デジタルちゃいろ[36]見知らぬ日常風景
── browneyes ──

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時勢柄、威張れるようなことでは全くないものの、昭和後期育ちの女らしく、ワタシは喫煙者である。何度かやめようと思いつつ、意思の薄弱さプラス自己イメージやら何やらが相まってやめるに至れずにいる。

この町のこのマンションに暮らしてはや6年を過ぎたが、室内では吸っていない。死語のような響きもあるが、所謂ホタル、である。その6年の間、我が家での喫煙所は、我が家で恐らく一番好きな場所、ベランダだった。

ベランダを囲う壁は、腰高さくらいまでがしっかりとした厚みのコンクリート作り。このフロアは目線がちょうど電線レベル。なので、鳥とは時折対面するものの、下の通りを行く通行人や行き交う車は気にならない。

並びのマンションより道路際に建っているので、東から南、そして西までが、まずまず見渡せる。窓ガラスのない窓のように、上部といくつかの支柱もコンクリートの壁でしっかりめの枠囲いになっているので雨も降り込みにくい。日当たりも良好。素通しのサンルーム、といった感じ。

この区画は商業地域なので、周辺にそれなりに建物はあるのだが、道を挟んだ目の前は駐車場。その両脇は低層の住宅。深夜の出入りはうるさいこともあるけど、道路挟んで目の前すぐに建物という訳でもないのでそこそこ開放感がある。その先にはマンションがあるものの、人目が常にある訳でもない。




広さは横長になった三畳間くらいあるのかな、もう少しあるかしら。そこに、ちいさなテーブルと、アウトドア用の椅子を置いて、煙草を吸い終わっても暫くぼんやりすることも多かった。そのままうたた寝したこともある。

雀と烏と鳩、その他、ぴーひょろろ、と鳶が弧を描いたり、イソヒヨドリが美声を奏でる時もある。リーズナブルな価格の賃貸マンションとしてはこのベランダは個人的にはかなりポイントが高い。3DKなのだが、一部屋おまけ付き、みたいなもんだ。

実はこの部屋、部屋探しを始めてからネットの賃貸情報で何度も見かけていた。しかし図面だけでは魅力がまったく感じられずにスルーをしていて、一度も内見候補に挙げなかった物件なのだ。

散々他の物件を見て、今思うとひどい部屋に仮契約をしかけた矢先、どうも納得いかずに別の不動産屋も当たっていたところ、また勧められたので、ついで程度で見に来て、夫婦揃って一目惚れした。図面だけじゃわからないものだ。

都内のマンションだと最近では、ベランダでの喫煙も禁じられつつあるとか聞くようになったが、この辺ではそういう文化はまだなかった事もあり、隣家が数年前に入居してきた後もそのままベランダ喫煙ライフを続けていた。

共働きのようで日中はほとんどいないし、隣家が軽めなパーティやってた日はお隣も喫煙者のゲストにはベランダを提供していたし、お互い煙草はベランダで、という認識だったのだと思う。

そんなお気に入りのベランダ喫煙ライフに変化があったのは、共働きだった筈の隣の奥様が、日中家にいるようになってからだ。あれ、今日もこんな日中にいる、と気づいたのはお互い日中に窓を開けるようになった春先から。

この季節になってお互い窓を開ける暮らしとなれば、ベランダで煙草を吸ってしまうと煙も匂いも行ってしまう。更に、仕事を辞めたというコトは、もしや...退職とか産休? まさかご懐妊...? であれば、更に申し訳ない。

...と、残念ではあるものの、6年間親しんでいたベランダでの時間を自ら諦めることにした。互いに窓を締め切る真冬とか盛夏には一時的に戻るかもしれないけどね。

それから暫くして、新生児の声が聞え始めた。わお、ホントにご懐妊だったとは、しかもそんな臨月だったなんて。おめでとう!

さて行く先は、北の玄関通路側。まぁ、玄関通路側はあくまで共用部分なので、もしかしたらいつか怒られるかもしれないが、当面そこに居着かせてもらう。

我が家は変則L型の下の出っ張りにあたる角部屋で、玄関のすぐ脇に共用階段がある。他の部屋のドアとは隣接していない。離れたところにエレベーターがあるため、階段は誰も利用しない。玄関のこちら側はウチで行き止まりだ。

とはいえ、共用部分という事もあり、さすがに椅子を堂々と置くわけにもいかないので、100均で小さな椅子と小さな蓋付きのゴミ箱を買ってきて、玄関外の片隅に設置した。この小さな椅子に座ってしまうと耳から下くらいまでは壁に隠れてしまう。

玄関通路側はベランダとは趣が大分異なる。陰と陽の陰だ。このマンションのあるブロックの、各建物の背中が合わさった世界。

綺麗な長方形ばかりの背中合わせという訳ではなく、ちょうど我が家の玄関のある位置は、真裏が低層の廃屋、そして、それに連なる古い雑居ビルの中庭だったのか何なのかよくわからない不思議なエアポケットという感じで、遮るもののない薄暗い空間が広がっている。

その先は一軒家のブロックがいくつも続き、ずっと向こうに幅広でやや背の高いマンションがある。そこのベランダ群はこちらに真っ正面から向いている。とはいえ、距離的に、人がいる・いない、洗濯物がある・ない、は認識できても、具体的な顔やモノは判別出来ない程度に遠い。

こちら側への移動当初は、薄暗さと不慣れな環境から、多少居心地が悪く感じたものだが、日に数回そこに行くようになると慣れてくる。慣れてくるとそこならではの色々なものも目に入るようになる。建物の裏側ばかりの世界というのは意外と面白い。

真裏の廃屋は廃屋としてのご多分に漏れず、蔦で覆われている。我が家がここに引っ越してきた頃に比べると覆われ率はかなり上がっている。そこに続く雑居ビルの中庭も、いつのオーナーが放置したか分からない、ドアや什器といったやや大きめな不用品が置き去りになったまま誰も出入りをしないので、すっかり蔦に侵食されている。

隣接するこのマンションも、毎年、多少侵食されてる。春先に葉先を延ばし、壁にまとわりつき、夏頃までじわじわと壁の裏側が緑になっていく。このマンションは例年、盛夏過ぎた頃になると、管理会社が植木屋さんを呼んで、侵食してきた蔦を綺麗に刈り取る。そして蔦はあちら側だけで紅葉し、枯れ、春になると再びこちらに向って成長を始める。

今年は我が家から階下に向う階段の天井が侵食されている。きちんと定点観測している訳ではないので定かではないが、階段の天井の、反対側の壁までリーチを延ばした蔦を見るのは恐らく初めてのような気がする。しかもまだ初夏を迎えるかどうか、というこの時期に。

このマンション自体に絡みついた部分だけは毎年刈り取ってはいるものの、大元のあちら側の蔦そのものをどうにかしている訳ではないので、本体は年々成長を続けている訳で、こちらへ浸食する勢いも年々増してるのかもしれない。秋口の年一回ペースだけではそのうち蔦に呑まれてしまうのでは、なんていう妄想をするとちょっと楽しくもある。

ベランダと玄関通路側との大きな違いは音。この部屋の間取りは、玄関を開けると横に廊下が広がり、振り分けで二部屋、更にその奥に二部屋、そして廊下同様横長にベランダ、という構成である。家に入ると、どんなに廊下の近くにいても、基本的に聞えてくる「外の音」はベランダ方面の音だ。玄関通路側の音は全くといっていいほど聞えない。

玄関通路側の音というのは出入りの時だけで、普段、馴染みがない。なので、色々と新鮮に聞えてくる。

そちら側の音といえばまず、いつも日中聞えているのは赤子と幼児の声。雑居ビルには数年前から中国系の方のやっている保育所がある。子供達が泣いていても結構放置気味で、赤子が泣くと二歳児がつられて泣く、それを今度は五歳児が泣き真似で遊ぶ、みたいなコトが日々繰り広げられている。

以前から出入りの際にそんな子供達の声は時折耳にはしていた。一般に想像する日本の保育所というよりは、騒々しい気がして、基本的に言葉通り子供をひとつところで「預かってるだけ」という感じがしないでもない。

そこが保育所になった当初は、そんな放置気味保育に若干心配もしたのだが、恐らく色々な理由であそこだから預けている中国人家族たちがいるのだろうと思う。以前チラっと書いた、地元の奥のブラジル人が多く住むエリアにも、ブラジル人によるブラジル人家族のための私設保育所はあるらしい。

暖かい季節のせいなのか、あの保育所が故かはよくわからないのだが、あれだけ奔放な子供の騒ぎ声って、なんとなく亜熱帯とか亜細亜っぽさがあって面白い。一斉に泣き出したかと思ったら、ぱったりと泣き止んだりすることもあってちょっと不思議。

夜になると子供達の声はしなくなる代わりに時折、中国人夫婦の喧嘩する声が聞える。喧嘩ではないのかもしれないけど。

更に時折、近所に住むアフリカ系の男性の話し声も聞えてくる。奥様はアフリカ系ではないので、共通語の英語で会話をしているようだ。印度とは違った形で独特な抑揚のあるアフリカ方面出身の人の英語。彼らはなんとなく、地声が低めだとしてもキー高めに発話する人が多い気がする。母語の発話がそうなのかな。

アフリカ系の方がご近所にいるのは、我が家が引っ越してきた当初から知っていたが、今までほとんど音を通してその方の暮らしを感じたことはなかった。そうか、これも玄関通路側ならではの「音」なんだな。

普段そんなコトを意識したことはなかったけど、玄関通路側にいると、意外に国際色豊かなご近所さんが多いのだなぁと感じる。この雑多感は嫌いじゃない。

座ってしまうと頭半分くらいまで壁に囲まれた場所。ちょっと首を伸ばせば風景を楽しむコトは出来るものの、何となくそこまでして眺めようとは思わない。

階段側を向いて、動かぬ壁とかすかにそよぐ蔦だけを眺めつつ、周囲の音を中心に楽しんでいるコトが多いのだが、そうやってぼんやりと壁の集合体を眺めていると、時折視界の中で何かがふっと動いて、反射的に目がそちらを向く。

最初はそれがなんだかよくわからなかったのだが、よくよくその方向に目を凝らしていたら、階段の向こうの、壁や、その先の建物の部分が折り重なった先に、このブロックのむこうにある道路の一部が少しだけ見えるのだ。

そして、その通りを歩く人や車がいると、その人の頭から肩くらいまでが、壁ばかりの変化のない筈の空間で唯一、動きのある小さな四角い「世界」を作り出す。

面白かったので、その風景をあいほんで撮った。撮ろうと思って更に面白かったのが、椅子の定位置をちょっとでもズレるとこの小さな四角い世界はなくなってしまうのだ。

小さな四角い世界をなるべく大きく撮ろうと、ちょっと前進するだけで、諸々の角度が合わなくなって四角い世界は閉じてしまう。裏を返すと、あの位置で、あの椅子で、ワタシの座高じゃなかったら気づかなかったかもしれない小さな世界。これが今のところ、あの場所での一番のお気に入りだ。

昔に比べて気ままな旅にも出なくなり、旅への憧ればかり募ってたりもするのだけど、自宅周辺の見慣れた日常風景でも、居場所がちょっとズレるだけでまだまだ気づかないでいた世界は色々広がってるのだなぁ、とつくづく。こういう発見はとても楽しい。

さーて、また一息入れに、小さな四角い世界を眺めに行ってこよう。

□enikki browneyes: 最近はここから眺めるちいさなちいさな四角い世界が結構気に入ってる。
└< http://j.mp/16UI1Ba
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■今回のどこかの国の音楽

□Raj Bains & PBN "SUPERSTAR"
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リリースしたてほやほやらしきUK Bhangraシーンの新人クンのようです。南亜細亜系男子ってみんなオッサン顔ですが、この顔で21歳。

PBN(Panjabi By Nature)というイマドキのUK Bhangra界のP-Diddyみたいな人(PV中で赤ジャケットやベージュのサルエルパンツ等で出てくる優男)が発掘・プロデュースしてるようなので取り敢えず見てみるか、程度で見たのですが、トラッドさを保ちつつイマドキさもいい具合に混ざってて、久しぶりにヘビーローテーションしております。

しかし、UK Bhangra=イギリスで生まれ育った、普通に英国の英語に触れまくってる南亜細亜系移民であってもSuperstarの発音は印度訛り全開なんでしょうね。パンジャビ語に合わせてわざと訛らせてるんだろうな、英語ベースのラップ歌詞の時は普通だし。

映像途中でRajクンとPBNが両脇から讃えてるターバンの方は今は亡きBhangra界のスッパルスタール(Superstar)の一人、Surjit Bindrakhiaです。今見てもイケメンターバンですねぇ。

【browneyes】 dc@browneyes.in
生業:アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋&行政書士補助者などをしつつ なんでも屋(←いまここ)。
ライフワーク:なんでもない日常のスナップ。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
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□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
>

春はあったかどうかわからない状態だし、梅雨は空梅雨で名ばかりになり、夏になれば、もう何年もゴリラという名のスコールがくるようになった。20世紀から言い続けてた、日本の亜熱帯化は確実に進行してるんだ、という思いが年々強まるばかりです。