私症説[25]他者の眼は救う
── 永吉克之 ──

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先日、窪伊円桜(くぼいえんおう)さんと電話で話した時、私がいつまでたっても料理が下手で、家のなかも荒れ放題で、ひと月でもふた月でも毎日同じ服を着ていて、いつも腐ったイワシのような眼差しをしているのは「私生活に《他者の眼》がないからでちゅ」と指摘されてハッとした。

もともと家のなかはそこそこ整理されていたのだが、両親が亡くなって独り住いになり、《他者の眼》がなくなってから、少しずつ荒れ始めて、今では原状回復をするくらいならマンションを買い替えたほうが安くつくかもしれないと思うほどの惨状を呈している。火災報知器の点検などでやむなく業者を入れる以外で、自宅の内部を他人に見せることは絶無だ。

食事に関していえば、炊いた飯がべちゃべちゃで、焼き飯なのか雑炊なのかわからないような代物が出来上がっても平気で食べる。炊き込みご飯(グリコ・「炊き込み御膳」使用)を作ったら、洗い物をなるべく出したくないから、炊飯器から直接しゃもじで食べたりしている。

「ときどき誰かをお家にご招待ちて、ご馳走する習慣ができたら、自然と整理整頓をしゅるようになり、味だけでなく見た目のきれいちゃにも心を配ったお料理ができるようになりまちゅ。きゅっきゅ」と円桜さんは笑って言った。そして、人をもてなす心が茶の心でもあると言う。円桜さんはまだ2歳だが、茶道には造詣が深い。

しかし、なにしろ散らかりようが尋常ではないので、いつになったら人を招待できるようになるのか見当もつきません、と言うと、「しょれでは一週間後にあたちを招待ちてくだちゃい。しょれまでに片付けておいてくだちゃいね。きゅっきゅ」と恫喝されて私はしぶしぶ承知した。



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受話器を置いてから10秒後に円桜さんが、真っ赤な振り袖姿で私の家にいきなりやってきた。まだ片付いていないのに家のなかを見せるわけにはいきませんと、玄関で押し問答を繰り返した挙げ句、円桜さんは私を突き飛ばして、のしのしと居間に入ると「まあ。なんでちゅかこの家は! こんなおぞまちい家、ネジュミだってゴキブリだって住みまちぇませんわ。ええ、住みまちぇんとも!」と黒板を爪で引っ掻くような声をあげた。

そして私に向かって「こんなゴミ溜めにあたちを招待ちて、食事まで振舞うでちゅって? 女だと思って舐めたら承知ちまちぇんわよ!」と噛みつくと、なによこんなもの! あたちをバカにちて! と言いながら、シミだらけの布団、脚が一本しかないイス、仏壇、テレビ、インスタントラーメンの残りが乾いて底にこびりついている片手鍋など、手に触れるものは片っ端から、窓の外に放り出したので、見る見る部屋が広くなっていった。

ところが、体力増進のために買ってぜんぜん使わずに放置してあった10kgのダンベルが、なにかのはずみで円桜さんの振り袖の袂に入ってしまった。袂から取り出せばいいものを、その辺がガキの浅知恵で、ダンベルを振り放そうとして窓に向かって腕を振ったら、袂に入ったダンベルといっしょに円桜さんも窓の外に飛んでいった。

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円桜さんが身をもって私に伝えようしたのは、部屋を片付けるうえで最も単純かつ効果的な方法は「捨てる」以外にないということだが、それは単なる整理整頓の域を超えて、捨てることで、それにまつわるものに対する執着も捨てられるということだったのだ。

誰もが捨てるのをためらうもののひとつに、親しい人びとの写真があるが、たしかにゴミといっしょに捨てるのは抵抗がある。自らの手で燃やして灰を海に流すのが理想だ。しかし、かつて私を捨てた女たちの写真の場合、灰を海に流すなんてロマンティコな扱いをしてやるには彼女らはあまりに罪業深重なので、写真の目玉に針で穴をあけて切り刻んで、海のかわりに排泄物といっしょにトイレに流して、"Sluts!" と罵倒してやったら、秋の空のように気持ちが晴れわたっていくのを感じた。

私はこれに意を得て、読みかけで挫折したけれどいつかは読むだろうと思ってもっていた数多(あまた)の書物や、何かに使えるかもしれないと思って取っておいた錆びた鉄板や、ザーサイと間違えて買ったけど、いつか食べるかもしれないと思って冷蔵庫に入れておいた5年前の桃屋のメンマなど、みな窓から捨てた。こうして私は次々とモノへの執着から解放されていったのだった。

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15階の窓から落ちた時のダメージがあまりに大きかったせいか、一週間後に私の家に迎えた時の円桜さんは見違えるばかりに成長していた。留袖の着物に丸髷を結って、眉を剃り、鉄漿(おはぐろ)を塗ってすっかり武家の妻らしくなっていた。傍らには、腰元が恭しく(うやうやしく)付き添っている。

「あら。想像していたよりずっとお部屋がきれいになってるわ。どなたかアドヴァイザーがいらしたんですの?」
「いえいえ。すべて円桜さんのなさり方に倣っただけでして。はい」
「それは宜しゅうございました。さて、何をご馳走していただけるのかしら」
「馬でございます」
「まあ。馬を」

私の作った焼き飯や炊き込みご飯など、舌の肥えた円桜さんに出したら殴られるのはわかっていたので、意表をついてやろうとイチかバチかでメニューを馬にしたら、ことのほか喜んで、なめ回すように平らげてくれた。

「とても素晴らしい馬でしたわ。他の馬はもう食べられません。でも決してこれでご安心なさってはいけませんことよ。あなたには常に《他者の眼》が必要なのですからね。きゅっきゅ」

意味ありげに笑って円桜さんは、連れてきた腰元を置いていきました。ベアトリス・ササキという、それはそれは美しい日系米国人の女性でした。おかげで私は、部屋の隅々まで整理をする習慣が身について、馬以外にも料理のレパートリーがいくつも増えました。ベアトリスと私はその後もずっと幸せに暮らしました。今ふたりは、東京スカイツリーが間近に見下ろせる高台にある墓石の下で仲よく眠っているのじゃそうな。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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