[2949] これは速読しないでください

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《今が学び時だ》

■わが逃走[75]
 帰ってきたオリンパス・ペンの巻 その2
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[172]
 反省:海よりも深く
 三井英樹

■私症説[20]
 これは速読しないでください
 永吉克之



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■わが逃走[75]
帰ってきたオリンパス・ペンの巻 その2

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20101104140300.html
>
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という訳で、修理を終えて帰ってきたオリンパス・ペンS(f3.5)を持って、ぷらぷらテスト撮影なんてことをしてみることにした。

ちなみに、このオリンパス・ペンは完全なマニュアルカメラです。つまり、絞りもシャッタースピードもピントも全て自分で設定するのだ。さらに露出計も距離計もついてないから、外付けのものを使うか、勘と目測でなんとかする。

このへんこそペンの面白さと言えましょう。操作する楽しさを全て機械に奪われた、最近のコンパクトデジカメとは真逆の良さという奴ですね。ある程度の慣れは必要かもしれないけど、そこがまた楽しい。

という訳でいざ撮影です。ネガフィルムを使えば露出の幅も融通きくし、より一層気楽さUPな訳ですが、今回はテストという意味合いもあるので、外付けの露出計+ポジで撮ってみました。ピントはもちろん目測。

で、こちらが今回の頼れる味方、フォクトレンダーのVCメーター。こいつは露出計が搭載されてないクラシックカメラにマッチングするようデザインされたらしく、ペンにくっつけてもよく似合う。しかも軽い。
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig1 >

そんな訳で、お出かけのときは必ずペンを首から下げて、気になる景色はとりあえずパチパチと撮っていったのだった。

さて、撮りはじめたはいいがうっかり36枚撮りを入れてしまったため、なかなかフィルムが終わらない。前回も書いたけど、ペンはハーフサイズのカメラだから36枚撮りで72枚も撮れるのです(その分解像度は半分ということになる)。

デジカメと違って、フィルムでしかもマニュアルで72枚というと、けっこうな量あるもんですね。出かけたついでに撮り歩く感じだと、シャッターを押すよう心がけても一本撮り終わるまで3日もかかた。恐るべしハーフサイズ。

そんなこんなで現像が上がってきたので、ライトテーブルに乗せてみた。おお、ちゃんと撮れてる。
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig2 >

昔の露出計内蔵型カメラだと、シートをライトテーブルに乗せたとたん、まっしろ! てな具合に、ポジを使うとオーバー目になっちゃうこともままあるのだが、21世紀の露出計を付けたペンには失敗はほとんどなかった。ちなみにこのオリンパス・ペンS(f3.5)のレンズは35ミリ換算で焦点距離は約39mm。いわゆる準広角ってやつですね。もうちょっと画角が広いと融通きくのだが、そのへんはご愛嬌。

こんな写真が撮れた。1
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig3 >

赤坂にて。ハーフサイズは普通の35ミリフィルムの半分で1枚。なので、フィルムスキャナーでスキャンするとこんな感じになる。組写真を意識した訳でもないが、これはこれで面白いかもしれない。青空バックの赤プリの壁面は白トビもせず、ちゃんと踏みとどまってくれた。とちょっと嬉しかった。

こんな写真が撮れた。2
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig4 >

銀座四丁目交差点。ハーフサイズだとついタテ位置の写真を撮ってしまう。普通に構えるとタテ構図になるので当然といえば当然だが、ポスターやパンフレット等のデザインなんかをしている身としましてはけっこう自然。また、タテが苦手な人にも構図養成ギプスとしてこのカメラは有効かもしれない。あ、でも今はみんなケータイで撮ってるからそんなに違和感ないか。

こんな写真が撮れた。3
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig5 >

ウチの近所にて。別に意識した訳じゃないんだけど、ちょっと昭和を感じます。この景色の後側では道路の拡張工事が進行中で、数年前とはまるで違う景色になってしまいました。土建屋に仕事を作らないと日本の行政は行き詰まるそうですが、親子で同じ景色を共有できないと人間関係が行き詰まるのではなかろうか。

といった感じで、なかなか楽しく撮影することができました。修理から戻ったら別人のように若返ってしまったオリンパス・ペンS。オレ的には大満足です。

ついでなので、衝動買いしたオリンパス・ペンS(f2.8)の試し撮りについても報告しちゃいます。モノ的にはレンズ以外の基本的な構造はf3.5と同じで、焦点距離は35ミリ換算で約42mm。微妙に標準寄り。

こんな写真が撮れた。4
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig6 >

御茶の水にて。ハーフサイズならではの表現として、こういうパノラマ的写真というのもアリでしょう。次回はもっとコマとコマの間の重なりをなくして、よりパノラマ感をアップさせたいです。

こんな写真が撮れた。5
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig7 >

地元にて。あっと思った瞬間にシャターを切った。高度に電子化されたカメラだと起動に時間がかかったりするもんだが、電池すら不要のペンならタイムラグはゼロに等しい。その時の天候から大体の数値...たとえば1/125、f5.6、5mとセットしておけば、まあなんとかなるのだ。

こんな写真が撮れた。6
< https://bn.dgcr.com/archives/2010/11/04/images/fig8 >

豊洲にて。いかにも土壌が汚染されてそうな感じがgood。この無機的な建物と駐車場の対比を見た瞬間、フェンスに(ちょっとだけ)よじ登って撮った。ちょっと行動が怪しかったかもしれない。最近はオシャレじゃない奴がカメラを持っていると、変質者と間違えられたりするので注意だ。

てな具合で、オリンパス・ペンと一緒の日々はなかなか楽しい。しかし、フィルム性能が極限までアップして、なおかつまだフィルムが手に入るという時代はそう長くは続くまい。なのでペンを使うなら今しかない! のかもしれない。

さて、写真の管理がほとんどパソコン上で行われている現在、唯一めんどくさい作業はスキャンです。現像のときにCDに焼いてくれるサービスがもっと安ければなー!! と思う齋藤浩でした。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[172]
反省:海よりも深く

三井英樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20101104140200.html
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RIACのビジネスセミナーに深く関わっている。コンテンツ企画、出演者交渉、当日司会、そしてプレゼン。沢山の助け手はいるけれど、手を出している領域は広がり、責任も増え、負荷は高まっている。

  ▼RIAC:RIAコンソーシアム:[Bセミ-XVII]
  〜HTML5のインパクト:Web情報発信はどう変わる〜
  < http://www.riac.jp/2010/10/b-xviihtml5web.html
>

先週書いたプレゼン手法のコラムは、自分的には、自分を追い込むためのものでもあった。さばききれないタスクの量と質。試行錯誤を重ねているのは、個々のタスクだけではなくて、その全体調和。

今、チャレンジしているのは、担うべきとされたタスクや仕事を、いかにバランスを保って回すか。量と質を引き上げたい。だから、そのやり方を工夫している。無理して、余計なことにまで口を出すのは、そもそもの性格に拠ってもいるが、少し意図して自分を調教してみている。

言った以上、それなりのことをしなければならない。それには疑問符はつかない。そんなものだと染み付いている。その領域に入ったタスクは、まま処理するようになっている。だから、その領域に追い込んでみようと。火事場の馬鹿力、終電前の奇跡を信じて。


風呂敷を広げて書くと、クラウド以降、担う仕事が爆発的に増えている。量質以外に規模という軸も増えて、だ。それらに耐えなきゃならない。今が学び時だと思っている。Webの世界は、時間やタイミングが大きな意味を持つ。時を逸すると、二度とチャンスは来ない、ことが多い。失地回復/リカバーの機会は余程のことがない限り少ない。

規模は明らかに異なるけれど、CSS Zen Gardenの出現でテーブルレイアウトを捨てざるを得なかった時も、そんな決断だった。CSSで行かなければならない。だからそんな場を作った。当時基本的には社内タスクが主だったので、正直どちらでも誰も迷惑しない。でも敢えて厳しい道を選んだ。学び時だと思ったからだ。

  ▼css Zen Garden: The Beauty in CSS Design
  < http://www.csszengarden.com/
>
  ▼css Zen Garden:CSS デザインの美
  < http://www.csszengarden.com/tr/japanese/
>

テーブルレイアウトとsapcer.gif。慣れ親しんだ技法と考え方。捨て去ること自体に苦痛があった。巧く調整できないもどかしさ。でも、捨てて正解だった。そんな見た目で分かるフェーズから、タスク間調整という目に見えない領域での、従来手法を捨て去ることを試している。

今やっておかないと。そんな恐れが頭から離れない。この苦しさを乗り越えたとしても、安泰な道が待っていないだろうことは、経験的に知っている。Webに関わる以上、安定した期間など期待してはならないんだろう、仮にそんな期間が存在したなら、それは神様からのボーナスと考えるべきかもしれない。

走り続けることが参入の条件だったのだ。楽しげだからと足を踏み入れたけれど、それだけではない道だった。当たり前の結論を、引き帰す道もなくなってから思い知る。でも、楽しみも増している。楽しみの幅が広がった。

見映えの美しさを求める楽しさから、構造的な美しさや、辿り着き易さという美に関する楽しさへ。こんがらがったパズルを解くかのような愉しみ。迷子になる路地を埋め立てて、一本道を作る。公開当時は喜ばれるが、すぐさまそれが当たり前になり、努力の量も質も威張れない。一見瞬間芸のような仕事のように見えつつ、その実日々その道で迷わなくなった人たちからは見えない拍手が届く。まさに、日常的な道路工事。感謝の言葉は届かずとも、笑って通ってもらえる道作り。

それが広がった。インフラの選定から負荷テスト、スケーリング、配置場所や冗長性。Web屋に聞くな、SIer(システムインテグレータ)に聞けよと思いつつ、5年経ったら普通に聞かれ頼られるんだろうと思える分野。総合費用を考えたいクライアントにとっては、一括で相談(発注)できる所の方が重宝するのだから、もはや不可避な道だろう。


道が広がるなら、車幅の広い道で対抗するのだろうと準備している。何とか自己鍛錬で、ともがいている。しかし、反省することの方が多い。

先日のセミナーも、一期一会と分かりつつ、自分のセッションを終えたところで何人かの辛口派に確認したら、一番伝わってきたのは非常に疲れているということだ言われた。そりゃそうだ。ちゃんと寝てない日が何週間も続いている。

でも、それじゃあ駄目だ。そもそも有料セミナーだ。そんな感想を持って帰ってもらっては、申し訳ない。気を取り直して司会やパネルディスカッションに臨む。百戦錬磨の論客達の前で少し緊張もしてしまった。そして、何だか空回りしている感が最後まで解けない。

でも、寝ている人はいなかったと思う。会場アンケートも8割がたの回収率で、セッションとして期待と違っていたというのは一件のみで、それが残念だったのか期待と違っていたが満足だったかは不明。もう少しこの辺を聞きたかったとか、別視点のパネラーを入れれば話しが弾んだだろうとの声がちらほら。

いつも、かなりの文字量で皆さん感想を書いてくれるのだが、今回は更に多かったように思う。twitterでも、非難は私がIE9betaを使わなかったこと(一応MSさんには先に謝っての上ですが)と電子書籍の話に広げた辺りか。いつもなら、成功にカウントする。

  ▼Twitter / Search - #riac
  < http://twitter.com/#search?q=%23riac
>

でも、会場は明るくなかった。HTML5というテーマが未だ先のことだという認識だったのか、それとも何か欠陥や失策があったのか。いつものように翌日からウジウジと悩む。今回は祭日(11/3)だったので、余計にウジウジ余裕ができてしまった。得るものが少なく、残念な思いをされた方がいたら本当に申し訳ないと思い悩む。

あーすればよかったのか、こーすればどうだったのか。当日ですら見せてない資料も実は用意していた。それも見せればよかったのか。悩みは続く。願わくば、次回はもっと明るい場にしていきたい。精進あるのみ。

ps.想定外だったのは、IE6のシェア率の高さ。ざっと6割強。全然笑い事じゃない。HTML5どころですらないと言ってもいい。かなり蒼ざめた。ベンダー側から標準の声を上げても駄目かもしれない。業界、利用者を含めたら全ネットユーザになってしまうんだけれど、業界全体で標準とは何かを考え始めないと、足を引っ張る地雷が巨大化していく予感さえする。

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・一応今期は175までの予定、追い込みすぎで軋みを発しているので。あと3回。
・mitmix : < * http://www.mitmix.net/
>
・Twitter : < * http://twitter.com/mit
>

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■私症説[20]
これは速読しないでください

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20101104140100.html
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申し訳ない。いったんは、Twitterに関するものを書き上げたのだが、読み返してみて、これはツイッターをやってないと面白くないだろう、なんでこんなもの書いちまったんだと、そのテキストをばりばりと破いてしまった。そんなわけで今回は過去、私のブログに掲載したテキストに少し手を加えたものをリサイクル利用して、地球に優しいコラムにさせてもらった。

●鼻にする

恐ろしい光景を〈目にする〉不穏な噂を〈耳にする〉野卑な言葉を〈口にする〉血まみれのナイフを〈手にする〉とはよく言うのに、なぜか、腐った生ゴミの臭いを〈鼻にする〉とは、ふつう言わない。なぜだろう?

五官のうちで、どうして嗅覚、つまり鼻だけが「にする」待遇を許されないのだろう。わからない。気が狂いそうだ。

●破くる

紙を裂くことを、〈破る〉とも〈破く〉とも言う。ではなぜ〈記録を破る〉は正しくて〈記録を破く〉は間違いなのか。

それだけではない。「わたしとの愛の誓いを破いたのね」「人生の賭けに破けた男たち」「無敗の強豪エメリヤーエンコ・ヒョードル、KOで破ける!」「ランナーは心臓破きの丘にさしかかりました!」「はーっははは、私の変装を見破くとは、さすが明智くんだね」とも言わない。

たかが紙ではないか。マッチ一本で燃え尽きてしまう紙ではないか。それが「破る」(ラ行五段活用)「破く」(カ行五段活用)という、それぞれ独立した動詞の両方をなすがままにする権利をもっている。

しかし、愛や人生、エメリヤーエンコ・ヒョードル、心臓、変装といった、人間の最も高度な精神・肉体活動には、ラ行五段活用しか使えないというのは、どう考えても筋が通らない。

愛は紙よりも下等ということなのか。わからない。気が狂いそうだ。

●スパムメールの効用

ぼくはスパムメールが大好きだ。なぜなら英語の勉強になるからだ。スパムのほとんどが海外からのもので、たいていは英語で書いてあるから、それが単なるスパムなのか真面目なメールなのか判別するために、辞書をひきながら、一件一件読んでいるうちに単語もかなり憶え、読むペースも速くなった。そして今では、全文を読まなくても、始めの数行でスパムかどうかが判断できるようになった。

以下は、実際に届いたスパムの冒頭の部分なのだが、この程度なら辞書の助けを借りなくても訳すのは雑作もないことだ。

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●これは速読しないでください

「速読」というものがある。テレビでデモンストレーションしているところしか見たことがないのだが、とにかく読むのが速い。文庫本を1ページ1秒くらいのペースで読むのだから、もはや無法というしかない。

たしかに、芸術性も神秘性もいぶし銀のような渋みもないDVDレコーダーのマニュアルなら、それだけ速く読めれば時間の節約になってたいへんケッコーなことなのだが、芸術性も神秘性もいぶし銀のような渋みもある文学作品まで1ページ1秒のペースで読まれたら、作者はたまったものではない。

手許に、ドストエフスキー作『未成年』(新潮文庫)があるが、上下巻あわせると1000ページを超える。上のペースだと速読者たちはこれを約17分間で読んでしまうことになるわけだ。ドストエフスキーはすでに死んでいるが、これを聞いたら、絶望のあまり、もっと死んでしまうかもしれない。

『未成年』は大作だ。半年やそこらで書いたとは思えない。手間をかけて取材もしただろう。編集者と火花をちらす論争をしたかもしれない。執筆に熱中するあまり夫婦生活をなおざりにして、妻から「この役立たず!」と罵られたかもしれないのだ。

そんな思いをして書き上げた労作を、わずか17分間で読んでしまうのは、あまりに無慈悲とは言えまいか。速読者にも人並みに温かい血が流れているのなら、作者の立場に立って、せめて1週間はかけて読んでやってほしいものだ。

お客様に喜んでもらおうと、なかなか手に入らない食材を脚を棒にして集め、何日もコトコト煮込んで作ったカレーを、とっておきの高級皿に盛って出したところ、それを10秒で丸呑みにされてしまったとしたら、作った人はどんな気持ちがするだろう。

構想5年、製作期間3年、しかも自主制作でスポンサーがつかないから、ローンが残っている家を担保にして借りた資金をもとに作った映画のビデオを速送りで観られたら、作者はどんな気持ちがするだろう。かりに1分間観ただけで忍耐の限界に達してしまうような退屈きわまる作品でも、速送りせずに最後まで観るのが礼儀というものではないだろうか。

速読者にはハンディをつけるべきだ。速読者用の本は、文字を極端に小さくして虫眼鏡で読ませる、あるいは、印刷をひどく滲ませて、何と書いてあるのかよく解らなくする。ページの順序をばらばらにして、次のページがどこにあるのか苦労して探させるなどが考えられるが、そういった特別仕様の印刷だとコストがかかるのなら、速読者が本を買うのを妨害する、速読者が買う場合は極度に高額にするといった方法も可能である。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■編集後記(11/4)

・先週末に中学校のクラス会一泊旅行に参加した。って、幹事なんだけど。20年前から隔年で開催して来た伝統あるイベント"修学旅行"で、男8人、女9人の17人が参加した。今回は10回目を記念して秘かに「なつかし写真館」を企画した。小規模なスライドショーにぴったりなプロジェクター内蔵のコンデジが発売されたので、それを用いて今までの旅行の記録や、小中学校時代の古写真を宿舎の部屋の壁に投影して、みんなをあっと言わせようという狙いだ。パソコンに取り込んだJPEGをSDメモリーカードに保存し、それを投影できるというのが、従来のデジカメにない機能だ。しかし、購入資金がないのでレンタルしようとしたが、新製品なのでまだ扱っている店がない。そこでダメモトで某社(って、どこかは明白だが)のカスタマーサポートセンターに、レビューを書くから数日拝借したいと簡単な企画書を送ったら、すぐに電話がかかってきて、意図は承知したが担当が出張中なので、貸し出せるかどうかはまた連絡するとのこと。使用希望日の1週間前のことである。ところが、待てど暮らせど、とうとう電話もメールもなかった...。ダメモトだったからまあいいんだけど。少し期待していたので残念なことであった。それにしても、サイバーショットのコンデジはよく撮れる。年齢までヤバイほど写る。集合写真はともかく、個人のバストショットなどは、プリントをためらうのである。(柴田)

・今月は観劇が5つ。そのうち4つが宝塚歌劇。チケットは数ヶ月前に購入していて、その時は、仕事ラッシュが終わりそうだからと気軽に予定に入れていた。といってもやはり忙しくなってはと考えてハシゴ、というより祝日が2回ある月で且つハシゴする前提での5つ。昨日観たのは「オネーギン」と「愛と青春の旅立ち/宝塚花の踊り絵巻」。初めて友人に宝塚歌劇に連れて行ってもらった時、この人誰? と尋ねたのが、下っ端の時の轟悠さん。出番少ないのに、初観劇の素人が気になるぐらいの光り具合。以来、かっこいい〜と言っていたにも係わらず、仕事が忙しくなって観劇自体から遠のいてしまい、この人のトップスター時代は観ていない。まさかトップスターを経て専科(通常の配属とは違い、芸に秀でた人が入るところ。通常トップスターはトップのまま退団)所属になるなんて。実は歌声(声自体。息や喉の使い方)が苦手というか、もったいない〜な人なんだが(下手という意味ではない)、その頃はソロなんてないか、あってもちょっとなので気にはなっていなかった。作品自体に興味を覚えず、ハシゴできる日のチケットがとれたら行く、という程度であまり期待せずにいたのだが、彼女の細かな演技が胸を打つものであった。演出や台詞もその演技を押し出していて、心に残る。オネーギンの愚かで人間臭いところがとても良かった。一番胸に来たのは、二通の手紙の「笑わないでください」と「どうぞ笑ってください」。良かった、良かったと友人に話していたら、友人は「でもこの話ってあんまり複雑な話でもないし(たいした話ではないし)、話自体に突っ込みどころもあるし、舞台は小さく出演者も少ないのに、印象的なのってやっぱり演出と演技なんだろうなぁ」と。プーシキンの原作を読みたくなった。この舞台は年とってから改めて観ると、また違った感動がありそう。今日にでももう一度観てみたいんだけど、スケジュール的に無理だし、そもそも完売していて無理なのよね......。(hammer.mule)
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/196/
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オネーギン
< http://kageki.hankyu.co.jp/revue/192/
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愛と青春の旅立ち/宝塚花の踊り絵巻
< http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/takarazuka/takarazuka.html
>
後半がオネーギン評
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003260414/dgcrcom-22/
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