歌う田舎者[49]ナニのサイズと激しいキッス──薩摩藩城下町の観光ポイント
── もみのこゆきと ──

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金がもらえそうなことなら、尻尾振って、なんでも「はいはい」言うてるわたしである。

♪金の〜ためな〜ら〜男も泣かす〜♪
♪それが〜どうした〜文句があるか〜♪

そんな男どこにおるんや。見栄張るなゴルァ。あぁ、それにしても一度くらい色恋沙汰で男を泣かしてみたいものよのぅ。

もとい、「あのー、もみのこさん、今度作成する市内観光冊子の記事をですね、書いてほしいんですけど、どうですか」。いや、もちろん尻尾振って「はいはい」答えましたとも。答えてから気づきましたとも。知らんよ、市内の観光ポイントなんて。わーーーーっ!

だいたい薩摩藩城下町の観光ポイントなぞ、9割方、明治維新絡みである。えぇ、もちろん地元民ですから知ってますよ。西郷隆盛はえらい。大久保利通もなんかえらい。篤姫は有名人だ。それ以上、聞くな。




学生時代、歴史を専攻していたわたしであるが、研究していたのはカタカナの国の歴史であって、漢字と仮名の国の歴史はさっぱりである。

そもそも漢字というものは画数が多くていけない。「成吉思汗」で27画。「チンギスハン」で16画。漢字だと11画も多く手を動かさねばならない。手書きで字を書くのが嫌いな怠け者には、一画でも画数が少ないほうがありがたいのだ。余計なエネルギーを使うと寿命が縮むではないか。

そんなわけで、中国史や朝鮮史、日本史は苦手なのだ。とりわけ、日本史はダメである。なぜなら、中国人や韓国人の名前はだいたい漢字3文字だが、日本人の名前は漢字4文字が多い。

わたしの脳内漢字人名バッファーは、COBOLのWORKING-STORAGE SECTION的にいうと、PIC N(03)なので、それ以上の文字数は桁落ちするのである......と言って意味がわかる人は、相当年を取ったIT技術者であろう。

ま、それはさておき、「西郷隆盛はえらい人です」では金をもらえそうにないので、とにかく城下町を歩いてみることにした。「もみのこさん、西郷銅像の近辺にある観光ポイントをお願いしますね」「はいはい、合点承知之介にござります」

と、と、とにかく観光案内板が出てきたら、それ見て鉛筆舐め舐めメモっていけば、なんとかなるんではないか、きっと。

まずは薩摩藩立博物館の裏手あたりからスタートしよう。どれどれ、一つ目の案内板が見えてきたぞ。

●世界で初めて精子が発見されたソテツ

えーと、すいません。いきなり一つ目の観光案内板のタイトルがこれですか。太陽の光が燦々と降り注ぐ真昼間から、精子とかなんとか、君、不謹慎だろう! まったく薩摩藩というところは何を考えておるのだ。

なんでも、この案内板の後ろに生い茂るソテツから、東京帝国大学の植物学者、池野成一郎なるお方が、世界で初めて精子を発見したらしいのである。このソテツから株分けしたものが、東京の小石川植物園に植わっているということであるが、なんだなんだ、真面目なお話か。真昼間から昼下がりの情事気分にさせやがって、紛らわしい!

●照国神社

昼下がりの情事をやらかすソテツの向こうには、でかい神社がある。照国神社だ。御祭神は島津斉彬である。観光案内板にはこう書かれている。

「早くから開国論を唱え西郷・大久保を指導して幕政改革をめざした島津家第28代藩主斉彬は、1858年7月15日、炎天下での閲兵が災いしてその後にわかに発病、あっけなく49歳の生涯を閉じました」

は? 炎天下での閲兵で発病ですと? 要するに熱中症かなんかですか? いや〜、そりゃダメざんしょ。甲子園球児だって、真夏の炎天下じゃぶっ倒れますぜ。

かような荒行は、やんごとなきお育ちの斉彬には無理であろうから、アキラはアキラでも体育会系のにしきのあきらに任せておけばよろしい。♪愛してる〜いつまでも〜空に〜太陽が〜あ〜る限〜り〜♪ ほら、にしきのあきらなら、空に太陽が輝く炎天下でも、歌って踊れるから大丈夫なのだ。

ちなみに、今年の元旦に三大宗教三位一体ご利益を狙って、神社、寺院、教会に100円ずつお賽銭を投げ入れたわたしなのだがそのときの神社はココである。

デジクリ:三位一体の人生改革
< https://bn.dgcr.com/archives/20130131140300.html
>

今年も第3クォーターを回り、残すところ3か月あまりとなったが、年初の願い事であった「酒と仕事と男とお金」は、まったく叶えられていない。もしや宗教的節操のなさで、全面的に仏罰神罰イエス罰が降りかかる方向に人生が向いているのか?

いやいや、すべて平等に100円のお賽銭というのがマズかったのかもしれぬ。同じ100円では、仏様も神様もイエス様も、誰がリーダーとなり指図すればいいかわからなかったのではあるまいか。

よって本日、照国神社に10円を追加で投げ入れた。さすれば、神様がリーダーシップを取って、仏様、イエス様とともに、今度こそわたしに三位一体ご利益「酒と仕事と男とお金」をもたらしてくれるのではなかろうか。

●西郷隆盛銅像

えらい人の銅像である。維新三傑のひとりであるらしい。征韓論とか遣韓論とか言ってたような気がする。ときどき吉川晃司(八重の桜)や西田敏行(翔ぶが如く)が化けて立っていることがある。

薩摩藩のスターである西郷どんだが、説明しろと言ってもそのくらいしか思い出せないので、wiki先生に聞いてみた。そして驚いた。

Wikipedia:西郷隆盛
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B
>

この中に持病という項目があるのだが、西郷どんは風土病であるフィラリアに感染していたらしい。この病気の影響で、ナニのサイズがあのそのもごもご......であったそうな。

西南戦争時、城山の洞窟から出て官軍の銃弾を浴び、別府晋介に「晋どん晋どん、もうここらでよか」と言って自刃した西郷どんの遺体を本人のものと特定できたのは、このナニのサイズのおかげであったという。......せつない。せつなすぎる。なぜそんなとこで特定されねばならんのだ。

西南戦争で額を打ち抜かれて死んだ桐野利秋もフィラリアで、屍体検査書にはナニのサイズがあのそのもごもご......と書いてあったらしいのだが、するってぇと、本人確認をするときは、必ずナニを確認するものなのだろうか。おちおち戦死もできんではないか。

「おいおい、それはいいから、西南戦争の経過とか意義とか、そこをちゃんと読めよ」と神の声がするのだが、ひたすらに脇道にそれていくわたしであった。

●小松帯刀銅像/大久保利通銅像

西郷隆盛銅像の数百メートル先には、小松帯刀銅像が立っている。たまに瑛太(篤姫)が化けて立っていたりする。よくよく見てみると......うーん、日本人体型だ。なんだか比率的に頭がでかい。

そこからバスで4つほどいくと大久保利通銅像がある。薩摩藩の民にはほとんど人気がない。西郷どんと対立した人間や弓を引いた人間には、薩摩人は冷たいのである。

しかしわたしは判官贔屓なのだ。みんなが西郷どん西郷どんと敬うほどに、「そいじゃ大久保どんが哀れじゃごわはんか! 見っみやんせ。薩摩の偉人の銅像比べをしたなら、一番頭がこまんか八頭身は、大久保どんじゃっど!」

(それでは大久保さんが可哀そうではありませんか! 見てごらんなさい。薩摩の偉人の銅像比べをしたなら、一番頭が小さい八頭身は大久保さんですよ)と肩を持ちたくなるのであった。

●若き薩摩の群像

九州新幹線の終着駅、薩摩藩中央駅の東口には、銅像が19体も乗っかった「若き薩摩の群像」と呼ばれるモニュメントがある。しかし、乗っかっているのは誰なのか、19人全員の名前を答えられる薩摩人はいない。それどころか、ひとりも答えられない人もいそうである。

参考資料をカンニングしたところによると、薩英戦争で列強の力を思い知った薩摩藩は、外国の進んだ技術を導入するために、鎖国の禁を犯してイギリスに留学生を送りこんだ。

留学生の中には、初代大阪商工会議所会頭になった五代友厚や、日本電気通信の父と呼ばれた寺島宗則などがいる。また焼酎王国にありながら、サッポロビール創業者となった村橋久成や、カリフォルニアの葡萄王と呼ばれワイン作りに取り組んだ長沢鼎も、このときの留学生だ。

......という御託は、わたし的にはどうでもよろしい。観光案内板に書かれていた重大なポイントはここである。

「まずはじめに留学生たちをおどろかせたのはオランダ人夫婦の激しいキッスシーンでした」

なんですと? いや、冗談ではなく、ほんとに観光案内板の一行目にそう大書きしてあるのだ。気になる。"激しいキッス"ってどのくらい激しいんだ? 

いわゆるフレンチ・キスってヤツか? 糸引いてんのか? 純朴な日本の田舎侍が驚く程度だから、実は大したことないのか? "キス"ではなく"キッス"ってところがまた妙にアナクロな劣情を刺激するのは気のせいか。

ぬめぬめとしたPRINCEのKISSを脳内BGMに、"激しいキッス"とは何か、妄想に取り憑かれ、そしてやはり、ひたすらに脇道にそれていくわたしであった。

●大山巌誕生地

大山巌の銅像は薩摩にはない。銅像は東京の九段坂公園にあり、薩摩にあるのは誕生地の石碑だけである。そもそもあんた誰? と思う人も多かろう。明治政府で陸軍大臣や文部大臣を務めた重鎮であり、八重の桜では反町隆が演じている。

なんつっても、薩摩出身でありながら西南戦争で西郷どんに弓を引いた官軍の指揮官であるので、以降、薩摩の地を踏むことはなかったそうな。

その大山どんの後妻は、会津出身の山川捨松である。当時の会津人と薩摩人でよく結婚できたものであるが、双方ともあまりに方言がきつすぎて、日本語で話が通じず、日常会話は英語やフランス語であったらしい。大山どんはルイ・ヴィトンの顧客名簿に初めて記された日本人の一人である。へぇぇぇぇぇ。

まぁ、ほかにも宝暦治水に携わった薩摩藩士を供養するための薩摩義士碑とか、西南戦争の銃弾跡を残す黎明館とか、篤姫の実家とか、あれこれあるのだが、最終的にわたしの記憶に残っているのは、ナニのサイズと激しいキッスだけなのであった。

これというのも、幼少のときから清廉潔白純情無垢で禁欲的な生活を強いられてきたため、大人になった途端、エログロナンセンスな方向ばかりに暴走する中二病的人間になってしまったのだ。

やはり人間というものは、その年齢にふさわしいエログロナンセンスを経験しながら成長しないと、まともな人間になれないのに相違ない。

しかし、ナニのサイズと激しいキッスで金がもらえるのだろうか。もらえんよな。どないしよ o(;△;)o

※「浪花恋しぐれ」岡千秋・都はるみ
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※「空に太陽がある限り」にしきのあきら
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※「KISS」PRINCE
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

市内観光バスに乗っていた観光客が話しかけてきた。

「鹿児島は歴史的なものが大事にされていていいですね」

「え! 何を言ってるんですか。鹿児島なんて西南戦争以降、負け癖がついちゃって、ほんとダメですよ。土産物売り場をごらんなさいな。宮崎県が東国原知事だった時代、県内の土産物屋はことごとく東国原グッズに占拠され、そのブームが去ったと思ったら、くまモンが南下してきて、今や熊本県の植民地状態っすよ。もうとにかく薩摩は鹿児島になってから何っっっにもいいことないんすから」と熱弁をふるったわたしである。