[3475] なぜ大阪府は47都道府県中47位なのか

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《ウソみたいに安いでしょ? 冗談みたいな価格でしょ?》

■私症説[48]
 なぜ大阪府は47都道府県中47位なのか
 永吉克之

■3Dプリンタ奮闘記[11]
 3Dプリンタ「実践篇」その1
 織田隆治

■ショート・ストーリーのKUNI[138]
 めがね
 ヤマシタクニコ

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  怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
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◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。

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■私症説[48]
なぜ大阪府は47都道府県中47位なのか

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20130516140300.html
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もう一昨年のことになるが、2011年に法政大学の研究室が発表した、47都道府県の「幸せ度」のランキングを紹介するニュース番組がYouTubeにアップされているのを見つけた。
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犯罪や事故の少なさ、持ち家率、平均寿命、福祉の充実など40のデータをもとに独自に算出したのだそうなのだが、その結果、ランキング1位の栄冠は福井県がかっさらった。福井といえば越前。越前といえばエチゼンクラゲ。クラゲといえば中華料理。なるほど福井県が1位になるのも頷ける。

それだけなら、他人の幸福は水の味。ソデスカ、ヨカタデスネ、と傍観していればいいのだが、ランキング最下位というのが、こともあろうに大阪府だったので、大阪人としちゃあ黙っちゃいられねえ。憚りながらひと言申し上げてえと思いやしてね。こうして佐渡島からまかり越したってわけでさぁ。

福祉じゃ大阪はどこにも負けねえ。なんてったって生活保護受給者の数は日本一だい! 他府県で、役所の福祉課のお役人が、生活保護を申請しに来た人に大阪に行けと勧めてるってな話をテレビのニュース番組でやってましたよ。

不正受給に寛容なだけじゃねえ。他府県の住民の生活まで保護しちまうってんだから太っ腹だよ、大阪は。やっぱり人情の街だね。粋だねぇ〜

                ■

世間では、大阪がヨハネスブルグに並ぶ犯罪都市のように思われているようだが、実際に犯罪を目撃することはあまりない。私ももう一週間以上犯罪の現場に遭遇していない。だから犯罪件数がむしろ減っているような印象すら持っていた。

しかしながら、最後に見た犯罪というのが、それは凄惨なもので、大阪でも比較的治安がいいとされている地域にある自宅のすぐそばで、しかも白昼に起こったのだから、まだまだ大阪は安全な街とは言い難い。

先週のこと。私が自宅マンションを出ると遠くで、うび、ごもぁ、と絶叫する男性の声が聞こえた。見ると、誰かが路上に倒れていて、そのそばを走り去る人影が見えた。

私は、大阪人なら借金してでも3日に一度は行くなんばグランド花月の吉本新喜劇を観ようと、11時56分発の南海線の快速に乗るつもりで急いでいたので、他人の窮状にかかずらっている余裕などなかったから当然、見殺しにするつもりでいた。

ところが不運にも、私のすぐ後ろから同じマンションの住人が出てきやがったのだ。永吉さんが犯罪被害者を、野良猫の死骸か何かのように放置して吉本新喜劇を観に行ったと、マンション中に広まっても困る。それに大阪は人情の街なので、しかたなく倒れている男性のそばに駆けよって、どうしたんですか、とおざなりに訊いた。

被害者は品の良さそうな高齢男性で、見たところ外傷らしいものはなく、しかも仕立てのいい高級な感じのスーツを着ていたので、これは大丈夫だと判断して立ち去ろうとしたら、男性は私のズボンの裾を掴んで、まあ聞いてくださいよ、と言ってことの次第を話し始めた。

男性は近所の神社で神主を務めていて、休み時間に駅前でパチンコをした帰り、後ろから走って来た男に追い抜き様に万引きされたと言うのだ。

「神主までが万引きの被害に遭うやなんて、世の中ここまで来たかゆう感じですわ」と男性はニヒルな笑みを浮かべて言った。

「ほんとですよね。せいぜい気をつけてください。それじゃ」と私は言って駅に急ごうとすると、男性はまた私のズボンの裾を掴んで言った。

「この辺も危のうなりましたわ。知ってはるでしょ? この地区で最近、ピンポンダッシュの被害に遭うた家の家族全員が死亡するという事件が起こったん」
「いや、それは知りませんでしたね」
「新聞読んではりまへんの?」
「テレビ欄しか見ないもので」
「ほな、テレビのニュースで見はったでしょ」
「地デジに移行してからテレビが映らないんで、見てません」
「?......けったいな人やな」
「すいません」

11時56分発には間に合わないと観念して、次の12時4分の各停に乗ることにした。究極のマンネリ演劇、吉本新喜劇のことだから、途中から見ても筋はだいたいわかる。そこで、自分の利益には何ら資するものはない赤の他人の話だが、人情の街大阪だから、ともかく私は仰向けに倒れている男性の上にしゃがみこんで尋ねた。

「何を万引きされたんですか?」
「ええと、軍手と生理用品、それと粉ミルクに電池......あ、チョコレートも」
「そんな《万引きされやすいアイテムTOP 5》みたいなもの持ってるから、犯行を誘発するんですよ。でもどうして、神主さんがそんなものを持ち歩いていたんですか?」

「パチンコの景品ですがな。神様にお仕えしとっても、所詮カネにも色にも弱い人間だす。元は法善寺にある「藤よ志」の板前でしてん。わては、こいさんが好きでした。♪意地と恋とを包丁にかけて両手あわせる水掛不動〜」

男性の下手な歌で大阪の人情が失せて、なんとか電車に間に合うようにと立ち上がり、また裾を掴まれないようにズボンを引っぱり上げて行こうとしたら、今度は右足の皮靴を掴まれた。それでも足を踏み出して先を急いでいたら右足がやけに爽やかなので、靴が脱げたことに気づいた。

戻るのも癪に障るので、片足が靴下のまま行ってしまおうと思ったが、そんな格好で電車に乗るだけのガッツはなかった。それに大阪は人情の街なので、私はひとつ舌打ちをして、男性のところに戻った。

「靴、返してくださいよ......」

男性は、靴を握りしめたまま絶命していた。眼は大きく見開かれ口の端から泡が流れ出ていた。万引きという犯罪の凶悪性、残虐性を目の当たりにして、被害者が私でなくてほんとうによかったと安堵した。

男性にかかわったおかげで、新喜劇は諦めざるを得なかった。翌日もどうせ同じ演目なのだからと、その日は自宅に戻ることにした。自分のケータイの番号を知られて、目撃証言だのなんだのと面倒に巻き込まれたくなかったので、警察には公衆電話から連絡した。

その日の夕刊に、事件のことが報じられていた。記事のなかで、最近、独り歩きを狙った万引きや、裕福な家庭を狙ったピンポンダッシュ、金融機関を狙った食い逃げ、血統のいい高級猫を狙ったネコババといった凶悪犯罪が、大阪を中心に増加傾向にあり、それらによる死傷者が5月の時点ですでに前年の発生件数を超えたことなどが述べてあり、大阪が「幸せ度ランキング」最下位だという調査結果に首肯せざるを得なかった。

                ■

私は、そんな薄情な大阪に嫌気がさし、人の暖かみを求めて福井県に引越すことにした。日本海の真珠と呼ばれている福井に、ずっと住みたいと思っていたのである。福井は、高校の臨海学校で若狭湾に一度行っただけだが、素朴で情に深い人びと、美しい海、美味しい海の幸。それらが今でもPTSDのようにフラッシュバックする。

もちろん今の仕事を辞めて行くわけだが、福井ではその温暖な地中海気候がもたらす豊かな自然の恵みのおかげで働かなくても生きて行けるらしい。福井県で労働をしているのは守銭奴と苦行僧と狂人だけだという話も聞いた。

若狭湾に足を踏みいれると、ヒラメやタイ、貝柱、酢ダコといった海の幸たちが、早く食ってくれと言わんばかりに寄って来る。なかには直接口のなかに飛び込んで来て、そのまま食道の蠕動運動に身を任せて胃までたどり着き、嬉々として消化される魚もいるらしい。

天然ガスもそこここから噴き出ているので、住民はそれをペットボトルに入れて持ち帰り、自宅で煮炊きや暖房の燃料に使っているらしい。また、福井の地盤はボーキサイトでできているというから、世界有数の資源大国でもあるのだ。

その他、卵や牛乳、トイレットペーパーやフライパンといった日常生活に必要なものはみな路上に落ちていて、拾い放題なのだそうだ......そろそろ、こういう妄想系のコラムを書くのはやめよう。

【ながよしかつゆき/フリーターランス】thereisaship@yahoo.co.jp

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■3Dプリンタ奮闘記[11]
3Dプリンタ「実践篇」その1

織田隆治
< https://bn.dgcr.com/archives/20130516140200.html
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さて、3Dプリンタの私なりの活用について書いて来た訳だが、もう少し具体的な事例を上げてみようと思う。

昨年の晩秋、とある依頼が入ってきた。それは、いつも仲良くして頂いている会社の社長さんから、あるロボットの外装部品を作ってくれ、との依頼の連絡だった。

「ロボット! おお! それは凄い! 男の子の夢とロマンの詰まったお仕事じゃないか!」

と、はやる気持ちを押さえつつ、色々とお話を聞いてみると、製作期間が思ったよりない。もし、3Dプリンターがなければお断りしていたかもしれない。

一品物のロボットの外装ともなると、内部機構等の取り合いもあり、これまで通りのFRPでの製作となると、内部機構との組み付けや取り回し等を検討する為、取り付け部等は、ある程度は何回か試作してトライ&エラーを繰り返す可能性がある。

製作過程も、
CAD設計>原型製作>型取り>FRP成形>整形>塗装
と時間がかかる上、FRPの匂いや伸縮、乾燥時間等もある程度かかってしまう。

そこで3Dプリンタの出番となる。

3Dプリンタでの製作は、基本CAD上での設計となり、内部機構もCAD内部で組み付けた上から、外装を設計が出来、CAD内部である程度の動作範囲等も確認できる。

最終的には出力後に装着のテストをするのはFRPとも変わらない訳だが、設計データをそのままプリントして出力する事ができるので、何回か試作してトライ&エラーを繰り返す可能性が減る。

3Dプリンターを使った製作となると、
CAD設計>出力>整形>塗装
となり、大幅に工程を削減出来た。

この案件での課題は、まずその大きさにある。直径50cmほど、高さが50cmほどもあるロボットの出力になる訳だが、パーツごとに分けてもかなりの大きさとなる。

使用しているプリンタの最大出力範囲は、約250×230×220くらいとなり、とうてい一発で出力できる代物ではない。

そこで、分割して出力、後に貼り合わせが必須となる。大きな部品になると、全体を4分割して出力した後、貼り合わせる事にした。薄い断面同士での貼り合わせになると、後にその部分から亀裂等が入ってはいけないので、のりしろを考えての設計となった。

内部機械を組み込む為に、どういった分割にするべきかも考慮する必要がある。できたは良いが、「機械入らんやん! どうやって組んだらエエねん!」では本末転倒だ。

これについては、3Dで設計しながら、脳内で組み立ての順番を考え、CG上で実際に部品を動かしながらシミュレーションを行う。

PC上での設計が納得いくところまでいったら、まずCG上で3Dデータをレンダリングした完成予想図を作り、それを元に内部機構の設計者さんと綿密に打ち合わせを行った。

ここでしっかりと確認をしておけば、後は出力になる。

これからは3Dプリンタに文句言わせずにハードワークを強いる事になる。ひとつのパーツの出力が終ると、間髪入れずに次の指令が下される。

全部で20パーツ程。しかも結構フルサイズでの出力になったため、大きいものになると出力だけで7〜8時間。12〜14時間かかる部品もあった。

完全に労働基準法違反の24時間フルタイム&10日間続行のハード業務となった。実際、文句一つ言わず、黙々、粛々と出力する3Dプリンタの働きっぷりは、涙なくては語れないものがあった。

「後でレストアしてきれいに掃除してやるからね...。頑張れ!」

と、心の中では思いながら、でも、心を鬼にして淡々と指令を書き記したUSBメモリーを、情け容赦なく3Dプリンタに差し込んでいったのである。

途中、材料のリールが途中で折れてしまい、機械は動いているのに出力できていない...という恐ろしい反乱(トラブル)も何度かはあった。

実は、この「中折れ」とも言うべきトラブルは、この手のABSやPLAを積層するタイプの3Dプリンタには、私が聞く範囲ではあるが結構多いようだ。

ABSはある程度柔軟性があるが、PLAは基本固いので、この「中折れ」の頻度が多いように思う。

素材である樹脂の細い線材にし、ドラムに巻いて収納してあるので、芯に近くて巻きのきつい部分の樹脂は、巻癖が付いており、無理矢理伸ばすと折れてしまう事がたまにある。

途中、このような反乱(トラブル)がないか、警棒を持った看守のような気持ちで巡回してやる必要があった。

安心して任せきり、「ふふふ〜ん♪」等と余裕をかましているとエラい目にあうのだ。

次に怖いのは停電。雷などでも、瞬間的に停電になる事がある。その時のためにも、無停電装置の設置は、精神安定上にも是非お勧めする。

色々な苦難の道を乗り切り、それでも3Dプリンタはこの脅威のハードワークを成し遂げたのである。

3Dプリンターが働いてくれているその間は別の作業が出来る訳で、これは一人親方である私には大変なメリットとなる。まあ、一人親方でなくっても、これはかなりメリットな訳ですけどね。

【織田隆治】
FULL DIMENSIONS STUDIO(フル ディメンションズ スタジオ)
< http://www.f-d-studio.jp
>

次回に続きます。幾多の試練を乗り越え、製品になっていく行程には、製作者の外部には見えない苦労や感動が沢山詰まっているんです。って事ですね。


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■ショート・ストーリーのKUNI[138]
めがね

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130516140100.html
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ぐっすり7時間も寝たはずなのに、目覚めるととても疲れているときがある。綿のように疲れるというのはぼくの好きな表現だが、まさに綿のように疲れて寝たのに、さらに疲れて目覚めるという。いったい、ぼくは寝てる間に何をしていたのだろう。

ぼくは想像してみる。そんな疲れた日の夜は、ふとんに入って習慣で本を開いてはみたもののたちまち睡魔に襲われ、ぼくはぱたりと本を閉じるだろう。そして半分眠りに入った状態で電灯のスイッチにつながるひもを引き、ふとんを首もとまで引き上げる。

そこでぼくは、自分がめがねをかけたままだったことに気づく。そして、もうろうとした状態でなんとかめがねをはずし、枕元に置く。置いた瞬間にぼくはもうすうすうと寝息をたて、それからは容易なことでは目をさまさない。

めがねはぼくが寝入ったのを見届けた後、たぶん、指ぱっちんのひとつもしてから歩き始める。なんと、めがねにはぼくの目がついている。あんまり眠くて、目ごとめがねをはずしたことに気づかなかったのだ。ふつう、めがねは歩いたりしないが、目がついているとなると話は別なのだ。

めがねは一般的に「つる」と呼ばれる部分を交互に動かし、新種の昆虫みたいにとことこと歩く。ぼくのめがねは時代遅れの銀色のメタルフレームで、開閉が甘くなっているが、歩くとしたらむしろ好都合かもしれない。

ぼくのめがねはどこに行くのだろう。ぼくの想像では、彼はとりあえず広い場所を探す。だれもいない広い場所がいい、と思う。たぶん。

彼は天井近くの開けっ放しの小窓から外に出る。タイル張りの壁をクモのように這い、アパートの屋上に出る。出てはみたものの目に入るのは、劣化したコンクリートの床やさびの浮いた柵が夜の闇にさらされている姿で、それを見ていると心まで殺伐としてくる。ふうっとため息が出る。

それで屋上の柵の上からすぐ近くに見えている看板に飛び降り、さらに電線を伝って別の場所に行こうと思う。でも、失敗して電線につかまりそこなう。急速な落下。万事休す。めがねは自分が硬い路面にたたきつけられ、フレームが曲がり、レンズが粉々になる場面を思い浮かべる。仕方ない。いや、しかし、目はどうなるのだろう?!

だが次の瞬間、彼は街路樹の枝にひっかかった自分を見いだす。セーフ。胸があればなでおろしたい気分でいると、声がした。

「こっちよ。ほら」

声のほうを見ると、赤いプラスティックフレームのめがねが出窓にすっくと立ち、片方のつるを自分に差し出している。卵形のレンズの中心で「目」がこちらを見ている。深い茶色の、切れ長の目だ。つるには細かな水仙の模様があしらわれている。彼は自分以外の「目がついためがね」が出現したことでしばしあっけにとられる。

「何見てんのよ。さっさとあたしにつかまって。早く行かないと遅れるわ」

遅れる? 何に? 彼は何のことかわからないまま赤い水仙のめがねに、いかにも無骨なメタルフレームのつるを差し出し、ぐっと引っ張り上げてもらう。そして、早くも歩き出した赤いめがねの後を、あわてて追う。モルタルの壁から壁、月光照らすビルからビルへ。

「君の持ち主も・・・目ごとめがねを外したの?」
彼は後ろから声をかけたが
「ええ? 何言ってんの。○○○○でしょ」
通りを走る車の音でよく聞こえなかった。

着いたところは広い集会室のようなところだ。彼は驚く。その部屋には自分や、赤いめがねのように「目」をつけためがねが大勢集まっていて、ある種の興奮に包まれていたから。

「目をつけたままめがねをはずす人がこんなにたくさんいるのか」
彼は赤い水仙のめがねに示された位置に座り、自分が何もわかっていないことを悟られないよう注意を払いながらまわりを見わたす。どの「目」もこれから始まることにわくわくしている様子がみてとれた。

間もなく、前方の壇上に黒いセル縁めがねが現れ、それとともに会場のざわめきが急速にひいていく。黒縁めがねは永く思索的な生活を送ってきた人らしい深みを湛えた目で聴衆をゆっくり見回す。そして太く、つやのある声を放った。

「お集まりの諸君。諸君が本日、この場におられることを祝福せずにはおれません」
会場がどよめく。

「すべては今日から始まるのです。われわれはあらゆるしがらみ、あらゆる面倒、あらゆる社交辞令から自由になる。もう辛抱することはない。限られた時間を本当に気心の合う、自らを高め合うことができる仲間とだけ共有する。これこそが自由だ。だれにもこの自由は妨げられることがない。この自由なくして、生きている意味があろうか」

会場はさらにどよめく。めがねたちはつるで、どどどどんと床を踏みならす。何も知らずにやってきた彼にも、その興奮は伝わる。黒縁めがねの言うことは、自分も前から願っていたことのような気がする。まるで心の中を言い当てられたかのようだと思う。

かたわらの赤いめがねをそっと見ると、こちらも興奮で泣きださんばかりだ。彼もよくわからないまま感動し、自分をここに連れてきた赤いめがねに、口には出さないが感謝する。そのとき、壇上の黒縁めがねがひときわよく響く声で言う。

「さあ、それでは諸君! みんなの印を提出してもらおう。ひとりひとり、ここに来て。さあ!」

会場の興奮は極致に達する。席を立つ者、飛び上がって歓声をあげるもの、隣の席の者と抱擁する者たちでほとんど混乱状態だ。

印? 何のことだろう? 彼がぽかんとしていると、横にいる赤いめがねがじっと見つめてきた。

「まさか、あんた」

決して大きくはなかったのに、その冷ややかな声は、ざわめきの間隙をぬって会場中に広まった。

「え」
「だれだ、そいつは」
「まさか!」
「なんでここに、印を持たないものがいるんだ!」

彼は逃げ出す。たちまち大勢のめがねと目が彼を追う。両のつるがもつれそうになる。部屋を出る。階段を下る。後ろから倒される。もうだめだ。いや、そんなことはない、逃げるんだ! 彼はもがき、大勢のめがねのすき間から這い出た。と思ったとき、そこは何十にも折れ曲がりながら続く階段に囲まれた空間。どこまでもどこまでも、下へ、下へ、彼は落ちてゆく。

アラームが鳴った。ぼくは手探りで止め、それからやはり手探りで枕元のめがねをかける。ふだんどおりの朝。だが、ぼくはぐったりと疲れている。

身支度を整え、牛乳を飲み、新聞を斜め読みして出勤する。ぼくが疲れているのは単なる疲れであって、夜通し街をさまよっていたのではない。めがねのフレームが少し傷ついているのも、たぶん、前からだ。

そして、ぎゅう詰めの電車の中に、赤い水仙模様のめがねフレームを見かけてはっとするのは気のせいだ。離れたところから小さな模様が見分けられるはずもない。気のせいだ。そう思いながら、ぼくはいつしか無理矢理乗客を押しのけ、そのほうに近づいていく。顔をしかめる人がいる。たくさんの目が、驚いたようにぼくを見る。間近にきた。やはりフレームは赤い水仙の模様だし、そのむこうの目に見覚えがある。茶色の切れ長の目。

「教えてください」
めがねの主である女は驚いて目を見開いた。何なの? と言いたげに。
知っているくせに。

「教えてください。印って、何なんですか」
ぼくは無意識で女の腕をつかんでいる。女が全身で拒絶する。
「何すんのよ、離して! 痴漢!」

ぼくは次の駅で、何人もの男に抱えられるようにして駅長室に連れていかれる。警官がやってきてあれこれ聞かれたあげく、理解できない行動ではあるが痴漢かというとそうともいえないということでこんこんとお説教された後、解放される。

ぼくは反省する。めがねにまかせておけばいいのに、勝手なまねをしてしまったようだ。ぼくはめがねを信用しなければいけない。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
< http://midtan.net/
>
< http://koo-yamashita.main.jp/wp/
>

急に暑くなり、おととい、早くも蚊にかまれた。手の甲2個所。血液型がO型の人はよくかまれる(刺される?)とか、そんなの関係ないとか聞きますが、私はO型で、ほんとにかまれやすいような気がする。なんでかなあ。夏の夜に洗濯物を干してたりすると、次から次に襲ってきて、それを振り払ったり身をよじって避けたりと、もうたいへんなんですから。ほんと。


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編集後記(05/16)

●映画「リンカーン/秘密の書」DVDを見る(2012、アメリカ)。スピルバーグ版の「リンカーン」に便乗したおバカB級作品と思って舐めていた。そりゃそうだろう、昼は大統領、夜はヴァンパイア・ハンターという大嘘のトンデモ設定である。この前見たリンカーンは大鎌をふるうゾンビハンターだったが、今度はみごとな斧さばきでヴァンパイアをバッタバッタと征伐する。ほんとにアメリカ大統領って忙しい。

人類とヴァンパイアの戦いは、アメリカの人々を南北戦争に導いていく(ンなアホな)。奴隷解放はヴァンパイアからの解放だった(ンなアホな)。まったくもって荒唐無稽なお話だが、ていねいに作りこんだまともな映画だった。アクションシーンも迫力があり、なかなかいい出来だと思った。それにしても、リンカーンってとても絵になる。どんな役者が演じてもリンカーンになる。

南北戦争は、アメリカが関わった戦争で最大の63万人もの死者を出した。わたし(たち)は、リンカーンの「奴隷解放」と「人民の人民による」云々の美化された歴史しか教わってこなかった(刷り込まれた)が、南北戦争とは北の工業地帯と南の農業地帯の、国家覇権をかけた戦いだったと後で聞いた。正確には知らないが、「奴隷解放」がメインではないことは確かであろう。ましてや、ヴァンパイアやゾンビからの解放でもない。でも、奴隷にとって白人はそんな存在だったのかもしれない。

高山正之の「変見自在」シリーズの「偉人リンカーンは奴隷好き」(新潮社、2010)によれば、教科書でおなじみ「奴隷解放の父」で知られるリンカーンは、国際世論がうるさい黒人奴隷に代わって、格安の中国人苦力をとっくに見つけて使役していたそうだ。奴隷廃止は額面通りではなかった。リンカーンはいかにも人道的な人のような印象だが、奴隷解放宣言と前後して、騎兵隊にダコタ族討伐命令を下し、その処刑まで命じた。メイフラワー号の時代から現在まで、アメリカの所業は人非人そのもの。そんなやつらが日本の歴史認識に口出す権利はない。(柴田)

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「リンカーン/秘密の書」DVD
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高山正之「偉人リンカーンは奴隷好き」


●続き。相手の動きを読み、受けたり返したり。タッグだとリングの外にいるレスラーの動きも目の端で追う。長時間戦うため、休憩や痛くない攻撃も必要。地味だけど痛い、という技は華やかではないので、それをどう見せるか考えないとお客さんは飽きてしまう。ワンパターンだとつまらない。いくら力持ちのレスラーたちだって、そう簡単に相手を投げることはできない。だから、投げる時には技を受ける側の協力がいる。それに大技だと危険なので、受け身が下手な相手には使えない。体のできていない相手に技は出せない。

よく八百長とは言うけれど、タイトルがかかっていないものは、最後をどうするかは決まってるような気がする。でもタイトルは、協力プレーをしながらも、立ち上がった後に技を繰り出せるかどうかを基準として、決着が決まるように思う。呼吸を合わせ、とっさに技を出し、受け、形にしつつ、体力と根性がなければ起き上がるな、みたいな。勝負より印象に残る試合をする方が大切みたいだし。(続く)(hammer.mule)