私症説[09]まほろばな人たち
── 永吉克之 ──

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私が、大阪にある美術館のなかでもっとも気に入っていたサントリーミュージアム天保山が、入館者数の減少などから、来年閉館することになったと聞いて、やっぱりねえ、やーっぱり大阪では美術は育たんわ、と再認識した。大阪の美術館については以前も書いたので、そちらも参考にしていただきたい。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080403140300.html
>

といいながら、私自身もこの数年、美術というものからすっかり遠ざかってしまって、制作はおろか、美術鑑賞に出かけることすらご無沙汰している。つまり私も微力ながら、サントリーミュージアムの閉館に貢献していたわけである。

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先日のこと。アルバイトに向かう途中、大阪市内にある、JR相笠駅構内の掲示板に「玉垣由奘(たまがきゆじょう)と天満橋派」なる展覧会のポスターがたまたま目に入った。ポスターといっても、タイトルと会場と開催期間と開場時間を書いただけのもので、作品の写真が載っておらず、主催者のやる気を疑いたくなるような告知ではあったが、どうやら美術展らしいことは判った。

会場は相笠の駅ビルの地下にある「アートスペースまほろば」。展示用の照明設備もない、10坪ほどの単なる「部屋」だった。入場無料だし、美術への愛情を再燃させるためのリハビリになるかもしれないと思い、仕事の帰りに寄ってみたが、入り口のドアに「玉垣由奘開催中。お気軽にお入りください」と、マジックインクで書いた紙をセロテープで貼ってあるのを見て、腹立たしいような可哀想なような複雑な気分になった。

心配した通り、私以外に来場者はいなかった。また、展示会場では普通、入り口の受付に、たいてい誰かが手持ち無沙汰そうに座っていて、来場者に、ご記帳お願いしますとかなんとか言うものだが、場内は無人で、記名帳すらないのだ。どう見ても、美術の素人が運営しているとしか思えなかった。

しかし不幸中の幸いというべきか、作品は見るべきものが揃っていた。すべて水墨画。由奘以下、天満橋派の画家11人、28点の絵はいずれも、江戸時代に描かれたとはとても思えないような、極度に先鋭的な作品で、イタリア未来派の画家が水墨画という技法を用いて描いたらこんな絵になるにちがいないと思わせるようなものばかりだった。しかし、それゆえに当時は認められず、現代になって再評価され始めたのだろう。

1枚のB5用紙に両面コピーされた目録によると、由奘は、1726年生まれで1791年歿。与謝蕪村と同時代人だ。その時代に、20世紀のヨーロッパで興った未来派の芸術思想を先取りするような発想で制作していたのだ。『椴松杜鵑鳴山水図』では、イタリア未来派の画家ボッチョーニの彫刻『空間における連続性の唯一の形態』を思わせる、人物の連続する動作をひとつの画面に描くという試みすら、すでに行なっているのである。

・ウンベルト・ボッチョーニ『空間における連続性の唯一の形態』
< http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/%27Unique_Forms_of_Continuity_in_Space%27%2C_1913_bronze_by_Umberto_Boccioni >

特筆すべきは、天満橋派という呼称からも察せられるように、彼らのほとんどが大阪在住であったことだ。由奘は堺の商家の出身らしい。私は、美術に長いこと関わってきて、もうほとんど見尽くしたようなつもりでいたが、大阪にこんな埋蔵金があるとは知らなかった。

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気に入った絵はたくさんあったが、この日は、由奘の『椴松杜鵑鳴山水図』を持って帰った。大きさはB1ほどあって、帰りの混んだ電車の中で肩身の狭い思いをしたが、それに懲りず、翌日は函伊暮骨(はこいぼこつ)の『阿頼耶富士桜図』という、これまた大判の作品を持って帰った。

3日目に会場を訪れた時のことだった。相変わらず来場者の姿はなかった。その日は、ブンダメン・オハリンドゥ(ぶんだめん・おはりんどぅ)の『涅槃寂静比翼初花図』をもらって帰ろうと思っていたのだが、すでに誰かが持ち去っていて、絵を吊るしていたワイヤーだけが残っていた。

しばらく茫然と白い壁を眺めているうちに腹が立ってきた。これはいったいどういうことなのか、会場の管理責任者に説明してもらおうと、部屋の奥の、いつも閉まっているアコーディオンカーテンを開けたら、その向こうはいきなり全面ガラスのドアになっていて「ビューティーサロンまほろば」という字を切り抜いたカラーシートが貼ってあった。店内は満員で、順番待ちの客たちがソファで鈴生りになっていた。

この美容室のなかの誰が責任者なのか判らなかったが、とにかく中に入り、ドアの近くのシャンプーチェアで客の洗髪をしていた若い女性の美容師に尋ねた。
「『涅槃寂静比翼初花図』がないんですけど、どういうことですか?」
「え? ありませんか......。じゃ、ちょっと待ってくださいね」

その美容師は、客を仰向けに放置したまま洗髪台の下にもぐりこんで、そこにあった段ボール箱の中をしばらく掻き回すと、ありましたありましたと言いながらそこから出てきて、写真立てに入った『涅槃寂静比翼初花図』のミニチュア複製画を私に差し出した。洗髪していた手で持っていたので、写真立ては泡だらけになっていた。
「1,500円です」
ミニチュアの複製画では、オリジナルのダイナミズムが伝わらないが、ないよりはましだと諦めて、それを買って、おとなしく帰った。

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今回の展覧会には、多分、たくさんの来場者があったのだろう。にもかかわらず、いつも閑古鳥が鳴いていたのは、来場者が、みなビューティーサロンまほろばに吸収されてしまっていたからにちがいない。つまり、ビューティーサロンまほろばが、客を吸収するための装置として、アートスペースまほろばを開設し「玉垣由奘と天満橋派」展を開催したのだ。

私も、もう少しで吸収されるところだった。展示会場を満たしていた、女性的な芳しい香り(ビューティーサロンまほろばから漏れ出していたのだろう)に鼻をくすぐられながら、天満橋派絵師たちのダイナミックな絵を観ているうちに、なぜか無性に襟足のあたりをカットしてもらいたくなったのだ。そうしなかったのは、私が貧乏だったからにほかならない。

では、なぜ消極的な宣伝しかできなかったのか、その理由も推測できる。それは、ビューティーサロンまほろばに客を吸収したいという願望と、玉垣由奘という大阪の至宝をエサにしているという後ろめたさの間で折り合いをつけようとした結果なのである。実利と倫理のジレンマに悩む経営者の姿が眼に浮かぶようだ。しかし、この一件で、大阪人も心のどかかでは美術には敬意を払っていることが判ったというのも皮肉な話である。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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