私症説[39]マジシャンの野望
── 永吉克之 ──

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●研究と実験

たとえば「僕は劇団◯◯座の"研究"生です」なんて言っているのを聞くと、奇妙な感じがする。子供のころに見たアニメやアメリカのコメディドラマなどによって刷り込まれたのだろうか。「研究」という言葉を聞くとどうしても、ある一定の情景が浮かぶのだ。

白衣をきた人が、塩化金亜鉛カルシウム素とか炭酸マンガン硫化銀銅ビニールとかを混ぜたものをフラスコや試験管に入れて、アルコールランプの上にかざして熱したり、冷やしたり、メスシリンダーしたりビーカーしたりしている情景だ。やっぱり「研究」というのは理工系の言葉だと思うのだ。

「文学部の校舎にある佐伯研究室から異臭がするという連絡を受けて駆けつけた。ドアを開けると、研究室の中で佐伯博士が試験管を握りしめて倒れているのが見えたのだが、強烈な刺激臭のある有毒ガスが充満していて、目を開けることもできず、とても助け出すことができなかった。どうやら博士が薬品の調合を誤ったらしい。源氏物語研究の最高権威である佐伯博士を失ったことは、日本の、いや、世界の文学にとって多大な損失だ」

「実験」という言葉もいろいろな場で使われるが、これもやはり理工系の言葉のような気がする。ただこっちは、何かを測定する機器がたくさんあって、むやみにメーター類があちこちでぎょろぎょろしている部屋にベッドがあって、人間や動物が縛りつけられていて、体中にぺたぺたくっついた電極から、コードがいっぱい延びていて、そこに電気を流す、そんなイメージなのだ。




「実験小説『土倉枕』でデビューし、その後も、一時の筒井康隆を凌ぐほどの勢いで、実験的な作品を発表し続け、芥川賞候補にもなった作家の滝沼翔一の自宅が爆発した。実験中に電圧を上げ過ぎてショートを起こしたことが、爆発の原因と見られている。付近の住民の話によると、爆発後、煤で顔が真っ黒、髪の毛がちりちりに焼けて、焦げて穴だらけになった白衣を着た滝沼翔一が、もうもうとした煙のなかから、よろめきながら出てくると『じ、実験失敗〜』と哀れな声をあげて気絶したそうだ」

ところで「博士」という肩書も、理系の響きがある。物理学博士、天文学博士、医学博士というと「らしい」のだが、政治学博士とか、経営学博士とかいうと、なんだか無理矢理くっつけたような感じがする。それともやはり、政治学博士も自分の研究室では、白衣を着て薬品を調合しているのだろうか。

●濁点のつく動物

この歳になるまで気がつかなかったのだが、「カニ(蟹)」の前に他の言葉が連結されると「タラバガニ」「ヘイケガニ」のように、必ず濁点がついて「ガニ」になってしまうのだ。

「カメ」「カエル」も「ゾウガメ」「ヒキガエル」などのように、やはり濁点がつくのだが、なら「カ」のつく動物はみな「ガ」になるのかといえば、そういうわけでもない。「オオガマキリ」「コビトガバ」にはならない。これは不公正というものだ。

いっそ「ガニ」「ガメ」「ガエル」と改称すれば、この不公正が一挙に是正されるではないか。道頓堀の「がに道楽」、「ガメノコたわし」、早口言葉で「ガエルピョコピョコみコピョコポ」など、何の抵抗もなく受け入れられるはずである。

ショウチュウ(焼酎)をイモジョウチュウ(芋焼酎)と呼ぶのはよいが、同じように生物を濁点づけで呼ぶのは、被造物を焼酎扱いしているのと同じことになるのだ。神をも怖れぬ所業である。

実は、われわれヒトも焼酎扱いされている。「コイビト」「ツキビト」「オクリビト」「マダラビト」「チスイビト」など、ヒトにも濁点がつく。一方、「サイ」「クジラ」「ヘビ」などは、「シロザイ」「マッコウグジラ」「ガラガラベビ」とは呼ばない。人間様をさしおいて分不相応な話である。

「アリ」「ミミズ」も「クロオオア"リ」「アカミ"ミズ」にはならない。「ブタ」もそうだ。ただのブタのくせに「シロブ"タ」とは呼ばれない。「プリン」も無生物の分際で「カスタードプ"リン」にはならない。

人間は無生物以下なのか。

●マジシャンの野望

もうかなり以前になるが、マジシャンのMr.マリックが「空中浮遊」しているのをテレビで見たときから確信を抱くようになった。彼らのしていることはマジックでもなんでもない。

彼らはみずからを「マジシャン」と呼び、ショーのタイトルも「○○イリュージョン」などといかにもトリックがあるかのように偽装しているが、トリックなど始めっからない。あんなものは、どれもこれもみんな超能力だ。

デビッド・カッパーフィールドが、万里の長城の壁を通り抜けたり、オリエント急行や自由の女神を消したりするところをテレビで見たが、あんなことがトリックなんかでできるはずがない。そんなトリックがあったら、ぜひ見せてもらいたいものである。

とまあ、そんな考えがこの数年間頭を離れず、夜も眠られない日が続いてノイローゼになりそうだったので、たまりきれず先週、世界中のマジシャンたちが所属している大阪手品師協会の事務所がある千林商店街に出かけた。Mr.マリックやカッパーフィールドたちも、仕事がないときは、ここの事務所でたむろしているそうだ。

事務所の前にくると、ちょうど事務服を着た中年らしい女性が大きなゴミ袋を両手に持って、ドアが閉まらないように足で押さえながら出てきたので、迷惑とは思ったが、その場でいろいろ聞いてみた。

彼女によると、世界中のマジシャンたちは、みな一族だということだ。Mr.マリックはマギー司郎の孫にあたり、Mr.マリックと引田天功との間にできた息子が、「タネも仕掛けもチョトアルヨ」のゼンジー北京なのだそうだ。

そしてカッパーフィールドはゼンジー北京の叔父にあたり、彼の義父のナポレオンズは引田天功のいとこになるらしいが、ということは、Mr.マリックにとってカッパーフィールドは異母兄弟の兄ということになり、その実弟のアダチ龍光はインド大魔術団の姉婿ということになる。

そしてやはり思った通り「マジック」はカムフラージュだった。江戸時代、奇術が「手妻」「品玉」と呼ばれていたころ、この一族は、超能者であることが世間に知られて「伴天連妖術」と排斥されることを恐れ、自分たちを「手妻師」と呼んで周囲に溶け込みながら生きながらえてきたらしい。

そして現代ではそれが「マジシャン」「イリュージョニスト」という名に変わったが、今でも正体を知られて一族が皆殺しにされる恐怖におののきながら暮らしているという。

また一族には極秘に進めている計画があるそうだ。それは非超能力者と交合をくり返して、超能力を発揮する遺伝子をもった子供を増やし、2009年までに全ての日本人を超能力者にするというのである。

「マジシャン」としてではなく「超能力者」として誰もが燃えさかるジェットコースターから決死の脱出をし、オリエント急行を消し、万里の長城の壁を通り抜る。日本がそんな自由な国になることを彼らは望んでいるのだという。そして、これらのことは代々伝わる一族だけの秘密であり、口外した者は死をもって償わなければならないという。

事務員はゴミ袋を下げているのがだんだん辛くなってきたらしく、表情が険しく、言葉遣いもぞんざいになってきたので、私もそれに気おされて、その袋を下に置いたらどうですかとも言えず、もうけっこうです、ありがとうございましたと言って、さっさと立ち去った。

【ながよしのかつゆき/永吉流家元】thereisaship@yahoo.co.jp
無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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またやってしまった。何回目だろう。原稿が書けなかった。月一の連載で時間はたっぷりあるから、仕事が休みの日にチビチビ書いていたのだが、掲載日の前々日になっても、いつもの半分ほどしか書けず、またしても、かつてブログに載せたテキストに手を加えて使い回しをするという仕儀に到ったのであった。