Otaku ワールドへようこそ![131]「臘月祭010」:長い年月の痕跡と、今ここだけの儚さ
── GrowHair ──

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壁のモルタルはぽろぽろと徐々に崩れ落ちていったとみえ、塗り込められていた木の板が露出している。その板もほとんどの部分が腐り落ち、もはやかなりの部分が空気の壁になっている。鉄階段の手すりの一部は自然に錆び落ちて途切れている。つる草の触手が宙に伸びる。木製の額縁に入れて壁に掲げられている人形の写真は、傾き、綿埃が堆積している。長い年月放置された人形たちは、かえって生き生きとみえ、生命を宿しているかのよう。

人知れず自然に帰っていきつつある部屋。かつては写真家が住んでいたという。孤独な写真家。愛したのは人形たち。終いには発狂して変死したという噂。......そんな展示が、銀座で今まさに開催中。「臘月祭010」。人形作家9人による作品と、私GrowHairによる人形の写真の展示です。

●こんな人たちがそれぞれの力を発揮した結晶です

参加者たちはみな、アーティストとして、私からみればはるか高いところにいる人ばかり。私はせめて箸とか棒とかぐらいには引っかかっていたいと、ひーこらひーこら言いながら、ついていくのが精一杯。一般的に言って、どんな芸事でも「下から上は見えないの法則」が成り立つように思う。格下の者は、格上の者のすごさをちゃんと理解することはできないのだ。

なので、格下の視点から、参加者たちがどう映っているかを述べてみたところで、浅い描写にしかなり得ず、的を外す可能性が高い。けど、人が人をどうみるかは時々刻々と変わっていくものであり、今はこう見えているというのは、今しか記録できない。なので、少しばかりイタタ......なのを承知の上で、主観を述べてみたい。



【壱】
愛実さん。今回の展示で初めて作品を撮らせていただいた。芸術性の高い、独創的な人形を作る方という印象があり、私なんぞが撮らせていただくということに実は相当なプレッシャーを感じていた。おまけに、ご本人が撮った写真がすでにすばらしく、これ以上何かする余地があるのだろうか、と大いに悩まされる。ご本人は話してみると気さくな方で、威圧感など微塵もなく、私が一方的に作品から畏れを感じて萎縮してたのだが。

10月11日(月・祝)に撮らせていただいた。この日は、茨城県にある煉瓦作りの洋館のリアル廃墟と、川崎のラブホテルの一室を転用した廃墟スタジオとのダブルヘッダー撮影だったが、両方に来ていただいた。人形は、左側の肩から腰にかけて、ごっそりとえぐり取られている。顔は、理想化された美人ではなく、そこらにいそうな地味めのおねいさん、って感じで、愛玩用の人形にありがちな美化をいっさい施していないだけに、非常にリアルな存在感がある。

表情は、苦痛ではなく、憂いをたたえている。外からの力によって大きな部分を喪失してしまった自我のありように悲しみを覚えつつも、その状態を受容し、ただ遠くを見ている。角度によってえぐれ面をどのくらい入れて撮るかで、印象ががらりと変わる。搬入のとき、写真をほめていただけた。おかげで、なんとか役目を果たせたと思うことができ、重石を取り除けてもらった感じ。そうなるとお調子者の私、また撮らせていただける機会があるといいな〜、なんて。

【弐】
青木綾子さん。太陽のように明るく、有無を言わさない力強さがある。似てるとか似てないとかいうことではなく、抽象的なイメージとして、北海道のヒグマを思い浮かべてしまう。川面を掌でべちーーーんと叩くと、打ち上げられたシャケが岸辺でビチビチビチビチ〜、みたいな。

青木さんの手にかかると問題がすっぱすっぱ解決しちゃう。展示の打合せなどで、みんなの希望を細かいところまで全部汲み取ろうとすると、解が存在しなくなり、議論がデッドロックしてしまうことがある。そんなとき、止まった空気にべちーーーん、と一撃を加えてくれる。気がつくとすぃっと解決している。

その力強さが作品にも表れている。他の人の作品を近くに並べると、ごめんなさいごめんなさいと小さくなってしまいそう。今回の出品作は、割とかわいい系の若い女の子。なのだが、ちゃんとついているのだ。何が、って、男性のイチモツが。ご本人によると、ナイことに納得がいかないのだそうで。一方、顔の表情には少しの憂いを含んだやわらかさがある。女性的なロマンと男性的な強さを兼ね備えて、完全体としての安心立命の境地を得る、といった感じか。

11月28日(日)に川崎の廃墟スタジオで撮影した際には、顔の向きとソレの向きと、両方に気をつけた。私が、ああでもないこうでもないと悩みつつ、つまんで動かす姿が面白かったらしい。

【参】
青木萌さん。北海道では、たいへんお世話になりました。......って話はすでに書いてますね。去年の2月に三浦半島の先っちょで撮らせてもらったときは、かわいらしくロマンチックな人形を作る方だという印象だった。けど、人形制作を始めるきっかけは、天野可淡の作品から衝撃を受けて、とのことだった。そのときはそう聞いただけで、創作性の高い、アート寄りの人形も面白いものを作ると知ったのは、もっと後になってからだったような。北海道では、愛玩系とアート系の両方を一体ずつ連れてきていただいた。

写真も豊かな発想力が発揮された、面白いものを撮る。そのあたり、こっちが負けてるかもしれない。機種は違うが、キヤノンの一眼レフを使っていて、望遠系のレンズを持っていないとのことだったので、北海道の2日目、私がズームレンズを使って森で動画を撮っている間、100mmのマクロレンズを貸してあげた。好きなものを自由に撮ったら、何をどんなふうに撮るか、密かにとても楽しみだった。さて、こっちの収録が一段落したとき見せてもらったら、一番重点的に撮っていた被写体は、なんと、ダンナ様だった。あ、ごちそうさま〜。

【四】
guttinoさん。アートの世界を真剣に生き抜こうとする本格派アーティスト。そうでないアーティストがどこにいるのだ、と聞かれると難しいのだが。まず、過去を生きた、あるいは、現在を生きる他者への関心の強さが印象的。どんなアーティストがどんなふうな境地を目指して、どう苦しんで、どういう表現を提示したか、非常に広く、かつ、深く研究している。

アートという広い宇宙と、自己の内面というこれまた広い宇宙との間での相互の投射関係を常に意識しているように見受けられる。それは、アートの中における自己の立ち位置をはっきりさせようという努力に他ならない。アーティストたちの多様なありようを、それぞれに理解した上で、あの人の目指す方向性のベクトルはあっちを向いている、この人のベクトルはこっちを向いている、ならば私のベクトルの向けるべき方向はこうだ、というようなことを、しっかり悩んで意思決定していると感じられる。

それは、アーティストとしてあたりまえのことのようではあるけれど、けっこう勇気の要ることなのだ。自分の立ち位置を探っていたら、結局どこにもなかったと分かって八方塞がりに陥ってしまうという恐怖がちらつくから。それよりも、あまり周りのことを見すぎないようにして、何かやっているうちに自然と自分の方向性が見えてくればいい、と鍵を天の神様に預けちゃったほうが楽かもしれない。私はそれはそれで否定しないけれども。ただ、guttinoさんのような、逃げずに立ち向かう姿勢は、敬意に値すると感じられるのだ。

作品からは、強い衝撃と緊張感が伝わってくる。まわりの空気が締まる。「神は細部に宿る」というが、あらゆる細部がきちんと出来たときに、全体から生命感が立ち上るような現象か。また、人に対して、マメにアドバイスをしてくれる。写真にも非常に詳しいので、大いに参考になる。って、俺が自分でやんなきゃだめじゃーん。がーーー!!!

【五】
赤色メトロさん。何か工夫してみようということと、面倒くさがらずにとにかく動いてみようということにかけて、びっくりするぐらい精力的。ほんとうにいろんなところへ行っていて、いい場所をいろいろ知っている。今まで撮ったロケ地のいくつかは、赤色メトロさんに教えてもらっているのだ、実は。日本の西のほうにある、いい場所を教えてもらっているのだが、まず一度見に行ってみようと決めているのになかなか行けない私とは大違いだ。

去年の臘月祭用に国道駅で撮ったときは、等身大の少女の人形と椅子を持ってきてくれて、びっくりだった。しかし、そのような積極性だけがすごいということではなく、感性がすばらしい。6月のパラボリカ・ビスのときは、空間作りに関して、みんなから絶対の信頼を得て活躍していた。今回の新作は、目や口元の特徴は、過去の作品の特徴をシリーズ的に踏襲しているが、いっそう暗く、訴える力が強まったように感じる。なんだかまるで、人形の姿や表情を介してではなく、人形のもつ自意識が直接的に言葉にならないメッセージをこっちへ投げかけてきているような気さえしてくる。

写真も、工夫を凝らして撮る。ひとつ不思議な符合をみた。最近、新宿の高島屋で人形作家の伽羅さんと、写真家のたかはしじゅんいちさんの展示があった。そこに展示されていた、和装人形の写真。ぱっと見て、ロケ地はあの場所に違いない、と分かる。昔、待合茶屋だったという、古い日本家屋だ。私も何回か、その場所で撮っている。今年の5月5日(水)には、パラボリカ・ビスでの展示用に、赤色メトロさんの和装人形を撮らせてもらっている。

たかはしさんの撮った伽羅さんの人形と、私が撮った赤色メトロさんの人形、構図が似てるのだ。頭上で両手首を赤い帯状の布で縛り上げられているのだ。伽羅さんのは、たかはしさんの、その場での思いつきだという。売れた人形を持ち主から借りてきて撮影したのだが、後で持ち主から怒られたという。あの人形はそういうことをするキャラではない、と。たかはしさんにもそんなことを楽しむ趣味はないという。一方、こっちのは、赤色メトロさんの思いつき。不思議な符合だが、昔、何かあったのだろうか。

【六】
橘明さん。大変。大変に大変。デキるから大変。なんでもデキちゃうから。いたって謙虚で、能力をひけらかしたりなぞ、決してしない。いたって控えめで、あれもこれもばりばりこなしちゃるけー、みたいな精力的なところを表に出したりしない。たいへん親切で、みんなが困っていることがあると「私にできることは何でもしますよ」と申し出てくれる。で、とても器用なもんだから、すぐ頼られちゃう。

勢い、本業のほうでは、どんどん重い責務を背負い込まされるようになってきて、けっこう大変みたい。傍から見ている私なんぞは、ついついじれったくなって、失礼を承知で意地悪なことを言ってみたくなる。「橘さんがエネルギーのかなりの部分を仕事に注ぎ込んじゃうなんてのは、芸術にとっては損失なんだから! 会社組織の仕事なんてのは、その人がやらなければ誰かがやるんだから。適当に手抜きして、余人をもってなしえない方面に力を注がなきゃ」。別に、偉くなろうと思ってばりばり働いた覚えはないそうなんだけど。いやいや大変そうっす。

「制作、後回し後回しで、うっちゃらかさないでね」「だいじょうぶ。黒いやる気がむくむくと湧いてきてるから」。あ、そうですか。そういうわけで、人形の撮影は、橘さんのが最後の最後、11月28日(日)の11:30pmまで川崎のラブホテルだった。作品は、根っこは共通するのかもしれないが、趣向に今までと違った新鮮みがあって面白い。撮っているときは、私は、宇宙船が難破して、無人星に漂着した宇宙人の子供をイメージしていた。衝撃で五体バラバラだけど、もともと宇宙に適したように作り変えられたサイボーグのような体なので、死んだわけではない。......ってな妄想が勝手に私の頭の中に組み立っていく。

展示を見たら、今度はマッドサイエンティストのイメージ。理想の少女人形を作ろうとして始めたはずなのに、作り手本人の意識がおかしくなってるもんだから、意識の迷走に引っ張りまわされて、どんどんおかしなものになっていく。ひひひひ、ひひひひ...。

【七】
土谷寛枇さん。両性具有の作品を初めて拝見したのは、'09年12月23日(火)のこと、高円寺のギャラリーで開かれていた人形のグループ展「すみっこでひそひそばなし」を見に行ったのは、青木萌さんの人形を見るのが目的だったが、そのときに土谷さんも参加していたのである。作品の写真を撮らせてもらったのは、今年の5月のことであり、パラボリカ・ビスでの展示に参加してくれたことによる。

ロケ地はどこがいいかと相談しているとき、どんな場所が好きか聞いたら、「汚いとこ」という答えであった。汚いところの「良さ」というものは、私にもある程度ピンとくる。普通の人がわざわざ見に行かないような薄汚れたイメージの場所にこそ、アートのモチーフになりうるような美が存することがある。一般的には蝶はきれいで蛾は汚いというイメージがあるようだが、それはキャラとして作られたイメージであって、現実には蛾の羽の輪郭線のほうが、鋭い曲線を描いて美しい。

ただ、汚いにもいろいろあって、どういう汚さがいいのかというイメージのすり合わせがなかなか難しい。結局、土谷さんが前々からロケ地として使ってみたかった場所として連れていってもらったのが、かの大学だったというわけだ。今回の新作には、ストーリーがある。汚いところに半ば埋まるようにして横たわっていた汚らしい人形。それを見つけた人が掘り出して持ち帰り、きれいにして、おめかししてみたら、実はなかなかの美人だったという、シンデレラストーリー。写真に写っているのと、展示してあるのが同一人物であることは、言われなければなかなか気づくまい。

【八】
林美登利さん。振り返ると感慨深い。私が創作人形とかかわりをもつ、最初のきっかけとなった人形作家さんだ。'05年4月29日(金)、浜松町で開かれた「ドールショウ」に行ったのは、ローゼンメイデンの作者であるPEACH-PITさんがイベントのチラシのイラストを描いていて、それが欲しかったからという理由。

そのときに、非常にリアルな少女の人形を展示していたのが、美登利さん。思わず目を奪われ「すごいですね」と声をかけていた。さらに厚かましくも、今度写真を撮らせてください、などとお願いしていた。美登利さんは、その時点で、グループ展に出展した経験などがあったものの、ほぼ無名の人形作家だったという。

それが、あれよあれよという間に登竜門を駆け上がっていった感じ。特に今年は活躍著しく、月に2回のペースでどこかに出品していたそうである。6月のパラボリカ・ビスでの展示をきっかけとして、新宿のマルイワンから声がかかって、展示しているし。写真家の堀江ケニーさんに撮ってもらった写真が雑誌「トーキングヘッズ(TH)」に掲載されているし。

これからも、プロの写真家に作品を撮ってもらう機会がどんどんありそうな気配。それと、画廊の企画展として個展が開けたなら、作家としてはトップ集団の一員ということになろうが、それも遠からず実現するんじゃないかな。私としては、後に大きく羽ばたくことになる作家さんを無名のころから注目してきたよん、という点が自慢だったりする。なんとチンケな自慢。というか、美登利さんの裾をつかんでぶら下がってきたおかげで、創作人形の世界について、いろいろ教わり、展示の機会にもあずかってきたという格好だ。ほんとうにありがたいことです。

異形の人形や、虐げられた子供の人形がとてもよい。それは、そういう者たちへの深い愛情に裏打ちされているからこそのことだ。今回の新作"Alice"は、顔が傷だらけ。虐待されてきたのか。けれど、Alice本人は、闘ったり逃げたりを試みるわけでもなく、また、逆に、完全になにもかもあきらめて、感情や意思の働きを失って精神の屍となって魂の抜けたように生きているわけでもなく。仕方のないことは仕方のないこととして受け入れた上で、どこか凛とした空気をまとい、毅然とした表情をみせる。それをあえて「かわいい」と形容してもいいと思う。

【九】
八裕沙さん。美登利さんと知り合ってからちょうど2年後、'07年4月29日(日)のドールショウで初めて会っている。美登利さんの隣のテーブルで人形を展示していた。6月2日(土)に、例の昔、待合茶屋だった日本家屋で美登利さんの人形を撮らせてもらえる話になっていたのだが、それに八裕さんもお誘いした。その撮影の帰りにグループ展をやろうよ、という話が持ち上がって、橘さんもお誘いし、翌年10月に銀座の「ヴァニラ画廊」で実現した。

今回の新作は、表情が面白い。上目遣いで、どんなポーズをとっても、意味ありげな視線を送り、生き生きとした感じが出る。さらに、人形を作る人にしか気がつくことができないであろう工夫が施されているという。まっすぐに立つことができる上に、前傾姿勢でも立つことができるのだ。絶妙なバランス。

去年もだけど、臘月祭では、リーダーを務めてくれている。個性の強い人たちをまとめていくのはさぞかし大変だろうと思うが、がんばってくれている。

【拾】
V銀太さん。俳優・演出家。今回の展示では「展示協力」という形で参加していただいている。けど、誰もが認める、今回の殊勲者。12月12日(日)、搬入の作業が終わって天井の照明を落とし、スポット照明だけにした瞬間、みんなから歓声が上がった。「廃」のイメージが美しく具現化された、うっとりするような心地よい空間。V銀太さんの心意気を見せてもらった格好だ。

こんなことができるんだ。こんな演出が可能なんだ。奇跡か魔法を見るかのよう。制作する者はみな、自分の命を削って作品に与えているのに違いないが、この大掛かりな仕掛けにおいては、特にそれを強く感じさせてくれる。命を分けてもらっているという感覚。

人形は、売れれば買い手のもとへ行くし、そうでなければ作家のもとに戻って存在し続ける。けれど、この空間は、今ここにしかない。わずか11日間の展示期間を終えると、片付けられ、元の何の変哲もない白い箱のギャラリーに戻る。長い時を経てなったとみえるこの空間なのに、実際には、それだけの儚さでしかない。人々に見ていただくこと、そして、記憶の中で生きつづけること、それだけが唯一の「供養」になると言っていい。12月23日(木・祝)までです。ぜひご覧いただければと思います。

人形と写真展「臘月祭010」ドヲル&フォト エキシビション
< http://www.kino19.com
>
< http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emidoti/GrowHairDM01 >
< http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Emidoti/GrowHairDM02 >

◇過去形の人形写真家の部屋

人形を愛し撮影し続けた孤独な写真家。その部屋は人知れず廃墟に変わり、人形たちが残された。陽が射しても部屋には何一つ動く気配も無く、風もそよがない。彼の生きた痕跡だけが、過去の存在を映し出している。
人形作家9人による作品、およびその人形たちを写した写真の展示です。発狂して変死した写真家の部屋がそのまま廃墟になりました、というコンセプトの下、空間作りをしました。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。クリスマスっていうのは、あれだよね、非モテ系の面々がネット越しに自虐的なギャグを飛ばしあって盛り上がるお祭りってことでいいんだよね?去年の俺はどうだったかというと、11月からヒトカラで密かにクリスマスソングを練習して歌詞まで覚えきったというのに、人前で披露する機会はついになく、結局イブもヒトカラでクリスマスソング歌って過ごしたっけなぁ。mixiの「中途半端なオタク」コミュには「恋人、友達のいないクズってクリスマス何するの?」というトピが立って、トピ主の「どーせエロゲーだろ。このトピ終了」の挑発を皮切りに、500件あまりの書き込みで盛り上がっている。ラブプラス、モンハン、バイト、コピ本原稿、餅つきするぞ少し早いが、サンタさんがノロウィルスにかかったからクリスマス中止だってよ、おまいらリア充が食い散らかしたチキンにお線香あげてるよ。