[2702] 猛暑の魚津を散歩するの巻

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《Web屋であることの最大の醍醐味》

■わが逃走[50]
 猛暑の魚津を散歩するの巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[129]
 プロジェクトの生まれるところ:提案@コンペ
 三井英樹

■デジアナ逆十字固め…[96]
 青焼きの感光紙で撮影してみる
 上原ゼンジ


■わが逃走[50]
猛暑の魚津を散歩するの巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20090910140300.html
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みなさん、こんにちは。暑かったり寒かったりする今日この頃ですが、先日の朝起きるとなんだか熱っぽいので体温を計ってみたところ38度5分もあって、で、慌てて医者に行ってインフルエンザかどうか調べてもらったところ幸い陰性でした。

とはいえ意識はもうろうとして、とるもの手につかず。さらに熱が下がったところで、手と足と腹に不気味な斑点が出まして再度医者へ行ってみたところ、『手足口病』という2歳児がかかる病気であることが判明。「いやー、大人がかかるのもめずらしい」と医師に褒められましたとさ。「なあに、2〜3日で治るよ」と言われたら、本当に治った齋藤です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

なんだかんだでこの連載も50回目を迎えることができました。よくもまあ、こんなくだらない話を書き続けたもんだと自分で自分を褒めてあげたい。で、50回といえば一応節目ってことなんで、それなりに盛り上がりそうなテーマを考えてみたものの結局どれもパッとしなかったので、例によって狭く深い散歩の話とか、テキトーに書くことにしました。

●「何もない」印象の魚津駅前

またもや富山ネタである。7月に富山へ行った際、JR魚津駅をちょっと過ぎたあたりの車窓に、なにやらイイ雰囲気の工場を発見した。家に帰って地図帳を広げてみると、日本カーバイドという会社の工場であることが判明。で、さらにじっと地図を見てみると、魚津駅から不自然になだらかなカーブを描いて工場へと繋がる道がある。え? これってもしかして廃線跡??

さっそくネットで調べてみたところ、かつてそこには工場への専用線が敷かれており、工場と駅の間を蒸気機関車が貨物列車を牽引していたそうな。蒸機と聞いちゃ黙ってられんわい、ということで蔵書をひもといてみたところ、近所の村木小学校にドイツはコッペル社製の小型SL『日本カーバイド1号』が保存されているとある。こりゃー、見に行きてえ。で、見に行ってきました。

今回の旅では富山に2泊した。初日は県立近代美術館をじっくり見て、寿司を食って飲んだくれておしまい。

翌日、朝から富山地方鉄道でまず立山へ向かい『立山カルデラ砂防博物館』を見学。ここがまたすげークオリティ。地形好き必見。

昼過ぎに寺田経由で新魚津(JR魚津駅に隣接)に向かい、遅い昼食をとる。つもりだった。が、駅前には何もない。JR魚津駅側に出てみると、広くてきれいな再開発された駅前が広がっていたが、何もない。ホントは店もあれば人もいるんだけど、印象として何もないのだ。魚津といえば名の知れた地方都市なのに、なんでこうも寂しいのだろうか。ぐるっと見回してみても、どこも店じまいしている。ような印象。

ホントは営業中なんだろうけど、どこもかしこもそういった印象なので、結果として「何もない」と同義語なのだ。天気は快晴。暑い。なんとかしたい。駅の端っこへ移動してみると、『コーヒーとカレー』と書かれた看板が目についた。もはや何でもいい、腹が減った。

という訳で、その建物の狭くて急な階段を登り、2階にある喫茶店(というか地元のスナックが昼間は喫茶店と名乗ってる感じ)に入った。で、カレーとコーヒーを注文し、待つこと数分。昭和風の深い楕円の皿に盛られて出されたカレーライスを一口食べて驚愕する。旨い。スゲー旨いのだ。

スミマセン、正直全然期待してなかったのですが、なんか凄いっす。独特のコクと香り。ほんのりとした苦み。◯◯系などとジャンル分けできないオリジナリティ。どうにも腹が減っていたので、黙々と食べてとっとと出てきてしまったから店の名前も覚えてないが、あとからあとから、思い出とともにあの旨いカレーが脳裏をよぎるのだ。ああ、お店の人にもっと美味しいと言えばよかった。スミマセン、また行きますんで、美味しいカレーを食べさせてくださいませ、お店の人。

●「人っ子一人いない」線路とSLを見に

陽も傾きつつあるので、目的地に行こう。再度JR魚津駅側の地下道を通り、海側に出る。自転車置場以外何もない。線路を左手に見つつ歩き出すと、道が右に向かってゆるーくカーブしている。おお。地図で見たとおりだ。当たり前だけど。

道に沿って、すぐ脇の築堤も道に沿ってカーブしている。これってもしかして廃線跡か? にわかに早足になってくる。と、発見! 線路がまだあったー!
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/01 >

以前踏切だったであろう場所から先には、まだレールが西日をにぶく反射させながら続いていたのだ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/02 >

公園になるでもなく、宅地にされるでもなく、当時のままにゆったりと弧を描きながら工場へと延びるレール。その昔、ここを貨物列車を引いた蒸気機関車がトコトコと走っていたんだなあ。しばし感慨にふける。周りには相変わらず人っ子一人いない。住宅地なのに。

線路に沿って歩きはじめる。ゆるやかなカーブが続く。しばらく歩くと、小さな小さな川を渡って広い道に出る。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/03 >

線路はそこで途切れていたが、道の向こうの工場の敷地から再び始まり、機関庫跡と思われる建物へと続いていた。ああ、柵を越えて線路に沿って歩いて行きてえ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/04 >

一通り満足したので、村木小学校を探す。保存してあるSLを一目見ておきたいのだ。歩くこと数分、村木小発見。果たしてこの学校のどこに蒸機が? カメラを持った男が勝手に敷地内へ入るのも誤解を招きそうなので、とりあえずぐるっと一周してみた。

すると…あった! 道からすぐの校舎内に保存用のスペースが設けられ、かわいいコッペルがちょこんと座っていたのだ。
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/05 >

これがあの線を走っていたのかー。一応小学校の敷地内なので、ひとこと断りを入れようと思い周囲を見渡すも、人っ子一人いなかったので近くまで行って見学しちゃいました。

まず驚かされたのがその保存状態の良さ。火を入れればいつでも動くんじゃないか? という印象。足回りにも油が塗られ、大変美しく整備されている。地元の方達にいかに大切にされているかが伺い知れる。よく公園などで保存という名の放置によって錆び、朽ちていく機関車を見かけるが、この『日本カーバイド1号』は周囲の文化財に対する意識によってしっかりと守られていたのだった。すばらしい。

そして、嬉しかったのが匂いだ。ちゃんとSLの匂いがする。それがオブジェや彫刻ではなく、機械なんだということが本能に伝わる。すばらしい。保存SLは良かれと思っておかしな色に塗られてしまうことも多いのだが、この『日本カーバイド1号』のボディは当然、ペンキではなく鉄の黒だ。現役時代の黒と同じ黒。オレは猛烈に感動した!!
< http://www.dgcr.com/kiji/20090910/06 >

思い起こせば、私が人生で最初に体験したSLがやはりコッペル社製の機関車だったので、なんかもう、他人とは思えないなあ『日本カーバイド1号』。ああ、いつの日かこのカマに火が入るときが来るのだろうか。そのときは是非、その勇姿をまぶたに焼き付けたいものよ! という訳で、いろいろ満足して魚津を後にしました。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

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■電網悠語:日々の想い[129]
プロジェクトの生まれるところ:提案@コンペ

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20090910140200.html
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コンペティション(コンペ)への参加の声がかかる。基本的にはそれがプロジェクトの始まり。正式には、予算化されていないが、メンバーが招集され、提案を作りこんでいく。召集は、RFP(Request For Proposal/提案依頼書)の傾向から、個々のスキル適性を考えてチーム編成候補案とし、あとは自己推薦型で調整する。やる気に燃え手を挙げた者が、舵を取る。それがクリエイティブの源泉なのだろう。

RFPを読み解き、状況分析と何がWebでできるのか、何があるべき姿かを考え、議論する。自分たちの経験も活かされる。これで本当に買う気になるか、これで理解できるのか。自分たちを様々な状況に当てはめてみて考える。妻ならば、子ならば、父ならば。身近な仮想ユーザも総動員で出演していただく。メンバー間での議論も熱い。職位とか殆ど関係ない。それはないだろう、と誰でも言える。そして言えなければならない。ユーザの目の前で説得力がなくては手遅れだ。

コンセプトを詰めて、デザインを進める。選考ポイントによって、焦点の当て方は異なるけれど、どの要素にもどの表現にも基本的には理由が必要だ。ただなんとなくという理由で、何かを「そこ」に配置することはない。先ず、デザイナが質問してくる、「これ何?」。通常開発プロジェクトを抱えながら、提案プロジェクトは進むので、根源的質問はかなり「ウザイ」。でもそれが説明できない自分はかなり「ユルイ」。反省を重ねつつ、精度を上げていく。そうした格闘の結果が、一つの提案にまとめられる。だから重みがある。

コンペに提出する提案書類の品質は、手前味噌かもしれないが、かなり高い。パワーポイントは、どの参考書よりも、濃密な作り込みと言っていいだろう。下手な参考書を読むよりも、これを解析するか、テンプレートとして使った方が、確実に刺さるプレゼンになる。デザイン案も、手抜きなし。情報設計部分は、提案までが1〜2週間程度なのでズレはありうるが、そのまま使っても遜色はない。見せかけ効果は殆ど付けていない。生身で語りかけるのが王道だ。だから実際のプレゼンは、デジタル資料以上のインパクトが付け加わる。真剣に語りかけることが最善の策。だからプレゼンの後は精も根も尽き果てる。クタクタ。

私自身は、そこそこの人数の前でお話しさせて頂くことが増えている状況にある。でもコンペは、せいぜい10名前後。そのうち半分は自陣メンバー。互いのため息まで聞き取れる距離。その小さな空間でのパフォーマンス。専門領域の説明は任せるにしても、自分がプロジェクトリーダーのときは、全般的に話せるように準備する。でも独演会にならぬよう、メンバー同士の言葉が相乗効果を生むようにする。そしてそれを可能にするのは、その場の阿吽の技でしかない。互いに信頼できるからこその技。クライアントがWeb用語に精通しているとは限らないので、通じていないと感じたら、即座に誰かが補足・補完する。

メンバー間で競っている感もある。提案メンバー内の役割は固定ではない。刺さるプレゼンは、メンバー内で自律的に増幅され再利用される。皆がいい意味で盗んでやる気満々だ。ファイルというデジタルデータ(社内では共有サーバ内に完全共有)だけではない、言い方や資料の見せ方から惹きつけ方、プレゼン手法そのものが資産化されていく瞬間。客先でプレゼンを重ねる度に、自分たちが強くなっていく。

「ファシリテーター(促進者)」という言葉がある。司会者的な位置付けにありながら、参加者の心の動きや状況を見て議論を深め、全体の流れをスムーズに調整しつつ合意形成に向けていく役。促しや、確認、介入を積極的にしつつ、お節介さを感じさせないことが望まれる。

提案プレゼンは、基本的にはそれに似ている。絶対的な自信の下に提案をしている訳だから、そこが落としどころ(ゴール)である。クライアントの不安を察知し、それを引き出し、答えを示す。たとえ用意していない問題であろうと、目配せで答えられるメンバーを探し、答えてもらう。ゴールに徐々に徐々に追い込んでいく作業。

無論、この文字通りに常にことが運ぶわけではない。でも、場数が効いている。社内の活発な議論と、大手系コンペへの参加は、他では得がたい莫大な財産である。まさに毎回のように鍛えられる。失敗すれば落ち込むし、よりよい手をウジウジと何週間も脳内反復する。うまくいけば、刺さったならば、帰りの電車でニヤニヤしている危険人物ともなる。スリルと達成感。背中合わせの真剣勝負の訓練の必要性が身にしみて分かってくる。

メインで話す人には、チーム内からの重圧もかかる。今説明しているのは、目の前か会社で待機している仲間が(ほぼ)寝ないで作ったモノである。その重みを感じる。これで勝ち取るんだと意気込みもする。以前プレゼン中に「……と私は考えました」と言ってしまってから訂正した。「……と"私達"は考えました」。それは、やはり様々なデータの作者の顔が瞬時に浮かんだからだ。

つくづく、Webが個人技から離れてきたと実感する。一人の考えやアイデアが、超人的な場合もあるけれど、信頼できるチームで、未だ見ぬ世界を提案できて、それを構築していける世界の割合は明らかに広がった。大企業レベルでの情報発信+情報収集システムは、そうしたチームで生み出されるべきなのだろう。そして、このワクワク感がたまらない。


整然とした情報構造と、思いっきりエモーショナルな情報発信。そんな水と油も共存できる。整然側から得た信頼がエモ系に発展し、その逆もある。業種も職種も飛び越えて、短期間に様々な重い責任ある仕事が任される。しかも、その多くは、非常に多くに人の目に触れ評価され、馴染んでいく。Web屋であることの最大の醍醐味。

そんな未曾有の作業が、実はコンペへの誘いと提案までの数週間に、少なくとも原型が凝縮されてある。コンセプト、予算、チーム編成、技術、スケジュール、全ての原型がここにある。ここがプロジェクトの生まれるところ。

【みつい・ひでき】感想などは mit_dgcr(a)yahoo.co.jp まで
ということで、お仕事ください(笑)。
・mitmix< *http://www.mitmix.net/
>

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■デジアナ逆十字固め…[96]
青焼きの感光紙で撮影してみる

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20090910140100.html
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カメラ・オブスキュラというのは、カメラの原型だ。いろんな形態の物があるのだが、単純なタイプで言えば、まず箱があってレンズがついている。レンズの反対側にはスクリーンがあって、そのスクリーンに外界が映しだされるというもの。写真機の誕生前に考案され、風景を写実的に描きたい場合なんかに利用された。巨大な物では部屋が丸々カメラ・オブスキュラになっている場合もあるらしい。

このカメラ・オブスキュラは牛乳パックに虫眼鏡を取り付け、スーパーのレジ袋をスクリーンとして使えば、すごく簡単に試してみることができる。うまく作ればかなりはっきりとした映像を映すことができるのだが、単純な工作でスクリーンに映る映像を見るとけっこう感動的だ。

このスクリーンの部分に感光するものを置き、どうにかして映像を定着できないだろうか? と考えた人がいて、それが写真の誕生へとつながったというわけだ。だから、スクリーンの部分に印画紙を置き、現像、定着させれば、一番原始的な写真のプロセスを体験することができる。

私自身は現像できる環境を持っていないので、これは残念ながら試すことができない。しかし、日光写真を使えば、現像の設備なしでも写るんじゃないだろうか? と思いついた。日光写真というのは、以前「SUNPRINT KIT」という製品を試したことがある。露光したら、水に付けて現像、定着を行うというすごく単純な仕組みだ。これで写真が写ればなかなか面白いことになりそうだ。

どんなカメラを作ろうかと、ネットでいろいろ調べていたら「牛乳パックカメラ」というものを発見してしまった。青焼きの感光紙を使って、手作りカメラで写真を撮るというものだ。理科の実験として考えられ、新聞やテレビでもすでに紹介されているらしい。いい事思いついた! と思ったのに、すでに普及している方法だったとは……残念!

ただ、この牛乳パックカメラに利用されている「コピアート」という感光紙に興味を持った。富士フイルム社製のものだが、図面の青焼きをとったりする場合に使うものらしい。アイロンで熱を加えて現像するという単純さと、値段が安いのに惹かれた。業務用途で複写に使われるものだから、セットの枚数は多いけど、単価はすごく安いのだ。

●30分ジッとしてポートレイト撮影

工作は牛乳パックではなく、100円ショップで買った厚紙製の小箱で行った。牛乳パックよりも少し大きなサイズで、箱の外側も内側も黒だったのが決め手。レンズはちょっと厚みのある凸レンズ。厚みがある(Rがきつい)というのは焦点距離が短いということ。望遠系だとちょっと使い辛いから、なるべく広角系にしたいと思った。

スクリーンに使ったのは、透明クリアファイル。レジ袋のようにクシャクシャじゃなくて、しっかりしている所がいい。試してみたら、けっこうクリアに映ったから、これはオススメ。後は三脚に取り付けられるように金具を張り付けてやれば完成だ。

露光時間は10分程度。かなり単純な仕組みのカメラだけど、ちゃんと写ったぞ。カメラが生まれた時のような喜びを追体験することが出来て楽しい。今じゃ携帯電話にもカメラが付く時代で、撮影すること自体は身近になったが、カメラの仕組みはブラックボックスになってしまった。しかし、元々写真機というのは、すごく単純なものだったんだと気づかせてくれる。

この感光紙の部分を撮像素子に置き換えればデジタルカメラになってしまうわけで、今後はアナログからデジタルへとつなげて行くような実験を、やってみたいと思っている。

ブログの方には、この手作りカメラで撮影したポートレイト写真もアップしてみた。30分間、ジーッとして撮影したんだけど、結果はイマイチ。もうちょっと精度を上げてみたいな。

・青焼き写真
< http://zenji.jugem.jp/?eid=15
>

●楢橋朝子の写真展

フォトセッションの時の仲間の、楢橋朝子の写真展に行ってきた。フォトセッションというのは、前回も紹介したけど、1986年に結成された写真のグループのこと。2年間、森山大道さんに写真を見ていただいたのだが、前回紹介した山崎弘義さんのプロフィールのページに、当時の例会の様子がアップされていた。みんなで借りていたアジトと呼ばれるアパートで、畳の上に写真を敷き詰めて見て貰っているところ。さすがに20年以上も前の写真だから、ちょっと時代を感じさせるな。

・山崎さんのプロフィールページ
< http://homepage3.nifty.com/hiroyama/profile1.html
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私はここで暗室を始めたんだけど、一緒に先輩からレクチャーを受けたのが楢橋朝子と広瀬勉。三人にとってはここが原点だった。というか、他のメンバーにとっても凄く強烈な場だったはずで、いまだにみんな写真をしつこくやっているというのは、フォトセッションでの体験の影響が大きいと思う。

楢橋さんの写真展「近づいては遠ざかる」は仙川にある東京アートミュージアムで、9月5日より12月27日まで行われている。安藤忠雄氏が設計した吹き抜けの美術館で、一人で3か月も写真展をやるというのはけっこう凄いことだ。ここにフォトセッションが解散した頃の写真から、現在までの写真が展示されている。モノクロでガッチガチに硬く焼いた写真から、カメラを半分水没させて撮影した風景までを同時に見ることができるということだ。

彼女のWEBサイトでプロフィールや個展、グループ展の項目を見てみると、あらためてその仕事量に驚かされる。たとえば、個展の『「NU ・E」1〜17 03FOTOS/東京』というのは、楢橋さんが自分で作った「03FOTOS」というギャラリーで17回個展をやったということだ。その他、イルテンポやツァイトフォト・サロンといった日本の有名な写真ギャラリーや海外のギャラリー、美術館で数多くの写真展を開いてきた実績というのは、本当に凄いと思う。オレと一緒にプリント始めたくせに、楢橋朝子はずーっと遠くの方に行ってしまったようだ。

この写真展の会期中には、森山大道さんや石内都さんら5人の方とのトークイベントも行われるそうだ。私も見に行きたいと思っている。

・楢橋朝子サイト「03FOTOS」
< http://www.03fotos.com/
>
・東京アートミュージアム
< http://www.tokyoartmuseum.com/
>

【うえはらぜんじ】zenstudio@maminka.com

上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
>
上原ゼンジのブログ
< http://zenji.jugem.jp/
>

●上原ゼンジの写真展「実験写真家 上原ゼンジの世界」
会期:10月27日(火)〜11月8日(日)11:00〜19:00 月休
会場:NADAR/OSAKA(大阪市中央区南船場3-2-6 大阪農林会館B1 TEL.06-6251-8108)
< http://www.zenji.info/exhibition/Nadar/DM.html
>
< http://nadar.jp/osaka/schedule/091027.html
>

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■編集後記(9/10)

・いままで各種コンテストの「応募要項」についてずいぶん文句を言って来た。それは応募作品の著作権に関して、主催者の提示する応募要項にはとんでもない記述が見られることも少なくなかったからだ。いま、いくつかの写真コンクールの応募要項をチェックすると「入賞作品の著作権は主催者に帰属する」「入選、入賞作品の版権は主催者に帰属する」なんて平然と書かれている。なかには「応募作品の著作権は主催者に帰属します。主催者は応募作品を、応募者の許諾を要することなく無償で、複製、送信、展示、頒布、加工、改変、翻案その他の利用をする非独占的な権利を有します」なんて入念なのもある。応募したら著作権をいただきます、と言っているわけだ。そんな確信犯みたいな主催者もいるし、よく知らずに習慣で記述してしまう主催者もいる。応募した作品や入賞作品の著作権は誰に帰属するかって? 作者に決まっているではないか。「日本写真著作権協会」のサイトで、「応募要項」の範例を掲載している。10点の注意書きがあり、そのうち1〜3は必須、4以下は「主催者の裁量の範囲ですが、可能な限り掲載して下さい」としている。1は当然「応募作品の著作権は、撮影者に帰属します」である。コンテスト主催者は、今後は迷わずこの「応募要項」例をコピー&ペーストするとよい。民主党政権は当然「村山談話」をコピー&ペーストしてきたが、あれよりもっとこわい「鳩山談話」なんてのが飛び出すのではないかと戦々恐々である。(柴田)
< http://www.jpca.gr.jp/about/topics/photocon_guideline.html
>
日本写真著作権協会 「応募要項」の範例

・FMが聞けるのいいなぁ。/ゼンジさんのセミナーをやるので予定をあけておいてくだされ。10/30。/家電続き。炊飯器はいらないな〜なんて考えていたり。お鍋で炊く方が美味しいから。アサヒ軽金属の活力なべを買って、ちょっと古めのお米を炊いてみたが、去年買ったそこそこの炊飯器より美味しく炊きあがった。欠点は保温できないことなんだけど、古いお米だと保温時間が長くなるとまずくなる。炊きあがってすぐに残りそうなものはラップして冷凍しておけば、翌日に電子レンジで温めるだけで、ほぼ炊きあがり状態の味になる。欠点はなべ自体が重いこと。Le Creuset ココット・ロンド 22cm オレンジ重いというだけで、ル・クルーゼのお鍋なんて買わないわよ、土鍋もきっと出して洗って、しまうのがおっくうなのよと言ってしまうような人間が、ゼロ活力なべ。素直に炊飯器にするべきか。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/jp/ipodnano/
>  iPod nano
< http://www.asahikei.co.jp/goods/zk.html
>  ゼロ活力なべ
< http://www.lecreuset.co.jp/
>  ル・クルーゼ