デジタルちゃいろ[02]プロジェクトにおける垣根と荒れ地
── browneyes ──

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寒くなりましたね。10月入っても全然あったかいわー、なあんて、衣替えを先延ばし、先延ばしにしながらバタバタしたりボンヤリしたりを繰り返しているうちに一気に寒くなってしまって凍えています。

これ書いたら衣替えしたい...のですが、なんとなーく他にもやらなきゃいけないコトが行列の出来る店よろしく背後に並んでいるような...いないような...。振り向いちゃいけない! ブルブル...。

初夏の我が家は退職後の充電期間という名の引き籠りだったワタシと、ユルすぎるほど開業準備の下準備のそのまた下準備フェーズだったオットという構成だったのですが、そんな二人にTwitterで知り合ったオトナ遊び仲間の友人(※1)が、「こういうウェブサービス作ろうぜ!」と持ちかけてきてくれました。

勢いプロト版を作り始めたわりに、友人自身が繁忙だったり夏から秋にかけてのイベントが目白押しだったりで、その後一旦小休止となってたのですが、そろそろ本腰入れるか、と、週末に友人宅にてもりもり打ち合わせをして参りました。どうなるかなんてまだわからないけど、少なくとも現時点で大分わくわくな雰囲気ではあるのでちょっと楽しみです。

......というか、現実をちょいと棚上げして、所謂「厨二」丸出しで絵に描いた餅みたいなコトを言っちゃうと、作り手側にこのわくわく感の持続がないものは、本来作っちゃダメ、ですよね。モノ作りって、何でも。

ダメは言い過ぎでも、わくわく度って大なり小なりあって然るべき、みたいな気がしていて、このわくわく度が当初より大きな下弦の弧を描いて下がってきた、とか、元々ゼロである、という状態は産み出されるものとしてどこかしら再考の余地があるコトが多いように思います。< /厨二的寝物語り >

話が青々とした方向にズレてしまいましたが、今回の打ち合わせから思いを馳せたあれこれ。



「三人揃えば文殊の知恵」とはよく言ったもんで、それぞれの強みや経験に基づいてみんなで考えると面白いこと纏まるもんですね。キモは「三人」ではなくて、「共に考える」という部分。

発案を除いては個々のこれまでの経験と性格から自ずと、オット=アイデア、ワタシ=機能として具体化する担当、友人=実装担当と、明確に役割分担は成された状態で打ち合わせに至ったわけですが、なんて言ったらいいのかな、三人が三方からしっかりと通し柱を押したり引いたりして正位置にチューニング出来た、という爽快感。

受託系・自社系の末端作り手の立場として組織の内外からこれまで何度も「なんで "こういう形" で出来ないんだろう」とか思っていた割に、上手に言語化も出来ないまま思い描いていた「こういう形」にとても近い気がして、「あっ、これ? これなの?」と、頭上で電球光ったような感覚。

数年前斜め読みした、とあるウェブディレクションだかプロジェクトマネジメントだかの本に、「作業範囲については早い段階で明確にしておく」みたいなコトが後のトラブル回避の王道的に書かれていて、お客さんから不当な作業を押しつけられている真っ最中だった当時のワタシは大いに納得してたのですが、日が経つにつれ、現実との間に違和感が芽生えてきました。

というのも、どのプロジェクトを見ても、なんというか、お互いの作業分担のラインばかりが背の高い垣根として異様にくっきりしてしまって、チームのメンバー同士腹の探り合いになってたり、政治的になってたり、勝ち・負けみたいになってたり。チームなのにお門違いな個人主義万歳! みたいな。これはどこかがヘンだぞ、と。

メンバー間に本来あるべきものは、自分の領地を明確にして守るための垣根じゃなくて、ゆるい幅と段差の、場所に応じてその接地面にいる全員が共に責任を持って耕していくべき荒れ地で、そこがみんなで上手に耕せた時にはじめて、そのプロジェクトがひとつの畑になってくんじゃないかしら。

垣根的作業範囲主義だと、実制作の前段階の過程は「考える側の人の領分」みたいな誤った感覚がフェーズ分けにまで影響して、前段階でも必要不可欠なプロとしての知識を持ってる筈の開発・制作サイド視点による、目標に対してのアドバイスやアイデア研磨やよりよいアプローチ方法発掘の機会も失っちゃう。この機会を失うのは何よりもったいない。ここで磨かれてるか否かで、企画って厚みにものすごく差が出ると思うんですよね。

更にこの垣根、酷い時には作業者に全貌を把握する機会も不十分な状態にしてしまい、作業は「指示」の形で仕事が「下りて」くるばかり、といった一方通行感に陥りがちで、それはここ5年以上10年未満くらいの期間の、業界全体の問題なんじゃないかしら。

ワタシがウェブの仕事を始めたばかりの、まだまだテーブルレイアウト全盛期、今みたいな多数のプレイヤーが関わるなんてそんなになかった。少なくとも当時、底辺でフリーランスをやってて見えてくる世界はそんなじゃなかった。いつの間にそんなに上流だ下流だとか、縄張り意識の強いフローが主流になってしまったんだろう。

経済の動向とかよくわからないんだけど、大手代理店の参入とかウェブの標準化とか、そんな華々しかった時期が既存の悪循環と色々セットな気がしないでもない。

ここ最近、長いこと受け身気質だった制作サイドの人たちからぽつりぽつりと、「愚痴ってるだけじゃ変わらないから、自分らからもやれることやってこうぜ!」「制作側からももっと出来るアクションあるよ!」的な、ブログ記事が出てきているのがその現れでもあり、よい変化の兆しでもあるけれど。

疑問ばかりで結論なしの投げっぱなしジャーマンですが、週末の打ち合わせが自分にとってはそんな中立地帯をみんなで耕す作業で、少人数すぎるが故か元々のスタンスが似通っていたが故か、その辺はよくわからないけど、とても実りのある感触だったのでワタシのわくわくは持続してるし、ここから先を思って眉間に皺が寄ることがないんだと思います。

さーて、もう少し耕してくるか!


(※1)前回記事の文末参照
└< https://bn.dgcr.com/archives/20111011140200.html
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■今月のどこかの国の音楽

□Urumi - Aaranne Aarane
└<
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9月から10月にかけての目白押し印度系イベント、今年はハンボー×ビンボーで絞りに絞って、第12回NHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された印度はマラヤラム語圏の映画、Urumi(邦題「秘剣ウルミ バスコ・ダ・ガマに挑んだ男」)を観てきました。

というワケで、Urumiのやや冒頭のミュージカルシーンです。映画は結構好きだけど、ミュージカルシーンはぶっちゃけそんなに特筆する程の出来ではなかったのですが、まぁ、観に行った記念ということで...。

がしかし、実はこの映画、ワタシは某所で字幕無し版を一度観てるのですが、あれっ? あのミュージカルシーンは? あれれ? という訳でよくよく調べてみたら今回公開された日本語字幕版、なんと40分もカットされてるじゃないですか、しかもミュージカルシーン中心に!

滅多にない機会なんだからフルで見せて欲しかったです、ホントに。

この映画、今春封切りで、その後印度国内の他言語版も公開、更に確か欧米やアジアの一部でも公開されたという感じです。

いえね、Urumiに限らず、印度映画昨今は国外シェアを着々と延ばしてるのです。南米では暑苦しいメンタリティが似ているせいか、かなりの大人気だとか。東亜細亜だって、香港は勿論のこと、台湾も、そしてお隣韓国でだってモノによっては劇場公開してたり、俳優がイベントに来たり...。印度映画後進国日本イケてないです! もっと印度化しましょう!

□第12回 NHK アジア・フィルム・フェスティバル
└< http://www.nhk.or.jp/sun-asia/aff/12th/index.html
>

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【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。
アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。

立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
>

最近「先端ばっかり向いてないで、多方面リサーチしなくちゃね!」というコトで、なんとなく(自分を含む)新しモノ好きには低く見られがちなウェブサービスとかも一通り試してみたりしてるのですが、この数日試してる段階ではアメーバピグが案外色々な意味で「なーるほど」という感じです。

でも、何回チャレンジしても「なるほど」感より「やっぱダメ」感の方が強いサービスも多々ある...というかダメなものはダメなままのものの方が多いので、ピグの他サービスとの違いが何なのか、が見えてきたら面白いかもしれません。