私症説[20]人生の意味を探求する筋肉
── 永吉克之 ──

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以前、ツイッターでちょっこし書いたことがあって、われながらうまいこと言うもんだと自画自賛した140字に満たないツイートを何10倍にも水増ししたのが今回のテキストである。

宇宙が発生する前はどうなっていたのか? 死んだらどこに行くのか? 神は存在するのか? 「東京に行く」「大阪に住む」「福岡で生まれる」などのように「都・府・県」は省略するのに、なぜ北海道だけ「道」を省略して「北海に行く」と言わないのか?

......などなど人類を長い間苛み、ときに狂気に走らせてきた問いは数多(あまた)あるが、なかんずく「生きることの意味は何か」という問いは、その答えを探し求めた人びとの多くを自死に追いやった、いわば「人殺し問い」である。

信仰篤く、教義を無条件に受け入れられる人は幸いなり。「食べるにも飲むにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」と、人生に目的を与えられている人は幸いなり。では、そうでない人びと、羊飼いに導いてもらえない羊たちはどないしまひょ。



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生きる意味や目的なんていうものは知らなくても、少しも困らない。胃袋がなんのためにあるのか知らなくても食べれば勝手に消化吸収してくれるのと同じである。では、なぜ人はそれを知ろうとして苦悩するのか。

それは、人間の探究心が「不随意筋」でできているからだ。説明するまでもないが、不随意筋というのは、心臓を鼓動させたり胃に蠕動(ぜんどう)運動させたりする筋肉のことで、持ち主の都合で止めたり動かしたりはできない。ステキな男性の前でドキドキして顔が紅くなるのがイヤだから、彼といる間は心臓と血流を止めましょ、というわけにはいかないのだ。

もし探究心が自分の意志でコントロールできる「随意筋」でできていたら、人間は、空を見ても、この空間はどこまで続いているんだろうなんて考えなかっただろう。随意筋を使うのは生活するうえで必要なときだけだからだ。

神様が直接教えてくれない限り、生きることの意味をいくら考えても答えなんか出ないのだから、考えるのをやめれば余計なエネルギーを使わずにすむのだが、何しろ不随意筋なのだから、やめたくてもやめられない。そんなわけで人間は、答えの出ない問いの答えを探し続けて生涯を終るのだ。不随意筋に引っぱり回されて、疲労困憊して死ぬのだ。

経験から言うのだが、女がいったん男に愛想も小想も尽き果てて他の男に走ったらもうお終いだ。その女と寄りを戻すことは不可能である。しかし男の不随意筋は丈夫だから、どんなに冷たくされても、なんとか女を取り戻す方法はないかと探求を続ける。そして、たいていは不随意筋が炎症を起こして挫折するが、一部の男たちの不随意筋はむしろ鍛えられ、ストーカーに進化して警察沙汰になるまで探求を続ける。刑務所にいても探求をやめない。出所したらまたストーカー活動に復帰する。事程左様に不随意筋とは堅固なものなのだ。

私は宇宙物理学については無知蒙昧だが、ただひとつ確信がある。根拠はないが、これは啓示なのだから根拠など要らない。それは宇宙がどうやって始まったのか、人間には永遠に解明できないということだ。ビッグバン以前が「無」だったとするとビッグバンを誘発するものもなかったことになる。にもかかわらず、科学者たちが、無から有が生まれた理屈を作り上げようとしているのは、ほかならない不随意筋の活動によるものだ。

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私の両親はともに泉下にいる。ふたりが息を引き取るまでの数ヶ月を毎日見続けたが、臨終までの数週間は、ふたりとも正常な思考ができなくなっていた。何もない場所を指差して「子供がいる」と言ったり「夜は右か左か」などと意味のわからないことを聞いたりした。だから、おそらく人生の意味だの目的だの考えることもなかっただろうと思う。それは神仏の慈悲だったにちがいない。答えのない問を死ぬ直前まで考えさせるがは、ちっくとムゴいぜよという思し召しだったのだろう。

父親が亡くなったときの年齢が72だったから、私はあと18年しか生きられないのである。われわれモンゴロイドは、第一子が男で、その父親と血液型が同じ場合は、例外なく父親と同じ年齢で死亡するのだ。残りわずか18年間の人生。欺瞞に満ちた平和のなかで自分をだましながら生きていきたいものだと日頃から考えていた。

そんなわけで私は、探究心を支えている不随意筋を切除した。この筋肉は、盲腸の先端にある虫垂と同じで、なくても生きて行ける部位である。実際、私は虫垂を30年以上前に切除した。手術前に若い、ぽっちゃり美人の看護婦に下腹部の体毛を剃られるのが、それほど嫌ではなかったし、どっちかというと嬉しかったが、そんなことはどうでもいい。とにかく、いまだに何の不調もない。虫垂でそうなのだから、探究心を支える不随意筋を切除したところでウオノメを取り除いたほどの影響もなかろうと思って切ったのだった。

探究心を支える不随意筋は左右の臀部の表面にある。衛生に注意して、少し痛いのを我慢できるなら、麻酔もいらず自宅でも施術が可能だ。熱湯消毒したカミソリで1cmほどの切り込みをつけたら、あとは指ではがすだけのこと。10分もかからなかった。

術後の経過は良好で、もう自転車に乗っても臀部に痛みを感じない。探究心を支える筋肉は、2cm×8cmほどの大きさで、切除してから4〜6日間おいておくと堅くなって茶褐色になり、ちょうどビーフジャーキーのようになる。ビタミンB、亜鉛、タンパク質などが含まれているらしい。ビールの肴にしようと思っていたのに、どこに置いたのかわからなくなってしまって、かれこれひと月近く放置している。まあ、どうでもいいのだが。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp

私がツイッターのアカウントをデジクリで公表しないのには訳がある。というのは、「これが私のツイッターアカウントなんです」と暗にフォローを促すかのような印象を読者に与えておいて、結果フォロワーがぜんぜん増えなかったら、強烈に恰好悪いからだ。そしてその結果、私のコラムがいかに読まれていないかが判明することにでもなったら、もうデジクリに寄稿する意欲を失ってしまうだろう。私は不都合な真実は知りたくないのだ。

しかしそれだけではない。もし、フォロワーが少ないな、人気ないねアンタと言われたとしても、公表してないんだから少なくて当然でしょ、と言い訳ができる。そんなカラクリになっているのだ。また、プロフィール欄では「フォロー返しされようがされるまいが面白いこと書いてる人はフォローしています」と表明しているが、これは、フォローしたのにフォローを返してもらえなかったという不都合な真実をまったく問題視していないかのように装うための巧妙なレトリックである。これらの恐るべき戦略的才覚に、我ながら震撼する。/このコラムのテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。

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