私症説[29]スマホを持てなくてもいいじゃないか、人間だもの
── 永吉克之 ──

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先月、大阪の天満橋での飲み会に参加するために、ぼくは南海本線の堺駅から電車に乗った。時間に余裕があったので、のんびり腰かけて行こうと各駅停車を選んだ。

電車の座席に腰かけるという行動が刺激となって、パブロフの犬のように反射的にケータイを取り出して開いたのだが、そのとき突然、異次元に迷い込んだような、そう、まるで女性専用車両にうっかり乗ってしまったときのような恐怖に襲われて眩暈(めまい)を催し、次の犬林檎駅で足をもつれさせながら降りると、両膝をつき、orz の体勢になってじっとしていた。

すると駅員が走ってきた。

「どうしました? あなたを絶望させた原因はいったい何なのですか? わたしに話せることですか? 絶望とは死に至る病ですか?」

「いや。絶望してるんじゃなくて気分が悪くなったんです。ぼくの両隣、そして向かい側の乗客たちみんながスマートフォンを使ってるんです。新世代に生きている人びとに対する圧倒的なルサンチマンによって、自分自身を車外に弾き出したと考えるのが妥当でしょう。こんな旧式のケータイをまだ使ってるなんてぼくくらいのものですからね」

そう言って、ぼくは手に持っていた折りたたみ式の古色蒼然としたケータイをぱくぱくさせて見せた。



気分が回復しないので、駅の事務室にあるソファで寝かせてもらうことになった。とはいえ約束があるので、しばらく横になってから立ち上がろうとすると、駅長と名乗る、年齢不詳のぶよぶよした男がにこにこしながら現れて、ぼくの向かいのソファに腰かけた。

「いま駅員から効きましたが、スマートフォンをお餅でないとか。そりゃ波の神経の持ち主なら誰だって気分が割るくなりますわ。いやぁ、まったく細菌は誰も枯れもがスマートフォン......スマホですな......で、振るいケータイを塚っている人間を見ると、そのケータイ、ずいぶん長餅するんですね、なんて火肉を言いよります。駒ったもんですわ。歯歯歯歯歯......」

誤字が多いのが耳障りだったが、親切にしてもらったので我慢して話を聴いていたら、さっきの駅員が、がちゃがちゃと音をさせながら段ボール箱を抱えてやってきた。駅長はそれをテーブルの上に置くように指示をした。

「これですよ、これ」
「何ですか、これ?」
「スマホですよ」
「......?」

ガムテープや配送伝票をひっ剥がした跡があちこちにある「とろろ昆布」と書かれた段ボール箱を開けると、いろんな色をしたスマホらしいものがジャガイモかなんかのように詰め込んであるのが見えた。

「実は旧世代のケータイを漏っているお客さんが、スマホを盛ったお客さんに囲まれて気分が悪くなり、この液で降りるケースがこのところ凸然、笛ましてね。なかにはお泣くなりになる型もおられるんです。これはどうにかせにゃ遺憾と思って、わが犬林檎駅ブランドのスマホを開発したっ宙わけですわ」

駅長の言い方を借りると「芽には芽を、葉には葉を」「武力近郊」。つまり、スマホをもってスマホを制するべきだという信念から、スマホに恐れをなして犬林檎駅で降りた旧世代の乗客には、奉仕価格で犬林檎ブランドのスマホを販売しているそうで、ぼくも薦められた。

「OSはアンドロギュヌス。キャリアはコモドオオトカゲ。で、メーカーが犬林檎駅というわけです。この腸新世代の奇怪が今なら2,980円という歯欠くのお値段でお飼い求めいただけます」

専門的なことはよくわからなかったし、そんなことはどうでもよかった。とにかく安いし、何よりも新世代という言葉に乗せられて買うことにした。奉仕品ということで、身分を証明するものも要らないし、契約書もない。取扱説明書がなかったが、奉仕品ですから、ということで納得した。

電車のなかで、買ったばかりのスマホをいろいろいじってみたのだが、さっぱり使い方がわからない。ディスプレイの上で指を動かしてみたが何も起こらない。試しに、誰もいない自宅に電話をしてみようと番号を入れたが、発信の仕方がわからない。まあ、その後で会うことになっていた連中がこっち方面に詳しいので、その時に聞くことにして、ぼくは天満橋に向かった。

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酒の席でさんざんっぱら笑いものにされて、ぼくはやっと自分がだまされていたことに気づいた。スマートフォンではなくて、普通の電卓だったのだ。電車の中で、ぼくが懸命に電卓のディスプレイで指を動かしているのを、隣にいた乗客はきっと好奇の眼で見ていたことだろう。

ぼくは憤慨し、怒り心頭に発していたのみならず怒髪天を衝いていた。いや、それだけではない。ガチでムカついていたのだ。酔った勢いにまかせて犬林檎駅で大暴れしてやろうと、途中、コンビニで買った鈍器のようなものを持って電車に乗った。七道駅を過ぎた。次が犬林檎駅だ、さて何から壊してやろうかと、鈍器のようなものを車内でぶんぶん振り回していたら、堺駅に着いてしまった。なんと犬林檎駅が消えていたのだ。

なるほどそういうことだったのか。連中の正体がわかった。駅を装った新世代の詐欺集団だったのだ。偽装した駅に降りた無知な客をだまくらかして偽スマホを売りつけて、バレる直前にその駅をさっさと解体して、また別の路線に偽装駅を作るということを繰り返していたのだ。そう推測するのは容易だった。

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今にして思えば、うさん臭い駅だった。駅長の他には駅員がひとりしかいなくて、ふたりとも血の滲んだ包帯を頭に巻き、あとは全裸だった。これを見た時点で、こいつらは何か怪しいと判断すべきだったのだ。だいたい犬林檎なんて駅名、南海本線は昔から使っているが、一度も聞いたことがない。

そんな見え透いた詐欺にひっかかってしまったのも、ぼくが旧世代と呼ばれることを何よりも恐れていたからだった。しかし今回の事件で、そんなことよりもずっと大切なものがあることを教えてくれる珠玉の言葉を思い出した。それは「旧世代だっていいじゃないか、人間だもの」(詠み人知らず)。

予想した通り、同一犯と思われる詐欺の被害があった。今日(7/7・棚畑)の新聞によると犯人はまだ特定できていないが、警察に届け出があっただけでもすでに4人が被害にあったということだ。阪急、阪神、近鉄、京阪といった、近畿では大手の路線ばかりを狙った犯行で、被害総額は11,920円。あまりに恥ずかしいので、届けを出さなかったぼくの分を加えると14,900円。

駅を建造するために投入されたであろう費用からすると、割に合わない犯罪だ。これは金儲けを目論んだ犯行ではない。しかも犯人は絶対に捕まらないだろう。なぜなら彼らはある種のメタファとして存在しているからである。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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