[3590] 月がとっても青いから遠回りすることの何が罪なのか

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《人類の歴史は階段の歴史でもある》

■わが逃走[133]
 四谷階段の巻(本塩町〜坂町編)
 齋藤 浩

■私症説[52]
 月がとっても青いから遠回りすることの何が罪なのか
 永吉克之

■3Dプリンタ奮闘記[23]
 3Dプリンタと3DCGとフィギュアと私と
 織田隆治




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■わが逃走[133]
四谷階段の巻(本塩町〜坂町編)

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20131121140300.html
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東京は高層建築だらけなので、一見しただけで地形を感じられる地はもはや少なく、移動も地下鉄が多いと"山"や"谷"を感じること自体少なくなってしまう。

しかし実際歩いてみると東京は驚くほど高低差に富んでおり、どこまで行っても平らなS玉県O宮市で育った私にしてみれば、まるで別世界である。これで車の量が少なければ言うことないんだけどね。

たとえば、スマホのカメラを通して昔の東京の3D画像をキャプチャリングできるアプリがあったら、より一層地形を感じることができるのだろうか。

親世代のヒトたちが「このへんもすっかり変わっちゃった」といいながら目を細めて眺めているのは脳内アプリを通して、土地の高低差を視覚的に感じることのできた頃の風景を重ね合わせているに違いない。ちょっとうらやましいことである。

さて先日訳あって新宿区四谷の町のごく一部を歩いたのだが、四「谷」ってくらいだから坂道がたくさんある。

以前この辺りの会社に勤めていたので、市ヶ「谷」、四「谷」、赤「坂」とよく歩いたものだが、当時はとにかく急いで移動しなければならなかったため、周囲に目を向けてる暇なんてなかった。

しかし、改めて土地の高低差を感じることだけを目的として歩いてみると、素敵な細道や階段道、渋い建築など面白い物件がたくさんあるではないか! というわけで、今回は四谷でみつけたモノや風景など、主に階段を中心にご紹介したいと思います。

地下鉄に乗っていて突然空が見えたりするポイントがあるわけだが、そういう場所はたいてい高低差の激しいところだ。蛍光灯に照らされ続けた車内に突然自然光が溢れ、車窓からJR線と立体交差する谷間が見えたと思ったら、そこが丸ノ内線の四ッ谷駅なのである。

ホームからはJR中央線を見下ろすことができる。不思議なことに、地下鉄の方が高いところを走っている。

写真は歴史を感じさせる中央線のトンネルポータル。レンガとコンクリートの対比が興味深い。レンガは明治27年、ちょいアールデコなコンクリートのものは昭和4年開通。それぞれの時代の様式美。
< https://bn.dgcr.com/archives/2013/11/21/images/001 >
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なお、これらのトンネルの間には力強い雰囲気の美しい階段が存在する。線路の敷地内なので立ち入りはできないが、構造からして以前は一般人も立ち入ることができたのではないだろうか。古い写真などが残っていたら是非見てみたいものである。
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電車に乗っていると、線路脇に気になる建築等を目にすることは意外と多い。線路敷地内は区画整理されない分、近代化遺産クラスと思われるような貴重な物件が見られることも多い。

その反面、会社の都合で予告なしにぶっ壊されることもあるので、見つけたら記録していくことが肝要。

改札を抜けて振り返ってみると、駅舎自体は近代化されているが、裏の方から
は昭和な香りが漂ってくる。雰囲気にひかれて歩いてみると、美しい切り文字
サインが残されていた。

「四」の囲み内側の曲線と「駅」の省略表現が秀逸。ちなみに隣の駅は四谷三丁目で小さな『ッ』がない。
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駅から本塩町方面に向かう。以前来たことのある写真スタジオの近くにいい階段があったような......とさまよっていると、あった! 見た感じは変わってしまったが、風情は健在だった。相変わらず美しい。ちなみにものすごく傾斜が急です。酔ったときにここを通るのはとても危険。
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ふと見上げると煙突(?)の束が。こういう"成り行き"でできちゃった構造
ってなぜか憎めない。
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そして脇に目を向けるとガス管の束。ここまでいくともはや芸術。
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必要だから作った結果、妙にオモシロイ物になってしまった、という結果論的構造美っていいよなあ。

さらに行くと、シンプルだけど味わいのある階段が。こういったタイプはよくドラマのセットなんかでは見かけるけど、実際には貴重な存在。
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そして住宅の隙間のスロープと階段。このアールの美しさはワンオフならでは。いつまでも眺めていたいけど、不審者と思われると危険なので、早々に引き上げた。
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そして、この複合素材階段。大谷石やレンガ、コンクリートなどを「積む」というプラスの作業だけでなく、削る行程も含めてひとつの世界が出来上がっている。

素晴らしい。かなり感動するオレ。満面の笑みを浮かべて階段をじっと見つめる男。端から見るとますます怪しい。通報されなくて良かった。
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朝の光をあびるベーシックな階段。一見普通の階段だが、向かって左側が一段多い。こういうほんのちょっとした個性に出会うと、なぜかものすごく感動してしまう。
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そして細道のダブル階段。子供だったらジグザグに上ったり直角に下りてみたり、いろんな視点を試すんだろうな。
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この後、階段の聖地・荒木町へと向かったのだが、写真の数が膨大すぎるので次回へ持ち越しとします。

さて、なぜこうも階段は楽しく、美しいのか。思うに、高い場所へ移動したいというシンプルな欲求を、最もシンプルに解決した形だからであろう。

階段には取扱説明書が存在しない。階段の使い方なんて教えてもらわなくても、物心ついた頃には誰もが普通に上り下りしているのだ。それどころか犬も猫も普通に階段を使う。これは究極の機能する形状と言えよう。

また、階段は大昔から世界中に存在している。つまり上へ行くという目的を解決するために誰もが思いつく最も単純かつ有効な手段だと言えるのではないか。"上へ行く"は、"神に近づく"でもある。

世界中の遺跡に存在する塔の数々は、階段の存在なくして語れない。そう考えると人類の歴史は階段の歴史でもあるわけだ。わー、なんだだかスゲーな、わはは。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられ
ないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィ
ックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■私症説[52]
月がとっても青いから遠回りすることの何が罪なのか

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20131121140200.html
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♪ 月がとっても青いから 遠回りして帰ろ〜

菅原都々子『月がとっても青いから』(テイチク・昭和30年)
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仕事帰り、疲れているうえに空腹でイライラしているときにわざわざ遠回りをして帰宅するなんて苦行に励む人は少ない。そんな時は1メートルでも余計な距離は歩きたくないし、1分でも無駄な時間は使いたくないものだ。

ところが奇妙なことがある。私は通勤に、大阪市内にある南海線の天下茶屋駅を利用している。階段を上ったところに改札口があるのだが、わずか23段の階段を使わず、階段と並走しているエスカレーターを利用するためにわざわざ長い列を作って健気に待っている人々がいる(私もそんな健気なひとりである)。

まあ、仕事帰りなら疲れていて、わずかでも体力を使いたくないから機械に上まで運んでもらいたい心情は理解できる。しかし、そんなありがたいエスカレーターを歩いて上る人たちが必ずいる。

その時は私も疲れていたが、飽くなき探究心が疲労に打ち克って、23段の階段を歩いて上るのと、エスカレーターを歩いて上るのとでは、どのくらい時間に差が出るか両方で測ってみたら、エスカレーターの方が5秒早く上りきった。

この5秒にどれほどの価値があるのだろうか。5秒違ったって乗る電車は同じだから、5秒早く帰宅できるわけでもなさそうだ。つまり、5秒であろうが0.5秒であろうが、Time が money になろうがなるまいが、彼らにとって早い(速い)ことは無条件に「善」なのである。

蛇足ながら、エスカレーターは、歩いたり、まして駆け上がったりするのに適した設計はされておらず、じっと立っているのが本来の乗り方らしい。

■巧遅は拙速に如かず

......という故事成語がある。孫子の言葉として知られていたがどうもそうではないらしい。それはともかく、どんなに仕事の出来がよくてもこう時間がかかっちゃかわなねえ、ちったぁ出来が悪くても速え方がいいやね、というような場合に遣われる。

これは古代中国だけでなく、世界にあまねく通用する万古不易の真理である。ひと月かけて畢生の傑作を描くイラストレーターより、一日で、まあこんなもんでしょ的な絵を描くイラストレーターの方が仕事は多いだろう。

血液検査やらMRIやらで何日もかけて検査をして、確実な診断を下す医師より、問診だけで「ま、風邪ですな。はい次」と、問答無用にかたずける医師の方が患者をたくさんさばけるから、稼げるだろう。

職業に限らず、あらゆることにおいて非能率というのは「悪」なのである。非能率であることのどこをどういじってもチャームポイントにはならない。

せいぜいのところ、「きみって何やらせても要領悪いけど、でもそんなところが放っておけないんだよなぁ」という、保護者と被保護者のような関係にある男女においてはあり得るかもしれない。

ちなみに私は、手際の悪い女性マニアを自認するものである。携帯や財布などを取り出すたびに、いちいち大きなバッグを地面に置いて、「あれぇ、どこに入れたかしら」とバッグの中を引っ掻き回すその姿に、私の胸がざわめくのだ。

そう感じるのは私が女性を見下しているからだろうか。仮にそうだとしても好きなものは好きなのだからしかたがない。誰も私を止めることはできない。歳が歳だからこの嗜好は尽未来際、直らないだろう。変態とでも発情河馬とでも好きなように呼ぶがいい。

それはともかく、地球上にあるすべてのものが、その重力から自由になれないのと同じで、われわれも「能率」の桎梏から自由になることはできない。われわれはみな能率の奴隷「能奴」(※)なのだ。能率という名の獄丁の鞭で追われながら働く能奴なのである。

※解説するまでもなく作者は「農奴」にひっかけている。

例えば、飲み会に知人たちを誘う場合、ひとりひとりにメールを送って都合を聞くなんてかったるいことしないでさ、Facebookでグループ作ってやりとりした方が手っ取り早いじゃん、と考える。その瞬間に人は能奴に堕するのだ。

■参禅

すでに故人となったが、禅宗の一派である曹洞宗の平木幹栄(ひらきかんえい)禅師の名を、読者諸氏は耳にされたことがあるだろうか。おそらくないと思う。私も初めて聞いた。なにしろいま私が創造した人物なのだから。どんな人物なのかはわからないが、書きながら考えてゆくつもりである。

わが大阪府堺市には大小の寺院がむやみに多い。仁徳天皇陵だけが堺の売りではない。寺巡りも観光としては価値があるが、それはともかく、平木幹栄禅師が住職を勤める玄建寺もそのひとつで、去年の夏、毎週日曜の早朝に開かれている坐禅会に参加した。

参禅の初日。夏とはいえ空は真っ暗だった。坐禅が始まるのは4時30分からだが、4時に本堂に入ったらもう参加者が数人集まっていた。

そのなかに、剃髪に作務衣、痩せてはいるが背丈が六尺以上、精悍な顔立ちながらどこか風雅で、厳寒の北陸で漁師をしながら、ふたりの男子とひとりの女子を東京の一流大学に進学させた父親のような趣をまとった初老の男性がいた。

それが平木幹栄禅師だとすぐにわかったので、声をかけた。

「あのぅ、坊主、ちょっといいですか?」

(後日人から聞いたのだが、住職の地位にある人には「坊主」ではなく「住職」という呼称を遣うらしい)

「はい、なんでしょう」

「坐禅で何が得られるのですか?」

「何も考えず、只管(ひたすら)坐る。それが曹洞宗の坐禅です」

禅師はたったそれだけ言って去ろうとするので、私はカッとなった。ないがし
ろにされるのは大嫌いなのだ。私は禅師の襟首を掴んで引き止め、訴えた。

■人間性を圧殺する能率──禅師への問い

「実は私、年齢のせいもあるんですけど、仕事の能率がひどく悪くて職場でいつも嫌味を言われるんです。

《もう3か月以上この仕事をしているのだから、そろそろ人並みの能率で作業してくださいよ。ほら、あそこにいる李ビアンカさん、彼女は先週入ったばかりなのに、永吉さんより仕事はずっと速いですよ。美人だし》

......たしかに、李ビアンカは若くて美人だから大好物ですよ。しかし新米と比較されるなんて屈辱じゃないですか。

いったい能率が良いことのどこがそんなに良いんですか? 能率が悪いことの何が悪いんですか? 能率的であることと非能率的であることは、良し悪しの問題じゃなくて、種類の違いなんですよ。

非能率というのは能率の一種なんです。別名《サルバトーレ能率》とも《無帰合性能率》とも呼ばれています。英語では proleutomic efficiency といいます。この proleutomic (プロルートミック)という英単語ですが辞書には載っていません。いま、ふと思いついたんです。

また、proleutomic には「遊び」といったニュアンスがあります。しかしこれは、女遊びとか火遊びとかいう「遊び」ではないんです。

機械などで、急激な力の及ぶのを防ぐため、部品の結合にゆとりをもたすこと。「ハンドルの─」(大辞泉より)

という場合の遊びで、だから proleutomic efficiency を強いて訳すと、ゆとりある能率ということになるのでしょうか。それが能奴どもにはわからないんですね」

腕組みをして私の話をじっと聴いていた禅師が、突然女の声で笑い出した。「自分の無力を、そんな自分勝手な理屈で糊塗しようとするから、あなたはいつまでたっても麓の人なのよ!」

禅師が、自分の脳天に両手の爪をめりこませると、自らの体を左右に引き裂いた。するとなかから、李ビアンカが現れたのである。

「平木禅師の正体は貴様だったのか! この妖怪め。僕と結婚してくれ!」

「いいわ。でもあたし来年、還暦よ」

こうして、すべての難問は大団円の狂躁なかでうやむやになった。手に負えない問題はうやむやにするに限る。それが禅師の教えだったのだろう。合掌。

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。
『怒りのブドウ球菌』電子版 前後編 Kindleストアにて販売中!

Kindleストア< http://amzn.to/ZoEP8e
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無名藝人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■3Dプリンタ奮闘記[23]
3Dプリンタと3DCGとフィギュアと私と

織田隆治
< https://bn.dgcr.com/archives/20131121140100.html
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私事ではありますが、ワンフェスなんかのフィギュアイベントに出る際の原型制作は、もっぱら手作りで! ってな感じでやってきました。前にも書いてきた通り、最近では3Dでモデリングしたものを、3Dプリンタで出力して仕上げたものが増えてきています。

メカとかロボットが主流でしたが、最近ではZbrushというソフトなんかを使ったクリーチャーや美少女なんかも結構増えてきて、かなりのデイーラーさんが3Dプリントしてます。

僕は、基本手作りを主流していましたが、やっぱりメカ物は3Dプリンタで出力すると楽なんですよね。どう楽かって言うと、やっぱり「左右対称な物が、キッチリ出来る!」これですね〜。

これまでは、展開図を書いて、図面をプラ板なんかに写して、それをカットして、貼って、削って...... と結構、というかかなり大変な作業でした。それでも、やはりうまく左右対称にならない事なんかがあったりして、ウッキ〜〜〜〜!っとなってた訳です。

しかし、それを3Dプリンタで出力するとなると、CGソフトで「左右反転複製!」という魔法の道具で、一発で左右反転のパーツが出来ちゃう訳ですよ。奥さん。すっばらしいですねぇ。

そのデータを出力に出して、しばらく待っていると、きれいに左右反転された立体が出来上がるんです。どうしても積層痕が出るので、それをヤスらないとダメなんですが、手作業で左右反転物を作るよりは「断然楽!」「すごい楽!」なんですね。

僕もその誘惑に負けてしまいました。人間、楽な方に流れていってしまうのです、はい。

まだ、生物的なものは手作りでやる事が多いんですが、これからはもっとこういう方向に流されて行きそうです。そりゃ、仕事で使うにしろ、そういうプリンタが目の前にあると仕方がないんですよ。。。

3Dプリンタで出力したものなんて、邪道だ! って風潮も、まだ3Dプリンタでの出力が少なかった1〜2年前までは言われていましたが、最近ではかなり市民権を得てきたようです。

そりゃ、買う人は製作方法なんてあまり気にしてないですし、精度の高い物が受け入れられるのは当然の流れです。

それでも、やっぱり手作りの良さってのもありまして、ケースバイケースで使い分けて行く、という流れになるんじゃないかな、とも思います。手作りの造形に、その作者の息づかいなんかが感じられるんですよね。指紋なんか着いてる事もありますしね。そこが、造形の面白い所だと思います。

最近は、一般に市販されるフィギュア造形でも、3DCGで設計したものを3Dプリンタで出力して、モックアップや試作を作る事も増えています。

これまでは、NCで削ったり、モック製作の外注さんに試作を出していたものを、自社で3Dプリンタを導入する事によって、かなりの効率化を進める事が出来るんでしょうね。

トライアンドエラーも随時行う事が出来ますし。これが一番利点だと思います。

最近では、模型雑誌や3DCG雑誌が、そういう事をアピールする記事が増えてきました。3Dプリンタの登場は、両方の業界で、これからのユーザーを増やしたり、裾野を広げて行く手段としては有力なのだと思います。

これまで、3DCGと模型というのは、なんとなく近そうな感じでしたが、そこはやはり最終の吐き出しが違うという事で相見えなかったんですが、この3Dプリンタの登場で、最終着地点が同じになったとも言えます。そこで、お互いのユーザーを巻き込みながら、双方の成長に期待しているんでしょう。

サブカルチャーとも言いますが、そういう日本の文化の新しい分野の登場かもしれませんね。最近では、フィギュアとかアニメは、サブカルチャーから脱皮して、日本の一大産業となりつつあります。

世界的に見ても、そういう文化は認知されるようになり、ヨーロッパなんかでも、日本のアニメやフィギュアが受け入れられています。これからはそういう分野を伸ばしていく、みたいな事も言われていますが、もっと本腰をいれていって欲しいなぁ......と個人的には思います。

この分野ではまだ日本が最高峰ですから、このまま世界でトップを突っ走って行って欲しいです。なにかを生み出す力、って凄く大切ですよね。

【織田隆治】FULL DIMENSIONS STUDIO(フル ディメンションズ スタジオ)
< http://www.f-d-studio.jp
>

新しい3Dプリンター。かなり癖もつかんできて、楽しくなってきたところ。本業以外にもいろいろ使い道を模索中です。


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編集後記(11/21)

●名画(映画)を見る旅の途中だが、なかなか捗らない。図書館ルートでDVDを調達しているが、それでも15本くらいは見つからない。まあ、急ぐ旅でもないからそのうちレンタルショップで探してみる。今回見たのは「スティング」で、40年前のアメリカ映画。世界中で大ヒットしたのだが、わたしはリアルタイムでは見ていない。そもそも映画青年ではなく漫画青年だったし。タイトルとストーリーはなんとなく知っていたので、かつてWOWOWあたりで見たことがあるのかもしれない。

わたしは役者の顔をすぐには覚えられないので(とくに外国人)、たくさん出て来るとどんな役なのかわからなくなる。この映画でも途中で混乱したが、わりとシンプルなストーリーなのでなんとかついていけた。もちろん、最後は制作者の狙い通り、みごとにだまされる理想的な観客のひとりとなった。あとからWikipediaにある詳細なストーリーを読んで、ああそういうことだったのかと感心するんだから、わたしは映画を見る能力はかなり劣るのではないかと思う。それでもう一度見たら、笑っちゃうほどしっかり理解できて、先まで読めちゃうんだからすごい、って当たり前か。

よくわからない映画DVDを見てしまった。トム・クルーズ主演のSF大作「オブリビオン」(2013年)である。「すべての謎が解けなければ、地球は"過去の惑星"となる。」と公式サイトにあるが、その思わせぶりなコピー自体が意味不明だ。かつて地球は異星人に侵略されたが、かろうじて人類が勝利した。しかし地球環境は荒廃し、人類はタイタンに移住する。そんな地球を監視するのは無人偵察機ドローン、ドローンのメンテやパトロールを担当するのが主人公、という世界らしい。ナイスな世界観とビジュアルだけど、だんだん意味不明な展開になり、ついにはこの世界が虚構であることが示される。

なんだか既視感があちこちに。いままで見たSF映画のビジュアルと似たシーンもある。それでも圧倒的に美しい。でも、正直よくわからないストーリーだ。ネットで色々な人の意見や解説を読んだが、いまひとつ霧は晴れない。けっこう退屈なところもあり、もう一度DVD見る勇気はないが、大スクリーンでなら見たい。ふたりの女優はとても美しい。そういえば、「スティング」のふたりの女優は、個性的ではあるがチョットナー。40年前は美人の範囲が広かったのだろうか。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00024Z41Y/dgcrcom-22/
>
「スティング」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00D7YEH3C/dgcrcom-22/
>
「オブリビオン」


●続き。1km8分だと心臓に負荷はかからず、息が上がらない。全然しんどくない。朝のジョギングでは1km6分〜7.5分でずっと息が上がっていて、帰宅してからもずっとゼーゼー。坂道ばかりのせいもあるけど。本番だと(声は出さずに)歌ったりできたよ。

ペースがキープできれば、8分でもフルを5時間40分程度で完走できる。まぁ先に身体に変調が来るからキープできないだろうけどね。最終ブロックスタートなら、30分足して6時間10分。大阪マラソンでは制限時間は7時間。

日が照ってくると日陰に移動。走っていた夏場の暑さに比べたら、湿気はないし涼しくて走りやすい。最初の難関である坂道だって、普段走っている道に比べると緩やかに感じる。人は多く、ペースはばらばら。中央分離帯を使って爆走する、整列に遅刻したであろう身体の出来ている人がいたりする。

ペアで横並びでゆっくり走る人は、壁になってしまって抜かしにくい。ばらけない最初の10kmぐらいまでは、視覚障害の人以外は、縦に並んで走る方がいいかもなぁと思ったりもした。続く。 (hammer.mule)