏純子の主演だった。大原麗子は、タイトルロールの二番目にクレジットされている。この映画をよく憶えているのは、共演が渡瀬恒彦だったからだ。

大原麗子が渡瀬恒彦と結婚したと聞いたとき、僕は「あの映画で共演して意気投合したのかな」と咄嗟に思った。渡瀬恒彦は東映に入社したばかりで一般的にはまったく知られていなかったし、チンピラ役ばかりやっていた。たまに知っている人がいても「ほら、渡哲也の弟で、そっくりな人」と言われていた。

●視聴者が誰も気付かなかった渡哲也の代役

渡瀬恒彦は早稲田を出て電通に入社したが、兄のところに遊びにいったとき、兄たちがやっているマージャンのレートが驚くほど高く「俳優の方がもうかるらしい」と思って東映に入った。その話は、渡哲也もインタビューで話している。同じインタビューで「弟の方が芝居はうまいですよ」とも断言していた。確かに渡瀬恒彦の方が下積みが長かったせいか、演技力はある。

渡瀬恒彦の映画デビューは1970年だから、「三匹の牝蜂」は映画に出始めてすぐの頃だったのだ。渡瀬恒彦の若い頃は渡哲也とそっくりで、それが逆に作用してあまり売れなかった。何しろ渡哲也が病気で途中降板したテレビシリーズ「忍法かげろう斬り」を渡瀬恒彦が引き継いで主演したのだけれど、視聴者は誰も気付かなかった。

というのは、ちょっと大げさかもしれないが、放映されていた1972年当時、渡瀬恒彦という俳優の存在を知っている視聴者はあまりいなかったし、まさか渡哲也にそっくりな人間がいるとも思えなかったから、本当に代役に気が付かないで見ていた人はいるはずだ。僕も、毎週、見ていたのだが、ある日、気付くと渡瀬恒彦になっていたのである。

昔、五味康祐の「柳生武芸帖」の映画化を想定して、架空のキャスティングを映画好きの友人とよく話し合っていた。主演の霞の兄弟役(東宝の稲垣浩監督版では三船敏郎と鶴田浩二が演じた)については、渡哲也と渡瀬恒彦兄弟以外に考えられないと意見が一致した。その渡瀬恒彦が大原麗子と結婚したのだから、渡哲也は大原麗子の義兄になった。

日活映画「大幹部 ケリをつけろ」(1970年)という映画を見たのは、70年代の半ばだったろうか。封切りでは見ていない。その映画を見ながら「渡が義理の妹とラブシーンをしているな」と意味もなく思ったのが、なぜか未だに記憶に残っている。だから、大原麗子と渡瀬恒彦が結婚している時期に見たに違いない。

僕は人斬り五郎こと藤川五郎を主人公とした「無頼」(1968年)シリーズをこよなく愛す人間ではあるが、その「無頼」シリーズの後、渡哲也は似たような設定の「前科」シリーズや「大幹部」シリーズ、「関東」シリーズなどに立て続けに主演した。「無頼」の夢を求めて、それらの映画を僕は池袋文芸坐で見続けたけれど、「無頼」シリーズほどの切なさは感じられなかった。

「大幹部 ケリをつけろ」にも落胆した。新鮮味を求めてヒロインを東映から借り出した大原麗子にしたのだろうが、それが失敗だった。「東京流れ者」(1966年)や「無頼」シリーズでヒロインをつとめた、いつも泣き出しそうな顔の松原智恵子がいないと、渡哲也の切なさは際立たないのである。大原麗子は、強い女なのだ。男がいなくても生きていける気がした。儚げで守りたくなる松原智恵子とはタイプが違った。

渡哲也は1974年、NHKの大河ドラマ「勝海舟」も病気のために数カ月で降板した。いくらそっくりだと言っても、さすがに知名度のない渡瀬恒彦では視聴率が取れないと判断したのか、NHKは松方弘樹を代役に立てた。勝海舟の妾役(勝は妻妾同居で有名)を演じたのは大原麗子だった。このあたりから、大原麗子はテレビを仕事のメインにして大女優になっていく。

大河ドラマ「勝海舟」の脚本は、倉本聰さんが担当していた。渡哲也に入れ込んでいた(その後、倉本さんは病気から復帰した渡哲也のために「大都会」を書く)倉本さんは、NHKとトラブルになって嫌気がさし北海道に移住する。これは後の話だが、倉本さんが移住したおかげで富良野が有名になり、国民的ドラマ「北の国から」も生まれるのである。

「勝海舟」を降り、病気療養中だった渡哲也の入院費を支払ってあまりあるヒットを記録したのが「くちなしの花」だった。その年の暮れ、紅白歌合戦に渡哲也は大河ドラマの途中降板を詫びて出演し「くちなしの花」を歌った。当時、友人が「『くちなしの花』を聴くと大原麗子をイメージする」と言っていたが、僕は松原智恵子を連想した。大原麗子には、さびしげで薄幸なイメージはない。彼女からは、いつも力強さを感じた。

●「ロマンチックが、したいなあ」というキャッチコピー

大原麗子さんの逝去のニュースでよく取り上げられていたのは、「少し愛して、なが〜く愛して」というサントリーのCMである。1980年頃から数年にわたって放映されていたと思う。そのシリーズで僕がよく憶えているのは、ポスターで使われたキャッチコピー「ロマンチックが、したいなあ」というもので、確か糸井重里さんの仕事だったはずだ。

脂がのった30半ば、この頃の大原麗子は絶頂期だった。甘えたようなスウィートヴォイスが、見つめる目が、男たちの背筋をゾクゾクさせた。そのCMの大原麗子に反応したわけではなく、純粋にキャッチコピーの「ロマンチックが、したいなあ」が気に入ったので、同僚や先輩と飲むと「ロマンチックが、したいなあ」と僕はしきりにつぶやいていた。

そんなある日、いつものように会社の先輩と飲んでいるとき、怖い先輩で後に広告写真専門誌「コマーシャル・フォト」編集長になるK女史に、「あんたね、あのコピーの意味わかってんの?」と強い口調で問い詰められた。彼女は若い頃から糸井さんとも親交がある人で、広告関係については専門家である。「そう問われると、わかりません」と答えた僕に、K女史は「アレがしたいって、ことなのよ!」と留めを刺した。

「ロマンチックな愚か者」という言葉を過剰に愛し、人生にロマンチックな夢を抱いて生きていた僕は、そのひと言でかなり沈んだ。サディストぎみのK女史は、そんな風に僕が落ち込むのを見たかったに違いない。日常的にも言葉が強い(後年、彼女が部下たちを叱りつけているのを聞いて僕は身が震えた)人で、日常的にも「私はソゴーが嫌いだ」と公言していた。おそらく彼女が嫌ったのは、僕の“甘ちゃん”な部分だったのだと思う。

そんな会社一強い女であったK女史は、ある日、大原麗子さんと対決することになった。K女史は、その頃、CMの現場取材の連載を持っていた。小型カメラとテープレコーダーを持って制作現場に入り、写真を撮り、インタビューし、原稿を書くのである。その仕事は彼女も気に入っているらしく、いつも張り切って取材していた。

そして、サントリーレッドの新作CMも取材することになった。監督は巨匠・市川崑さん(取材後にK女史に確認したら、やはりずっとタバコを歯の間に挟んでいたそうだ)である。場所は、東宝あたりの撮影所のスタジオだった。もちろん、出演するのは大女優の風格が出てきた大原麗子さんである。しかし、K女史がそんなものに怖れを抱くわけがない。

ところが、大原麗子さんは強かった。スタジオで市川監督に演出され、ムービーキャメラに向かって演技をしていた大原さんは、小型カメラを向けるK女史の存在を知ると、「私を写しているカメラがふたつある。私はどっちを意識すればいいの!」と語気鋭く言い放ったという。つまり、女優としての意識が分散される、早い話が気が散って演技に集中できない、と抗議したのである。

それほどはっきりと言われると、さすがのK女史も何も言えず、取材用のカメラをバッグに仕舞うしかなかったという。珍しく落ち込んだ様子で、その話をするK女史に、内心では「たまにはギャフンと言わされた方が…」とほくそ笑みながら、僕は「まあまあ、飲みましょう」と彼女のグラスにビールを注いだものだった。

しかし、そのときにK女史に聞いたエピソードから、僕は大原麗子の女優魂みたいなものを感じた。案外、映画では代表作が少ない人だが、印象的な役として記憶に残るのは、高倉健がほとんどセリフを言わず彼女自身の出番も少ないけれど「居酒屋兆治」(1983年)と、市川崑監督作品で主演の吉永小百合と男を取り合う芸者役だった「おはん」(1984年)を僕は挙げたい。

加藤登紀子の名曲「時代遅れの酒場」を健さんが渋い声で歌い、「兆治さん、あなたが悪いのよ」と囁くような大原麗子のナレーションがかぶさる「居酒屋兆治」のテレビスポットを僕は甦らせる。彼女の声が、僕の耳の奥に刻み込まれているのだ。あんな風に囁かれたら、ストイシズムの化けもののような健さんと違って、僕は何でも言うことを聞くだろう。それほどの力を持つスウィートヴォイスだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
大原麗子さんの原稿を書いていたら、山城新伍さんの訃報が報道されました。同じ東映の役者だったふたりは、「不良番長」シリーズなどでも共演しています。山城さんについては、改めて書きます。主演作はあまりない人でしたが、映画が好きでたまらないのが伝わってきました。それに、硬派な論客でもありました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
>
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[22]
写真家が写真家を褒める

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20090821140400.html
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●いいと思ったら心から褒める

写真家が写真家を褒める。それはなかなかできないことだったと、ハービー山口さんが先日のトークショーで言っていた。若い時に、一枚いいのがあったのに悔しくてその写真家を褒められなかったことがあって、自分は小さいと思ったそうだ(いまはもちろん、よければちゃんと褒めるそうです)。

ハービー山口さんの一番新しい写真集には、アラーキーが帯で褒めてくれているが、10も年下の写真を褒めるのもなかなか勇気がいるから、アラーキーは凄いとも言っていた。そしてうれしかったそうだ。ぼくも10も年上のハービーさんに褒められてうれしかったです。つまりハービーさんも凄いのですよ。

みんな意外に思うだろうけれど、きっちり正面から写真家に褒められるということは、ぼくもあんまりないんです。特に先輩の写真家の方からは。ハービーさんにしてもそうだと思う。だから、うれしかったとわざわざ言ったんだろうなあ。

[ところ]が人から言われるのでは、ところさんは凄いから当たり前、みたいなニュアンスがとっても多いです。年下から言われる場合は、そういうのが一番多いし、年上からは何となくはぐらかすような言い方が多い。シャイと言えばそうなのかもしれない。あとは悔しくて妬み半分、陰で悪口をいう人もいたり……。

[ところ]は、いいと思ったら本当に褒める。もう少しでよくなりそう、ってことも度々言うのだが、問題は、それを褒められてると思わない人が多いらしいことだ。よくなりそう、って[ところ]としてはかなり褒めてるに近いし、応援していることがほとんどなんだけどなー。のびて欲しいと思わなければ、よくなりそうなんて言わないしね。

プロの場合は、特に手放しで褒めるというのは[ところ]の身近では数人しかいないけれど、それは[ところ]としてはまったく本気で見てるってことなんですよ。

[ところ]は自分が上に行きたいという意識は強いけど、自分の評価で人を下げて、自分が上がったように感じて喜ぶという考え方はまったくないです。人を下げても、世の中から見た[ところ]の位置は同じですから。ただし、[ところ]はだれでも一応褒めとこうっていう性格でもないから、そこんとこよろしく。

●「One second book(1秒の本)」

さあ、いよいよ本が出る。楽しみである。ハードカバー、B5(257mm×182mm)18ページ、2008年6月から9月までの初期作品を全て収録。渋谷の「one second」撮影ポイントMAP、「One secondとはなにか」に迫る大学時代の友人とのメールでのやり取りも掲載。1,890円で販売。取り扱いショップは──
新宿御苑/蒼穹舎 < http://www.sokyusha.com/
>
川崎/PROGETTO < http://www.progetto.co.jp/
>
恵比寿、渋谷、他系列店/
NADiff < http://www.nadiff.com/home.html
>

各ショップ、どこで購入してもポストカードがつきますが、蒼穹舎は大田通貴さん(森山大道を見い出した方)が選んだ、〈東急文化会館跡地に吸い込まれる銀座線と工事現場の男〉が入ってます。PROGETTOの柳喜悦さん(80年代〜90年代前半、六本木ABCで仕入れ担当)が選んだのは、〈渋谷東口バスターミナルを駆ける少女〉が入ってます。NADiffは、本の中から[ところ]セレクトの12作品がランダムで入ってます。

限定少部数なので、予約するのが無難だと思います。8月31日までに予約された方には、要望があればつたないサインですが、させていただきます。

●もうすぐ「東京フォト2009」

さて、ぼくの友人が9月4日からはじまる「東京フォト2009」について面白い文章を書いていたので、紹介しようと思う。

 《シンモトテツシ 東京フォト2009》

 TOKYO PHOTO 2009の開催が近づいてきた。小生は、行けない(悲
 [開催概要]
 会期:2009年9月4日(金)〜6日(日)
 会場:ベルサール六本木1F/BF
 東京都港区六本木7-18-18 住友不動産六本木通ビル
 企画運営:東京フォト委員会
 同時開催:「PHOTO AMERICA」展
 協力:アメリカ大使館、サンディエゴ写真美術館
 < http://www.tokyophoto.org/
>

 詳しくは、所幸則氏の写真が掲載されているプレスリリース(PDF)を参照*
 されたい。所幸則氏の写真が、こんなプレスリリースのトップで紹介される
 とは……。当然といえば当然だが、日本発の本格的な写真見本市において、
 所氏の評価がいかに高いかが分かる。ずっとこのブログでも彼のシリーズ
 「1sec」を紹介してきたが、やはり見るべき人たちは彼を見ている。納得だ。
 現物を間近で見たいもんだな〜〜、いやぁ〜残念。
 *< http://www.tokyophoto.org/data/pressrelease02.pdf
>

 そして、今回の「東京フォト2009」には、所氏の大学の2年後輩にあたる菅
 原一剛氏の作品も出品されるはずだ。彼も秀逸な感性の持ち主だ。菅原一剛
 氏の写真を見たあと、所氏の写真を眺めてみると、あるいは対比でも良いの
 だが、ちょっとした面白い混乱がある、、(^^)

 菅原氏の「悩み多き写真」の答えが、所氏の写真の中にあるとでもいえばい
 いだろうか……。いや、逆だな……。所氏の写真を鑑賞した後、菅原氏や他
 の作家の写真を見渡してもらった方がいいかもしれない。色々な有名作家の、
 創作における迷いや悩みがきっと見えてくる。写真という媒体を通して、写
 真作家たちが何をやりたいと思ってきたのか、それらの答えが、所氏の作品
 の中に見え隠れするだろう。小生は、特に菅原一剛氏の写真に対して、その
 答えを顕著に感じたが、多くの人たちは何を感じるのだろうか。

「東京フォト2009」は、日本写真界の記念すべきイベントだが、写真界の新しい一歩にもなって欲しい。[ところ]も、このシンモトテツシの言葉をふまえながら見てこようと思う。

もちろん、この「東京フォト2009」のギャラリー21のブースでは、[ところ]の作品集も売っています。ぼくも会場にいる予定ですが、回りのギャラリーに行っていることもあるので、21の方に言って下されば会えるし、プリントや本を買って下さった方にはサインもします。
< http://www.tokyophoto.org/jp/exhibitor_gallery21.html#15
>

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
>

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■デジアナ逆十字固め…[95]
眉を剃ってセルフポートレイト

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20090821140300.html
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フォトセッション(正式には「FOTO SESSION '86」)は、私が在籍した写真のグループだ。伝説の写真雑誌「写真時代」が企画した、読者参加型のイベント「写真時代倶楽部」に集まったメンバーを中心に1986年に結成された。中野富士見町にアジトと呼ばれるアパートを借り、月に一度の例会を開いて、森山大道さんに写真を見ていただいた。

アパートには現像設備も作ったので、「写真をやってみたい」と思い始めていた私は、そこで現像ができるという魅力にも惹かれて参加することにしたのだった。

フォトセッションに参加する前は、カラーポジフィルムのコダクロームで撮影していたが、参加してからはモノクロネガフィルムのTri-X400を自分でパトローネに詰めて使うようになる。これで月光の4号という印画紙にプリントするとコントラスト強い写真が焼けるのだが、みんな同じように硬くて黒い写真を焼いていた。森山大道に憧れて、ヘタな真似をしていたというわけだ。

何を撮っていたのかと言えば、街中をふらついてのスナップ写真だ。「写真をやる」イコール「モノクロでスナップ」みたいなイメージは今でもあるが、まあ当時の私もそれをなぞっていたというわけだ。

ただ、毎月森山さんに写真を見て貰う時に「ウケたい」という願望があり、当時からちょっと変なことをやっていた。たとえば、いったんプリントした印画紙に薬品を塗って、わざとムラを作ってみたり、人工着色してみたり。人工着色自体は珍しくないが、写真に水玉模様を描いて持っていった時にはちょっとウケた。

フォトセッションでの活動を開始してしばらくすると、私は会社を辞めることを考え始めた。当時私は本の雑誌社で編集の仕事をしていたのだが、日曜日以外は自由になる時間がなく、もっと撮影やプリントに費やせる時間が欲しくなってしまった。会社を辞めてカメラマンで食って行こう、とかいう話ではない。ただ、写真が撮る時間欲しかっただけだ。

1986年の4月からフォトセッションの活動が始まり、夏の終わりに退職を願い出た。引き継ぎをきちんとしていって欲しいと言われ、その年いっぱい在職した。そして年明けからフリーの身となり現在に至る、というわけだ。

●上原ゼンジのツラ

フリーとなり時間がいっぱいできた私はまず、スキンヘッドにした。それまでもいろんなヘアスタイルにしてきたのだが、丸坊主というのはやったことがなかった。不摂生な編集者生活で太ってしまった私は、丸坊主にして痩せていく過程を記録しておこうとした。

完全に剃り上げてしまう前にまず、おでこにアールを入れた。生え際を曲線に剃り上げたということですね。そんなことをやっている人は見たことがなかったので、ちょっとやってみた。そして顔に油を塗り、オールバックにして撮影した。

自分で頭をツルツルにする勇気はなかったので、曲線剃り込みが入ったまま床屋に行った。床屋のお兄ちゃんは不気味なオデコの人間を見てどう思っただろうか? けっこう時間をかけて剃り上げてもらったが、「眉毛を剃ってください」というのは止めにした。それじゃ怪し過ぎる。

家に帰ると一人で眉剃りの儀式を敢行した。それまでは尊いお坊さんのような姿だったけど、いきなり凶悪な顔つきになった。眉毛は社会との架け橋だったんだな。反社会的になりたい人は眉毛を剃ればいいんだよ。興味ある方はぜひお試しください。

ポートレイトのパターンはいろいろ考えていて、たとえば小さな発泡スチロール球を頭にいっぱい張り付けて、仏像化するというのがあった。しかし、頭に接着剤を付けた場合に、頭皮にどのような影響をおよぼすのであろうか? ということを考えるとちょっとビビってしまい、このアイデアはボツにした。いつか自毛でリアル大仏カットに挑戦してみたい。

あとは、シャッタースピードを遅くして、頭を振り回して撮影するとか、鼻の穴にチューブを差し込むとか、まあ、そういったことをいろいろと試してみた。当時の写真を少しWEBにアップしてみた。ご興味ある方はどうぞご覧下さい。

◇上原ゼンジのポートレイト集
< http://www.zenji.info/profile/portrait.html
>

●山崎弘義さんの写真展

フォトセッションのメンバーはけっこうしつこく写真を撮り続けているけど、その中の一人、山崎弘義が現在写真展を開いている。山崎さんは路上で人間に肉薄する写真を撮ってきた。しかし、近年は認知症になったお母さんの看護で、そういった写真も撮れなくなっていたようだ。

そして、ある時から山崎さんはお母さんのポートレイトを撮り始める。お母さんを撮影した後に庭の片隅を撮影、ということを3年の間毎日繰り返し、1149カットの写真を撮影。その中の約40点が現在展示されている。

◇山崎弘義写真展「DIARY」
< http://www.upfield-gallery.jp/
>
会期:8月20日(木)〜9月6日(日)12:00〜19:00
会場:アップフィールドギャラリー(東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル304 TEL.03-3265-0320)

・山崎弘義ホームページ
< http://homepage3.nifty.com/hiroyama/
>

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com

・上原ゼンジの新刊
「ボケ/ブレ不思議写真術 カメラプラス」雷鳥社(1,575円)
< http://www.zenji.info/profile/book/fushigi/fushigi.html
>
・上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
>
・上原ゼンジのブログ
< http://zenji.jugem.jp/
>

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■セミナー案内
DTP Booster 006(Tokyo/090915)「Photoshop特集」
< http://www.dtp-booster.com/vol06/
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090821140200.html
>
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日時:9月15日(金)19:00〜21:00
会場:デジタルハリウッド本校セミナーホール(東京都千代田区神田駿河台2-3 DH2001Bldg.)
参加費:3,000円(事前決済)
定員:120名(事前登録制)

講師:
◇藤本圭(株式会社テイク・フォト・システムズ)
< http://www.take-photo.co.jp/
>
フィルムメーカーのスタジオカメラマンから責任者を経て退職後、コマーシャルスタジオのデジタル化や大型写真館の立ち上げなどを請け負う。現在は主にブライダルアルバムやポートフォリオの制作、Photoshopによる写真加工を主に行う。その他に写真スタジオの効率化やデータベースを含めたPhotoshopワークフロー構築、Photoshopのセミナーなど幅広く活動中。Photoshopに関連する得意な領域は、大学時代に勉強した人間の視覚や認識と画像の関係。

◇まめこ(ウープスデザイン)< http://blog.woopsdez.jp/
>
小学生の頃から好きだったもの作りの世界からそのままデザイナーに。デザイン事務所・IT企業を経て2009年に「燃えるココロをデザインに。」と熱血路線でフリーランスデザイナーデビュー!! 現在はネタのような合成や音声・映像編集もできるデザイナーを目指し勉強中。企画から考えるアホなデザインならお任せあれ。「こげぱん」に似てる。趣味はバンドTシャツ集め。

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■セミナー案内
CSS Nite in OSAKA, Vol.18 with デジタルハリウッド大阪校
夏休みの宿題やっつけスペシャル
「夏の自由研究 〜HTML5ってどうなのよって話〜」
< http://osaka.cssnite.jp/vol18/
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20090821140100.html
>
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日時:8月28日(金)19:00〜21:00
会場:デジタルハリウッド大阪校(大阪市北区西天満6-5-17 デジタルエイトビル)
参加費:無料
参加表明:< http://atnd.org/events/1340
>から。

講師:
村岡正和(バスタイムフィッシュ)
秋葉秀樹(CSS Nite in OSAKA代表、デジタルハリウッド大阪校講師)

内容:Microsoftも本腰を入れて動き始めたHTMLの新規格「HTML5」について、現時点での情報を共有しながら、どんなものなのか、何が出来るか、どうなりそうか、といった話を一緒にしませんか。今回は夏休み終了を目前にしての緊急開催。でも夏休みの宿題って、こんな感じでしたよね。過ぎた夏の日への追憶と共にお届けします。
スピーカーとして、ITエンジニアの村岡正和さんに参加いただいて、CSS Nite in OSAKA代表でクリエイターの秋葉秀樹と、それぞれの視点から見たそれぞれの「HTML5」を語りつつ、来場された皆さんも交えて、情報&意見を交換できればと思っています。
内容も場所も少しいつもと違ったテイストでお届けするVol.18、お楽しみに!
(主催者情報)

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■編集後記(8/21)

・長いようで短かった夏休み20日間。朝一のウォーキングと午後一の昼寝を規則正しく実行したが、それ以外に達成したものはな〜んにもない。この地に来て5回目になる「戸田橋花火大会」を、初めて自宅のテラスからちゃんと見た。最初の年は、ほとんど部屋の中で震える犬と一緒にいた。それでも、年を追う度に犬は花火に慣れて来たのか、怯えて大騒ぎすることがなくなってきて(爆竹や家庭用花火の音にはいまだにパニック)、今年は仕事部屋に置いたベッドでそこそこおとなしく寝ていた。わが家は一階だから、花火の方角にある建物が視界に入るものの、上空に上がった花火は欠けることなく完全に見える。ビールを飲みながら、1時間45分のみごとなショーを堪能、大いに満足した。当日の朝に会場周辺を歩いたら、土手の斜面は場所取りのブルーシートで隙間なく埋まり、早くも多くの人がいた。花火の最中に近所の土手に上がってみたら、ここもまた大混雑だった。これでは後始末が大変だと思う。翌日、朝6時半に犬の散歩で土手に行くと、なんと一片のゴミも残っていない。8時に会場に向かうと、手にゴミばさみを持った人たちがゾロゾロ帰って来るのとすれちがう。そして会場もキレイサッパリ、みごとに元通りの土手になっていた。伝統ある行事は市民たちが支えているのだ。いいものを見た。マンション住まいでは近隣との交流がない。個人的に町内会の活動に参加しようかなと思う。(柴田)
< http://www.todabashi-hanabi.jp/
> 戸田橋花火大会

・夏休みが終わってしまった……。毎度のことだが、やり残しがいっぱい。「何もしない日」を設けることができたのが、この休みの一番の収穫。今は5月病ちっく。/映画「8月のシンフォニー」を観てきた。川嶋あいさんの生い立ちが書かれた書籍が原作。川嶋あいさんや「あいのり」のことは知らず、路上ライブ、阪神大震災の被害地区でのライブ、学校建設というキーワードを断片的に知るのみ。この映画を観る前にライブに行ってみて、心の動かされる声と歌詞だと思った。歌が上手いとか下手とかの次元とは違う感じ。なんとなく「可愛い子」というイメージがあったが、「強い人」というイメージに変わった。映画は彼女の生い立ちが軸ではあるものの、取り巻く人たちの言動が描写されていて、私はそちらに興味を持った。路上ライブをやったり、コンサートホールに交渉してみたりと彼女自身の行動力を知って、自らを振り返り、心が痛くなったり恥ずかしくなったり。「天は自らを助くるものを助く」「雨垂れ石を穿つ」を体現した人だったんだな。こういう映画は老若男女問わず観て欲しい。/ゼンジさんの遍歴を知った後は、DTP Boosterへ。10月に大阪で開催するよん。9月15日は東京でPhotoshop特集。参加表明(正式申し込みは後日)受付中!(hammer.mule)
< http://japan.zdnet.com/sp/feature/08mental/story/0,3800086250,20371983,00.htm
>5月病にならないための10カ条
< http://www.8gatsu-eiga.com/
>  8月のシンフォニー
< http://www.dtp-booster.com/vol06/
>  Photoshop特集