[3023] MacBook Airを購入する完璧な理屈

投稿:  著者:


《営業と才能と運でこうも違うのか》

■武&山根の展覧会レビュー
 良い仕事ってなんだろう?──【田窪恭治展 風景芸術】を観て
 武 盾一郎&山根康弘

■グラフィック薄氷大魔王[253]
 MacBook Airを購入する完璧な理屈
 吉井 宏



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■武&山根の展覧会レビュー
良い仕事ってなんだろう?──【田窪恭治展 風景芸術】を観て

武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20110309140200.html
>
───────────────────────────────────

山:こんばんはー。

武:どうもです! すでに酔っぱらっております。だるい。ねもい。

山:まだ始まってもおらんやないか。

武:まいったなあ。。

山:酔い覚ましにコーヒーでも飲んだらええねん。

武:そうだ、コーヒー飲もう。


山:僕は発泡酒を。。。そう言えば一ヶ月ぐらい前に武さんが置いていった菊水の「ふなぐち」がまだ置きっぱなしやな。日本酒ブームが僕の中で終わった。

武:えっ!「ふなぐち」美味しいよ。

山:嫌いじゃないけど日本酒ブームが去ったんです。今はなぜか発泡酒なんです。焼酎もなく。

武:俺はブームで日本酒呑んでるわけでもないからなあ。


山:でも、こないだ大久保のおでん屋で呑んだ日本酒はうまかった。雰囲気やけどね。

武:美味しかったね、燗がちょうど良かったよ。ちょっと上品で、細部まで味に気をつかってる感じで良いお店でしたね、店閉まるの早くなかった?

山:あっこ終わんの早いですよ。上品かどうかはわからんが、丁寧ではある。

武:ああ、そうね。丁寧な感じだよね。

山:夏場に行くのもなかなかいい。さて、という訳で本題に行きましょう!

武:行って来ましたよ!牙!あ、木場!AKB48!


●【田窪恭治展/東京都現代美術館】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122
>


山:全く面白くない。。。えっと、気を取り直して、久しぶりに行きました都現美。田窪恭治展です。この方のプロフィールなどは、サイトを見て頂くとして、なんでしょう、あんまり知られてない人のような気がするんですけどどうでしょう。

武:そうなんかなあ。俺はテレビで『林檎の礼拝堂』のプロジェクト観たんだよね。

山:結構昔やろ。

武:うん。10年くらいは前だと思う。


山:知ってはいたけど、その後の活動はまったく知らんかった。

武:ふむ、あのテレビ番組の情報はネットにないのかなあ?

山:こういうサイトがある。
< http://sciencenet.cocolog-nifty.com/takubo_/
>

武:いっぱい観れますねえ。おもろいな。ついつい観てしまう。

山:いっぱいありすぎて眠くなってきた。

武:おいっ!w


山:昔からの映像がこんだけあるのは、この作家がパフォーマンス(イヴェント)の作品を作ってきてたからなんかな。現場系。

武:学生の頃からコンセプチュアルだし、「パフォーマンス」や「プロジェクト」だとアーカイブ(映像)が必要だしね。

山:つまり、常に他の協力を得られていた、ということでもある。


武:そうなんすよ。そこが特筆するところだよね。「プロジェクトを立ち上げて協賛を得る」、ここが凄いなあと感心しました。「出来事」より「枠」の人。枠にまつわる人々との恊働。「アーティストの仕事はどこなのか」が明確な人ですよね。コンセプトがとてもしっかりしてて、そのコンセプトに基づいた技法を用いて絵を描く。絵そのものが独特な線や構成、つまり「画風」を醸し出してるわけではないんだけどね。「上手でキレイ」以上でも以下でもない感じ。近代の画家のような孤独・孤立に追い込まれた苦闘はさほど感じられず、だけれどもずっと描き続けてる、と。


山:本人が「絵」に魅了させられて描いている、という印象をあまりうけない。

武:うん。「装置としての絵」だよね。

山:でもずっと「絵」を描いてるんですね。

武:「絵画世界に入り込んで絵を描く」というのは近代で一通り終わった、という美術史解釈があるじゃないですか。「個人」という概念、「自我」「自意識」というのが注目されてた時代はやはり芸術家も「自己世界」を追求した、と。

山:ややこしなりそうなんで、ひとまず展示を順を追って行ってみよか。


●『琴平山再生計画』


武:そうですね。まずは、『琴平山再生計画』ですか。

山:現在継続しているプロジェクトやね。
『金刀比羅宮』のサイト < http://www.konpira.or.jp/menu/master/menu.html
>

武:有田焼の磁器に椿をドローイングしてる。それも沢山w その絵に惹き込まれるかどうかっていうとそれはなくて、数があるとか、面がでかいとか、そういうフレーム、装置として驚きはある。けど、「手で描いてるわ」という感じはあるんだよね。


山:僕は正直な所、金がかかっている、ということしかわからなかった。

武:まあ、場所性の強いものの展示方法として再現ってあるけど、建築物の一部を再現して陳列してもやっぱり伝わりづらい所あるよね。

山:現在構想中の『神椿ブリッジ(仮)』のプランの紹介ということで、ものごっつい鉄の構造物がありましたけど、そちらの方も、なぜここで展示する必要があるのかはわからなかった。ドローイングとかの方がええやんか。ドローイング5千枚ぐらいとか。


武:「フレーム・枠組みを見せないと」ってあるんだと思う。田窪は「絵師」ではなく「アーティスト」だ、ということなのかなあ。。

山:あ、でもひとつよかったのがある。鋳物と、コルテン鋼というのがが床に敷き詰められてたんですけど、歩くと鋳物がカタカタなるので、それはちょっと良かった。

武:それを体感して欲しかったんだな。展示として。

山:ずいぶんと贅沢やな。


●『絶対現場』


武:あとは現場に行ってみなさいとw で、次。『絶対現場』(1987年)。再開発で壊される「二階建ての木造住宅2棟を、梁と柱の構造部分まで解体していき、最後に床にガラス板を張り、来場者がその上を歩いたのち、完全に解体し、そのプロセスを写真で記録する」プロジェクト。

山:20年以上前のプロジェクトやね。その記録写真が展示されていました。


武:ここに田窪の「アートに対するの立ち位置」が分かった気がしたんですよ。アーティストは出来事側に居ないんです。再開発、壊される建物、壊す現場作業員、これらが「出来事」そのもの。アーティストはそこにガラスを敷いて視覚装置を設置。来場者が体験しそれを記録(フレーミング)するプロジェクト。「再開発による建物の破壊という事象の当事者側にアーティストは決してならない(なろうとしない)」という立ち位置。ある種の特権意識なんかな。


山:映像も先程のサイトにあります。こちらの(6)と(7)かな。
< http://sciencenet.cocolog-nifty.com/takubo_/2006/07/mmsscience4dvrd.html
>

武:おお、面白い。建物が壊されるってやっぱり興奮するもんなあ。

山:これはねえ、楽しいと思うw

武:80年代ってまだ映像が特別なことだったよ一般では。この時代にこれだけちゃんと映像を記録しているってのも贅沢だよね。


山:これは鈴木了二という建築家との恊働プロジェクトやし、どっちかと言うとこれは建築家主導やったとかな。わかりませんけど。あ、そう言えばこの人、前に観たな。
< https://bn.dgcr.com/archives/20100519140200.html
>

武:なるほど。


山:展示に映像もあった方がいいよなー。コンセプトでは写真で記録する、っていうことなんやろうけど、実際には映像もあるんやから。映像では最後にガラス割って遊んでたりするし、楽しさはこの方が伝わりやすい。でも、この作品で「家」とか「建築」とかを考えるという意味はわかるような。実際に家が骨組みだけになっていく状況は、見ること殆どないやろうし。

武:作られる過程じゃなくて壊される過程だからね。それも再開発によってだから意味っぽさもある。実際に楽しそうだし、いいなあ。まさに俺が昔イメージしてた「現代美術」というやつですw


●『林檎の礼拝堂再生プロジェクト』


山:じゃあ次ですか。

武:ほい。『林檎の礼拝堂再生プロジェクト』。B2Fに降りると、壁面のドローイングがまず目をひいた。礼拝堂の実際の壁面の絵みたいな。白地を削って林檎描いてるの。

山:あれはドローイングになるのか。


武:壁画ですけど、俺としてはドローイングだと思う。「線を削って描く」これこそ、ドローイングの原点。いや、絵画の原点と言っていい。『林檎の礼拝堂』はいろいろいいんですよ。田舎のコミュティのシンボルとしての古い教会。現地で暮らしながら、そのシンボリックな建造物の内壁に削って線を出すという原初的な描き方で描いていく。状況とコンセプトと画法、どれもガッツリと合点がいくんですよ。理想的です。

山:「田窪恭治インタビュー」からちょっと引用。

「最初教会に入った時に「いけるな」という感じがありましたね。観たものが自分の等身大かどうか無意識のうちに探っている。だからそれより大きい教会だったらハッタリを吹かなきゃならない。嘘つかなきゃいけない。何十億円も集めなきゃいけない。今の自分の力量以上だという。で、もっと小さい所だと「何だ、今まで別な形でやってきていることで済んじゃってるじゃないか」と。風景の観察というか、初対面の直感みたいなもんですかね。頭より細胞が反応した。それであそこじゃなければできないと僕は判断したんです。その時に礼拝堂が持っているイメージを壊さないことというのが第一義だったんです。性格とか魂とか、それに近いものが家にもあるのかなと。」


武:田窪の平行世界じゃないけど、俺も似て非なるパラレルワールドのようなことをやってたんだよね。神戸の被災した人たちのテント村公園。コミュニティのシンボルとしてあった『しんげんち』というコンテナハウス。現地に暮らしながら、油性ペンキと筆でペインティングという画法で、建物の外側に描き建物外観を一変させようとした。それも田窪と同じような時期だ。
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/79862424/1998
>


山:そう言えばそうやな。

武:田窪は完成に10年かかるが、俺は立ち直るのに10年をついやした。
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/80016378/1998-1999
>

山:最初の3年間は、教会にはまったく何もせずに過ごしたみたいやね。資金調達がうまくいかなくて。

武:金も成功もひっぱれなかったのが俺。


山:「田窪恭治インタビュー」から。
「あの11年間というのが僕にとってすごく幸せだったんですよ。というのは、余計な世過ぎしのぎとか自分の売名とかやらずに済んだんですね。とにかく楽しくてしょうがなかったんです。資金が貯まらないから僕が考えている倍くらいの時間がかかってしまったんですけれど。この時間というのがとにかく僕にとって幸せな時間だったんです。みんなは可哀想だとか、子供はどうだとかいろんなことを言ってくれていたんですけれど。今でもそのリアリティを説明できないんですけど、この時間は俺だけのもんだ、みたいなね。僕だって東京に残ってれば、世過ぎをやってたと思いますよ。」


武:あの11年間というのが俺にとって死にたいと思っていた時期ですよ。いやあ、営業と才能と運でこうも違うのか、と思うぜよ。後悔はしてないが。

山:「田窪恭治インタビュー」から。
「当時日本では、資生堂の社長だった福原氏が中心となってメセナ(企業の文
化支援活動)の必要性を感じて体制を作り始めていた時期だったんです。いろ
んな意味で運が良かったっていうか。」


武:なんか陰と陽の映し鏡のような感じさえするよw 正反対なのに平行性があるん。と、俺が勝手に思ってるだけだけどさw

山:別に正反対とも思わんが。正反対にしたいんとちゃうんかw

武:田窪は「自分」を絵に入れないというか。絵画世界にダイブしないじゃないですか。俺は逆なんだよね。

山:それはそうかもしれんけど。


武:で、進めていきますと、『石膏板に顔料と黒鉛を塗り重ね削る』いろんな削る試作をしてるのが展示されてたけど面白かったな。

山:礼拝堂そのものの模型とかドローイングとかもあって、礼拝堂そのものを自分でつかんでいく過程を想像できる。おそらくそれは徐々に徐々にと進んでいったんだろうな、と感じる。驚きはないねんけど、真摯にやってる感じ。

武:何か「カチッ」とハマってる感じするよね。


山:ただそのはまり具合が、僕が以前勝手な印象として持っていたものとはずいぶんと違ったんで、それに驚いたw

武:どういうふうに違うの?

山:昔はもうちょっと神秘的なものやと思ってたんですけど、ぜんぜんそこらへんを感じなかった。

武:ああ。教会だしねw


山:実際の教会に行くと違うんかな、とも一瞬思ったけど、多分、そんなに違わないと思う。淡々と、村人とともに存在してるんやと思うんですよ。

武:そうだろうね、ごく普通に平凡に風景に溶け込んでいるんだろうね。

山:そう思ったのは少し残念やけど、その日常性には納得、共感もできる。で、『琴平山』の方には神秘も日常も意味も何も感じなかった。

武:コネは感じたけど。

山:感じたって言うか、書いてあったけどな。宮司と同級生って。


●襖絵『ヤブツバキ』


武:で、『金刀比羅宮椿書院』の襖絵『ヤブツバキ』。あれは実際の制作過程の襖が展示されてたってことなのかしら?

山:「琴平山で2006年から手がけているオイルパステルによる襖絵は、円山応挙と伊藤若冲による襖絵のある二つの書院の間にある白書院を飾るものです。本展では田窪による襖絵《ヤブツバキ》を、現地の書院と同じ構造の建具の中に組み立て、椿の自生する庭を視野に入れた書院空間を創ります。」とありますが。


武:つまりどういうこっちゃ?

山:同じように作ったってことやろ。

武:絵も?

山:絵はまた描いたんとちゃうの。

武:誰が?

山:本人やろ。そりゃ。

武:そうなんか?

山:そりゃそうやなかったら意味ないやろ。まあどちらにしても意味があるのかないのかはしりませんが。


武:本物じゃなければ、写真を実寸でプリントしてもいいんじゃね?

山:でも描いてたで、あれ。柱にも飛び出てたし。

武:制作中の途中の絵を自分で模写したってことか。

山:模写っていうわけでもないんやろうけど、描いたんとちゃうか。

武:「描く行為」に意味を持たせてる人ではあるだろうからなあ。けど、いまいちよく分からないw 襖がずらっと並ぶインスタレーション、展示装置としては目を奪われハッとしたけど、絵画そのものにはあんまり心うごかなかったというか。


山:画期的な方法でもないし、ただ作業を重ねているような。だからなのか、あんまり驚きはない。それでいろいろとでかいのを展示したんかな。

武:ああ分かる。『林檎の礼拝堂』はなんらかしらの「根拠」を感じるけど、襖絵は「根拠」が直観的に掴めなかったよ。『琴平山再生プロジェクト』は途中ってのもあるんだけどさ。

山:そうやな。


●本人は描かなくてもいい?


武:良い仕事ってなんだろうな。人生、一度は誰でも、「カチッ!」と合う仕事をするんだと思うんですよ。けど、二匹目のドジョウはそうそう居なくてさ。違う方法論に行くか、それとも全く同じスタイルを貫くか。。ひょっとしたら「ひたすら椿を描く」っていうところに新境地を見いだそうとしてるのではないのかなあ。


山:なんか無理矢理の、食う為だけのパフォーマンスに見えてしまうんよね。それが悪いとはいいませんけど、別に描かなくてもええんちゃうの? とか思ってまう。全体の枠を作るプロデューサー的な役割で。

武:ああ。なるほど。どこか描く作業で現場に介入していたいってことかあ。

山:現場で邪魔しないレベルでちょっとやって、後は職人に任せて、ってやったらあかんのかな。


武:現場に居ることがアーティストとしてのプライドでもあるんかも。

山:それは全然ええねんけど、本人が描かなくてもいいような気がしたんよね。

武:そういわれるとそんな感じしたかなあ。ポジティブにしろネガティブにしろ「描いてないとならない必然性」はちょっと感じなかったなあ。。

山:なんかあるんやろうけどな。展示ではそれは見えてこなかった、と。

武:けど晩年また変わってくる感じしそうですよ。


山:どうなんやろ。とまあ、いろいろ言うても、こんなこと出来る人はそんなにたくさんいる訳ではないから、是非ともいい作品を作って頂きたいです。

武:椿をひたすら描くという反復作業にはなんか感じるよ。俺も神社仏閣に10年がかりで襖絵みたいな巨大な絵を描きたいよ。この世のものとは思えないような「風景芸術」を。

山:はあ。頑張って下さい。

武:なんすかそのうすっぺらい言葉w

【田窪恭治展 風景芸術】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/122
>
会期:2011年2月26日(土)〜5月8日(日)月休 3/21開館・3/22休館
開館時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F、B2F
観覧料:一般1,200円、学生・65歳以上900円、中高生600円、小学生以下無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/描き続けることから】
take.junichiro@gmail.com
twitter < http://twitter.com/Take_J
>
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/
>

【山根康弘(やまね やすひろ)/少々疲れ気味】
yamane@swamp-publication.com
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/
>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■グラフィック薄氷大魔王[253]
MacBook Airを購入する完璧な理屈

吉井 宏
< https://bn.dgcr.com/archives/20110309140100.html
>
───────────────────────────────────
2月上旬、MacBook Air 11インチを購入しました。なんで今さら? って感じですが、僕的に悩みに悩んだあげくの購入だったんです。今まで、いろんな買い物を悩んできましたけど、3ヶ月以上も迷ったのは初めてでした。

MacBook Airはモノとしての魅力が大きすぎる。特に11インチ。危険な香りがするのです。妖しい誘惑とかそんなんじゃなく、表面的な魅力に捕らわれて購入しても実用まで行かずに後悔、手放すことになったガジェットが今までどれだけあったことか。そういうものと同じ香りがするのです。

短所に目をつぶって購入すると、やはり思った通り短所が際立ってしまう。短所というより、自分にとっての危険要素のことです。弾きこなす腕も練習時間もないのに電子ピアノを買ってしまうとかの。

何がAir購入を躊躇させていたか?

Airの長所は、軽くて薄いことがほとんでしょう。長所は短所にも繋がります。最大の短所は画面の狭さです。昨年、13インチMBPから17インチMBPに買い換えたのはそれが主な理由。以前にも小さい画面のモバイルノートを何台も試しましたが、素晴らしいのは持ち運んでるときだけ。

外付けディスプレイを使わずに快適に作業できるのは、23インチディスプレイと同等の画面ピクセル数のMBP17インチしかない。15インチのMBP(13インチAirも同等)でも17インチに比べればぜんぜん狭い。長所といえば、SSDによる快適な操作感もありますが、やはり引き替えに容量が小さいという弱点がある。

で、迷っていた最大の理由は、Airそのものにあったわけじゃないのです。持ち歩きモバイル用にはすでにiPadがあるってこと。もちろん、Macと同じことができるわけじゃないけど、本格的なグラフィック作業以外の主なことは十分できます。インターネット関連やメールやテキスト書き、データベース、メモや予定表などなど。画面キーボードに慣れるようにがんばったし、iPadだけで必要なことができるようにアプリを購入したり工夫したり。

そうやって、iPadを「持ち歩きに最適」に調教して仕立ててきたんです。よほどのことがなければMacを持ち出す必要がないくらいまで。なのに、MacBook Airを購入してしまうと、全部ムダになってしまう。せっかくiPadが主役の座をつかもうとしてる矢先に、なんて製品を出してくるんだ、Apple!

あと、17インチMBPがあるもんだから、Airをサブマシン的に使うとなると、どちらかを使わなくなるのは目に見えている......。とかなんとか、Airに関してはコンフリクトが多すぎる。なのに魅力的すぎる! うむ〜〜〜!! ......そうやって3ヶ月も迷ってたのです。

どうにかして、Airを買う正当な理由をひねり出さなきゃならない(なんで?)。納得できる理論付けはないか?? 特に、iPadをモバイル用のメインとして使い続けることに何のマイナス面もないような理屈!

で、ついに二つの決定的な理屈を見つけました!

「MacBook AirをiPadの補完として使う」
「使わない前提で持ち歩いて気にならないMacとしてのMacBook Air」

あくまでiPadを持ち出し用の主役として使い、AirはiPadでできない作業だけに使う。そんな機会は滅多にないだろうけど、どうしても必要なときだけバッグから取り出す秘密兵器、という位置づけ。軽量薄型のAirだからこそ、持ち歩きの重量をさほど意識しないで持ち歩けるわけです。

そうなると、Airを買うなら13インチと思ってたけど11インチが最適。使わない前提なので小さいほうがいい。どちらにしても、本気作業には画面が小さすぎるんだから。13インチのAirは、サブマシンとして使いたい気持ちを起こさせる危険もあるのでかえって好都合。

結局、二台持ちになってバカバカしい気がしないこともないけど、iPadとMacBook Air11インチの合計重量は、13インチMacBook Proより軽いんです。悪くないんじゃないでしょ〜か。発表されたばかりのiPad2ならさらに軽い。

二台持ちを後押しする理由も見つかった。iPadにはMacと連携する素晴らしいアプリがあるじゃないですか! 「AirDisplay」です。MacBook Airの11インチディスプレイが狭いのは確かだけど、AirDisplayを使えばiPadがサブディスプレイになり、実質二倍くらいの広さになる。AirDisplayを使うにはWi-Fiが必要だけど、僕はイーモバイルのWi-Fiを持ち歩いてる。Airを使ってる最中のiPadも活躍できるんです。

Air Display
< http://bit.ly/arYjtM
>

さらにもう一つ、MacBook Airが例の「急展開」なわけですが、17インチMBPを持ち出す機会が多くなると、バッグや持ち方を工夫したとしてもやはりその重さが負担になってくる。また、せっかく持って行っても、実際にはメールやインターネットやテキスト書き程度にしか使わないことが多い。じゃあ、「iPadの補完としての、使わない前提のMacBook Air」ってのが実情に合ってるんじゃないか? と、同じ結論に達したわけなのです。

なんだかんだで購入して一ヶ月ちょっと。使用感などについてはまた書きます。

◎ロフトワークに「クリエイターに10の質問」インタビューが載りました

「ヤンス!ガンス!」や「ひつじのしつじくん」、TDWのこと、アイディア作りやスキルアップ(?)についてなど、いろいろ語ってます。仕事場やツールの写真なども載ってます。

ロフトワーク
< http://www.loftwork.com/blog/pickup/10q-hiroshiyoshii/
>

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>

iPad2。軽量薄型、カメラつき、デュアルコアでスピードアップ、かなりイイ!それにしても「お風呂のフタ(笑)」。iPad2詳細ページの一枚目の写真を見た瞬間「なんでこんなところにお風呂のフタが??」って僕も思いましたよ。あのピンクのは昔実家にあった風呂のフタとほぼ同じものです。日本人にはあれは絶対アレにしか見えないかも。まあ、僕的にはiPadにはフタはいらないと思うけどね。iPad2に関して、フタの件でウケすぎてそこで完結しちゃったせいで、GarageBandが用意されてることに気がついたのが3日後。すごい! はやく触りたい!

ところで、WiMAXのCMの青いガチャピンとムック。画像処理で青くしてるから、色あせた印刷物みたいでみっともない。ちゃんと青い着ぐるみを作らないと本気に見えないよ。キャンペーンやCM全体にはそれなりの予算がかかってるはずで、青い着ぐるみを作るくらい大したことないはずなのに。

青いものを撮影するのと、青く処理したものはぜんぜん違う! なんでこんなに腹立つかというと、デジタル万能お手軽のカリカチュアみたいだから。せめて、リアルなCGで青いガチャピンムックを動かせばマシだったと思う。このCMのキモは「見慣れたあのキャラクターがぜんぜん別の色で登場」なのに、そのキモの映像があんなのでいいのか? ってことなんだけどなあ。

・iPhone/iPadアプリ「REAL STEELPAN」販売中
REAL STEELPAN < http://bit.ly/9aC0XV
>

・「ヤンス!ガンス!」DVD発売中
amazonのDVD詳細 < http://amzn.to/bsTAcb
>

・「ヤンス!ガンス!」オンエア情報 MUSIC ON! TV、TVK(テレビ神奈川)、Gyao、music.jp、Wiiシアターの間でも配信中。同じくMUSIC ON! TVの番組「George's Garage(GGTV)」のオープニングをヤンス!ガンス!のコラボで制作。
< http://www.m-on.jp/blog/ggtv/2010/10/101002-4.html
>

・「毎月1日は映画サービスデー」CMに「ヤンス!ガンス!」登場中

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(3/9)

・本来ならばもうすぐ春場所なのだが、今年は中止となって夕方の楽しみがひとつ減った。相撲協会は八百長の実態解明と処分を行うと言っているが、どんな着地点を設定しているのだろうか、まったく読めない。読売の文化欄・月刊ディベートで、相撲に詳しいという三人がこの問題を扱っている。「白星への動機づけ急げ」という新田一郎東大教授のいくつかの具体的提案にはうなづけた。さすが日本法制史の研究者だ。文化人類学の今福龍太東京外大教授は「相撲は、真の意味で『演技』的な儀礼文化によって支えられてきた」「儀礼の宇宙とは真剣ななれあいの産物だった」のだが、いまの大相撲の窮地はその「演技」の深みを失ないつつあると嘆く。「星の貸し借りもある意味、天然自然と言える」が、金銭の売買になると相撲の理を壊してしまう、というのは作家・高橋秀実氏。この二人からの問題解決の提案はない。もっとも、八百長問題をどう切り取ればいいのか、というのがテーマらしいからそれでいいのだが、ちょっと物足りなくはある。窮地、先が見えない、落としどころがわからないという大相撲の現状はいまの内閣と同じだが、国民がなんとか守りたい、残したいのが前者で、さっさと辞めてほしいのが後者であろう。(柴田)

・いま、レッドグレープフルーツジュースを飲んでる。/吉井さんのお部屋、すっきりしてる〜。/MacBook Pro(約2kg)を持ち歩くのは重いので、事務所用にMacBook Air(約1kg)かMac miniをと考えてる。手ぶらでウォーキング通勤って面白そうなのでやってみたいんだよなぁ(暑くなるまでは)。片道約2km、25分。モバイルはあるんだからminiかなぁ。ルンバも欲しかったんだけど。敢えて2kg担いで訓練するってのもアリよね......。/約二ヶ月半ぶりに会社に向かう。足が重い。登校拒否の子の、久々に登校する時の気持ちってこんなんじゃなかろうか。机がなくなっているんじゃないかと恐れていたぐらいさ。秋葉夫妻(予定)が明るく歓迎してくれて、憑き物がとれたような軽さに。いやほんと何か憑いてるんじゃないかと思ったぐらいの暗黒トンネル具合であった。出勤できない間、何度か会社の夢を見た。最近のものだと、事務所が学校のような広さになっていて、知らない人がいっぱい。会社内でセミナーをするとか。なになに、こんなセミナー聞いてないよ、えっ新入社員が? などと焦っているものであった。セミナー楽屋裏ではバレエを踊る人までいたさ。現実の話に戻る。えべっさんツアーも新年会もやっていないからと、宅配ピザ囲んでのお祝い軽食とってから会議へ。うー、申し訳が......、身の置き所が......。とは書きつつ、昼食とる時間がなかったので嬉しかったでござる。早くペース戻さねば。20cmある修正指示書、もうシュレッダーかけてもいいかなぁ。(hammer.mule)