装飾山イバラ道[125]「ワールド・ウォーZ」を見て
── 武田瑛夢 ──

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夏休みだから映画を見たい。「『スター・トレック』と『ワールド・ウォーZ』を忘れずに見よう」とだんなさんに伝え、六本木の予約チケットを取ってもらった。

ブラッド・ピット主演の『ワールド・ウォーZ』の公開の方が先だったので、まずはこちらを見ることに。3D対応だったので3Dで見た。
※以下は映画のネタバレがありますので要注意です。※

映画の前に食事をするか、後にするかいつも悩むけれど「つるとんたん」でうどんを食べたかったので、映画の前にすることにした。変な時間に行くと異様に混むので、もっと変な時間に行くという作戦。たぶん6時前くらい。

おなかもいっぱいになり映画も見終わると、「『スターウォーズ』みたいな映画かと思ったら完全にゾンビ映画じゃん!」とだんなさんから軽い抗議を受ける。ソレって二つの映画のタイトルが混ざってるし(笑)。

『ワールド・ウォーZ』については、私もウィルス系パンデミック映画だと思っていたので、見ながらどうもゾンビらしいとは気がついたのでまぁしょうがない。結局、ウィルスでもゾンビでも、どっちでもいいような気がしてきたけれど。




●「個」が世界を救うか

ブラッド・ピット主演なのだから、そんなに変には作られていないだろうし、CMの映像も迫力があったので興味をそそられていた。実際に砂埃やら人間の波にもまれる地味色の画面の中で、ブラピがいてくれて良かった。

歳をとったとはいえ、きれいなので画面のシュールさが薄まる。残酷さを低めているのは、夏休み映画だしこれでいいんではないだろうか。

主要な登場人物は少なめだし、友情や恋愛がらみのシーンもほとんどない。家族愛がメインだった? そうかなーっという程度で基本はゾンビが怖い映画だ。

主演に存在感があるゾンビ映画というと「バイオハザード」などもそうだけれど、今回の映画では途中でさほどブラピのかっこいいアクションシーンがあるということもなく、その「判断力」がかっこいいのだった。

「判断力」がすべてというのは、どのシーンにも感じられる。いくら腕っ節が強くても、一瞬の判断を間違うと、もうゾンビに噛まれているという世界だからだ。「噛まれたら終わり」というゾンビ映画のセオリーはそのまま、緊張感のある場面が続いていく。

今回のゾンビは動きが速い系のゾンビで、噛まれた人間がゾンビ化するまでが10秒ほどという短い時間なのが特徴だ。その短さは、味方から敵に入れ替わっていく速さでもあり、映画全体のスピードアップにつながっている。

次から次へとゾンビ化していくので、お約束と言える人間だったころを懐かしむ系のシーンは少ない。一瞬アノ人だったゾンビかな? と思う程度で、どんどん話が進む。なにが悲しいというと、人間が残らないかもしれないという悲しさで、たまにブラピがドスンと落ち込んでいるのを見ていると、同じように落ち込んでしまう。

パニックな事態において何をすべきかが大切なので、頼りになるのは有り難いけれど、世界中がブラピ一人の判断に委ねちゃってていいのかな? と思ったりした。

しかし案外「個」の重要性が大きなものを救う分かれ道になるというのは、あるのかもしれない。人が力を合わせた結果、ひとつの「アイデア」のひらめきを生む。ひらめきを決断できるかどうかも結局は一人にかかってくる。

●中にいる何かの身勝手さ

今までのゾンビ映画との違いは、予算がケタ違いなのも大きいだろう。昔のゾンビ映画も、ビルの上からゾンビたちを見下ろすシーンはあったけれど、今回はもっと大掛かりな規模で、空からゾンビたちを映している。

このゾンビたちの行動の根っこは「食欲」で動くのではなく、「増えたい」という欲の方が圧倒的に強い。

腕を前に出してゆっくりと襲いかかっていた昔のゾンビとは違い、頭というより顔、むしろ歯から相手に飛びかかって行くので、成功すれば噛むことができるけれど、失敗すれば顔や歯が壊れるような突撃の仕方をしている。ピラニアっぽい顔つきのゾンビたちだ。

このぶっ飛んでくるような動きは、ガワとしての人間の身体なんてどうなっても良いという、中にいる何かの身勝手さを表してもいる。ゾンビの中には一体何がいるのか、それがこの映画ではひとつの大事なテーマだ。

まったく防御せずに歯から車に突っ込んでいく動きは、生きた普通の人間には不可能だと思った。役者の演技もあるだろうけれど、かなりCGで処理しないとあんなやみくもな動きはできないだろう。

主人公のブラピがゾンビに立ち向かう前の準備として、腕を雑誌とダクトテープでグルグル巻きにするというインスタントな鎧で守る。この何としても噛まれないようにする地道な努力は、人間らしい必死さとして理解できた。

結局、ゾンビのはびこる世界で生きるか死ぬかの違いは、己の身を守ろうとする切実性があるかないかなのだ。

●蟻のように動き蜂のように捨て身なゾンビ

新鮮な人間をひと噛みできればいいゾンビたちが、そのひと噛みのために集団で向かってくる怖さは、蜂が敵を刺しながら死んで行くようでもある。

引きの構図が多く、広い画面の中でゾンビたちが溢れ出てきては流れ込む液体のような動きに見えるのが圧巻だ。

逃げ惑う人間に大量のゾンビが蟻のようにたかり、蜂のように一撃を加えながら次々と仲間を増やして行く様は、究極の絶望感を感じさせる。ゾンビ映画のシーンとしても見た事がない規模の攻撃力だった。映画を見ながら何度も「もうダメだぁ〜!」っと思わされる。

全体で見せるシーンは多くても、アップのグロ場面はあまりない。こういった映画が苦手な女性でも耐えられるのではないだろうか。

以前はスプラッター場面と言っていた血まみれシーンを、今は「ゴア」シーンと言うらしい。そういうのは少ないし、赤い色自体をあまり見なかった気がする。残酷なシーンや痛々しいシーンは多いので何をもってマイルドと見るかの基準はよくわからないけれど、完全にマイルドなゾンビ映画なんてコントになってしまうだろう。

●ゾンビって何なのか

ちょっと異色作なので、他のゾンビ映画へのオマージュと言えるシーンは少なめだけれど、オープニングシーンではアレだと思えるものがあった。映画が始まると、ベッドルームでくつろぐ主人公のところへ子供たちが駆け寄って来るのだ。ここで「うわっ」と一瞬身構えるけれど、女の子たちはキャピキャピと元気なままだ。

ゾンビ映画の「ドーン・オブ・ザ・デット」を見ている人なら、ベッドルームと子供というだけで怖い。ドーンでは冒頭のベッドルームに入ってくる子供が既にゾンビだったからだ。

昔のゾンビはゾンビでもうどうしようもないと思っていた。根本を考えるよりも、今コイツらから逃げるにはどうしたら良いのかということだけだった。

この映画では、ゾンビの発生の秘密について探求していく。場当たり的に戦うだけのゾンビ映画にはしたくないようだった。

私は映画しか見ていないので十分満足したけれど、原作のファンが多いので、映画化しきれなかった部分についての不満も多いようだ。

ゾンビの中には何がいるのか、答えは曖昧なままだけれど曖昧にしておくということで、ゾンビを尊重している姿勢を見せているのかもしれない。知りたいことほど、知りたいのままがいい。

【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
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以前記事にした塩の冷感寝具はけっこう便利だった。クーラーをつけずにはすまない暑さだったので、これも併用したけれど、部屋がそこそこ涼しければ十分機能した。

固体がほとんど液体になり、袋の中でそのまま液体だったけれど、以前使っていたのが水を入れるタイプだったので慣れていたし。つまむとわかる程度に塊もできているけれど気にしない。残暑がどこまで続くのかいやになってしまう。