[2776] 試合放棄

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《デザインとは狂気につながる凶器でもあり》

■わが逃走[58]
 ああ小麦粉、の巻
 齋藤 浩

■私症説[11]
 試合放棄
 永吉克之

■電網悠語:日々の想い[145]
 支えてくれるもの
 三井英樹

■セミナー案内
 「ヤンス!ガンス!」のメイキングセミナー


■わが逃走[58]
ああ小麦粉、の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20100121140400.html
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謹賀新年。久々の『わが逃走』です。先日、私が最も信頼するコピーライターのM氏から「齋藤さんのコラムはものすごくクオリティが高いのに、何故出版社からオファーが来ないのでしょう? やはりあのタイトルが災いして各社がビビっているのでしょうか」という褒め言葉を頂戴いたした。

わはは、そこまで真顔で褒めてもらえると、どういうリアクションしていいかわからなくなるぜ。まあ確かにこのタイトルはヒトラーの自伝をおちょくってつけた訳だが、でも実際の話、デザイナーを名乗るからには、ナチスの宣伝戦略とはどういったものだったかを知っておかねばならないとも思うのです。

今でもナチスが開発した宣伝技術をベースに世界平和をアプローチしてたりするってことを、知った上で! デザイナーやってるのと、「知りませんでした」っていうのとでは、その肩書きを名乗る上での責任の重みが違う。

デザインとは狂気につながる凶器でもあり、使い方を間違えると簡単に人も殺せちまうんだぜってことを理解した上で、デザイナーは刃物や銃を取り扱うような自覚と責任を持たなくてはいかんと思うのです。このコラムのタイトルは、デザイナーを名乗る自分への戒めというか、そういった意味を込めてつけたものなのです。

とはいえ、出版社のみなさん。いざとなったらタイトル変更しますので、遠慮なく言ってくださいね。ご連絡お待ちしています。

さて、今回はまたデザインとは無関係な話をしましょう。小麦粉の話だ。ウチの近所にはパン屋やケーキ屋やたいやき屋がひしめいているので、そのあたりを語ろうと思います。

そもそも私はパンが大好きなのだが、太りやすい体質ゆえ、なるべく食べないように心がけていたのだ。ところがです。昨年秋頃から、つぎつぎと美味しいパン屋の情報が私のもとに入ってきまして、それらの味を検証すべく食べ続けていたら、当然のことながら太ってしまった。こわくて体重計に乗ることすらできない。ただ食べているだけでは太り損なので、ここらで一度まとめてみることにした。

1.『P』

三軒茶屋から世田谷通りをまっすぐ歩いて、環七を越えてすぐのところに『P』がある。黄色い壁の小さな店なのだが、結論から言ってしまえばここのパンがいちばん旨い。いちばんクオリティが高い。最も素晴らしい。

店主のパンに対する考え方が、パンをひと口食べれば明快に伝わってくる。実に誠実。『P』の、パンとはこうあるべきだ、こうあって欲しいという気持ちを、味わったすべてのひと達と共有できる幸せを感じてしまう。凄すぎる。普通のパン屋のパンと比較したら、ちょっと単価は高いかもしれないが、費用対効果を考えれば激安の部類に入ると思う。

純粋にパン本来の味わいを楽しむのであれば、食パン、パンドゥミ、クロワッサンをまず食べてみるべし。食パンはまず一斤の重さに驚かされる。味わいも重めだが、重さも重いのだ。

さて、これを薄めにスライスしてトーストしてみると、こりゃもう、とんでもなくいい香り&いい歯触り舌触りなのだ。素材の味がパンの味となって調和してゆく過程までもがイメージできる絶妙な味わい。バターをつけるなら少なめが良い。

パンドゥミは食パンのさらに重たいバージョン的な位置づけか。凄さでいったら、こっちの方が凄いのだが、食べるにはそれなりの覚悟が必要。クラシックのコンサートに、ガソリンスタンドの景品でもらったTシャツを着ていくわけにはいかんよなあ、的な、心の準備が必要なのだ。こちらもスライスは薄めがイイ。

クロワッサン。これはもう、犯罪ですね。外側はサクサクで、中はしっとりしている。しかも密度が濃い。普通の店だと中身は空洞のものが多いけど、ここはしっかり詰まっている。

ここまで旨いクロワッサンは未だかつて食べたことがない。食べた瞬間、脳がバラ色になるのだ。フランス人がエロいのは、こんなものを毎日食べてるからなのではなかろうか。パリ在住経験のある知人二人に尋ねてみたところ、パリにもここまで旨いクロワッサンはないとのこと。

後述するたいやき屋の主人もここ『P』の大ファンで、なにかと情報をおしえてくれる。たとえば、いくら腕のいいフランス人パン職人が本国と同じ条件でパンを焼いても、すっぱくなってしまうのは何故か?? という話。

原因は菌なのだそうだ。納豆菌などの日本独自の菌がかもしてしまうらしい。「空調はもちろん、壁の厚さなどでも完全防備しているらしいんですよ、すごいでしょ、隣のパン屋」。いやー、奥が深いなあ。

2『T』

『P』の隣にあるたいやき屋。このあたりのあんこ系粉もの屋では、三軒茶屋キャロットタワー1階の今川焼が有名だが、いつも行列ができているのでオレはあまり買わない。

で、どうするかといえば、ここまで歩くのだ。数分歩くだけで、独特の食感をもつ美味なたいやきを食べることができる(今川焼とたいやきは別ものだが、細かいことをツッコンではいけない)。

とはいえ、注文してから焼いてもらうことも多いので、時間的にはそう変わらないのかもしれないが、店で待っている間の雰囲気も含めて旨いたいやきと言えましょう。中身は小倉、豆乳クリーム、黒ごま、キャラメルクリームの4種。これらを独自の薄皮で包み、サクサク、パリパリの歯触りとあつあつのあんことのコントラストには、ある種の美学を感じてしまう。

ベーシックな小倉あんこがおすすめだが、この対極ともいえるキャラメルクリームも癖になるジャンクな味わいだ。ケーキやドーナッツと比べ、あんこ系粉ものの良いところのひとつとして、食べたときの罪悪感が少ないという点が挙げられましょう。

しかし、このキャラメルクリームは完全に罪悪の塊です。けっこうなカロリーなんじゃないかなあ。独特の甘ったるさと軽い歯ざわりとの対比が、庶民としての幸せを再認識させてくれるのだ。これもある種の美意識といえましょう。

3『F』

数年前まで梅丘に『L』という大好きなパン屋があったのだが、遠くに移転してしまって寂しい思いをしたのだ。その寂しさをまぎらわせてくれたのが、ここ『F』である。『T』からさらに世田谷通りを進み、コンビニのある交差点を左に入ったところ。

かなりクオリティが高いのだが、やはり『P』を知ってしまうと普通に思えてしまうなあ。GT-Rは確かにいい車なんだけど、ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリBBの隣にあっては普通の車に見えてしまうといったところか。

いわゆる食パン系やクロワッサンは値段相応な美味しさだが、ここはセーグル系が旨い。とくに、ドライフルーツがぎっしり入ったもの(名前は忘れた)が絶品と言えましょう。

4『M』

交差点の、コンビニの向かい。商店街に入ってすぐ左側の「町のケーキ屋さん」。ここは凄い。21世紀の小洒落たスウィーツなんかじゃない、昭和のケーキの味が楽しめるすばらしい店だ。噂によると、ここのご主人は某有名ホテルのパティシエだったらしい。

現在30〜40代くらいの世代にとって、子供の頃に本当に食べたかったハレの日の味が良心的な値段で手に入る救世主のような店である。ショートケーキとシュークリームとアップルパイとチョコレートケーキとサバランは、とりあえずおさえておこう。誰もが子供の頃にときめいた佇まい。この店で誕生日のケーキを買ってもらえる子供は、きっと親とシアワセ感を共有できることであろう。

5『OO』

最近できたベーグル&ドーナッツの店。『M』からまっすぐ世田谷線松陰神社前駅に向かい、駅前踏切の手前のアーケードを左に入る。非常に良心的かつ誠実な味わい。内装もご主人が手がけたそうで、それゆえ告知から開店まで一年近くかかったという、なんともこだわりの店である。

現在はドーナッツとベーグルが数種類ずつ+ドリンクメニューといった構成だが、ゆくゆくはベーグルサンドなんかも作るかも、とのこと。たのしみである。ベーグルはもっちりと、きちんとした歯ごたえで、食べたときの香りがまたイイ。ドーナッツはほどよい甘さで、ダイエット中でも罪悪感を感じない。

ベーグルやドーナッツに性格があるとしたら、いわゆるいい人っぽい感じ。近所の評判もすこぶる良く、これからも応援していきたくなる今日この頃。やはり地元の人の信頼ってのがここらで店出していく上では重要だよね。

6『N』

老舗パン屋。『M』からまっすぐ商店街を進み、踏切の角の店。ここも素晴らしい。とにかく、安くて旨いのだ。コンビニで普通に売ってる大量生産モノと値段的にたいして変わらないのに、ここまで旨いというのは実に庶民の味方と言えましょう。費用対効果というモノサシで見たら、おそらく『P』といい勝負になる。

焼きたてのエピ系のパン「ベーコンエピ」「ごぼうエピ」と、種類が豊富な食パン系がオレ的には特にオススメ。ベーシックな食パンから、オレンジピールを練り込んだものや牛乳をたっぷり使ったものなど、お店に行くタイミングであったりなかったりするのだが、どれを食べてもシアワセな気持ちになれるのだ。ありがとう、『N』。

7『O』

踏切を渡ってちょっと行って右側。いわゆる町のパン屋さんである。過去に一度食べたのだが印象はイマイチで、それ以来足が遠のいていた。しかし、複数の方からここの「上食パン」は旨いという情報を得ていたので、この度6枚切りを購入、トーストしてバターを塗って食べてみたところ、おお、旨いじゃないか。

いわゆるきめ細かな昭和の食パンなんだが、香りがいい。檜のいいにおいがするのだ。どうやら焼き上げた後にストックしておくケースに檜を使っているらしく、それが味わいに一役買ってるみたい。さらに、冷凍保存しても味が落ちないという評判も聞く。なかなか奥が深い店なのかもしれない。

以上、年明け一発目から、地元ネタをデジタルともクリエイターズとも無関係に語りました。この他にも有名すぎて書く必要のないスウィーツの名店や、セレブな人達と地元の人達とで意見が二分されるパン屋などいろいろあるのだが、今回はここまでといたします。んでは皆さん、今年もよろしく。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■私症説[11]
試合放棄

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20100121140300.html
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残りの人生を何と称すればいいか。永吉さんにとって長年の懸案でしたが、締め切りも迫っていたので「消化試合」に決めたと連絡してきました。「優勝」の可能性がなくなったからでしょう。永吉さんは以前「"戦力外通告"っちゅうのはどないでっしゃろか?」なんて僕に相談したことがあったのですが、永吉さんの後輩で、すっかり人生に絶望している迫田壮吾さんが、一年も前から「戦力外通告」を使っていると知って、結局「消化試合」にしたそうです。

しかし、永吉さんのことですから、優勝の希望がついえたとはいえ、「やる気あんのかこの野郎!」とヤジられないような、いいプレイを見せる努力はするでしょう。いや、いいプレイを見せる努力をしているかのように見せる努力はするでしょう。この呼称について永吉さんからもらったメールの抜粋です。「すでに他のチームの優勝が決まっているのに、なお優勝するつもりで試合をする。私はこれから、そういう実存主義的反抗を試みる者であるかのように話し、歩き、笑い、食べ、寝なければなりません。永吉の寝顔は、まったくもって実存的だと、観客に言われるようになりたいものです^^」

これを読みながら、ある疑問が浮かんだのですが、永吉さんの新たなる決意に水を差すようなことは言いたくなかったし、それに後日、仕事で大阪に出張したついでに永吉さんと呑む約束があったので、その点については、話の成り行き次第で訊けばいいと思い、とりあえず、そのことには触れないでおきました。

                 ■

永吉さんと久しぶりに会ったのは、梅田にある「牙門」という焼肉の高級店でした。永吉さんは貧乏人なので、当然、金持ちの僕のおごりです。おごりなんだから、野菜もの以外は食べないように、肉類には箸をつけないようにと、永吉さんにはあらかじめメールで厳重に伝えておいたので、僕は安心して、カルビを網の上で返しながら、今回の件について切り出しました。

「"消化試合"と名づけたのは、やっぱり永吉さんの人生において、もう優勝はありえないと諦めたからですか?」

----永吉さんは、タマネギを網にのせながら、ふふ、と笑いを漏らしました。
「ま、そういうこってすわ。体と頭が思うように働くのも、せいぜいあと10年かそこらでっしゃろ。もう先(せん)から腰もあかん、眼もあかん、物忘れのひどさっちゅうたら、あんた、親の命日も思い出せんことがあるくらいだす」

----僕は、それは残念ですね、と言おうとしたのですが、ロースを頬張っていたので、言葉になりませんでした。永吉さんは、シイタケをタレに浸しながら、話を続けました。
「そんな案配やよってに、仕事もはかどりまへんわ。始めは年長者やからゆうて、わてに遠慮しとった若い人らも、しまいには、おっさん早よせんかい、トラック待ってるやろ、とまで言うようになりました。まあ、それはよろし。あの人らの不満はよう分ります。そやけど辛かったんは、あないどんくさい仕事しくさって、わいらと同じ給金もろてんねさかい、年寄り(とっしょり)はええわな、て誰かが嫌味言うてんのが聞こえたときだす」

----僕は、牛タンをビールで流し込んで言いました。
「ひどいなあ、それは......いや、でも永吉さん、それだったら、永吉さんの人生こそ"戦力外通告"を掲げるにふさわしいじゃないですか。それにしましょう。商号じゃないから、迫田壮吾さんと同じ名称にしても問題ありません。変更するならまだ間に合います。われこそが正統な戦力外通告だって、アピールしましょうよ」

----そう言って僕は、事務所に連絡をするために、背広の内ポケットから携帯
電話を取り出そうとすると、永吉さんは、炙ったピーマンをはさんだ箸を左右に振りました。
「おおきにおおきに。そやけどそれは待っとくなはれ。なんぼなんでも、後輩の真似はできまへん」
「そういう見栄は、捨てましょうよ、この際」
「見栄はとうに捨てとりま。見栄張って生きられるご時世やおまへんよってに。そうやのうて、この世界で生きる人間の、まあ言うたら矜持ですわ」
「よく分りませんけど......じゃ、"消化試合"でいきますか?」

----キャベツをちびちびと齧りながら、永吉さんは暫く考えていました。
「それについては、もうひと晩、考えさせてもらえまへんやろか。えろう無理言うてからに、すんまへんな」

                 ■

お互いかなり酔いの回った頃でした。網の上のハラミがちょうど食べ頃に焼けていたので、取り皿に移そうとしたときに、ふと思い出しました。

「先日くださったメールに"実存的だと、観客に言われるようになりたい"とありましたよね。で、その"観客"というのは、誰を指してるんですか?」

----永吉さんは、タレをつけたナスを口に運ぼうとしていましたが、その手を止めて、箸先にはさんだナスのスライスを眺めながら、自問するように「それは......」とつぶやいたかと思うと、急に大笑いして僕の顔を見ました。
「そうでんな。あんた、ええとこに気ぃつかはったわ。よう言うてくれました。ほんま、わてもアホですわ。こんな落ちぶれた男にいつまでも観客がついてると思てたんやから。はははは」
「いえいえ、そんな意味で言ったんじゃなくて......」

----僕は、固くてどうにも噛み切れないミノを皿に吐き出して、あわてて釈明しようとしました。
「この歳でっさかい、身内の葬式で、親戚と顔合わせる機会も増えました。若い頃やったら、おい芸術家、絵は売れとるんか、とか、永吉家初の有名人になれよ、とか励まされたもんだす。それが今では、病気はしてへんか、蓄えはあるんか、そんなんばっかりですわ。今年もらった知人からの年賀状でも、わての芸術活動について尋ねてくれてるのは、ひとつもおまへんでした。お義理の観客すらおらへん男を見ようっちゅう物好きな観客がどこにおりまんねん」

永吉さんには野菜ものばかり食べさせて、僕もすこし気が咎めたので、最後に、網にこびりついて炭のようになった肉片を食べることを許可しました。永吉さんは、それらをひとつひとつ剥がして食べる終ると、疲れたから帰るといって、ふらふらと立ち上がりました。かなり酔っていたらしく、舞台の上手と下手(上手は客席から見て右側。下手はその逆)を間違え、上手から去ろうとするのを僕が引き止めて肩を貸し、下手の花道を通って劇場の外に出ました。途中、客席からは、いかにもお愛想の拍手がぱらぱらと聞こえました。

                 ■

翌朝、事務所に行くと、永吉さんからメールが届いていました。
「昨夜は、ひどい舞台を見せてしまって申し訳ありません。あなたに指摘されて、いったい誰が観客なのか。そもそも観客は存在するのか。その疑問が頭を離れず、その後の演技はもうめちゃくちゃで、よく憶えていません。まあ、それはともかく、私の人生の呼称ですが、"試合放棄"に決めました。もう変えるつもりはありません。登録お願いします」

試合放棄。僕も、これに勝る呼称はないと思いました。永吉さんに最もふさわしい生き方を過不足なく表現しています。「消化試合」や「戦力外通告」には、まだ人生や人間に対する希望の残滓がこびりついていますが「試合放棄」には、自己の生存そのものに対する未練すら感じらません。永吉さんが、これからいつまで生きていられるか。それに注目しようと思います。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このコラムのテキストは、以下のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■電網悠語:日々の想い[145]
支えてくれるもの

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20100121140200.html
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心が折れそうになる時がある。どんなに虚勢を張っても、体が動かない時がある。語っていて、言葉に力がないと自分で感じてしまう時がある。睡眠時間とか純粋な肉体的な問題は、年齢とともに下降していくのはいたしかたないにしても、精神的な部分でそれを認めたくない自分がいる。

自分が何によって支えられているのかを自覚するのは大切なことだろう。思い出、実績、音楽、喜怒哀楽、言葉、ヒーロー。心の中を覗くと、幾つもの太い支柱が見えてくる。それが脳裏をよぎると、活力が出る。負けてられないと思う。頑張ろうと思う。どこかでカチッというスイッチが入る音がする。

▼思い出/実績/成功体験
今足元をすくおうとしているネガティブな条件と類似で、かつそれを克服した経験。あの時はなんとかなったじゃないか。そんな声とも言える。そんなパターンマッチングを脳内で行うのだが、そんな検索がヒットし易くなるためには、検索対象の数が多くあった方が良いに決まっている。無茶を色々と重ねると、そんな経験が増える。おとなしく無難な経験の積み重ねは、支えにするには平穏すぎるのかもしれない。苦労は買ってでもしろという言葉も浮かぶ。

▼音楽
テレビや映画のシーンを、音楽つきで記憶していることもある。「ロッキー」や「スター・ウォーズ」などが好例かもしれない。ダースベーダーがマントを揺らして、あの呼吸音を響かせながら歩いているシーンを見ると、どうしても脳内であの音楽が鳴り始める。逆に、音楽を聴くとそのシーンも浮かぶ。ならば、大逆転劇をするシーンを連想させる音楽が染み付いていたら、励みになる。

吉田拓郎、中島みゆき、甲斐バンド。私の中では再起を連想させる曲が、彼らに集中している。彼らの曲に心酔し、無茶や様々な克服をしてきた自分に対しても、恥ずかしいことはできないなと思うと心が震える。頑張ろうと思える。そして特別な意味合いを持った曲もいくつかある。歌詞やメロディとは関係のないシーンが、曲とともに刷り込まれている。もはや、どういう経緯でそう記憶しているかさえ定かでない。そしてそれはどうでもいい。その曲が脳内で鳴り出すと、負けられない病のスイッチが入って立ち上がる。

▼喜怒哀楽
ポジティブなことよりも、ネガティブなものが大きな支えになっているかもしれない。くやしい。負けてたまるか。そんな三歳児でも思い浮かぶ感情が心を折れさせない。

でも、ようやく最近になって、やはりネガティブなものはネガティブなものを残すのかもしれないと思うようになってきた。「ナウシカ」の映画で、「火は一瞬で全てを焼き尽くす。水と風がはぐくむ。わしらは水と風がええ」という台詞があった。年齢とともに火のような喜怒哀楽ではなく、水や風のような喜怒哀楽が支えになっていって欲しいと思うようになっている。そしてそれが、未だ未だタマにだけれどできるときもある。すがすがしく心を折らずに進んでいくこと。そんな風に進みたい。

▼言葉
沢山の言葉に支えられている、昔も今も。未来は益々そうなるだろうと予測している。例えば、「それがどうした」。矢吹ジョーが最後のリングを前に白石嬢から自分の病状を告げられたときに返した言葉。何かを言い訳に諦めようとしている自分に何度もつぶやいた。それがどうした、関係ないんじゃないのか。自問する中で心に灯が灯る。

年齢とともに涙もろくなっていっているのだが、本当にどんぴしゃな表現や的確な描写に出会ったときに、涙腺が緩む。素直に感動している。それは、映像や音楽もあるけれど、やはり言葉が多い。検索エンジンのおかげで、その比率がもっと高まったとも言える。曖昧な記憶からでも探し当てることが可能になっている。支えてくれるものがすぐに集められる、集まってくる。凄い時代だ。

▼ヒーロー
モロボシ・ダンの頃から、様々な英雄達が脳内に住みこんでいる。そうした英雄達の中に、見た目は普通のおじサンやおばサンがたくさん混じっている。私がお世話になった方々だ。先生や先輩や上司。文字通り近所の方々やクライアント、協力会社の方々。普通の方々、普通に生活しながら通常以上の困難を越えてきている。それが普通じゃなくて凄い。それが回りまわって支えになっている。自分も頑張らねばとつながって行く。


それでも、同時に諦める勇気も持つようになっている。どうやっても無理なときは、退散する。そこに無理して踏ん張ってもいいことがないと悟れるようになってくる。総合点で優勢であればよいという計算もする。ここで失点しても、次で倍だけ獲得すれば合計では勝ちだと割り切れる。

でも。基本は「諦めない」。諦めるのを基本とはしない。だから、必要なときに、カンフル剤を用いる。自分にあったカンフル剤。年齢とともに、そういった術をいくつか溜め込んでいて、使いこなせるようになってきているのかもしれない。

そんなこんなで壁を越えるたびに、何か足跡が残る。自分だけが誇りに思う足跡。そしてそれが、あの時できていたことに近づこうとしている自分にとっての支えになる。あの時できていたんだから、今できない訳がない。同じ視線は他者へも注がれる。尊敬しているとかライバル視しているとか関係なく、あの人ができたんだから、あの人がしているんだから、私にもできない筈がない、と言ってみる。そこに疑いを持たない。敢えてポジティブな可能性しか見ない。ネガティブな想いを封印する。それは信仰に近い。

「神は越えられない試練は与えない」、時々耳にする言葉だ。聖書の原文は下記だと思う。こう思えると楽になる。最後には越えられると分かっていれば、案ずることはない、悩むことはない。さっさと越えてしまえばいいのだ。

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練
に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるよ
うに、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
        新約聖書(新改訳):第一コリント人への手紙 10章13節


実は、下記のニュースを読みながら、浮川氏の笑顔を見ながら、これを記そうと思い立つ。ジャストをお辞めになった詳細は知りませんが、この笑顔で充分です。日本語入力をする限り、氏への感謝の念は変わりません。彼も会ったことはないけれどマイヒーローの一人。越えられぬ困難はない。頑張ってください、頑張りますから。

・ASCII.jp:MetaMoJiは"テクノロジーホールディングス"─浮川夫妻が語る
< http://ascii.jp/elem/000/000/490/490033/
>

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・mitmix< * http://www.mitmix.net/
>
・この原稿を書いていて、朝5:00前にテキストエディタがクラッシュ。さすがに心が折れそうになりました。

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■セミナー案内
Born Digital ユーザー事例セミナー+
「ヤンス!ガンス!」のメイキングセミナー
< http://www.borndigital.co.jp/seminar/detail.php?id=113
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20100121140100.html
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ボーンデジタルユーザー事例セミナーとして、「ヤンス!ガンス!」のメイキングセミナーをやります。出演は作者の秋元きつね氏、アニメーション制作の菅村弘彦氏(有限会社シンク)、そしてキャラクターデザインの吉井宏です。少人数チームでのアニメーションコンテンツ制作の実際、企画から技術的なワークフローまで、専門家でなくとも興味を持っていただけると思います。同日、映画「よなよなペンギン」のメイキングセミナー、「日の丸シェーダー」のプレゼンもあります。(吉井宏)

日時:1月22日(金)15:00〜
会場:秋葉原UDXシアター(東京都千代田区外神田4-14-1 4F)
参加費無料(事前登録制)

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■編集後記(1/21)

・テレビドラマをいくつか見ている。年末の「JIN-仁-」の最終回には呆然とした。南方は必ず現代に戻って、正体不明の人物と胎児のような腫瘍の謎が解明されると思いきや...。南方の頭痛やら写真の恋人の像が消えて行くやら、さんざん思わせぶりな演出のあげく...。とにかくタイムスリップものは辻褄を合わせるのが大変だが、お手並み拝見と楽しみしていたのだが、みごとになんにも解決されぬまま幕。ここまで無責任な終わり方は珍しい。映画で見てくれってことだろうが、じつにあざとい。だが、内野聖陽の龍馬はよかったね。さて、木曜日が充実している。20時から、学園書道部ドラマ「とめはねっ!」、転職業界ドラマ「エンゼルバンク」、山崎豊子ドラマ「不毛地帯」と23時頃まで続く。犬の散歩時間は「とめはねっ!」のすぐ後しかない。土曜日は百人一首時代劇「咲くやこの花」、職場とリストラのドラマ「君たちに明日はない」。そして日曜日は「龍馬伝」。なんと6本中NHKが4本も。NHKは大嫌いなんだが。マンガが原作が2本。「とめはねっ!」はマンガのイメージをキャストに重ね合わすと、主要の5人の高校生はいまひとつかわいくない。「エンゼルバンク」の生瀬勝久は違うだろうと思うし、ウエンツ瑛士はどんなドラマに出てもウソっぽい存在感なのはなぜだ。「不毛地帯」は、何を考えているのかわからない唐沢寿明と小雪はともかく、ほかの役者がみんなうまい。「龍馬伝」は豪華キャストのはずだが、香川照之だけが悪目立ち。くわしくはまた。(柴田)
< http://www.tbs.co.jp/jin2009/
> 「JIN-仁-」
< http://www.nhk.or.jp/drama8/tomehane/
> 「とめはねっ!」
< http://www.tv-asahi.co.jp/angelbank/
> 「エンゼルバンク」
< http://www.fujitv.co.jp/fumouchitai/
> 「不毛地帯」
< http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/sakuya/
> 「咲くやこの花」
< http://www.nhk.or.jp/dodra/kimiasu/
> 「君たちに明日はない」
< http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
> 「龍馬伝」

・演劇研究者の間で、宝塚歌劇は評価が高いと聞いた。日本に行ったら観たい舞台のナンバーワン。日本の伝統から前衛まで観てもらって、一番印象に残ったもの、気に入ったものはと聞いたら、皆一様にタカラヅカ。良い意味で「クレイジー」らしい。女性だけの舞台(演出ほかは男性も)で、オーケストラ生演奏(生なので失敗はある。良い場面でトランペットがかましたり......)、もうすぐ100年という、ここまでの知名度と歴史と商業的成功は世界で考えてもオンリーワン。大作一本ものが多いけど、やっぱりお芝居1時間半、ショー1時間の二本立てがいいなぁ。両方とも痛い公演なんてないし。まぁ作品がつらい時は、スターさんを見て楽しめばいいし。といってもベテランが減ってきているので、熟成期間は必要だろうなぁ。光と色の洪水、宝塚ならではの体験ってあるよ〜。/お芝居だけを挙げると今からは、カサブランカ、ハプスブルクもの(ハプスブルクの宝剣)、赤十字思想誕生150周年、虞美人(項羽と劉邦)、紅はこべ、相棒(TVの)、紫子(とりかえばや異聞)、ハムレット、ホセとカルメン、シャルル・トレネの若き日、ネルソン海軍提督、国際的な捜査機関もの、近未来ファンタジーなど。/「ハプスブルクの宝剣 魂に宿る光」のラストは蛇足。そっちに持っていかなくていいのに〜。/Pocket Informantが期間限定で800円。ハイチに寄付するそう。このアプリ、しばらくトラブっていたのだ。(hammer.mule)
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/
>  公演予定
< http://www.pocketinformant.com/products_info.php?p_id=pocketinformant_iphone
>
PI