私症説[11]試合放棄
── 永吉克之 ──

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残りの人生を何と称すればいいか。永吉さんにとって長年の懸案でしたが、締め切りも迫っていたので「消化試合」に決めたと連絡してきました。「優勝」の可能性がなくなったからでしょう。永吉さんは以前「"戦力外通告"っちゅうのはどないでっしゃろか?」なんて僕に相談したことがあったのですが、永吉さんの後輩で、すっかり人生に絶望している迫田壮吾さんが、一年も前から「戦力外通告」を使っていると知って、結局「消化試合」にしたそうです。

しかし、永吉さんのことですから、優勝の希望がついえたとはいえ、「やる気あんのかこの野郎!」とヤジられないような、いいプレイを見せる努力はするでしょう。いや、いいプレイを見せる努力をしているかのように見せる努力はするでしょう。この呼称について永吉さんからもらったメールの抜粋です。「すでに他のチームの優勝が決まっているのに、なお優勝するつもりで試合をする。私はこれから、そういう実存主義的反抗を試みる者であるかのように話し、歩き、笑い、食べ、寝なければなりません。永吉の寝顔は、まったくもって実存的だと、観客に言われるようになりたいものです^^」

これを読みながら、ある疑問が浮かんだのですが、永吉さんの新たなる決意に水を差すようなことは言いたくなかったし、それに後日、仕事で大阪に出張したついでに永吉さんと呑む約束があったので、その点については、話の成り行き次第で訊けばいいと思い、とりあえず、そのことには触れないでおきました。



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永吉さんと久しぶりに会ったのは、梅田にある「牙門」という焼肉の高級店でした。永吉さんは貧乏人なので、当然、金持ちの僕のおごりです。おごりなんだから、野菜もの以外は食べないように、肉類には箸をつけないようにと、永吉さんにはあらかじめメールで厳重に伝えておいたので、僕は安心して、カルビを網の上で返しながら、今回の件について切り出しました。

「"消化試合"と名づけたのは、やっぱり永吉さんの人生において、もう優勝はありえないと諦めたからですか?」

----永吉さんは、タマネギを網にのせながら、ふふ、と笑いを漏らしました。
「ま、そういうこってすわ。体と頭が思うように働くのも、せいぜいあと10年かそこらでっしゃろ。もう先(せん)から腰もあかん、眼もあかん、物忘れのひどさっちゅうたら、あんた、親の命日も思い出せんことがあるくらいだす」

----僕は、それは残念ですね、と言おうとしたのですが、ロースを頬張っていたので、言葉になりませんでした。永吉さんは、シイタケをタレに浸しながら、話を続けました。
「そんな案配やよってに、仕事もはかどりまへんわ。始めは年長者やからゆうて、わてに遠慮しとった若い人らも、しまいには、おっさん早よせんかい、トラック待ってるやろ、とまで言うようになりました。まあ、それはよろし。あの人らの不満はよう分ります。そやけど辛かったんは、あないどんくさい仕事しくさって、わいらと同じ給金もろてんねさかい、年寄り(とっしょり)はええわな、て誰かが嫌味言うてんのが聞こえたときだす」

----僕は、牛タンをビールで流し込んで言いました。
「ひどいなあ、それは......いや、でも永吉さん、それだったら、永吉さんの人生こそ"戦力外通告"を掲げるにふさわしいじゃないですか。それにしましょう。商号じゃないから、迫田壮吾さんと同じ名称にしても問題ありません。変更するならまだ間に合います。われこそが正統な戦力外通告だって、アピールしましょうよ」

----そう言って僕は、事務所に連絡をするために、背広の内ポケットから携帯
電話を取り出そうとすると、永吉さんは、炙ったピーマンをはさんだ箸を左右に振りました。
「おおきにおおきに。そやけどそれは待っとくなはれ。なんぼなんでも、後輩の真似はできまへん」
「そういう見栄は、捨てましょうよ、この際」
「見栄はとうに捨てとりま。見栄張って生きられるご時世やおまへんよってに。そうやのうて、この世界で生きる人間の、まあ言うたら矜持ですわ」
「よく分りませんけど......じゃ、"消化試合"でいきますか?」

----キャベツをちびちびと齧りながら、永吉さんは暫く考えていました。
「それについては、もうひと晩、考えさせてもらえまへんやろか。えろう無理言うてからに、すんまへんな」

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お互いかなり酔いの回った頃でした。網の上のハラミがちょうど食べ頃に焼けていたので、取り皿に移そうとしたときに、ふと思い出しました。

「先日くださったメールに"実存的だと、観客に言われるようになりたい"とありましたよね。で、その"観客"というのは、誰を指してるんですか?」

----永吉さんは、タレをつけたナスを口に運ぼうとしていましたが、その手を止めて、箸先にはさんだナスのスライスを眺めながら、自問するように「それは......」とつぶやいたかと思うと、急に大笑いして僕の顔を見ました。
「そうでんな。あんた、ええとこに気ぃつかはったわ。よう言うてくれました。ほんま、わてもアホですわ。こんな落ちぶれた男にいつまでも観客がついてると思てたんやから。はははは」
「いえいえ、そんな意味で言ったんじゃなくて......」

----僕は、固くてどうにも噛み切れないミノを皿に吐き出して、あわてて釈明しようとしました。
「この歳でっさかい、身内の葬式で、親戚と顔合わせる機会も増えました。若い頃やったら、おい芸術家、絵は売れとるんか、とか、永吉家初の有名人になれよ、とか励まされたもんだす。それが今では、病気はしてへんか、蓄えはあるんか、そんなんばっかりですわ。今年もらった知人からの年賀状でも、わての芸術活動について尋ねてくれてるのは、ひとつもおまへんでした。お義理の観客すらおらへん男を見ようっちゅう物好きな観客がどこにおりまんねん」

永吉さんには野菜ものばかり食べさせて、僕もすこし気が咎めたので、最後に、網にこびりついて炭のようになった肉片を食べることを許可しました。永吉さんは、それらをひとつひとつ剥がして食べる終ると、疲れたから帰るといって、ふらふらと立ち上がりました。かなり酔っていたらしく、舞台の上手と下手(上手は客席から見て右側。下手はその逆)を間違え、上手から去ろうとするのを僕が引き止めて肩を貸し、下手の花道を通って劇場の外に出ました。途中、客席からは、いかにもお愛想の拍手がぱらぱらと聞こえました。

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翌朝、事務所に行くと、永吉さんからメールが届いていました。
「昨夜は、ひどい舞台を見せてしまって申し訳ありません。あなたに指摘されて、いったい誰が観客なのか。そもそも観客は存在するのか。その疑問が頭を離れず、その後の演技はもうめちゃくちゃで、よく憶えていません。まあ、それはともかく、私の人生の呼称ですが、"試合放棄"に決めました。もう変えるつもりはありません。登録お願いします」

試合放棄。僕も、これに勝る呼称はないと思いました。永吉さんに最もふさわしい生き方を過不足なく表現しています。「消化試合」や「戦力外通告」には、まだ人生や人間に対する希望の残滓がこびりついていますが「試合放棄」には、自己の生存そのものに対する未練すら感じらません。永吉さんが、これからいつまで生きていられるか。それに注目しようと思います。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このコラムのテキストは、以下のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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